救いは犠牲を伴って
青空高くにそびえ立つ、何重にも重なる塔の1番上に、私たちは辿り着くことが出来るのだろうか。
1層のボス戦で1名の犠牲者が現れたときに、これを100回繰り返すのかと絶望が生まれたことを思い出す。
それでも、クリアしなくちゃならない。
だから闇雲に走り続けた。
ただひたすらに。
見えないゴールを目指す旅は苦難と困難の繰り返しで、いつしか攻略組と言われるプレイヤーの人数も100を切るほどになっていた。
75層。
それでもここまでやってきた。
私達なら出来る。
あと少しで。
……。
そんな希望的観測を、彼は許してくれない。
心のどこかで隠していた
《このままじゃ100層までは辿り着かないのでは……。》
と、言う気持ちを、彼ははっきりと文字にして、言葉にして、私たちに植え付けた。
彼だけは知っている。
このゲームがエンディングを迎える筋書きを。
いつも誰かに救いの手を差しのばす彼だからこそ、その筋書きを描くことが出来たんだ。
「……愛してるぜ。…結城」
ただ1人の犠牲を伴い。
色取り取りのエフェクトと化し、飛散していく彼の姿を見たときに、私は強い眠気のようなものに襲われ意識を手放した。
✳︎
「……き」
ん……。なに…?
「……結城」
……私を呼んでるの?
「おい。結城!!」
「っ!?…え、あ、はい」
「…ん、生きてるみたいだな」
「ひ、比企谷……くん?」
夢のようにフワフワとした身体をゆっくりと起こしながら、私は彼の頬に手を伸ばす。
「……夢でもいいよ。…比企谷くん。……お願い、もう行かないで」
「…夢…。夢なのか?俺も少し戸惑っているんだが…」
「ふふ。なんだか妙にリアルな夢……。本当の比企谷くんに触ってるみたい」
「……結城、ちょっと頬を抓るぞ?」
「え?……い、いひゃいよ…」
「…痛いのか…。夢じゃないみたいだな……。ここは…」
突然、目を瞑りたくなる程の突風が吹き荒れると思うと、私達を囲んでいた雲のような靄が全て消え去る。
夕暮れの赤い日差しが切なく私達を照らし出し、辺りには果てしたく続く透明な大地が現れた。
「…どうだい?仮想世界も美しい物だろう」
透き通る声の持ち主は白衣に身を包み、私達に目を向けることなく言葉を投げ掛ける。
どこかで見覚えがあるような…。
「……茅場…」
「か、茅場!?」
そうだ。
茅場晶彦だ。
「私の想像したアインクラッドは完璧な幻物だ」
「完璧ではなかったろ」
「……減らず口め。成功を収め続けてきた私の人生で唯一の失敗は、君をこの世界に導いてしまったことだろうね」
「堅物が。失敗だらけの俺に頭を下げやがれ」
「ふふ。……あぁ、そうだ。この言葉を伝えなくてはね」
茅場はアインクラッドを見下ろしながら頬を緩ませた。
「Congratulations、ゲームクリアを祝して、この茅場が賛辞を送ろう。公約通り、現在プレイ中のゲームプレイヤーを自由にする」
「……」
く、クリア……。
クリアって言った……?
私は思わず、茅場の放った言葉を繰り返し呟いてしまう。
「……ひ、比企谷くん…、私達…。っ!げ、現実に戻れるよ!!」
「…ん。そうだな」
「へ、へへ、やったね!早く雪ノ下さんや結衣さんにも教えてあげようよ!!」
幸せの形を増幅させるように、私は比企谷くんの手を強く握った。
興奮のせいか体温が上がっていく。
手から伝わる比企谷くんの体温を、現実でも……。
「……。」
「比企谷くん?」
私の心に絡まる呪縛を溶かし続けた彼の手はどこか冷めている。
薄っすらと、ゆっくりと。
比企谷くんの身体が透けていくのに気がついたのは彼が私の頭に手を置いた時だった。
「そこのぼっち白衣が言ってたろ?現実に帰れんのは”現在”プレイ中のゲームプレイヤーだけって」
「……は、はは。何言ってるのよ。君もこうして生きているじゃない。私の目の前に、いつもみたいに……」
「……」
数秒の静寂。
私の頭に置かれた手がゆるりと落ちた。
「……茅場、こいつは生きてるんだよな?」
「ああ。……特別に、ここへの入場を許可しただけだからね」
「ふん。情けを掛けているつもりかよ。……ってことだ、良かったな結城」
普段と変わらぬ表情で彼は私に声を掛ける。
そこに感情を読み解くことはできない。
彼はこのゲームで自らを犠牲にし続けたことで、顔に偽りを貼り付けるのが上手くなってしまったんだ。
「……良くないよ…っ!君も帰るの!そうじゃなきゃ、……っ、そうじゃなきゃ、帰れたって全然……」
嬉しくないよ。
大切な人が居ない世界なんて、偽物も同然なのだから。
「……結城…。雪ノ下と由比ヶ浜と仲良くなってくれてありがとう」
「……な、何を…」
彼の姿は次第に透明度を増していく。
周りには素敵な風景が広がり、穏やかな風が吹いていた。
違う。
ここじゃないよ。
いくら幻想的な世界に魅了されても、君と過ごす世界には敵わないんだから。
思い出の欠片がこぼれ落ちる。
違った。これは私の涙だ。
「……ごめん」
「…っ、…。一緒に、…帰ろうよ…っ」
「……」
「…また、並んで歩こうよ。雪ノ下さんと紅茶を飲んで、由比ヶ浜さんと笑い合おうよっ!!」
……。
穏やかだった風が、途端に全てをさらう風へと変わる。
「……。あぁ、雪ノ下には姉が居てな、それが悪魔のように怖いんだわ。目を付けられないようにな」
「……っ」
「それと、俺には世界一可愛い妹が居るんだ。仲良くしてくれよな……」
静かに、小さく。
彼の声は遠くなっていく。
「…俺の後輩にあざとうざい奴も居る。……そいつともきっと仲良くなれる」
風は比企谷くんだけをさらうように、柔らかそうな髪を散らばせる。
彼と出会った始まりの街。
22層にある私たちの居場所は、このゲームが終わったとしても忘れることはないだろう。
攻略中に見せる誰よりも大きな背中も。
鮮やかなソードスキルも。
時折見せる年相応の姿も。
捻くれた笑い方も。
全部、私は君の全てを忘れることはできない。
「……。もう消えそうだな」
「…っ、…消えないで。もっと私に……」
あなたの事を教えて……。
「……好きです。比企谷くんのことが、誰よりも大好き。あなたの全てを私に下さい」
「……ん。悪いが俺じゃぁ役不足みたいだ。諦めろ」
「…ふふ、そう言うと思った。だったら。最後に我儘を聞いて?」
「…?」
私は消えかけている比企谷くんに抱きつくと、そっと頬に手を伸ばす。
可愛らしく伸びるアホ毛と意外に長い睫毛。
整った顔立ちには不釣り合いな歪んだ瞳。
顔を背けるように照れ隠しをする癖。
知りたいことがいっぱいあるのに、あなたは私の前から消えちゃうんだね。
ならせめて、強く印象に残る思い出を。
ふ、っと。
私は彼の唇にキスをした。
「私の中から一生消えないでね」
「……。…ん、善処する」
ふわりと。
そして、私の腕から全てが消えた。
唇に残る感触と、静かに彩る周りの風景だけを残して。
.
.
.
…
………
………………
……………………
ーーーーーー。
ゲームクリアから2ヶ月後
数年もの間を寝た切りで過ごしたSAO犠牲者達は、解放されて数ヶ月を特別なプログラムによるリハビリを強いられた。
発声から歩行まで、全ての機能に障害を残しつつも、それはリハビリによって回復するとのこと。
ただ、プレイ中にゲームオーバーとなった4000人が戻ることはない。
それでも、6000人程の生存者を出したのはゲーム内で奮闘したプレイヤー達と、外部から支援し続けたスタッフの功績だろう。
例外があるとすれば……。
結城明日菜だけが目を覚まさないこと。
「……っ。茅場、どういうことだよ」
ゲームクリアのニュースと同時に発表された茅場晶彦の死。
日本を震撼させた事件は、首謀者の”自殺”という形で幕を降ろした。
「……っ」
俺は定期的に呼吸を繰り返す彼女の前で手のひらを強く握る。
俺が愛した彼女は美しく、芯の強い女性だった。
でもそれはゲームの中における話で、今はこうしてか細い身体に管を通され弱々しく生きている。
「……茅場、何で結城は帰って来ないんだよ。どうして俺は帰ってきてんだよ……」
ーーーend
とりあえずSAO編はお終いです。
ありがとうございました。