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流星が川のように乱れる夜空に、まん丸な大きい月が顔を覗かせる。
これほどまでに月を近くに見れることなんて現実ではありえない。
現実との相違に感動さえも覚えるこの仮想空間で、私は辺りを見渡しながら街を歩いた。
時折声を掛けてくるプレイヤーに愛想を振りまき、私は何を探しているのかもはっきりとしないまま、当てのない模索をし続ける。
「……」
ふと、街のシンボルである塔と、その真下に位置する広場で私は足を止めた。
聞こえてくるのはプレイヤー達の話し声。
「なぁ、知ってるかよ。最近サラマンダーの動きが活発になってるらしいぜ?」
「あそこはもともと血気盛んな奴らの集まりだろ」
「そうじゃなくてよ、本格的な世界樹の攻略に乗り出そうってこった」
「ま、まじかよ!…確かに、あそこはトップランカーも揃ってるし、何よりユージーン将軍も居るからな…」
2人組の男性プレイヤーが話す内容に、私はちらりと耳を傾けた。
世界樹……。
そうよ、このゲームをプレイするからには皆んなが世界樹の攻略を目指している。
あの人みたいにフラフラと目的も無くプレイをしている方が稀なのだ……。
と、昨夜の彼を思い出していると
「…よう」
「ほぅ!?」
背後から聞こえた小さな声に、私は思わず飛び跳ねる。
突然に現れたその存在は、相変わらず私の索敵にひっかからない。
振り向けば、今日も左右に揺れるアホ毛が私をバカにしたように見下した。
「あ、えっと、こんばんわです。PoHさん」
「ん。丁度良かった。おまえに聞きたいことがあったんだよ」
「へ?き、聞きたいこと、ですか?」
「あぁ、あの天然記念物にはどうやって行けばいいんだ?」
「…は?」
昨夜出会ったばかりにも関わらず、馴れ馴れしいにも程がある態度で彼は話し続ける。
そして、天然記念物と言いながら彼が指した指の先には、全プレイヤーの悲願である世界樹の天辺が。
「……飛んで行けば直ぐに到着する?」
「……あ、あ、あ、…」
「…?」
「アホですか!?何も知らないにも程があります!!昨日と言い今日と言い、なんであなたは愚かなんですか!!」
「愚かこそ至高だろ。俺は愚直でありたいと思ってる」
……こ、こいつ…。
ふぅー、と。私は溜息を一つ吐き、彼をジロっと睨みつける。
「良いですか?……まずこの世界に転移のような類いの魔法はありません。そして、空を飛ぶのにも制限があります」
「不便な世界だな」
「ちっ…。例え、空を飛び続けられたとしても一晩では世界樹まで辿りつけないでしょう」
「は?それじゃあ青春18切符とかない?ゆっくり向かうわ」
「ねぇよ!クソが!!……、こほん。そ、それでですね、世界樹の生える街、央都アルンに行くには、ここから数日を掛けて地道に歩くしかありません。もちろん道中、飛行するのも有りですが、中立域で飛行をするのはそれなりにリスクがあります」
「……へぇ。で?」
「…。ここから行くには鉱山や古森、山脈を越えて行くしかないんですよ」
「……。ちょっとそれはないな。俺は直ぐに行きたいんだよ」
なんで納得しないのよこいつは!
私だって簡単に行ける方法があるなら教えてほしいっての!
不満気に私を見てんなバカプレイヤー!!
と、心で罵倒を繰り広げながら、私は尚も彼を睨み続けた。
「……言っておきますけど、時間を掛ければ行けるって場所でもありませんから。それなりの装備とパーティーを整えて、中立域での戦闘をクリアしていかないとアルンにたどり着けません」
「まぁ、歩いて行くしかねーならそうするわ」
そう言うと、彼はお礼も言わずにその場を後にしようとする。
ゆらりと歩きながら、彼は確かに世界樹の方向に脚を向けているのだから笑えてしまう。
「ぷっ。お仲間探しでもするんですか?……言っておきますげと、並大抵のプレイヤーじゃ他種族にすぐ襲われて全滅しちゃいますよー?」
「仲間?…俺は徒党を組まん。足を引っ張られても敵わんしな」
「は、話を聞いてなかったんですか!?1人じゃどう足掻いても……」
ふと、彼の表情が静かに動いた。
微かにだが、どこか寂しげに、焦っているような……。
先ほどまでまったくと言って良いほどに感じることが出来なかった彼の感情が、今はこうして読み取ることが出来る。
彼の瞳に映る黒い影、それは私ではなく遠い何かを見つめているよう。
「……。それじゃあな」
「……っ。ま、待ってください!」
……放って置けない。
ふとそう思ったときに、私は彼に声を掛けていた。
どこかゆらゆらと揺れる彼の影は、直ぐに消えて無くなってしまいそう。
あの人みたいに、また自分を犠牲にしてでも何かをやり遂げようと…。
そして、気づけば私の前から居なくなってしまう。
そんな感じ……。
「……み、道案内くらいなら……、してあげますよ」
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お生い茂る木々の間に、申し訳程度に作られた林道をゆっくりと歩く。
葉の隙間から差し込む月明かりに照らされながら、俺は少しばかり過去の記憶を思い起こした。
木々と葉に囲まれた穏やかなホームタウンと、日の光をいっぱいに取り込んだログハウス。
雪ノ下の淹れる紅茶を飲みながら、アホな由比ヶ浜が笑って話し掛けてくる。
無視を決め込みティーカップを傾けると、”あいつ”は決まって俺の隣で苦笑いを浮かべていた。
小さく、ほんのりと…。
彼女の甘い香りを思い出す。
充満して溶けていった思い出の中に、彼女は優しくも逞しく、俺の隣に並んで居続けた。
……あのバカ。
いつまでも寝てんじゃねーよ。
……。
「どうかしました?もしかしてもう疲れちゃいましたか?」
突然の声に、俺は思わずそいつの顔を見つめてしまった。
……俺らしくないな。
思い出に浸る時間はないってのに…。
「……疲れたわ。……主に気疲れだが」
「あなたがいつ私に気を使ったんですか!」
「あらら。気を使わせてる人間はそれさえも気づかないのか……」
「ぬーー!本当にバカにしてばっかり!」
「……はぁ。それにしても本当に歩くしか手段はないんだな…」
「まだ言いますか?…、だから塔の上から飛んで距離を稼ぎましょうって言ったじゃないですか」
「ばっかお前。羽なんてのは心の中に仕舞っておくものだぞ?おいそれと飛ぶもんじゃありません」
「……飛べないだけでしょ」
「……羽の使い方って難しいんだな」
街を出る前に、俺は羽の使い方についてレクチャーを受けた。
懇切丁寧な教え方だったとは思うが、どうにも羽と言う物に抵抗を感じてしまい、俺は飛ぶ事を諦めたのだ。
「あんなにセンスの無い人は初めてですよ……」
なんて言いながら、俺の後ろをトボトボと歩く彼女は昨夜に出会った時よりも素の感情を剥き出すようになったと思う。
裏表の激しい女だとは思っていたが、まさかここまでだったとはな……。
「…つーかよ、おまえは良いのかよ?」
「は?何がです?」
「……他人の我儘に付き合ってていいのか?」
「ん〜。そうですねぇ…、本当は今週末の他種族間会談でサクヤの護衛を任されてたんですけど……」
……サクヤ?
あのヒミコみたいな領主のことだよな…。
「領主の護衛かよ」
「はい。でも断ってきました」
「……いいのか?俺のため…」
「ちょ、自分のために大切な用事を断ってまで付いてきてくれた女の子が必ずしも好いているとか勘違いやめてくださいごめんなさい」
「……ふむ」
何ともまぁ、この女は……。
期待を裏切らないと言うか、予想通りと言うか…。
「……さて、冗談はここまでです。いつでも剣を抜ける準備をしておいてください」
「あ?」
「古森の中央地です。サラマンダーといつ鉢合わせてもおかしくないですよ?」