ーーーーーーー
麻痺が完全に抜けた身体を酷使し、私は月明かりの下を全速力で飛行する。
風が鬱陶しいくらいに顔に吹き付けてくるが、彼の斬撃に比べれば子供の吐息程にも感じない。
「……っ」
結局、洞窟を抜けたのは彼が私に背を向けてから20分程が経った頃だった。
”過去の清算か?”
彼は私を知っている。
”仮想空間に理想を求め過ぎるなよ”
私も彼を知っている。
バカらしいと言われるかもしれないが、私がこの世界で初めて彼と出会ったときに、一つの妄想をしてしまった。
SAOに囚われてしまった先輩達から逃げるように、ALOの世界に魅了されてしまった私を。
引け目を感じてお見舞いにすら行けなくなってしまった私を。
捻じ曲がった信頼をゲームに押し付けている私を。
先輩が現実世界から迎えに来てくれたのだと。
皮肉を混ぜた優しい言葉は、自動販売機の前で甘いコーヒーを買う先輩にそっくりだったから。
一緒に旅を進める毎に、その人は私の中で大きくなっていき、私が求めていた過去が戻ってきたかのように。
私は彼に先輩を押し付けていた。
旅路の途中で彼が時折聞かせてくれるバカな後輩さんの話を、私は私に置き換えて聞いていた。
彼が、先輩を現実から遠ざける。
現実で先輩から電話が来た時に、私はそこから逃げ出したくなっていた。
仮想空間に逃げ込みたくなっていた。
現実の先輩には合わせる顔がないから、仮想空間の彼に早く会いたくて。
……。
ただ、さっき私を斬り伏せた彼の目が、小さく呟いた言葉が、私の記憶を逆流させるように大きく膨らませた。
先輩は、私が困ると必ず手を差し出して……、くれなかったか。
私が困ると少し強めに背中を蹴り飛ばしてくれていた。
その時の先輩の目が、私に背を向けた時に見せた彼の目と同じで。
「……あなたは、先輩…なんですか…?」
.
…
……
…………
…………………
しばらく最速での飛行を続けているとアルン高原が見えてきた。
それと同時に、サラマンダーの赤い影が数名のプレイヤーを中心に円を作っている光景も広がる。
中心に居るのは間違いなくサクヤとアリシャさん、それと数名の護衛隊だ。
そして、サクヤ達から一歩前に出て、サラマンダーの軍勢に対峙している1人のプレイヤー。
今にも戦闘を始めんとばかりに怒気を放つサラマンダーを前に、変わらずに飄々とアホ毛を揺らす彼の姿。
……どうして。
同盟とか種族には関心がないと言っていたのに…。
「サクヤー!!」
「む?あ、アイラ?…え、なぜ君が?」
「どうしてって、サラマンダーがこの会談を邪魔するって情報を聞いたから…。そ、それより、なんであの人が……っ!」
「お、落ち着きたまえ…。ふむ、それほどまでに取り乱す君も珍しいな」
「な、何が起こってるの……?」
「……はは、その様子じゃ君は白のようだな」
「……は?」
この状況にも落ち着き払っているサクヤがこれまでの経緯を順を追って説明してくれた。
私も、これまでの事と彼の素性を知っている限り伝えると、サクヤとアリシャさんは何かに納得したように頷き、私をニヤニヤと見つめる。
「なーるほど!アイラちゃん、彼はきっとアイラちゃんのために戦うんだよ!!」
「は?」
「…ふふ。いやね、私たちはこの会談の漏洩者を君だと疑っていてね」
「は!?そんなわけないじゃない!」
「可能性の一つだよ。……アリシャが言っているのは、彼がその可能性を潰すために、真実を私達に伝えるために戦っているってことだ」
「真実……」
「……正直、ここで私たちが全滅させられていたら漏洩者は君だと決め付けていたかもしれない。この会談を知っているのはここに居るプレイヤーを除いたら君だけだからね」
「そ、そんな…」
狼狽える私の肩に、サクヤは優しく手を乗せてくれる。
その後ろでニヤニヤと腕を頭で組んでいるバカ猫がウザったいが。
「…だからこそ、彼は君の為に戦うんだよ。きっと、君がそんなことをする筈ないと、信じて疑わなかったんだろう。彼は」
「…アイラちゃん。…それが愛、だよ」
あ、愛……!?
「彼はこんな事も言っていたな…『この戦いが終わったら、アイラに伝えたいことがあるんだ…』ってね」
……まじか。
ちょ、心の準備とかしといた方がいいよね?
あ、あぁ、何て答えればいいんだよぉ。
ごめんなさいすみません優し過ぎて私の胸を熱くしてくれて一瞬恋かと勘違いしましたが今は無理ですごめんなさい。
よし、コレだな。
噛まずに言えるように練習しとかなくちゃ。
えぇ、ごほん。
「ごみゅんなさ……」
……こいつは大変な事になってきましたな…。
「「……」」
と、自分でも分かるくらいに顔を赤くさせた私を、サクヤとアリシャさんが冷めた目で見ている。
まったく、無粋な2人だなぁ。
「…さて、アイラ。冗談はさておき」
「じょ、冗談!?どこからが冗談なの!?」
「……ほら、戦闘が始まるぞ。…彼には悪いが、ユージーン将軍が相手じゃ分が悪いだろう。最悪君に戦ってもらうかもしれない」
「……ユージーン将軍…」
ALO最強のプレイヤー。
魔剣グラムでどんな敵をも真正面から斬り伏せると言う戦闘狂。
古森であったあの時とは比べものにならない程の殺気を放つ将軍を前に、彼は相変わらず左手をポケットに入れて、面倒くさそうにそこへ佇んでいた。
「……口の硬そうな奴だな。どれだけ斬り刻まれれば口を割ってくれるんだ?」
「口だけは達者のようだな。一撃だ。一撃でも俺に当てることが出来たら俺の負けとしよう」
「いいだろう。それなら俺もハンデとして羽は使わん」
……使えないだけでしょ。
と、突っ込むこともなく、私はただただ固唾を飲んでそれを見守る。
そして、戦闘の開始を知らせるように、彼は短剣を腰の鞘から抜き出した。
ーーーーーーー
「……」
「……」
俺がダガーを構えるのと同時に、ユージーン将軍も俺の身長ほどはあるであろう大剣、魔剣グラムとやらを構えた。
魔剣と言われるのだからそれ相応のステータスなのだろう。
妖しげに光を放つ俺のダガーが悪ならば、神々しく光を放つあの大剣は善になるほどに美しい。
「ふん。貧相な武器だ。……掛かって来い」
「……」
空から降りかかる声に俺は見上げて睨み返すことしかできない。
……ちょっと降りてきてくれませんかねぇ。
地面で戦おうよ。
ふかふかの芝生って気持ちよくない?
「……。なるほど、気付いていたか。魔剣グラムのエクストラ効果に」
「……」
「剣や盾でグラムの剣戟を防ごうとすると霞み、その剣をすり抜けて攻撃することが出来る。……つまり、おまえが早々に斬り合いを始めていたらその時点で勝負は付いていたってわけだ」
飛べないから下で待ってただけなんだけど……。
「……あんまり俺を舐めるなよ?」
「ふん。俺に戦闘を挑むだけのことはある…ってことか」
…ふぇえぇ〜。
なんですかぁ、エクストラ効果ってぇ。
そんなんチートや…。
……チ、チーターや!
「…だが、気付いたからと言って防げる物でもあるまい。……行くぞ!!」
斜に構えた態度は崩さず、将軍はゆらりと降下し地面に足を着く。
……僥倖だ。
「……剣なんて関係ない。一撃で勝負は着くんだろ?」
「その一撃を俺に当てられたらな!!」
悠然と正面から向かってくる将軍は両手に大きなグラムを抱えているとは思えない速さで動いていた。
大きな岩が転がってくる、なんて表現じゃ少し生易しいか。
まるで流星群が降ってくるかのように、将軍は連続の剣撃を繰り出した。
パワー自慢かと思えばスピードもトップクラス、さらに装備品はレジェンド物ばかりで、剣さばきも一丁前。
パワー系はスピードを抑えないとゲームバランスが崩れちゃうだろ。
マリオテニスではドンキー使いの俺として、これはいただけませんな。
だが、そんな常識さえも覆す目前のプレイヤーに、俺はALO随一の強さを垣間見れた気がする。
連劇を避け、俺は将軍から距離を取るように後ろへとジャンプした。
それを逃さんと、将軍はご自慢の魔剣が大きく振り被る。
「終わりだ!名も無きプレイヤー!!」
こんな生ぬるい世界じゃなかったんだよなぁ。
あの世界は。
「せ、先輩!!!」
背後から悲鳴のような声が聞こえてきた。
どうやら麻痺が解けてこちらに到着していたようだ。
「…名前はある。……PoHだ」
魔剣グラムは視認できない程のスピードで空気を切り裂く。
豪腕から繰り出されたソレは大地を二つに割るのではないかと心配するくらいだ。
「…世界で一番の嫌われ者の名前だ。覚えておけよ、人気者」
「っ!?」
息を飲む音が聞こえる。
ソレはユージーン将軍のか、それともあいつのか、はたまたその他大勢
の誰かか。
だが、少なくとも俺ではない。
「……俺の勝ちでいいんだよな?」
背後に回り込んだ俺に、将軍が気付いた時には勝負は終わっていた。
ダガーで軽く一刺し、HPには殆ど減りが見られないが、この勝負のルールは一撃だ。
「……っ。こ、この俺の背後を……っ!」
「…さぁ、約束どおり、口の軽いスパイ野郎を教えてくれよ」
「……ふむ。…完敗だな」
神経に巡らせていた緊張が一瞬の内に溶けるように、将軍の身体から力が抜ける。
「PoHと言ったか。……お前ほどの手練れが今までどこに隠れていた?俺たちは泳がされていたのか?ふむ、それも仕方がないか。全てを手の平で転がせるだけの力がおまえにはあるのだからな」
「…まぁな。…とりあえず約束通り…」
「世界は広い!……俺もまだまだ弱いと言う事だ!…井の中で空を見上げるのも潮時だな。おまえと戦えて、俺はまた一つ強さを手に入れることが出来そうだ」
「……うん。それで、名前を…」
「精進しろよ。おまえも。俺は追うのが得意だぞ?最強に腰を据えておけるのも今の内だけだ。俺とてサラマンダー、いや、ALOで一番と名乗ってきたプライドがある。今はおまえにその席を渡すが、今後は……」
「その顔でお喋りかよ!想像を絶する程に喋るじゃねぇかよ!!」