【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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※オリジナル設定を多く含みます。

 深海棲艦の艦体の構造、エンジンの仕組みや燃料など、原作には無い要素多し。



突如として海洋に出現した敵対的勢力により、世界の海上輸送網は断絶された。
石油も鉄もない帝国は、天の思し召しとでも言うべき新たな戦力を率い、南方の資源地帯をおさえるべく準備を進めていた。


第二話 閉ざされた帝国

 

 

 南雲機動部隊がほうほうの体で佐世保に帰りついたのち、帝国の民、あるいは世界中の人類が現状を思い知ることになった。軍・民間籍問わず、あらゆる艦船の往来が停止した。大陸との連絡も取れなくなった。日本海海岸には、毎日のように破壊された通商船と思しき残骸が流れついた。さらに不気味なことに、生存者はおろか死体すら漂着することがなかった。陸軍は満州国維持のため、ただちに旅順鎮守府まで人員輸送することを海軍に提案した。事態を重くみていた海軍も、軽巡洋艦と駆逐艦による対潜水艦部隊を護衛につけ、舞鶴鎮守府を出港した。結果、軍艦はすべて沈没。輸送船だけが黒煙をあげながら舞鶴に逃げ帰った。生き延びた将兵たちの証言により、軍人たちは全てを理解した。

 海が封鎖されている。

 この報告を聞いた瞬間、山口多聞は悟った。やはり太平洋上で我々が接敵したのは、アメリカ海軍などではなかったのだ、と。その後も一切の船舶、通信の往来が途絶えたままだった。

 人類は、海洋から追放された。

 否が応でも、この非現実を現実として受け止めなければならなかった。

 

 

希望があるとすれば、艦の少女たち。

日本海特有の重苦しい曇天の下、若い将校が舞鶴鎮守府の敷地を歩いていた。まとった軍服の襟元には少佐の階級章をつけている。目下、最大の激戦区とあって、よどんだ空気には鉄と油の匂いが色濃くしみついている気がした。

「ここでいい。終わったら司令部に戻る」

 渋谷礼輔少佐は、付き添っていた連絡兵に告げる。兵は敬礼したあと、無言で立ち去った。どこに行くのでも、こうして軍令部付の監視を寄こされるのは不愉快だった。しかし、そうせざるを得ない事情があるのも理解できる。

 渋谷は、かつて海軍大尉として、ハワイ奇襲作戦に参加していた。空母・霧龍に乗艦していた。砲火交わる最前線で、彼は絶望と希望を同時に垣間見た。そして、謎の敵性勢力による海洋封鎖。未知との遭遇にあっては、誰でも慎重にならざるをえない。

 しかしながら、渋谷は確信を持てずにいた。本当に自分なんかに、あの艦の少女たちを惹きつける要素などあるのだろうか、と。

 そう考えているうちに、目的の場所に到着する。関東大震災が三度起きても耐えられる、最新式の建築物。旧式のドックをすっぽり覆い隠してつくられた巨大倉庫の入口に、渋谷の友人が佇んでいた。

「舞鶴鎮守府へようこそ」

 低く落ち着いた声で熊勇次郎少佐は言った。熊の名に恥じない、一九〇センチはあろうかという巨躯。縦だけではなく、横にも健康的な分厚さがある。全身まんべんなく鋼のような筋肉をまとっている。海軍兵学校第四九期卒業で、渋谷の同期だった。

「それにしても、もてる男は辛いな。こんなところまで目付役がついてくるとは」

「理解できない。俺はさほど指揮能力に優れた軍人ではない。それに、もてるなら普通の女性がいいよ。もうすぐ三十路の折り返しが近いんだぞ。所帯もって落ち着きたくなるもんだ」

 軽口には軽口でかえす。提督としての素質なら、明らかに熊少佐のほうが上だった。海軍大学を第三位の好成績で卒業している。さらに英国駐在武官を務めたほど英語に堪能だった。見た目からは想像できないが、彼は頭脳もすこぶる優秀なのだ。

「新しく顕現した娘たちを拐かされないか、上も気が気じゃないんだろうよ。どうだかな、電。こいつに男としての魅力を感じるか?」

 少し頭を傾けて尋ねる熊少佐。彼の視線を追って、はじめて渋谷は少女の存在に気づいた。おそらくずっと彼の巨体の後ろに隠れていたのだろう。ふとい足からおずおずと顔をのぞかせたのは、まぎれもなく佐世保の港で渋谷が仰ぎみた、五人の女神のひとりだった。

「はわわ、すいません。わたしは、そういうのはよく分からないのです」

 控えめな可憐な声で、少女は言った。まるで小動物のような容姿に、困り顔がよく似合う。渋谷は未だに信じられなかった。かくも幼い少女が、たった独りで巨大な艦船を自在に操ることができるなど。

「会うのは初めてだったな。紹介しよう、僕が最初に賜った艦。駆逐艦の電だ」

 熊の言葉を受け、駆逐艦・電はぺこりと頭を下げる。渋谷は海軍式の敬礼で応えた。

「そうかしこまらなくてもいい。戦闘時以外は、普通の少女と変わらんよ」

 そう言って熊は営倉の勝手口を開く。電は、まるで女房のように彼の少し後ろをついていく。

 彼らの背中を追いながら、渋谷は軽い嫉妬にとらわれる。

 初めて帝国海軍に接触した、艦の少女たち。軍令部は、すぐさま彼女たちを慎重すぎるほど慎重にもてなし、あらゆることを問い詰めた。およそ軍人らしくない彼女たちの口調や性格に手を焼いたが、その中で数え切れないほど重要な情報が明らかになった。

 彼女たちは、なぜ自分が存在しているのか分からない。海を漂っている以前の、具体的な記憶が欠落していた。しかし、人類の味方をするのだ、という意志だけは堅かった。まるで動物や植物が遺伝子レベルで行動を決定づけられているかのように。その回答が、なにより軍部を安心させた。

 さらに喜ばしい報告もあった。超自然的な力で艦を操る、少女たちのような存在が、他にも出現するというのだ。その時点では、まだ駆逐艦級の五隻のみだが、時が経てば巡洋艦や潜水艦、はては空母、戦艦まで現れる。少女たちは、そう予感していた。

 おもわぬ力を得た軍令部は即座に、艦の少女たちを理解・運用する基準となる、概念と解釈をまとめた。

 

艦の少女たちは、大日本帝国が、あらゆる敵対勢力に勝利するために遣わされた、神の化身である。彼女たちが出現する現象を、『顕現』と呼称する。また、顕現した艦の操手たる少女たちを『顕体』と呼称する。その本質は、大日本帝国海軍隷下の軍艦である。しかしながら、艦の操手たる顕体は、尊厳をもって扱われる軍人に相当する存在である。

 

 これらの解釈は、すぐさま御前会議にて今上陛下に報告された。そして功を急いだ軍令部は、今上陛下の名において、彼女ら『顕体』を、古くより大和におわします神々が、無垢なる少女の魂に艦の肉体を与えて産み落としたる存在と定義した。神のむすひたる娘、すなわち『神産』(かんむす)と呼称が決まり、それはいつしか軍人のなかで『艦娘』という愛称に変わっていった。

 

 神々の産物らしく奔放な気質をもった艦娘たちは、若く先取の気に溢れた士官を、自らの師として欲する傾向にあることが分かった。そこで軍令部は、これから増えていくだろう艦娘に対する教育の雛型をつくるため、また艦娘をより深く理解するため、教官としてふさわしい若い士官を選抜していった。

 その結果、五名の優秀な士官が、最初の教育係として任命された。

 五隻の艦に対して、ひとりずつ。士官たちは別々の任地にて、艦娘を教育することになった。偶然にも、選抜された士官は全員が兵学校第四九期卒業生だった。兵学校始まって以来の秀才ぞろいと有名な士官たち。一方で、変わり者の集団として否定的な意見を受けることもあった。兵学校時代から実務を経て海軍大学に至るまで、五名の序列は変動こそしたが、それでも現時点で、同期の中でトップ五は彼らが独占していた。海軍大学における、序列一位から五位までが、のちに初期艦と称される五隻の、はじめての提督となった。

 

  士官名         担当艦娘      任地

  

  白峰晴瀬 中佐     吹雪        横須賀

  幾田サヲトメ 中佐   叢雲        佐世保  ※女性士官

  熊勇次郎 少佐     電         舞鶴

  福井靖 少佐      五月雨       呉

  塚本信吾 少佐     漣         大湊

 

 

 彼らが栄えある初代艦娘提督として選ばれた。

 序列六位卒業の渋谷礼輔は、選考から弾かれてしまった。彼ら上位五名とは兵学校時代から仲が良かっただけに、嫉妬と屈辱があいまって心から祝福することができなかった。

 艦娘に憧れがあっただけに悔しさはひとしおだが、渋谷は努めて冷静に過ごした。兵学校時代から、上位五名は別格と称されていた。軍艦として生を受けたなら、優秀な軍人のもとで戦えるほうが幸せだろう。そう自分に言い聞かせた。

「おまえも知っているだろう。最近の研究で明らかになってきた、艦娘の顕現率を」

 熊少佐の言葉で、渋谷は暗い想像から目が醒めた。

 顕現率。つい近日、海軍の艦娘運用戦略に、新たな概念として登場した言葉だ。初期艦の五名の研究から、艦娘は若く柔軟な思考をもつ士官を自らの司令として欲する傾向が強いことが分かっていた。その情報をもとに、新たに顕現した艦娘の、生まれ落ちた海域、その周辺の状態をくまなく調査した。その結果、特殊な例外をのぞき、彼女たちは選抜された五名の士官、および渋谷礼輔という少佐が任務で赴いた海域における顕現が多いことが分かった。

 ゆえに軍令部は、渋谷を新たな研究対象とし、いつ艦娘が顕現してもいいよう、常に連絡係を張りつけるようになった。

「だから、俺は警戒されている。もし艦娘が俺のところに集中して顕現したら、軍のパワーバランスが崩れかねないからだ」溜息まじりに渋谷は言った。「馬鹿馬鹿しい。俺が反乱など起こせるはずもない。だいいち、俺は艦娘が顕現した瞬間など、見たことがない。彼女らが顕現するのは、きまって俺が海域を去った後だからだ」

「だが、きみという人間が何らかの理由で艦娘に好かれやすいのは事実だ。そのことは忘れないほうがいい。顕現数が増えるにつれ、軍は艦娘の運用に神経質になっている。いずれ一悶着起こるかもしれん」

 熊は小声で言った。現場で艦娘を指揮する「提督」と、戦争における長大な戦略を立てる軍令部との対立。脳と手足の駆け引き。彼は、それを暗に示していた。初期艦をめぐる政策で、すでに問題の片鱗は見え始めていた。艦娘を一括してではなく、一隻ずつ、それも物理的距離までとって教育を施した理由。それは、単一の指揮官のもとに結集した艦娘が、軍令部の統帥を離れて一個の独立した軍隊として行動する危険性を考えたからだ。最悪の可能性、すなわち反乱軍化を危惧していた。

 そのような事態を恐れた軍部の中枢が、直接に艦娘を保有・運用することになれば、まっさきに押さえにかかるのは、顕現の引金となり、艦娘になつかれやすい人物だ。そうなれば自身も危ない。渋谷は友人の警告に感謝した。

 三人は、「関係者以外ノ立入ヲ禁ズ」という赤文字が塗られた扉の前で立ち止まる。

「さて、ここからは機密区画だ。軍属であっても、艦娘運用に携わる者以外には他言無用」

 熊少佐の口調が、にわかに厳しくなる。渋谷も気を引き締める。

 重たい鉄扉をくぐった。その瞬間、連綿と続いてきた鎮守府の空気が断絶した。

 海戦を経験した渋谷は、戦争のにおいを嗅ぎ慣れていた。鉄と油と血。並の人間ならば一呼吸で気分を害する、破壊と死の匂い。だが、それは所詮、人間の世界の匂いだ。

「これは……」

 渋谷は顔をしかめ、言葉を喪った。

 嗅いだことの無い臭気。だから脳が混乱している。この臭いに対する正しい反応が分からない。どのような感情をもって表現すればいいのだろう。ただ、ひとつ言えることは、いずれにせよ決して良好な気分ではないということだ。恐怖、苦痛、嫌悪。それも胸の底を震わせるような、強烈な感情が伴う。

「硫黄、か。あとは腐ったタンパク質が、焼けたゴムと混ざったような臭いだ」

 あえて感情を押し殺し、冷静に分析する。

「この程度で吐き気を覚えるならば、奴等との戦いはできんよ」

 まだ創設されて間もない艦娘部隊を率い、鎮守府随一の激戦区である日本海を戦い渡ってきた熊勇次郎は、眉ひとつ動かさず目前の光景を見つめていた。

 すでに廃棄され、研究用に残された旧式のドック。そこに横たわるのは、異形の艦船の残骸だった。大破炎上したらしく、横腹には大きな穴が開き、艤装のあちこちに焼け焦げた跡が見える。外見こそ人類製の駆逐艦に似ているが、黒を基調とした禍々しい色彩と、抉れた機関部から流れ出る異臭が、この艦が人類とは異なる次元の存在であることを裏付けていた。

「舞鶴鎮守府の正面海域で、哨戒任務中に接敵した。我々は、この型の敵艦を駆逐イ級と呼称している」熊は説明を続ける。「敵艦のなかでは、最弱クラスだ。それででも艦娘が来てくれる以前の艦と兵装では、こいつらにすら歯が立たなかった。砲の威力、最大船速は、おそらく人類製の艦と変わらない。違うのは機動性だ。操舵、砲術、雷術、機関出力、何をとっても我々の最高練度を上回る。まったく無駄がない。それゆえに速いのだ、全てにおいて。まるで艦全部がひとつの生命体のように統率のとれた動きをする。数百名の人間を介してやっと動く我々の艦とは、根本的に機動性のレベルが違う。そこで、艦娘の登場というわけだ」

 熊が電の肩に手を置く。電は少し恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに微笑んだ。

「こいつを仕留めたのは電だ」

 熊は言った。ここで初めて、渋谷は人類製の艦と艦娘の差を思い知った。目の前に佇む少女は、いわば艦そのもの。駆逐艦・電の頭脳なのだ。艦体を、自らの手足のように自在に動かすことができる。彼女たちの協力があってはじめて、帝国は未知の敵に対抗する力を持つ。

「普通、敵は機関部が破壊されると自沈するかのように沈むのだが、こいつは辛うじて機関が生きていた。大破炎上して航行不能になった艦体を鎮守府まで曳航した」

 熊少佐は誇らしげに言った。言うに見合うだけの功績だった。おそらく彼は人類史上初めて、謎の敵勢力を鹵獲したのだ。

「調査、というより解剖に近かった。外装甲の材質は不明だが、おそらく鉄に近い金属だろうと技研の連中は言っていた。その中身は、ほとんどが鉄と有機物の構造体だった。硫黄の匂いがするのが独特だ。機関部は、構造こそ違えど、基本的な作動原理は人類製のものと変わらない。燃料を燃やして、その蒸気でタービンを回し、スクリューを回す。異なるのはボイラーとタービンの配置だ。我々は、ボイラーはボイラー、タービンはタービンと、まとめて配置している。そのほうがスペースを取らないし、整備しやすいからだ。しかし敵は、ボイラーに相当する燃焼室とタービン、燃焼室とタービンという感じに、別々に配置している。機関の機能を分散することで、致命傷のリスクを分散しているのだ。我々の船は、確かに居住性は良いが、機能をまとめている分、一撃で航行不能になる危険も高い。生き残る確率、という点では敵が一枚上手だった」

 最新の情報を、さも当たり前のように語る。渋谷は、ただ黙って聞き入っていた。

「そして燃料が違う。人類艦の燃料は、当たり前だが重油だ。しかし敵は、またしても未知の素材を燃やし、燃料としていた」

 そう言って、熊は近くにあった作業用の冷蔵庫から小さな瓶を取り出す。その中身をシャーレにそっと移した。

「何だ、これは。見た目は雪のようだが」

 シャーレに盛られた白い塊を眺め、渋谷は言った。熊はおもむろに懐からマッチを取り出すと、火種をシャーレの中に移した。その瞬間、雪のようだった塊が一瞬で炎に包まれる。小さな塊に灯る炎は長いこと揺らめいていた。

「我々は『燃える氷』と呼称している。なぜこんなものが作れるのかは不明だ。しかし機関を動かす燃料としての効率は、重油よりも遥かに優れる」

 淡々と熊は言った。

 帝国海軍の艦は、ロ号艦本式缶と呼ばれる、幾つもの巨大なボイラーと蒸気ガスタービンを機関としている。缶で重油を燃やし、その熱で水を沸かして蒸気をつくり、タービンを回す。まずは蒸気を溜めなければならない。この「気醸」に時間がかかる。駆逐艦でも早くて四時間、戦艦クラスになると十二時間ほどもかかってしまう。重油を燃やし、その熱で水を沸かす、まさに二度手間なのである。さらに缶は非常に場所をとる。駆逐艦なら三缶ほどで艦体の半分、重巡ならば約十缶で、三分の一が占められる。巨大な急所を内部に抱えているのだ。

 それに対し敵艦は、わざわざ蒸気を溜める必要がない。燃える氷そのものが大きなガス圧となって直接タービンを回すことができる。それゆえ敵の機関部は非常に小さく、燃料の消費効率もいい。詳しい構造は不明だが、敵艦の技術が既存のそれを超越していることは明らかだった。

「技研の連中は打ちひしがれていたよ。少し気の毒なくらいに」

 熊は言った。しかし、今回の鹵獲で発覚した事実は、それだけではなかった。

「艦娘には、艦体と、その頭脳たる顕体がいる。ならば敵も同じではないか。そう考えた我々は徹底的に艦内を調べ回った。やはり、見つけたよ。機関部の上に張り付くように、生きた何かが蠢いていた」

 熊は言葉を切り、その光景を思い出しながらゆっくりと喋る。

「最初は、太ったセイウチみたいだと思った。とにかくでかい。やたら頭でっかちで、黒い甲殻に覆われていた。正直、これ以上いじりたくはなかった。相手が生きている以上、何をされるか分からない。それでも、なんとか甲殻を剥ぐところまでは成功した」

 何がいたと思う? 熊が問う。緊張した面持ちで、渋谷は首を振った。

「赤ん坊だよ」

 その一言で、渋谷の背中にうすら寒い何かが走った。

「巨大な赤ん坊だ。少なくとも、僕にはそうにしか見えなかった。頭だけが膨れていて、胴体にくっついた手足が余計に小さく見えた。肌は灰色がかっていて、あちこち黄色っぽい毛細血管が走っている。しかし、奴の眼だけは真っ赤に充血していた。魚の眼みたいに丸く巨大な目がギョロギョロ動くたび、僕は肝を冷やした」

 解剖後、十分ほどで敵の顕体は死亡した。艦体の機関が完全に停止するのと同時に、顕体もまた砂の城が崩れるように一瞬にして灰と化した。

「敵も、電たちと同じなのです」

 熊の横で大人しく控えていた電が、不意に言葉を挟む。

「艦体がダメージを受ければ、顕体も消耗していきます。特に機関部の損害は、直接身体の痛みや損傷となって返ってきます。艦と顕体は一心同体なのです」

「では、逆も真なりということでしょうか?」

 視線を落とし、渋谷が問うた。電はきょとんとした顔で彼を見上げている。

「もし、陸上にいるあなたが傷つけば、艦本体にもダメージが現れてしまう、ということですか?」

「は、はい。おそらくそうなると思います」

 少し頬を紅潮させ、電が答える。

「彼女たちは、そう予感している。まだ顕体が攻撃を受けたことはないがね」

 熊が補足した。その言葉で渋谷は全てを理解する。なるほど、この幼く健気な少女を傷つけて実験しようなど、畏れおおくて出来るはずもない。さしもの技研も、今上陛下自ら宣言した『神の産みたる艦』にメスを入れることはしないようだ。

「以上が、僕の知る敵艦の全てだ。まあ、全てと言っても鹵獲できたのが駆逐艦一隻だから、まだ情報量は少ないが。大陸に近づくと、さらに巨大な艦が待ち構えている。それこそ重巡・戦艦級の敵が。奴等は、何が何でも僕らを大陸に近づけたくないらしい」

「恩にきる」

 まだ見ぬ強大な敵を夢想しつつ、渋谷は言った。どんな些細なことでも敵の情報を知っておきたかった。軍令部は予定通り、南方への進出を決めた。相手がアメリカだろうが未知の敵だろうが、海洋が封鎖され資源不足に陥っている状況に変わりはない。豊かな資源への足がかりとして、すでにウェーク島攻略作戦が固まり、さらなる作戦研究が大急ぎで進められていた。

「いいんだ。きみも実戦を経験した数少ない士官のひとりだ。それに艦娘を惹きつける素質もある。ここから先は、これまでの常識が一切通用しない戦いになるだろう。新たな戦争の担い手になる人間は、知る権利と義務がある」

 誰よりも激戦を知る男の言葉は重かった。

 ウェーク島。初めての敵勢力への反攻作戦。自分はこれに参加することになる。渋谷は半ば確信していた。

敵は大陸封鎖に多大なる戦力を割いている。太平洋方面を哨戒した結果、意外なほど敵戦力は手薄であることが判明した。おそらく巨大な陸地ほど、封鎖が強いのだろう。反攻の初手として、小規模な諸島を選んだのは合理的だ。それに、艦娘部隊の教育も進んでいる。総じて器量の良い彼女たちは、先人が培ってきた戦いの知恵をぐんぐん吸収していく。きっと実戦では獅子奮迅の活躍をしてくれるに違いない。そう考え、少しでも心を落ちつけようとした。

「奴等は、いったいどこから来るんだろうな」

 機密区画を出る直前、もう一度敵の駆逐艦を眺めながら渋谷は言った。硫黄と焼けたタンパク質の混ざる臭いは、生涯忘れられないだろう。

「海の匂いがするのです」

 彼の疑問に答えたのは電だった。

「艦は陸で生まれて海で育ち、陸で生涯を閉じます。だから、艦は鉄と太陽と風の匂いがするのです。でも、あれは違う。本当に海の匂いだけなのです。それも、明るい海面じゃなくて、暗くて冷たい深海の匂い。太陽と空気から引き離され、海に囚われた匂い。淀んで、混ざって、ぐちゃぐちゃになってもがいている。そんな匂いがするのです」

 電は言った。敵を見つめる瞳に、幼く純真な悲しみが光る。渋谷は、少しだけ臓腑がひやりとした。彼女に、少なくとも恐怖の感情は見えない。鍛練を積んだ軍人である自分でさえ生理的な嫌悪や恐怖を隠せない相手に対し、この少女は憐憫の感情さえ抱いている。彼女は軍艦だ。心の底から、渋谷は理解した。

「なんて、少し生意気言っちゃいました。自分の出自さえはっきり分からないのに、敵さんのことなんて分かるはずないのです」

 照れたように笑う電。熊は、大きな掌で少女の頭をそっとなでる。電は、さらに笑みを深くした。

「近いうち、敵艦を総称する正式名称が決定される。電たち駆逐艦や、軽巡洋艦の娘と一緒に僕達で考えた。それが、そのまま採用されそうだ」

 熊は言った。

 

 深海棲艦。

 

 これが、人類と艦娘の敵となる者たちの名前となった。

 

 

 三人は研究用ドックを後にする。

「さて、暗いものばかり見てきたから、今度は僕らの希望を見に行こう」

 熊は言った。いつの間にか港のほうが騒がしくなっている。

「演習が終わったみたいなのです!」

 嬉しそうに電が駆けだす。つられて二人の少佐も彼女と並んで走り出した。倉庫の右後ろには、舞鶴鎮守府の開放式ドックが並んでいる。すでに鎮守府の整備員でごったがえしていた。彼ら全員が、日本海の海を見つめている。老いも若きも、明るい期待と希望で瞳を輝かせていた。とても最悪の激戦区だったとは思えない。目と鼻の先の海に、数多の命と艦船を飲まれた。それなのに、彼らは活き活きと、真っ黒な海を見据えている。

「艦隊帰投。御苦労だったな」

 熊少佐が言った。息を弾ませながら、遅れて到着した渋谷は頭をあげる。その光景を目の当たりにした瞬間、鎮守府に満ち満ちた活気の理由を知った。

 日本海の荒波をものともせず、九隻の船が進んでくる。死と破壊が充満していた水平線の向こう、魔の日本海から悠々と鎮守府に帰ってくる。軽巡洋艦が二隻、駆逐艦が七隻。この海に巣くう大型の深海棲艦にとっては、取るにたらない小舟だろう。しかし、海から締め出された脆弱な人間が、自由への希望を託す艦として、彼女らの雄姿はすべての人々に明日を生きる力を振りまいている。

 彼女たちの帰還を祝福するかのように、濁った雲が割れて光の柱が降り注ぐ。

 陽光をまとった艦船たちは、一糸乱れぬ動きで入港していく。海面を切る艦首から広がる波が、鎮守府の港に美しい黄金の波紋を描いた。整備員たちの敬礼を受けながら、艦娘たちが次々と上陸してくる。軽巡洋艦に率いられた駆逐艦たちは陸でも美しい列をなし、自らの提督の前に集結する。

「天龍麾下、第六駆逐隊、暁・響・雷。ただいま帰投しました!」

 眼帯をまとった軽巡洋艦が勇ましい敬礼を見せる。後ろの駆逐艦たちも彼女にならい、拙くも元気のよい敬礼をした。

「龍田麾下、第八駆逐隊、朝潮・大潮・満潮・荒潮。ただいま帰投しました」

 おっとりとした声音で敬礼する少女。天龍とは対照的に、年頃の乙女らしい優雅さを醸しだしている。彼女に続く駆逐艦たちは、ぴしりと敬礼を合わせてきた。

「演習御苦労。艦体を整備したのち、演習の検討を行う。一時間後、鎮守府統監部、第二会議室に集合。それまで各自休憩を取れ」

 熊が指示を出す。第六駆逐隊と称された少女たちが、電に群がり賑やかに喋り始めた。第八駆逐隊は、先頭にいた朝潮が熊に駆け寄り、次は演習を見にいらしてください、と熱っぽく主張する。そんな彼女を他のメンバーは温かく見守っていた。

「彼女たちが、僕の教育下にいる駆逐艦たちだ」

 熊は言った。その口調は、どこか誇らしげだった。

「なんだ、提督の友達か?」眼帯の少女、軽巡洋艦の天龍が、少し威嚇するような笑顔で渋谷にせまる。「俺の名は天龍。天龍型軽巡洋艦の一番艦だ。フフフ、怖いか?」

 素直に可愛いと言っていいものか。どう反応していいか分からず、渋谷は苦笑するしかなかった。

「あらぁ。なかなか良い男じゃない」

 天龍の隣にいた軽巡洋艦・龍田が間延びした声で反応する。女学生のように可憐な容姿に反し、その値踏みするような視線は、成熟したアダルティな仄暗さを孕んでいる。渋谷は思わず一歩引いていた。肉食獣に目をつけられた気分だった。

「天龍ちゃん、この殿方が気に入ったの?」

 龍田の言葉に、馬鹿ちげえよ、と顔を赤らめてわめく天龍。かわいい方と怖い方。天龍型軽巡洋艦のイメージが固まった。

「申し遅れました。渋谷礼輔海軍少佐です。熊少佐には、兵学校の頃から親しくさせてもらっていました。わが軍は、これより本格的に南方海域へと進出します。いずれは皆さんと作戦を共にすることもあるでしょう。どうかよろしくお願いします」

 少女たちに敬礼する渋谷。律儀に敬礼を返す朝潮。すると今度は渋谷が第六駆逐隊の面々に取り囲まれてしまった。明るく元気いっぱいの暁。大人しく知性的な響。頼りがいのある姉気質の雷。そして可愛い末っ子の電。軍隊ではありえない、制御不能な豊かな個性に圧倒されながらも、渋谷はどこか居心地の良さを感じていた。

「いよいよ戦闘か。腕が鳴るぜ!」

 牙をむいて笑う天龍。

「見こみあるわ、あの御方」その横で、龍田が意味深長な笑みを浮かべる。「もし艦娘を持つことがあれば、きっと素晴らしい提督になれる。艦娘にとって、これ以上ないくらい素晴らしい提督に」

 最後の言葉は、小さな呟きとなって潮風に消えた。

 

 舞鶴を去ってすぐ、渋谷に命令が下された。

 ウェーク島近海攻略部隊 支援部隊 第十八戦隊 軽巡「天龍」「龍田」 

艦娘部隊運用につき、支援部隊司令部への着任を命ず。

 渋谷礼輔の参戦が決まった。

 


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