【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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石油施設を建設するため、重要な輸送任務についた渋谷と艦娘たち。新たにソロン泊地の所属となり、前線と中部太平洋の架け橋となるべく日々邁進する。摩耶は、なぜ艦娘が「女」の姿をしているのか、自分なりの結論を導き出す。

戦争に希望が見えた矢先。

深海棲艦の脅威は、いつも人類の想像を超えたところから忍び寄る。
戦闘海域に多発している人間の大量失踪、その理由が明かされようとしていた。


第十二話 陸へとのぼる

 

 渋谷直卒の第三駆逐隊、陽炎率いる第二駆逐隊、摩耶率いる第七駆逐隊は、無事トラック泊地まで辿りついた。従来、補給船の運航は稼働率を重視して、小規模な船団に一、二隻の駆逐艦をつける方法で行われていた。しかし、敵潜水艦の台頭により、あちこちで撃沈が相次いだ。艦隊決戦にはやるあまり、前線に戦力を集中していたことが招いた弊害だった。痛い目をみた軍令部は方針を転換し、とにかく「沈まない」ことを重視した。大規模な船団に、大規模な護衛をつける。ようやくまともな海上護衛作戦が立案された。その試金石が、渋谷率いる護衛艦隊だった。

 トラック環礁に入って最初に目についたのが、大和の妹である超弩級戦艦・武蔵だった。連合艦隊の最高戦力にふさわしい、堂々たる佇まい。その顕体もまた、艦の豪快さを生き写したような体躯と性格をしていた。二メートル近い長身、がっしりした肉体と褐色の肌。まるで部族の族長のような野性味と好戦性が滲み出ている。姉の大和とは全てが正反対だった。大和とのいきさつを話すと、武蔵は感謝の意を示し、「気難しい姉だからな。これからも面倒みてやってほしい」と明るく言った。武蔵は、すでに大和がパラオに異動すること、自身が前線に出る予定であることを知っていた。三大空母として名高い、「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」の第五航空戦隊を加え、フィリピン侵攻の準備が整いつつあることも。

「フィリピンを守る敵は強い。大和にふさわしい戦場が用意されるだろう。機会があれば、そう大和に伝えておいてくれ」

 武蔵は言った。あっけらかんとした武蔵を見て、渋谷は疑問に思う。戦うための艦でありながら、その重油消費量を恐れられ、大和以上に実戦の機会に恵まれなかった。それなのに、彼女には鬱屈した様子が見当たらない。渋谷は思い切って尋ねてみることにした。

「ふむ、わたしは元来こういう性格だからな。自分の存在意義については、あまり悩んだことはない。もちろん敵を撃ち沈めたいとは思うが、艦は適材適所に配置されてこそ力を発揮する。まだ戦局は、この武蔵を出すほど逼迫してはいないのだろう。だから、わたしは待つのだ。油田地帯を手に入れたなら、もっと積極的に艦を運用できるようになる。大和とわたしも、互いに必要とされる時と場所で戦えばよいのだ」

 そう言って、武蔵は渋谷に優しく微笑む。

「大和だけではなく、この武蔵の心情まで気遣うとは。感謝するぞ。いつか共に戦える日を楽しみにしている」

 渋谷は彼女と固い握手を交わす。最大の戦艦として、艦娘たちの将にふさわしい人柄だと思った。彼女がいれば、きっと前線は安泰だろう。もし許されるなら、大和と武蔵を一緒に運用してほしかった。そうすれば大和の不安も和らぐだろう。しかし、最大戦力を二隻とも集中させる軍事上の合理性は薄く、現実には厳しいアイデアだ。

 ともあれ、武蔵と会話できたことは渋谷にとって大きなプラスとなった。武蔵の他にも、正規空母の翔鶴と瑞鶴、装甲空母という強力な艦種である大鳳とも、短い時間だったが交流を深めた。瑞鶴と会うのは二度目だったが、昔のように気さくで元気な姿を見せてくれた。

 そして渋谷は、かつての友との再会も果たした。熊少佐と福井少佐が前線に出ていたのだ。第六、第八駆逐隊は歴戦の護衛艦として本土と中部太平洋を往復していた。さらに福井少佐麾下の潜水艦娘部隊も、情報収集やタンカーの護衛を行っていた。旗艦である伊401に乗りこんだ福井は、ほとんどの時間を海中で過ごしていたという。三人の提督は久々の再会を喜び、大いに語りあった。近々、熊は伊勢、日向の二隻を本土から引き連れ、フィリピン攻略の準備を進めるらしい。福井は、潜水艦たちの長距離潜航能力を見込んで、潜水空母として敵本拠地を直に叩く研究をしていた。渋谷はすぐにトラックを出港せねばならず、名残おしみながら二人と別れる。幾田も二人と接触したようだった。彼女が果たして深海棲艦と白峰のことを伝えたのかは分からなかったが、おそらく打ち明けてはいないだろうと思った。なにせ渋谷は実際に捕虜となっていたから幾田の言葉を素直に受け入れることができたのだ。深海棲艦と接触したことのない二人が、幾田の話をそうそう信じるとは思えない。

 タンカー六隻、三〇人からの技術者を守りながら、護衛艦隊はトラックを後にした。熊や福井の話を聞くと、本土の生活はかなり苦しくなっているようだ。鋼材が不十分であるため民需用の船舶はますます不足し、これ以上徴用すると暴動が起きかねない。これからは輸送船が軍艦に匹敵する価値を持つかもしれない。もう一隻たりとも失う余裕はなかった。帰りの航路は、行きよりも遥かに緊張を強いられた。しかし、ときおり無線を通じて流れるピアノの音が皆の心を癒した。ラバウルを発って以来、摩耶はピアノを自分の艦に積んでいた。船団は固まっているので敵に傍受されることもない。長い航海のなか、唯一艦娘たちの楽しみとなっていた。

 そして護衛艦隊は初めての任務を完遂した。一隻も欠けることなく貴重な物資と技術者たちを最前線に送り届けた。港では陸、海関係なく、全ての人間が入港を歓迎した。第二、第三、第七駆逐隊は、そのままソロン泊地の所属となり、中部太平洋から前線への海上護衛を主な任務とすることが決まった。

 

 

 一九四四年一月。

 廃墟同然だったソロン泊地は、軍港にふさわしい復興を遂げた。三日月型の港湾に作られた港は堅固な要塞となった。三日月の両端には各五基の砲台が置かれ、湾内と外海をつなぐ入口は普段は鎖で封鎖された。艦が出入港するときだけ一部の鎖が緩められる仕組みだ。これにより敵の駆逐艦、潜水艦を締め出すことに成功した。重油の生産も少しずつ軌道に乗り始め、一カ月あたり八万キロリットルの供給が見込まれていた。普段は一般国民を下に見ている軍人たちも、本土からやってきた技術者には尊敬の念を抱いた。国家のためを思い、朝となく夜となく働きつづけ、わずか三カ月で石油施設を復旧、さらに改良した。それでも前線にいる艦娘たちの腹を満たすのが精いっぱいで、国内需要まではとても回せない。フィリピンまで戦線を拡大するとなると、まだジリ貧の状態は続くことになる。

 ソロン鎮守府にて、渋谷は補給線護衛のための作戦を立てていた。第三駆逐隊は、幾度かの接敵を経ることで実戦においても自信を得た。そこで正式に長波が饗導艦に就任し、第三駆を任されることになった。長波率いる第三駆、第七駆が、護衛するタンカーとともにソロンに帰投するのが七日後。ソロンに残っているのは艤装調整中の摩耶と、湾外で演習を行っている陽炎率いる第二駆だった。

「連合艦隊司令部から通知が来ている」

 執務室に摩耶を呼び出し、渋谷は言った。

「おまえの実力が認められたんだ。もはや駆逐艦の引率は役不足だと判断されたのだろう。異動を打診されている」

 壁にもたれながら、摩耶は複雑な表情をしていた。彼女の気持ちも理解できる。第七駆のメンバーは、摩耶のために全員が執務室に押し寄せてきた。彼女たちの間には、艦種を超えた絆が生まれている。摩耶は、仲間との絆をあっさり断ち切れる人間ではない。

「で、行くとしたらどこだよ?」

「トラックの第二航空部隊か、あるいは立て直しを図っている第一航空部隊か。空母護衛のためだな。まだ決定事項ではないが、可能性は高い」

「当然、艦長はおまえだよな。いまさら、あたしに乗りたがる奴なんていないだろ?」

 摩耶が尋ねる。渋谷は即答できなかった。摩耶がどうしてもと言えば、少佐の身分で重巡艦長になることもありえる。しかし、これまで通り自分の直轄として摩耶を率いることができるのかは不明だった。

「というか、あたしはおまえ以外乗せる気はないぞ」

 顔を背け、呟くように摩耶が言った。執務室は、しばらく重苦しい沈黙に浸される。すると摩耶が思いだしたように叫んだ。

「というか、なんでそんな話になってんだよ。今日は非番だろ? たまの休みくらい摩耶さまを労えってんだ」

 つかつかと渋谷に迫り、強引に腕を掴む。そのまま渋谷は鎮守府の外に引きずり出されてしまった。

「部屋に籠ってても仕方ないだろ。今日はあたしに付き合え!」

 有無を言わせぬ口調。少し上気した頬を見て、渋谷は摩耶の目的に気づいた。ポートモレスビーの街で涼子と逢い引きした、その意趣返しをしようとしている。

「あたしさ、石油施設に興味あるんだよ。自分の食いもんが作られてるところを見たい。そしたら、あとは港に行って、さらなる進化を遂げた摩耶さまの艦体を詳しく解説してやる。提督として喜ぶがいい」

 いつにもまして口数が多い。長い付き合いだから緊張しているのは分かるが、どこか不自然な感じがした。何かを躊躇っていて、それを隠すためにわざと明るく振る舞っているかのような。

 石油施設は、ソロンの街の外れにある。街は製油所から港にかけて傾斜しており、坂道にへばりつくように街や軍の施設が並んでいる。今日は幸いにも空は曇っていて、真夏の太陽を隠してくれる。異国情緒あふれる細い路地と階段を歩く。

「なあ、提督」

 その途中、ふと摩耶が足を止めた。狭い路地の影に身をよせ、神妙に尋ねる。

「提督は、あたしのことをどう思ってる? 艦娘としてじゃなく、ひとりの人間として」

「どうしたんだ、急に?」

 渋谷は質問を返す。否、はぐらかしたにすぎなかった。おそらく摩耶の望む答えを与えることはできない。しかし摩耶の想いを拒絶することも彼にはできなかった。これまで共に培ってきた信頼や友情、そしてこれから過ごす居心地のよい時間。それら全てを棒に振ってしまうことを恐れた。

 俺は上司。おまえは部下。それでいいじゃないか。喉元まで出かかった言葉を渋谷は辛うじて飲み込んだ。沈黙する渋谷から、摩耶は目を背けた。

「どうしてあたしたち艦娘は、女の身体をしてるんだろうな」

 唐突に摩耶は言った。渋谷は黙って耳を傾ける。

「艦娘は中途半端な存在だと思うんだよ。なんていうか、別の世界から都合のいい部分を切り取って、無理やり今の世界に張りつけたみたいな。普通、人間は赤ん坊から成長していくもんだろ。言葉を覚えて、自分の足で立てるようになってさ。育つ環境で性格も少しずつ形成されてく。でも、あたしたちは生まれたときから成長した肉体を持っていて、言葉も覚えていた。個性的すぎるほど個性があった。駆逐艦は幼いまま育つ気配はないし、重巡や戦艦も同じだ。生物の道から外れちまってる、すごく中途半端な存在なんだよ。おまえは、あたしらを艦であり人間であるって言うけど、意味を逆にすれば、艦でもなければ人間でもないってことだよな。心があるから、人間に混ざりたい。でも、純粋な人間じゃないから、結局は戦争の道具として距離を置かれてしまう。艦娘は艦娘だって、割りきられてしまうんだ」

 摩耶の思考が吐露されていく。自身の存在について、ここまで深く考察しているとは思わなかった。大抵の艦娘は、戦うことをレゾンデートルに毎日を生きている。自分の存在に疑問を抱くことなく、ただ目の前の敗北を嘆き、勝利を喜ぶ。しかし、彼女たちが人間と変わらぬ心を持っているなら、人類が何千年にも渡り悩んできた「存在」という哲学的難問について、人間と同じように想いを馳せる個体がいてもおかしくない。その点で、摩耶はイレギュラーと言えた。人間でさえ未だ辿りつけない真理に、産まれて数年の艦娘が、たった独りで戦いを挑んでいるのだから。

「それで、あたしは思ったんだ。艦娘が皆、女の身体をしているのは、人間と寄り添うためじゃないかって」

 摩耶は続ける。懇願するように、強さの中に儚さを秘めた瞳で渋谷を見つめる。

「この世界の人間は、女しか子どもを作れないんだろ? 男は女を必要としなければならないって宿命づけられている。だったら、そこに艦娘も入れるんじゃないか? 突然この世界に現れた異物が、男と交わることで人類の種に組み込まれる。種族の輪に溶け込んで、これからもずっと続く種の歴史の一部になれるんだ。艦娘が人間の姿をしていて、さらに女なのは、自分たちを孤独にしないためだと思う。人間として迎え入れてもらうためだと思うんだ。だから―――」

 あたしは、おまえを好きになった。

 摩耶は言った。豊かな感情で溢れそうになる瞳が、こちらを見ている。

「涼子とおまえが一緒にいるのを見たとき、胸が苦しかった。ああ、これが嫉妬なんだって後で気づいた。嫉妬するのは、おまえが好きだから。あたしも、おまえの心に入れろと思うから。これが艦娘なんだ。好きな男を賭けて、人間と同じ土俵で戦うための心がある。感情がある。それは、あたしたちが人間だから」

 摩耶の腕が伸びる。そっと渋谷の手を握った。

「あたしを受け入れてくれないか?」

 掴んだ彼の手を、自分の胸に当てる。服の上からでも柔らかさと温かさが伝わる。それは、まぎれもない女の身体だった。

「駄目だ」

 渋谷は手を振り払う。

「人間は複雑な生き物だ。一方的な好意に、肉体的接触で応えることは、俺にはできない。俺は部下としておまえを信頼している。おまえといると居心地がいい。でも、おまえを女として見ているわけじゃない」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 だらりと腕を垂らし、摩耶は力なく言った。

「あたしの心を、どう扱えばいい? 上司と部下なんて都合のいい関係のまま、人間の女におまえの心を掻っ攫われるのを黙って見てろっていうのか。あたしの好きだって気持ちは永遠に受け入れてもらえないまま、ずっと艦娘のままでいろって?」

「今の俺が不満なのか?」

 渋谷は問うた。数多の艦娘と接しながらも、ここまで深い気持ちをぶつけてきたのは摩耶が初めてだった。どう対処すべきかなど知る由もない。ただ、ここでうやむやにするのは人間として許されない気がした。

「俺はおまえを大切に思っている。一緒に死んでもいいと思っているほどだ。今の俺じゃ駄目なのか」

 渋谷の言葉に、摩耶はぐっと口をつぐんだ。難しい問題であることは彼女も分かっているのだ。深くまで考えの及ぶ繊細な摩耶だからこそ、人間特有の葛藤も理解できる。そう渋谷は思っていた。

「もう少し時間をくれ。お互いの気持ちを整理しよう。ヒトを愛することは難しい。ここで事を急いても仕方がない」

 渋谷は提案する。問題を先延ばしにしたわけではないと信じたかった。産まれて数年も経たない少女がすべきことは、もっと時間をかけて心を理解し、人間を理解することだと思った。

「分かったよ。いろいろ分かんないけど、努力する」

 摩耶はそう言って、自分の頬を軽く叩いた。

「柄にもないこと喋っちまった。でも、これで分かっただろ? あたしを艦娘扱いしてると、また痛み目見るぞ」

 屈託のない笑顔で摩耶が笑う。

 ふたりで坂の続きを登ろうとした。その瞬間だった。

 港から地鳴りが響く。湾の入口に置かれた砲台が火を噴いていた。敵艦が泊地に接近してきたのだろうか。第二駆逐隊は、まだ演習の最中だ。湾の鎖は解かれていない。敵が攻め込める余地はないはずだ。摩耶はじっと眼下の街並みを観察する。港のほうから煙が上がっている。何かがおかしい。

またも爆音を轟かせる砲台。摩耶は頭の艤装に意識を集中させる。人間ならば耳を澄ませている状態だ。第二駆の無線を拾おうとした。普通の顕体ならば絶対に聞きとれない距離だが、伝達機能を鍛え上げた摩耶は、か細い通信をなんとか手繰り寄せる。

『……どうし……ってくるの?……』

『港……近づけ…い……』

 白露と陽炎の会話。拾った電波から、丁寧にノイズを取り除いていく。

 どうして撃ってくるの?

 港に近づけない

「砲台が狙っているのは味方だ。第二駆が攻撃されてる!」

 摩耶が叫ぶ。いったい何が起こっているのか。とにかく港に急がねばならない。そう思ったとき、今度は港湾部から炎があがった。ひとつ、またひとつ空に黒煙が立ち上っていく。摩耶の耳は銃声を拾った。そして人々の悲鳴。

「敵襲だ!」

「そんなバカな。敵機も敵艦もいないんだぞ」

 渋谷の反論を無視する摩耶。彼女の瞳は、遥か眼下に蠢く人の波を捉えた。まるでアリの群れのように列をなし、砲台から港湾の街まで続いている。姿は人間だった。しかし動きがおかしい。街を守る陸軍部隊の機銃を受けても全くひるまない。それどころか、喜々として銃弾の緒元に突撃していく。

 人間ではない人間の形をした何か。摩耶は総毛立つのを感じた。正体不明の敵がソロンを襲っている。

「港に急ぐぞ!」

 そう言って渋谷は走り出す。こんな芸当ができるのは深海棲艦しかいない。彼の脳髄はショックに慣れていた。冷静に自軍の戦力を見直す。港湾機能が敵に奪われた以上、湾内で深海棲艦と戦えるのは摩耶しかいない。あの砲台を黙らせ、第二駆逐隊を呼び戻すのは摩耶の火力が必要だ。

「これを持ってろ」

 渋谷は摩耶に予備の拳銃を渡す。そして自分も愛用のリボルバーを右手に構えた。悲鳴や爆発音を辿ると、敵は少しずつ坂を登り始めている。狙いは石油施設としか思えなかった。製油所の方では警報が鳴り響き、敵に備えている。あそこが占領されたらソロンは終わる。それは石油供給の停止、ひいては艦娘の無力化を意味する。事態は悪化を極めていた。深海の歩兵戦力など、誰が考慮しただろう。それも、突如として現れた連隊クラスの大部隊。ここは海軍の街だ。戦車もなければ、十分な野砲もない。

「危ない!」

 摩耶が吼えた。路地の反対側から、いきなり敵が飛び出してきた。顔面は凍りついたように無表情、雄叫び一つあげないまま、動きはまるでゴリラのごとく渋谷に飛びついてくる。渋谷が一発、摩耶が二発。それぞれ敵の心臓と頭を撃ち抜く。彼らは沈黙したまま倒れた。ボロボロに破けていたが、アメリカ海軍の制服を着ている。さらに一人は、見覚えのある水兵服。大日本帝国海軍の兵卒だ。

 渋谷は悟った。上陸し占領した島に、なぜ誰もいなかったのか。戦場で行方不明者が多発したのか。深海棲艦に鹵獲されていたのだ。おそらく陸戦力に改造するために。意志を消され、操り人形にされている。

「摩耶、建物のなかへ」

 渋谷の指示で、ふたりは近くの民家に飛びこむ。そのとたん、さっきまで背を預けていた壁が小銃の連射で抉れた。武器を持っている敵もいる。状況はさらに厄介になった。

「ここから港まで行けるか?」

「下に降りるほど敵の密度は濃くなってる。行くにしても、街の端から迂回したほうがいいな」

「どこまで近づけば、遠隔操作で艦体を動かせる?」

「艦が見えてるなら、五〇〇がぎりぎりってところだ。精密射撃はアテにならねえ」

 摩耶が答える。迷っている時間はなかった。建物を利用しながら、鼠のように路地を駆け抜ける。渋谷は素早く敵についての情報をまとめた。敵の動きは人間離れしているが、視界に入らなければ攻撃してこない。砲台を占拠しつつ、港に浮かぶ摩耶の艦体と人類製の艦には手を出していない。おそらく事前に指示された目標物を攻撃し、敵意ある対象に反撃するよう命令され、反射的に動いているのだろう。拳銃の残弾も少ない。祈るように二人は走った。二時間かけて、ようやく湾の右端に到達する。

「いるわいるわ、砲台は完全に奴等の巣だ」

 廃墟に身を隠し、壁の隙間をのぞいて摩耶が状況を確認する。これでは砲台を破壊しても、鎖を解くことができない。鎖を緩める装置は、それぞれの砲台付近にあった。摩耶とふたりで突撃したところで、続々と湧いてくる敵に囲まれたら終わりだ。

「仲間と通信を試みる。周囲の警戒を頼む」

 摩耶はふたたび意識を集中させる。艦の無線装置がなくとも、小規模な会話程度なら頭の艤装でできるはずだ。摩耶の思念をいち早く掴んだのは陽炎だった。

『摩耶さん! そっちは無事ですか?』

 ノイズまじりの一方通行だが、なんとか声は聞きとれた。

『湾内は敵でごったがえしてる。そっちの状況はだいたいつかめてる。敵はどこから来ているのか教えてくれ』

『はい。演習から戻ろうとしたら、湾を囲む岸壁にそって、複数の潜水艦のようなものが浮上。陸にとりつき、そこから人間が出てきました。そいつらは砲台をのっとり、わたしたちに砲撃をしかけてきました。射程は陸の砲台が長く、わたしたちの火砲では届きません。敵の新型艦を、これより潜水揚陸艦を呼称します。潜水揚陸艦の数、二五。さらに増えている模様。すでに上陸した敵、目算ですが約四〇〇〇』

 潜水揚陸艦。また新手の艦種だ。この報告に摩耶と渋谷はうめいた。一個連隊クラスの歩兵が、すでに上陸してしまっている。敵は増加の一途をたどり、ソロン泊地が占領されるのは時間の問題だった。

 応援を呼ぶしかない。そのためには砲台を沈黙させなければならない。安定した陸上からの高威力、長射程の砲撃は、艦娘にとって天敵とも言うべき脅威となる。

「摩耶、火器管制はどうだ?」

「かなり難しい。一撃で仕留められるかは賭けだな」

 苦しそうに顔を歪ませて摩耶は言った。全く動きのない摩耶の艦は、幸いにも無傷のまま湾に浮上していた。しかし、一度攻撃を加えたら敵に狙われることになる。こんな至近距離で砲台からの弾が直撃すれば、一発で轟沈しかねない。湾入口の両側に、五基ずつの砲台。集中砲火により片方を破壊できても、もう片方から反撃を受ける可能性は高い。

『陽炎より摩耶さんへ』

 ここで新たな通信が入る。

『陸軍第二〇師団、歩兵第七八連隊が応援に向かったそうですが、敵の航空機爆撃により被害甚大、撤退しました』 

 摩耶は頭を抱えた。これで陸からの支援は期待できそうにない。わざわざ陸への空爆をかけるとは。ソロンを攻めるために、敵はよほど綿密な準備を行っていたらしい。

 考えなくては。渋谷は頭に海図を浮かべる。あらゆる味方の情報を記憶から引っ張り出し、地図上に展開していく。摩耶と駆逐隊だけでは、この劣勢を覆せない。そして、彼はついに一筋の光を見つけた。

 大和が移動している。ポートモレスビーからパラオに向けて出発した大和一行が、ソロン東のスカウテン諸島北を航行している。扶桑、山城も彼女に随伴している。渋谷は、すぐ大和と通信できないか摩耶に尋ねる。

「陽炎を向かわせれば、可能かもしれない。だけど提督、大和に何をさせるつもりなんだ?」

 摩耶がじっとこちらを見つめて尋ねる。まっすぐな双眸には、何かを悟ったような光があった。それは摩耶が何かを決意した証でもあった。

「責任は俺が取る。今は考えるより行動が先だ」

 渋谷は毅然として言った。摩耶は意識を深く研ぎ澄ませていく。第二駆の思念波に接触し、渋谷の命令を伝える。

「艦隊を二分せよ。陽炎、白露、村雨は連合艦隊旗艦、大和に接触。山本長官に現状を報告し、応援を要請せよ」

『陽炎、了解!』

『白露、了解!』

『村雨、了解!』

「時雨、夕立は対潜警戒を厳となし、敵の潜水揚陸艦を一隻でも多く撃破せよ。また、陽炎隊からの報告を受信し、電波中継を行え」

『時雨、了解』

『夕立、了解っぽい!』

 迷いのない応答が届く。あとは時間との勝負だった。

「まずいな。敵は少しずつ内陸に侵攻してる。だけど、艦体に近づかないと精密射撃はできない。砲台を潰すなら、やるしかないな」

 摩耶は言った。陽炎隊が予定どおり任務を遂行したとして、大和が到着するのは早くて二時間後。それまでに、敵をかいくぐりながら港に接近しなくてはならない。渋谷の頭に、ひとつの案が浮かんだ。

 それを摩耶に伝えようとした瞬間、凄まじい頭痛に襲われる。思わず渋谷は目を歪ませて膝をついた。

 自分という意識を強引にこじ開けられている。そこから真っ黒な異物が流れ込んでくる。ざらざらとした鉄粉のような感触が脳髄に広がったかと思うと、細かく振動しながら少しずつ意味を持つ配列に置き換わり、文字と音を形成していく。

『あれ、おまえここに居たの?』

 頭蓋の内側に、直接響く少女の声。間違いない、一度会ったことがある。

 戦艦レ級・グラキエスの声だった。

『そうかそうか。これも縁ってやつだね』

 雷鳴のように耳障りな笑い声が轟く。自我を押し潰されそうになりながらも、渋谷は必死に思念で応戦する。

『俺の頭に何をした!』

『実験のときに使った小型の送受信細胞が、そのまま残っているのだ。おまえは死ぬ確率のほうが高かったから、放置しても問題ないだろうと考えた。安心しろ、仲介するのは、あくまで外へ向かう信号。おまえの内在思考や記憶は覗けない』

 ひょうひょうとレ級は答える。おそらく嘘ではあるまい。もし渋谷の脳髄を支配できるのなら、とっくに遠隔操作で悪事を働いているはずだ。

『この攻撃を仕掛けたのは、おまえか?』

 つとめて落ちつこうとしながら、渋谷は尋ねる。

『そうだよ。わたしの新しい玩具、気に入ってくれた? 頭は悪いけど、そのぶんたくさん数を揃えたから、きっと楽しめると思うよ?』

 戦争を遊びのように語るレ級。頭のなかの彼女が、どんどん巨大化していく。渋谷は意識を振り落とされまいと、必死に言葉で食らいつく。

『おまえの目的は何だ?』

『ご存じの通り、艦娘の食事から重油を奪うことだよ』

 軽々しく答えるレ級。もはや人類を、対等に勝負できる相手と見なしていない。

『そうだ、わたしとゲームをしよう』唐突にレ級は言った。『陣地防衛ゲーム。わたしが攻撃で、おまえが守備。石油施設を占拠できたら、わたしの勝ち。兵を殲滅できたら、おまえの勝ち。わたしは陸上兵力しか使わないけど、おまえは陸軍だろうが艦娘だろうが自由に使っていい。ソロンの街がゲームボードだ。でも、ボードの外から邪魔しようとしたら、ルール違反で叩き潰す』

 冗談なのか本気なのか、レ級は楽しそうに宣告する。

『わたしは一時間で一キロずつ陣地を広げる。港から最寄りの石油施設まで、あと五時間ってところかな。タイムリミットは五時間。頑張って殲滅してね』

『待て、レ級!』

『わたしの提督が興味を持った人間なんだから、簡単に諦めないでよね。それと、間違えるな。わたしの名はグラキエス』

 一方的に通信は切れた。頭の異物はなくなったが、まだ視界がぐるぐると回っている。

「おい、大丈夫か?」

 いつの間にか摩耶が心配そうに肩を支えていた。

「ああ。最近片頭痛が多くてな。それより、港に近づく方法があるかもしれない」

 渋谷は吐き気をこらえながら説明する。

「危険だが、ここから東に進むと上水道用の水を引く地下洞がある。それを使えば、港付近の貯水池まで進めるはずだ」

 この提案に摩耶は賛成した。ふたりはすぐに移動を始めた。

 前線に近づいたせいか、味方と出会うこともあった。陸、海の区別なく、生き残った兵士たちは街を利用して防御用の陣地を作っていた。

「あと、どれくらい持ちそうだ?」

 途中で出会った陸軍小隊の隊長に渋谷が尋ねる。

「正直、一時間持つかどうか。彼我の戦力差は圧倒的、すり潰されるのは時間の問題です」

 若い小隊長が答える。しかし、その顔から希望は消えていなかった。

「大丈夫、艦娘の皆さんが到着するまで、石油は守ってみせます。命にかえても敵を食い止めますよ」

 銃声が飛び交うなか、笑顔で男は言った。そうだ、そうだ、と銃を振り上げて兵士たちが応える。皆が一丸となって石油を守ろうとしている。去り際、渋谷は深く頭を下げた。その瞳は苦悩と懺悔に満ちていた。

ふたりは走る。土壁の民家はまばらになり、雑草のはびこる荒れ地が増えた。途中、幾度となく敵と遭遇した。小銃の弾が渋谷の足や肩をかすめる。残り少ない弾で反撃しつつ、二人は川の水が流れ込む洞の入口に辿りついた。真っ暗なうえ、身をかがめて通るのがやっとの狭さだ。

「俺が先に行く」渋谷は言った。「敵が中にいたら逃げられん。いざというときは俺が盾になる。これは指揮官の決定だ」

 摩耶が死んだら元も子もない。しぶしぶ摩耶は承諾する。ふたりは腰の上までずぶ濡れになりながら手探りで暗闇を進んだ。一時間ほどかけて、ようやく出口の光が見え始める。出口は岸壁の穴となっており、そこから水が流れ落ちている。直径一〇〇メートルはある巨大な池が真下に迫っていた。苔むした岩肌を登れば港が見えそうだったが、池の周りには多数の敵が徘徊している。ふたりは洞の出口付近で身を寄せ合い、第二駆からの通信を待った。

 タイムリミットは五時間。大和が到着するまで、早くて二時間。かなり広い範囲が敵に侵蝕されてしまう。

 一秒一秒、祈るような気持ちで待ち続ける。一一六分が経過した頃、ついに夕立から通信が入った。

『陽炎隊、大和を連れてソロンに近づいてるっぽい。間もなく到着とのこと』

『山本長官が説明を求めてる。摩耶さん、大和に繋いで』

 時雨が言った。摩耶は手みじかに襲撃の経緯と現在状況を伝えた。

「やっぱり、砲台が邪魔で接近できないみたいだ。やるしかないな」

 摩耶は言った。渋谷は頷く。

「山本長官と直接、話ができるか?」

 摩耶はしばらく交信したのち、こくりと頷いた。渋谷は摩耶を通して、敵殲滅のための作戦を具申していく。代弁する摩耶の表情は、苦悶に歪んでいった。数分後、長官からの返答が届く。

「実行を許可する。連合艦隊司令長官の名において、敵上陸戦力の殲滅を行う」

 摩耶が長官の裁可を伝える。

 さいは投げられた。もう後戻りはできない。失敗すれば泊地は敵の手に落ち、精油所は完膚なきまでに破壊される。南方戦線は永久に、戦争の血液たる石油を失うことになる。

「行くぞ!」

 渋谷の号令とともに、ふたりは洞を飛び出す。岸壁に張り付き、岩の凹凸に足をかけて必死に登った。もし敵に見つかれば簡単に撃ち落とされてしまう。生きた心地がしないまま、何とか頂上に辿りついた。眼下には三日月型の港湾がよく見える。

「距離は、六〇〇ってところか。ほんとにギリギリだな」

 摩耶は苦笑する。ここから艦体を遠隔操作し、左右五基の砲台を撃ち抜かなくてはならない。摩耶は膝を立ててしゃがみこみ、眉根を寄せて集中する。

「タイミング任せる。落ち着いてやれ」

 渋谷は仁王立ちになり、摩耶の背中を守る。摩耶は一度だけ頷き、かつてない過酷な精神集中に入った。

「ぐっ……」

 喰いしばった歯の隙間から苦しげな呻きが洩れる。ゆっくりと湾内の艦が旋回していく。港湾沿いを徘徊していた敵が銃弾を浴びせるが、その程度ではびくともしない。むしろ砲台に気づかれないか肝を冷やしたが、おそらく沖合の大和を警戒しているのだろう、こちらに砲身が向くことはなかった。摩耶は、まず右の砲台に対し、火線と直角になるよう艦体を真横に向ける。全砲門による一斉射撃でなければ、五基全ての砲台を破壊するのは不可能だ。

 がさり、と草の揺れる音がする。雑木林から影が見えた瞬間、渋谷のリボルバーが敵の心臓を撃ち抜いた。

 針で突いたように摩耶の瞳孔が収縮する。顔は青ざめながらも額に血管が浮き出る。少しでも意識が外れると照準がずれてしまう。一基でも破壊し損ねたら、待っているのは死だ。毛筋の一本に至るまで意識を張り巡らせるように、摩耶は全ての砲塔を寸分たがわず支配下に置く。

 ばりばり、と至近距離で銃声が響く。渋谷はとっさに音の方向に向けて弾丸を放つ。またひとり、敵が物言わぬまま倒れ伏す。弾は残り一発。

「今だ!」

 摩耶の裂帛と同時に、主砲が火を噴いた。弾は美しい軌道を描き、砲台を直撃する。大地が抉れるほどの爆発。炎と煙に包まれた右砲台は完全に沈黙した。しかし修羅場はここからだ。湾内の脅威に気づいた左砲台が、砲塔を摩耶に向け始める。それと同時に、摩耶も艦を左に転舵する。

 そのとき、背の高い草むらから、摩耶めがけて猿のように敵が飛び出す。摩耶と接触する寸前で渋谷は敵に飛びかかり、ごろごろと地面を転がった。敵は恐ろしい力で渋谷を組み伏せ、左腕を絞めつける。左肩の関節が不気味な音を立てて外れる。しかし一瞬の自由を得た渋谷は、執念で掴み続けたリボルバーを敵の喉に押しあて、引き金をひいた。

 砲台と艦が同時に動く。全身の神経が、戦慄とともに拡張する。汗が噴き出す。互いの火線が交差したとき、摩耶の形のよい鼻腔から一筋、赤い血が流れ落ちる。必殺の砲身が、今、互いの喉元を捉えた。

「いけええええええええええええ!」

 摩耶と主砲の咆哮が、ソロンの空を裂く。砲台からは爆炎、港湾には水柱。どちらの姿も爆発に阻まれて見えない。顔と服を血まみれにして、摩耶はその場に崩れ落ちた。目は虚ろに見開かれ、口の端からは唾液が零れた。

 敵の第二射はなかった。

 砲台は真っ黒な煙に包まれたまま沈黙している。摩耶が撃ち勝ったのだ。しかし休んでいる暇はなかった。渋谷は左腕を垂らしたまま、摩耶を抱き起こす。

「摩耶、しっかりしろ! 大和に通信だ」

 摩耶は瞼を痙攣させながら、通信を再開した。その口からは無意識のうちに思考の内容が洩れていた。

 渋谷の命令を伝える。

「大和麾下、全ての艦の総力をもって、ソロンに艦砲射撃を加えよ。もって敵戦力を殲滅する」

 これが渋谷の作戦の全貌だった。大和の主砲、人類未踏の四六センチ三連装砲をもって泊地ごと敵を薙ぎ払う。敵がまだ港湾部に集中している今しかチャンスはない。

『ふざけないでください!』

 大和が激昂した。山本長官を差し置いて無線を独占して叫ぶ。

『どれだけの人間が街に残っていると思っているんですか。泊地を守るため、たくさんの人々が戦っているのでしょう? 彼らごと敵を吹き飛ばせと? 出来るはずありません!』

「やれ! これしか手が無いんだ!」

 摩耶は渾身の力で思念を叩きつける。大和が動かなければ、麾下の扶桑、山城も動けない。山本長官の命令はすでに伝わっているはずだ。ならば大和の拒絶行為は、命令違反ということになる。

『嫌です! わたしは戦艦なのよ。戦艦は敵を沈めるために存在する。人間を殺すためじゃない! どうして敵と戦えもせず、人間を殺さなきゃならないの? 陸に砲弾を撃ち込まないといけないのよ!』

「ガキみたいに駄々こねんな!」摩耶が叫び返す。「もうこれしか方法がないって言ってんだよ! そりゃ人は死ぬさ。戦争なんだからしょうがねえ。でも、今目先の数百人かの人間を生かすために攻撃を躊躇ったら、この先、何千、何万の人間が死ぬんだよ。艦娘も沈むんだよ! あんたにその命、背負えるのか? あんたが動かなかったばっかりに死んでいく人間たちを、背負えるのかよ!」

 大和のむせび泣きが響き渡る。摩耶も泣いていた。とめどなく双眸から涙が溢れていく。

「うちの提督が、どんだけ苦しんでこの作戦を具申したと思ってんだ。あんた、提督と話したことあるんだろ? だったら分かるはずだ」

 声を震わせて摩耶は言った。しばらく通信に沈黙が続いた。聞こえてくるのは大和のすすり泣きだけだった。

数分後、ようやく大和は口を開いた。

『渋谷、少佐。そこにいるんでしょう? 少佐に伝えてください』

 

 ―――怨みます。

 

 大和は言った。

 通信が途絶した。港湾の出口から、単縦陣をとった艦隊が接近してくるのが見える。間もなく艦砲射撃が始まろうとしている。もちろん、ここにいれば巻き込まれる可能性もあった。しかし、この作戦の立案者として、おめおめと逃げ出すことだけはできなかった。それが人間特有のつまらない誇りによる、誤った判断だとしても。最善の選択による最小の犠牲者に、責任を負わねばならなかった。

 こんな命一個で償えるものではないが。

 ソロンで戦う人間たちに、この作戦を強要してしまった艦娘たちに、手当たり次第土下座して廻りたい気持ちに駆られた。

 頭を垂れ、涙を流す渋谷を、そっと摩耶が抱きしめる。

「あたしも一緒に背負うよ。おまえが生きている限り、あたしも一緒にいてやる。あたしがおまえの罪を赦してやる。だから……」

 ともに生きていこう。

 摩耶が笑った。

渋谷の身体を抱きしめ、崖から飛び降りる。貯水池に落下したのと同時に、摩耶は渋谷を抱えながら岸壁をよじ登る。草にしがみつき、岩に齧りついて、地下洞の入口を目指した。渋谷も無事な右手で岩を掴んだ。擦り傷と泥にまみれ、腰を抜かした逃亡兵のように惨めな格好で洞穴を這い進む。水を飲み、えづき、苦しみのあまり涙と鼻水を垂れ流して。すこしでも遠くへ。少しでも奥へ。

そのとき、空間の全てが揺れた。地震のように大地が震えている。渋谷と摩耶は水のなかで抱き合った。小さく、小さく体をかがめる。互いの吐息を吸えるほど。引き裂かれる空気と地鳴りが合わさり、断末魔の声のように低く震えながら洞窟内にこだました。それはまるで犠牲になった勇士たちの怨嗟の声に思えた。

 どれだけ時間が経ったのかも分からない。ふたりは重い足取りで、ふらつきながら洞窟を出た。とたん、熱い空気が器官を焼いた。とっさに口を覆う。ソロンの街が燃えている。人の営みなど跡かたもなく、全てが紅蓮の炎に飲まれている。港湾に浮かぶ一隻の重巡だけが炎の照り返しを浴びながら、淡々と地獄を見つめていた。

「大丈夫だ、あたしたちが生きている」

 摩耶が言った。

 そのとき、またしても激しい頭痛が渋谷を襲った。

『お見事。わたしの兵は九割壊滅。ゲームはおまえの勝ちだ』

 レ級が言った。負けた割には、やけに弾んだ声だった。

『おまえの頭に通信機を残しておいてよかった。最高の結果だ。やはり、あの艦は面白い。今回の実験、わたしは満足だ』

 実験、という言葉に渋谷は目を見開いた。

「まさか、おまえは最初から勝負など眼中になかったというのか!」

『察しがいいね』レ級は言った。『そうだ。石油施設の破壊なんて、建前にすぎない。玩具っていったでしょ? 新しい玩具を作ったから、提督に許可を貰って実験してただけ。遊びだよ。わたしの本当の目的は、あの艦にちょっかいを出すこと。提督に教えてもらった名前は―――』

 大和。

『悲しみは怒りに。怒りは怨念に。怨念は衝動に。そして衝動は破壊に。ああ、なんて美しい連鎖だろう。やはり、あいつは面白い!』

 よだれを垂らさんばかりに興奮した声。顔は見えずとも、レ級の憎たらしい笑みが瞼に浮かぶ。

『これであいつは、もっと面白くなる。次に逢う時は最高に近い状態に仕上がっているだろう。感謝するよ、シブヤ。おまえのおかげで大和は進化する。あいつは、わたしに教えてくれるかもしれない。自分が何者なのか。何をもって自己なのか。ああ、楽しみだ!』

 通信は途絶えた。渋谷は呆然と立ち尽くすしかなかった。最善の選択をしたはずだ。しかし、それは敵にとっても、願ってもない最善だった。必死にあがいて、仲間を死に追いやり、艦娘たちの心に消えない傷をつけた。なんと滑稽だろう、全ては敵の掌で踊らされていたのだ。ようやく事実を理解したとき、渋谷は憤りのあまり叫びそうになった。自分と周りの全てをメチャクチャにしたい衝動に駆られた。

「大和、まだ泣いてやがる」

 摩耶が呟く。他の艦からの通信を一切遮断し、無線には彼女の悲しい慟哭がいつまでも響いていた。

「おい、あれは何だ?」

 摩耶が沖を指さす。一〇時の方向から、カラスの群れのような黒点が、まっすぐ艦隊に飛来してくる。

「敵艦載機。レ級か!」

 渋谷は肉眼で確認する。ソロモン海で空を荒らしまわった、新型の艦載機に間違いない。飛来してきた方角を見ると、遥か彼方の水平線に一隻の艦がぽつんと張り付いている。慌てて艦隊は対空戦闘に入るが、六機のうち一機が大和に急降下爆撃をかけた。爆弾は艦橋の正面に炸裂する。その後、陽炎隊の援護射撃により敵機は全て撃ち落とされた。だが、そのときすでにレ級は水平線の向こうに姿を消していた。

『長官、参謀長! ああああああ、どうして』

 耳を塞ぎたくなるような、痛々しい大和の泣声。

 悲嘆にくれる艦娘たちの感情を蹂躙するような置き土産。感情を理解したレ級しかできない、最悪の追い討ちだ。

『山本長官が負傷した模様、死者、負傷者、現在確認中!』

 陽炎から通信が届く。

 くだらないことで人間みたいにメソメソ悲しんでいるから、大切なものを失うのだ、馬鹿な艦娘ども。レ級の挑発が聞こえた気がした。

 やり場のない怒りが摩耶の拳を突き動かした。岩壁を思い切り殴りつける。

 艦娘は、人間と同じ心を持っているからこそ、ただの兵器ではなく尊厳ある存在として生きていける。レ級は、艦娘のよりどころである「心」を完膚無きまでに凌辱した。

 大和が吼えた。その声はもはや、人間らしい嘆き、悲しみ、怒りの発露ではない。ただ目の前の敵を破壊し尽くさんとする、心なき獣の咆哮だった。

 

 

 

 

 

 ソロン襲撃事件は、前線だけではなく本国にも、すったもんだの論争を巻き起こした。いたずらに戦線を拡大したあげく、肝心な守りが欠けていた陸軍の怠慢だとか、勝手に泊地を建設したのだから、その防衛も海軍が義務を負ってしかるべきだとか、責任のなすりつけ合いが始まった。結局、これ以降は陸、海がきちんと意志疎通を計り、占領地の管理を進めていくという、何の具体的解決策も示さない言葉遊びに落ち着いた。政府も軍の中枢も、実際に戦った艦娘には何の配慮も示さなかった。この戦いで心に傷を負った艦娘たちのケアは、前線の提督に丸投げされた。大和のパラオ異動は中止となり、ポートモレスビーでの休養が命じられた。レ級艦載機の奇襲爆撃により、連合艦隊司令部はピンポイントで機能を破壊された。山本長官は一命を取り留めたものの、左足の膝から下を失い、野戦病院に入院。近々本国に異動する予定だった。宇垣参謀長は死亡、そのほかにも高級参謀が多数死亡、負傷した。連合艦隊司令長官は、新たに本国から派遣されてくることとなった。

 ただ、渋谷と艦娘の懸命な戦いにより、石油施設は破壊を免れた。修理に時間を要したが、一カ月で再稼働を始めることができた。ソロン泊地も再建が進んでいた。表向きではないものの、渋谷は活躍を認められ、ソロン所属の艦娘の指揮者に任じられた。

 だが、渋谷にとって自分の出世など、どうでもよかった。帝国本国は、いまだ戦線拡大路線をとっている。深海棲艦を打ち倒すためなのか、それとも帝国の覇権を盤石にするためなのか、戦争の指針が曖昧なまま、戦力がパラオとポートモレスビーに集中しつつあった。パラオからフィリピンへ、ポートモレスビーからオーストラリアへ侵攻する。これが当面の戦争計画だ。

 このままでは、フィリピンの米軍と、帝国とは敵対的だったオーストラリアと一戦を交えるかもしれない。すでにニューギニアではオランダ兵の虐殺が起きている。陸の悲劇が、今度は海で起ころうとしている。

 帝国軍人としての自分、艦娘の提督としての自分。ふたつの立場に挟まれ、渋谷は進むべき道の模索に苦しんでいた。

 だが、一九四四年三月。

 渋谷の悩みはおろか、帝国の戦争計画を根本から吹き飛ばすような大事件が発生していた。摩耶が執務室に飛び込んできて叫んだのだ。

「第三駆逐隊が、敵襲を受けた!」

 渋谷は急いで港に向かった。護衛するはずだったタンカーは一隻も見当たらず、もうもうと黒煙を上げる夕雲型の四隻が帰投した。

「すまねえ、しくじった」

 長波は艦から降りるなり、地面に突っ伏して謝罪した。渋谷は彼女を抱き起こし、医務室へと運ぶ。

「見たことのない大型戦艦がいた。たぶん、サンゴ海海戦で連合艦隊が接触した奴だと思う。そいつと空母と戦艦の機動部隊だ。くやしい。逃げ出すことしかできなかった」

 長波は目に涙を溜めて報告する。第三駆のメンバーを全員休ませ、摩耶とともに執務室に戻った。

 南方海域を守っていたはずの敵が、突如として中部太平洋に現れた。輸送網破壊が目的なら、桁違いの戦力だ。

 ポートモレスビーから電文が届いたのは、その直後だった。

 

 各泊地ヲ繋グ海上輸送網ニ、敵戦力出現。

 中部太平洋トノ連絡途絶。本国ノ指示途絶。

 

 なおも悲愴な報告は続く。ポートモレスビー・ラバウル間の連絡船が海に消えた。ラバウル・ショートランド・リンガの海上交通も途絶。さらにポートモレスビー・ラエ・トラック間の輸送網も先ほど破壊されている。おそらく中部太平洋から本国にかけても似たような状況だろう。

「深海棲艦の大部隊が、全ての輸送網を断ち切った?」

 愕然として摩耶が呟く。

 サンゴ海海戦のとき、敵がとった不自然な行動。なぜ艦隊決戦を避けたのか、今になってようやく分かった。敵は戦力を温存していたのだ。おそらく、補給線が伸びきったところを襲撃し、人類側の戦力を分断、孤立させるために。

「まずいことになったな」

 渋谷は呟く。第二駆逐隊は輸送任務のため、現在はトラックに停泊しているはずだ。陽炎と白露型の四隻は、中部太平洋での立ち往生を余儀なくされていた。

「提督!」

 息を切らせながら、朧が執務室に飛び込んできた。

「あちこちの無線が、発信元不明の電波を捉えてる」

 汗を拭おうともせず、朧は無線を繋ぐよう主張した。その後も続々と艦娘たちが謎の怪電波を報告してくる。明らかにただごとではない。電波はニューギニア全土を覆っているらしく、通信兵が慌ただしく動いていた。渋谷は摩耶と顔を見合わせる。

「よし、電波を合わせてみよう」

 摩耶は言った。執務室の無線機を調整する。

 ノイズが次第に収束していき、ついにはっきりと音を掴んだ。

 流れ出るのは女性の声だった。複数の人間が同時に喋っているかのように声が重なっている。だが渋谷には聞き覚えがあった。深海棲艦の本拠地近くで会話を交わした相手。白峰の秘書艦とでも言うべき空母ヲ級の声だった。

執務室に集合した艦娘たちは皆、息を飲んで不思議なエコーに聞き入った。

『人類諸君、および人類に与する者たちに、我らの意志を伝える』

まるで子供をあやすような、ゆったりとした響きで声は告げる。

『我らは海洋の覇者。すべての陸地より海洋を断絶したのは、我々である。賢明なる人類諸君が本質的に平和を望む生物であるのなら、このときをもって全ての武装と戦争を放棄し、争う意志がもはや存在しないことを示せ。さすれば陸での安寧を約束しよう。もし我らの指示に応じず、なおも戦意を継続する者に対しては無慈悲な報復を加える』

 わずかに間を置き、深海の代表は堂々と宣言する。

『我らは裁定者の艦隊。この世界に真の平和をもたらす。人類諸君が久遠の平和を求めるならば、我らの声を聞け』

 以後、通信は同じ言葉を繰り返す。

 人間も艦娘も関係なく、この無線を聞いた全ての者が震え上がった。

 深海棲艦からの宣戦布告。人類が深海から、初めて正式なコンタクトを受けた瞬間だった。

「決着をつける気か?」

 渋谷は呟く。あの声は白峰のものではない。しかし、彼の幕僚たるヲ級が深海棲艦の代表となっている以上、彼が立てた筋書きである可能性は高い。それでも渋谷は違和感を覚えていた。白峰は、時期がくれば人類に『質問をする』と言った。この降伏勧告が、白峰の言及した質問であるとは思えない。

 おそらく、これも敵の戦略の一過程でしかないのだろう。人間では視界におさめきれない、膨大すぎる計画。その全貌の一ピース。

「提督。あたしはおまえについていく」

 いつの間にか隣にいた摩耶が、そっと渋谷の手をとった。本国と意志疎通が取れない以上、前線の戦力は、自身の生き残りをかけて独自の判断で戦うしかない。ならば誰についていくのか。摩耶は早くも、その事実を理解していた。

 全てが謎のまま唐突に始まった、人類と艦娘と深海棲艦の戦争。終わりの見えなかった戦いは、ついに大きな転換点を迎える。

 

 

 この放送は、帝国本土にも伝わっていた。

 陸、海の将校たちや各界の有識者がつどう講演会。幾田の講義を聞こうと集まった来賓が全員会場を去ったころ、そのニュースは彼女のもとにも届いた。

「真の平和、か」

 控室で幾田は呟く。人類が今のままなら戦争は終わらない。白峰の真意が、今ようやく分かった気がした。ついにこの時が来た。ここから始まるのだ。アメリカでもなく深海棲艦でもない、新たな敵との戦争が。自分だけの戦争が。幾田は思った。

「福井少佐に、よろしく伝えておいてね」

 傍らに控える艦娘に、幾田は言った。福井の秘書艦である五月雨が、緊張した面持ちで敬礼する。

「えー、わたしに行かせてよ。呉まであっという間だよ?」

 大きな黒いリボンを結んだ、奇抜な格好の娘が言った。もっとも遅い時期に顕現した、最新鋭のスペックを誇る駆逐艦。他に姉妹を持たない彼女は、幾田の直卒に加わっていた。

「あなたには後々、大切な任務が待っているわよ」

ふくれっ面の娘をたしなめる幾田。そして彼女は、もうひとりの艦娘にも微笑みかける。髪を肩あたりで切りそろえ、ぴしりと着こなした詰襟が大正ロマンを思わせる。

「将校さんたちとの連絡を、あなたに任せたい。よろしくね」

「はい。お任せください」

 その艦娘は、陸軍式の敬礼で幾田に応えた。

 部屋の隅で、叢雲は幾田をじっと見つめていた。彼女が何を為そうとしているのか、全て理解しているわけではない。ただこの先、苛酷な道のりが彼女を待ち構えていることだけは分かった。

「行くわよ、叢雲」

 幾田は腹心の部下を呼び寄せる。艦娘たちを引き連れ、講堂を後にする。

 前線の渋谷。

 本土の幾田。

 そして深海の白峰。

 三者それぞれの戦争が、静かにその幕を開けようとしていた。

 

 

 

 第一期 完

 

 


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