【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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シブヤン海海戦にて、壊滅寸前だった米軍をからくも救いだした第二艦隊。なぜ彼らはフィリピンに囚われていたのか。なぜ敵は、艦娘を持たない米軍を執拗に攻撃していたのか。
その理由は、深海棲艦の重大な秘密とともに、あの男の口から語られる。
なぜ深海棲艦は世界に出現したのか。その本拠地はどこなのか。彼のもたらす情報は、戦争の流れを大きく変える。


第二十一話 マッカーサーの証言

 

 一九四四年一一月。

 帝都東京は、騒乱の最中にあった。まだ日本本土は、敵の陸生戦力による侵略を受けていない。よって民衆は敵の恐ろしさを実感したことがない。彼らに鬱屈するのは不満ばかりだった。大きすぎる不満は暴力となって爆発し、全国に吹き荒れる。東京でも、頻繁に焼き打ち事件やデモが起こっていた。彼らの主張は、ほとんどが「食糧と燃料を寄こせ」だった。大洋分断によって期待していた資源はいっこうに本土に届かない。民需用の油の配給など、もはや目も当てられない。さらにシベリアから押し寄せる厳しい寒波が、余計に燃料の乏しさを際立たせる。彼らの攻撃の矛先は、しだいに軍隊へと向かっていった。莫大な燃料を消費し、本土からなけなしの食糧物品を奪ったわりに戦局は悪化し、国民は窮乏に耐えることを強いられている。

 軍令部の一室にて、海軍陸戦隊の青年将校たちが集結していた。幾田サヲトメをオブザーバーに招き、本土に取り残された軍はどう動くべきかを議論している。要するに彼らもやることがないのだ。海洋に出ることができず、悪化する戦況により、ますます存在意義が危うくなっているのは陸軍と同じだった。彼らは、あくまで徹底抗戦を主張する。国のためという建前で、自らの勢力拡大を目指す派閥主義は、先の二・二六クーデターから何も変わっていない。

 将校たちの『改革案』に耳を傾ける振りをしながら、幾田サヲトメは永田町に渦巻く不平不満の喧騒を懸念していた。圧倒的な数を前に、警察も軍隊も彼らを抑えきれない。かといって武力に打って出れば、怒り狂った民衆が本当に反乱を起こしかねない。この事態を受け、東条内閣は退陣の瀬戸際まで追い込まれていた。明治の元勲が消滅して以来、帝国主義という国際的な潮流をかさにきて権力をふるってきた軍は、少しずつ弱体化の道を歩み始めている。

 どれほど軍や官僚機構が強固であろうと、国民の大半が言うことを聞かなければ、国家としての機能を喪う。デモ隊の叫び声は、瓦解していく大日本帝国を象徴している。

 陸軍の主戦派とも協調すべしという結論を得て、会議は終わった。

「あれ、放っておいていいの?」

 叢雲が尋ねる。艤装のヘッドパーツを外し、いつもの戦闘服ではなく婦人用の白い外套を着ていた。

「大丈夫でしょう。どうせ彼らは、わたしが予想している以上の行動は起こさない」

 そうじゃなくて、と叢雲はかぶりを振る。

「デモのことよ。このまま加熱するに任せたら、最悪、帝国海軍なんて無くなっちゃうかもしれないのよ?」

「民衆に叫ぶ元気があるならば、この国はまだ再生する可能性がある。軍なんてものは、その後にいくらでも煮るなり焼くなりすればいい。でも、もし本当に心の底から外敵に支配されたとき、ヒトは言葉を忘れる。残るのは意味をなさない獣の慟哭と、純粋な暴力だけよ」

 そう言って彼女は私服に着替えたあと、叢雲を連れて軍令部を後にする。帝国海軍の根城として、長きに渡り軍事政策を司ってきた機関は、異様な緊張感に包まれていた。廊下ですれ違う人々には、疑心暗鬼がつきまとう。政府の中枢には、嵐の前の静けさが満ちている。幾田は効率的な輸送船団の構成および、補給のダイアグラムを作成するため参謀将校として作戦一課に勤めていたが、大洋分断後には、単なる机上の空論に成り下がってしまった。幾田は軍令部の外に出て、艦娘運用および海戦の第一人者として各地で講演会を開き、財界、政界への強いパイプを築いた。華族出身という、あまり快く思っていなかった自らの経歴さえ最大限に利用した。結果、彼女は様々な派閥に顔をきかせている。とくに陸、海軍の若い将校は、彼女に敬礼するか否かで派閥が分かる。

 例え国民に窮乏を強いても、帝国が世界の覇権を握るため戦い続けるべきだという誇り高き急進派。それに反発する、深海棲艦とも対話を試みるべきだという講和派。そして、どちらにも与せず、できる限り戦いを継続しようとする穏健な推進派だ。若手を中心に、軍人の半数以上が急進派、あるいは穏健な推進派に属している。幾田は、その中でも特に血気盛んな陸軍将校たちのグループの旗印となっていた。主戦場を持てず、鬱屈としていた陸軍に歩み寄り、彼らの訴えを代弁した。彼女はいつしか、戦争継続を唱える軍人たちの象徴と化していた。

 そのような状況を自ら作り出したにも関わらず、幾田は醒めた目で彼らを見ていた。本土の陸の上で、いくら騒ごうと本質的には無意味だ。どうせ本土に残っている艦娘の力だけでは突破できない強固な壁が、本土とマリアナ間に聳え立っているからだ。

 帝都の街をふたりが並んで歩くと、どこぞの貴夫人と令嬢にしか見えない。ただ、ひとつ異質なのは、娘の左手薬指に銀の指輪が光っていることだった。

 ふたりが向かった先は、かつて本土を急襲した空母ヲ級によって破壊された、旧横須賀軍港だった。鎮守府を含む主要な建物は内陸に移されており、改良された港湾施設は、十キロほど西に置かれている。旧港は民間に払い下げられる予定だったが、海が封鎖されて燃料も枯渇した状況では漁船を出すことも容易ではなく、周囲に船舶はおろか、人間ひとり見当たらない。荒れるにまかされているこの土地は、現政体に対し、よからぬことを企てる連中にとっては、格好の隠れ蓑となっていた。今は空っぽになった資材用の倉庫に入る。がらんとした鉄くさい空間で、ひとりの少女が幾田を待っていた。公には生存が伏せられている駆逐艦、吹雪。しかし今は、意識の半分を深海棲艦に乗っ取られている。

『御足労、ありがとうございます』

 顔の左側だけが、無表情に言った。右半分の吹雪は、何かに耐えるように眉をひそめている。普段、彼女は理性派の軍人が借り上げたアパートの一室で暮らしており、吹雪型の姉妹が交代で監視にあたっていた。密談の必要があるときだけ、こうして廃港まで出てくる。

「要件は何ですか?」

『吹雪と、彼女の艦体を借り受けます。任務のために必要ですので』

 アウルムは言った。吹雪の使用目的や任務の内容など、余計な情報は一切口にせず、ただ決定だけを伝える。

『つきましては、あなたとの連絡役を叢雲に引き継ぎ願いたいと思います』

 この言葉を聞き、一瞬、表情がこわばる叢雲。彼女の嫌悪感を読んだのか、アウルムは安心させるように補足する。

『あなたの思考機能を侵蝕するものではありません。艤装の一部に、わたしとの連絡回路を埋め込むだけです。わたしの言葉をあなたに伝え、あなたが聞いた音をわたしに伝えるだけの機能です』

 アウルムは言った。彼女の言葉が真実かどうか疑わしかったが、とりあえず今は応じるしかなかった。叢雲はヘッドパーツを装着し、吹雪の目前まで歩み寄る。虚ろな目をした吹雪の半身が、そっと艤装に右手を当てる。ぴりぴりと電気が流れるような感覚が艤装を走る。叢雲は、索敵用のレーダーに新たな機能が追加されていることを自覚する。吹雪は十秒ほどで手を離した。

『完了です。それでは、吹雪を相模湾の島まで送り届けてください。失礼します』

 そう言い残し、吹雪からアウルムの気配が消えた。肉体のコントロールを取り戻した吹雪は、疲れきって地面にうずくまる。

「ごめん、叢雲ちゃん……」

 荒い息をつきながら辛そうに吹雪は言った。幾田は叢雲の艤装に目を遣る。耳のようなヘッドパーツは、仄かに青い色を放っている。どうやらアウルムはいないらしい。

「大丈夫よ。探ってみたけど、これは本当にただの簡易通信機。わたしの思考をいじったり、記憶を覗いたりすることはできない。ただ、むりやりレーダー出力を最大にされたり、その照射範囲を絞られたりするのは癪だけど」

 幾田と吹雪、ふたりに説明する叢雲。

「今は、敵はいないんだね」

 吹雪の問いに、叢雲は頷く。

「ならお願いがあるんだ。はっきりとは分からないけど、敵は焦ってる。何か想定外のことがあったんだと思う。きっと、わたしは戦場に駆り出される。だから、お願い―――」

 悲愴な覚悟を秘めた、震える声で吹雪は言った。その提案に叢雲は難色を示したが、幾田は彼女の気持ちを汲むことにした。

「大丈夫、念のためだから。わたしだって、敵の奴隷にされたまま死にたくないからね」

 隅の浮いた目を細めて吹雪は言った。叢雲は、ぐっと唇を噛んで吹雪を抱き起こす。敵の傀儡にされ、味方からも腫物にさわるように扱われる自分の姉が不憫でならなかった。

「急ごう。いつ敵が現れるか分からない。準備を進めましょう」

 幾田は、ふたりを連れて倉庫を出る。艦娘たちは悲愴な空気に浸っているが、内心は期待感が高まっていた。はるか南の海で何かが起こった。これまで、全て想定通りの事を進めてきた深海棲艦が慌てて新たなアクションを起こすような、何かが。本土から送り出した二人の提督の顔が浮かぶ。彼らならば、この戦争を、艦娘の運命を、正しい方向に導いてくれるだろう。

 なればこそ、自分の戦場は海ではなく、この本土にある。幾田は決意を新たにする。

 

 

 

 一九四四年十一月二十三日。

 フィリピン米軍を救助したのち、第二艦隊および第三艦隊は、マッカーサーの協力により、南フィリピンのミンダナオ島基地に拠点を移した。ミンダナオ島には海洋封鎖以来、少数ながら米軍が駐留しており、内陸施設は無事に維持されていたが、ルソン島は深海棲艦の陸上戦力に蚕食されており、放棄せざるをえなかった。とりあえず艦娘たちは、戦闘継続できる艦を集め、あらかじめマニラの飛行場などの施設を艦砲射撃により破壊した。これで深海棲艦も、当分の間は他の島に陸上戦力を移すことはできないはずだ。

 先の戦いの勝利は、艦娘たちが起こした奇跡と言えた。とくにスリガオ海峡・レイテ湾の海戦では、圧倒的な戦力劣勢を覆し、一隻たりとも轟沈を出さずに勝利した。しかし犠牲を出さなかったのかと言えばそうではなく、朝雲、龍鳳、最上は轟沈寸前まで大破し、その他にも扶桑、山城、羽黒、那智が大破、その他の艦も多かれ少なかれ損害を受け、無傷で戦闘を終えた艦はいない。もはや次を戦える状態ではなかった。そしてシブヤン海海戦に臨んだ部隊は、米軍救助を行った沖波、岸波、秋雲が轟沈、さらに雷が機関を損傷し、大破した。そのほかにも翔鶴、飛鷹、熊野が大破。長門、武蔵を含め、多くの艦が被害を受けた。

 なにより艦娘部隊に衝撃を与えたのは、潜水艦部隊の壊滅だった。指揮官の福井靖少佐以下、伊号潜水艦五隻は行方不明のち、正式に戦死扱いとなった。潜水艦部隊の勇気ある奇襲がなければ、間違いなく第二、第四遊撃部隊は全滅していただろう。彼女たちの死に、艦娘は涙し、スリガオ海峡にて水葬の弔砲を放った。

 生き残った艦娘は、ミンダナオ島に備蓄されていた資源で互いを修理した。ミンダナオ港を母港とし、比較的被害が少なかった第一七駆逐隊により哨戒が為され、停泊艦は万が一の空襲に備えて対空兵器を空に向けていた。クーデターの震源となった第二艦隊旗艦の武蔵が艦娘たちを統率し、乗艦していた軍人たちを港近くの仮設宿舎に押し込め、常に停泊艦の監視下に置いた。第二、第三艦隊の艦娘たちは全員がクーデターの主旨に納得していた。彼女たちは、熊勇次郎少佐をただ一人の提督と仰ぎ、以後は彼の指揮下に入ることを誓約した。

 艦娘たちによる現場自治が進む中、熊は比米軍との交渉に掛かりきりになっていた。米軍は当初、艦娘の存在を受け入れることができず、さらに深海棲艦を駆逐するという彼女たちの理念にも疑念を抱いていた。聞くところによれば、帝国海軍がハワイ奇襲に出撃した以前から、アメリカとイギリスは戦争勝利後の世界秩序について話し合っていたという。もともと敵対する予定だった大日本帝国に所属していることが、余計に彼らの疑念に拍車をかけた。救助された手前、表面上は艦娘艦隊の再生に協力してくれている形となっているが、彼らは、あらゆる可能性を考慮して艦娘を警戒していた。

 戦闘から約一カ月たち、熊の粘り強い働きかけもあり、ようやくフィリピン米軍のトップとの直接会談を取りつけることができた。艦娘、軍人の誰よりも英語に堪能な熊が艦隊の代表となり、長門と島風が補佐についた。長門はトラックに停泊中、英語をある程度習得していた。武蔵も英語を解するが、現場指揮と米兵との連絡役のため港に残らねばならず、長門が代理として出向くことになった。島風は幾田から手ほどきを受けていて、英会話には自信があるらしい。幾田が島風の教育を請け負ったのは、この事態を見越していたからではないか、と熊は思った。

 会談の前日、熊は港にて修理中の雷を見舞っていた。普段は艦娘のメンタルケアのため、各艦内に順番に宿泊すること多かった。しかし今回は、ある艦娘から直接、呼出しを受けた。

「こうでもしないと、絶対に二人きりにはなれないからね。提督、いつも誰かと一緒にいるし、忙しそうだし」

 熊を艦橋の一室に招き、島風は言った。駆逐艦にしては大柄な少女。彼女だけは戦闘の前後で、まったく雰囲気の変化がない。彼女と共に戦った磯風は、『何かが欠落している』と評していた。

「僕に何の要件かな?」

 単刀直入に熊は問うた。島風は、話が早くて助かる、と悪戯っぽく笑う。しかしその直後、彼女は表情を一変させる。おそらく誰も見たことのない、真剣な目をしていた。

「レイテ湾海戦において、第四遊撃部隊を潜水艦部隊が離れる際、福井靖少佐から熊提督に宛てたメッセージを預かりました」

 駆逐艦とは思えない、大人びた口調で島風は切りだす。この瞬間、熊は心のどこかで相手を侮っていたことを知り、心を糺す。奇抜な服装とひょうきんな態度に騙されていたようだ。彼女は、幾田の愛弟子の一人。表と裏の使い分けなど造作もないだろう。油断はならない。

「教えてくれ」

 高い知性の垣間見える少女の澄んだ瞳をまっすぐ見つめ、熊は言った。

 島風は伊8から伝えられた福井の意志を、正確に熊へと引き渡す。それを聞き、熊は自然と頬が緩んでしまった。

「まったく、実にあいつらしい」

 半ば呆れたように熊は言った。その情報を知ったところで、この後の作戦展開にどのような影響を及ぼすのか、まったく見当がつかない。全ては、これから行われるフィリピン米軍との対話により、どこまで深い情報を相手から引き出せるかにかかっている。幾田の手記が真実ならば、彼らは、この戦争の根本的な部分に関わっている可能性がある。

「これで、わたしのお遣いは終了です。その情報は、煮るなり焼くなり好きにしてください」

 島風は、いつもの口調に戻っていた。

「なぜきみは、このタイミングで情報を暴露した? 僕に伝えるチャンスなら、いつでもあったはずだ」

 疑問に思っていたことを尋ねる熊。

「米軍との交渉の席が成立するまでは、戦いに傷ついた艦娘のケアを優先してほしい。それが提督たるものの務めだ、と福井少佐は考えていたみたい」

 にやりと笑いながら島風は言った。福井の言葉を借りてはいるが、実際に暴露するタイミングを決めたのは島風だ。艦隊の修復と、クーデター直後の内部統治に熊を集中させるため、あえて彼女は情報を秘匿していた。もし、この情報を託されたのが自分の部下ならば、ここまで冷静で狡猾な判断ができただろうか、と熊は考える。響や朝潮など、担当する艦娘は実直であり器量も良いが、泥臭い政治的駆け引きには向いていない。艦娘は皆、頭も良いし腕っ節も強いが、中身は純朴な少女そのものだ。

「わたしも、幾田中佐から、この戦争と米軍の関係は聞いている。長門さんにも、わたしからさりげなく話しておくよ。もっとも、あの人は、どちらかと言うと提督のボディーガードみたいなものだから、あまり口出ししてこないとは思うけど」

 島風は言った。味方にすれば、これほど頼りがいのある艦娘はいない。

「明日はよろしく頼む」

「こちらこそ。連中から、絞れるだけ絞りとってやりましょうよ」

 ふたりは声を上げて笑った。

 

 翌日。

 長門と島風を引き連れ、熊は森林地帯の奥にある米軍の基地に向かった。建物全体が緑に溶け込むよう迷彩色に塗られており、これならば空爆の心配も少ない。入口で米兵に武器のチェックを受け、入場を許可される。艦娘のふたりは、あらかじめ艤装を外しており、服装も無難な陸上軍装に着替えていた。米兵に付き添われて長い廊下を渡り、その先の一室に通される。長門は応接室まわりに配置された人員を細かくチェックしていた。入口に護衛の兵士が二名。小銃で武装している。基地内には少なくとも五〇名からの兵士が待機している。ふたりして暴れても、提督を無事に逃がすことは難しい。提督に万が一のことがあった場合に備え、武蔵には事後の行動を指示してあった。

 兵士のひとりが応接室の扉を開ける。思わず身構える長門だが、意外な光景に目を丸くした。部屋の中には、一人しかいない。誰ひとりとして護衛をつけず、日本の軍人を招き入れた。熊や長門と並び立つほどの長身痩躯の男が、三人の前に立つ。

 フィリピン米軍最高司令官、ダグラス・マッカーサー大将。彼は笑顔で熊と握手を交わす。彼と対面する形で、三人はテーブルについた。何とも潔い男だ、と長門は思った。コーヒーが運ばれてくる間、マッカーサーは改めて救出作戦の礼を述べる。そして兵士が出ていく頃合いを見計らって、熊が切りだした。

「海洋を封鎖する未知の外敵と戦ってきた過程で、我々が得た情報をお知らせします」

 敵の性質、艦娘の存在について、分かっている限りのことをマッカーサーに伝える。彼は熱心に長門と島風に対して質問をぶつけた。事前の打ち合わせ通り、開示してよい情報だけを男に提供する。

「きみたちが深海棲艦と呼ぶ外敵からの呼びかけは、我々の元にも届いていた。しかし、敵の要求通り武器を捨て、戦いの意志を放棄することはできなかった。なぜなら、我々は攻撃されていたからだ。それも、敵から一方的に。このような状態で武装解除などできるはずがない。戦い続けるしかなかった」

 マッカーサーは言った。鋭い視線は、ときおり艦娘を注意深く観察していた。

「私が気になるのは、そこなのです」

 熊は少しずつ核心に近づいていく。

「深海棲艦は、通常は陸地を攻撃目標としません。陸上戦力を動かすときは、飛行場などを建設するための陣地獲得が目的です。ゆえに、今回、貴軍を数年に渡り執拗に狙い続けた理由が分かりません。失礼ながら、貴軍は艦娘を有していない。深海棲艦にとって、脅威となりうる戦力ではなかったはずだ」

「それについては、確証がない。初めて攻撃を受けたのは、ソロモン諸島からオーストラリアに巡航する予定だった太平洋艦隊だ。敵は東から押し寄せ、艦隊は米領フィリピンまで逃げるしかなかった」

 男は答える。その瞳に、僅かながら猜疑の光が揺れているのを熊は見逃さなかった。博打に出るなら、ここしかない。

「我が大日本帝国は、もはや中部太平洋諸島および中国に何の野心も持っていません」

 朗々とした声で熊は言った。一介の佐官が国家意志を代弁するという、世紀の出まかせだった。

「我が国は、今回の戦いを経て自らの過ちに気づいたのです。世界を敵に回し、一時的に領土を得たとしても人心は掌握できず、新たな争いの火種を生みます。再び国際社会と歩み寄り、機能不全に陥った国際連盟に代わり、新たな国際的統治機関の設立を目指す所存です。日独伊同盟は破棄され、満州国および朝鮮半島も返還されるでしょう。新たな国際秩序をつくるためには、大国であるアメリカ合衆国の協力が不可欠です。そして、我々人類の世界を取り戻すには、共通の敵である深海棲艦を完全に駆逐しなければならない。しかし人類は圧倒的に劣勢です。艦娘を保有する我々でさえ、敵の物量を前に、じりじりと押し潰されているのが現状です。どうか、我々に協力してもらいたい。人類の敵を倒し、その先の未来に自分たちの手で平和と自由を勝ち取るため、どんな些細なことでも構いません、情報の提供をお願いします」

 日本の代表として熊は言った。

「敵撃滅後、日本が強力な艦娘を独占することについて懸念しておられるなら、その心配はありません」

 島風が補足する。

「わたしたちは深海棲艦と同じく、この世界の異物です。役目を終えれば、本来いるべき場所に還ることになります。終戦後、日本は艦娘を喪いますし、今の我々も、日本の国益のために戦うつもりはありません。深海棲艦を倒すことこそ、我らの悲願です」

 ふたりの言葉を聞き、マッカーサーはしばらく沈黙していた。おそらく二人の言葉は嘘ではない。現に、艦娘を私物化しようとする軍中枢に反発して前線では反乱が起きている。戦わずして日本を帝国主義的競争から引退させ、アメリカ主導の世界平和の礎にできるのなら、それに越したことはない。何より、今は敵の殲滅が最優先だ。艦娘がいたところで、人類の劣勢は変わらない。ならば今は、巨大な敵に対し、この小さく儚い少女たちに世界の運命を委ねるより仕方ない。

「順を追って話そう。我ら米軍が、いかにして深海棲艦と呼ばれる外敵と関係を持ったのか、そして現在に至るまでの経緯を」

 マッカーサーは言った。

「一九四一年、十一月のことだ。太平洋艦隊第七艦隊は、フィジー諸島から、さらに東の海域に向かっていた。目的地は、クック諸島の外れに浮かぶ、ある島だった。外周わずか三〇キロの小さな孤島だ。そこに米海軍屈指の部隊、さらに陸軍の上層部と、著名な科学者や物理学者が勢ぞろいしていた。この島は名目上、ニュージーランドの自治領となっていたが、戦略的価値が薄く、まったく整備がされていない。そこに目を付け、合衆国政府はニュージーランド政府と交渉し、その辺鄙な島を五百万ドルで買収した。合衆国が、この島を何のために使おうとしているのか、あなたなら見当がつくだろう?」

 マッカーサーが尋ねる。熊は表情を崩さぬよう、努めて冷静に答えを導く。

「……何らかの化学兵器実験でしょうか?」

「その通りだ。昨今定義されている化学兵器とは少し違うが、兵器の実験であることに変わりはない。その島は他の諸島群から孤立しており、面積も広すぎず狭すぎず、絶好の実験場所だった」

 アメリカ本土は広い。にも関わらず、そこで実験が行えなかったことを考慮するに、よほど汚染性が高い兵器なのだろう。あるいは実験の予測がつかない不安定な兵器か。いずれにせよ、そんなものを遥か別の土地で使用するなど道義的に許されることではない。長門は露骨に顔をしかめていた。

「十一月二十日、正午。実験は開始された。艦隊は島の外周、約二十五キロの地点にて囲うように待機した。空母から実験兵器を積んだ飛行機が飛び立ち、まず高度一五〇メートルでの使用を想定して島へと向かった。しかし、ここでアクシデントが起きた。観測を行っていた艦の乗組員が、島の外縁に人間を発見したのだ。これは言い訳にしかならないが、島の原住民に対する避難命令は軍ではなく対外情報庁が行っていた。島の部族とされる人間に十分な補償を与えて立ち退きを完了したというのが彼らの最終報告だった。しかし、彼らは見逃していたのだ。後の調査で明らかになったことだが、この島には、もうひとつ部族がいた。少数派ゆえに他の部族にも顧みられなかった、自給自足を営む人々だ。しかし実験当時、軍司令部は別の少数民族について認知していなかった。避難命令に従わなかったとして、実験は続行された」

 これはアメリカの恥だ。マッカーサーは言った。

「機体から投下された新型爆弾は、予定どおり高度一五〇メートルで爆発した。しかし、その後の展開は完全に予測を覆していた。突如、雷鳴とも爆発音ともつかない音が風とともに海域を吹き荒んだ。焼け焦げた島から黒い雲が立ち上り、あっという間に太陽を覆い隠して空を黒く染めた。科学者たちは、このような事態に至った理由を誰ひとり解明できないまま、時間だけが過ぎていく。島を覆う黒い霧と雲は晴れず、第二実験は中止された。米艦隊が撤退しようとした瞬間、我々は攻撃を受けた。焼き尽くしたはずの、島の方向から。艦隊はパニック状態だった。哨戒は完璧、周囲に敵対勢力は影も形もないはずだった。しかし、黒い霧の中から幾つもの艦影が出現した。あとは地獄絵図だ。謎の敵艦隊にまったく歯が立たず、一隻、また一隻と沈められた。第七艦隊は、辛うじて轟沈をまぬかれた艦を集めてフィリピンまで撤退した。とにかく実験結果と爆弾のデータを本土に引き渡さねばならない。しかし十二月に入ると、あっという間に敵艦隊にフィリピンを包囲されてしまい、身動きが取れなくなった。本土どころか、ルソン島から出ることもかなわない。我々は敵について調べた。全世界のどの国の海軍艦と比べても、機動力、物量は桁違いだ。包囲する敵をどうすることもできなかった。兵士の間では、強すぎる兵器が神の怒りを呼び覚ました、などという噂が流布する始末だった。とりあえず陸にいる限りは安全だと思っていたのだが、一九四二年六月には、奴等はルソン島北と東から揚陸を始めた。そこからは泥沼の戦いだった。マニラが陥落寸前となり、我々は一か八か、ルソン島からの脱出を試みた。その際に、我々はひとつの仮説を導き出した。揚陸した敵勢力は、米軍基地を順次破壊していくものの、人員の殺傷よりも施設の制圧・破壊を優先していた。奴等が全力で攻めてくれば、我らを皆殺しにするなど容易いはずだ。つまり、敵の狙いは米軍そのものではなく、我らに付随する他の何かではないか、と考えるようになった」

 思い当たる何かは、ひとつしかなかった。

「実験では、用意された爆弾は二発だった。そのうち一発は高度一五〇メートル、二発目は地上で起爆される予定だった。しかし一発目で明らかな異常をきたしたので、二発目の投下は中止となった。新型兵器は、生き残った艦隊とともにフィリピンに輸送された」

「つまり、敵は新型爆弾を狙っていると?」

「そうとしか思えない。本当に我々の兵器が神の怒りに触れたなら、憤怒の元凶が真っ先に滅ぼされるはずだ。だから、我々は狙われ続けている」

「それは違います」

 きっぱりと反論する熊。

「敵の狙いが、その新型爆弾であることは事実でしょう。しかし、元凶は爆弾ではない。それを製造した人間です。ゆえに深海棲艦は人間の言語で我々に語りかけ、彼女らの掲げる平和にくだるよう勧告した。敵の目的は、人間の支配です。その敵が、あくまで撃滅に拘るということは、その爆弾は敵にとって、何としてもこの世界から排除したいほどの脅威なのでしょう。そう考えると、私がシブヤン海で戦った敵の奇妙な行動にも説明がつきます。敵が艦娘よりも、貴軍への攻撃を優先したのは、その爆弾を排除することが最優先事項として指示されていたからです。すなわち、その爆弾だけが唯一、敵の圧倒的優位を覆せる可能性がある、ということです」

 熊は自らの意見を述べる。そして、その爆弾が生まれる過程に携わった人物から聞かねばならないことがある。

「教えてください。あの深海棲艦をして、そこまで畏怖させる爆弾とは、いったい何なのか」

 ふたりの視線が交差する。これは米国の国家戦略に関わる最高機密。マッカーサーの瞳には、なお迷いの色が揺れている。しかし彼は、もはや深海棲艦との戦争が、アメリカ一国だけの問題ではないことを認識していた。そして、戦争の原因となったのは、ほぼ間違いなく新型爆弾実験だ。もし人類が戦争に勝利しても、アメリカは全世界から激しいバッシングを受ける。ならば今ここで、可能な限り人類の勝利へ貢献せねばならない。

 マッカーサーは、爆弾の原理と構造を詳細に説明する。熊にとって、耳慣れない言葉ばかりだった。しかし、ともかく、これまでの爆弾の概念を根本から引っくり返している。これは神への叛逆だった。自然界の摂理を髄まで暴きたてた冒涜の産物。いつしか熊は、自分の肌が粟立っていることに気づいた。感嘆と怖気、両方が電流となって彼の肉体を包んでいる。

「Atomic Bomb」

 マッカーサーが、その兵器の名を口にする。

 その瞬間、沈黙を保っていた長門が、振り上げたこぶしを机に叩きつける。

「愚かな! あの光を、ふたたび世界にもたらすなど!」

 激昂する彼女を島風がいさめる。

「あなたがたのいた世界での記憶か?」

 冷静にマッカーサーは尋ねる。ぎこちない英語で長門は語る。祖国の敗戦。人間の全てを破壊し尽くす虐殺。そして大義も誇りも喪い、最後は残虐な光を浴びながら、誰にも看取られることなく水面に没した自らの半生を。

「大日本帝国は敗北しました。彼女たちのいた世界は戦火に包まれ、数え切れない命が犠牲となった。そして我々の世界は、人間のかわりに深海棲艦が殺戮と破壊をになっている。勝っても負けても人間は惨殺される。敵が人間ではなくても同じこと。究極のところ戦争は悲劇でしかない。私たちは艦娘に、自らの愚かさを教わりました。大日本帝国の意志は変わろうとしている。そして、この事実を知ったあなたも。愚かさに気づけば視界が開ける。正しい道を選ぶことができます。もしアメリカが協力してくれるならば、世界の意志も変わるでしょう。人類のために、ともに戦ってください」

 その場で熊は頭を下げる。マッカーサーは表情にこそ出さないものの、彼の人間性に驚嘆していた。日本の軍人は、その思考に多様性が乏しく洗脳されやすい。一度、軍国主義の思想に囚われたなら、もう自力で抜けだすのは困難なはずだった。開戦前、アメリカは日本について徹底的に研究していた。その結果報告を踏まえ、日本は完全に叩き潰されるまで変わることはないと思っていた。しかし、目の前の男を見る限り、思考の自由を奪われているようには見えない。この男が特殊なのか、それとも艦娘の出現によって軍そのものが変わってきているのか判断がつかない。しかし、少なくとも熊は信用に足る男だと判断した。

「わかった。全ての情報を開示しよう。新型爆弾の実験作戦名は、『ジェミニ』。先に投下されたのが『カストル』。使用されなかった二発目の爆弾『ポルックス』は、ルソン島を脱出する際、輸送していた駆逐艦とともに沈んだ―――と、敵が思ってくれたら幸いなのだが、そう甘くはあるまい」

 マッカーサーは苦笑いをする。

「一応、偽装弾頭を載せておいたのだ。もし我が艦隊が敵に拿捕されたときのために。しかし本物の爆弾は、もともとルソン島にはなかった。実験結果の異常により、爆弾の性能を警戒した我々は、マニラから少し遠ざけた場所にそれを保管していた。その場所こそ、このミンダナオ島だ。ゆえに、我々はルソン島を出て、この島を目指していたのだ。結果、敵に追い詰められ全滅寸前になっていた」

 マッカーサーは言った。そして、まっすぐな決意を秘めた目で熊を見据える。

「新型兵器が、人類が海を取り戻すための切り札というならば、世界に現存する最後の一発『ポルックス』の使用権限を、貴艦隊に委ねたい」

 この英断に、さしもの熊も驚きを隠せなかった。

「合衆国は、すでに新型爆弾製造の術を持っている。しかし、初の実験でこのような惨状を招いてしまった以上、敵の出現と実験の因果関係は明白であり、もはや本国では製造中止が決まっているだろう。製造を再開させるには、実験データを正しく本国に報告し、政府の理解を求めねばならない。しかし、大洋を渡ることは不可能。本国の援助が期待できない今、新型爆弾は、その一発かぎりだ。あなたが日本海軍である限り、爆弾そのものを引き渡すことはできないが、もし使用すべきだと判断すれば、我々は、それに従う」

 マッカーサーは言った。敵対するはずだったアメリカ軍が、ここまで思い切った協力を表明してくれたことに、熊は感激を禁じ得なかった。

「あともう一つ、重要な情報がある。これから敵に反撃を試みる貴艦隊にとって、なくてはならない情報だ。我々が実験を行った場所についてだ」

 そう言って、マッカーサーは部下に指示にて海図を取ってこさせる。テーブルの上に広げ、彼はニュージーランドの、さらに東に点在する島嶼域を指さした。その島は、諸島の端に寂しく浮かぶ南太平洋の孤島だった。この島こそが、おぞましい兵器の炸裂によって異次元から深海棲艦を呼び寄せた場所。吹雪の言及していた敵の本拠地であり、敵と艦娘の根源にして故郷。

 人間と艦娘が、探し求めていた場所が、ついに彼の口から明かされる。

「南緯二一度。西経一六〇度。その島の名は―――」

 

 ラロトンガ島。

 

 ここに人類は、絶望的だった戦争に逆転の目を見出した。それは地獄の釜の底に、たった一筋、儚くも降りてきた蜘蛛の糸だった。この島を殲滅できれば、世界中に跋扈する深海棲艦を根絶やしにできるかもしれない。

 喜びを隠せない熊の隣で、島風は微かに笑う。幾田の思い描いた筋書き通り、事が進んでいく。勝負はここからだ。手に入れた情報と武力を、正しい時に、正しい場所で、正しい方法で使わねばならない。

「ひとつ、提案があります」

 熊が切りだす。

「新型爆弾を、米本土に輸送することは……可能です」

 思いがけない熊の言葉に、マッカーサーは目を見開く。

「それは、つまり、深海棲艦への切り札たる原子爆弾の実験データも、本土に移すことができる、ということか?」

「はい」

 熊は言った。マッカーサーの瞳に、わずかながら希望の光が灯る。艦娘の力を借りずして、人間だけで深海棲艦に反攻する瞬間を、彼は夢見ている。

「ただし、ひとつだけ条件があります」

 熊は切々と述べる。その判断は、もはや軍人が決定すべき領域を逸脱していた。もし深海棲艦が消えた後、万が一、日本と対立することになれば、この決断はアメリカ合衆国どころか、世界を窮地に陥れかねない。マッカーサーはもう一度、熊を見据える。彼の意志には一点の曇りもない。日本は産まれ変わるという、彼の言葉を信用するしかなかった。

 マッカーサーは熊の提案を受諾した。ここに、軍人同士の密約が成立する。

 プルトニウム型原子爆弾『ポルックス』。そして深海棲艦の心臓『ラロトンガ島』。この二つの切り札は、やがて世界の運命を分かつだろう。

 

 

 十二月一日。深夜。

 ミンダナオ島の、とある寂れた海岸にて、熊勇次郎は波の音を聞きながら、ひとり佇んでいた。ここが島風から伝えられた待ち合わせ場所だった。周囲には荒い磯場と森林しかない。月あかりだけを頼りに、熊は沿岸を見つめている。微かに背後から、二人分の足音がした。あらかじめ指定された場所に、時間どおり彼女はやってきた。

「『荷』の積み込みは終わったか?」

「つつがなく。あとは目的地に送り届けるだけです」

 少女の声が返って来る。機密保持のために米兵の隠密部隊をマッカーサーから借りての荷役作業は、とくにトラブルもなく終了していた。

「人類の存亡は、きみたちの働きにかかっている。武運長久を祈る」

 熊は言った。

「任せておくの。ちゃーんと、傷ひとつ付けずに送り届けてみせるの!」

 もう一人の少女が答える。彼女たちは、この後、ジャングルの奥にある米軍の秘密港湾で積めるだけ物資と武器弾薬を補充し、前人未到の長い航海へと出発する。

「そちらも頑張ってください。あと、島風によろしく」

 そう言って、二人の少女は夜の闇へと消えていった。

 

 翌日。

 急遽、熊は第二、第三艦隊の艦娘を全て集めた。マッカーサーとの対談で得た情報を彼女たちに伝えるためだ。とくに敵の本拠地については、一刻も早く本土と前線に散る仲間に教えねばならない。敵を海洋から撃滅するには、全艦娘による一点突破しかない。そのため、本土に派遣される部隊を急遽選抜しつつ、戦艦、重巡などの傷ついた艦体の修復を米軍と協力しつつ進めていた。

 第二、第三艦隊が目指すは、本土ではない。最前線であるニューギニア島のさらに先、オーストラリア大陸だ。敵は、こちらが本土を目指すだろうと推測しているはずだ。マリアナを攻撃した敵の行動からも分かる。そこで、ここはリスクを冒してでも敵の裏をかこうという作戦だ。さらに、マッカーサーとの盟約により、常に急襲の危険に瀕しているフィリピンから、国土の広いオーストラリアに米軍と一部の高級参謀を移送することが決まっていた。部下たちを少しでも安全な場所へ、というのがマッカーサーの願いだった。オーストラリアとアメリカは同盟関係にあり、米軍の仲介により、最終作戦の拠点とするつもりだ。敵は、こちらが傷ついた部隊を即座に動かすとは思わないだろう。こちらが原子爆弾を握っている以上、敵の大部隊がフィリピンに押し寄せてくるのは明らかだが、まだ時間的余裕はあるはずだ。

 損傷が少なく、練度が高い駆逐艦から、本土先遣部隊が抽出された。

 

 旗艦「島風」

 第二駆逐隊「陽炎」「白露」「時雨」「夕立」

 

 機動力を重視した高速編成だ。時雨は、やや損傷が激しかったが、ぜひ同行したいという本人の高い士気によってメンバーに加えられた。

「やれやれ、責任重大だな」

 旗艦に選ばれた島風が軽口を叩く。彼女が運ぶのは、情報の他に、もうひとつ大切なものがあった。艦尾の貨物室へと、巨大な荷物を積みこんだ。

 十二月一二日。五隻の駆逐艦は、島風を中心に第二駆逐隊が輪形陣を組み、ひっそりとミンダナオ島を出港した。まだフィリピンの周囲には敵の姿は見えない。いち早く情報を伝えるには絶好の機会だった。

『今回、我々が運ぶのは目に見えるブツだけじゃない。情報だ。先遣部隊として、わたしたちだけに提督から与えられた情報。これは荷物と違って、口を割らない限り敵に奪われることはないわ。絶対に喋らないこと。もし鹵獲されて何か細工されそうになったら、潔く自沈すること』

 島風が秘匿回線で言った。

『わかってる。いっとくけど、戦闘指揮艦はわたしだから、ちゃんと指示に従ってよね』

 先頭を行く陽炎が言った。磯風から聞いた通り、島風は不思議な艦娘だった。駆逐艦らしい幼さが欠落しており、飄々とした言葉の端々に、大人びたプラグマティックな思考が覗いている。

 駆逐艦たちは、フィリピン諸島の東を、沿岸部にそって北上していく。普通ならば、そのままバシー海峡を渡って、台湾経由で西南諸島を辿って本土に向かう航路だが、彼女たちは、あえてルートを逸れて何もない太平洋を横切る。敵が密集していると思しき大陸付近の海域を避けるためだ。陸地に寄らず、新横須賀鎮守府まで直行する予定だった。たった五隻の編成にしたのも、全ては敵から見つかりにくくするためだ。もし本土を封鎖する大艦隊と鉢合わせてしまえば、横須賀どころか全艦轟沈もありうる。出発から二〇時間が経過し、ふたたび大洋は曙光を擁する。歴戦の駆逐艦にとっても、最大船速を維持するのは辛い。しかも、あと二日は航海が続く。タンカー護衛任務とは、まったく別種の疲労が彼女たちの心に募っていた。

 ちょうど航路の半分を消化したとき、五隻の対空電探が同時に反応する。

『四時の方向、反応あり!』

 白露が叫ぶ。数は一。おそらく索敵用の艦載機だ。皆、信じられない思いだった。このような辺鄙な大洋の真ん中にさえ、敵が待ち構えているなど。

『まさか、ここまで敵の索敵網が伸びているの?』

 時雨がうめいた。

『まったく、こんなとこまで御苦労なこって』

 苦々しげに島風が言った。索敵機がいるということは、必ず空母がいる。五隻は輪形陣の幅を詰め、魚雷と対空火器の準備をした。敵機は、高度を維持したままUターンしていく。艦隊はすぐに進路を北北東に切り替えた。しかし、一時間と経たないうちに、西の水平線上に複数の艦影が出現する。

『軽母一、軽巡二、駆逐八。本隊じゃないだけラッキーっぽい……』

 赤い瞳をらんらんと輝かせ、夕立が呟く。すぐにでも雷撃を開始できる態勢だが、なぜか敵は、じりじりと距離を縮めるだけで、こちらを攻撃しようとしない。陽炎たちがいぶかしんでいると、不意に艦娘の通信が開いた。

 ノイズ混じりに何者かの声が流れ込んでくる。深海棲艦とは異なる波長。これは間違いなく、艦娘の波長だ。

 その声を聞きとったとき、陽炎は戦慄する。

『吹雪……?』

 思わず通信機に向かい、呼びかけてしまう。すると、彼女の声に応えるように、微かだった声が鮮明になっていく。

『お願い、すぐに機関を停止して。でないと、こいつらがあなたたちを沈めてしまう』

 苦悩に満ちた声だった。

『指示に従おう。やり合っても勝ち目はない。ただし、火器は常に起動しておくように』

 混乱する駆逐隊の面々に、島風は凛として告げる。

 こうして先遣部隊は、不意に現れた敵機動部隊に包囲される。洋上で停止した駆逐隊へと、一隻の艦が敵を代表するかのように接近してくる。その艦体を見れば艦娘ならば、すぐに分かる。今や敵として行動している艦が、初めてこの世界に顕現した艦娘のひとりであることに。

『みんな、ごめんね』

 艦首には、吹雪型駆逐艦一番艦・吹雪が、憂いを帯びた表情で佇んでいた。

 


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