流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
ネットワークを支えている電波は世界のあらゆるところにまで張りめぐらされている。屋外はもちろん、山に穿たれたトンネルの中や、大勢のサラリーマン達が利用する地下鉄にも。子供たちが勉強する学校の校舎の中にある教室にも電波の道ウェーブロードは存在する。
リブラ・バランスの攻撃で吹き飛ばされたロックマンは殴られた腹部を抑えながらよろよろと立ちあがる。ふと下を見ると、見慣れた金色が見えた。
「委員長?」
半透明なオレンジ色のウェーブロードの向こうではルナが座っていた。どうやら今も学習電波による強制的な教育を施されている様子だった。
ロックマンは真下にいるルナから目をどかし、周りを見る。ゴン太とキザマロもいた。スバルとツカサがいない教室、5-A組だ。どうやら巡り巡って戻って来てしまったらしい。
「まずいな。早く移動しようぜ?」
ウォーロックの言葉に頷いた。もし、ここまでリブラ・バランスが追いかけてきて戦闘になれば、クラスの皆を巻き込むことになる。ふらつく足を動かそうとする。
「スバル、上だ!」
ふと上を仰ぐ。天井から茶色い塊が両手を頭上に掲げて飛び出してきた。その手は暴力さを感じさせる黒い塊へと変わっていた。リブラ・バランスだ。どうやら上の階から周波数を変えてすり抜けて来たらしい。
「ヘビーウェイト!」
リブラ・バランスの奇襲攻撃は成功した。ロックマンはとっさに両手で頭上からの攻撃を受け止める。しかし、重力、質量、腕力。三つの力を最大限に生かした攻撃をスバルが軽々と受け止めることなどできない。多大な圧力がロックマンをウェーブロードへと押しつける。それでも、押しつぶされまいと全身を伸ばそうと、悲鳴を上げそうな体で錘を必死に押し返そうとする。
「スバル、いったん引くぞ?」
鼻先を錘に押し付けられながらウォーロックが苦しそうに喚いた。
「ダ、ダメだよ」
「なに言って……!」
「下を見てよ……」
「……そう言うことか。お前らしい理由だぜ、畜生!」
ロックマンの真下にいるのはルナだ。そして、ロックマンが支えているのはリブラ・バランスのヘビーウェイトだ。この攻撃は軽々とウェーブロードを砕いていしまう。もし、ロックマンがここで引けば、ルナの命は無いだろう。ルナに逃げてもらえば一番良いのだが、残念ながら今の彼女は学習電波の力で人形になっている。頭上で行われている激戦と真逆に、ただブツブツと与えられた知識を静かに口にしている。
「先生……なんで? 委員長は育田先生の生徒だよ? なんでこんなことするの? 生徒は……子供は宝じゃなかったの?」
育田に初めて会った時、彼は言ってくれた。子供は宝だと、自分は子供を守るためならば命も惜しまない。そう高々と宣言してくれた。
育田はロックマンの正体を知らない。当然、今自分が押しつぶそうとしているのは自分の生徒のスバルだとも知らない。だから、自分がスバルに言った言葉をロックマンが知っていることに疑問を抱くはずだ。しかし、育田はそんなことよりも以前に自分が言った言葉に揺らいでしまった。
「ああ、言ったさ……」
育田の声だった。今までの攻撃的な激しいものと違い、静かで悲愴感を含んだものだった。
「私は子供が大好きだし、大切に思っている。しかし、自分の子供達と生徒達。どちらを取るかと問われれば、私は自分の子供達を選ぶ。クビになり、子供達を路頭に迷わせるわけにはいかないんだ」
「……クビ?」
職を追われると言う意味だ。理想の教師を形にしたような育田がそのような目にあうなど、スバルには考えられなかった。しかし、まだ子供のスバルには分からない事情が大人の世界にはたくさんある。それに逆らえなかった育田のなれの姿がリブラ・バランスだ。
「知らなかった……けど、本当にそう思っているの? 先生は、そのためなら自分の生徒がどんな苦しい目にあっても良いって言うの?」
スバルは眼下のルナにもう一度目をやり、リブラ・バランスとなった育田に問いかけた。リブラ・バランスの目が大きく泳いだ後、同じくルナに視線を移した。
「……そ、それは……」
「育田、決めただろウ?」
落ちついたリブラの声が育田の渦巻く胸中を抑え込んだ。
「戦うト……子供と職を守るためになんだってするト。そう誓ったんだろウ? 『長いものには巻かれロ』。弱者が強者に従うは必然。バランス良く割り切って生き残る者が賢い生き方ヨ」
「そ、そうだ! 私は……戦わなくてはならないんだ! 大切なもののために……迷ってなどいられないんだ!」
スバルの言葉は届かなかった。グッと頭上から圧力がかけられる。リブラ・バランスの目にルナが映っていないわけがない。どうやら生徒ごとロックマンを押しつぶす気のようだ。
「迷わない……仕方がない。仕方ないんだ! 私は親として子供達を守らなければならないんだ!」
手に掛る重量はさらに増してくる。ウォーロックも苦しそうにスバルと同じく表情を歪める。腕がギシギシと悲鳴を上げる。スバルには支えきれない事実が付きつけられ、それがスバルの膝を徐々にくの字へと曲げていく。
敗北の二文字がスバルを駆け巡る。
「……助けて……」
それをかき消すように、微かに言葉が聞こえた。
「委員長?」
圧力のままに閉ざされていた目をうっすらと開いき、足場の下でうめき声を上げた少女を見た。
「助けて……ロックマン様……」
ルナだった。電波変換したスバルの名を呼んでいた。
「ごめん、委員長……僕は……」
――まさにヒーロー!――
スバルの脳裏を過ったのは、無理やり学校に連れてこられた時の出来事。学芸会で行う劇のセットを見せつけられた時のこと。彼女が言った言葉だ。
「僕は……違う……」
リブラ・バランスへと視線をずらす。リブラに取りつかれた育田の目はロックマンを倒す事しか映っていなかった。
――というわけで、ロックマン様はピンチの時に現れるヒーローなのよ!――
「違うよ……僕は、ヒーローなんかじゃ……」
自分ではこの強敵に勝てない。悟ってしまった現実に、歯を噛み締める。
――絶対に皆を守ってくれるんだから!――
スバルの胸に一つの言葉が突き刺さった。
――守ってくれるんだから――
僕が……守る?
ウェーブロードの下で座り込んでいるルナをもう一度見る。今度はちゃんと瞼を開いてだ。その先で、教室の明りによって照らされる物があった。それはポタポタと小さい塊となって落ちていく。
ドクンと胸が強く訴えた。答えるように呟いた。
「……守りたい……!」
こんな自分をヒーローと呼んでくれるなら。
「……僕は……」
薄れ行く意識。その中でも、涙ながらに少女が必死に助けを求めてくれるのが自分だと言うのなら。
「僕は……この子を、守ってあげたい!」
思いの丈のままに叫んだ。途端に左手のウォーロックが眩いばかりの光を放った。スバルの言葉と思いに応えるようにだ。白光はスバルを包み込む。
「ようやく気付いたか?」
「……え?」
光の中でスバルは会合した。三つの影がロックマンとなったスバルを取り囲んでいる。
「誰かを守りたい」
赤い電波体。レオ・キングダムが言う。
「他人を思いやる強い心」
緑の電波体。ドラゴン・スカイが続く。
「それが、真の強さ」
青い電波体。ペガサス・マジックが紡いだ。
「己しか案じぬ思いは、醜く、そして脆い」
「対し、誰かのために戦いたいと言う、勇ましいお前の思い」
「それが、絆がもたらす力だ!」
先ほどと同じ順で、スバルに言葉を投げかける。次々と違う方向から掛けられる言葉は、スバルを覆って行く。
「守る……力?」
高鳴る鼓動を感じ、胸に手を当てた。その場所から青い光が姿を現し、徐々に強さを増して行く。
「さあ、星河スバル! 力を解放せよ!」
「これが、絆を持つお前だけが引き出せる力、スターフォースだ!」
レオ・キングダムとドラゴン・スカイの言葉を受け、手に持った光を掲げて呟いた。
「……スターフォース……」
そんなスバルにペガサス・マジックが教える。
「スターフォースを使いたいときは、こう唱えるのだ……」
手の中の光を力の限りに握りしめ、叫んだ。
◇
「スターブレイク!」
リブラは自分の神経を疑った。自分と電波変換し、リブラ・バランスとなった育田の両手の下で、ロックマンはもう虫の息だ。発していた戦闘周波数もドンドン小さくなっていく、消えかけている命の灯そのものだった。後は羽虫のようにプチリと踏みつぶすだけだった。
だが、現状は違った。上がって行く。零へと向かっていた戦闘周波数が上がって行く。それは元の数値へと達するに留まらず、軽く飛び越えていく。ロックマンの体から発せられる水色の光と共に大きくなっていく。
溢れてくる。力がだ。滾る力にウォーロックは吠え、スバルも唸り声を上げる。両手に押し付けられていた力が嘘のように軽くなっていく。全身を血液と共に駆け抜ける熱さに励まされ、スバルは曲げられていた両手足を伸ばしきり、リブラ・バランスのヘビーウェイトを押しのけた。
「ば、馬鹿な!?」
力負けしたことが信じられないのだろう。収束していく水色の光と、その中心で佇む主を、現実を受け入れられぬ目で見ていた。
光がロックマンに吸い込まれるように消えた、ロックマンの姿は変わっていた。群青色だった体は、澄んだ水色と変わっていた。丸みを帯びていたヘルメットはやや角ばり、耳の部分には飾りのような羽がつけられていた。左手のウォーロックの顔も長細く変化している。なにより目を引くのはその背中だ。美しさを感じさせる純白の翼をばさりと広げて見せた。
「ロックマン・アイスペガサス!」
AM三賢者の一人、ペガサス・マジックの力を解放したロックマンの姿だ。赤いバイザーの下にある茶色い瞳は、眼下で涙を流しているルナへと向けられる。
「委員長、君は僕が守るよ!」
守りたい。今はこの子のヒーローとして、ルナの思いに応えてスバルは叫んだ。
「調子に乗るなヨ?」
リブラは突然の力に意表をつかれたものの、すぐに体勢を立て直した。理由は分からないが、相手は明らかに強くなっている。自分のパワーを押し返せるほどに。ならば余裕なんて無い。強くなった原因などどうでもいい。決着をつけるのが最善の方法だと判断した。
「フレイムウェイト!」
「させない!」
左手から火を放とうとした直後、的が消えた。気付けば、リブラ・バランスの左手が上へと打ち上げられていた。下を向くと、ロックマン・アイスペガサスが右拳を天に向かって振り切っていた。
「教室で、そんな危ないもの使わせない!」
リブラ・バランスの強力な炎を放てば、教室はあっという間に火の海だ。だからスバルは攻撃を未然に封じたのである。
遠距離戦は無理だと即断した。ならば、近距離で攻撃するしかない。リブラ・バランスにとって苦い決断だった。彼は近距離で戦うことはできるが、決して得意ではない。その皿の様な手で殴ることしかできないのだから。相手にそれを悟らせないために、一度自ら切り込みはしたが、懐に潜り込まれるのは一番嫌な行為だ。
ロックマン・アイスペガサスは今までの戦闘でそれを悟ったのか、接近戦に持ち込もうと素早く踏み込んで胴体に蹴りをかました。
「ははっ! 流石だぜ! すげえ力だ!」
大きい体をくの字に曲げるリブラ・バランスを見て、ウォーロックはスバルが引きだした強大な力に、快感の声を上げる。
表情に乏しい顔を、苦痛に歪めながら、右手をロックマン・アイスペガサスに振り下ろした。ガシャンと手がウェーブロードを叩きつけた。もうそこに敵はいなかった。大きく距離を取り、左手を構えているのが見える。
「アイススラッシュ!」
ウォーロックの口から放たれたのは氷の弾丸だ。バトルカードの力では無い。スターフォースを解放したロックマン・アイスペガサス自身の力だ。それに対抗するようにリブラ・バランスは左手からフレイムウェイトを撃ち出した。氷の弾丸と、火の大砲が二人の射線上でぶつかり合う。火は氷を蒸発させ、大きくしぼんだ。
リブラ・バランスは目を見開いた。打ち勝った炎はウェーブロードの坂道と触れあい、お情け程度の爆発を起こして、ウェーブロードの上でのたうちまわっている。つまり、ロックマン・アイスペガサスが消えたと言うことだ。
白い靄が視界を狭める。グランドの上空で戦っている時とは違い、教室と言う密閉された空間では霧が立ち込める。完全に見失った。
「どこだ!?」
「ここだよ!!」
ロックマンの声が聞こえたのは上だ。仰ぐと、天井からアイスペガサスへと変身したロックマンが飛び出してきた。先ほどリブラ・バランスが仕掛けた奇襲と同じだ。
飛び出したロックマンは背中を大きく仰け反らせ、体から水色の粒子を溢れさせ、両手を高く上げている。立ち上る水色の粒子と共鳴するように、リブラ・バランスの足元に魔法陣が描かれる。
「スターフォースビックバン!」
大技の前兆だと察したリブラ・バランスが退避するより早く、スバルは両手を振り下ろした。
「マジシャンズフリーズ!」
スバルの掛け声と共に、魔法陣から巨大な氷が姿を現す。それは魔法陣の上にいたリブラ・バランスを飲み込んでいく。
「こ、こんなことガァ!?」
リブラ・バランスではなく、リブラが叫んだ。豊富な水のエネルギーで構成された氷に襲われた彼はそれ以上口を開けなかった。
スタリとウェーブロードに両足を置き、スターフォースを解除した。群青色をした、普段のロックマンへと戻る。
「へへっ、すげえじゃねえか、このスターフォースって力はよお!」
FM星でもそこそこ名の通ったリブラを倒したことに、ウォーロックはご機嫌な様子だった。三賢者から貰った力に浮かれてご機嫌な様子だ。
「うん。そうだね……」
スバルは対照的に浮かない表情をしていた。氷の大群の中に閉じ込められて、身動き一つ取らなくなったリブラ・バランスをじっと見ている。
その様子を見て、ウォーロックも止めをさせと言えなくなってしまった。ただ、スバルの動向を見守ることにした。
スバルが考えていたのは育田のことだ。三年ぶりに校門を潜ったあの日、母の言う通り人の良い先生だとスバルは思った。訴えかけるように、氷の牢獄の中で動かないリブラ・バランスへと近づく。
「先生が担任だったから、僕は学校に行こうって思えたんだよ?」
本当に良い先生だった。初対面で無愛想なスバルに優しく接してくれた。未体験の授業をしてくれた。
「また、楽しい話をしてよ? 僕が困ったら、相談に乗ってくれるんでしょ?」
ただ、その優しい表情で話しかけてくれる。それだけでスバルは……
「ねぇ……お願いだよ、先生……元に……あの時の、優しい先生に戻ってよ……」
氷に手を当てると、そのままスバルの足ががくりと折れた。疲れたからではない。ただ、この姿になってしまった育田を見るのが辛かった。その現実を受け入れるのが悲しかった。
激痛が走った。スバルは頭を押さえてうずくまる。ウォーロックも同じだ。目をギュッとつぶり、不快感に苦い顔をした。二人の錯覚では無いことは、教室にいる面々が証明してくれた。呟く単語の数は多く、複雑になり、スバルと同じく脳が叫んでくる悲痛に任せた表情をしている。
「ロック、これは!?」
「ああ、学習電波が強くなりやがった!」
校舎を襲っていた学習電波はその狂暴さを増していた。
「なんで? 育田先生が学習電波を操ってたんじゃ……?」
「スバル、放送室だ!」
ウォーロックは思い出していた。廊下の角で、ツカサと共に育田と出くわしてしまった時、育田は電波変換する直前に口にしていた。学習電波を強くするために『放送室で操作する』と。スバルも言われて気付いたようだった。そして、一つの可能性が生まれた。
「まだ、敵がいるってこと?」
「ああ、その可能性が高いな! 行くぞ!?」
「うん!!」
ウォーロックに促され、スバルはウェーブロードを走り出した。
そんな中で、ウォーロックはリブラ・バランスに目をやった。疑問だった。スターフォースを発動しているときの力はすさまじかった。スターフォースビックバンはその時にのみ使える大技だ。それが、あの程度の威力なのだろうか?
ロックマンが去った後には、氷の柱に閉じ込められたリブラ・バランスが残された。彫刻のように瞬き一つしない。
彼の足もとから聞こえてくる。
「止めてよ、先生……」
「育田先生、助けてよ」
「止めて……勉強するから……」
呟く単語の数が増えた中、シクシクと涙を流す者。鼻を鳴らす者。それぞれが違った反応を見せるが、皆の思いは同じだった。
嘆きと涙で満たされて行く教室の中にあっても、電波の道に取り残された彼は表情一つ変えずに人形のように身動き一つしなかった。