【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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いよいよ本格的な戦争が始まります。

舞台はウェーク島。アニメ艦これでは、W島攻略作戦として描かれていた島です。




中部太平洋に進出するための第一歩。それがウェーク島攻略だった。
艦娘の力を借りての、初めての作戦。軍人、艦娘ともども緊張した面持ちで夜の海を見つめていた。


第三話 深海に反撃す

 

 

 大陸への接触は不可能。激戦の生き証人たる熊少佐の言葉により、帝国政府は満州国との連携を断念した。深海棲艦と初めて砲火を交えてから四カ月、鹿児島南西の離島をのぞき、船舶は一隻たりとも本土に到達することはなかった。世界の海は深海棲艦に制圧された。帝国の上層部だけではなく、一般民衆に至るまで、皆がその事実を痛感した。主に資源不足からくる生活の苦しさによって。

 軍令部、参謀本部ともに、戦争研究の抜本的見直しを迫られた。相手がアメリカならば、少なくとも同じ人間である以上、対策を立てることができる。しかし、今回の敵は人間の理屈が通じない宇宙人のごとき敵である。南方に進出し、帝国が生き永らえるだけの資源を確保する。戦略はそのままに、戦い方すなわち戦術を手探りで模索していくほかなかった。艦娘という天恵を得たとはいえ、彼女たちを動かす石油のリミットは三年。入念な準備などできるはずもない。戦いながら学ぶしかない。あまりに危険な戦争を帝国は強いられていた。

 帝国の存亡を賭けた第一戦、それがウェーク島の攻略だった。深海棲艦が手薄であると思われる諸島群を攻略し、マリアナ諸島、トラック諸島、マーシャル諸島の三方面に進出、泊地を建設する。それを足がかりにして、ニューギニア島、フィリピンといった資源地帯へ侵攻する作戦だ。陸地の規模が大きいほど、深海棲艦の勢力も強まるだろう。資源地帯を勝ち取るためには、迅速に戦力の拠点を設ける必要がある。

 ウェーク島攻撃部隊は、人類艦と艦娘の混成部隊となった。

 

 梶岡定道少将率いる第六水雷戦隊

  旗艦 軽巡「夕張」

  第三〇駆逐隊 「睦月」「如月」「弥生」「望月」

 

 丸茂邦則少将率いる第一八戦隊

  軽巡「天龍」「龍田」

 

 以上が艦娘部隊である。残る駆逐隊、潜水隊、陸軍の上陸部隊を運ぶ輸送船は人類艦を運用することとなった。第三〇駆逐隊は、横須賀に着任した白峰晴瀬中佐の教育下にあった。彼女たち四人は、白峰中佐に絶対の信頼を置いていた。そこで異例の措置として、白峰中佐を睦月に乗船させ、駆逐隊の司令官とした。どのような手段を使っても初戦は勝たねばならない。軍令部の意気込みが伝わってくる。

 まだ一介の少佐である自分が、司令部付将校として相談役を命じられたのも、艦娘への期待の表れだ。今回の作戦人事を見て、渋谷は思った。本土を発つ前、白峰中佐と顔を合わせる機会があった。欧米人に引けをとらない長身痩躯、すっきりと高い鼻筋。鋭い知性を秘めた切れ長の眼。めぐまれた容姿を持ちながら、性格は堅実で女性には一途。兵学校時代から、ただの一度もナンバーワンの座を譲り渡したことのない、海軍始まって以来の俊英とされる男だ。同期よりも一階級上をいくエリートは、今日も真剣な顔でひとり波止場から海を見つめていた。何もない水平線を。

トップエリートは、変わり者としての評判も髄一だった。

「今回の作戦、きみはどう思う?」

 隣に立ち、渋谷は問うた。答えが出ない問題は、まずこの男の意見を聞く。熊や塚本、福井も同じ、兵学校からの慣習だった。

「おそらく成功するだろう」言葉みじかに白峰は答えた。「艦娘の成長は早い。十分に敵と渡り合える練度になった。少なくとも第三〇駆逐隊に対して、僕はそう評価している」

 ゆらぎのない口調。指揮官として、誰よりも信頼のおける男だった。

「きみが『おそらく』という言葉を選んだからには、わずかながら不安要素があるのだろう?」

 目ざとく渋谷が追究する。

「我々は深海棲艦を知らない。軍令部が想定していない不確定要素が戦場に噴出してくる可能性もある」

「例えば、どんな脅威があると思うんだ?」

「まず、深海棲艦は揚陸してこないのか」

 さらりと白峰は言った。この時点で渋谷は目から鱗が落ちた気分だった。

「確かに彼女らが陸にあがった、という話は聞かない。戦闘における前例がないからだ。しかしながら、彼女らが人類と同じく知的生命体ならば、経験から学ぶこともできる。もし今回の作戦、深海棲艦が陸から、例えば砲台などを用いて攻撃してきたら、どうなる?」

「安定した陸からの敵支援射撃は、わが軍の脅威となる」

 渋谷の脳裏に恐ろしい光景が浮かんだ。集中する砲火、魚雷や火薬に引火し、爆沈する駆逐艦たち。なにより、幼い少女の断末魔の悲鳴。

「偵察部隊によると、島に砲台らしきものはなかった。だが、彼女らの技術力をもってすれば欺騙は容易であろうし、短期間で砲台を建設してくる可能性もある」

 あくまで可能性だが、と白峰は念を押した。未知との戦いで、あまりに細かい可能性を示唆すれば兵に不安が生まれる。生じた不安は、思わぬ形で完璧だった作戦に穴を開ける。そのことを理解し、白峰は問われない限り黙っていたのだろう。

「他には?」

「深海棲艦の戦力配置だ」

 白峰の答えに、いぶかしげな表情を浮かべる渋谷。深海棲艦の習性として、守勢主義が挙げられる。海洋の封鎖を破ろうとする者には容赦なき反撃を加えるが、それ以外で積極的に人類を攻撃してくることはない。熊少佐が身をもって証明してくれた。

「巨大な陸地ほど、防御が厚いということだろう。それに何の疑問が?」

「違う。僕は深海棲艦の艦種が気になるのだ」

 淡々と白峰は話を進める。

「現在確認されている艦種は、駆逐、軽巡、重巡、戦艦。基本的に砲雷撃戦を主軸に据えた編成だ。しかし、これではあまりに単調すぎる。彼女らの勢力を想定するなら、少なくとも我が軍と同規模、すなわち空母、潜水艦、輸送艦の存在も考慮すべきだ」

「いずれ、それらも出てくるかもしれない、と」

「否定できる根拠はない。ならば心に留めておく必要がある。敵は海面のみならず、海中、空中、三次元の領域から有機的に戦力を連携させながら攻撃してくるだろう。現在の艦隊決戦主義のドクトリンでは、彼女らが知性を持てば必ず敗れる」

 的確に先を見据えた意見だった。軍令部の作戦の根本を、真っ向から否定している。こんなことを上に具申すれば、階級章の星を外されかねない。それをさらりと口にするあたり、彼が俊英であり変わり者たる所以だった。

 まるで底なしの油田のように、掘れば掘るほど知的産物が湧き出てくる。渋谷にとって白峰との会話は何より有意義な時間だった。

「わかった。肝に銘じておくよ。俺も艦娘を持つ日がくるかもしれない。提督の頭が固ければ、沈むのは彼女たちだからな」

 ここで、ふと渋谷に疑問が浮かんだ。そろそろ横須賀の統監部に戻らねばならない時間だったが、柔軟な思考を持つべき将校として、これだけは尋ねておかねばならぬ気がした。

「気になったんだが、なぜきみは、深海棲艦のことを『彼女』と呼ぶんだ?」

 渋谷は尋ねた。ここで初めて白峰は、海から隣の男へと視線を戻した。切れ長の眼を少し見開き、僅かながら驚きを露わにしている。

「考えたこともなかった。古くから艦船は女性に例えられてきたというのも理由のひとつ。何より艦娘が全員女性であることも大きい。ならば敵の艦も女性ではないか。何となく、そう思っていたらしい」

 論理的に自らの思いを明らかにしつつ、白峰は言った。

 渋谷は彼に別れを告げる。戦場で会おう。彼は黙って頷き、ふたたび海に視線を戻した。

 

 五日後、ウェーク島攻略部隊が横須賀を出港した。艦娘の艦体に軍人が搭乗して行われる、初めての海戦。その幕開けであった。

 

 

 艦隊は、想定外の接敵に見舞われることなく順調に航路を進んだ。

 午前零時。第六水雷戦隊は、ウェーク島を発見した。意外なことに敵艦隊の姿はなく、上陸するなら最大のチャンスと思われた。しかしながら島の沿岸部は波が荒く、東北東十五メートルの風とあいまって、波の高さは二メートルに達した。輸送船「金剛丸」から大発を下ろそうにも、その作業すら困難を極めた。しかも敵を警戒して無灯火での作業である。梶岡少将は作業中止を命じた。午前五時、夜明けとともに上陸する計画に変更した。空が白み始めるのと同時に、岬まで四〇〇〇メートルに接近する。まだ波は荒かったが、上陸の準備を進めた。

 そのとたん、突如として島が火を噴いた。旗艦・夕張の左舷付近に着弾し、巨大な水柱があがる。司令部は一挙に恐慌状態となった。まさか、島に取り残されていた米軍が生き残っていたのだろうか。しかし、それが間違いであることはすぐに明らかとなった。

 V字の形をしたウェーク島、その両翼にくっついている、ピール島とウィルクス島。砲火は正面のウィルクス島から噴きあがっていた。島の影から、どんどん露わになっていく敵の艦影。

 深海棲艦は島の背後に隠れ、夜が明けるのを待っていたのだ。

 駆逐四、軽巡二。敵は一列になりつつ、もっとも島に近づいていた駆逐艦・疾雨に集中砲火を浴びせた。艦橋と艦腹に命中弾。凄まじい爆音が上がると同時に、艦体は黒煙に包まれた。

 

 過度ニ近接セズ、速ヤカニ避退 避退方向二一〇度

 

 梶岡少将はすぐに命令した。まずは距離をとり、艦列を立て直してから反撃せねばならない。

「煙幕張ります!」

 顕体である夕張が叫ぶ。それに合わせ、第三〇駆逐隊、輸送船の二隻が煙幕を張る。輸送船の二隻は避退行動をとった。しかし、第三〇駆逐隊と天龍・龍田の支援艦隊は、もはや敵の砲弾から逃れることはできない。敵の動きはバラバラだったが、単縦陣に近い様相を呈している。

「このままじゃ丁字不利になっちまう。反航戦を挑もうぜ!」

 狼狽する司令部の面々に天龍が叫んだ。自身に乗り込んだ人間に惨めな敗走など許さない。彼女の瞳は戦闘への意欲で満ちていた。支援部隊指揮官・丸茂少将は天龍の意見を受け入れた。

「反航戦! 砲雷撃用意!」

『了解、天龍ちゃん。砲雷撃戦、用意』

 天龍が叫ぶ。後続する龍田が応えた。

『三十駆、了解! 砲雷撃戦用意!』

 艦娘だけが使える通信装置を通して、今度は睦月の声が響く。

 彼我の距離は六〇〇〇メートル。いつ、誰に、砲弾あるいは魚雷が命中してもおかしくない。

「龍田、いけるか?」

 彼女の艦体に乗り込んでいた渋谷が問う。龍田は頷く。少し顔色が悪かった。いつも彼女がまとっている不遜なほどの余裕が吹き飛んでいた。

「初陣ですもの、わたしだって緊張する。でも一番不安なのは自分じゃなくて、天龍ちゃんのこと。大丈夫よね?」

 縋るような眼をしていた。そこにいるのは恐ろしい軍艦の化身ではなく、家族を喪うことに怯える小さな少女だった。不意に渋谷は、目の前の少女を抱きしめたい衝動にかられた。龍田に乗り込んだ他の参謀たちは、情報収集と連絡に追われるか、遠巻きに彼女を見ているだけだった。神の御遣いと解釈された、生ける軍艦に畏れを抱いているようだった。

 ならばこそ、彼女の心を戦場で孤立させるわけにはいかない。

「もちろんだ。いざとなったら俺が泳いででも彼女を助け出す」

 無理に笑顔をつくる。動揺しているのは自分も同じだった。何の根拠もない気休め。だが、必死な彼の顔を見て龍田は相好を崩した。

「ありがとう。頑張るわ!」

『その意気だ!』突然、通信機から勇ましい声が響く。『俺は沈まねえ。戦い続けるんだ。龍田と一緒にな!』

 天龍の叫びと同時に、敵味方双方の艦が火を噴いた。

 

 敵の砲弾が、わずか四〇メートルの距離に降り注ぐなか、先陣を切る駆逐艦・睦月に乗船している白峰晴瀬中佐は冷静だった。すでに支援部隊の雷撃によって、敵軽巡一隻が大破炎上中。轟沈も時間の問題だ。それに対し、わが軍の被害は非艦娘船の駆逐艦が一隻大破炎上。一隻中破。輸送船が小破。旗艦・夕張も小破したが、航行に影響なし。避退行動をとり、安全圏に抜けつつある。

 これからの戦いは、艦娘が主体となる。そう白峰は確信していた。黒煙に包まれている駆逐艦・疾雨に乗船する三〇〇人からの将兵は助からないだろうが、とくに痛痒は感じなかった。人類製の艦が、敵駆逐艦を一隻でも沈めてくれたら御の字。その程度に考えていた。

「戦力は我が軍が優勢。被害を最小限に抑えつつ、右回頭。丁字有利にもちこみ、敵艦尾より集中砲火」

「了解しました!」

 次なる展望を伝えると、顕体の睦月はぴしりと敬礼で応える。彼女を旗艦とする第三十駆逐隊は、白峰に直接教育を受けた部隊だった。自らが『提督』と仰ぎ見る男への信頼は絶大であり、その練度は五つの鎮守府にまたがる駆逐隊の中でも頭ひとつ抜けている。白峰が先陣で指揮をとる今回の戦い、彼女らに不安はほとんど無かった。

『こちら如月。敵駆逐艦に魚雷命中』

 ゆったりとした、しかし喜びを隠しきれない声で如月が報告する。

 やはり練度は圧倒的に我が軍が上だ。双眼鏡に両目を押しあて、絶えず戦況を見はりながら白峰は思った。機動性で互角ならば、あとは練度の問題となる。これまで世界中の海軍が洗練してきた数々の戦術を教え、それに見合う動きを体得させる。それができれば、攻撃一辺倒、しかも現時点では連携らしき連携の取れない深海棲艦など相手にならない。

 初手こそ不意をつかれたが、この戦いは確実に勝利する。

 だが全ての可能性を網羅しようとする白峰の脳細胞は、ひとつ疑問に思うことがあった。駆逐四、軽巡二という敵の編成である。対潜水艦のハンターキラーかとも考えたが、まだ我が軍は本格的に潜水艦を運用していない。どの可能性を考えても、なんとも中途半端な編成だ。

 考えすぎだろうか。否、もしかしたら自分がこれまでに学んできた海戦戦術に当てはまらないだけで、未知なる意味があるのかもしれない。

 白峰は考える。無知であることが何より危険であることを知っていたからだ。しかし、教えられていないことを無から思いつくのは困難だ。ニュートンが発見するまで人類が「重力」の存在に気づかなかったように、当たり前のことであるほど「知ら」なければ自力で思いつくことはできない。

 無限に枝分かれする可能性の世界を目で追いながら、白峰はひとつの答えに辿りつく。

 念には念を。

「第三〇駆、総員傾注」通信機に向かい、命令を放つ。「対空戦闘準備。対空火器を、すぐ使用できるようにしておけ」

 この指示は、麾下の艦娘たちをわずかに混乱させた。敵は軽巡と駆逐艦である。なぜ対空戦闘の準備をするのか分からなかった。しかし行き届いた規律に加え、提督への信頼という強固すぎるニカワで繋がれた命令系統は、すぐに部下たちを動かした。

「もうすぐ戦闘海域を抜ける。回頭しつつ、空にも気を配ってくれ」

 自身も双眼鏡にかじりつき、白峰は言った。

 状況を確認する。天龍が小破したものの、ほぼ被害はない。敵は軽巡一が轟沈。駆逐一が大破。駆逐一が小破。このまま丁字戦に持ち込めば、楽に勝てる。白峰は丁字戦にうつる旨を後続の支援部隊に打電した。

 針穴に糸を通すかのごとく導きだした可能性が現実となったのは、その直後だった。

 深海棲艦は彼の予想通りに動いた。

「……敵機視認! 右二時方向! うそ、なんでこんなところに?」

 狼狽した睦月の声。白峰もすでに認識していた。ウィルクス島方面から、まごうことなき敵航空機が飛来している。その数、四。おそらく敵の先遣隊だ。形からして人類製と同じくレシプロタイプの艦載機だ。曙光に煌めく銀翼が、まっすぐこちらに死を運んでくる。

「島影に注意しろ。おそらく軽空母、ないし正規空母が隠れているはずだ」

 この事態を受けても白峰は冷静だった。貧弱ながら、麾下の駆逐艦たちには対空兵装の準備をさせてある。問題は、まだ見ぬ敵空母の動きだった。我が軍の力を推し量るために、あえて護衛の艦隊を前に出していたとするなら、攻撃してくる航空機がたった四機とは不自然だ。

 ここで白峰は視線を敵艦列にうつす。この一瞬で敵は動きをとめ、なんとそのまま後進してきている。まるで自分たちの本来の役目を思い出したかのように、空母がいるとおぼしき地点まで戻ろうとしていた。

 やはり、あの編成は空母を護衛するためのものだった。まるで連携の取れていない敵の動きに、すっかり騙されていた。

「敵空母、視認!」

 睦月が叫ぶ。再び島影を注視する。ついに隠れていた敵主力が姿を現した。全長二五〇メートルはあろうかという、正規空母クラスの深海棲艦だ。

「空母がいるのに平気で砲撃戦を挑んでくるなんて……」

 呆然と呟く睦月。それもそのはず、深海棲艦の行動は、海戦戦術の常識を完全に無視していた。

「慌てることはない。奇をてらう行動が威力を発揮するのは、最初の一撃だけだ。あとは脆弱な奇形らしく総崩れになる。必ず敵に穴はある」

 白峰は通信にて艦娘たちに告げる。航空機が攻めてくることは、今回の作戦では想定されていない。対空火器は貧弱だ。空母一隻が戦況を引っくり返してしまった。すでに支援部隊は恐慌状態に陥っていた。司令部は何も打開策を思いつかず、ひらすら意味のない電信を送ってくる。

 この状況こそ、一秒の躊躇いが一隻の船を殺す。白峰の決断は早かった。

「第三〇駆、複縦陣を取れ。敵艦列最後尾に突撃する」

 白峰の命令に、即座に反応する艦娘たち。後続の天龍、龍田にも複縦陣のしんがりを務めるよう打電する。前線にいる中佐の指示に、司令部のお偉方が従うかは分からない。しかし最悪、天龍と龍田を欠いても作戦を成功させるつもりでいた。

 艦隊は速やかに二列をつくる。そのまま最大船速にて敵のふところに突っ込んでいく。艦体は、艦娘たちの意識によって動いている。スピードに最大の意識を注げば、カタログスペック以上の速度を出せるが、そのぶん火器管制が疎かになる。艦の機能は皆、トレードオフの関係にあった。その艦娘独特の習性を肌で感じていた白峰は、速度を重視する選択をした。

 敵艦列の最後尾を抜けていく。

「敵機直上!」

 睦月が叫ぶ。ここが生と死の境目だ。

「回避行動! 左!」

 白峰の指示と同時に、一糸乱れず動く駆逐艦たち。後続する天龍、龍田も遅れることはなかった。睦月の右舷すれすれに傷痍爆弾が着弾し、凄まじい水飛沫をあげる。空という無敵の領域から、一方的に死を落下させる航空機。その直後、睦月に後続していた如月の悲鳴が轟く。艦首から炎が噴き上がっている。

『如月、被弾しました。船速低下。艦列を離れます!』

 苦しそうな声とは裏腹に、落ち着いた判断だった。後続の邪魔にならないよう、大きく左に逸れて落伍していく如月。幸い、敵機の第一陣は攻撃を終えて飛び去っていった。

 もし敵の第二陣が来れば、速度の低下した如月は格好の的になる。そうなれば轟沈は免れない。

 喪う前に決着をつける。

『敵の砲撃は、俺らがひきつける。行ってくれ!』

 天龍から通信が入る。睦月は、ただ一言了解と返した。覚悟に燃える瞳は、ただ前だけを見ていた。決して後ろを振り向くことはなかった。

直後、天龍の苦悶に満ちた声がノイズ混じりに響いた。敵の弾を受けたようだ。僚艦の龍田の騒ぐ声も聞こえる。小破といったところか。ならば問題はない。白峰は全てのノイズを無視する。

 敵空母との距離を詰めていく。双眼鏡越しだが飛行甲板の上が視認できるまでに近づいた。

「敵艦顕体、発見!」

 睦月が指で直接指し示す。

それは意外にもヒトの姿をしていた。飛行甲板の先端、艦の支配者であるかのごとく、異形の者が不遜に屹立している。すらりとした身体を白と黒のスーツで覆っている。露出した肌は死人のように青白い。この世のものとは思えない、細く美しい銀髪。頭部に張り付いている、帽子のような物体。

戦場を忘れ、その一時、白峰は彼女に魅入っていた。まるで彼の視線に気づいたかのように、黄金色に輝く双眸が、双眼鏡越しに白峰を射抜いた。美しい貌だ。彼女が人類を滅ぼそうとする深海棲艦であるなど信じられなかった。

 逡巡したのは、ほんの一瞬。すぐに白峰の思考は軍人のそれに戻る。美しい顕体の向こう側、飛行甲板の状況を確認する。やはり幾つもの航空機が待機している。今にもこちらに向かって飛んできそうだ。しかし、第一陣が帰還しても、発艦する気配がない。プロペラは回っているが、空母自体の進行方向がぶれており、速度も安定しない。

「見つけたぞ、穴を」

 わずか鼠の穴ひとつ。たったそれだけで巨大なダムが決壊する。戦争も同じだ。伝令ミス、作戦の誤認、たった一発の誤射。それだけで勝者と敗者が逆転する。

「敵艦との距離、三〇〇〇!」

 限界まで接近する。敵空母は、申し訳程度に備えられた対艦砲で反撃を試みている。だが、そう簡単に当たるはずもない。

「右回頭、単縦陣!」

 白峰の指示が飛ぶ。高い練度の艦娘たちは、見事に複縦陣から単縦陣へと移行する。

 もはや、結果を見るまでもない。

「砲雷撃、始め!」

 裂帛の一声とともに、駆逐艦たちがありたっけの火力を敵にぶつける。白峰は、ただ飛行甲板を見つめていた。砲弾の直撃を受け、待機していた艦載機が吹き飛ぶ。爆発する機体も抉れる飛行甲板も無視し、彼はひたすら顕体を凝視し続けた。吹き飛んだ翼が頭部に直撃し、帽子状の異物がもぎ取られる。しかし彼女はわずかによろめいただけで、その両足はしっかりと甲板を踏みしめている。

 彫刻のようだった無表情な貌が、少しずつ苦痛に歪む。

 終わりだ。白峰は呟く。そのとき偶然か否か、ふたたび彼女がこちらを見た。双眼鏡越しに射抜かれる。空母の化身が、黄金の瞳を全開にする。ほんの数秒、しかし白峰には時が止まって思えた。やはり何の感情も読みとれない。しかし、なぜか白峰は無意識のうちに双眼鏡から目をそらしていた。ふたたびレンズを覗きこんだとき、すでに彼女の姿はなく、甲板から吹きあがる黒煙が、この戦いの結末を物語っていた。

「敵空母、離脱していきます」

 目を見張りながら睦月が言った。四十ノットはあろうかという速度で空母が逃げ去っていく。あの速度に加え、波の荒い海域だ。駆逐艦では追いつけない。それに、あれだけ砲弾と魚雷を受けても機関は健在。よほど頑丈な艦体なのだろう。白峰は追撃を断念した。

 これまで会敵すれば攻めるばかりだった深海棲艦が、戦術的撤退を選んだ。周りを見れば、生き残った敵艦は空母を追うように撤退していく。深海棲艦の新たな一面を見た気がした。

「提督、教えてください」

 気づけば、隣に睦月がいた。先ほど如月から無事であるとの通信が入り、表情から強張りが抜けていた。

「どうして、敵機の第二陣攻撃が無いと分かったんですか?」

「敵は、明らかに艦隊の運営に疎いところがあった。陣形らしきものは構築していたが、配置はバラバラ、速度や回頭のタイミングも一定ではない。そういった戦闘の素人が、複雑極まる艦載機の運用など出来るはずがない。そう判断した」

 白峰は簡潔に説明する。深海棲艦が人類製のものと、駆動原理を同じくする機体をつかっているのなら、それを運用する手間暇も人類と等しくかかる。軍艦と同じで、艦載機もエンジンを入れたらすぐに使用できるわけではない。必ず暖気が必要となる。それに加え、艦戦、艦攻、艦爆など、艦種によって離陸に必要な滑走距離も異なる。それを考慮して、せまい飛行甲板の上に、それぞれの艦種が正しい滑走距離を取れるよう、飛行機を整然と並べるのだ。しかも発艦にも、艦載機と空母の密接な連携が不可欠だ。通常の飛行場と比べて空母の甲板は極めて短い。ゆえに、発艦には自然の向かい風と、その風に向かって進んでいく空母の速度との合成風力が必要となる。風の力を借りるからこそ、飛行場よりも遥かに短い飛距離で艦載機は発艦できるのである。風を読み、適切な速度を出しつつ、艦の揺れも意識しつつ正しい方向に空母を進める。風は常に変化するので、その都度空母も適切な動きをせねばならない。それと同時に、艦載機の暖気、ベストタイミングでの離陸を行う。深海棲艦も、艦の運用を顕体が行っているとすれば、訓練を受けていない彼女がそれら全てを迅速にやり遂げるのは、まず不可能である。

 あの正規空母は複雑な風を掴みきれなかった。だから第二次攻撃の発艦が遅れた。それが勝敗の決め手となった。

 睦月は尊敬の面持ちで白峰を見つめていた。

「ともあれ、我々は勝った。皆、胸を張れ」

 提督の言葉で、艦娘たちは喜びの声をあげる。

 

龍田艦内では、白峰の戦いを見守っていた渋谷が安堵の息を吐いた。

「ありがとう。渋谷少佐」

 その手を龍田が握る。天龍が被弾したとき、恐慌に陥りかけた彼女を激励したのも渋谷だった。温かい手だ。海の上で、光と空気のなかで生きる者の手だ。渋谷は思った。

 

 ウェーク島攻略。人類はじめての深海棲艦への反攻作戦は、成功という形で幕を閉じた。

 


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