Black Bullet 〜Lotus of mud〜   作:やすけん

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第8話

皮膚を焼く太陽光。鼻腔をつく濃厚な土の匂い。脳を揺らすアブラゼミの大合唱。

 

夏。

 

アブディエル(天使の名)イライジャ(主は私の神)サンチェス(聖人)は片手に聖書を、片手にマリーゴールドの花束を持って布教を行っていた。彼はうだるような炎天にも関わらず長袖の祭服を崩さずしっかり着込み、通り過ぎる人々に笑顔で挨拶をしている。

 

「おやおや、神父さん。お疲れ様」

 

人の良さそうな老人がすれ違いざまアブディエルに声を掛ける。

 

「これはこれは、ありがとうございます。壮健そうで何より。あなたにも、神の御加護があらん事を」

 

胸で十字を切り、アブディエルは流暢な日本語で答える。対し老人は、驚いたと言わんばかりに目を見開いた。

 

「ほぉ〜。お前さん、日本語うまいのう」

 

アブディエルは褐色の肌に、彫りの深い顔立ちだ。赤い頭髪は腰まで伸びており、ドレッドヘアーにしている。一見して神父などとは判別出来ない筈だが、赤い司祭服を着ている(・・・・・・・・・・)ため、周りには聖職者であることが分かる。

 

「ええ、お陰様で」

 

「しかしなぁ〜、最近の神父はそんなオシャレな髪の毛してて良いのかい?」

 

老人はアブディエルの頭を指さし問う。

 

「イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ』と。そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった」

 

「おぉ、お〜、難しくてよぅ分からんが、良いって事なのか?」

 

「ええ、神は寛容です」

 

「ほうか。やっぱ宗教は、ワシには無理じゃったわ」

 

「ガッハッハ」と盛大に笑う老人の背を、アブディエルは『嘆きの川(コキュートス)』を連想させる瞳で見送る。

 

だが、はたと温かみのある眼光を宿すとにこやかに歩き出した。

 

彼の右手には大きな公園がある。中央の大きな噴水が太陽光を反射し、小さな虹を構成していた。周りには子連れの家族が大勢いる。どの家族もいい笑顔で戯れている。

 

砂場には、人垣が出来ていた。その円の中心には赤と黄色のツートンカラーの衣装に身を包み、顔を白く塗り化粧をした道化師(ピエロ)がいる。

 

ピエロは簡単なマジックから見ているこっちがゾッとするような軽業をやっていた。だが、時折コミカルに失敗を織り交ぜると観客の笑いを誘う。一言も発せず、パントマイムで笑いを取る彼は一流のエンターテイナーだろう。

 

平和だ。ガストレアという天敵がいながらもこんな日常が当たり前となった現代。だが彼らは知らない。ガストレアよりも恐ろしい脅威は、自らの種であることを。

 

アブディエルは手で(ひさし)を作りながら空を見上げる。

 

公園と道路を挟んだ向かい。上流階級の人間が住んでいそうな高級マンションがそびえ立っている。

 

アブディエルは目的の階、目的の部屋を確認すると、エントランスへと歩いて行った。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

倉敷辰巳(くらしきたつみ)は空調の効いた部屋でくつろぎながらテレビを見ていた。

 

内容は最近頭角を現してきたお笑い芸人の私生活に密着するというつまらない企画だ。

 

今すぐにも辰巳はチョンネルを変えてやりたかったがそうはいかない。

 

辰巳自身、名前すら覚える気のないこの芸人はだが、妻の幸枝(さちえ)のお気に入りだ。

 

24歳で結婚をして早35年。夫婦円満を保てたのは、ひとえに我慢だ。

 

何を取っても我慢。角が立てば折衷案(せっちゅうあん)をとり波風が立たないようにしてきた。

 

そんな辰巳もあと1年で定年だ。

 

額狩(ぬかがり)高校の理事長としていられるのもあと1年。

 

ガストレア大戦があり、波乱万丈の人生だが、今のところは何の後悔もない。現状の生活に充分満足している。

 

今日は可愛い10歳の孫が遊びに来ている。今は道路を挟んだ向かいの公園で遊んでいるが、早く帰ってこないかソワソワとしている。

 

「おい幸枝。そろそろあの子を呼びに行ったらいいんじゃないか?」

 

「……ええ、そうね」

 

妻の幸枝は最初こそ逡巡を見せたが、お気に入りの芸人より、やはり孫の方が可愛いようだ。

 

身支度もほどほどに、幸枝は部屋から出て行った。

 

それを見計らい、辰巳は行動を開始する。

 

自室へと戻り財布を取ると数枚紙幣を取り出し、封筒へ入れると胸ポケットへと仕舞う。

 

都合3万円。10歳児には高額だが、可愛いくてしょうがないのでこの程度と思う。

 

それよりも「おじーちゃん、ありがとー」という舌足らずな声が聞きたくて辰巳の顔も自然と(ほころ)ぶ。

 

リビングに戻り、早く戻ってこないかと右往左往していると、玄関のチャイムが鳴らされた。

 

辰巳は何故か心臓がドクンと脈打つのを感じた。

 

ふーっと一呼吸おき、浮かれていた自分を叱責する。

 

「チャイムくらいでビビるなんて、俺もヤケがまわったな」

 

凛然と辰巳は玄関扉まで歩いて行くと、魚眼レンズも覗かずに扉を開けた。

 

そこには、聖書を携え、左手に黄色い花を持った神父が立っていた。

 

肌は浅黒く、彫りが深い。そして赤髪のドレッドヘアー。高身長、スタイルもいい。何かの宣伝だろうか?

 

「こんにちは。倉敷辰巳さんですね?」

 

赤い司祭服の神父は、柔和な笑みを浮かべる。

 

「ええ、そうです」

 

途端、神父は室内に押し入ってきた。

 

顔付きも別人のように険しくなり、辰巳の心を恐怖が支配した。

 

「騒ぐんじゃありません。騒げば即刻この世からあの世へと送って差し上げます」

 

「……え?」

 

「1つ、教えて頂きたい。額狩高校理事長のあなたに聞きたい。瀧華蓮という生徒は知っていますか?」

 

「は⁈」

 

「知らないでしょうねどうせ。別に期待してませんでしたけど。あなたに頼むのは他でもない。その生徒の個人情報です」

 

「な、何を言っている。そんな事、出来るわけが無いだろう」

 

「そう言うと思ってましたよ。だからこそ、私にも考えがあります」

 

辰巳には、何が起こったのかさっぱり分からなかった。神父の姿が掻き消えたかと思えば、視界は闇より深い深淵に呑まれた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ユダはアブディエルの仮面を脱ぎ捨てる。善良な市民の真似事をするのは虫酸が走る。

 

あのジジイも、あのクソガキ共も、一切合切(いっさいがっさい)細切れにしてやりたくなる。

 

ユダは倉敷辰巳をリビングチェアーに括り付け、そんなことを考えていた。

 

時計を見る。入室してから3分が経過していた。そろそろ準備も整った頃だろう。

 

ユダは辰巳の頬を張る。

 

乾いた音とともに、辰巳の意識は覚醒する。

 

「はっ……お、お前は⁈」

 

「御機嫌麗しゅう善良な市民様。私はあなた達みたいな家畜が大嫌いです」

 

「は⁈」

 

「いいですか? 私の手を(わずら)わせないこと。それが可及的速やかにこの事態を収束する唯一の手段です」

 

「い、一体何だと言うんだ?」

 

「言ったでしょう。瀧華蓮の情報を寄越せと」

 

「そんな生徒は知らん」

 

「本当ですか? 彼は額狩高校2年だと聞きましたが……」

 

「いちいち生徒1人1人名前など覚えてられない」

 

「でしょうね。私はそういう無責任な所も大っ嫌いです」

 

「だったらどうしろと言うんだ⁈」

 

「USBでもないんですか? バックアップでもなんでもいいから、生徒の情報を寄越せと言っているんだ」

 

辰巳がチラッと隣の部屋へと視線を流したのをユダは見逃さない。

 

「生憎だな。そういうのは全て私のオフィスに厳重に保管してある」

 

「ほぉ〜。あなたのオフィスとは、この部屋の事ですかね?」

 

「な……⁈」

 

ユダは扉を開け、まず目に入ったパソコンを確保する。

 

「この中に?」

 

「……」

 

「ないと」

 

ユダは貴重品を隠しそうな箇所を物色する。引き出しを引っ張り出しタンスはひっくり返し金庫は蹴り破る。

 

「ふむふむ。やはりここに」

 

重要な契約書類だろう紙の中に、USBメモリがあった。

 

それをパソコンに差し込み起動。情報を開示しようとするが、パスワード入力画面にそれを阻まれる。

 

「パスワードは?」

 

「……」

 

「おやおや、強情ですね。手間を取らせるなと言ったでしょう」

 

「……」

 

「ならば、私にも考えがあります」

 

パチンっとユダは指を鳴らす。すると音もなくクラウン・ジェスターが現れた。

 

「マイロード。準備は出来てます」

 

「頼みますよ」

 

「にっししし」という下卑た笑い声を上げながら、クラウン・ジェスターは玄関奥へと消えていった。

 

辰巳はポカンとした顔をしている。だが即座に状況を理解したのか血相を変えると逃げ出そうと暴れ出した。

 

「無駄です無駄です。それは並の大人が10人ぶら下がっても千切れないロープです。体力の無駄です。お止めなさい」

 

辰巳はひとしきり暴れたが、やがて観念したのか動きを止めると懇願するようにユダを見つめる。

 

「や、やめてくれ。まさか拷問なんかするんじゃないんだろう?」

 

「いいえ、しますよ」

 

「わかった。パスワードは『nukagarikoko014』だ」

 

「ふむ。ヌカガリコウコウオイシー。随分悪趣味ですね」

 

ユダはパスワードを入力。データの障壁を打ち破ると50音順になっている生徒名簿のタ行を選択する。

 

間も無く瀧華蓮は見つかった。ウェーブがかった赤味のある頭髪に獣のような鋭い眼。精悍な顔立ちの少年のバストアップ写真に付随して、様々な個人情報が掲載されている。

 

ユダは住所を記憶するとパソコンを閉じた。

 

「い、いいか? 満足したか?」

 

「ええそれはもう。言うことはありません」

 

「なら、この紐を–––」

 

「–––それは無理です」

 

「…………え?」

 

「警察がしっかり捜査するかどうかは別として、警察に駆け込まれたら困るのは私です」

 

「だ、大丈夫だ。言ったりはしない」

 

「あなたを、信用するとでも?」

 

「大丈夫だ」

 

「いいえ大丈夫ではありません。あなたは我が身可愛さに簡単に個人情報を流出させた。そんなあなたの二枚舌に耳を貸す馬鹿はいません」

 

「じゃ、じゃあ––」

 

––丁度その時、クラウン・ジェスターが戻ってきた。

 

片手に辰巳の妻幸枝を、もう片方の手には孫の女の子。名前は陽毬(ひまり)

 

両名共、体をロープでグルグルに巻かれ猿轡(さるぐつわ)を咬まされている。

 

クラウン・ジェスターは暴れる2人を床に放り投げると跪く。

 

「マイロード。こやつらは?」

 

「ふむ。案外早く口を割ったので時間はあります。あなたに任せます」

 

「え? えっへへへへ〜。私めに? というか、こいつもう口割りやがったんですかい?」

 

「ええ、それは呆気なく……」

 

「いけないいけない。教育を、指導する側の人間がそんなんでは貧弱な人間しか育たない」

 

「ならば……」

 

「イェスマイロード。今日はこの狸に精神教育をしてやりましょう。指導する者、責任ある者はどうあるべきかをね」

 

「それはそれは楽しみですね」

 

「にっししし」と笑みを浮かべ、クラウン・ジェスターは辰巳の前に立つ。

 

「お初にお目にかかります。クラウン・ジェスターと申します。今回は、私めの演目をご覧頂き、感謝の言葉もありません」

 

「……なんなんだ、お前は?」

 

辰巳の問いには答えず、ジェスターは演説を続ける。

 

「私めの得意分野なんですが、マジックです。ほら、よくあるじゃないですか」

 

ポケットからマジックペンを取り出しながらジェスターは語る。そして、白々しくマジックペンを眺めると、驚いた仕草をする。

 

「いけないいけない。確かにマジックですが、これはペンの方のマジックでしたね」

 

笑みを浮かべ楽しそうに語っていたジェスターだが、辰巳が無反応なのを認めるとその笑顔は凍りつき徐々に無表情へと戻っていく。

 

「退屈されてますね。なら面白くして差し上げよう」

 

「い、いい、いやいや。楽しいとも。楽しいぞ」

 

「嘘はいけない。嘘は。あなたの顔にはつまらないと書いてあるんですよ。私には見えます」

 

ジェスターは辰巳の孫、陽毬の髪の毛を鷲掴みにし片手で持ち上げるとマジックペンの細い方の栓を口を使い抜く。陽毬が泣こうが喚こうがジェスターは眉ひとつ動かさない。

 

「いいですかね? 私は嘘は嫌いなんですッ。ついでに言えば、子供も嫌いです。泣き喚く子供は、最上級で嫌いですッ」

 

そう言い、ジェスターは陽毬の鼻へマジックペンを突き入れた。

 

刹那、部屋はシン、と静まり返る。だがしかし、その分を補うように、辰巳と幸枝の絶叫が静寂を切り裂く。陽毬の体は一瞬だけ硬直したが、すぐに弛緩した。

 

「ほら見てくださいよ。あなたが嘘を()くから、お孫さんはピノキオに……ひひひひッ‼︎ ピノキオに……。きゃっはっはっはははっは〜ッ」

 

クラウン・ジェスターは自らの行いが可笑しくて堪らないと言語すら操れなくなる。

 

目に涙を浮かべ笑うジェスターを辰巳は睨みあげる。

 

「なんですかね? その目つきは。気に入りませんね。ウジ虫のくせにッ」

 

陽毬を無造作に放り投げると、ジェスターは今度は幸枝を連行。辰巳の目の前に椅子を置き、四肢を台座と肘掛に縛り上げると猿轡を解いた。

 

「今度はあなたの目の前で彼女を解体してあげましょう。事細かに人間の臓器の説明をしてあげましょう。大丈夫、よくあるでしょう? 人を切って、離して、またくっつけるマジック」

 

恍惚の笑みを顔に貼り付けてジェスターは話した。

 

「大きな血管を外せば、人は生きたまま腹を開く事が出来るのはご存知でしょう? そして今回は特別サービス。奥さんの悲鳴が聞こえるように猿轡はしないであげます」

 

ユダは辰巳の目を逸らさせない為に背後に回り顔を妻に向けて固定した。

 

「さあ、解体ショーの始まり始まり〜〜」

 

その後、ジェスターは2時間に渡り人体の神秘を得々(とくとく)と説いた。




今回はネタに走ってしまった感が強いですね。

次は真剣にやります。

よろしくお願いします。

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