【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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二正面作戦は成功した。しかし、それは大きな代償と引き換えの勝利だった。資源地帯を目の前にして、前線の抱える問題はさらに増加した。


頭を抱える渋谷の前に、ひとりの来訪者が現れる。
彼女が渋谷にした、とある行為が、人間と艦娘の関係に大きな波紋を立てていく。それは後々、艦娘の存在意義をも揺るがす疑問となって、ある娘の心に萌芽した。

渋谷は多くの艦娘、軍人と接する。
名将として名高い山口多聞は、この頃から戦争の終わりを見据えていた。
ふたりの提督は語り合う。艦娘たちにとって、どのような形で戦いは収束するのか。そこには勝敗に関わらず、悲しい結末が待ちうけていた。


第十話 初夏の青嵐

 

 ガ島に巣くう敵陸上戦力・飛行場姫は、赤城、加賀、飛龍、蒼龍より放たれた艦載機により完全に破壊された。そして連合艦隊も無事、敵包囲網を退け、ラバウルからポートモレスビーに至る航路を確保。ついに帝国は、ニューギニアの地に足跡を刻んだ。これにより二正面作戦は、完璧に近い形でその目標を達成した。

 しかし、勝利の影には多大な犠牲も積み重なっていた。

 今回の戦闘により、

 

空母機動部隊・支援部隊

 正規空母

「赤城」 轟沈

「加賀」 轟沈

   「蒼龍」 大破・機関停止

   「飛龍」 大破

 戦艦

   「霧島」 轟沈

   「比叡」 大破・機関停止

   「榛名」 大破

   「金剛」 小破

 重巡

   「摩耶」 大破

   「利根」 中破

 軽巡

   「長良」 小破

 駆逐

   「嵐」  轟沈

   「萩風」 轟沈

「巻雲」 轟沈

   「風雲」 轟沈

   「黒潮」 轟沈

   「親潮」 轟沈

   「浦波」 大破・機関停止

   「朧」  大破

   「野分」 大破

   「綾波」 中破

   「舞風」 中破

   「不知火」中破

   「曙」  中破

   「陽炎」 小破

   「潮」  小破

 

 

 

 

 

連合艦隊

 戦艦

   「扶桑」 小破

 軽空母

   「千代田」轟沈

   「千歳」 中破

 重巡

   「最上」 大破

   「三隅」 小破

 軽巡

   「大井」 大破

   「川内」 小破

 駆逐

   「海風」 轟沈

   「江風」 轟沈

   「朝霧」 轟沈

   「白雲」 轟沈

   「夕霧」 轟沈

   

   「白雪」 中破

   「初雪」 中破

   「時津風」中破

   「初風」 小破

 油槽艦

   「さくらめんて丸」 轟沈

   「玄洋丸」轟沈

   「佐多丸」轟沈

   「東洋丸」轟沈

 

 

 以上のような被害をこうむった。

 連合艦隊では、主力となる戦艦・重巡の被害こそ奇跡的に少なかったものの、多くの駆逐艦を喪うことになった。駆逐艦は、将棋ならば「歩」のようなものだが、歩を喪えば戦争が成り立たなくなる。戦艦を守るため、中破以上でポートモレスビーを目指した駆逐艦は、ほとんどが雷撃の餌食となった。一方、途中で戦線を離脱した幾田の第一一駆は、誰ひとり欠けることなくラバウルに帰投している。

 前線に大きな衝撃をもたらしたのは、やはり空母機動部隊の損害だった。軍人と艦娘、双方が思いもしない方法で攻撃をしかけてきた敵。そして戦艦レ級の登場。これまで陣形や行軍も未熟だった深海棲艦が、突如として戦術を獲得した。これは敵の進化を意味する。学ばないと思われていた敵が、人類と同等か、それ以上の知恵を手に入れたことになる。

 第四次深海棲艦ショック。この衝撃がもたらした被害は、帝国海軍史上、未曾有のものとなった。

赤城、加賀は爆炎に包まれながら、寄り添うようにして沈んだ。自らの結末に後悔はなく、艦載機たちが無事飛行場を破壊できることを最期まで祈っていた。霧島はレ級と真正面から撃ちあい、ついに敵を退けた。戦艦としての使命をこれ以上ないほど果たせた、と僚艦の榛名に告げたのち、満足げに沈んでいった。

 生き残った空母、飛龍と蒼龍は、なんとかラバウル泊地まで帰りついた。飛龍は何度も蒼龍を励まし、彼女も全力をつくしてスクリューを回し続けた。

「がんばって、蒼龍! あと少しだよ。赤城さんも加賀さんも、わたしたちも、ちゃんと艦載機を送りだした。もう道半ばなんかじゃない。帰るんだ、鎮守府に!」

 ノイズだらけの無線機に、喉が潰れるほど飛龍は叫んだ。すでに蒼龍の搭乗員は全員が退艦していた。ひとり残ろうとする柳本艦長を、蒼龍は「それは、わたしの役目ですから」と笑顔で諭した。

 ラバウルが見える。朝日に煌めく街並み。懐かしい匂いのする港。そのとき、ガ島に出撃した爆撃隊から入電があった。『ワレ奇襲ニ成功セリ』。

 すべてが報われた。蒼龍は思う。艦娘として二度目の生を受け、ヒトと共に戦い、最後は海に還っていく。尊敬できる仲間と出会った。前世の悪夢を払拭できた。これほど人として艦として幸せなことはない。

 二隻の空母がラバウル港に入っていく。すぐに消火の準備が始まる。だが蒼龍は、自分の命の終わりを感じていた。それでも彼女は、深い海底のような死の安寧に心を預けたりしなかった。最期の力を振り絞る。在るのは、ただ愛する僚艦への想いのみ。

「ありがとう、飛龍。わたし、帰って来れたよ」

 碇を降ろす直前、蒼龍は言った。消火活動に入ったとき、すでに機関は完全に停止。まわりの制止を振り切って飛龍が艦内に突入したが、蒼龍の姿はなかった。艦体だけを残し、蒼龍は逝った。艦娘として死を迎えたはずなのに、その艦体はなおも屈せず、正規空母・蒼龍の威厳をたたえ港に鎮座している。

 顕体を喪った艦は、もう二度と動くことはない。ほとんどの艦が、そのまま海に還っていく。しかし、ごく稀に機関だけが崩落し、艦そのものは浮かび続けることがある。敵、味方双方に見られる現象だった。人間で例えるなら脳死と心停止の状態だ。

 蒼龍の艦体は、明石の指導にもとづき資材に分解された。鋼材ひとかけ、部品の一本に至るまで、彼女のすべてが傷ついた他の艦に移植された。人間の鋼材では代替のきかない機関を潰され、もう戦場に出ることは不可能とされた艦も、この治療を受けることで再び走れるようになった。もちろん飛龍も修理を受けた。無残に破壊されていた飛行甲板は、蒼龍の血肉によって美しい姿を取り戻した。

 機関停止となった艦を別の艦娘に移植する技術は、のちに『近代化改修』と呼ばれるようになった。

 死してなお親友のために体を留め、これからも共に生き続ける。艦娘、蒼龍の生き様だった。

「今度は、ずっと一緒だね、蒼龍」

 それから二週間、飛龍は泣き暮らした。その間、ずっと彼女の提督たる山口多聞少将が、まるで父親のように寄り添い、励まし続けた。

 

 これらの被害は大きなショックをもたらしたが、一方で小さな奇跡も起きていた。渋谷少佐と水戸少尉の生還である。ラバウル泊地の日報にも取り上げられ、皆に希望と勇気を与えた。

 浜辺に流れついた二人は救助され、泊地の病院に搬送された。その際、すでに艦体の入渠を済ませていた摩耶が噂を聞きつけて病院にかけつけ、手負いの渋谷を思い切り抱きしめた。背骨が折れるかと思った、と後に渋谷は語る。胸元に顔を押しつける摩耶。軍服が水気を吸っていく。摩耶につづき、第七駆の面々が一斉に病室に飛び込んできた。「大丈夫?」

「怪我は平気?」と質問攻めにする陽炎。その場で大泣きする潮、自身も涙ぐみながら彼女をたしなめる漣と朧。「艦から落ちるなんて、このクソ提督が!」と吼え、顔を涙でぐしゃぐしゃにして渋谷の脛をけりつける曙。仲間の様子を遠巻きに眺めながら、安堵の溜息をつく霞。そして、珍しく、本当に珍しく、不知火が微笑みながら無事を喜ぶ。その目元には涙が流れた跡が残っていた。

 

 

 南太平洋の宙に、ふたたび平和が戻った。正規空母三隻を喪いながらも、ベテランの搭乗員を乗せた爆撃部隊は、ほぼ無傷のままラバウルに帰投した。敵の飛行場姫は、夜が明けるギリギリのタイミングでの夜間爆撃に対応できず、自慢の機体を出すこともなく顕体を破壊された。連合艦隊も、駆逐艦を多数沈められたが主力部隊にはほとんど被害がなかった。敵は圧倒的戦力に恐れをなしたのか、潜水艦以外は追撃すらしてこなかった。やはりニューブリテン島から距離の近い島北部の警戒を強めていたのか、ポートモレスビー近海は比較的手薄だった。かくして二正面作戦は成功し、幾田中佐は『作戦の神様』として前線の兵士たちから尊敬を集めることとなった。

 連合艦隊は肩透かしを食らいながらも、無事、ニューギニアの地に血路を開いた。今回の大規模艦隊行動によって、平時に消費される一年分の油を飲みつくした。いち早く島の西端部にある石油資源地帯を抑え、燃料の生産に取り掛からねばならない。

 軍人たちは、今回の勝利を胸に刻みつける。

 そうすることで必死に忘れようとしていた。犠牲になった艦、そして新たに噴出した数々の脅威を。

 赤城に乗艦したまま戦死した南雲中将にかわり、山口多聞が中将に昇進、航空戦力の指揮をとることになった。山口を中心とした空母機動部隊の検討会で議論の的となったのは、やはり敵の戦術獲得についてだった。どこから情報が洩れたのか不明だが、敵がこちらの無線通信を傍受している可能性が高まった。その可能性を示唆したのは渋谷少佐だった。敵は艦娘たちの作戦行動の情報を集めるうち、戦術的思考を学んでいったのではないか、と。無線通信については、さらなる技術的研鑽が必要となるだろう。そう山口は結論づけた。

 もう一つ、提督たちの頭を悩ませているのが艦娘たちの士気が著しく低下していることだった。駆逐艦の多数轟沈は、艦娘のなかでも精神面で脆弱とされる駆逐艦娘たちに大きな波紋を広げた。山口は、摩耶を含め駆逐艦七隻をうまく指導してきた渋谷の腕をみこみ、彼女たちの心をケアできるよう、艦娘交流会の正式な設立と、その責任者を命じた。だが、問題を抱えているのは駆逐艦だけではない。連合艦隊の主力メンバーである戦艦にも、負い目を感じている者が多い。とくに戦艦大和などは、つぎつぎと沈められていく駆逐たちを目にし、『沈めるならわたしを狙え!』と大出力の開放無線で叫んだという。山本長官の話を聞くに、トラックにいた頃と合わせても、彼女がここまで感情を露わにしたのは初めてらしい。それ以来、大和は他の艦娘たちとの交わりを断ち、独りでいることが増えた。すでに大方の軍人が知るところとなっていたが、艦娘たちは年相応に繊細な心を持っている。ただ命じられるままに戦う兵器ではないのだ。人類とうまく協調できれば、これほど心強い味方もないが、一度心のバランスを崩すと戦闘どころではなくなる。軍の歴史上、かつてないほど扱い辛い力に、提督の才のない軍人は遠巻きに見ていることしかできなかった。

 さらに、補給の問題もある。ソロモン諸島を勢力下に置き、新たにショートランド、ルンガにも泊地が建設された。ガ島には飛行場の復活を警戒し、陸軍の第二師団が上陸、実効支配を進めていた。さらに、ニューギニアにも陸路攻略のため、第五五師団、第二〇師団がぞくぞくと上陸した。あまりに性急すぎる作戦だ。これは陸の作戦参謀、辻政信中佐の案だった。艦娘の登場以来、陸軍は華々しい主戦場から蚊帳の外に置かれていた。船腹、石油の割り当ても、明らかに海軍が優先された。占領地を拡大することで陸軍の威信を示し、これまでの鬱憤を晴らしたいという非合理な感情論が透けて見える。ニューギニアはともかく、戦略価値の薄いガ島方面にまで兵力を置いたことから、それは明らかだった。陸軍の拙速のおかげで補給線はさらに伸び、ただでさえ潤沢でない物資は、前線にまで行き渡らなくなった。未開のジャングルの広がる南ニューギニア地域は食糧を現地徴発することもできず、はやくも兵たちに飢えと渇きが蔓延し始めていた。

 飛行場を撃破したとはいえ、なおも輸送船の撃沈は相次いだ。今度は、敵潜水艦が神出鬼没の攻撃をしかけてくるようになったのだ。前線に戦力を集中しすぎたせいで、輸送船の護衛につくべき駆逐艦が不足した。おかげで輸送船は、斬り倒した電信柱を積み、大砲に見せかける始末。こんなもので深海棲艦の目を欺けるとは思えないが、無いよりはマシとのことだった。

 いったい、どこまで戦線を拡大するつもりなのか。

 山口は軍令部と参謀本部の意図に疑念を持ち始めていた。当初、この戦争の意義は資源を得ることだったはずだ。しかし、今はパラオからフィリピン、ボルネオへ、ニューギニアからスマトラ島、さらにマレー半島まで兵を進めようとする動きもある。つまり、アメリカと戦うつもりで立てていた作戦を、再度実行するということだ。戦勝を重ねるうちに、祖国を守る戦いであることを忘れている。世界の覇権を大日本帝国が握るという使命感にすり替わっている。これはゆゆしき事態だった。目的がブレている。明確な戦略ドクトリンを欠いたまま、いたずらに戦線だけを拡大していけば、先にあるのは軍の崩壊、ひいては国家の崩壊だ。

 今一度、この戦争の意義を問いなおす必要がある。鋭い眼光の奥で、山口はそう考えていた。信頼の厚い人物を本国に送り、軍と政府の首脳を正しい方向に導かなくてはならない。彼の頭に浮かんだのは、ひとりの若い提督だった。

 

 

 一九四三年一一月。

 ポートモレスビーに泊地が建設された。

 ソロモン諸島の海が安定したことで、新たな前線となったニューギニア島に艦娘の主戦力が集中しつつあった。二正面作戦で傷ついた艦体の修復も終わり、摩耶麾下の第七駆の面々もポートモレスビーにて、つかの間の休息を楽しんでいた。しかし渋谷には短い休暇を楽しむ余裕もなく、鎮守府の執務室で缶詰にされていた。

 渋谷は、おもに三つの問題で頭を抱えている。

ひとつは白峰のことだ。彼との会話から得た情報は、すぐにでも軍令部のみならず、陸の参謀本部、現政権の首脳部にも伝達すべきことだった。しかし、かつての英雄、白峰が敵に寝返ったなど誰が信じるのか。あまつさえ深海棲艦に鹵獲され、その得体の知れない技術によって意識だけを敵本拠地に飛ばされていたなどと、正直に話せるはずもなかった。下手をすれば、深海棲艦のスパイとして尋問、幽閉されかねない。部下の艦娘から引き離されることは耐えられない。そこで渋谷は、最前線で敵と砲火を交えた将校として、敵がもはや人類同等の知恵と手にしたこと、戦局はさらなる困難が予想されることを遠回しに、しかし熱意をもって報告した。渋谷の他にも、ソロモン海の戦いで艦娘に乗艦していた多くの士官が、深海棲艦の狡猾さを証言した。このことにより、深海棲艦は艦娘側の無線を傍受し、さらに人類から戦いの知識を盗み始めていると、前線の作戦部および軍令部に強く危機感を植え付けた。しかしながら、白峰の予言めいた言葉の意味と、彼が当初面会するつもりだった来客とは誰のことなのか、謎は謎のまま残ってしまった。

 ふたつめは、艦娘たちのケアだった。犠牲者の総数こそ従来の戦いより遥かに少なかったが、やはり未曾有の轟沈を出したことで、艦娘たちは心に大きな傷を負った。なにせ艦娘の総数は限られている。いくら見た目がヒトそっくりで、その心もまた人間と変わらないものであったとしても、艦娘と人間では存在の根本が違う。人間は生物であり、繁殖によって種の命を未来に繋ぐことができる。しかし艦娘は、沈んでしまえば、その存在に代替はきかない。艦の寿命は長くて二〇年。生まれた瞬間から滅亡が見えてしまっている。それもヒトの寿命よりずっと短い時間で。ゆえに、人間に囲まれて生きる彼女たちは、どうあっても民族の孤島であり種の孤島だった。艦娘の轟沈を、普通の艦と同じく「消耗」という言葉で、紙面上の数字だけで片付けてしまう軍令部は、喪失の痛みがどれだけ多大な影響を残された艦娘に与えるか理解できない。艦娘部隊を指揮する高級将校のなかには、山口提督を筆頭に艦娘に対し想いやりのある人もいた。しかし多くの軍人は彼女たちを扱い辛い生物兵器くらいにしか見ておらず、まるでさわらぬ神に祟りなしとばかりに、顕体の世話を鎮守府に押しつける。自分が直に率いた艦娘ならまだしも、軍令部が直接統率するという名目で、さまざまな司令官の間で盥回しにされてきた重巡以上の艦娘の相手はとても神経をつかう。とくに戦争や自らの存在に強い矜持をもつ戦艦は、とにかく気をつかった。なまじ物分かりがいいだけに本音を聞き出せない。いささか暴力的であるが、自分の気持ちをストレートにぶつけてくれる曙や霞のほうが、よほど扱いやすい。目下、最大の難物は戦艦大和だ。連合艦隊の旗艦ということもあり、そもそも会話の機会が少なかった。最近は、自ら作戦部から距離を置いているらしいが、なかなか掴まらない。渋谷得意の散歩も相手がいなければ意味がない。

 そしてみっつめ。饗導艦制度の導入だ。

 饗導艦制度とは、ひらたく言えば艦娘が艦娘を指導・教育する制度だ。初期艦をもった五人の提督を皮切りに、艦娘たちは数多の優れた教官の指導を受けてきた。図上の知識だけではなく、実戦に参加し、さまざまな任務をこなすことで、教官たりうる能力を得た艦もいる。それら優秀な艦に指揮、指導を任せることで、より艦娘同士の連携を密にすることができる。そう軍令部は考えた。艦娘の力を恐れ、とにかく首輪をつけたがっていた軍部首脳だが、これまでの戦いぶりから艦娘の力、忠誠心を認め、彼女たちに自主裁量の余地を与えた。最初は駆逐艦だけに適用されるが、いずれ軽巡以上の艦にも饗導艦がつく可能性は高い。軽空母の間では、すでに鳳翔が実質的な饗導艦の役目を果たしていた。

 表向きは艦娘のための制度。しかし実務の面から捉えると、裏の理由が見えてくる。本国では物資の不足が慢性化していた。石油だけではない。鉄、ボーキサイトなどは困窮していると言ってもいい。一刻も早く南方で得た資源を本国へ輸送しなければならない。だが補給線は伸び切っており、敵潜水艦の暗躍もあいまって、多くの輸送船が撃沈されていた。前線と本国、両方の飢えに挟まれた軍令部は、ようやく重い腰をあげて海上護衛に力を入れはじめた。基本方針は駆逐・軽巡からなる部隊で輸送船団を護衛することになる。護衛のため艦娘を運用するにあたり、艦娘自身が指揮官となれば、海軍は護衛などという地味で過酷な仕事に人材のリソースを割かずにすむ。軍人たちにとって、あくまで花道は艦隊決戦なのだ。このように、かなり打算的な側面もあった。

 饗導艦制度により、前線の駆逐艦たちは大きく動いた。かつて佐世保鎮守府で幾田中佐の直轄だった、第二駆逐隊「白露」「時雨」「村雨」「夕立」、第三駆逐隊「夕雲」「長波」「早霜」「清霜」が中部太平洋から南方間の輸送任務のため前線へ。塚本少佐の直轄である第一七駆逐隊「磯風」「浜風」「浦風」「谷風」が、即応部隊として召集された。聞くところによると、熊少佐の第六、第八駆逐隊も本土・中部太平洋間の輸送任務につく予定らしい。

第七駆逐隊からは「陽炎」が名誉ある饗導艦に任命され、第二駆を率いることとなった。そして「摩耶」も饗導艦となり、第七駆の旗艦となる。

 そして渋谷は、新たに第三駆の司令官となった。その使命は、メンバーのひとりを饗導艦として見出し、教育することだった。

 今回の人事、必ず嵐になる。げんなりしながら渋谷は思った。彼の予想通り、導入されたばかりの制度は、便益より混乱を増やした。陽炎率いる第二駆では、白露がはやくもリーダーの座を巡って対立している。どちらも同じ長女気質、さらに誇りあるネームシップであるだけに、譲れないものが多いらしい。なにせ第二駆は、白露型の艦だけで構成されている。そこに、ぽっと出の陽炎型がリーダーに収まれば、思うところもあるだろう。さらに第七駆では、摩耶が未だに渋谷の異動を反対していた。彼女の不機嫌は直らず、不知火が実質的なまとめ役を果たしている。

 渋谷は、艦娘交流会の責任者として、彼女たち全員の面倒を見なければならない。あっちで文句を言われ、あっちで不満を言われ、四方八方から板ばさみにされていた。かくして鎮守府の昼下がり、渋谷は淀んだ目で茫漠と空を見上げていた。もう逃げ場は上しかない、などと考えている時点で末期症状だった。

 そんな状態なので、執務室のドアがノックされたことにも気づかなかった。

「失礼します」

 快活な声が聞こえ、ようやく渋谷の意識が戻る。扉の前には、若い女性士官が立っていた。

「申し訳ありません、勝手に入室してしまって」

 涼子は言った。階級章の星がひとつ増えている。それに加え、胸元には勲章の略綬が控え目にぶら下がっていた。ソロモン海の活躍が認められ、中尉に昇進した。さらに、軍令部は若い操縦士に対し、海軍武功章を授与した。女性士官では初となる叙勲である。これにより第二二飛行隊は、大きな自信を得るとともに、軍部内における女性の地位も向上した。

「昇進と叙勲、おめでとう。あと、改めて礼を言わせてくれ。きみのおかげで命を拾うことができた。部下たちを残して死なずにすんだ。ありがとう」

 渋谷は立ちあがり、深く頭を下げる。病院に運び込まれて以来、なかなか顔を合わせることがなかった。彼女が訓練に励む飛行場は、ポートモレスビーの中心地から少し離れた場所にある。渋谷は、ついぞ外出の機会に恵まれなかった。

「いいえ、お互い様です。わたし一人だったら、途中で力尽きていたでしょう。少佐は、わたしの心の支えになってくれました」

 桜色に頬を染めて、涼子は微笑む。

「わたし、実は休暇を頂いて中心街まで来ていたんです。お忙しいとは思ったんですが、どうしても少佐の顔が見たくて。すいません」

「いいや、鎮守府も今は休みだ。俺は勝手に残っているにすぎない。納得のいく仕事ができなくて、腐っていたところだ。きみが来てくれて嬉しいよ」

 渋谷は本心で言った。たしかに鎮守府内に艦娘の姿が見当たらない。聞けば、街に繰り出したり海水浴を楽しんだりしているらしい。その間に艦体の細かな整備も済ませてしまうそうだ。

 涼子の表情が、ぱっと明るくなる。

「そうだ、わたしと出かけませんか?」彼女は唐突に言った。「いい気分転換になると思いますし、一度港のほうに出てみるのも面白いですよ」

「しかし、きみの同僚も休暇中なのだろう。仲間と一緒にいなくてもいいのか?」

「大丈夫です、皆気をつか―――」

 涼子は慌てて言葉を切る。

「皆には、鎮守府に用事があると伝えてきましたので」

「そうか。迷惑でなければ、ご一緒させてもらおうか」

 顔がにやつかないよう、努めて冷静に渋谷は言った。正直、かなり嬉しい申し出だった。彼女とは気が合う。執務で行き詰っている今、また何かしら打開策を貰えるかもしれない。あくまで彼女は同僚である、と自分に言い聞かせる。もし一線を超えてしまえば、幾田に殺されかねない。

 ふたりはポートモレスビーの街を歩いた。南半球では本土と季節が逆になる。晴れた日は夏の暑さを思わせる。幸いにも今日は雲が多く、散策にはちょうどいい気候だ。ニューギニアの東半分はオーストラリアの委任統治領となっており、雰囲気はラバウルに似ている。しかし連合艦隊が進駐してすぐのころ、街は荒みきっていた。港には艦の残骸が腐るにまかせて放置され、取り残された人々は獣同然の生存競争に晒され、少しずつ人口をすり減らしていった。軍は、深海棲艦と戦う新たな拠点としてインフラを整備し、なんとか街を復興させてきた。今はニューギニア北部の都市との交通も復旧し、街は明るさを取り戻しつつあった。

「これも艦娘のおかげですね」

 涼子は言った。任務の合間をぬって、彼女たちは積極的に街の復興を手伝ってくれた。住民や子どもたちへの慰問、食糧の手配など、人種、宗教に隔てなく接した。深海棲艦の脅威に苦しむ人間すべてに、彼女たちは優しかった。

「こうしてラムネが飲めるのも」

 渋谷は軍票でラムネを購入し、涼子に手渡した。本土では、まず味わえないだろう甘味が口いっぱいに広がる。活発な少女のように、ラムネを流し込む彼女の姿に、渋谷は少し見とれていた。

「そうだ、俺を助けたとき、ハンカチを駄目にしてしまったな。代わりの品を探しにいかないか」

 流れる汗を見て、渋谷は思い出す。しかし彼女は恥ずかしそうに首を振った。

「いいえ、大丈夫です。そこまでしていただくわけには」

「何を言う。きみは俺の恩人だ。それくらいはさせてくれ」

 だが、涼子は少し俯いて首を振る。その顔は、熱射病にやられたかのごとく、真っ赤に染まっていた。

「頂いたハンカチ、まだ持っています」

 小さな声で涼子は言った。渋谷は首を傾げる。傷を塞ぐため引き裂かれ、血まみれになったハンカチは、もう本来の役目を果たせないはずだ。

「あの、見てもわたしのことを嫌わないでくださいね」

 涼子は言った。わけもわからず渋谷は即答する。すると彼女は、さらに顔を赤くして、ポケットからおそるおそる何かを取り出す。

 まぎれもなく、渋谷が手渡した一品だった。

 裂け目は丁寧に縫われている。すこし不揃いな縫い跡を見るに、手縫いのようだった。白の地は赤黒く染め抜かれ、レースのあちこちに赤がしみて禍々しい模様になっている。正直、惨劇を思わせる不気味な見た目だった。

「どうしても捨てることができなかったんです。重い女だと思われますか?」

 涼子が尋ねる。眉尻をさげ、上目づかいに見つめる姿は、普段の快活な彼女からは想像がつかない。新たな側面に気押されつつも、渋谷は胸の奥が温かくなるのを感じていた。

「いいや。そこまで大切にしてくれるなんて、俺は幸せ者だ」

 照れ笑いをしながら渋谷は言った。涼子の顔に、今日一番の笑顔が咲いた。

「これは、わたしにとっての誇りでもあるんです。一生大切にします」

 涼子は言った。救うべき命を救うことができた。海を征く者を、空から守る。飛行士としての誇りと喜びを、ずっと忘れないために。そこには一人の軍人として、一人の女性として、水戸涼子の純粋な想いが秘められていた。

 それ以上、渋谷は何も言えなかった。

 ふたりは街の散策を続けた。夕暮れどきになり、その足は港の方へ向かっていく。ここには南方戦線の主力が停泊している。錚々たる艦たちが、そこで体を休めていた。

「圧巻ですね」

 高台から港を見下ろし、涼子は言った。彼女が乗ることになる正規空母・飛龍の姿も見える。機動部隊の空母のなかで唯一、死を免れた艦。渋谷は涼子の安全を願う。

「あそこに人がいますね」

 涼子が言った。持ち前の視力を発揮して、その方角を指差す。港から海に突き出たコンクリート桟橋の先に、赤い番傘のようなものを掲げた女性がひとり佇んでいる。並の男を軽く見下ろせる長身、そして長い亜麻色の髪。後ろ姿だけでも、彼女が何者であるか分かった。

「お手柄だ。やはりきみが一緒だと、いいことがある」

 渋谷は声を弾ませる。きょとんとしながらも、涼子は嬉しそうに笑った。

「もう少し先まで行ってみませんか。気になる場所があるんです」

 涼子は高台の先を指さす。日没までには鎮守府に戻らねばならない。だが、渋谷は断れなかった。彼女に促されるまま稜線をこえる。その先には、すらりとした白塗りの灯台があった。オーストラリアの統治時代、ここが活気あふれる港町だったことを物語る。だが、もう光が灯ることはない。海岸に近すぎるということで放棄されたのだ。同じ理由で廃屋となったレンガ造りの建物が、ずっと後ろにぽつぽつと残っている。

「綺麗ですね」

 ほう、と涼子が溜息をつく。ふたりは灯台の隣に並んだ。夕陽の紅蓮がたゆたう海。人類の敵が跋扈する魔海とは思えない、荘厳な自然のたたえる美しさがあった。

「この先にオーストラリア大陸がある。鉄、ボーキサイトの豊富な土地だ。英連邦の国だが、もう戦争など考えまい。しかるべき時がくれば、互いに力を合わせなくては」

 渋谷は言った。国家の行く末を決める戦略次元の話など、一介の軍人にすぎない自分が口を出すのもおこがましい。しかしながら、そう願わずにはいられなかった。今、人類同士での争いを持ちだす余裕などない。

 なにより艦娘たちを、人殺しにしてはならない。

 渋谷は、じっと海峡を見据える。心なしか、海の音がはっきり聞こえるようになった気がする。レ級による実験の後遺症だろうか。押しては引く巨大なうねりは、血潮の音によく似ている。鼓動のようにも、胎動のようにも聞こえた。

 海に惹かれている。今さらながら、白峰の気持ちが分かる気がした。

 海色を湛える渋谷の瞳で、涼子の瞳はいっぱいになっていた。彼女は彼だけを見つめていた。

「きみは、何も聞かないんだな」

 渋谷は言った。突然の言葉に、すこし動揺する涼子。

「俺は明らかに不審な状況で発見された。しかも、きみに情報を持ちかえるよう話した。普通ならば怪しまれて当然だと思うが」

 海を見つめたまま渋谷は問うた。

「わたしは不審だなんて思いません」涼子はきっぱりと言った。「少佐が任務に忠実であり、部下を愛する真っ当な軍人であることは、わたしがよく知っています。あなたが話すべきではないと思ったなら、それが正しいのでしょう。わたしは中将、大将閣下より、本土の偉い政治家より、あなたを信じます」

 迷いのない言葉。渋谷は歯を食いしばる。なぜ、そこまで自分を信じてくれるのか。レ級に鹵獲され、おそらく脳髄に何らかの実験をされた。自分では正常のつもりでも、深海棲艦に意志を操作されていることも考えうる。自分でも分からないうちに、味方を裏切る行動に出るかもしれない。その可能性はゼロではない。

「もし万が一、俺が軍に仇為す行動をとれば、そのときは躊躇いなく俺を撃ち殺してくれ。俺を信じてくれるきみにしか頼めないことだ」

「はい、わかりました。でも、多分できないと思います。最後まで、あなたを信じてついていくと思いますよ」

「なぜ?」

 渋谷が問う。その瞬間、視界が強制的に海から引き剥がされた。両の頬が、温かい掌に包みこまれている。目の前には涼子がいた。まっすぐな瞳で、こちらを見ていた。

「これが答えです」

 そっと渋谷を引き寄せる。涼子の目が閉じる。唇が塞がれた。涼子の唇によって。

 時間の感覚がなくなっていた。涼子がゆっくりと顔を離す。渋谷は、ただ茫然と立ち尽くしていた。夕日も裸足で逃げ出すほど、真っ赤に染まった涼子がいた。

「あなたをお慕いしています。どうか、わたしとお付き合いください」

 四肢は小刻みに震えている。よほど緊張しているのが分かった。渋谷が口を開く前に、耐えきれなくなった涼子はくるりと背を向ける。

「御返事は、いつでも構いません。こんな戦時中に非常識ですが、それでも自分の気持ちを抑えきれませんでした」

 その直後、ふと涼子は遠くの廃墟に視線を移す。しばらく目を細めたのち、ぽつりと「ごめんね、でも譲る気はないから」と呟いた。

「また遊びに伺います。今日はありがとうございました!」

 走り込みで鍛えた健脚をもって、彼女は走り去っていった。渋谷は頭が真っ白のまま一歩も動けずにいた。彼女との信頼関係は上司と部下のそれであり、例え恋愛感情を持っていたとしても、自分からの一方通行だと思っていたのだ。だから彼女を女として見ようとする自分を必死に戒めてきた。その努力が全部、たった一度の口づけで灰塵に帰した。

 俺はどうすればいいのだろうか。心を宥めるため、鎮守府までゆっくりと歩く。娘さんをください、と幾田に頭を下げる勇気はあるだろうか。夢見心地で空を漂う頭では、たわいのない事を考えるのが精いっぱいだった。

 

 

 時計の長針が幾重にも廻ろうと、渋谷の頭から涼子の顔が離れない。すでに日付の代わり目が近かった。すこしでも頭を冷やすため、渋谷はこっそり鎮守府を後にした。港沿いに夜の散歩を楽しむ。思えば、ひとりで歩くのは久しぶりだった。いつも部下の艦娘たちを連れ添っていたからだ。今日こそは、じっくりと思考を巡らせることができそうだ。しかし、彼の期待は早々に裏切られることになる。

 停泊している第二駆逐隊の艦列を横切る。細長いコンクリート桟橋の先に、見覚えのある人影がいた。まさか、と思い目をこらす。だが見間違えようもなかった。大きな番傘の下に、二メートル近い長躯をやつしている。連合艦隊旗艦・大和。超弩級戦艦としてその名を知らしめる顕体が、夕方から一歩も動かず陸を背にして佇んでいる。もう無視するわけにはいかない。渋谷は静かに桟橋を渡る。

「こんなところで、どうなさいました?」

 できるだけ自然を装い、声をかける。大和の動きは緩慢だった。ゆっくりこちらに向き直る。月光に照らされた彼女の肢体は、しなやかで力強い優雅さを湛えている。しかしながら、夜空の輝きを通さないほど深みを増した双眸は、威圧感を通り越して恐怖さえ見上げる者に植え付ける。無表情であれば、なおのこと恐ろしい。

「すいません、ぼうっとしていて。あなたは確か、交流会の……」

 思いだしたように苦笑し、大和は言った。彼女と顔を合わせたのは、ラバウルでの摩耶の演奏会以来だった。

「渋谷礼輔少佐と申します。あなたとは、ずっとお話したいと思っていました」

「これまで交流会に出席できなかったこと、重ねがさねの失礼をお詫びいたします」

 番傘を閉じ、大和は丁寧に頭を下げる。

「仕方ありませんよ。あなたは忙しい身だ。連合艦隊旗艦として多忙な毎日を過ごされていては、誰とも距離を置いて独りになりたいときもあるでしょう。ところで、いつからここにいらしたのですか?」

 渋谷の問いに、大和は少し困った顔をした。

「ええと、いつからだったでしょうか。確か朝方宿舎を出ましたので、それ以来かもしれませんね」

 彼女にふざけている様子はなかった。渋谷は少し背筋が寒くなった。

「交流会に参加しなかったのは、大和の我儘です。申し訳ありません」

 少し瞳を伏せて大和はふたたび謝罪を口にする。この件に関して、いきなり深く問い詰めてはまずい。渋谷の勘がそう告げる。

「そうでしたか。こちらこそすいません。責任者というだけで、しつこくあなたを訪ねてしまって」渋谷は、左足だけ一歩下げる。その刹那、大和の瞳に光った寂しさを見逃さなかった。「もしよろしければ、少しお話していきませんか。ご迷惑でなければですが」

「とんでもありません。大和は眠りが浅いので、夜はいつも退屈なんです」

「俺もです。なかなか寝付けなくて、鎮守府を飛び出してきました。こうしてあなたに出会えたのですから、動いてみるものですね」

 渋谷は言った。呼応するように大和も微笑む。この会話で、少しでも彼女が本心を見せてくれたら、と祈る。

「眠れないと苦労するでしょう。よく分かります。悩み事があれば、なんでも相談してください。俺でよければ力になります」

 渋谷の言葉に、大和は少し目を泳がせる。

「偉い人には言い辛いことでも大丈夫ですよ。ちょっとした愚痴でもいいんです。そうすることで心が軽くこともあります。軍隊は階級社会ですから、思っていることを言いにくい空気がありますよね。とくに戦艦や空母の皆さんは、多くの高級将校に囲まれてしまいますから、なおさらだと思います。だから俺みたいな人間がいるんです。艦娘と同じ立場で話をします。軍隊は縦の関係も大事ですが、戦場を離れたなら横の関係も同じくらい大切です。艦娘と人間の橋渡しとして、俺を使ってくれたら幸いです」

「どうして、そこまで献身的になれるのですか?」

 思案を巡らせながら大和が尋ねる。

「俺は艦娘が好きだからです」大和の目を見て、はっきりと口にする。「本土にいた頃から艦娘に憧れていました。彼女たちと共に戦いたい。そう願ってしました。しかし、実際に艦娘に乗ることができたのは、優秀な同期ばかりでした。そのときは、やはり嫉妬しました。でも、戦線が拡大するにつれて、俺も艦娘の部下を持つことになりました。その時から決めていたんです。俺は彼女たちに寄り添える提督になりたい、と。上から命令するのではなく、下手に出るのでもなく、共に肩を並べて戦うことができたら。今も信念は変わりません」

 演技をするまでもない。これは本心だった。軍人としてではなく、渋谷礼輔という一人の人間が選択した道だ。

「変わった軍人さんですね。あなたのようなヒトは初めてです」

 大和はくすりと笑う。

「そうですね。変な軍人だから、同僚たちに先を越されてしまうんです」

 渋谷も笑う。いつしか張りつめた空気が緩んでいた。

「先のサンゴ海の戦い、渋谷提督はどう思いましたか? 軍ではなく、あなた個人の意見を聞かせてください」

 釘を刺すように大和は言った。彼女は自分を試している。

「単刀直入に言いますと、不気味に思いました」

 少し考えてから、慎重に答える。

「姫クラスの超大型戦艦を筆頭に、敵は連合艦隊と渡り合えるほどの規模だったと聞いています。それなのに、撃たせるだけ撃たせて、敵は逃げてしまった。狙うのは駆逐艦などの小さい艦ばかり。サンゴ海海戦という一つの戦闘を評価するなら、この戦いは連合艦隊の勝利です。しかし、敵にとってあの戦闘は、もっと大きな作戦の一部にすぎないとしたら。我々よりも広い視野を持ち、ずっと先の未来まで考えたうえで作戦を立てているとしたら。俺たち軍人にとって、敵の行動は不可解です。愚かと言ってもいい。でも、愚かなのは我々かもしれない。人間は、自分が見える範囲のことしか理解できません。昔、地球は平らであると思われていた。それが常識でした。異を唱える者は愚かに感じたでしょう。しかし、もっと視野を広く持てば、世界は球体であることは明白だ。もし深海棲艦が、世界を球体として見ているなら、彼女らにとって我々は愚かな存在に思えるでしょう。本当の世界を知らない、井の中の蛙のごとく」

 渋谷の言葉に耳を傾ける大和。知性を帯びた瞳が、じっと彼を見下ろしている。

「ずいぶんと深海棲艦の肩を持つのですね」

 影を含んだ声で大和は言った。

「俺は変わり者ですから。最悪の可能性を考えているだけですよ」

 ひょうひょうと渋谷は切りぬける。ここが踏ん張りどころだ。

「では質問を変えましょう。あの戦闘において、連合艦隊が取るべき最善の行動は、なんだと思いますか?」

「理想を言わせて貰うなら、敵を撃滅したうえでポートモレスビーへの航路を拓くことです。そうなれば当面は、南ニューギニアの海から敵の脅威が消えるので」

「その通りです」

 大和は微笑む。細められた瞳の光は、余計に鋭さを増した。

「あのとき艦隊は、雷撃による被害ばかりに気を取られ、敵を追撃することができませんでした。連合艦隊に加え、第一、第二艦隊にも高練度の戦艦、重巡がいました。戦えば必ず勝てる戦力です。なのに、みすみす敵を逃がしてしまいました。わたしは、それが悔しくて仕方ありません。弱者をいたぶるように駆逐の子ばかり攻撃する卑しい敵に、わたしは反撃することができなかったんです」

 大和の声に、少しずつ熱が滲んでいく。どろどろとした黒い感情がマグマのように灼熱を帯びて流れ出す。ようやく硬い殻で覆われた彼女の心を掘り起こすことができた。そして渋谷は違和感を覚える。彼女は、その感情をどこに向けているのだろう。押し殺そうにも溢れ出る怒りと憎悪。

 それは大和自身を、そして彼女を運用する人間たちを焼きつくそうとしている。

 渋谷は本能的に悟る。この娘は異質であると。一度鎧を外してしまえば、艦娘のなかでも特に繊細な心が露わになる。撫子然とした微笑みの下で、時化た海のように感情の波が荒れ狂っている。そして今彼女は、摩耶の言葉を借りれば、『悪い方に傾いてしまっている』らしい。ここまで外面と内面の差が激しい艦娘はいない。そして、ただでさえ心の機微に疎い軍人たちが、彼女の内面を与り知れるはずもない。彼女が連合艦隊司令部と距離を置きたがる理由も分かる。

 ここで消火せねばならない。少なくとも炎の勢いを弱めなくては。のちのち艦娘と人間の間に大きな禍根を残さないために。

「戦艦の本懐は、その火力をもって敵を撃ち沈めること。それが果たせなかった今回の戦闘、いくら司令部が勝利だと言っても、あなたにとっては屈辱的な敗北だったのですね」

 渋谷は畳みかける。彼女の心に響くことを祈る。

「それで、つい司令部の将校たちを疎遠になってしまった。でも、あなたは優しい人ですから、直接不満をぶつけることもできず、ひとりで気持ちを押し殺していたのですね」

 大和はぐっと唇を噛んだ。そして縋るような目で渋谷を問い詰める。

「わたしは間違っているのでしょうか。戦艦が戦いを望んではいけませんか? 他の子たちは皆、戦いが無い時のほうが楽しそうなのです。ピアノを聞いたり、お酒を飲んだり。街の復興を手伝ったときも、皆笑顔でした。大和は作り笑いをするだけで精いっぱい。この気持ちは誰にも分かってもらえないんだと思うと、寂しくて。妹の武蔵はトラックにいますし、相談することもできなくて……」

 堰を切ったように溢れ出す想い。彼女が口を閉ざすまで、渋谷は黙って聞いていた。

「それで、いいんですよ」

 そして全てを肯定する。

「戦いが好きか嫌いかは、その人の個性です。戦いを望むのは自然なことです。あなたは間違っていない。これからも、その気持ちを大切にしてください。敵の動向が分からない以上、いつまた大きな戦闘が起こるやも知れない。そんなときこそ、あなたに存分に力を奮ってほしい。我々と共に戦ってほしいのです。だから、あまり独りで抱え込まないでください。心の平穏を欠いていては、いざというとき実力を出せないかもしれない。そうなっては本末転倒ですからね」

 渋谷は言葉を切る。白峰の予言を思い出す。

「戦いは必ず起こります。今なお世界の海は閉ざされ、敵は強く我々は弱い。それでも生きるためには戦うしかないのです。どうか力を貸してください」

 渋谷は言った。ほんの少しだけ、大和の瞳から険のある光が和らいでいた。

「話してみるものですね。心が軽くなった気がします」

 次の瞬間、彼女はもとの大和撫子に戻っていた。渋谷の前に立ち、深く腰を折る。

「渋谷提督、どうもありがとうございました。このご恩は忘れません」

 にっこり微笑むと、大和は夜の港に戻って行った。

 彼女の背中を見送り、溜息をつく渋谷。緊張から解放されたことで、どっと疲労感が押し寄せてきた。掌に嫌な汗が滲んでいる。超弩級戦艦・大和。こんなところに、とびっきりの問題児が潜んでいたとは。

 余計に目が醒めてしまった。仕方ないので鎮守府に戻ろうとする渋谷。すると波止場のほうから誰かが歩いてくる。自分と同じ軍服姿。がっしりとした体躯の男性だった。

「こんな遅くまで御苦労さま」

 深みのある声で男は言った。彼の正体が分かったとたん、渋谷は居住まいを正して敬礼する。男は楽にしていい、と気さくに言った。

「評判は聞いているよ。あの第七駆逐隊を手なずけた手腕。艦に愛された提督。きみがいなければ大和は夜が明けても、ここに立ち続けていただろう。連合艦隊司令部に代わって礼を言おう」

 正規空母・飛龍の提督にして、空母機動部隊の司令長官、山口多聞中将が言った。

「とんでもありません。自分は職務を全うしただけです」

 連戦だ。冷や汗をかきながら渋谷は思った。

「実は俺も大和が気になっていてな。たまたま、ここにいるのを見つけたんだ。司令部に問い合わせると、彼女はもう三日も家出状態だったらしい。居場所はつかんでいたので、彼女の好きにさせていたそうだ。これを機に、司令部との不和も消えるといいんだが」

 山口は言った。どうやら渋谷の前に姿を見せたのは、なにか別の目的があるらしかった。

「きみとはいつか、サシで話がしたいと思っていた」

 鋭い知性を瞳に覗かせ、山口は切りだす。

「きみも知っている通り、大和は艦娘のなかでも特異な顕現をした艦だ。ほとんどの艦娘が、きみを含め若い提督か、あるいは本土の各鎮守府付近に顕現する。しかし中には、大和のように全く因果関係のない海域に生まれ落ちる艦もいる。そのことが、艦娘の人格形成に影響を及ぼしているのかどうか、きみの意見を聞きたい」

「影響は少なからずあると思います」考えをまとめつつ、渋谷は続ける。「特異な顕現をした艦のうち、わたしは大和以外に夕立と瑞鶴に接触しました。夕立の卓越した戦闘センスと砲雷撃戦への意欲は有名です。瑞鶴もまた、最初から艦載機によるアウトレンジ戦法に強い関心を持っていました。艦娘たちは個人差こそあれ、生まれる前の記憶のようなものを持っています。断片的かつ曖昧であるため研究の余地が少ないですが、特異な顕現をした艦ほど、その記憶への執着が大きいように感じます。ただ、誤差の範囲と言ってしまえば、それで終わる程度のものです。夕立、瑞鶴とも性格は明るく、戦闘に際しても、あまり激しい感情の起伏は見られません。ですので、大和はイレギュラーな出現をした艦のなかでも、さらに特殊な例だと思われます」

 渋谷は自分の考えを述べる。生まれる前の記憶、という言葉に差し掛かったとき、山口の目に好奇心の火が灯る。

「トラックで武蔵に会ったことがある。彼女は、よく敵の艦載機に爆撃される夢をみるそうだ。さらに装甲空母・大鳳は、潜水艦と雷撃に生理的な恐怖を抱いていた。もし彼女たちの記憶が前世で体験したことだとすれば、ほとんどの艦が悲愴な轟沈を遂げている。そして記憶に色濃く残るのは、やはり自分が沈む瞬間だろう。俺が担当した飛龍も、やはり敵に沈められたらしい。だが、最後まで生き残り敵に立ち向かったことを誇ってもいた。艦娘たちの戦う動機として、過去の悲劇を繰り返したくないというのも大きな割合を占めている」

 ならば、と山口は続ける。

「これほどまでに多くの艦娘を撃ち沈めた前世の戦争とは、いったい何だったのか。彼女たちは誰のために戦い、誰に敗北したのか」

 答えを促すかのように、じっと山口は渋谷を見ていた。

「正直、わたしごときでは想像もつきません。ですが、あえて答えるなら深海棲艦ではないでしょうか。同じ深海棲化によって危機に陥っている我々を救うために顕現した、と考えられます」

「なるほど。確かに、そう考えるのが自然だろう。だが、きみの考えには無視できない疑問が二つある。まず一つは、人類の味方ならば、なぜ彼女たちは日本の艦名を名乗り、日本語を話すのだろうか。もう一つは、もし前世の記憶が深海棲艦と戦ったものなら、現在の我々も前世と同じ運命を辿る可能性が高い。艦娘を喪えば、もはや深海棲艦に対抗する術はない。待っているのは国家滅亡、人類滅亡だ」

 山口の指摘に反論する余地はなかった。確かに艦娘が人類全体のために戦うとしたら、他の国々にも顕現していなければおかしい。だが、少なくとも太平洋海域において、艦娘を運用している国は日本のみ。もしオーストラリアが艦娘を持っていれば、とっくにニューギニアは解放されているはずだった。

「やはり帝国のもとに顕現した艦娘は、あくまで帝国のために戦っているのだろう。そして前世で戦った相手も帝国の敵だった。実は山本長官も、同じ懸念を抱いておいでだ。もし前世で戦ったのが深海棲艦ではなく、我が帝国が本来戦うはずだった相手だとしたら」

「アメリカですか」

「そうだ。アメリカだけではない、米国につらなるイギリス、フランス、オランダも敵になる。もちろん中国もだ。帝国は世界を相手に戦うことになる」

 山口は言った。それは考えるだけで恐ろしい可能性だ。艦の寿命は限られている。もし艦娘が味方してくれたとしても、長期戦になれば勝ち目はなくなる。

「もし、あのままアメリカと戦っていたら、俺たちはどうなっていたと思う? ここでの会話は他言しないから安心しろ」

「負けます」

 渋谷は即答した。

「俺も同じ意見だ」

 共犯だな、と山口は笑う。戦い続ければ勝算はゼロだ。艦娘を持ち、深海棲艦という人類以外の存在と戦い、客観的に自分たちを見つめ直した今なら、迷いなく言える。だが、真珠湾奇襲を決行しようとしていた当時、帝国の軍人たちは冷静な目で世界を見ていただろうか。

「艦娘が帝国に味方するため顕現したとする。彼女たちが深海棲艦と戦うのは、奴等が当面の敵だからだ。たまたま帝国に仇為す存在だったので、人間と協力して戦った。では、もし深海棲艦が一掃され、海に平和が戻ったらどうなる。帝国の敵は、アメリカに切り替わる。世界に切り替わる。そうなれば艦娘たちは、帝国のため世界と戦うことになる。彼女たちを見ていれば、人間と戦いたがらないことはすぐ分かる。だが狡猾な人間が、あくまで祖国を守るために戦ってくれと懇願してきたらどうなるのか」

 山口は言った。少なくとも摩耶は人間を殺すことを拒絶した。しかし『戦わなければ殺される』と極論を突きつけられたら、それでも全ての艦娘が戦争を拒否するのか、渋谷には自信がなかった。

「深海棲艦に勝利しても、艦娘には悲劇が待っているだけだ」

 無情な言葉。負けても沈み、勝っても沈む。身体を引き裂かれ、内臓を潰され、人間と何ら変わらない戦争の苦痛にまみれて死んでいく。艦娘の提督たる渋谷にとって、これ以上悲しい結末は無かった。

「今、軍は戦線拡大路線に傾きつつある。開戦当時の侵攻作戦を艦娘の力を借りて成し遂げ、アジアから欧米列強を駆逐しようとする派閥だ。オーストラリアに侵攻するなどと言う連中も現れ始めた。このままでは深海棲艦がいてもいなくても、ふたたび帝国は滅びの道に突入していくことになる」

「なぜ、そのような話をわたしに?」

 やっと渋谷は疑問をぶつける。国家戦略クラスの意志決定に、自分が口を出す余地など微塵もない。上からの命令に従うしかないのが、今の渋谷の立ち位置だった。

「きみは、自分が思っているより影響力の大きい人間なのだ。艦娘からの信頼が一番厚いのは、初期艦の提督を含めても、間違いなくきみだろう。もし艦隊が絶体絶命の状況になり、究極の選択を迫られることになれば、艦娘たちは高級将校よりきみの意志に従うだろう。だから、きみに知っておいてほしかった。そしてきみの意見を聞いておきたかった。どうやら、きみはちゃんと先が見える人間のようだ。どうも軍という組織は、目先の勝利しか見えていない奴が多くて困る。きみや白峰少将のような人間こそが軍隊に必要なんだが」

 白峰の名が出たとき、心臓が跳ねるのを感じた。名将として名高い山口多聞が認める男が、今は敵の総帥なのだ。

「近々、大和をパラオに移すことになった。フィリピン侵攻時に旗艦にするという名目で、また彼女をホテルに戻すつもりらしい。代わりに武蔵が前線に移る。軍令部は、戦力として明らかに武蔵を重視し始めている。きみとの会話が無ければ、一悶着起きたかもしれない。これからもよろしく頼む」

 真夜中の密談は終わった。そろそろ戻ろうか、と山口は言った。

この男にならば白峰のことを話してもいいかもしれない。心許しそうになった自分を必死に戒める渋谷。今伝えても混乱が増すだけだ。山口が言ったように、帝国は運命の岐路に立っている。彼の思考を邪魔したくはない。

「本来なら一介の少佐にすぎない自分が知り得るはずのない貴重なお話、どうもありがとうございました」

 別れ際、渋谷は心から感謝した。

「俺は、ただ保険を掛けたにすぎんよ。いざというとき、先が見える奴に艦娘を託したい。きみは十分、提督としての素質がある」

 山口は言った。鎮守府に戻る渋谷を見送る。自分も司令部に戻ろうとして、ふと足を止めた。

「いつの間にか、飛龍が自分の娘みたいに思えてきてな。どうしても彼女の行く末を案じてしまうのだ」

 月を見上げながら、山口は独り呟いた。

 




深海棲艦を完全に打倒したとして、艦娘たちに何が残るのか。それから彼女らはどうなるのか。

艦の本質が兵器である以上、人間である艦娘たちを待ちうけるのは悲劇でしかありません。若い提督たちは、常に艦娘の存在について悩みます。兵器としての幸せが、人間としての幸せではないからです。

彼女たちは人間か、それとも人間以外の何かなのか。提督と艦娘たちは、少しずつ自らの答えを紡いでいきます。

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