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先輩達が病院に運ばれたと聞き、私は直ぐにその病院を訪れた。
先輩の妹さん、小町ちゃんからの連絡を貰ったのは学校で4限目の現国を受けている時だったが、私の動揺を察してくれた平塚先生の計らいで授業中にも関わらず早退を許してくれた。
荷物を慌ててまとめ、廊下に出るや走り出そうとした瞬間、平塚先生に呼び止められる
「待て!…これを」
「……?」
渡されたのは1万円札。
それも5枚。
思わずそれをつき返そうとするも、先生は黙って私を見つめ続けた。
「……あいつらをよろしく頼むよ」
よく見ると、先生の手のひらは細かく震えている。
「…さぁ、早く行きたまえ」
「…は、はい!」
私は学校から出て大通りでタクシーを止める。
先生にもらったお金を握り締めながら、さきほど小町ちゃんから受けた病院の名前をドライバーに伝えた。
……早く、早くっ!
時間と世界は止まってしまったかのようで、動いているはずの車から覗ける外の風景がやけに遅く見える。
両手の震えを押さえつけるために、私は強く二つの手を結んだ。
お願いです。
……生きて、生き続けて。
いつかまた、あの部室で私を迎え入れてください。
そう願いながら、私はラジオから流れる音に耳を傾けることなく祈り続けた。
.
…
……
………
タクシーが止まり、目の前に白い病院が見えたころ。
私は先生にもらったお金を無造作に渡すと、病院内へと走り入る。
ナースセンターに到着すると、私は収まらない焦りを隠すことなく受付を済ました。
「…っ、はぁはぁ、あの、お見舞い、なんですけど」
「あ、はい、えっと…、どなたのお見舞いでしょうか?」
「せ、せんぱ……。比企谷 八幡……です」
先輩の名前をこんな所で言うなんて。
ふと、私がその名前を伝えると、受付をしてくれていたナースさんの顔色が変わる。
「…ぁ、比企谷さん、ですね…。では、こちらにお名前とご年齢、ご関係を…」
少し乱雑に埋めていく記入欄に、私を一瞬悩ませる項目。
ご関係…、私と先輩の関係…。
突然に筆を止めた私を不思議がるナースさんの目に気が付き、私は筆を滑らせる。
”後輩”
「…はい。ご記入ありがとうございます。それではこちらへどうぞ」
.
…
……
…………
案内された扉の前で、ナースさんはその場から離れていく。
扉に手を掛けた時、なぜか腕に力が入らない。
さきほどまで、あれだけ早く会いたかった人がこの先にいるのに、どうしても心の準備と整理が間に合わなかった。
もしもの嫌な予感が頭をよぎる。
「……っ」
無理やりにそれを追い払い、私は両手を使いその扉を開けた。
「……せ、先輩…」
ぴ…ぴ…ぴ…
と、定期的に鳴る電子音。
見たことのない機会から伸びるコードがベッドに繋がる。
「…っ!せ、先輩…」
そして、眠るように、静かに。
窓から吹かれる風を感じながら。
私の先輩は生きたまま仮想世界に囚われていた。
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昼間の来客から受けた優しさと、1枚のメモ用紙。
21:00を過ぎ、全病室が消灯となった頃に、俺はそのメモ用紙の内容を確認した。
そこに書かれた内容には結城のプロフィールから家族構成、学生時の成績から友人関係まで事細かに記されている。
うむ。流石は片思い歴の長い男だ。
ストーカーも顔負けの情報収集力に感心していると、俺の依頼した内容とは別に一言添えられている文字に気がつく。
”この情報で君が何をするのか僕には分からない。それでも、彼女たちを傷付けないことだけは約束してくれ”
そういう気遣いが出来る男だからこそ、こいつは好かれ、人気を集めることが出来るのだろう。
「……悪いな、葉山。その約束は……、ん?」
添えられた一言、さらにその下に添えられた一言を見つける。
”って言っても聞かないんだろう?何か手伝えることがあれば連絡してくれ”
……ほう。
「ハヤ×ハチもあり……か」
おっと、冗談はこの辺にして。
ざっとメモに目を通し、結城の現状と内容を照らし合わせる。
なぜ、あいつだけ目を覚まさなかったのか。
死んだはずの俺がなぜ戻れたか。
茅場晶彦があの場所に俺と結城を呼び出した理由は何なのか。
ふと、結城の父に当たる人物、結城彰三氏の項目が目に入る。
「……レクト…」
レクトってあのレクト・プログレスか?
そういや結城の振る舞いが少しお嬢様っぽかったな…。
スマホを操作し、俺はレクトのホームページへアクセスする。
企業理念やら福利厚生やら……。
あらま、すごい立派な会社じゃないの。
そのCEOって……。
こりゃ専業主夫の血が騒ぐ、……じゃなくて。
「……アミュスフィア…、アルヴヘイム・オンライン…」
ナーヴギアの後継機って、よくもまぁ、あれだけの事件が起きた品物の後継を作ったもんだ。
しかも俺らが閉じ込められて1年後に開発って……。
「…って、これナーヴギアのセキュリティーを強くしただけじゃねぇか。こんなんが売れてんのかよ。世も末だなマジで」
ってこと、アーガスの技術者もレクトに流れてんのか?
暫くはレクトを見張るべきか……って、俺はもうギルマスじゃねぇんだったな。
ラフコフのメンバーも今じゃ病院で看病を受ける患者に過ぎないわけで。
「……さて、ステルスヒッキーがどこまで通用するか」
独り言が虚しく病室に響く。
あー、ふざけてる場合じゃねぇんだよ。
微弱な可能性を潰していくには人も金も何もかもが足りない。
……はぁ、やっぱりリアルって糞だよな。
ゲームの中とは違って決まった正解があるわけじゃねぇし。
正解だからといって正しいわけでもない。
本当に何もかもが矛盾した生きづらい世の中。
「……。それでも、あいつにもう一度……」
手の甲が透けない世界で、本物の月を見せてやりたい。