会いましょう、カシュガルで   作:タサオカ/tasaoka1

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沈黙。
始まりは、静寂に


「……静かすぎる」

 

 ソビエト軍の衛士コーリャは張り詰めた呼吸を解すため呟いた。

 窮屈なコクピットで僅かに身を捩り、困惑を含んだ息を吐きだす。

 こわばった両目を動かすと網膜内に投影された外の風景がぐるりと動く。

 辺りは何時もと変わらない、支配領域となった白き大地が無数の弾痕を晒しながら横たわっている。

 ただ戦場を包む静寂だけが何時もと違っていた。

 

 過去に参加した間引きでは嫌になるほど感じたBETA群が出現する地響きは無い。

 自らの搭乗するMiG戦術機の力強い主機の音だけが聞こえるのは初めてだった。

 何時もだったら、戦車部隊の死闘や艦艇の猛砲撃が網膜内で繰り広げられている頃合いだ。

 巻き上がる雪と重金属雲が、レーザーの反射と共に上空を包んでいるはずだった。

 しかし、極寒の荒野には僚機たちを含めた赤軍諸兵科連合以外の姿はない。

 砲声が聞こえない間引き作戦なんて、コーリャにとっても、赤軍にとっても前代未聞だった。

 地表にいないのならと、頻繁に探知部隊へと地中を移動するBETAがいないか? と問い合わせている。

 だが何度聞こうとも返答は変わらずニェット(NO)。迎撃の兆候すらない。

 

まさかBETAが、居なくなったのか?  

 

 頭の中に突然浮かんだ甘い考えを、即座にコーリャは振り捨てる。

 居なくなったとしても、今更だった。

 それも自分にとっては、十数年ほど遅い。

 この迷惑な異星人どもが宇宙から中国に湧いてきた結果、人生はその十数年で滅茶苦茶になってしまった。

 祖国は蹂躙され、ユーラシアは汚染地域が点在する不毛の土地になってしまった。    

 まだ子供だった頃にハイヴが襲来し、光線属種の出現を皮切りに侵攻を始めた奴らは瞬く間に故郷まで迫った。

 壊走した軍は何もしてくれずに避難民の群れに巻き込まれ、両親はBETAの侵攻に対する肉壁となった。

 そして残された自分と妹の二人で、僅かな食料と私物を持って宛もなく東へ向かった。

 ただ自分が徴兵された時には、妹は側に居なかったのだ。

 記憶と一緒に存在が消えてしまったように。

 

 そして奴らが今更消えさった所で、全ては戻ってこない。

 何もかもが幸せだった頃の記憶は、日々積もる白い雪の下に埋もれてしまった。

 閉塞に満ちた生きるだけの苦痛と人類の敵への憎悪があるだけだ。

 だからこそ。悲しみも、怒りも、憎しみも、焦燥も。

 あのクソッタレのBETA共に劣化ウラン弾をぶち込むことで、何もかも晴らせる。

 コーリャは本当にそう思っていた。それだけが自らの感情を解消できる手段だと。

 

 чёрт возьми(チクショウ)

 

 未だシルエットすら見えないH26、エヴェンスクハイヴに向かって彼は呟く。

 BETAの姿は、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 同時刻、軌道上に点在する監視衛星を通して全世界をモニターしていた各国の部隊もコーリャと同じ種類の困惑を抱き始めていた。

 常に戦場を見下ろし情報を提供する場であるというのに、誰もが集団的な幻覚を疑わずにはいられなかった。

 世界中の戦線においてBETAがその活動を停止し引き上げ始めたのだ。

 奮闘していたEUの闘士、アジアに残る残存部隊、間引きに参加していたソビエトの師団。

 その何れもが振るった刃や構えた突撃銃の先に、BETAの姿を捉えることが出来なかった。

 恐ろしいことに、これが現実であることが混乱と困惑を一層加速させた。

 アメリカのロスアラモスにある監視所において、指揮官のラインバーグ中佐は常に画面を注視し、額に滲む汗すら拭えずにいた。

 機嫌を損ねやすい電子機器のため冷房が効いている室内で、胃を締め付けるような悪寒が背筋を駆け抜けていく。

 

「マーク、これは故障ではないな?」

 

 ラインバーグは、隣に佇むマークに聞いた。

 気難しくそれでいて優秀な技術大尉を彼は信頼している。だからこそ自らの異常すらも考え、口を開いたのだ。

 この監視部隊はBETA大戦の最中に設立され実験的部隊の一つで、機器も常に最新の物へ更新はされている。

 だが未だ発達中の技術であるために、何度も故障や不具合に見舞われていた中佐にとってはこれが現実の風景であるとは信じ切れずにいた。

 何よりこの場で一番の上官である自らの正気すら疑わざるをえない状況が、ラインバーグにはもどかしく思えた。

 

「先ほどチェックを行ないましたが、異常は何もありませんでした

 これは紛れも無く現実ですよ、中佐、BETAが活動を停止したんです」

 

 その言葉と時を同じくして別の監視部隊から、確認の電話が鳴り響いた。

 黒人のマークは眼鏡の奥で、一際目立つ白目を画面に向ける。

 今、ここ数週間監視していたBETA群の幾つかが元のハイヴへと帰還している。

 各国の前線で繰り広げられていた戦闘は、唐突なBETA達の撤退によって終了していた。

 ヨーロッパ、ユーラシア、アフリカ、アジアに分けられたメインスクリーンにはBETAそのものの姿はなく、沈黙のまま聳え立つハイヴの上部構造があるだけだ。

 奴らは何を考えている? 次に、何が起こる?

 頭の中では幾つもの予測が立てられるも、初めての現象に惑わされ答えは出ない。

 まるで悪い幻を見ているようだった。

 今まで、BETAは進むことはあれど退くことはなかった。

 アバドンのように全てを喰らい尽くし、地球の隅々まで手を伸ばそうとしていた。

 

 だが今回は、違う。

 衛星から覗きこむことが出来ない所で、別の何かが蠢いている。

 

 思考を進めようとする度、電話のベルが鳴る。

 世界中に存在する監視所と常に連絡線は繋がっているが、確認の知らせで回線が混雑し着信音が鳴り止まない。

 まるでこの現実がまやかしではないと、電話がラインバーグに伝えているように。

 今時大戦においては、数々の問題に対して冷静に対処してきたつもりだが、

 このような全世界規模の異常事態は、前代未聞と言えた。

 

恐らく……次にBETAが取る行動が、世界を変えてしまうのではないか?

 

 彼は突如浮かんだ恐ろしい考えを、自ら否定する事はできなかった。

 根拠など、この混沌さを増してゆく現実の何処にも見当たらないのだから。


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