喫茶『翠屋』へ行く。
それが今日、わたし達に課せられてた任務や。
出されたものは美味しく頂く、美味しいとわかっているならそれ相応のリアクションを求められるのが関西人や。
魔法少女リリカルなのはFはじまります
起きるといつも見とる天井やなかった。
顔を右に向けると、鞄がひとつと数冊だけ本がいれられた本棚。
ごろりと体勢を変えて左を向くと士郎さんの顔があった。
そしてわたしが固まった。
「え?
あれ?」
えーっ、と。
昨日は士郎さんと遅くまで起きていて、今日が楽しみって寝たはずなんやけど。
うーん?
なんかひっかかってるような。
わたしがうんうん唸っていると士郎さんがむくりと起きた。
「おはよう、はやて」
「おはよう」
士郎さんが少し困ったような顔をしていて、それが昨晩の、士郎さんの顔と重なる。
顔から火が出そうというのはこういう時の事を言うのかもしれない。今わたしは最高にてんぱっている。それにきっと顔も熟れたトマトのように真っ赤にちがいない。
「うん、元気そうだな」
そう言って苦笑しながら頭をごしごしと少し乱暴に撫でてから立ち上がり、カーテンを開く。
朝焼けの綺麗な空が眼に飛び込んできた。
昨日のことをはっきりと思い出してしまって、かなり恥ずかしいのだけど、士郎さんはそのことについて何も言ってこないので、わたしも何事もなかったように振舞おう。それがいい。
士郎さんの部屋で寝てしまっていたので、抱きかかえられて下の階に下りていった。
わたしを椅子の上に下ろすと、士郎さんは素早く調理に取り掛かった。
何事もなかったかのように振舞おう、とは思うのだけれども、それは実際なかなか難しいことでどうしても士郎さんを意識してしまう。というか、わたしが恥ずかしいので、士郎さんには是が非でも忘れてもらいたいんやけども。
そんなもんもんと考えているうちに、朝食ができてしまっていた。
朝食中もいろいろ考えていたせいか、士郎さんに口元を拭かれてしまった。
不覚や。
朝食も食べ終わり、士郎さんは緑茶を飲みながら新聞を広げていた。
わたしも緑茶を飲んでいる。
本を広げてちらちらと見ていると、士郎さんはこちらを見ずに、
「大丈夫。『翠屋』に行くんだろ。忘れてないから」
いや、全然ちゃうから。
って、士郎さんの中でわたしがどんだけ食いしん坊キャラなのか逆に興味がわいてくるんやけど。
「そんなに睨まれてもなー。さすがにまだ開店してないだろ」
新聞から顔を上げて真面目な顔でおっしゃいますか。
「もうちょい乙女心を理解した方がええんとちゃうか?」
「乙女心(笑)」
心の声が駄々漏れやし、右の口角がええ感じにあがっとるで。
絶対わざとやろ。
今日は士郎さんのバイトも休みということで、『翠屋』に行けることになった訳だけど、いつもの生活リズムは相変わらずで、少し遅めに家を出て図書館へ向かう。
何故遅くなったかというと、朝起きたのが遅かったのもあるが、これまた何時ものようにお弁当を作っていたからである。ここ数日いい天気やったが、本日はそれを上回る快晴ということで、図書館前の公園でランチと相成ったわけや。
お弁当は士郎さんがほとんど作ってくれて、わたしはというと、図書館で借りた本を読み終わらそうと頑張っていたわけであります、ごめんなさい。だって、早く新しい本借りたいし。ごめんなさい。
図書館はいつも以上に人がいた。
春休み一日目ということもあり、大方読書感想文の題材となる本を探しに着ている小学生中学生が多いのだろう。現にいつもより人が多いといっても、大人の数はあまり変わっていない。暇そうな大学生風な人はいつも見かけるし。
わたしと士郎さんは仲良く借りた本を返却した。
本を読みたい誘惑を押し殺してわたしは今、算数の問題を解いている。
「こんなもんが将来役に立つんかいな」
ごちる。
「中学以降で習う数学はどうかわからないけど、算数くらいはできないと困るぞ。
それに、将来何になるかわからないけど、なりたいもの幅が広がるのは確かだな。ってまだこんな話は早いか」
士郎さんはわたしの隣で本を読んでいる。
なんて羨ましい。
「午前中は勉強とかまんま春休みやんけ」
「春休みだろ」
「そうやけどさ」
「なに?
特別扱いでもして欲しいのか?」
「そうは言うとらんけどさー」
あの日の当たる窓の近くの椅子に座って本を読んだら最高だと思わん?
それか、一旦本を借りて外の公園の木下でシートを敷いて寝転びながら本を読む。
「今、すごいアイデアが湧いてきたんやけど」
「ほぉー。
それが読書に関することじゃないならちゃんと聞いてやるぞ」
暗にちゃんと聞かないことを仄めかしていますね。
「勉強します……」
観念して、残りの算数の問題の片付けに向かう。
「理科終わりー」
残るは国語や。
国語と称して古典的な作品を読むというのはいい考えかもしれない。士郎さんに聞いてみよ。
「お疲れ、はやて。
ちょっと早いけどお昼にしようか」
「もうそんな時間?」
「それだけ集中していたってこと」
時計の短針は12の文字よりも少し前を指している。
「はいはい、片付けて片付けて」
片付けて、と言いながら大半を士郎さんがぱぱっと片付けてしまった。
春休みの宿題を鞄に仕舞い、士郎さんに持ってもらう。
士郎さんは読んでいた本を元あった位置に戻しに、わたしは車椅子に乗ってそれを待っている。
「行こうか」
「うん」
図書館の受付のお姉さんに挨拶をして外に出る。
綺麗なお姉さんで、本の検索や別の図書館からの取り寄せなどお世話になることが多い。
ついこの間まで寒かったのが嘘のようにぽかぽか陽気や。
テレビでいってた、ここ最近で最も天気がいいというのは間違いじゃないと思う。
空を見上げると蒼い絵の具を垂らしたかのように青一色で、太陽が強い自己主張をしている。雲も電線もなく、空が見渡せるこの公園は貴重や。
士郎さんはシートを敷き、その上に私を下ろしてくれる。
公園内にぽつぽつと生える木の下は優しく太陽からの光を和らげてくれる。
はい、と士郎さんから箸が渡される。
わたしは、ありがとうという言葉と共にそれを受け取る。
食事が終わって幸せ気分。
それを見事に士郎さんがぶち壊してくれました。
「もう勉強なんていややー」
「そう言うなって」
あんたはどこぞの教育ママですか、と言ってみたい。
保護者です!なんてドヤ顔で言われそうなんで言うことはないけど。
「それ行くぞ」
「ちょ、話聞いてや」
「聞こえない」
「ちょー!」
わたしの声が空高くあがり、そして青空に飲み込まれていった。
相変わらず、空は蒼い。
喫茶『翠屋』はすごい繁盛振りやった。
というか、女の人が多い。
暇人め。
あ、わたしもか。
でも、ここまでくるには涙無しでは語れないことがあったんですよ。
それこそ、士郎さんと書いて鬼と呼ばせたくなるくらいには。
「なに黄昏てるんだ?」
「なんでもない、なんでもないんや」
「だから悪かったって」
全然謝っている風には見えない。
図書館では、何故か総復習とか言われて問題出されましたよ。
有名私立中学校の入試問題が。
いや、ね。あれは人間の解くような問題やないんよ。
「でも、頭の体操にはなっただろ」
もちろん、士郎さんが私のレベルにあった問題を選んで出してくれはするんですけど。それでも、一問解くのに30分とかおかしくないですか?
士郎さんに言ったら、高校とか懐かしいとかわけのわからないことを抜かしてくれたので、消しゴム投げつけてやりましたとも。もちろん、投げた消しゴムは士郎さんの手のひらに吸い込まれて、デコピンされました。あまり痛くなかったことは言うまでもないことや。
「やっとか」
どうやら店員らしきお姉さんが案内してくれるらしい。
わたし達は席に案内されて、メニューをみる。
メニューなんて見なくても頼むものは決まっている。
お姉さんがやってきて、綺麗なガラスコップに水を入れていく。
カラン
氷とガラスとが重なり、涼しい音がなる。
「わたしは紅茶とショートケーキとシュークリーム」
「俺は珈琲とシュークリームで」
お姉さんは注文を繰り返し、その場を去っていった。
翠屋ではただの紅茶、珈琲といえば日替わりらしい。もちろん、ちゃんとした紅茶とかもあるんだけど、こっちの方が安いし、何よりもお姉さんがお勧めって言ってた。
「お待たせ致しました」
先程のお姉さんではなく、お兄さんが運んできた。
まずは士郎さんに珈琲を、そしてわたしに紅茶を。
それからケーキとシュークリーム。
士郎さんはすかさず珈琲を口元まで運ぶ。
わたしは猫舌というわけでもないけど、少し、ほんの少しだけ冷めたほうが飲みやすい。
「ちょ、わたしのケーキ!?」
「まあまあ一口くらいいいじゃないか。
それに、昨日も少しもらうって言ってなかったけ」
「それでも、わたしよりも先に食べるなんて」
いくらおんこーなわたしだっておこりますよ?
「って、紅茶も!?」
かっちーん
「ほう、これは、美味しいな」
あれ?
士郎さんが素直に褒めるなんてはじめて聞いたかも。
どこがいいとも言わずに、美味しいと。
少し待ったが、何も言ってこないので、よほど美味しかったんやろう。
わたしもいただく、
「あ、美味しい」
◇◇◇◇◇
朝、人のいる気配が下の階からして目が覚めた。
最初はトイレかと思ったが、どうも様子がおかしかったので部屋を出た。
なんとはやては車椅子から降り、階段をよじ登ろうとしている。
其処まで駆り立てるものは何なのか。俺にはわからない。
はやては泣きそうな顔で、必死になってゆっくりと体を動かしていく。
と、手がすべり、体が反転する。
上を見ているが、俺の姿は見えていないだろう。
左手が伸ばされ、空をつかむ。目を瞑り、
どんっ
鈍い音が響く。
手が滑った瞬間から動き出したが、間に合わなかった。
はやてを抱きしめる。
少し離して、
「ばか」
「士郎さんの馬鹿!!」
「ばかばかばか」
「さみしかったんだから」
寂しかった。
その一言が堪えた。
はやてがこんなになってまで、一生懸命になって。
寂しかった。
家に一人いた頃のことを夢見たのかもしれない。
俺にはわからないことだ。
はやてを抱きしめて頭を撫でると、安心したのか寝てしまった。
とりあえず、車椅子を除けてはやてを部屋に連れて行く。
まだ早い時間。
起きてもいいだろうが、隣には俺の手を抱きしめるようにして寝てるはやて。
無理やり引き離す、なんて選択肢はない。
いや、離そうとするとさらにしがみついてくるから。
ま、でも。
これで安心して寝ているならこれでもいいだろう。
何もせずに横になると、どうしても瞼が重くなってくる。
朝のことを思い出す。
大きな家に一人。
俺には騒がしすぎるくらいの姉のような存在がいた、そう思い出す。
エプロンをしていることから店員らしき女性、というには若いアルバイトらしき女の子がこちらへやってきた。どうやら武道を嗜んでいる様で、それなりの体運びをする。いっそ、美しくさえある。
「やっとか」
随分、というほどではないが、やはり人気店。
待たされてしまった。
はやてははやてで何か考え事してたみたいだし。
俺はメニューを見て、はやてはそれすら見ずに注文をする。
運んできたのは大学生くらいの青年。
足運びもそうだが、芯がぶれていない。頭から骨盤にかけて一本の鉄心を思わせる。
いや、足音をさせないというのは如何なものだろうか。
暗に、自分は訓練を受けていますよ、と宣言しているようなものではないか。もしかして俺に対して?
「お待たせ致しました」
立ち上る珈琲の香り。
一口口に含む。
くろーばーのマスターにも劣らない技量をもってして入れられたものだということがわかる。
はやてのケーキ、紅茶もすばらしい味だ。
この紅茶は俺もいただこう。
店員に紅茶を注文する。
この店に入ってから視線を感じるが、このような美味しいものの前では気になるほどのことでもない。
はやてとともに素晴らしい時間を満喫した。
豆知識
リコリンはヒガンバナ科の植物、ヒガンバナやスイセンに含まれる物質のようです。致死量は10 gとあまり強い毒ではないようですが、催吐作用があるようです。
ソラニンはジャガイモの芽などに含まれる毒素でジャガイモを食べる時は芽や皮をちゃんととったほうがいいってことです。
20130103 改訂