――卿は私のなんであるか?
貴族よりも貴族然。王者よりも王者然とした男の問いに、ルイズは即答することが出来なかった。
彼は私のなんなのか。
論ずるまでもない、使い魔だ。だって、彼は彼女の召喚によって呼びだされた鏡から出てきたのだ(多分)。……多分と付くのは、その瞬間は見ることは叶わなかったからだが。
とはいえ、彼がルイズの使い魔であるのは間違いない。サモン・サーヴァントによって呼びだされたのだから、それは使い魔だ。
……人間が召喚されるのは、前代未聞だけれど。
だが、それよりもルイズが即答できなかった理由は別にある。
単純に言って……偉そうなのだ。
そう、目の前の男が偉そうなのだ。
いや――偉いのだろう。血筋もそうかは知らないが、その身から放たれる気配は王者のそれだ。これが平民だと言われて誰が信じると言うのか。貴族という尊い言葉も、目の前の存在には似合わない。王者の二文字がこれ以上なくしっくりきてしまう。
そんな存在を、使い魔にして良いのだろうか……?
魔法を満足にも使えない自分が、こんな男を従えていいのだろうか?
いやそもそも……従ってくれるのか?
覇王と呼ばれても遜色ないこの男は、半端な自分を主として見てくれるのか……?
一秒、二秒。ついには十秒。
ラインハルトとルイズは睨みあい、互いに一言も発しない。いや、ラインハルトが口を閉じているのはルイズの答えを待っているからだ。
けれどルイズは、目の前の存在が使い魔になってくれるだろうかという不安と迷いに言葉を紡げない。
その間に立ちあがったのは、早い順にまずコルベール。流石は教師というべきだろう。ラインハルトから見えない位置で杖を抜き、いつでも行動をとれるようにしている。
ついで生徒の青髪の少女と赤髪の美女だ。他の面々は未だ呑まれて放心している。
そうして二十、三十と時は過ぎ、ラインハルトが口を開こうとしたのを見た瞬間、ルイズは腹を決めた。
ヤケクソになった、とも言う。
「アンタは! 私の使い魔よ! この私が召喚した使い魔!」
「ほぉ……」
感心したような声。ルイズの姿勢にか、その言葉にかは分からない。
ただ。
ラインハルトから放たれる威圧が、更に増したことだけは確かだ。
「――ッッッ!?」
もはや暴力。一点に絞られた威に、ルイズは汚泥の底に放り込まれたような感覚になった。取り戻した筈の感覚が消えていく。手足が痺れ、呼吸さえも覚束ない。崩れる体、どれだけ彼女の意志がそれを否と訴えてもどうにもならない。
そして膝をつく瞬間――
「お取り込み中の所失礼します」
ルイズの小さな肩を、コルベールが掴んだ。ラインハルトの黄金瞳がそちらへと移る。
杖を下に向けている。戦意がない事を示しているのだろう。片腕にルイズを抱き、もう片方の腕も垂れている。降参の意志表明。
――そんな言葉の皮を被った、臨戦態勢。
軍人として最たる境地に在るラインハルトは、彼の所作が軍人のそれだと一目で判断した。無抵抗にも見えるその姿勢は、獲物に跳びかかる為の前傾姿勢。一瞬にして獲物の喉元を食い千切らんとする蛇のそれ。
対して、ラインハルトは全くの無防備だ。意識も姿勢も重心も、何一つ変わらない。変える必要がないのだろう。それは油断でもなんでもない。なにが起ころうと、起こった後で対処出来るという、ある種傲慢とも言える自負が、彼にはあった。
「貴殿は?」
「……私は、あそこに見えるトリステイン王立魔法学院で教鞭を執っておりますジャン・コルベールと申します。ミスタ・ハイドリヒ。いきなりの事でお怒りは御尤ではありますが、まずは事情を説明させて頂きたく……彼女と、私達の話を聞いてもらいたいのです」
「構わん」
「……ありがとうございます。私達は貴方を害する意志はありません。ですのでそちらも、私達を威圧するのは止めていただきたい」
言葉に、ラインハルトは僅かに首を傾げた。そして。
「威圧? ――あぁ、なるほど。理解した。どうやら知らぬ地に呼ばれ、些か気が緩んでいたようだ。非礼を詫びよう。ミス・ヴァリエール。ミスタ・コルベール」
言葉と共に、辺りを包んでいた圧迫感が和らいだ。消えたわけではないが、それでもまだ恐い、と感じられる程度だ。物理的な圧力は消えている。
同時に、ラインハルトの背後から幾つもの溜息が洩れた。
「では、話とはどこでするのかね? 流石にここで論を交えるのは、後ろの子らにも迷惑がかかろう」
「……感謝します。それでは、学院長室まで案内致します。その前に生徒達を解放しますので、暫しお時間を」
「無論だ。教師が優先すべきは生徒の安全であろうしな」
そしてコルベールは生徒達を先に教室に帰した。と言っても、ほとんどの生徒が声をかける前にいなくなっていたが。逃げるように空を飛ぶ生徒達。ラインハルトはそれを一瞬、興味深そうに睥睨したが、すぐさま切った。
そして視線の先は――
「…………」
一人残った、彼を使い魔だと叫んだ少女。
「…………」
ルイズは、ラインハルトから一度も視線を切らずにいた。
コルベールに肩を掴まれた時も。
ラインハルトが威圧を解いた後も。
視線を切った後も。
ずっと、ずっと。
自分が召喚した男を、ずっと見ていた。
場所は変わって学院長室。
「……なんつー男を連れてきたんじゃ」
そんな言葉を吐いたのは、トリステイン王立魔法学院の学院長。オールド・オスマンその人である。
口にした言葉は隣に立つコルベールに言った言葉であるが、内心では黄金の男の隣に立つルイズに向けた言葉だった。
三百年生きたとも謳われる魔法使い、オールド・オスマンでさえ、目の前の男には圧倒させられる。
先のようにラインハルトは無暗矢鱈に威を発していないが、長い時を生きたオールド・オスマンは一目でその人間を見極められるという自負があった。
だがそんな経験に頼らずとも、このラインハルトという存在が別格であるのは瞭然だった。今まで会って来た王族貴族、この男と比べてしまえばただの『ごっこ』だ。
「申し訳ありません。召喚の儀とはいえ、私達だけで進めるには些か……」
「分かっておるよう、そんなことは」
泣き言のように言うコルベールに、湿った声で返すオスマン。
分かっている。よく慎重になってくれたと褒めてやりたいくらいだ。目の前の男は、どう見ても高位にいる人間。そんな相手に無礼を働けばどうなるか、考えるだけでもう嫌になる。そして、そんな人物を使い魔召喚で召喚したという。
そしてその召喚した本人は、目の前の人物に「お前は使い魔だ」と宣言したらしい。
「――――」
気が遠くなるとはこの事か。なぜ、今この時、ロングビルのお尻がないのだろう。あったらそっちに逃避するのに。
まぁ、いたとしても出来るわけがないのだが。
「まずは自己紹介といこうかの。儂はオールド・オスマン。この学院の学院長をしておる」
「私の名はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。肩書きは多々あるが、第三帝国――ナチス・ドイツ国家保安治安部長官であった」
あぁ、もう名前だけで貴族と分かる――侯爵位だろうか……いやちょっと待て、肩書きが多々あるという不安爆発な発言よりも、その先。
「第三帝国……ナチス・ドイツ?」
聞いたことのない国名だ。帝国……という言葉がつくのだから、多くの国を併合する大国なのだろう。しかしそんな国など、オールド・オスマンの耳には一度だって入ったことがない。
嘘? ありえない。嘘をつく理由などないし、嘘をついたとも思えない。
ならば辺境の国だろうか……ないだろう。こんな男が仕えている国だ。小国だなんてそれこそありえない。
思考の海に入ったオスマンを見て、コルベールが聞いた。
「ミスタ・ハイドリヒ。国家保安治安部長官とは?」
「聞いたことがないかね? 言葉通りの意味だ。我が帝国を支える十二ある機関の一つ。諜報、摘発、排除を主とした機関――そうだな、端的に言ってしまうなら、憎まれ役と汚れ役の兼任した役職の長……といったところか。人に慕われる卿のような立場とは対極に位置する、嫌な役職だよ」
なんでもないように言うラインハルトに、しかしオスマンは騒然。
――超重要スポットじゃねぇかッッッ!
一人だったら本気で叫んでいただろう心の絶叫。顔が引き攣るのが分かる。隣を見れば、コルベールは引き攣るどころか青褪めていた。彼は元軍人。その立場の重要性、危険性、オスマンより遥かに心得ている。
ヤバい。オスマンは自分の認識が甘かったことに気付く。そんな立場の人間を召喚――見方を変えれば拉致・誘拐してしまったのだ。
どれほどの損害、賠償――否、それで済むなら是非もない。宝物庫を空にしてでもなんとかするつもりだ。たとえ恩人の破壊の杖であろうとも。
だが最悪、戦争に発展したら……!
青――というか白くなっていく大人二人に、ラインハルトは声をかけた。
「大丈夫かね、ご老体。なにやら気分が悪そうに見えるが」
「――――うむ。問題ない」
問題しかないが、あると言える筈もなく。
水を汲み、思い切り飲み干す。胃と共に肝が更に冷えた。それで幾分、冷静さを取り戻す。
そして目を反らしたいが、そうもいかない所を突いていく。
「……多々あると言っておったが、他の役職も聞いてよいじゃろうか?」
「なぜかね?」
「……儂は長く生きたが、獅子の尾を踏むほど耄碌してはおらん。貴殿の尾がはたして何本あるかぐらい、知っておきたいのじゃよ」
「なるほど、私は眠れる獅子と。卿の危惧は尤も……しかし語ったところで意味はない」
「……そりゃ、どういう意味じゃ?」
これ以上何を乗せたところで、戦争は避けられない。言外にそう言われたようで、肝が氷結地獄に叩きこまれたかのような心地になった。
この刹那が永遠に止まればいいのに――なんて、考えたり――はしない。むしろ刹那に終われ、この会合。
「言葉通り、そのままの意味だ。私がどのような立場にいようと、卿らには如何なる影響もない」
「…………?」
国を支える支柱――いや大黒柱とも言える人物を呼びだしたのだ。然るべき謝罪、然るべき処置をせねばならないというのに、意味がない?
「なぜじゃ?」
最悪の未来は回避出来るかもしれない。そこに行きついたオスマンは幾分血色を取り戻し、
「それは、ここが私のいた世界ではないからだ」
全く予想だにしていなかった返答に頭が一瞬バグッた。
「……それ、どういう意味?」
と聞いたのは、今まで口を噤んでいたルイズだ。
ラインハルトは哀愁の篭もった吐息を洩らし、窓の向こうに目をやった。ルイズもその視線を追う。外。視線の先には空の遥かにある双月。
「私の国から見上げた空には、月はただ一つしかなかった。月は二つもなく、あれほど近くもない。それは他国から見上げても同じであったよ。……星を跨げば、また違ったのかもしれんがね」
「……信じられない。月が一つだけだなんて」
「だから異世界だと言ったのだよ。そして、魔法も存在しなかった」
その言葉にはルイズだけでなく、オスマンとコルベールも目を剥いた。魔法がない。そんな世界があるのかと。驚く三人を余所に、ラインハルトの独白は続く。
「あったのかもしれないが、私が知る限りでは赤子に語り聞かせるお伽話でしか存在はしなかった。……あぁ、聖杯や聖槍、伝承に語り継がれる遺物は多々と取り扱ってきたが、案内の道中に聞いたフライとやらが使える人も、物も、終ぞいなかったよ。それでも、総統閣下は夢を見続けていたな、愚かな男だ。幻想に縋り、現実から目を――いや、これは私にこそ当て嵌まる言葉か。やれ、どうやら我が帝国には愚者しかいなかったようだ」
「では、卿の立場は……」
「然り。拠るべき国も、守るべき民も、身を明かす地位さえ失った、流浪の民。さて、どうしたものかな……」
視線を投げた先は己をこの地に召喚したルイズだ。
ビクリ、とその肩が跳ねる。圧迫される息苦しさはない。威圧による重さはない。だが得も言えぬ恐怖が、彼女の体に走った。この世界に国がないからといえ、安心出来る要素など何処にもない。自分が使い魔を呼びだしてしまったが為に、なにか途方もない事が起きるかもしれないという、想像もつかない無明の恐怖。
ルイズが何かを答える前に、堅い声でオスマンが答えた。
「送り返す手段は」
「無用だ」
返す刀で遮られた。ぽかんと阿呆のように口を開いて固まるオスマン。すぐさま解凍。いやいやと首を振る。
「あ~ミスタ。貴殿の肩書きからして、すぐにでも戻らねば問題が起こりましょうぞ?」
「問題はない」
「なぜ?」
「この身は既に、死んだ身だからだ」
明日には続き上げる予定。
書いて即座に上げたので、誤字脱字、間違った表現があるかもしれません。ので、間違いがあったら報告お願いします。
獣殿の肩書きって凄いんですよね、ホント。
簡単に挙げると以下の通り。
ベーメン・メーレン保護領を統治。
親衛隊大将
警察隊大将
わぁ凄い。第三帝国じゃ彼に逆らえる人間はいませんね、総統閣下も逆らえません。というか逆らったら消されていたとも言われてますし。
更にこの獣殿は超人補正(神の器補正)があるので、まず誰も逆らえない。多分敵も逆らえない。
この人戦場に放り込めばそれだけで戦争勝てるんじゃなかろうか。史実の方は無理でも、こっちなら。
普通にスパイ任務やらせりゃ、一日で敵の首脳部制圧してくれるだろうな。