ふわりと。
ローブが風で舞い上がる。
俺はそれを気にすることもせずに雪ノ下さんを見つめ続けた。
ヘカートを放棄し、小さなハンドガンを手に持ち替えた彼女が悠々とこちらへ話し掛けてくる。
「武器のステータスで勝ったと思われても癪だからね」
笑顔と一緒に見せるハンドガンは、どこの店でも買えるような量産品であろう。
ただ、この至近距離でなら頭を撃ち抜ける。
撃ち抜くだけの自信があると、雪ノ下さんの不敵な笑みが告げていた。
「…比企谷くんも構えなよ」
ただ呆然と。
立ち尽くすのみで銃を構えない俺を、彼女は不思議そうに睨んだ。
「…流石に接近戦で本気になる程、俺も鬼じゃないですよ」
「…へぇ。お姉さん、カチンときちゃったよ」
「銃なんていりません。ほら、早く済ませましょう」
別に挑発の類いじゃない。
雪ノ下さんの目は明らかに不機嫌になったが、コレはただの戦闘だ。
…死なない戦闘なんて遊びなんですよ。
ふと、彼女は俺との距離を詰めるように凄まじいスピードで走り出す。
的確に俺の死角へと入りながら、ハンドガンを構えた。
頭を狙う素振りで足元を、それを避ければ避け難い身体の真ん中を。
その戦闘スタイルは、ヘカートのような長距離銃を持つプレイヤーのステータスとは思えない。
結城も早かったけど、雪ノ下さんも同じくらい早い。
などと、懐かしみつつも、彼女の連撃を全て避け続ける。
そっと、彼女がニヤリと笑った。
一つ、ハンドガンの軌道が俺から逸れると、それは俺の背後に位置するドラム缶を撃ち抜く。
ドラム缶は銃撃と同時に爆風を上げて破裂した。
爆風が俺へダメージを与えることは無いが、身体の自由をほんのコンマ数秒奪われる。
「勉強不足だったね。GGOではこういう戦い方もあるんだよ」
そう言いながら、雪ノ下さんのハンドガンから俺の頭へと目掛けて銃声が響いた。
確かに、SAOやALOでこの手のステージアイテムは無かったな…。
…でも、不足な出来事は慣れっこだ。
それこそ逆境を生き抜いた高校時代の俺なら鼻で笑うレベル。
風を切って音速の速さで向かいくる銃弾を。
俺は
「っ!?」
「…ふぅ。それで?これだけですか?」
少しだけ疲れた。
年齢のせいだとしたらショックだな。
まだ若いんだし…。
一呼吸置き、俺は攻撃する素振りを見せない雪ノ下さんに笑いかける。
「…強いでしょう?俺」
「…っ!なんで…、腕で防いだと言えどあの距離なら貫通するはず…っ、それどころがダメージも無いなんて…」
…やっぱり気付かれてない。
まぁ、簡単に気付かれても困るけど。
俺はひらひらとしたローブに身を包みながら、こちらからは攻撃を仕掛けませんと言わんばかりに隙を与えた。
「…俺の命令は、雪ノ下さんがGGOから退場することです」
「っ…。へぇ、お姉さんを蚊帳の外に置くんだ…」
「…」
「私は弱くない。キミに守ってもらう必要だってない」
「…弱いとか強いとかじゃないんですよ」
「…?」
あの世界での事を思い出す。
雪ノ下と由比ヶ浜を街に残して戦い続けた日々を。
夜にはざわつく胸を無理やり沈め、気が狂ったかのように戦闘に明け暮れた日々。
あいつらだけでも生きて帰す。
そう願い、俺は消え入る思いを奮い立て、流動的に変化する仮想世界の危機を乗り切ってきた。
いつしか、背中には沢山の想いが重なり、押し潰されそうになる程の重圧を感じ始めていた頃に、結城は笑って俺の側へと歩み寄ってきた。
背中は任せて。
そう言われ、抱いた安心感が招いた絶望。
その油断に、その隙に、その怠慢に。
茅場と対峙したあの時、彼女を失いかけてしまったんだ。
「…誰かに居なくなられる事が怖いんです」
「っ」
そう言って、荒れる風よりも早く、俺は雪ノ下さんの背後に回る。
ゆっくりと、俺はホルダーに閉まっていたピースメーカーを取り出し、彼女の頭に突き付けた。
「…君は、そうやって私達を遠ざけるんだね」
「危険な場所で、大切な人を守りながら戦う自信が無いだけです」
「それって、私も比企谷くんの大切な人ってこと?」
「いえ、雪ノ下さんは一色と同じカテゴリーです。なんか居たから守っておくか的な」
「!?」
ほんのりと色付く冗談を吐きながら、雪ノ下さんは降参の意を表するように両腕を上げた。
それが戦闘の終わりを告げ、俺は溜め込んでいた息を1度に吐き出す。
「わ、私も大切な人のカテゴリーでしょ!?」
怨念の猛威が俺に向いたかは分からない。
あの時に感じた寒気が気のせいであるならどれだけ幸せか。
「比企谷くん!聞いてるの!?」
世界は変われど仮想は仮想。
エストックに貫かれたサチの顔を思い出す。
その場しのぎに終結させた
「私を見て!もっと私を見なさいよ!!」
赤い目を光らせて、おまえは俺を狙っているのか?
そう、空に問い掛けるも答えは無い。
別に構わんさ。
歪んだ笑みでエストックを俺に向けるってんなら、その時こそ容赦はしない。
「…全て終わらせてやるよ。ザザ」
「こ、この状況で私を放って過去の想い更けているのね!?」
ーーーーー☆
目を疑う程に洗練された彼の戦闘に、私は思わず見惚れてしまった。
今までのような一瞬で決着が着くよう戦闘では無く、鮮やかに舞い上がる蝶のような戦闘。
戦闘力を持たない私や由比ヶ浜さんだけでなく、結城さんやクラインさん、エギルさんでさえも口を開けて惚ける。
「綺麗だね、ゆきのん」
ようやくにその場で発せられた言葉は、銃撃戦のモニターを見ていた感想とは思えない素っ頓狂な物だった。
「ええ。とても」
彼の前では決して口にしない素直な感想。
先程までの不安を一掃するような彼の色鮮やかな姿に、私は思わず吐息を漏らす。
「あ、また何か話してますよ?どれどれ、ここは私の読心術で」
「えっと『一色いろは、あざとうざい』って言ってるね」
「いやいや『結城、おまえマジで泣かす』って言ってますよ」
ガシッと。
取っ組み合いになる一色さんと結城さんの2人を宥めるように、由比ヶ浜さんがどうどうと仲を取り持つ。
…一色さん、まだ諦めてないのかしら。
ふと、モニターに目を戻すと戦闘の中継が終わり、画面には本戦出場者のリストが写しだされた。
そのリストに載る【PoH】の名前。
「それにしてもよぉ、どうしてPoHのヤツはGGOなんか始めたんだ?ましてやBoBに出るなんてよ」
クラインさんの言葉に私も小さく頷いた。
彼が興味本位で行っているわけが無い。
きっと何か理由がある。
それも、腰が朝青龍並みに重たい彼を動かした理由が…。
「…はっ!まさか、私のために…」
一色さんの言葉を流しながら、私はソファーに深く腰を下ろす。
「また、何か危ない事をしてるわけじゃないよね?」
そう言いながら、由比ヶ浜さんも私の隣へと腰を下ろし、不安気な瞳で私を見つめた。
そんな彼女がどこか馬鹿な犬のようで可愛らしく、頭を優しく撫でてあげると素直に目を細めて喜んだ。
少なくとも、その可能性を考えなかったわけではない。
SAOの時も、ALOの時も、彼が戦う理由は決まって何かを守る時だったから。
ただ、私が一晩かけて調べ上げた限りで、GGO関連でその手の事件は
ーー何も、起きていないのだ
ーーーーー☆
予選終了後、現実に戻った俺は気怠い身体を起こして周りを見渡す。
周囲に設置された医療機材ばかりが目に入るものの、俺のお目付役だと自負する彼女の姿が見えない。
む?
あのバカ、職場放棄か?
菊岡さんにチクってやろうと思っていると、重々しい扉が無作法に開けられた。
「あれ?もう終わったの?」
「あぁ。ん?おまえ何持ってんの?」
「ポテチだけど」
「コンソメ味じゃん。俺が買ってきたのってうすしお味じゃなかったか?」
「へへ、食べだしたら止まんなくて、足りなかったから買ってきちゃった」
…ちゃんと俺の身体を守ってくれませんかねぇ。
キミが部屋を空けてポテチを買いに行ってる間に、俺はキミを殺そうとしたヤツの幻影に怯えてたんだよ?
「…はぁ、おまえ、こんなバイトばっかりやってて勉強は大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。部活も忙しいけどそこは両立してるし」
「部活?」
「うん。吹奏楽部だよ。しかも部長だからね。夏には関西大会で金賞も取ったし」
サチは胸を膨らませて自慢気に語りだした。
メガネのメンヘラ副部長とか、天然パーマのお喋りクソ野郎とか、生意気で百合っ気のある自己主張女とか、結構いろいろと大変らしい。
え、その漢字でサファイヤって読むの?
サファイヤってポケモンのせいで青いイメージだったけど、本物は緑色なんだ…。
「…まぁ、どうでもいいけど」
「私のプライベートをどうでもいいで片付けないでよ」
「はぁ、今日はお終い。おまえも帰って寝ろよ」
言われなくても!
とポテチを頬張りながら部屋を出て行くサチを見送り、俺は睡眠不足の身体に鞭を打ってベッドから立ち上がる。
習慣か、社内メールを確認しようとスマホを取り出すと、そこには1通のメッセージが受信されていた。
「…む」
雪ノ下 陽乃ーーーーー
話があるので起きたら連絡下さい。
ーーーーーーーーーー
……そして、次の狂気が始まるのです。