「今でこそ話せるが、全部冗談だと思っていたんだ」
カメラが回って記録は開始された。
リビングストン氏はゆっくりと語りはじめて、それに相槌を打つかのようにか年季の入った椅子がぎぃと鳴く。
「最初に聞いた人間も、後に聞いた人間も、誰もがそう思ったろうよ、末端の私がそうであったようにね」
思い出し笑いを挟んで滑らかに言葉は紡がれる。
「私こそ最初に聞いた時は編集長の腐れユーモアだと苦笑いが出たが……後に何もかもが現実と化した」
酷いジョークもあったもんだろ? 彼は笑いかける。
私は改めてリビングストン氏を見つめた。
彼は当時アメリカで発行部数の1、2を争う新聞の敏腕記者として活躍していた老人であった。
「編集長室で俺が何を言われたと思う?……『BETAとの和平交渉が行われる』だとさ!水と油みたいに絶対に混じり合わない言葉だ、戦後育ちからは想像もつかんだろうが、BETAなんてものは悪魔が満員になった地獄から這い出てきたものだと当時は本気で思われていたんだ……だからこそ私は見たくなった!」
老人の言葉は急に勢いを増し、その目には熱のようなものが生まれ始めた。
彼はあの和平交渉の場に居た記者の一人としても著名である。
リビングストン氏は和平交渉への参加を強く熱望し、記者としての枠を勝ち取ったのだった。
機密という分厚いベールの内側に居た人物として、数少ない語り部の一人となった。
今となってすらアレらは陰謀論者たちのいい飯の種にもなっている中で、実際に見てきた人間の言葉は重い。
信じられないようなことが一度に多く起こりすぎてしまったからこそ、彼の言葉は必要とされた。
それでも人類全体に行き渡った衝撃に、未だ社会は揺らされ続けている。
「悪魔の罠なのか、それとも戦争の終結を告げる福音になるのか見届けなくてはならないとな、直にその光景を見ることができるなんて思いもしなかったが……」
「主は、私にこの役目を与え給うた」
・・・・・
「人の言葉を話したりハイヴを爆破しちまったりだとか動きがあまりにも性急過ぎたという意見もある、人間側がそれを飲み込むよりもずっと早く全てが決まっていたんだ」
沈黙と呼ばれる現象から和平交渉まで、そう時間は要さなかったのは事実だ。
人類側としてもそれは助かったに違いない。
BETAが沈黙し続ければ、間引きもできずに敵の戦力が増強されていくだけだったからだ。
間引きなどではなく、ハイヴに対するG弾を用いた積極的攻撃案があったことも今では公文書で確認されている。
一部軍高官においてはBETAが機能不全を起こし活動を停止したとして、それらを主張していた。
もしそれが行われてしまっていたら、何が起こっていたかは誰にも分からない。
ある研究によれば重力の偏向により地球は海を失った塩の塊となって、どちらにしろ人類は絶滅していたなんて話もある、そういった本末転倒な未来も起こり得たというのだから恐ろしい。
「そう……誰だったかが言っていた、押し付けられた平和、それもこの現代の一つの側面であるのは確かだ」
そうでなければ今頃俺たちはここでゆっくりと話していることなんて出来なかったろうな。
リビングストン氏は茶目っ気たっぷりに言った。
「そうして今度はいきなりBETA共の親玉が自分は人間だったと言い出すんだから、あの場に居た連中みんなおったまげたよ、今でこそ笑い話だがね……」
今では珍しくなくなった天然葉巻を片手に、紫煙の向こう側で氏は深いシワを笑みとして頬に刻んだ。その視線は書斎の壁の幾つかの写真へと向けられていた。
今ではラプターと呼ばれる宇宙で活動できないタイプの古い戦術機の跳躍を撮ったもの、巨人級と呼ばれているBETAが2本の足で直立している姿、人類側の映像機材で初めて撮影された会議の中心となったカシュガルハイヴ・ホール空間……そして……。
「そうコイツ、コイツだ、Mr.A、大体コイツが元凶さ」
彼の指が、その写真が入ったガラスの縁をコツコツと叩く。
青白い肌、3対の瞳、無数に伸びる鋭利な触手、台座にそのまま接続されている姿、当時確認されいたどのBETA種に適合しなかった異貌の全体を収めた1枚。
あ号と自称するBETA地球総監ユニット、それが『彼』の姿だった。
カシュガル講和会議と呼ばれるあの場で何があったかは終了して暫くの間、情報統制が敷かれたのは有名だ。
それもそうだろう、彼の語った内容は今の私達にとってもあまりにも衝撃的すぎた。
「奴の発言……正確には人間の記憶を持った作業機械だったか……今でこそ、そうか、と言ってやれる余裕が私たちにはあるがあの場じゃ到底信じられないし受け入れられなかったことは事実だ」
あ号の言う平行宇宙の概念は、当時ではあまり浸透していなかったためにあの場に居たマサチューセッツ大学の博士にして、SF作家のサトー・ダイナス氏が解説することになった。
SF作家としても大成していた彼の説明は、実に的を得ていた。
おそらくそれすらも見越して、アメリカ政府に多様なる人材の派遣をあ号は求めていたのだろう。それでも混乱は瞬く間に広がった。
「激発するものや何をふざけたことを言い出しているんだと愚痴るものも様々だった、ソイツらの気持ちもわからんでもないね、私も最初はミスターAが発狂したかと思った」
特に亡命政府の代表はその様な取り乱しようだったという。
同情する気持ちが湧いてしまう、祖国が更地にされた状態でそんなことを言われたら何をしでかしてしまうかわからない。
「だが、やつはそれらを受け止めたようだったよ」
リビングストン氏の目はどこか懐かしむような、惜しむような光に揺れている。
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「これは紛れもない事実です」
人間の声帯を通して発せられていれば開き直るような含みがあっただろう。
あ号という存在自体への自虐とも取れる発言だった。
この時、頭が痛かったのは何も人類だけではなかったのである。
「でなければ、未だにこの地球上でのあらゆる前線で戦争は継続されていたでしょう」
「BETAがこの様な場も設けることは万が一もない」
「BETAとは人類と価値観を共にしない無慈悲な作業機械にすぎないからです!」
あ号は、ここで始めて声を大きく上げた。
ホール全体に響くような声に、騒然としていた場は一気に引き締まった
「だが私はBETAでありながらBETAではない!創造主の絶対的命令に背き、この有害なる戦争を終らせる必要を感じ行動を決意いたしました、人間としての倫理のもとこれ以上! 一切の! 流血や殺人、破壊、戦争を私は望まない! こんな事は絶対にこの日、この場で終わらせるべきだ!」
先程までの喧騒がどこかに行ってしまったかのように人類側が、あ号の言葉に圧倒された。
怪物が初めて見せる人間的激情の爆発に誰もが唖然としているのだ。
それが辿々しい機械の合成音声で紡がれた物であろうと、言語として通じなくとも、その音の波が求める物がわかっていたからこそ理解はされた。
求める物の名。それは平和という得難きものだった。
ここ数十年間、いや有史以来人類が望んで止まないものである。
それをこの化け物の親玉もまた望んでいるのだと、誰もが理解は出来てしまった。
「そしてなぜ私があなた方の内情を知り、なぜこのような行動を取れたのか、なぜ平行世界などという婉曲的な言葉を使ったのか、全ての答えは先程の事実にある」
あ号は、その場に居る全ての人類の顔を視界に納める様に見回すと更に己の核心に迫る言葉を吐き出した。
「私は、この世界をすでに知っていました」
某所で28日に投稿できらぁ!とレスしたんですが
仕事から帰ってきたのが今日なので、今日投稿することになりました。
申し訳ないです