【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

4 / 25
この物語は、提督たちがいないと成り立ちません。五人の若い提督たちが織りなす戦争と艦娘たちの物語をお楽しみください。

※オリジナル要素注意です。

 艦娘の艦体における火器管制、操舵、索敵について独自の解釈があります。

※轟沈描写もあります。




見事、ウェーク島を攻略した艦娘部隊。しかし、彼女たちを率いて奮闘した白峰中佐は、この勝利に慢心してはいなかった。彼の目は、いつも正しい道を探している。たとえ周囲の人間と異なる道だったとしても。


第四話 急襲

 

 ウェーク島での被害は、以下の通りとなった。

 

 艦娘部隊

 軽巡洋艦「夕張」小破

     「天龍」小破

 駆逐艦 「如月」中破

 

 帝国海軍

 駆逐艦 「疾雨」轟沈

     「追風」大破

 輸送艦 「金剛丸」小破

 

 

 戦死 二四六

 戦傷 四八

 行方不明 三七

 

 轟沈した駆逐艦・疾雨には、ただの一人も生存者はいなかった。夕張は戦場を駆け巡り、海に投げ出された兵たちを救助しようとした。

 太平洋諸島における敵勢力は手薄。それが軍令部の見通しだった。しかし実際には敵の奇襲、航空戦力の登場、想定外の脅威がつぎつぎと出現した。特に敵空母による艦載機の運用は、初めて深海棲艦と戦ったとき以来の、第二次深海棲艦ショックとして軍上層部に動揺を与えた。にも関わらず、この程度の被害で抑えることができたのは、戦場で花開いた若き傑物の功績に他ならない。通常ならば一度撤退し、応援を待たねばならないほどの不利な状況を見事に引っくり返し、勝利へと導いた白峰中佐の評価は留まるところを知らない。近々叙勲されるとの噂も立った。

 だが当の白峰は、自身の活躍も戦勝の歓喜もどこ吹く風。まるで意に介さなかった。彼がひとつ喜んでいたことは、この戦いで艦娘部隊の力が、有無を言わさぬ形で証明されたことだった。これからはますます艦娘の教育、運用に重点が置かれるだろう。帝国の生き永らえる道があるとすれば、それは彼女たちと共に切り開くべき道なのだ。

 

 一九四二年四月から九月にかけて、渋谷礼輔は艦娘とともに南太平洋を転戦した。

 案の定、敵の編成に軽空母などの航空戦力が加わった。重巡クラスの大型艦も出現し始め、マーシャル諸島近海では、戦艦クラスの敵と砲火を交えた。しかし、やはり敵の練度は低く、戦術らしき戦術もない。航空支援ならば人類製の空母でも十分役に立った。

 ウェーク島で初めて交戦した正規空母クラスを空母ヲ級、新たに出くわした敵を重巡リ級、戦艦ル級、軽母ヌ級と呼称した。だが、白峰中佐の証言にあった大型の空母、ヲ級旗艦クラスはそれ以降、目撃されていない。敵の研究も進み、敵艦種のなかでも旗艦クラスは装甲が厚く、火砲の威力が高いことも分かった。

学ぶ人類と、学ばない深海棲艦。帝国海軍は快進撃を続けた。予定どおり、東からマリアナ諸島、トラック諸島、マーシャル諸島を制圧。それぞれタラワ、トラック環礁、パラオに泊地が建設された。特にパラオ泊地は、フィリピン侵攻への重要な足がかりとなった。

 さらに人類に味方したのは、つぎつぎと顕現する艦娘たちだった。深海棲艦の大型化に対抗するかのように、重巡、戦艦、空母たちが顕現した。彼女たちは決まって渋谷少佐の航海路上か、あるいは五人の提督が着任している鎮守府近海に現れた。軍令部は、とくに戦艦の着任を喜んだ。資源地帯を有する陸地には、さらに強大な敵が待ち構えている。艦隊決戦には彼女たちの力が不可欠と考えたからだ。

 ただし、例外も存在した。まったく脈絡のない海域に出現する艦娘もいた。

 正規空母・瑞鶴は、マリアナ沖に忽然と姿を現した。駆逐艦・夕立は、ソロモン海で顕現し、敵を避けながら自力でタラワまで辿りついたという。そして軍令部が諸手を挙げて歓迎した、超弩級戦艦・大和は、坊ノ沖岬にて停泊しているところを佐世保の演習艦隊が発見した。大和の妹らしい戦艦・武蔵は自ら悠然と佐世保に乗り込んできたため、大和の顕現はイレギュラーと言えた。

 初期艦の証言によると、ほぼ全ての艦娘が揃いつつあるらしい。思わぬ短期間で海軍の戦力が増強された。軍令部は艦娘ひとりひとりの個性を把握しつつ、彼女たちの性能を最大限に引き出すべく、さまざまな訓練、教育のローテーションを考えねばならない。基本的に重巡以上の「大人の」艦は軍令部の指導のもと戦略的に運用されることになっていた。それに対し、「幼い」駆逐艦は、従来の海軍的思考をもった高級将校を嫌う傾向にあり、仲間との連携を好んだ。彼女たち「軍艦の化身」の心情に配慮し、駆逐隊単位で、適切な「提督」をあてがってやる必要があり、軍令部の老人たちは大いに頭を悩ませた。

 ともあれ一部の艦娘をのぞき、彼女たちは最初から軍人としての心得をある程度持っていた。現場における指揮官との衝突こそあれ、それが戦闘に致命的な悪影響を及ぼすことはなかった。

 強力な艦娘機動部隊によって、ビスマルク海海戦に勝利、ついに最前線たるニューブリテン島のラバウルに泊地を建設することに成功した。今、帝国が喉から手が出るほど欲している石油資源を有するニューギニア島は、もう目と鼻の先である。ただ、この巨大な島を深海棲艦が放っておくはずもない。これまでとはケタ違いの巨大な戦いが予想された。

 

 渋谷少佐は、ラバウルに泊地が建設された一九四二年九月、いったん本土に戻れとの命令を受けた。帝国海軍史上、未曾有の艦隊決戦。石油を賭けた戦いに何としても勝利するため、高級将校から艦娘運用に携わる中級将校まで、すべての意見を交えた作戦立案が進んでいた。

 久々に本土の地を踏んだ時、渋谷は国の空気が変わっていることに気づいた。人々の表情が明るい。ウェーク島からラバウルに至るまでの連戦連勝は臣民にも伝えられ、海軍は彼らの期待を一身に集めていた。物資は貧しくとも心には希望が燃えていた。その灯火を絶やさぬように、我々は南方から燃料を勝ち取らねばならない。渋谷は改めて気持ちを引き締める。

 軍令部にて、前線指揮官としての艦娘への所感を述べ、管理・運用方法を提言したのち、彼は横須賀に立ち寄った。各鎮守府に着任していた同期たちが一堂に会しているらしい。福井や塚本、幾田とは、もう一年ちかく顔を合わせていない。少し弾んだ心持で、待ち合わせ場所の中華料理屋に入る。奥の広間に通された彼は、かつての友人たちに再会した。

 円卓に、三人の男たちが腰掛けている。渋谷の姿を見たとたん、彼らは破顔した。

「よう渋谷、久しぶりだな」

 鋭い目つきに眼鏡をかぶせた男が、隣に座れと促す。大湊警備府に着任し、主に北方海域の防衛を担当している塚本信吾少佐だ。

「前線勤務、お疲れ様。本土にいるときくらい美味い物を食べるといい」

 物静かな声で福井靖少佐が言った。彼は呉鎮守府の提督だった。学生の頃から職人肌な男で、とくに潜水艦を偏愛していた。念願かなって、現在は潜水艦娘の教育を担当している。

「幾田さんと白峰は?」

 二人の姿がないことに気づき、尋ねる渋谷。

「幾田は遅れてくるそうだ。白峰は急用ができたらしい。今、あいつほど忙しい士官はいない」

 舞鶴鎮守府の熊勇次郎少佐が答える。先に始めてしまおう、と塚本少佐が言った。まずテーブルに置かれたのは透明な日本酒だった。渋谷の生還を祝って乾杯。命の水を、ぐっとあおる渋谷。アルコールが喉にしみた。

「こんなときくらいビールが飲みたいが、なにせ原料の麦が入ってこない。軍隊が米を喰い潰すもんだから、日本酒も価格高騰だ。そのせいで、どこも酒が薄い」

「飲めるだけいいじゃないか。本土に帰ってきて最初に思ったのが、『水が美味い』だぜ」

 塚本の愚痴に渋谷が返し、皆が笑う。

 料理が運ばれてくる前から、四人の話題はもっぱら艦娘のことに集中した。各鎮守府の提督たちは、ローテーションで異動してくる艦娘たちの教育に加え、それぞれ直轄の駆逐隊を率いている。

 塚本少佐は、第一六駆逐隊「初風」「雪風」「天津風」「時津風」

       第一七駆逐隊「浦風」「磯風」「浜風」「谷風」

 福井少佐は、潜水艦娘部隊「伊168」「伊19」「伊58」「伊8」「伊401」

 熊少佐は、 第六駆逐隊 「暁」「響」「雷」「電」

       第八駆逐隊 「朝潮」「大潮」「満潮」「荒潮」

 さらに、熊は戦艦「伊勢」「日向」も指導している。日本海防衛のために増強された戦力だった。

「うちの駆逐隊は、お転婆というか個性的な子ばかりで大変なんだよ。熊のとこなんか、大人しそうでいいよな」

 塚本少佐が言った。彼が率いる陽炎型駆逐艦、その後期タイプと呼ばれる娘たちは、とにかく個性が激しいと軍部内でも有名だった。

「舞鶴には球磨型の姉妹が演習に来ていた。その長女に、『おそろいだクマ』とずいぶん懐かれたものだ」

 熊少佐の言葉に、酒の回った席はどっと盛り上がる。料理をつまみながら、艦娘の話題を酒の肴にできるとは、ずいぶん彼女たちも人間に親しんだのだ、と渋谷は思った。あるいは「提督」として適性の高い、彼らならではの現象かもしれないが。

「トラック諸島からマーシャル諸島まで転々とする間、たくさんの艦娘に乗艦させてもらった」渋谷も思い出話に花を咲かせる。「軽巡龍田、重巡利根、重巡那智、それに駆逐艦の夕立。皆、良い子ばかりだ。トラックに着任してくれた工作艦の明石には世話になった。艦娘の艦体は不明なところが多くて、熟練の整備員でも、よほど信頼が厚くなければ触ろうとしない。明石は一番の暗箱である機関部も的確に診てくれる」

「おまえも艦娘の魅力に気づいたな?」

 隣で塚本がニヤついている。だいぶ酒が回っていた。

「秘書艦に出会ってすぐ、俺は思ったね。こいつは、艦娘は必ず、戦場の花形になる。俺の予感にハズレはない」

 塚本は得意げに言った。

「秘書艦?」

「俺たちが陛下から賜った、最初の五隻のことだ。鎮守府に着任してすぐのころから提督業をいろいろサポートしてもらった。いわば特別な娘だ。愛情と畏敬をこめて、俺たちはそう呼んでいる」

 福井が答える。そこで、ふと渋谷は疑問に思った。

「きみたちの秘書艦は、どこに?」

 渋谷が尋ねると、福井は黙って広間の一角を指さす。少し離れた円卓を囲み、四人の少女たちが楽しそうに喋っていた。この店の客は大部分が横須賀軍港の関係者と家族だったが、一応は目立たないように、皆上品な私服に着替えている。何を話しているかは、他の客たちの歓談に掻き消されて聞きとれない。

「彼女たちを同席させて生々しい話はできない。だから席を別にした。それに彼女たちも久々の再会だ。そっとしておいてやろう」

 少し微笑みながら福井が言った。この優しさが軍隊では異端とされる、艦娘を惹きつける提督の素質なのだろう。

「ひとり足りないな」

 横目に観察しながら渋谷が言った。命からがら逃げ帰ったあの日、佐世保で目に焼き付けた彼女たちの姿は忘れない。電、五月雨、漣、そして吹雪。たしか吹雪は白峰の秘書だったはず。

「白峰が許可したんだ。仲間はずれにしたら可哀そうだからな」

 塚本が言った。となると、足りないのは叢雲か。初期艦五隻のなかでも特に目を引くのが彼女だった。年相応の可憐さよりも、すでに女としての美しさが片鱗を覗かせていた。

 ちょうどそのとき、店員が新たな客を案内してきた。肩ほどもある長く艶やかな黒髪。育ちのよさが窺える澄んだ眼差し。形のよい小顔。それでいて妙齢の色気を香らせている。

 幾田サヲトメ中佐。珍しい女性士官だ。兵学校での成績こそ男性に押されて奮わなかったが、卒業後に実務・戦術面での優秀さを見せつけ、海軍大学では第二位の成績まで上り詰めた。白峰と同じく、一階級先をいくエリートだ。その出自は明治維新で功をあげ叙勲された元長州藩士・幾田男爵家の血を引く令嬢。男性はもとより女性士官からの支持も厚く、政財界にも顔がきく、いわば高嶺の花だった。

 その隣には、彼女に似て美しい娘が控えている。秘書艦の叢雲であることはすぐに分かった。他の駆逐艦たちにはない、大人びた鋭い視線が印象的だった。いつものセーラー服ではなく、白を基調とした清楚なワンピースを纏っている。

「おお幾田、座れ座れ」

 令嬢だろうが遠慮なしに塚本が手招きする。叢雲は悠前と彼女の横に佇んでいたが、その視線は、ちらちらと奥のテーブルに向かっている。幾田は秘書艦に一言告げる。すると叢雲は少し早足で仲間たちの待つテーブルへ歩いて行った。

 嬉しそうな秘書艦を母親のような眼差しで見送り、幾田は席につく。

 渋谷は彼女が少し苦手だった。行動によって他者を従わせる白峰と違い、彼女は黙って屹立しているだけで群衆を惹きつけるような、生来のカリスマ性があった。あくまで軍人である同期としては、そこに人間性の壁を感じてしまうのだ。

「まずは、その左手のものについて、ご説明願おうか」

 目ざとく塚本が言った。彼女の白く長い左手薬指。そこには銀のリングが嵌っていた。

「馬鹿、野暮なこと聞くもんじゃない。ここは、おめでとうとだけ言っておけ」

 福井がたしなめる。難攻不落、高嶺の花。数々の異名を誇った彼女を攻め落とせる男がいるとすれば、ひとりしか思い当たらない。そして彼と彼女の関係は、すでに多くの者が知るところとなっていた。皆が祝福を述べる。戦争中だからこそ、小さな希望の種が大切なのだ。同期たちの想いは一つだった。

「ありがとう。ここまで来るのは大変だったわ」

 そっと指輪を撫で、幾田は言った。彼女の生まれを考えれば当然だった。相手の白峰は、海軍きっての天才で将来の出世頭。しかし生まれは親も親戚もいない孤児院出身だった。血縁によって家の基盤を強固にすることが女子に科される使命だと考える貴族社会は、この婚約に猛反対だった。彼女の両親は、そもそも軍人になること自体反対していた。ゆくゆくは貴族の子弟に娘を嫁がせ、さっさと退役させるつもりだったらしい。

「湿っぽい話はおしまい。今まで通り好きなようにするから、祝福も慰めもいらないわ。さて、いろいろ話を聞かせて貰おうかしら」

 幾田は渋谷を見据えて笑う。彼女が知りたがったのは、初戦のウェーク島についてだった。それなら武勲をあげた白峰に直接聞けばよいだろう、と渋谷は主張する。だが白峰は戦闘終了後、中破した如月を本土に戻す任務についたため、その後の上陸作戦には関わっていないらしかった。そこで渋谷に御鉢が回ってきた。

「陸軍の一個中隊が、まず先遣隊として上陸した。取り残されている米兵を警戒してのことだ」

渋谷は当時の状況を語る。米軍との戦闘も覚悟していたが、それは杞憂に終わった。島には誰もいなかったのだ。生活施設や建物だけを残し、島から人の痕跡が消えていた。アメリカは早々にフィリピンにでも撤退したのだろう。陸軍はそう結論づけたが、不審感は拭えなかった。

「米軍の行方について、あなたの所感は?」

「対艦火器を警戒して島の外周も調べたが、船は一隻も無かった。おそらく深海棲艦の脅威を受けて脱出したか、あるいは撃沈されたか。ただ砲台が使用された形跡はあった。米軍も深海棲艦と戦った可能性は大きい」

「そういえば、夕張が救命活動を行ったが、誰も救えなかったそうだな」

 福井が言った。彼の言う通り、夕張の懸命な捜索にも関わらず、行方不明者はおろか死体すら発見できなかった。

「捕虜にされてるのかもな」

 塚本が言った。彼の目は真剣だった。五人の軍人たちは、その知的好奇心が赴くままに敵について、艦娘について議論を進めた。秘書艦たちのテーブルが料理を食べ終えて穏やかな寛ぎに浸っている間、彼らの論評はますます熱く高まっていた。

 艦娘たちは単一の指揮官を求める。それは自身が兵器ではなく、意志を持った人間であることを知らしめるためだ。命を賭けて戦うのだから、尊敬でき信頼できる指揮官の言うこと以外聞きたくない。もし彼女らの人間としての尊厳を踏みにじることがあれば、軍部は逆襲されるだろう。四人の提督たちの意見が一致する。

「ずっと気になっていたんだが、きみたちはどうやって自分の秘書を選んだんだ?」

 渋谷が尋ねた。成績優秀者から選抜されたとは聞いていたが、彼ら五人と初期艦五隻が、どのような過程で結びついたのか何も知らない。その質問を受けた四人は顔を見合わせ、少し苦笑した。

「あのときは面くらった」

 塚本が言った。

「ああ。状況もよく分からないまま軍令部に呼びつけられたんだ。五人全員同じ部屋に入れられた。そこで待っていたのが、初期艦たちだ」福井が説明する。「担当する駆逐艦を決めろ。それまで部屋から出てくるな。一方的に命令されたわけだ」

「少女の形をした駆逐艦が出現したと話には聞いていたが、いざ目の前にすると頭が混乱した。今思えば、軍令部も彼女たちの人間性に配慮していたのだろう。一方的に相方を通達するのではなく、自分たちで話しあって決めろ、と」

 熊は言った。自らの上司を自ら選ばせることで、いわば艦娘たちの好みを推し量っていたのである。候補者を五名まで絞り込んだのは、ゆくゆくは艦娘たちを統帥していくことになる上部組織としての軍令部の意地だろう。神の娘といえども勝手ばかりは許さない。そう暗に示したかったのだ。

「真っ先に選んだのは白峰だ。彼がどういう理屈で吹雪を選んだのかは分からないが、吹雪も感極まったように了承していた。よほど選ばれたことが嬉しかったのだろう」

「俺も早かった」眼鏡を整えながら塚本が言った。「なんとなく、仲良くやれそうな気がしたんだ。漣が一番、相性が良さそうだと思った。逆に、こいつは厳しいと思ったんが叢雲だ。もう部屋入った瞬間分かった。こいつは軍人向きじゃあない」

 さすがに声を落とし、塚本が言った。意外にも福井が同調する。

「それは俺も思った。彼女は積極的に会話に入ろうとしなかったし、終始不機嫌そうな顔をしていたからな。我々が歓迎されていないのは明らかだった」

 福井は、自らの部下として五月雨を選んだ。まっすぐ純真なところに惹かれたらしい。

「熊は、逆プロポーズされたんだ。艦娘のほうから自分を選んでくれ、と言ってきたのは電だけだよな」

 思わぬところから飛び火した。あの熊が珍しく慌てている。

「そんな直接的なことを電が言うものか。僕が彼女を選んだのは、互いにあまり気をつかわず会話ができたからだ」

 傍から見る分には微笑ましい光景だった。しかし、気になるのはやはり叢雲だ。確かに、彼女を一目見れば、上官に積極的に盾突くタイプだと想像がつく。ただでさえ扱い辛い年頃の少女、それも軍艦一隻の力を有する存在。軍人ならば、あえて彼女を選ぶような非合理は行うまい。

「それでも、わたしは叢雲を選んだ」

 幾田の言葉が、静かに場を支配する。

「男どもには分からないでしょうね。顔には出さないけど、彼女の瞳には確かに不安があった。プライドの高い子なのだと思ったわ。もし自分が誰からも選ばれなかったら、と思うと、他の子みたいに愛想を売ることができなかったのね。いじらしいじゃないの。わたしは言葉を交わすことなく彼女を見つめていた。その強気な顔が崩れることはなかった。心の強いはねっかえりほど、将来頼れる部下になる。だから、わたしは彼女を選んだ。余っていたからとか消去法ではなく、自分の意志で」

 その言葉に、誰も異論は挟めなかった。

「結局、そのとき交わした会話は、これだけだった。『わたしは叢雲を選びます』。そしたら彼女は、『あんたがわたしの提督? ま、せいぜい頑張りなさい』だって。相変わらず生意気だったけど、わたしが声をかけた一瞬、本当に嬉しそうに笑ってくれた。憎まれ口を叩きながらも、ちょっと涙ぐんでいたわ。それを見て、わたしは確信した。この子でよかったって」

 恋人との出会いを語るかのように、幾田は思い出を披露する。残る四人の顔には安堵があった。彼らも実は気にしていたのだ。叢雲が人間の指導者に馴染めるかどうかを。

「しかし、今さらそんな話を聞きたがるとは、もしかしておまえも艦娘を持つことになったのか?」

 福井が尋ねた。渋谷は、ご明察、とだけ返した。

「一〇月づけでラバウル泊地に着任することになった。そこで俺も艦娘の教育を受け持つかもしれない。前線にて、より実戦に即した訓練を施すために」

 渋谷は言った。突然の情報に、仲間たちは激励の言葉を送る。

「俺も近々前線にでるかもしれん。着任するとしたらトラックだろうか。うちの陽炎型、ぐんぐん練度が上がってきている。十分に戦闘をこなせると上が判断した。北方の戦況も安定しとるし、できる限り南方攻略に戦力を割きたいんだろうな」

 便乗するように塚本が言った。おそらく白峰と同じく、教育下の駆逐隊を率いることになるのだろう。南方資源を確保できたなら、資源輸送の護衛に駆逐艦は必須となる。将来の苦労が透けて見えた。

「そろそろ退出しようか」

 熊が提案する。五人はそろって席を立った。

「では諸君、つぎ会う日まで生き残ろう」

 福井が言った。皆が「応」と答える。これから予想される帝国の運命をかけた総力戦。渋谷と塚本以外も、前線に出されるのは時間の問題だった。こちらの解散と同時に、秘書艦たちも席を立った。横須賀統監部に用があるという幾田が叢雲と吹雪をともない、店を出る。他の提督もまた、秘書艦とともに、それぞれの道を歩いていく。

「ご主人さま、行きましょう!」

 弾んだ声で漣が言った。明らかに面白がっている。塚本は「こら漣! 人前では提督と呼べと言っとるだろうが」と零し、渋谷のもとに駆け寄る。

「先達からの助言だ」そう塚本が耳打ちする。「あまり艦娘に入れ込みすぎるな。彼女はくまで部下。友達でもなければ家族でもない。まして娘だなんて思ったら駄目だ。戦いを見失うことになる」

 そう言って塚本は、いつもの陽気な足取りで去っていった。

 彼には妻がいた。しかし子はいない。艦娘を持てるかもしれない、と浮かれていた自分に、彼の助言は重く響いた。憧れと期待を抱いていただけに、その個人的な想いが戦争を掻き乱すかもしれない。自分はあくまで軍人。仕えるべきは大日本帝国。この戦争の目的は、帝国を生き永らえさせること。

 艦娘は、そのための手段である。

 渋谷は強く自分に言い聞かせた。

 

 一九四二年一〇月。

 ラバウルに着任した渋谷礼輔に、改めて辞令が交付される。そこに記されていたのは、自らの教育下に入るべき艦娘。いったい、どんな駆逐艦だろう。もしかしたら駆逐隊を持たせてくれるかもしれない。そんな想像をしていた彼は、内容を見て開いた口が塞がらなかった。

 これは何かの間違いではないか。

 本当に、戦場では予想外がよく起こる。何度も辞令を読み返し、渋谷は呆然と思った。

 

 

 

 渋谷が本土を発ってから、ひと月が過ぎた。

 横須賀鎮守府軍港。強い風をともない、列島に寒波が到来していた。今にも泣きだしそうな曇天のもと、高い波が港湾のコンクリートを殴りつけ、飛沫となって砕け散る。荒ぶる海を宥めるかのように、支給品のコートをまとった士官が独り、じっと水平線を見つめていた。

「やっぱりここにいた」

 変わり者の傍らに、幾田サヲトメが歩み寄る。彼女の婚約者は、暇さえあればこうして海を眺めていた。兵学校でもそうだった。見飽きているはずの江田島の海を、今と同じ視線で見つめていた。彼と会話したいときは、こうして自分から海へと出向くのだ。恋人となり婚約者となってからも変わらない二人の習慣だった。

「如月の具合はどう?」

 幾田が尋ねる。彼は自分から語るタイプではない。彼と会話したいなら、話題を掘り下げることが大切だ。

「すっかり回復した。艦体も精神も」白峰は淡々と答える。「演習にも後を引いていない。如月は心の強い娘だ。それに仲間たちもいる。良い仲間たちだ」

 麾下の第三〇駆逐隊を、白峰はそう評価する。彼は他にも、第一八駆逐隊として「陽炎」「不知火」「霞」「霰」の四隻を率いていた。彼女たちの練度も、国内鎮守府ではトップクラスとの評判だった。とくに朝潮型九番艦の霞は問題児として有名であり、彼女を使いこなすことで白峰中佐の評価はさらに高まった。今若手でもっとも元帥に近い男。羨望と嫉妬まじりに囁かれることもあった。

「技研と組んで、新しい研究を進めているんですって?」

 幾田が尋ねる。ウェーク島攻略線で中破した如月の修理には、熟練の整備員でも困難を極めた。なにせ機関が一部損傷していたのである。火砲などの兵装ならまだしも、艦体の機関部はブラックボックスに近い。幸いにも工作艦・明石が顕現したため、彼女のアドバイスを受けつつ、修理に成功した。その結果、艦娘について新たな事実が明らかになった。

「彼女たちの艦体を構成しているのは、ただの鋼材ではなかった。先の海戦で敵艦載機から傷痍爆弾を受けたとき、僕は如月の轟沈を覚悟した。しかし彼女は中破しただけで助かった。艦体を覆う外装は、普通の特殊鋼よりも強く、粘りのある金属だった。艦娘であるというだけで、艦体の防御力は人類製の船を大きく上回っている」

 白峰は機械のように事実を述べていく。

「だが、その金属は今の技術では復元できない。つまり欠損してしまえば補いようがないということだ。明石が言うには、ある程度は人類製の鋼材でも補完できるが、爆発的な負荷のかかる機関部だけは、その金属でなければ崩壊を早めてしまうらしい。機関部に人類製の金属を入れることは、人間で例えるなら心臓の一部を人工物で補うようなものだ。そうなれば格段に寿命は縮まる」

 明石の意見を取り入れ、機関部の修理には損壊した甲板部の金属を用いた。不足した外装甲は人類製の特殊鋼で補った。結果、如月は以前の機動性を取り戻すことができた。

「艤装や装甲部分は補完できることが分かり安心したが、問題は修理に必要な鋼材だ。民需用から回しても、かなり状況は厳しい。政府は、新たな鉄筋建築を制限する法律を検討している。軍部も、いざとなれば海軍の艦を解体して艦娘の修理にあてることも考えている」

 白峰は言った。石油もなければ鉄もない。海を閉ざされたことの恐ろしさを改めて思い知った。

「資源の不足は以前から知られていたことだ。ならば本質は、いかに艦娘を傷つけず戦いに勝利するか。その点にある」

 変わらず海を見ながら白峰は続ける。

「今回の件で少し思い当たったことがあり、トラック泊地の明石に意見を求めた。艦娘の表層部を人類の技術で補えるなら、火器管制、航行、索敵も人間が代行できるのではないか、と」

 幾田は、ただ彼の創造性に聞き入っていた。

「明石の答えは、おそらく可能とのことだった。おおむね艦体の構造は人類のそれに似ている。方法さえ学べば、とくに火砲の扱いはすぐ習熟するだろう。火器管制にあてるなら二〇人程度。索敵ならば五人で足りる。わが国得意の少数精鋭教育が、いかんなく発揮される」

「それで、機能を代行することで、どんな利点があるの?」

 幾田が尋ねる。その問いに、白峰は少し不思議そうに答える。

「きみは気づかなかったか? 僕は演習では必ず旗艦に乗艦するようにしている。何度か彼女たちと行動をともにするうちに気づいた。顕体には、人間でいうところの気分がある。むらっ気とでも言うべきか。例えば会敵に備えて単縦陣で航行しているとき、彼女たちは火器と索敵、航行に同時に意識を傾けている。すると最大船速を指示しても、カタログスペックと同等か、それ以下の速度しか出せない。しかし、敵に気を配る必要のない単純航海ならば、彼女たちは驚くほどのスピードを出す。それは航行だけに集中しているからだ」

「つまり、火器管制を人間が担当して、その分の集中を航行や索敵に回せば、より艦娘の機動性が上がると?」

 すぐに幾田は彼の言わんとすることを理解する。たしかに顕体の気分によって艦の性能が若干変わることには気づいていた。秘書艦の叢雲が、その傾向が強かった。しかし、それは艦娘特有の性質なのだろうとしか考えておらず、その性質を利用して発展的に戦闘優位を作り出すところまで思考が回らなかった。

「そういうことだ。ウェーク島の戦い以降、僕が担当する駆逐艦には全員、僕以外の人間にも乗艦してもらっている。最初は皆嫌がったが、少しずつ艦娘への理解を深めてもらった。そうなれば、艦娘のやる気も高まる。なにせ守るべき命を複数預かることになるのだから。彼女たちに深く関わりすぎた僕などは、ともに轟沈しても構わないだろうが、やはり多数の命を共に戦うとなれば話は違う。霞ですら、わずかに人当たりが良くなった」

 白峰は言った。翌日より、彼の駆逐隊と、幾田率いる第二駆逐隊「白露」「時雨」「村雨」「夕立」と、第三駆逐隊「夕雲」「長波」「早霜」「清霜」との演習が始まる。そのために幾田は叢雲と麾下の駆逐隊を伴い、横須賀を訪問していた。

「きみの駆逐隊と僕のそれとは、よく似た練度となっている。人間を乗せた艦娘が強いか否か、実験結果を出すつもりだ」

 今回の演習の目的を明かす白峰。

いくら燃費の良い駆逐艦とはいえ、その運用にも軍令部は気をつかうようになっていた。これから始まるニューギニア攻略は未知の領域である。大規模な艦隊決戦となり、大和や武蔵を動かすことになれば、さらに燃料事情は厳しくなる。前線での戦闘においても、油田地帯確保後の輸送任務においても、汎用的に運用できるよう、最小の資源で駆逐隊を教育していた。もし白峰の仮説が正しければ、人間と協力することで艦娘の機動性があがり、それが戦勝ひいては燃料の節約にもつながる。彼の研究は技研や軍令部にも後押しされていた。

「なるほど、それが目的で佐世保から呼びつけたわけね」

「そうだ。純粋な戦闘能力の練度ならば、きみと塚本の隊が頭ひとつ抜けている。だが塚本の場合、少し艦娘の個性が激しすぎて実験向きではない。それに同じ陽炎型の駆逐艦なら、うちの陽炎や不知火に気をつかうかもしれない。そこで、きみに白羽の矢が立った」

 すべてが理にかなっている。幾田は深い溜息をつく。白んだ細い吐息は海に吸い込まれていった。

「ずいぶん、堅実な考え方をするようになったのね」

 ぽつり、と幾田は呟く。

「わたしは兵学校時代の、あなたの論文が好きだった。大胆で、奇抜で。なのに妙な説得力がある。もし技術が追いついたら、軍事の歴史に名を残せそうだった」

 航空戦力と電子戦。

 陸と海の連携―――強襲揚陸専門部隊。

 幾田は、未だに論文のタイトルを覚えていた。この頃からすでに幾田は彼に恋していたのだ。

「若気の至りだ。教官には、こっぴどく叱責された。たしかに、現段階では妄想の域を出ない。ならば目の前の現実をより深く理解し、改良していくべきだと考えを改めた」

 白峰は言った。海軍大学では、声のでかい老人の教える通りに答案をつくれば評点が上がる。彼は兵学校で世渡りを学び、本心を伏せたまま序列一位で在り続けてきた。

「今は、とにかく艦娘。それに深海棲艦だ。己を知り、敵を知ることができれば、この戦争に勝利できる」

 白峰は言った。静かな瞳に宿る、かたい覚悟。これでは勝つまで式は挙げられまい。そんな彼に惚れたのだから仕方ない。彼に貰った銀の指輪をそっと撫で、幾田は苦笑した。

 しばし彼と海を見ながら、穏やかな静寂を楽しみたい。

 彼女の願いは、直後に鳴り響いたけたたましい警報に引き裂かれた。

「緊急招集!」

 幾田が叫んだとき、すでに白峰は走り出していた。慌てて彼の背中を追う。横須賀を含め、帝都の正面海域には常に哨戒艇を出していた。万が一の本土急襲を想定してのことである。しかし、太平洋側の本土近海の深海棲艦は勢力が弱く、いたとしても駆逐イ級がせいぜいだった。巨大な陸地に近づくほど敵が強くなるという「法則」が見つかってからは、警報の存在すら人々は忘れかけていた。

 それが今になって、思いだしたように発動する。横須賀鎮守府を揺さぶりに揺さぶっていた。

 緊急時の集合場所は統監部連絡所だったが、艦娘全員が集まっている艦娘宿舎は少し離れた場所にある。白峰は迷わず艦娘がいる建物へ向かった。艦娘が運用されてすぐの頃、まだ彼女たちの忠誠心を疑っていた軍令部が、鎮守府の中心部から彼女たちの居住区を遠ざけたのだ。その名残が、いまや明らかな弊害となって現れた。

宿舎には、騒ぎをききつけた艦娘が早くも集合していた。白峰、幾田麾下の駆逐隊、それに吹雪と叢雲。

「報告!」連絡兵が電報の紙を片手に飛び込んできた。「哨戒艇より連絡。鎮守府南西南、距離一〇海里、深海棲艦艦隊発見。空母を中心とし、重巡三、軽巡一、駆逐六にて輪形陣を形成。速度約三五ノットにて、まっすぐ横須賀に進行!」

 息をのむ幾田。この海域で、これだけの大部隊が攻めてきた前例はない。敵は明らかに高速編成。まっすぐ懐に飛び込んで鎮守府を強襲するつもりらしい。到達まで半時間。迷っている時間はない。

「他に動かせる艦娘は?」

「横須賀には現在、戦艦「長門」「陸奥」、重巡「妙高」「羽黒」「高雄」「愛宕」が停泊中。しかし戦艦二隻はドック入りしており、残る重巡も気醸が間に合いません」

 となれば、動かせる艦娘は駆逐艦のみとなる。

「敵の意図が分からない以上、本土に近づけるわけにはいかない」

 白峰の決意は固まった。

「待ちなさい!」

 鋭い声が白峰を制止する。彼の前に叢雲が立ちはだかっていた。

「第二、第三駆逐隊は重油の補給中よ。こんな編成で出撃するのはあまりに危険だわ。それよりは浮き砲台として湾内で応戦すべきよ。敵が本土に突撃してくるかも分からないんでしょう?」

 叢雲の意見では、ある意味では正しかった。相手は理屈の通じない深海棲艦だ。今後、進路がどう逸れるか分からない。しかし、白峰の勘は彼女とは別の結論に辿りついていた。

 奴等は必ず突撃してくる。

 半ば確信に似たものがあった。

「輪形陣を取っている以上、戦闘意欲があるのは明らかだ。それに空母がいる。もし港湾内に入られでもすれば、入渠中の艦だけではなく、帝都も危ない」

 白峰の考えもまた、ある側面では正しかった。

「そんな、空母で陸につっこむ奴がどこに……」

 叢雲が怒りを交えて吐き捨てる。

 その瞬間、地鳴りのような衝撃が轟いた。窓の外には、もうもうと黒煙が上がっている。どうやら敵の弾が届いたらしい。その煙の向こう側、荒れた灰色の海に黒い点が幾つも浮かんでいる。

「速い!」

 なんという拙速だろうか。放たれる砲撃はてんでバラバラだが、その速度は恐ろしいものがあった。このままでは本当に鎮守府に敵艦が乗り込んでしまう。

「吹雪! 隊をまとめて直ちに抜錨せよ」

 白峰の指示が飛ぶ。吹雪を先頭に、第三十駆逐隊と第十八駆逐隊の面々が走り出す。彼女たちに白峰も続いた。上官の指示も待たずに飛び出して行った婚約者を、幾田は黙って見送ることしかできなかった。

「提督、どうするの?」

 心配そうな顔で夕雲が尋ねる。

「あんな馬鹿に付き合う必要はないわ! わたしたちは、わたしたちにできることをしましょう」

 腹立たしげに叢雲が言った。幾田は、動ける艦は鎮守府港湾を封鎖するように指示した。直後、地面がトランポリンのように撥ねた。砕け散った窓ガラスが雪のように降り注ぐ。宿舎の建物側面に砲弾が命中したらしい。数十メートル先の廊下が空中で途切れている。倒れ込んだ幾田の上に、叢雲が覆いかぶさっていた。

「急ぐわよ」

 礼を言う暇もなく駆けだす叢雲。すぐに後を追った。

 臨時の鎮守府守備艦隊。旗艦を叢雲とし、自身も彼女に乗り込んだ。

 

 

 編成からして、こちらが圧倒的に不利。まともに撃ちあっても勝てる可能性は限りなくゼロだ。白峰は戦況を判断する。ならば、できるのは少しでも時間を稼ぐこと。帝都防衛のための海軍飛行場から、爆撃機が飛来するまで耐える。あるいは、浮き砲台でもいいので戦艦たちが出てくるまで敵を沖合に押しとどめる。

 そのためには、駆逐艦の機動力に賭けるしかない。

 正面に見えるのは三隻の重巡。その奥に空母が控えている。まずは側面から廻り込み、敵を撹乱する。重巡クラスの艦など見慣れているが、今日ばかりは戦艦並に大きく感じた。

「艦隊を二分せよ。三〇駆は、旗艦吹雪に続いて右三〇度回頭。一八駆は陽炎を先頭に左三〇度。敵側面にて雷撃開始」

 提督の命令を受け、吹雪が全艦に通達する。

 複縦陣が真ん中から左右に別れ、それぞれ単縦陣に移行。白峰を乗せた吹雪は、三十駆逐隊の四隻を率いて右にそれていく。運が良ければ、重巡の横腹に雷撃を見舞うことができる。

 だが、その瞬間を狙っていたかのように敵重巡三隻が大きく左に進路を変えた。空母の守りを捨て、吹雪との正面衝突ルートに入った。敵は、確実に右翼の吹雪隊から沈めるつもりらしい。

「だが、これはチャンスだ。今なら空母の守りが薄い。陽炎たちならやってくれるだろう」

 白峰は言った。チャンスといっても彼我の戦力差は圧倒的。いまだ勝てる見込みはなかった。それでも吹雪は瞳に希望を灯した。

「覚悟はできてます、司令官さん!」

 そう叫び、後続の艦隊に砲雷撃戦の用意を告げる。

 来るなら来い。白峰艦隊の意地を見せてやる。吹雪が歯を食いしばった時、深海棲艦はまたも不測の手をつかった。突然、正面の重巡艦隊から白煙があがる。さらに海面で炸裂した砲弾からも白い粉上の煙がもうもうと上がる。すさまじい量の煙が、たちまち敵を包み、潮風に吹かれて雪崩れのように迫ってくる。

「あれでは、敵もこちらを砲撃できないではないか」

 これには白峰もあっけに取られた。これだけ戦力差がありながら、なぜ防御用の煙幕など使うのか。それでも敵は砲撃を始めた。集中砲火は吹雪の後ろに集中する。さすがに被弾することはなかったが、砲弾の雨は艦列を大きく掻き乱した。

「煙幕、突入します!」

 吹雪が叫ぶ。このまま下手に迂回するよりは、煙幕にまぎれて後方に抜けるほうが安全だ。

 しかし、その判断が白峰と吹雪の運命を大きく変えた。偶然もあるにせよ、無敵にも思える軍隊の合理性を、深海棲艦の奇抜さが初めて上回った瞬間だった。

 煙幕に包まれたとたん通信がノイズに飲まれる。どうやら単なる煙ではなく、電波を妨害する機能もあるらしい。吹雪は孤立したまま、晴れる気配のない霧の中を突き進んだ。わずか数メートル先も見えない。粉雪のような白い靄は、海面に吹きつけられても水に囚われることなく宙に舞い上がる。明らかに人類製の煙幕とは材質が異なる。これでは探照灯をつけても無駄だった。それよりは敵に発見されないことが重要だ。

 長い十分が過ぎた。

 ろくに視界の効かない中、吹雪の右船体に、突如として凄まじい衝撃が走る。白峰は我が目を疑った。敵はこちらが見えているのか。艦首右側の装甲がザクロのように裂け、黒煙が上がっている。

「艦内浸水! 艦傾斜角一〇度!」

 息も絶え絶えに吹雪が叫ぶ。このままでは転覆する可能性もあった。白峰は隔壁操作で転覆を食い止めようと、急いで艦橋を飛びだす。さらに至近距離に水柱があがる。やはり敵は、狙って砲撃している。おまけに左右両方から着弾の飛沫があがる。電波を妨害する霧のなかにあって、なぜか敵同士はきちんと連携が取れていた。

「危ないです、わたしが行きます!」

 吹雪が走る。

「駄目だ。敵には、我々が見えているかもしれない。きみは回避行動に専念―――」

 そう言いかけた瞬間、今度は左から衝撃が炸裂した。白峰の身体は宙に浮き、左から右へ吹き飛ばされる。対空機銃にぶつかり、全身をしとどに打撲した。破れた皮膚と肉から熱い血潮が軍服を浸していく。

 鉄の軋む音。艦体の悲鳴が、吹雪の悲鳴となって甲板に轟く。

 速度が落ちていき、やがて完全に停止した。筋肉から内臓まで痛みに満ちた肉体を無理やり引き起こし、白峰は状況を確認する。

海には壁があった。黒く巨大な壁が左右から吹雪を挟みこんでいる。否、それは壁ではなく船体だった。敵重巡が両側から吹雪を囲いこんでいる。もう抵抗の余地はなかった。

「吹雪、意識はあるか」

 隣で横たわる吹雪に声をかける。しかし反応はなかった。どうやら機関が停止しているらしく、艦内は不気味に静まり返っている。

 薄れゆく視界のなか、白峰は壁に縋りつくようにして立ち上がる。視界は白い靄に包まれている。薄れゆく思考のなか、彼が最後に見たものは、正面に聳える巨大な敵艦。その姿には見覚えがあった。はるか頭上の甲板、そのへりに黒い影が佇んでいる。

 艦が傾いている。白峰は艦に縋りつく力も残っていなかった。血で濡れた身体が少しずつ甲板から滑り落ちる。傷だらけの吹雪が遠い。真っ赤な血糊を引きながら、ずるずると肉体が重力に引かれていく。

 落ちる時間は一瞬。彼は海に抱かれた。

 音も感触もない。寒いとすら思わなかった。五感の全てがひどく穏やかで、安寧のうちに溶けていく。ああ、これが死なのだ、と白峰は思った。海面の光も見えない、完全なる無。白峰はゆっくりと瞼を閉じていく。

 だが、そこに一筋の閃光が差しこむ。輝く二つの目玉。無へと沈みゆく白峰を掬いとめるかのように、ふたつの腕が背中に回る。触れた皮膚は冷たかった。

 人間のようにも見えるその影は、金色に輝く瞳で白峰を見つめていた。

 瞼を閉じる。深海の匂いがする。そんな気がした。

 

 

「何が起こっているの?」

 叢雲が呟く。白い煙幕が晴れたと思ったら砲撃は完全に途絶え、敵艦は彼方に離脱していた。奇跡だ、と幾田は思った。駆逐艦だけの艦隊で敵機動部隊を追い払うなど、あの方にしかできない。

 しかし、敵が去ってもなお白峰の駆逐隊は帰ってこない。まるで親を見失った雛鴨のように、脈絡もなく海を彷徨っている。

 遥か彼方の無線通信を、叢雲が捕まえた。睦月と陽炎の声だ。ひどいノイズが混じっていたが、二人の声は震えているのが分かった。

「こちら叢雲。状況を報告なさい!」

『提督が、吹雪ちゃんが……霰ちゃんが』答えたのは睦月だった。声と声の隙間に嗚咽が混じっている。『いない。いないんだよ!』

『落ち着きなさい睦月! 大丈夫よ、きっと大丈夫』

 陽炎が言った。しかし彼女も涙をこらえているのが明らかな、蚊細く不安定な声だった。ノイズに隠れるかのように、『ごめん、ごめんね、霰』と繰り返すのが聞こえる。

 叢雲が改めて状況を問い直そうとしたとき、すぐ傍で何かが崩れ落ちる音がした。叢雲はその光景を見て、怒ったように泣きだしそうに顔を歪める。

 幼い少女のごとく、幾田がへたりこんでいた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。