【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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 大日本帝国というひとつの国家は、この戦争にどのような幕引きを望むのか。本土に残された者たちは、深海棲艦と艦娘なき後の世界を思案し、帝国の現状を憂う。


第十五話 傾国の女

 深海棲艦の宣告によって、本土もまた揺れに揺れていた。

 ただちに中部太平洋、および南部太平洋の各泊地に孤立した戦力を救わなければならない。艦娘のもたらした連戦連勝は、理性的であるべき戦いの思考を麻痺させた。政府、軍の中枢は、しらずしらずのうちに身の丈に合わない膨張主義に陶酔した。その結果、最大戦力とされる大和、武蔵をはじめ、多くの強力な艦娘たちが本土から前線に移された。特に熟練の操縦士は、ほぼ全員が南方戦線に集中している。そこに深海棲艦機動部隊による、大洋分断である。人間に例えるなら、見事に首から下を切り落とされた形となった。頭と手足は、互いに連携して初めて威力を発揮する。前線が混乱の渦中にあるように、頭だけとなった本土もまた無力化されていた。

 なんとか本土に残った艦娘だけで、各前線との海上輸送網を再建できないだろうか。陸海問わず、皆が知恵を絞っていた。

 一九四四年六月五日、静岡県相模湾に浮かぶ、とある島に海軍の高級軍人たちが集結しつつあった。もともとは華族が所有していた保養地だった場所を海軍が接収した。帝都周辺の海域を見張るためである。最近まで僻地扱いされ、閑散としていた場所が、思わぬ形でにぎわいを見せていた。降りしきる驟雨の中、秘密裏に本土から小型船で島にやってくるのは、海の軍人ばかりではなかった。少なからず陸の人間もいる。さらに軍服を着ていない人物も散見された。

 本土からの前線奪還作戦会議。それが名ばかりの会議であることは、出席したメンバーを見れば明らかだった。

 海軍からは、大西瀧治郎少将、伊藤整一中将、井上成美中将、豊田副武大将。いずれも山本前長官と繋がりのある人物であり、彼と思想を同じくしていた。さらに驚くべきは、現海軍大臣である米内光正が姿を見せたことだった。いずれも、この戦争を理性的に見つめている重鎮ばかりだ。陸軍からの主な出席者は、石原莞爾中将、そして幾田侯爵家と関わりの深い君津伯爵家出身の軍人、君津栄吉少将。ふたりとも深海棲艦との戦いが始まる以前から、陸軍主戦派の筆頭である東条英機大将と対立し、参謀本部では冷や飯をくらってきた経歴を持つ。このふたりに加え、まだ三十半ばの若い軍人がいた。彼は傍らに詰襟を着た色白の娘を伴っていた。

 総じて彼らは、昨今の不用意な戦線拡大方針に反対する者ばかりだった。

 太平洋の海を見下ろすように建てられた元華族の別荘の一室に、彼らは集結した。晴れていれば空と海の美しい青を堪能できたのだろう。しかし梅雨前線に刺激された雨雲が振り落とす高密度の雨は、世界の全てを濃い灰色に閉ざしていた。陰謀めいた会議所にふさわしい鬱々とした雨垂れの音を聞きながら、メンバーは主賓の到着を待った。

「遅くなりました」

 テーブル席の中央に置かれた演壇に彼女がのぼる。皆の視線が、海軍中佐に集中する。

「お集まり頂き、感謝します。僭越ながら司会をさせていただきます、幾田サヲトメです。よろしくお願いいたします」

 幾田は優雅に一礼する。

 今回の会議の目的は、本土と前線で醸成されてきた意見を交換し、状況認識を共有することだった。まず幾田が前線について説明する。大洋分断前の戦力配分、そしてこれまでの戦いで感じたことを簡潔に話した。人類の戦術を学んだ艦娘は単艦でも戦力となり、人間の乗組員と協力することで、相乗効果により、さらなる能力向上が見込まれる。これは深海棲艦には不可能な芸当である。

「確かに深海棲艦は脅威です。しかし奴等が強力なのは、その圧倒的な物量ゆえです。適時適切な戦力を適当な手段で集中すれば、個別の戦いにおいて敵を撃滅することは容易です」

 美しい声で淀みなく幾田は説明する。寡をもって衆を制す。軍事の鉄則に反する夢のような勝ち方が、艦娘とともにならば実現できる。しかし、その喜ばしい報告を聞いても、メンバーは誰ひとりとして相好を崩さない。むしろ彼らは、艦娘という未知なる存在に依存しきっている現状に危機感を抱いていた。

「では、つぎに私から本土の状況についてご説明申し上げます」

 若い陸の情報将校が立ち上がる。

 幾田の予想以上に本土の状況は悪かった。民需用の石油はすでに底をつき、漁船すら石炭燃料に頼っている状況だった。それと同時に鉄鋼もまた供給が途絶えている。一九四一年末以来、大規模な鉄筋構造物は、軍事用を除き、ほとんど建築されていない。締めつけられる民衆の生活。今年の冬は、文字通り爪ほどの燃料に火を灯して何とか乗り切った。しかし、もう限界だった。深海棲艦の存在を知った直後は、恐怖のあまり全ての感情が凍りついていた。だが人間とは慣れるものである。恐怖はいずれ薄れる。とくに本土は、たった一度の例外を除き、深海棲艦から直接攻撃を受けたことがない。民衆は感情を取り戻した。欠乏は不満へ、不満は怒りへ。やがて収まりきらなくなった感情は暴動という形で世に噴出する。すでに東北、四国、九州では地方警察では抑えきれないほどの食糧、燃料騒動が頻発している。追い討ちをかけるように、深海棲艦による世界支配宣言が市井の電波にまで放たれた。何を狂ったか、真の平和をもたらすという深海棲艦を神の遣いと解釈するカルト教団まで出現する始末。次の冬までに現状が打開されなければ、この国は民に裏切られ、内側から崩壊する。深海棲艦に滅ぼされるまでもない、為政者と民の心が離れた国の辿る末路は滅亡である。

「内務省では、現体制に反発する思想を専門に取り締まる警察、特別高等警察の設立を検討しています」

「そうなれば、我々は国民の大部分を敵に回すことになる。今、軍に不満を持っていない民はいないだろう」

 石原中将が言った。

 国民の支持なくては、戦争は成り立たない。これまで艦娘による華々しい戦勝が、だましだまし世論を戦いの方向へと誘導してきた。しかし、突然の大攻勢に転じた深海棲艦により、見せかけの希望はあっさりと打ち破られた。

「早急に決着をつけなければならない。せめて大陸と連絡が取れるまで、敵戦力を削ることができれば」

 豊田大将が言った。

「では、そろそろ本題に移ってもらえますか」

 井上中将が、おもむろに口を開く。

「我々理性派が、あなたの集会に参じたのは、この戦局を打開する重要な情報を握ったと言うあなたの言葉を信じたからです」

「中佐は、陸軍内でも信頼が厚い。正直、最近まであなたは陸の急進派と一枚噛んでいると思っていた。そうでなくとも、立場上、中立であるべきあなたが、我々と連携を取ろうとすることが、そもそも疑問ではある」

 大西少将が言った。艦娘の力を利用して、なし崩し的に大東亜共栄圏を確立してしまおうとするのが急進派であり、主として陸軍に支持者が多い。それに対し、理性派は戦いの目的を再度問いなおし、可能であれば敵対していたアメリカ、イギリスとも協力して深海棲艦の脅威に立ち向かおうと考えている。幾田は主戦場から蚊帳の外に置かれていた陸軍の意見にも耳を傾け、支持を集めていた。

「わたしの行為については、後でご説明いたします」

 幾田は冷静に答える。

「情報についてですが、わたしの口から申し上げても具体性を伴わないと考え、『実物』を皆さんにご覧いただこうと思いました。そのため、このような地まで御足労いただいた次第です」

 そう言って、幾田は会議室に新たなメンバーを呼び寄せる。ドアを開けたのは、まだ十五にも満たない幼い少女だった。しかし、彼女がただの子どもでないことは、ここにいる全員が把握していた。頭の上に浮かぶ不思議な二つの艤装が、彼女は人間ではないことを物語る。全員の注目を浴びる中、少女は澄ました顔で幾田の隣に立つ。

「叢雲、お願い」

 幾田が呟く。すると叢雲は、頭の艤装を耳のように立て、艦娘専用の電波で通信する。何かを呼んでいるらしい。彼女は終始無言のまま役目を終えた。しばらくして、窓の外の景色が変わり始める。雨のベールの向こう側で、巨大な何かが黒い影を纏いながら、建物に接近してくる。

「あれが、きみの言う実物かね?」

 米内大臣が尋ねる。海軍軍人たちは、その正体をすぐ理解した。

 艦影だ。それも駆逐艦クラス。艦娘のデータに習熟していた大西少将は、驚きを隠せなかった。

「馬鹿な。あれは沈んだはずだ」

 信じられない現象が起きていた。すでに轟沈したとされた艦。一九四二年一一月、深海棲艦が初めて本土に攻撃をしかけてきた。その際、自身の提督とともに勇敢に戦い、本土を守って名誉ある戦死を遂げた艦に間違いなかった。

 窓越しの艦影は、威圧感を放つほど大きく膨れ上がる。やがて鋭い艦首が、バルコニーすれすれまで迫り、静かに停止した。突然の新たな参加者に、会場は沈黙する。艦首の先端に、小さな人影が佇んでいた。皆が固唾をのんで見守るなか、その人物はおもむろに、ふわりと艦首から飛び降りた。そして軽やかにバルコニーへと着地する。人間技ではない。叢雲が窓を開き、彼女を迎え入れた。

「今日が雨で良かったですわ。こうして隠密に行動できましから。いくら海軍といえども、信用に足る人物でないかぎり、彼女を見せるわけにはいきません」

 微笑みながら幾田は言った。

 雨に濡れた黒髪が、艶やかに光る。見た目にそぐわない優雅な身のこなしで、謎の顕体が壇上にのぼる。そして参列者に一礼し、無表情に名乗った。

「駆逐艦、吹雪です。よろしくお願いします」

 その名を知らない者はいない。本土の守護神、白峰晴瀬少将の秘書艦。正規空母、重巡からなる敵の大部隊を、駆逐艦だけを率いて撃退した奇跡の戦い。その犠牲となり海に召されたはずの艦が、こうして艦体もとろも姿を現した。皆が視線で幾田に説明を乞うていた。

「彼女は、サンゴ海海戦の際、敵艦隊から落伍していたところを、わたしが率いていた第一一駆逐隊が救出しました。敵は、すでに死亡していた白峰提督を生きているように見せかけ、吹雪を脅迫しました。それが原因で人類側の情報が流出。艦娘の通信を傍受する方法も、吹雪から学んだようです」

「なるほど。深海棲艦がいきなり強くなったのは、情報源があったからか」

 大西は苦々しげに言った。ただ、吹雪の置かれた状況には同情の余地がある。まだ歳若い少女が、この世界で唯一慕う提督を人質に取られたら、敵に従ってしまうのも無理はない。

 吹雪は、ただ無表情に屹立していた。

「深海棲艦と接触したとあり、下手をすれば裏切り者扱いを受けると考えたため、山口多聞中将以外には、彼女の存在を話していません。山口提督も本土に到着するまで吹雪を秘匿するよう命じられました」

 幾田が説明を加える。よくも、それだけ口が回るものだと叢雲は心の中で感心していた。辻褄が合うよう、見事に嘘と真実を組み合わせ、自然な成り行きを捏造している。

「確かに吹雪は、情報を漏洩してしまいました。しかしながら、彼女はこうして戻ってきてくれました。今後の戦局を左右するであろう重要な情報を敵から盗んで。捕虜の管理まで徹底されていなかったことは幸いでした。そうでなければ、わたしは吹雪を奪い返すことができなかった」

 過去を思い返すように、ゆったりと幾田は言った。会場は幾田の話に聞き入っていた。吹雪が持って帰った情報の中身を、いち早く知りたいという欲求が各人の中で高まっていく。

「ここからは、わたしが見聞きしたことを、直接お伝えします」

 抑揚のない声で吹雪は言った。憂いを帯びた少女の顔は、悲しみに心が閉ざされているように見えた。提督を喪い、敵に利用され、それでも人類に味方しようと生き延びてきた少女の気持ちを考えると、捕虜の辱めを責めることは誰もできなかった。

「深海棲艦の母港。本拠地を見てきました」

 吹雪の一言は、大きな衝撃を軍人たちにもたらした。必死の探索、研究にも関わらず、ついぞ判明しなかった深海棲艦の母港。それが存在することが判明しただけでも、人類には大きな希望だった。

「残念ながら、位置までは分かりません。南太平洋の、どこかの島というだけです。しかし、そこには深海棲艦全てに共通する、『心臓』のようなものがあります。その島を破壊すれば、世界中の深海棲艦は一斉に活動を停止するでしょう」

 値千金の情報だった。先の見えなかった戦いに、とうとう目指すべき目標が一点、しっかりと見定まった。これで不用意に艦娘たちを前線に拡散させずにすむ。にわかに議場は活気づいた。

 しかし吹雪は、厳しい表情のまま説明を続けた。

「ただし、注意していただきたいのは、深海棲艦の母胎を潰せば、我々艦娘もまた役目を終えてこの世界から退場するということです」

 吹雪の言葉は、ふたたび周囲は沈黙する。軍の重鎮たちを見渡し、吹雪は少し瞳に憂いを滲ませた。

「ここからは、わたしの私見になります。目に見える形で証拠を提示することはできません。しかし、わたしは、これが事実であると確信しています。あの島を見た時、思い出したのです。わたしがこの世界に産まれ落ちたときの記憶を。艦娘も深海棲艦も、母胎は同じ場所でした。人類を、日本国を救いたい。その想いを共に掲げた者が艦娘に分化しました。反対に、人類に対して強い憎しみや怒りを抱えた者は深海棲艦として、この世界に産声を上げたのです」

 吹雪は言った。

「艦娘と深海棲艦は表裏一体。いわば光と影のようなものです。光あるところに影があるように、どちらか一方が消失すれば片方も消える。そういう仕組みなのです」

 幾田が補足する。それが真実だとすれば、帝国の国家戦略は大きな壁にぶちあたる。艦娘の力をアテにして、これまで支配域と戦線を拡大してきたのだ。もし深海棲艦を打ち破ったところで艦娘たちが消えれば、世界は元の状態に戻ってしまう。すなわち国際社会から孤立し、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中国と敵対するという無謀な運命が舞い戻って来るのである。

 深海棲艦という新たな敵と戦い、頭を冷やして客観的に世界を見つめ直した軍人たちは、とうに理解していた。かつて真珠湾攻撃から始めようとしていた戦争に、まったく勝ち目がなかったことに。

「ひとつ、質問してもいいかな?」

 米内海軍大臣が手を上げる。

「きみは艦娘と深海棲艦に分化した、と言っていたが、きみたちの母胎が、この世界に産まれ落ちたキッカケは、そもそも何だったのかね?」

「それは、分かりません」

 鋭い質問だった。吹雪は正直に答える。

「あの島に、何か巨大な力が働いたことは確かです。人類の想像を絶するような、巨大な力です。その力に引き裂かれた時間と空間のひずみから、偶然、わたしたちはこちらの世界に顕現しました」

 ゆっくりと、思い出を辿るかのように吹雪は言った。

「皆さんは、艦娘たちに前世の記憶が宿っていることをご存じでしょうか?」

 幾田が出席者たちに問うた。ほとんどの人間が肯定の意を示した。

「それについては、山本大将が研究を重ねていた。艦娘が人間を守ろうとする動機は、前世の経験にあるのではないかと考えているようだった」

 大西が言った。幾田は、「その通りです」と答えた。

「艦娘は皆、多かれ少なかれ前の世界での記憶を持っています」

 吹雪が説明を続ける。

「その記憶を頼りに、艦の操舵、砲術、索敵などを本能的にこなしているのです。ここで問題なのは、わたしが前世では、いったい何だったのかということです。仮に人間だとすれば、数々の専門分野に別れた艦の扱いを、たった独りでこなせる道理はありません。艦は大勢の人間が一致団結して正しく機能するからです。顕体ひとりで艦の全てを操ることができるのは、わたし自身が駆逐艦・吹雪という艦そのものだったからです」

 すなわち艦の化身です、と吹雪は結言する。

「そして思い返してください。わたしたちが、『今度こそは』絶対に沈まないと心に誓っていることを。統計を取ったことはありますか? 果たして、どれほどの艦娘が、前世の終わりを孤独と痛みに満ちた、暗い海の底で迎えているかを。そうです、わたしたちの大部分が、轟沈しているのです。守るはずだった人間を乗せて。前の世界で、わたしたちは今と同じ日本語の名を持ち、旭日旗を掲げていました」

 吹雪の証言は、会場を揺るがした。かつて山本大将が立てた仮説と全く同じことを吹雪が繰り返している。深海棲艦の深淵をのぞき、自身の根源をも垣間見た吹雪。彼女が言わんとしていることは、できれば間違いであってほしかった仮説を確かなものに変えていく。

「わたしは、別の世界の、大日本帝国の艦でした」

 吹雪の隣で、微かに叢雲が溜息をついた。

「敵は、もちろん深海棲艦などではありません。連合国と呼ばれる、こちらの世界で戦おうとしていた相手と同じです。彼らに、わたしたちは負けました。完全なる敗北です。わたしの心の底にあるのは、多くの命を道連れに死の淵へと沈みゆく光景。悲しみ、怒り、嘆き、恨み、すべての負の感情が混然一体となって、引き裂かれた鋼の身体に満ちていく気配。諦めに塗り潰されながらも、それでも、わたしは願ったのです。つぎは、つぎこそはヒトを救える艦でありたいと。魂がどこかに吸い込まれる感覚がありました。深海を漂流しているみたいに、長い道のりを、ゆっくりと押し流されていく感覚。そして意識が途絶え、気がつくと嵐の中にいました。東経一七〇度の海で、境遇を同じくする仲間に出会いました。それが、艦娘・吹雪の出発点でした」

 全員が、吹雪の独白に耳を傾けていた。

「やはり負けるのだな、日本は」

 沈黙を破ったのは米内だった。

「深海棲艦との戦いが終われば、吹雪さんが昔いた大日本帝国と同じ運命を辿るということですな」

 石原が言葉を重ねる。

「そうです。考えなくてはならないのは、深海棲艦に勝利することばかりではありません。わたしたちは国家の行く末に責任を持たねばならない立場です。艦娘と別離した後も、国は続いていく。艦娘に救われながら、愚かにも再び滅びの道を行くことは許されません」

 凛とした声音で、幾田は会場の意志をひとつにまとめ上げる。

「急進派は、陸軍だけではなく海軍にもいる。身内の不始末を処理する能力も、軍には必要だ」

 伊藤中将が言った。

「この国の軍部は強くなりすぎた」

 理性派の意見を統括するように、米内が口を開く。

「明治維新によって近代国家の体裁だけは整った。しかし、その中身はお粗末なものだった。総理大臣をはじめ、各大臣は横並びとなり、指揮命令系統が曖昧なまま据え置かれた。主権者である陛下も、元老伊藤博文の定めた宮中府中の別というルールのもと、表立っては政治に意見なされない。元老が生きていた時代は、まだコントロールが効いた軍部も、今では暴走寸前にまで陥りかけている。帝国主義という一時の世界の潮流を笠に着て、政治の領域をも左右するようになった。このまま我が国が、身の丈に合わぬ帝国主義を貫き通そうとすれば、必ず世界と衝突する。深海棲艦に勝っても、次の戦争はしてはいかん。戦わずしてすむ道があるとすれば、例え現在の国体を変革しようとも新たな歴史を切り拓くべきだ」

 つまり彼はこう言っている。

 このまま陸、海軍の急進派・主戦派が大人しくならず、なおも軍部独裁のような状態が続くのであれば。

「この国を、明治維新以前の状態に戻すことも、やぶさかではない。ということですな」

 石原が、いちはやく米内の意志を汲んだ。にわかに会場に緊張が走る。それは、すなわちクーデターの目論みだった。現体制を破壊することは、大日本帝国憲法にも反旗を翻すことになる。下手をすれば、陛下に弓引く国賊と見なされかねない。

「我が国を滅亡に導かない、近代国家として相応しい支配体制の確立は、以前からわたしが内密に米内閣下にご相談していたことです。わたしが陸、海の急進派とも接点を持っているのは、平穏に改革が為されない場合の保険です。今年中に深海棲艦との決着がつかなければ、国民は絶望的な状況に陥ります。そうなれば、強引にでも体制を改革し、軍部から国の主導権を取り戻さねばなりません」

 幾田が付け加える。もし国民が暴動に飲まれた時、軍部はどう動くか見当がついている。国体の護持を大義名分に、より独裁権力を確固たるものにするだろう。そうなれば、戦争は避けられない。新たな太平洋戦争が幕を開けてしまう。

 会議は、ここでいったん解散となった。

 演壇を降りた幾田のもとに、君津少将が歩み寄る。

「見事でしたよ。これで少しは、この国の内側に目を向けてくれるといいのですが」

「いいえ。わたしが望んでしたことですから」

 幾田は謙虚に首を振る。この男もまた、数ある幾田の偶像のなかに、救国の乙女の姿を見ているのだった。

「わたしのほうこそ、お礼を申し上げねばなりません。あきつ丸からの情報提供がなければ、隠密に動くこともできませんから」

 そう言って、幾田は部屋の隅に微笑みかける。若い情報将校のとなりで、初の陸軍所属となった艦娘が嬉しそうに笑い返した。

「今後とも、あきつ丸のことをよろしくお願いします」

 あきつ丸の教育を担当している将校、荒牧稔が一礼する。彼は昔から幾田の協力者であり、よき理解者でもあった。しかしながら彼は、白峰にとって変わろうとする男性的野心はなく、ただ幾田の思想に賛同しているにすぎない。幾田にとっては、数少ない優秀な手駒のひとつだった。

 全員が退出したあと、ようやく幾田は一息ついた。

「叢雲、ありがとう。吹雪もよくやってくれたわ」

 部下の艦娘をねぎらう。だが、吹雪の様子がおかしいことにすぐ気づいた。何かに怯えるように瞳孔が収縮し、全身が熱病に冒されたように震えている。青白くなった顔面から感情が霧散していき、吹雪とは思えない冷たい空気を纏い始める。その様子に、さすがの叢雲も忌避の表情を隠せなかった。

 やがて、左目だけ瞳孔が拡散する。そこには暗く深い海色がぽっかり穴を開けていた。ぐるりと人形のように首が回り、不気味な瞳が幾田を捉える。

『状況を説明してください』

 吹雪だが、吹雪の声ではない誰か。おぞましいことに顔の左半分だけが、操られるように動いている。右半分は吹雪のまま、怯えて硬直していた。

「あなたの指示通り、この国の中枢に、新たな意志の種を播いたわ」

 落ち着き払って幾田は答える。

 吹雪の左目の向こう側には、あの深海棲艦がいる。本土を急襲して白峰を攫い、深海棲艦の強化に多大な貢献を果たした存在。今や深海提督となった白峰の片腕として、自身の機動部隊を率いている。吹雪を介して、幾田は空母ヲ級の顕体、アウルムと会話していた。

『いいでしょう。ひとつの土壌にふたつの種。膨張して相争い、やがて自らの土壌をも真っ二つに引き裂く』

 アウルムは言った。現在、深海棲艦に対抗できるだけの艦娘を保有、運用しているのは日本だけだ。もし日本の政府中枢が分裂し壊滅すれば、艦娘は指揮者を喪い孤立する。そうなれば、あとは烏合の衆と化して海に散らばる艦娘を各個に撃破すればいい。

 国を内側から切り崩す。幾田を通じてアウルムが進めている作戦だった。深海棲艦は政治を理解できるほどに進化していた。

「お気に召してくれたようで何より。白峰提督に伝えてちょうだい。この作戦が成功したあかつきには、わたしをあなたのもとに呼び寄せて欲しいと」

 幾田の発言で、一瞬、吹雪の瞳に剣呑な光が揺らめく。

『勘違いしないでください。裁定者たちの過半数は、あなたを信用していない。これからも吹雪を通じて監視を続けます。もし、あなたが不審な動きをすれば……』

 窓の外の艦体が、ゆっくりと遠ざかり、甲板の主砲を幾田に向ける。叢雲が庇うように幾田の前に立った。

「分かっているわ。あなたが不信感を抱くのも無理はない。けれど、わたしはわたしの正義に従うだけ。それが偶然、あなたと目指すところが同じだったというだけよ。あなたを裏切る理由がない」

 さらりと帝国への裏切りを言い放つ幾田。アウルムは何も反論することなく、吹雪の艦体を退かせた。

『引き続き、我らへの貢献を期待しています』

 そう言い残し、アウルムは吹雪の脳から撤退する。ようやく心と体の半分を解放された吹雪は、疲労のあまり床につっぷして荒く息をついた。

「叢雲、彼女の様子はどう?」

「大丈夫よ。奴の気配は感じない」

 耳のように艤装を立てて叢雲は言った。吹雪には、常に叢雲を傍につけていた。もし吹雪が不審な動きをすれば、それはアウルムが『飛来』していることを意味する。そのうえ艦娘同士の通信にも、微弱ながらノイズが生まれる。叢雲は、幾田に常にサインを送り続けていた。艤装の色が薄いピンクならば危険、青ならば安全。今回の会議では、吹雪が喋っている間、叢雲の艤装は常にピンク色をしていた。

「ごめんなさい、わたし、迷惑かけてばかりで」

 突っ伏したまま、苦しげに吹雪は言った。敵に鹵獲されたあげく提督を奪われ、さらに脳を改造されてスパイ行為を人類に対して働いていた。彼女が責任を感じるのも無理はない。幾田は自らしゃがみこみ、吹雪に手を貸した。

「いいえ。あなたは十分役に立ってくれている。あなたが意図せずして触れてきた敵の情報は、これからの戦争を左右する重要なものよ。だから自信を持ちなさい。敵の操り人形に甘んじようと、心までは奪われない。あなたの忠誠心は本物だわ」

 吹雪の手を取り立ち上がる。励ましの言葉に偽りは無かった。

「さて、わたしはもう一仕事こなさないといけない。吹雪は部屋で休んでいて。叢雲、一緒に来なさい」

 そう言って、幾田は吹雪を客室まで送り届けたのち、叢雲を伴い屋敷を出た。降りしきる雨を外套に沁み込ませながら、島の裏手にある小さな波止場に向かう。

「ねえ、どうして全部話さなかったの?」

 叢雲が尋ねる。艤装の光は青だ。

「吹雪のこと? それとも、深海棲艦の本拠地のこと?」

「後者よ。わたしたちが発生した原因についても、吹雪はある程度の見当をつけていたじゃない」

「それを話したところで、混乱が増すだけよ。今は国内の改革に集中しなければならない。列強諸国との付き合い方を考えるのは、その後で構わない」

 今は、下手に外国に対して敵意を持たれては困る。

 

 なにせ深海棲艦は、人間の手でこの世界に呼び寄せた可能性が高いのだから。

 

「あんたがそう考えるなら、別に構わないけど」

 叢雲は興味なさげに呟く。だが内心では幾田の判断を気に病んでいていた。陸軍と海軍の急進派の支持を集めるのみならず、理性派の集まりにも顔を出して革命を促すように情報を流す。矛盾する二つの行為を、同時に進めている。よほど上手く立ち回らない限り、二枚舌外交は己に死を招く。

「吹雪は、大丈夫かしらね」

 叢雲が、ぽつりと呟いた。

 アウルムによって精神と肉体を改造された吹雪は、とてつもない負担を日常的に抱えている。今では一日の半分を眠って過ごすようになっていた。おそらくアウルムにとって、幾田の監視など作戦の枝葉末節でしかないのだろう。どう幾田が動こうが、深海棲艦の勝利は揺るがない。その自信があるからこそ、常時幾田を監視せず、都合のよいときだけ吹雪を使うのだ。

「このまま疲弊が続けば、顕体が崩落しかねないわ」

「彼女を救う手立てがあるとすれば、アウルムと呼ばれている旗艦クラスの空母ヲ級を倒すか、深海棲艦の核を破壊するか」

 幾田が答える。ふたつとも、遥か遠い可能性だった。

 俯く叢雲の頭に、そっと手を乗せた。

「できる限り彼女をいたわってあげましょう。深海棲艦に屈した自責と屈辱に心を焼かれながらも、貴重な情報を持ちかえるために生き恥を晒す覚悟を決めた。裏切り者の疑念を向けられ、嫌悪と忌避の対象となることも厭わずに。年頃の少女ができる決断ではないわ。あなたの姉は尊敬に値する。立派な艦娘であると、わたしが保証する。だから、あなたも全力で自らの姉を誇りなさい」

 きっぱりと幾田は言った。叢雲はハッと目を見開く。強気な瞳に、少し涙が滲んでいた。

「ありがと。これで吹雪も少しは報われる」

 照れ隠しのようにそっぽを向いて叢雲は言った。

 やがて二人は桟橋の先端に辿りついた。

 予定時刻ちょうど、海中から巨大な影が浮き上がる。伊401の艦体が、その巨体には不釣り合いなほど寂れた港に姿を現した。潜水空母として生を受けた伊401は、理論上地球を一周半もできる航続能力を誇る。長期に渡る隠密航海を得意とする艦だ。顕体による卓越した操舵により、大きな波紋を経てずコンクリートの桟橋に接舷する。艦橋のハッチを開け、ひとりの軍人が幾田の前に降り立った。

「急に呼びつけたと思いきや、辺鄙な島に出迎えが二人だけとは、よほど隠し事が好きらしい」

 男は抑揚のない声で言った。

 潜水艦娘部隊の指揮官にして、呉鎮守府の教育担当官である福井靖少佐だった。さらに沖合には、駆逐艦にしては大きな艦影が一隻、手持無沙汰に停泊している。幾田が教育を担当していた最速の駆逐艦・島風だ。彼女が福井をここまで誘導してきた。

「近々、本土の艦娘の全戦力をもって、深海棲艦の包囲突破作戦が発動されるわ。その際、おそらく包囲網を抜けられるのは、隠密行動に適した潜水艦群か、高速小型戦力の島風くらいでしょう。これから前線に向かうあなたに、どうしても知っておいてほしい情報がある」

 幾田は、そう言って防水加工の施された封筒を福井に手渡す。

「必ず目を通しておいて。一度前線に出てしまえば、本土に戻って来るのは困難になるでしょう。前線で何をすべきか、それを読んだ上で判断してほしい。わたしが知る限り全ての情報を開示してある」

 幾田の目は真剣だった。これまでの彼女とは違う、何かを覚悟したような強い光が宿っていた。

「前線のことは前線の判断に任せる、ということだな?」

「というより、任せるしかなくなったのよ。深海棲艦が攻勢に転じた以上、まともな輸送網の保持は期待できない。タンカー護衛に戦艦をつけるわけにはいかない。つけたとしても、敵機動部隊の餌食になることは目に見えている」

「では、この機密情報も、俺の一存で開示する相手を決めていいということか?」

「その通りよ」

 よどみなく幾田は答えた。

「もはや前線に本土の声は届かないし、本土は本土でやらなければならないことが山積み。あなたのような信頼のおける人物に、この先の戦いを託したい。どのように戦争に決着をつけるのか、しっかり艦娘の気持ちと向き合ってあげて」

 幾田は、ちらりと叢雲に視線を落とした。もしかしたら、この子にだけは望む戦いをさせてあげられないかもしれない。そう考えると胸が痛んだ。

「だが、前線の連中は本土に戻りたがるだろう。トラック、タラワ、とくにマリアナ、中部太平洋の戦力は必ず本土を目指すと言ってもいい」

「無謀だけど、そうするでしょうね。深海棲艦の機動部隊が、みすみす獲物を放っておくはずがないというのに」

 マリアナは全滅かもしれないわね、と幾田は思った。

「そうだな。今回の出撃作戦も、ほとんど成功する見込みはない」

 ときとして戦争は人間を追い詰め、合理的判断を奪う。合理性が失われた戦争は、さらなる泥沼へと落ちていく。

「この情報は、しっかり活用させてもらう。ここだけの話、俺は深海棲艦が本土と前線を分断したのは、むしろ好都合だと考えている」

 予想外の発言だった。幾田は黙って続きを促す。

「余計な政治的駆け引きに艦娘を巻きこまなくて済むからだ。彼女は、深海棲艦と戦うために存在している。戦うことで人類を守れると信じているからだ。俺は提督として、彼女たちの純粋な想いを尊重したい」

 福井は毅然として言った。彼はもとより、渋谷のように軍人である自分と提督である自分との葛藤に悩むような男ではなかった。出会った直後から艦娘に没頭し、艦娘のための提督であることだけに専念してきた。彼は帝国の未来より艦娘の未来を優先して考える。ゆえに、幾田は安心して情報を託すことができた。

「きみは、この国の形を変えるつもりなのか?」

 福井が尋ねる。その問いに、幾田は迷うことなく頷いた。

「そうよ。この命を捧げる覚悟」

「わかった。前線は、こちらに任せておけ。必ず深海棲艦を、この世界から撃滅してみせる。あとのことは頼んだ」

 福井は言った。提督である以上、前線で敵と見えるのが仕事だ。しかし、この国は未来を背負う若い力を必要としている。幾田が適任だと彼は思った。艦娘のことを深く理解しつつ、広い視野をもって国の行く末を案じることができるからだ。初期艦を持った五提督の中なら、彼女が最も政治的駆け引きに向いている。

 そして福井は、出港の時間を迎えた。これから横須賀の主力に合流し、太平洋突破作戦の一翼を担うのだ。

「では、行ってくる」

「島風を、よろしくお願いね」

 ふたりは固い握手をかわす。掴みどころのない女だと思っていたが、根底にあるのは、自分が大切にしている何かへの、ゆるぎない愛情のようだ。福井は初めて彼女という人間を理解した気がした。

 伊401が潜行していく。

 これで、ようやく肩の荷がひとつ降りた。自然に溜息が洩れる。

「彼はどう思うでしょうね。白峰が深海の王になったことや、艦娘と深海棲艦の始まりを知ったとき、どういう決断を下すのか。これで本土の誰も前線に介入できなくなる。政治的いざこざに艦娘が振り回される時代は終わる。艦娘と提督たちが出す答えを信じましょう。さあ、帰ろう。わたしたちは本土で任務が待っているわ」

 叢雲を引き連れ、幾田は桟橋を後にした。

 

 一九四四年六月一日。

 伊勢、日向を中心とする艦隊が、マリアナ諸島に向けて横須賀から出港した。しかし、大方の予想通り強力無比な深海棲艦の艦隊に敗れ、ほうほうのていで本土に帰りついた。唯一、状況が分からないのが、福井靖少佐率いる潜水艦部隊と、洋上護衛にあたっていた駆逐艦・島風だった。この二者とは連絡が途絶え、もはや生死すら確認できない。

幾田は確信していた。おそらく彼らだけは包囲網を抜けたのだと。全ては彼女の計算通りだった。部隊主力の航行予定を、吹雪を通してアウルムに密告したのは彼女だった。しかし、島風と潜水艦については、まったく情報を漏らしていない。おかげで彼女たちは、味方にも敵にも動向を知られることなく中部太平洋に潜り込むことに成功した。

最重要機密を握った福井は、果たしてどこを目指して進むのか。マリアナかトラックか、それともあの列島か。前線の運命は、前線にのみ委ねられている。

 


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