Black Bullet 〜Lotus of mud〜   作:やすけん

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第15話

イーシュと共に落下した什卧。

 

即座に断罪の踵落としをイーシュの鉄仮面目掛け振り下ろす。

 

天穹式格闘術・剛式隷下–––

 

「『嚆矢(こうし)上下捻唸麟(しょうかねんてんりん)』ッ」

 

ゴンっとドラム缶を叩いたような音と共に首を垂れるイーシュ。同時に床に激突。けたたましい音と粉塵を巻き上げ下層へと落下する。

 

だが、更にそこに追撃を加える。

 

天穹式格闘術・剛式奥義–––

 

「『來號獅槌(らいごうしっつい)』ッ」

 

前方回転をしつつ極限まで威力を高めた踵落とし。それが成功したならば回転する勢いを殺すことなく更に肘鉄を振り下ろし鉄仮面へぶち当てる。2撃をもって1つの技となる剛式奥義を的確にヒットさせる。

 

雷鳴の如き響き渡るインパクト音。

 

これぞ天穹式格闘術の『それは洪水のように押し寄せるが、火熱のように掴み所がなく、嵐のように一方的で、落雷の如き一瞬』という極意を会得した什卧だからこそ、天災を連想される打技を繰り出せる。

 

凄まじい衝撃にイーシュのサイの角はへし折れ首は尋常ならざる角度にねじ曲がった。

 

勢いは加速し床を何層をも貫いていきやがて姿が見えなくなる。

 

「二度と上がってくんな」

 

什卧は適当に足場になるところに目掛け落下。着地する。

 

上を見上げた。ジェリーが居る階からは5階ほど下にあたる位置のようだ。

 

今度は下を確認する。どこまでも奈落のように続く大穴が広がっている。

 

「ふぅ〜。チート野郎の相手は骨が折れる」

 

嘆息しながら什卧は呟く。

 

さて、合流するか。

 

上階へ飛び上がる。だが、飛んだ瞬間耳に届いた風を凪ぐ翼の音。バサ、バサ、と1回なるごとに確実に近づいてくるその音の正体が分からないほど、什卧も馬鹿ではない。

 

下を向いて即座に身構える。まるでそれを見計らっていたかのように、大きな鷲のような翼を生やしたイーシュは弾丸の如く飛翔する。

 

「死ね! 『ドックス』ッ」

 

怒りの業火を烈火の瞳に映し鉤爪を振るうイーシュ。

 

天穹式格闘術・柔式隷下–––

 

磨我陀念珠琉輝(まがたねんじゅりゅうき)

 

流しと弾きが一体化した柔の技を野生剥き出しの攻撃に這わせる。

 

長年の時を経て洗礼された武術の絶技に、磨き抜かれ円熟の域へ達した什卧の技量。

 

たとえ空中であろうと、その牙城を崩すことは出来ない。

 

まるで磁石同士が反発するようにイーシュの鉤爪は什卧の体を遠回りして空振りに終わった。

 

大穴の淵を深々と抉り取る戦慄の鉤爪。1撃でも食らえばそれは即ち死を意味する。だが、逆を言えば当たらなければどうという事はないのだ。

 

「何度だろうと叩き落としてやるよ!」

 

天穹式格闘術・剛式隷下–––封転阿仁邏(ふうてんあにら)ッ!

 

全身で振りかぶる剛力の拳を叩き込む。

 

ひしゃげて変形している鉄仮面に、更に衝撃が走る。

 

「こッ、の! 『ドックス』如きにぃ」

 

怒りに任せた攻撃を見切るのは容易い。磨我陀念珠琉輝(まがたねんじゅりゅうき)で躱し、剛式隷下の技を叩き込む。

 

斜めに落下したイーシュは穴に落ちずにフロアに着地した。それに追従する形で什卧も同じフロアに降り立つ。

 

「少しは学習したらどうだ脳筋野郎。お前じゃ俺を捉える事は出来ん」

 

「な、何故劣級『ドックス』なんぞに遅れを……ッ。俺はゾディアックすらも超える存在。犬っころに負けるはずが無い!」

 

「ふん。なら教えてやろうか。俺はもう『ドックス』じゃない。お前に負ける道理など無い」

 

「戯言を!」

 

「そして、いつもバケモノを倒すのは人間って相場が決まってんだ」

 

「何を馬鹿な事を。人間なんぞに何が出来る? 現に貴様は俺を殺せずに苦戦している」

 

「悲しいな脳筋野郎。確かに1人では何も出来ないのが人間だ。でもな、手と手を取り合い助け合う事が人間の強さなんだよ」

 

「ならば1人だけの貴様は無力な肉塊だな!」

 

「だからな。1人でも巨悪に立ち向かえるように造られたのが天穹式格闘術だ。これさえあれば、俺に越えられない者は無い!」

 

「お前にこの俺を超える事は出来んッ!」

 

「今からそれを証明してやんだよッ!」

 

天穹式格闘術・秘技–––降魔纏神(こうまてんしん)

 

カッと活眼した什卧。そして胸部中央に指を突き立てる。全身に血管が浮き出で激しく心臓が脈動する。エンジンのような音を轟かせ駆け巡る血液。全身の筋肉が一瞬引き締まり、弛緩する。それに伴い五感が拡張する感覚。

 

……行ける!

 

「例えこの命尽きようとも、お前は上へは行かせない。阿修羅となって戦おう」

 

「ははははッ! たかが人間に何が出来る?」

 

「身をもって教えてやる」

 

什卧は矢の如く跳躍。そして天井を足場にし標的に肉薄する。対しイーシュは全くこちらの動きに対し目で追うことや身構える事もしない。いや、正確には視認することすら出来ていないために身構えようも無い。

 

真撃(しんげき)真湖螺牙(まこらが)

 

魔速の槍となった什卧が上から放つ蹴りは、さながら死神の大鎌のように振るわれイーシュの右腕を簡単にもぎ取った。

 

着地した什卧は更に両掌でイーシュの胴体を挟むように掌打を繰り出す。

 

理檄(りのげき)阿華真薙風(あかまなふ)ッ!

 

2発目は外傷ではなく内臓を破壊する技。

 

イーシュの鉄仮面の隙間から大量の血が噴射される。

 

結逆(ゆいげき)威無怒邏(いんどら)

 

「はぁぁあああッ!」

 

3発目。渾身の気迫を乗せて振るう拳がイーシュの胴体に直撃する。

 

まるで内臓が詰まっていないかのようにあり得ないほど什卧の拳はめり込んでいき、大きく巨躯が傾く。

 

「終わりだ! ふんッ!」

 

渾身の勁力を込め、更に拳を押し込む。理檄(りのげき)阿華真薙風(あかまなふ)により損傷した内臓が出口を求め体内で暴れ回る。イーシュの全身で皮下を突き破りぬらぬらと光る内臓が飛び出した。

 

「まだ耐えるか。ならば–––」

 

と、什卧がトドメの1撃を加えようとした時、イーシュは最後の力を振り絞り鉤爪を振るう。だが、そんな魔爪も虚しく宙を切るにおわった。既に什卧は背後で必殺の構えを取っている。

 

「人間様の強さを思いしったかクソ野郎。分ったならな……」

 

天穹式格闘術・剛式奥義–––

 

惨式(さんしき)軛羅魅轆轤(くびらみろく)ッ!––– 消し飛べッ」

 

反時計回りに回転し、遠心力を乗せた激烈のアッパーカットがイーシュの胴体に炸裂する。

 

まるで豆腐を吹き飛ばすように巨人の体は肉片を飛び散らしながら吹き飛び、穴の中へと落ちていった。

 

「クソ。穴落ちは生存ルートだぜ……」

 

毒づきながらも強敵を退けたことに安堵する什卧。だがその時、不意に何かが胃の中からこみ上げるのを感じ手で口を押さえた。口内を満たす鉄錆の味。指の隙間から垂れる赤い液体。

 

「カハッ……!」

 

大量に吐血した什卧は、視界が徐々に黒く狭まっていくのを他人事のように見ていた。

 

先ほどまでの体が浮くような軽い感覚とは一転、血管に鉛が流れているかのように体が重い。思考は淀み、前の出来事もこれからの事も考えられない。

 

いっそ、このまま眠ってしまいたい。

 

降魔纏身は人体の(リミッター)を外し一時的に超人的な身体能力を得る秘技だ。だがそれは効果の分諸刃の剣となり使用者を著しく損耗させる。

 

ダメだ。まだ倒れる訳にはいかない。

 

「……八重…………」

 

脳裏に八重の笑顔が浮かんだ。

 

什卧は歯を食いしばり、丹田に力を込め、下肢を踏ん張る。

 

そして、うなじにある回復を促す経穴に闘気を注入する。まるでスポンジに水が染み渡るように、身体中にエネルギーが波及されるのがわかる。

 

これなら、まだ戦える…………か。

 

什卧は重い体を引きずるように、ジェリーの位置まで前進した。

 

 

※ ※ ※

 

 

衝撃。舞う粉塵。迸る激痛。

 

「ぐぅ……ぬぅ…………」

 

ヒメーレイーシュ(キメラ男)ことクリストハルト・ガブリエルはかつて『洗礼の間』であった空洞で横たわっていた。

 

片腕は吹き飛び、内臓が所々から飛び出したズタボロの体は思うに動かない。

 

「再生が…………追いつか……なぃ」

 

動こうとするも、体は微動だにせず少し頭を起こすくらいが精一杯だった。

 

「……クソが」

 

ボコボコと異音を発しながら動き元の形になろうとする筋肉群。乾いた木が折れるような音を立てて伸びる骨。ガストレアウィルスは宿主に強力な治癒能力を提供するが、あまりにも凄絶な損傷にその再生も追いつかない。

 

ヒメーレイーシュが四苦八苦していると、地下壕にコツコツと場違いな革靴の足音が木霊した。

 

首を横にして足音の正体を突き止めようとするイーシュ。

 

真っ直ぐこちらに歩いてくるのは銀髪を肩口で切り揃え白衣を纏った科学者然とした男だ。

 

「ドクター…………マド」

 

イーシュはその人物をマド博士と呼ぶ。だがマドが本名でもコードネームでもない事をイーシュは知っている。マドは単なる愛称だ。史上最狂の『頭のおかしい科学者(マッドサイエンティスト)』。皮肉を込め、マドと呼ばれている。

 

「おやおや、私の可愛いイーシュ。まさか機械化兵士如きに負けるとは……」

 

マドは銀縁メガネの奥の狂気の色を讃えた眼でイーシュを見下ろす。だがその眼光はとても自らが可愛いと称する対象にするモノではない。

 

「ドクター……マド。もう一度…………チャンスを」

 

「ふふふ。君ほどの逸材はそうそう現れるモノではない。セリアンスロウププロジェクトの成功例は君だけだ。恐らく、2人目は現れないだろう」

 

マドはどこか上ずった声で話す。まるで嗤いを必死に堪えながら喋っているようだ。

 

「君たちU.B.S(Ulitmate Biotechnology Soldier)こそ新たな世界の主に相応しい存在。機械化兵士などに遅れを取るわけがないのだがね」

 

そう言い屈むマドはイーシュの眼を塞ぐように手をかざした。

 

「さらなる改良が必要のようだね。私の可愛いイーシュ。アレス・ベフライウング(全開放)が使えるようにスペックアップだ」

 

視界がマドの手により塞がられた。すると眠りに落ちるようにイーシュは意識を失った。

 

 

※ ※ ※

 

 

什卧がイーシュと共に落下してから5分。

 

CMMPから蓮を取り戻す事に成功した。培養液が取り除かれるのを見計らい、培養槽の扉を開ける。こちらへ倒れこむ蓮を支えて問いかける。

 

「蓮君! 分かるか?」

 

「…………」

 

輝きがなく焦点もあっていない胡乱な目で蓮はこちらを見やる。

 

「君が今まで見てきたのは悪い夢だ。忘れるんだ」

 

「ぅ……ぅう」

 

急激な状況変化にやはり対応しきれず蓮は自分の状況を分かっていないようだ。

 

「蓮君。君は瀧華仁の息子。こんな所にいちゃいけない。君を助ける。一緒に逃げよう」

 

理解しやすいように端的に強く言う。

 

「に……げ、る?」

 

「そうだ」

 

ジェリーは蓮に肩を貸し立ち上がらせた。

 

「ぅ……ぅぅ。ごめ、んな。助けて……あげられ…………なかった」

 

蓮は嗚咽を漏らしながら謝罪の言葉を口にしている。CMMPで体験したことにトラウマを抱えてしまったか?

 

「蓮君! 君は悪くない。しっかりしろ」

 

「俺に……もっと、力があれば…………ッ」

 

ジェリーは泣きじゃくる蓮を引っ張りながら地上へ行けるエレベーターを目指す。

 

什卧が開けた穴の中からはさきほどまで戦闘音が聞こえていたが、今はもう静かになっている。階下へ目を配るが、奈落のような穴が開いているだけだ。什卧の安否は分からない。

 

「バカ野郎が……」

 

ジェリーはそう呟いて、ほとんど1人で立つ事もままならない蓮を連れエレベーターへ歩をすすめる。

 

クラリウスが先を歩いていき出口の扉を開けてくれている。

 

そうして廊下へ出た一行は約30m前方にある中央ホールへ向かう。

 

今、ジェリーやクラリウスは丸腰の状態だ。使えるのは機械化能力の『アイギス』と『呪われた子供たち』特有の身体能力のみだ。だがクラリウスは夜行性因子を持っているため、太陽の有無に関わらず日中は動作が緩慢になる。あまり期待は出来ない。ジェリーは『アイギス』1つで蓮とクラリウスを守りつつ地上を目指さなくてはならない。

 

しかし、そんなジェリーも全身傷つき疲弊している。蓮もいきなり外に出され体が思うに動かせない状態だ。肩を貸して歩いているがこの速度では遅すぎる。見つかるリスクを回避するためにはスピーディーに行動しなくてはならない。

 

蓮をファイヤーマンズキャリーで担いだジェリーは歯を食いしばり一歩一歩進んでいく。

 

クラリウスが心配そうな目でこちらを見やるが、アゴをしゃくりエレベーターを呼ばせる。

 

幸い地震の影響は無いらしくエレベーターは正常に機能している。

 

扉が開く直前、ジェリーはアイギスを起動させる準備をしたが杞憂に終わった。中には誰も乗っていなかった。

 

ほっとしたクラリウスがジェリーを見る。が、即座に視線が背後に流される。

 

「ジェリー! 後ろよッ」

 

そう言われ背後を確認する事なく『アイギス』を展開するジェリー。数瞬の後に白い閃光が明滅する。

 

背後を見れば、ナイフを手にした『バルドュール』構成員が3人いた。誰もが過酷な戦場を生き抜いてきた精鋭達。ハングドマンが選んだいわば親衛隊のメンバーだ。

 

クソッ!

 

ここに来て未だに刺客を放つ五翔会の組織力。まだ切られていないカードもたくさんある。

 

斥力フィールドの中でジェリーは蓮を床に下ろす。

 

背後に忍び寄る気配も感じさせない男達。3人が3人ともに何処か虚空を見ているような虚ろな目をしている。

 

この目だ。

 

多くの戦場を練り歩き、ある境地に達した者が宿す眼光。

 

何を考えているのか全く悟らせない。

 

こういう手合いは一切の躊躇もなく人間を殺せる。例えそれが女子供であれ変わらない。眼前の任務を遂行するためならば泥水でも啜る修羅達。

 

ジェリーが何通りもの作戦を脳内で練っている最中、背後から濃密な殺気が漂うのを感じた。後ろにいるのはクラリウスだ。

 

「ジェリー。あなたは休んでいて」

 

「バカを言うな。お前は–––」

 

「子供だからやめておけって? 笑わせないで。私には私の考えがある」

 

「やめろッ、クラリウス!」

 

ジェリーの制止を聞かずにクラリウスは精鋭達の前に歩み出る。

 

「あなたはそこで見ていて。それ以上傷つく事は無いわ。今度は、私が守る番よ」

 

純白だったネグリジェはハングドマンにより赤黒く変色している。普段はツインテールに纏める金色(こんじき)の長髪も下ろしたまま。露出している脚は細く、裸足のままだ。傷は塞がっているが、白磁の肌には所々乾いた血痕が付いている。

 

そんな10歳児が、誰かを守るために命を賭けるだと?

 

こちらを肩越しに見ているクラリウスの赤い瞳には決然とした闘志が見て取れた。

 

なおもジェリーは反論をしようとしたが、その眼差し1つで言葉を忘れてしまった。

 

この目だ。

 

明確な目的がある者は強い。彼女の目は何に変えても眼前の脅威を退るという決意が表れている。命に変えても、とよく言うが、死ぬ覚悟をした人間の強さをジェリーは知っている。生きるために全力を行使し戦う。勝つために全霊を持って戦う。例え死という結果になろうとも。そう決めた人間は最高の集中力を発揮する。境地に陥ったとしても、肉体が生存への活路を見出す為に関係のない情報をシャットダウンし極限の集中力を引き出させる。視界が白黒になり、スローモーションになる。

 

いわゆる『ゾーン』だ。

 

ジェリーはクラリウスにゆっくりと頷いてみせた。

 

 

※ ※ ※

 

 

クラリウス・ファルメリー・ツェペッツェは怒りを覚えていた。ジェリーをこれほど傷付ける五翔会に。そして、それに対し何も出来なかった自分に。

 

強く拳を握り過ぎてバキバキという音が聞こえた。だが、そんな事はどうでもいい。どうせすぐ治る。

 

眼前に立つ大人を殺さない事には、生存は無い。

 

親も、兄弟も、血の繋がった人間は自分に居ない。それでも、家族が一体どういう存在なのかは少し分かるような気がしてきた。

 

数年前は、猜疑心に蝕まれ人を信じる事など出来なかった。ルーマニアのカルト教団に家族を殺され、奴らの思想を叩き込まれた幼少時代。赤目であり、因子の影響で血を飲む事を知ったカルト教団が理想とする神を創る為に、クラリウスは人生を壊された。

 

だが、馬鹿みたいに青臭い事を言う男がクラリウスを救った。その男は初めてクラリウスを見たとき「クリスティーナ」と言った。そしてこうも言った。「君はもしかして、俺の…………」何を意味しているのかは分からないが、保護されたクラリウスをその男は即座に引き取った。

 

どれだけクラリウスが拒絶しようともその男は辛抱強く面倒を見た。長い時間をかけて2人は仲を深めていった。

 

何を言おうその男とは、ジェリー・ペレロである。

 

今なら、とクラリウスは思う。

 

ジェリーの言うことなら、信頼できる。

 

ジェリーのやる事は、きっと正しい。

 

ジェリーについていけば、私は……。

 

クラリウスは凛と対面の男達に視線を向けた。

 

「あなた達に、私達の夢路の邪魔はさせない。モデル・ヴァンパイアバット。クラリウス・ファルメリー・ツェペッツェがあなた達の相手をしてあげる」

 

力を解放。赤色(せきしょく)の瞳孔が限界まで開き視界の鮮明度が増す。体はまるで宙に浮いているかのように軽くなった。

 

だが、今は昼間だ。夜ほど感覚は冴えていない。まるで寝起きで戦うような感じだ。

 

少しばかりのハンディがあるが、負ける気などクラリウスには微塵も無い。

 

対する刺客3人も身構える。クラリウスの放つ殺気が、彼らの戦士としての警戒心を駆り立てた。

 

突けば破裂しそうなほど張り詰めた空気。

 

まずアクションを起こしたのはクラリウス。

 

正面の男に向かい突撃。間合いに入れば飛び上がり『呪われた子供たち』の強力な膂力で顔面を殴打する。

 

だが–––

 

腹部に突き刺さったナイフ。短躯を簡単に押し出す大人の筋力。クラリウスの拳は凄まじい風切りを立てながら空振りに終わった。床のひんやりとした感触が足裏に伝う。熱い血液がネグリジェに染み込み肌に不快に張り付く。

 

だがクラリウスは相手の手首をしっかり片手で捉え離さなかった。

 

歴戦の猛者は即座にクラリウスのコメカミにねじり込むようなフックを放つ。ガツッと衝撃音がしてクラリウスの頭が傾いだ。しかし足を踏ん張り倒れる事だけは免れる。

 

男はなおも倒れぬクラリウスに振り抜いた拳を返す刀に裏拳として見舞おうとする。

 

そこで空中に大量の血液が舞う。

 

クラリウスは保持していた腕に空いていた手の指を突き入れ思いっきり裂いていた。

 

しかし綺麗に腕を真っ二つに分断された男は苦痛に顔を歪めるでも呻くともせず、クラリウスを打倒せんと引き続き裏拳を繰り出そうと体を捩らせる。

 

その腕にクラリウスは噛み付いた。

 

鋭い2本の犬歯が相手の皮脂を容易く貫通し肉を裂き血管を破る。溢れ出す血液を口に含んだクラリウスの眦が裂けんばかりに開かれ、目の色は真紅に染まる。

 

熱い。

 

ならばと男はクラリウスの腹部に強烈な膝蹴りを繰り出す。刺さっているナイフの柄を蹴り深々と切っ先を突き入れる。

 

だが今のクラリウスには何を(ろう)そうとも悪手であった。

 

クラリウスが突き出した拳は男の体を簡単に突き破り放つ蹴りは脚を容易く折った。

 

丁度男の首筋がクラリウスの眼前にある。

 

欲求に抗う事など出来ず、クラリウスは歯を突き立てた。

 

そして噴き出す血を余す事なく飲み干す。

 

高濃度の酒を流し込んだ時のような燃える感覚が食道、それから胃へと落ちていく。

 

熱い。

 

胃に溜まった熱は即座に全身へと巡りクラリウスは頬を朱に染め恍惚の表情を浮かべる。

 

強い鼓動を刻む心臓。火照った体は最高のエクスタシーに犯されたメスのそれだ。

 

腹部に刺さっていたナイフは再生しようとする腹筋の動きにより自動的に排出され、床に落ちた。

 

白目を剥き泡を吹く男の体は痙攣している。

 

クラリウスは男を解放した。

 

ブルッと体を震わせたクラリウスに残る男2人は1歩後ずさる。

 

見える。

 

眩しい。うるさい。臭い。熱い。

 

生き血を啜ったのはこれが初めてだった。

 

クラリウスは自分の中の危険な何かに意識を持って行かれないよう注意を払う。

 

何? この感覚。

 

周囲の動きが手に取るように分かる。全能の神とはこんな気分なのだろうか?

 

敵2人が動く兆候。それを察知したならばクラリウスは床を蹴り、壁を蹴り、変則的な動きを見せ相手に肉薄。

 

人間では視認出来ないスピードで迫り来る死の脅威に、1人の男は顔面を蹴られたのだがそれを知覚する事なく絶命。

 

残る1人も少女の姿がかき消え、突風の凪にあったのを最後に冥土へ旅立った。

 

 

※ ※ ※

 

 

ジェリーはクラリウスの戦いを見ていた。とてつもないポテンシャルを秘めた子だとは思っていたが、吸血行為でこれほどまでに身体能力が向上するものなのか?

 

いつもはパックに詰められた輸血用の血液をフラスコに移し替え携行し、それを飲んでいるのだがこれほどの効果は得られない。

 

証言から人間がエナジードリンクを飲んだ時のような感覚だとジェリーは思っていた。

 

今回の差異は生き血を啜ったという事。

 

それだけで効能が違った。

 

これだけの能力を発揮し、副作用はあるのだろうか? 持続時間は? 次も生き血を啜ればこの効果を得られるのか?

 

様々な疑問が脳内で浮かび上がり蓄積されるが、今はそれどころではない。

 

「クラリウス。行くぞ」

 

「ええ」

 

凛とした顔で振り向いた彼女の顔はどこか大人びて見えた。赤色の瞳はいつもより赤い。

 

「……」

 

クラリウスはジェリーの傍らまで来た。

 

いろいろと聞きたい事もあるが今は脱出が最優先事項だ。蓮を担いでエレベーターの中に入った。

 

蓮を中に運び入れ下ろすと携帯端末を取り出しエレベーターを専用運転に切り替え。外部からの接続を強制的にシャットアウトさせる。

 

「ジェリー。あなた–––」

 

「構うな。この程度、何とかしてみせる」

 

クラリウスはジェリーがフラッと倒れそうになるのを見て声をかけるが、ピシャリと言い返されてしまう。

 

最早常人では立っている事も奇跡的な傷を負いながらもジェリーは精神力のみで任務を遂行している。

 

今、ジェリーの脳内では走馬灯のように教官に言われた言葉が駆け巡っている。

 

『勝つ理由を見つけろ』

 

『お前はもう一般人じゃない。自覚しろ』

 

『腹を決めろ。勝つか、負けるかだ』

 

『最後は、ここ(ハート)だ』

 

たとえ片腕が吹き飛ぼうが眼前に敵がいるならば残る片腕で倒す。四肢が断裂したならば、噛み付いてでも殺す。

 

護りたいものの為に戦う。

 

自分が最後の砦である事

 

勝ちは生存を、敗北は死を意味する事。

 

肉体の強さは精神力による事。

 

これらが教官の言っていた事の答えだと思っている。

 

そうだ。俺がやらなきゃ誰がやる?

 

ジェリーの肉体は著しく損傷しているが、精神はまだまだ頑強さを保っている。

 

時間の経過と共にエレベーターの階表示は目的の『B1』へと近づいていく。

 

B1駐車場にこのパガトリーの出入り口がある。出たならば車に乗り込み早急にホットゾーン(危険地帯)から離脱する。

 

早鐘を打つ心臓。専用運転と言えども中央司令室からの強制アクセスは有効だ。万が一ここでエレベーターを止められ刺客を送られれば敗色濃厚だ。

 

「……」

 

ジェリーはクラリウスと蓮を見る。

 

この子たちに戦闘を強要するこの時代。ガストレアが現れるまではこんな若い世代が全世界で命を賭けた闘争に首を突っ込む事も無かったのに。

 

これも定めなのか?

 

決められている事なのか?

 

そんな物はクソくらえだ。

 

ジェリーにはジェリーの信念がある。

 

時代の流れや他人の思惑などに囚われない確固たる信念が。

 

この子たちに感じて欲しいのは幸福。

 

その為に例え自分に不幸が舞い込もうがそれでいい。

 

常時、誰かの幸福は誰かの不幸でもって成り立っている。

 

だったら自分が、その不幸を背負おう。

 

決意を新たにしたジェリー。それに応えるかのようにエレベーターはB1階に到着した事をアナウンスした。

 

「行くぞ」

 

ジェリーは蓮を担ぎエレベーターを出ると、1番近い所に置いてある白のレクサスの窓ガラスを蹴り破る。イモビライザーがやかましく鳴るがそんな物はどこ吹く風とジェリーはハンドルの下に潜り込む。そうすると不思議な事にイモビライザーも静かになり、レクサスのエンジンが唸りを上げ始動した。

 

手際よくクラリウスが蓮を後ろに運び入れ自身も後部座席に座るとジェリーに準備がいい事を告げた。

 

ドライバーシートに座りシフトをPからDへ。アクセルペダルを踏みハンドルを回す。

 

レクサスはスキール音を発しながら駐車場を疾走し、出口に通じる傾斜を登っていく。

 

「なんだ、これは?」

 

しかし、ジェリーが地上へ出たらまず目に入ったのは曇天の空だ。そして西の方角では、夕陽のように赤く燃えている空。ビル前の道路は恐慌に陥った民衆が大挙して、空を見上げている。

 

「まさか、あの方向は32号モノリス……決壊したのか?」

 

五翔会に籍を置くジェリーは事前にその情報は知っていた。しかし、予定では明日のはず。本来ならそのパニックに乗じ、東京エリアを離脱する算段であった。

 

結果として今日崩壊してジェリーらは助かった。嬉しい誤算だが今後の行動を1から練り直す必要が出てきた。

 

幸い、混沌とした民衆だが、道路を塞ぐという愚行は犯していない。もともと人口も少なくなり、渋滞が珍しくなった現代では当たり前の事なのかもしれないが。

 

構わずにレクサスを走らせる。

 

ジェリーは蓮をパガトリーから奪還するのに成功した。

 

 

※ ※ ※

 

 

『中央制御機構』の屋上から道路を見ている1人の男。

 

その男はワックスで短髪を逆立たせ、ツナギのような黒い戦闘服をズボンのように履き長袖を腰に巻いている。肌や体毛の色から欧米人である事がうかがえる。

 

その男は手元で球状の機械を弄びながらターゲットが現れるのをただひたすら待っていた。

 

彼は少し前に32号モノリスが倒壊していく様を特等席で見ている。

 

そして、空が紅蓮に燃える様を退屈そうに眺めていた。

 

ここにまで火薬が燃えた甘い匂いが風に乗り漂って来ている。

 

そう。風だ。

 

風のせいで予想よりも早くモノリスが倒壊してしまった。と、ある者が警察署の屋上で携帯電話に向かい喚いていた。

 

「ふっ」と男は嘲笑う。

 

風、気流も読めない者が分析をやっているのか?

 

論外だ。

 

男は手で弄んでいた球状の機械を宙へ投げると続けて2つ取り出して同じく放り投げた。

 

屋上のコンクリートに激突するかと思いきや、その機械はふわりと浮いて男の周囲をグルグルと回りだした。

 

「索敵。ジェリー・ペレロ」

 

その掛け声と共に3つの機械は別々の方向へと飛んでいく。男が見る事が出来ないビルの3面を埋めるように展開した。

 

しかし当の男は双眼鏡も使わず裸眼で下を見ている。通常ならば顔を判別する事など不可能だ。

 

だが、男には見えている。

 

よく見れば男の瞳は人間のそれでは無く、幾何学的な模様が浮かび上がっていた。倍率を変えるたびに瞳孔内で組み込まれた部品が筋肉のように動いている。

 

「さぁ、ペレロちゃん。早く出てこいよ。第1騎士(ヴァイスリッター)なんぞに負けたら承知しねぇかんな〜」

 

そう言いつつ傍らに置いてある狙撃銃を愛おしそうに撫でる。

 

その銃はダネルNTW-14.5。南アフリカのアエロテクCSIR社が開発したボルトアクション式アンチマテリアルライフルである。

 

全長2015mm。重さは26kgにもなる大型ライフルを男は軽々と片手で持ち上げ監視位置を移動する。

 

同時に飛翔していった球状の機械もポジションが被らないように自動的に移動した。

 

スカウトマンは我慢の連続だ。1Km移動するのに半日を使う事もある。それだけスローで動く事を延々やるのもスカウトの一部だ。

 

同じ場所にいてずっと出口を監視をしているのも全然苦にはならないが、男は気紛れで入口を見ていた。そろそろジェリーが出てくるならばいい頃合いだ。だからパガトリーへの入り口があるB1駐車場への昇降口が見えるポジションに移動したのだ。

 

ダネルNTWのバイポッドを淵に置いて箱型弾倉を装填。差し込んだのとは反対側にあるボルトハンドルを少し上げて引き切る。そしてハンドルを元の位置に戻せば初弾の装填が完了される。

 

この銃は弾倉を水平に差し込む所が特徴だろう。そして異様に長い事。

 

アフリカの広大な土地で使用する事を念頭に置き開発された物で、有効射程は驚異の2300mとなっている。射撃精度を安定させるために使う弾薬が大型化していき銃身が長くなるのはしょうがない事である。

 

しかし、そうなると実用的なのか? という疑問も出てくる。そんな大型なライフルを運用し使いこなせるのか?

 

実際、撃った際のリコイルショックは大砲並みの代物である。それを2段階構造のマズルブレーキやショックアブゾーバーを内蔵したストックにより軽減させている。

 

なんと素晴らしい銃だろうか。

 

男は愛する恋人を見るような優しい眼でダネルNTWを見る。

 

過去にはヘカートIIというアンチマテリアルを使っていたが、やはり1撃に掛けるのならば弾は大きい方が確実だ。

 

もっとも、ヘカートで使用している12.7mmも対人に関してはオーバーキルという事でアンチマテリアルと分類されている訳だが。

 

今はガストレアという異形が跋扈(ばっこ)している忌まわしき、そして愛おしき時代。

 

そいつらを確実にブチ抜く為に男はダネルNTWに乗り換えた。

 

しげしげとダネルを見ていたがふと、勘が働いた。日本で言う所の虫の報せという奴だ。

 

男はB1駐車場への昇降口を改めて見た。

 

「………」

 

しかし動きは全くなかった。烏合の衆がのさばっているだけだ。

 

俺の勘も衰えたかな。そう思った矢先、白いレクサスが駐車場から飛び出した。

 

即座に義眼のズーム機能で運転手をマークする。骨格や網膜を読み込み自動的にジェリー・ペレロだという結果が視野に映るがそんなものがなくても一目見ればわかる対象だ。

 

ダネルを持ち上げ左足を屋上の淵に置き、左肘を膝のお皿に据える。それを支点として狙いを付ける。

 

なんともデタラメな構えだが、男の射撃は外れた事が無い。

 

球状の機械は即座に白いレクサスに向かい飛んでいき、等間隔に展開。射線上の気流の測定を開始。

 

義眼のスペックもフル活用しジェリーが次にどちらにハンドルを切るのか、アクセルをどれだけ踏み込むのかを予測。そうして弾き出された数値や結果を元に男は狙いを定め引き金を絞る。

 

なぁに、赤子の手を捻るも同然。

 

男は五翔会内では確固たる地位を確立している。対象の排斥率は100%。いづれも超長距離からの狙撃で全てを片付けている。

 

男はライデンルーフ(黒騎士)として畏怖される第3騎士。

 

アポカリプスナイツのシュメルツ(苦痛)エーヴィヒカイト(永遠)だった。

 

苦痛と永遠を司る第3騎士は、スコープの中のレティクルをジェリーの頭部に合わせる。シェンフィールドが風速。風向き、義眼が次のアクションを予測するがそんな物は必要無い。

 

銃口初速1000m/sを叩き出すダネルNTW。

 

目測にして未だジェリーの乗ったレクサスは距離500mも離れていない。

 

弾が射出されれば、0.5秒後にはジェリーの頭は爆散している。

 

修正の必要など無い。

 

口の端を吊り上げ、ライデンルーフはゆっくりとダネルの引き金を引いた。




はい。読んで頂きありがとうございます。

なんとか蓮を助けましたよ。

書きながら絶望していたんですが……良かったですw

まぁ、思いっきり狙撃されてますけどね。

取り敢えず書くことがありません!

最近読んだ『重力迷宮のリリィ』は面白かったです。

電撃繋がりで宣伝してみました。

作中の挿絵がお粗末だなぁーとか

最後は勢いだけだなぁーとか

どぉでも良くなるほどリリィちゃんが可愛いので許すッ!

あと主人公とその兄さんの会話がめちゃ面白い。

あんなのを漆原兄弟でやりたいですねん
( ´ ▽ ` )ノ

という、無駄な後書きを最後まで読んで下さったあなたッ!

心から、ありがとうございます。

愛してます。

そして、さようなら。

また会う日まで*\(^o^)/*

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