「…へぇ、それで、そのエストック使い…、ザザってプレイヤーがGGOに潜んでいるかもしれないと…」
雪ノ下さんは顎に指を置きながら、俺の伝えた情報を頭の中でまとめるように呟く。
サチとの馴れ初めを語るようで、小さな恥ずかしさを抱きつつも、俺は必要最低限の情報のみを掻い摘んで話した。
「可能性にすぎませんけどね。…ただ、なんとなく不吉な…、どこか殺気立った気配を感じたので」
「殺気…」
あの、背中を刺すような冷たい視線。
トラウマとまではいかないが、SAO軟禁時代に過ごした殺人者生活が、仮想空間内における他者の視線を必要以上に強くするのだ。
「…比企谷くんは、そのザザってプレイヤーがもしもGGOに現れたらどうするの?」
「……」
雪ノ下さんは真剣な表情で俺を見つめた。
現れならどうするの?
…そんなの決まってるじゃないですか。
俺は冷めた紅茶の入ったティーカップを手に持ち、飲むわけでもなくただ呆然とそれを眺める。
「…ログアウトしますよ」
「…」
「外からなら、ザザの素性を知る手段が幾らでもありますからね」
仮想空間内で剣を構えたって意味が無い。
即刻、GGOのログをハッキングしてザザの素性を調べ上げた方が得策だろう。
その際には菊岡さんだって協力してくれるはずだ。
ザザであると確証を得た瞬間に、ログアウトのボタンを押せば良いだけ。
戦う必要なんてないんだ。
「…その言葉、信じるからね?」
「は?」
「ザザとは戦わない。直ぐにログアウトする。…今度こそ、約束守ってよね?」
信用がないですね。
前科持ちはそんなに信用できませんか?なんて冗談を言う気にはならず、俺は冷めた紅茶を一口含み、小さく頷いた。
俺だって、好き好んで戦っている訳ではない。
戦闘狂の名は結城にこそ相応しいしな。
「…戦いませんよ。…面倒ですしね」
「…うん。わかった」
時折見せるその優しい表情。
怒ったり喜んだり悲しんだり、本当に雪ノ下さんの情緒が心配になりますよ。
ふと、雪ノ下さんは和らいだ表情でソファーから立ち上がり背伸びをした。
「ん〜。それにしても赤目のプレイヤーなんてBoBの参加者に居たかなー」
「……」
ーーーーーー☆
バブリーな高層マンションでの会合後、俺は耐え切れぬ眠気に襲われた。
足元すら覚束ない程にクラクラと。
俺は仕方なく、近場にあったスパへと入店し、風呂へは行かず仮眠室へと直行したのだ。
リクライニングチェアとブランケット。
……最強ですね。
Zzz…
.
…
……
で、気づけば夜の11時。
ここ最近の疲れが出たのか、10時間以上も寝てしまったらしい。
フリータイムで入っててよかったなぁ、と思いつつ、何の気なしにスマホを確認するとーーー
結城ーーーーー
今、会いに行きます
ーーーーーーー
結城からのメッセージを受信していた。
何、この映画のタイトルみたいな文は。
メッセージの受信時刻がつい数分前だったこともあり、俺は慌てることなくソレに返信をした。
大事な彼女が会いに行くと言ってくれているのだ。
寝起きの身体だが力を振り絞って、丹念なメッセージを返してやろう。
比企谷ーーーーーー
来んな
ーーーーーーーーー
よし…。
もう少しだけ横になって2ちゃんでも見てよう。
仮想空間と現実で悪魔との2連戦を立ち回った俺に、ほんの少しの堕落タイムがあったってバチは当たらないだろう。
いや本当にね?
身体も精神もボロボロなのよ。
結城ーーーーーーー
ついたよ
ーーーーーーーーー
……はは。馬鹿め。
こちとらスパで療養中ですのよー。
俺ん家の玄関の前でたたずむであろう結城には申し訳ないけど…。
「…ふへへ。スパで疲れを癒すンゴ」
「比企谷くん…、見ーつけた」
「んごっ!?!?」
可愛らしい笑顔が輝かしい。
リクライニングチェアに寝転がる俺を見下ろした彼女は、隠しきれないオーラを振り撒きながら、小さな声で呟いた。
「…キミがどこに居ようと、私は絶対に捕まえちゃうんだから」
1人じゃなかった…っ!
悪魔は1人じゃなかったのかよ!!
俺は拳を握りしめ、諦めるようにうな垂れる。
なす術が無いとは正にこの事。
悪魔の前で……
「…俺はいつも無力だ」
.
…
……
………
「…」
場所を深夜も営業しているファミレスへと移し、やたらニコニコと笑う結城と対面して席に腰を下ろす。
店内は時間も時間のためか、空席ばかりが目に付いた。
「…聞きたいことは沢山ある」
「へへ。好きな人は比企谷くんです」
「そんな合コン的なノリの質問してねえよ。…どうして俺の居る場所が分かった?」
「え、比企谷くん、GPSって知らない?」
GPSくらい知ってるわ。
ただ、GPSによる特定個人の詮索の術を知らないだけだ。
なに?
この子、俺の持ち物か何かに細工でもしたの?
愛が深すぎて逆に怖いっての。
「愛のGPS。いつも受信してるよ」
「あらら。俺の彼女、ついに頭がおかしくなっちゃったよ」
「照れてるの?」
「呆れてんだよ」
ケラケラと楽しそうに笑う結城を見て、俺は怒るどころか呆れてしまった。
店内に流れる静かな空気が、彼女の幸せそうな雰囲気に触発されたように暖まる。
…まぁ、なんだ。
こんなのも偶には悪くない…。
「冗談はさておき。比企谷くん。キミ、GGOで何をやっているの?」
…緩急の差が激しいよ。
途端に冷めた視線を向ける結城に、俺は冷や汗で返すことしかできない。
「…危ないこと、してないよね?」
「…。危ないこと?銃で狙われるし爆薬は仕込まれるし、GGOは結構に過激なゲームだけどな」
「へぇ、そうやって隠すんだ。あなたの将来のお嫁さんはね、嘘が大っ嫌いだと覚えておくことね」
「良くないぞ?そういう疑い癖は」
「キミの隠し癖もね」
普段を装い無難な返答を試みるも、結城の瞳から力のこもった光が消えることはない。
言い逃れは出来なそうだ。
そう思いながらも、俺は今回の諸事情を伝えるつもりはなかった。
いつの間にか物事の真意をはぐらかす、そんな悪い癖。
ただ、その悪い癖も使いようによっては利用が出来る。
今回の事件を
「…ま、全部終わったら教えるよ」
「本当に?嘘ついたら婚約届に印鑑を押してもらうからね?」
「え、ちょ、なにその約束」
「ふふ、もう準備は出来ているのよ。…あーちゃん大勝利」
お、俺の彼女の頭が修羅場すぎる…。
結城はそう言いながら、片手でVサインを作って俺に向けた。
そのドヤ顔を殴ってやりたい。
ちょっと可愛いけどぶん殴りたい。
「…そんな簡単に婚約だとか言うなよ」
「だってほら、私からぐいぐい行かないとさ、キミは絶対に踏ん切りつかないでしょ?」
「ぐっ、ま、まぁ…」
「最初はゴムに穴でも開けてやろうかと思ったけど、それは流石に体裁が悪いし」
「年頃の乙女よ、少し口を謹め」
こいつがこうなったのは誰の影響なの?
本当に、間違った方向へ進む前にどうにかした方がいいのかもしれん。
ていうか、結城と結婚したら婿入りが確実だろう。
そうなるとアレか…、結城 八幡。
……悪くない。
「…はぁ。そんな既成事実が無くっても、まぁ、その…、ちゃんと言うから…」
「…ほんと?」
「…ん。決める時は決める男だ、俺は」
陽だまりのように暖かな光を放つ指輪がちらりと覗く。
あの日に誓った言葉を忘れたわけじゃない。
俺はそっと、結城の頭を1度撫でると、彼女は目を細めて優しく笑った。
「ぷっ、それ、雪ノ下さんと結衣さんが聞いたら鼻で笑うかもね」
そんな、雰囲気をぶち壊す彼女の言葉を他所に、夜は更けていく。
ぶん殴りたい、この笑顔。
終わりが近づいてきたぞー!