素晴らしき贈り物
「これは、これは」
男は何処か皮肉げな表情を含ませながら愉快で仕方ないとばかりに低く笑った。
その笑いには、かの怪物が仕組んだ一連の行動をサーカスの動物ショーか、新人役者の大それた演技として見ているフシがあった。
カップで片手が塞がっていなかったのなら、ゆったりとした拍手も彼は送ったことだろう。
カシュガルの地に根付く者たちの行動が、それぐらい“わざとらしい”ポーズであることは誰の目にも明白だ。
むしろ胡散臭さを感じてしまうのも当然の反応といえた。
今まで絶対的優勢をほしいままにしてきた火星からの虐殺者が、いきなり懐いた犬のようにその柔らかい腹を見せてくるようなものなのだから。
それどころか自ら墓穴を掘る様な真似をしている、人類という復讐者の前で。
かと言ってハンティングのように獲物を一思いに殺さず追い回すような手合でもない事は長い戦いの歴史と血量が物語っている。
それがおかしかった、彼は笑う。英国人らしい捻くれたユーモアの発露である。
「この天と地には人の哲学で思いも及ばぬことが起こりうるか……おかしな光景はいくつも見てきたが……」
まだ宇宙人という存在が薄い紙束の中の存在であった頃に生まれた彼は、まだ人間と人間の戦いだけがこの世を統べると信じていた。
他国の者が飲んだら反射的にむせるほど濃い合成紅茶を片手に、画面に映るハイヴのなれ果てをしばし眺めていた。
かつての栄光を失いかけている海軍、その所有無人艇による生中継だった。
現在、フェイズ5まで成長していたH12、リヨンハイヴの残骸から伸びる煙は次第に収まり始めている。
つい先程、軍の観測隊の前で光線級による自滅的行動によって崩壊したばかりだった。
瓦礫は、その根本に立っていた巨人級と雑多なBETAたちの墓標のようにも見えた。
完全にモニュメントは粉砕され、その残骸があたり一面に散らばっている。
巣と射出孔としての機能は完全に損失しているだろうことは、だれが見ても明らかだった。
周辺は巨人に踏み潰されたように陥没しきっており、どれだけその根が広がっていたかを知ることが出来た。
結果的に、彼の地に篭っていたBETAは一斉に掃討されてしまったのだ。
ありとあらゆる観測結果から欧州のBETA群はハイヴに収容されたと確認されているからだ。
そしてソレが何を意味しているのかは明白だ。
例え欧州総軍の形振りかまわないような全戦力が投入されたとしても決して落ちないと評価されていた難攻不落のハイヴが、他ならぬBETA自身の手によって破壊された。
地球の重力をおかしくする植民地人の忌々しき兵器を使用すればその戦力の半分でも何とか可能だとされていたが、流れる血量は何にせよ途方もないという想定だった。
そういった何もかもを犠牲にした上でやっと攻略を達成できる、かもしれないという注釈がつく。
そんな存在がリヨンハイヴだった。
それが僅か一日で陥ちたのだ。
国防上の大いなる懸念がなくなったことによる効果は絶大だ。
かつてこの国を侵略しようとしたものたちは尽く海峡を越えることができなかったが、BETAたちは違った。
ジャガイモ野郎よりは(現同盟国に失礼な話だが、彼は戦前生まれだった)ガッツがあったが慈悲というものは一切持ち合わせていなかった。
彼の職場はそのせいで直接的な戦場となって消滅しているし、葉巻もろくに吸えなくなったことを恨んでいなかったと言えば嘘となる
本来だったらエスコートされるべきお嬢さん方を戦術機に乗せてまで祖国を防衛することになったのも紳士的精神を一層痛めつけたのは言うまでもない。
そういったドーバー川のドブ臭さが染み付いたフィッシュアンドチップスより始末に負えない事象が消え去ったのだ。
海軍や陸軍の者たちが、いまどうなっているかは想像に難しくない。
非番のものはジン横丁もかくやと言うほどにへべれけだろう。
兵隊どもは飲めればソレでいいのだ、いやむしろそうであるべきだ。
今も彼らは軍のラム酒の在庫をBETAの代わりに駆逐している事が証明だ。
祖国を失ったフランス人達も、各欧州亡命政府らも今頃、銘々に動き始めていることを彼は知っていた。
情報量は跳ね上がって、大西洋やアフリカとの旧植民地と頻繁なやり取りを交わしていた。
狂騒に、あるいは喜騒に全てが巻き込まれるのは目に見えている。
男は自らもその狂宴に加わろうとして紅茶を飲んでいたわけだが、天然の茶葉を使いたくともそんな贅沢の余地は何処にもないので仕方がない。
普段なら合成物なんぞ口も付けぬところだがともかく喉が渇いていていたし、彼は何らかの手段で喜びを分かち合うべきだと感じていた。
太陽の沈まぬ国も遠い昔ばなしとなってしまったが、男の祖国は未だに完全な国土を保ち続けている数少ない国の一つであったし、それが盤石なものになったのかもしれないからだ。
全ては現在カシュガルで行われている話し合いが左右するだろう。
「頼んだぞ」
一部のものにはスパイマスターと呼ばれる彼は、自身の義務を果たそうとしていた。
全ては未来のため、全ては女王陛下のために、たまには人類のために。
珍しく彼は外交上というくくりを捨てて、今日だけは真摯に神に祈ることにしていた。
モニターを見る大統領の顔色は、端的に絵の具のパレットをグチャグチャに混ぜたようだった。
概ねそれを構成するのは肌の内側を活発に巡る血色によるものだったから良かったものの、化粧係が飛んできそうな有様だったのは確かだ。(アメリカにおいて大統領の容姿というものは重要なパラメーターなのだ)
心配するものは補佐官のウォーレスぐらいなものだ。
なぜならば、円卓に着いた他の者達も同様の顔色を見せていたからだった。
特に軍事関係者に至っては悲惨そのものである。
今まで立てていた戦略は何の意味もないものへと転じてしまったのだ。
確かにこれはある意味で喜ばしいことには違いなかったが。
それはそれとして話は別だ。
彼らの苦労の一片を仕官経験から知っているウォーレスは内心同情していた。
G弾という人類には重すぎる槌を使わないことに越したことはないけれども。
ハイヴは人類が手を下さずとも、破壊された。
ハイヴの主、日本語で”あ号”と名乗る新種のBETAはこの光景を贈り物だと称した。
人類の記憶からして新しいハイヴを次々と自壊させ、それを見せることの意味。
はっきり言って理解も出来ないし、理解したくても出来ないというのが実情だった。
恐らく現地にいる者たち、世界各国でこの会談を見守る者たちも同様であろう。
現時点で7箇所のハイヴが崩壊しつつある、冷静でいることに適正のあるウォーレスだったが頭痛が始まっていた。
少なくとも前線諸国が、恐ろしいほどまでに救われることは確かだった。
「この光景が私が皆さんにお見せしたかったものです、人類への直接的な脅威の排除、それが今回の1つの目的であります」
1本の触手を天に伸ばした、あ号の声が朗々と響く。
各国の交渉班は目の前の映像と本国から入ってくる情報の照らし合わせによって贈り物は本物だと確認する。
端的に言えば、それは自殺のようなものだった。
人類の脅威の、その大本が自ら言うのだから間違いなかった。
だが大規模な自殺と言うにはあまりにも手が込みすぎてもいた。
ただ目の前でBETAが、巣を捨て去ったというインパクトに誰もが二の句を継げずにいた。
もう以前の世界には戻らないだろうという諦観を持ち、新世界が始まる事を確信しながら。
大変長らくお待たせいたしました。
近い内に『転生者vsSCP』と合わせてまた更新致します。
よろしくおねがいします。