流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
ゼット波の解析。サテラポリスから受けたこの依頼が今のアマケンの急務だ。
その作業中に呼び出しを受けた天地は、宇田海に指示を出して部屋を後にした。
訪ねて来たお客様は顔見知りの少年だった。意外な来客から聞かされた内容は、『一晩この子を匿って欲しい』だ。横にいる女の子に見覚えがあったものの、大して気にせず承諾した。何か訳があることを察し、自分が力になれるのならと言う簡単で天地らしい理由だった。お礼と共に笑っているが、少女の顔が暗かったのを彼は見逃さなかった。
「そうだスバル君! いい機会だから、二人でブラザーを結んだらどうだい?」
空気を消すように話題を変えて見る。女の子の方は乗り気だ。彼女のギターはトランサーを内蔵しているらしい。ブラザーを結ぶ時も、少女にとっては少し重たいこの楽器をわざわざ使わなくてはならない。ちょっと不便そうだが、背負っていたギターに徐に手をかける。
しかし、スバルは首を横に振った。
「ごめんなさい。僕は……まだ、ブラザーを受け入れられません」
やはり三年間塞いできた心の壁は堅い。簡単には壊せないし、無理して壊そうとする必要も無い。笑って流しておいた。
その直後に研究所の方から呼び声がかかり、部屋を後にした。
◇
二人は研究室を出て屋上に来ていた。ミソラに誘われて、この場について来ている。
「スバル君って言うんだね?」
「え?」
「ごめんね。助けてもらったのに名前も知らなくて」
「いや、気にしないで。僕が名乗ってなかったから……星河スバルだよ」
「フフ、改めて……響ミソラです。よろしくね? 星河君?」
「うん、よろしく。スバルで良いよ?」
昨日少し話したと言えど、初対面と言っても良い。それにも関わらず言葉が自然と繋がって出てくる。知らなかったとはいえど大スターと二人で話をしている。
落ち着かない。全国の男の子を惹きつける容姿を眼前にして、心拍数の上昇を自覚していた。
「色々、お世話になっちゃったね?」
「良いよ。僕が好きでやったことだから」
お礼を述べるミソラを見て顔が熱くなる。トランサーがカタカタと揺れている。ムッとして、コツンと軽く叩くと大人しくなった。
「何してるの?」
「ちょっと調子が悪かったみたいなんだ! ……歌、本当に好きなんだね?」
「うん、大好きよ!」
「お母さんとの絆なんだよね?」
「そうだよ。私とママの『歌の絆』なんだ」
天気の良い空を仰ぎ、翡翠色の目に青と白の世界を送り込んだ。
「私ね、物心ついたころからパパが居なかったの。ママも体が弱くて、ずっと病院のベッドの上。だから、ほとんど一人暮らしだったんだ」
「……寂しくなかったの?」
「うん! だって、病院に行ったら毎日ママが笑顔で迎えてくれるの。それが大好きだったわ」
言われなくとも分かる。楽しそうに話す彼女の表情がそれを語ってくれている。
「ただ、ママが寂しそうだったの。病院の窓から見える小さい世界。そこだけがママの世界だったの。だからね、私考えたんだ。ママが寂しくならなくなる方法。ママを笑わせて上げる方法……」
本当に寂しいのはミソラのはずだ。その言葉をそっと胸にしまった。
「それでね、歌を作ることにしたの。私もママも、歌は大好きだったから。私が外で見て聞いて来たこと……大きなことも、些細なことも、全部歌にして、毎日のように作って歌ったの。ママ……とても喜んでくれたんだ……」
「お母さんも、幸せだったんだね?」
「うん!」
ミソラに釣られるように自然と顔が綻んでいた。
「そんな時に、アイドルオーディションがあったの……」
◇
「出て見ない? あなたには才能があるはずよ」
「私がアイドルになったら、ママは嬉しい?」
「ええ、あなたの歌は、人を元気づけてくれる力があるわ。ミソラの歌が、母さん以外の人にも届くと、嬉しいわ」
◇
「ママを喜ばせてあげたかった。ママが、大好きだから!」
背負っていたギターを見せつけるように抱える。
「これもね、その時にママが買ってくれたの! 『これで、オーディション頑張って』って! 私、必死に練習したの! 毎日毎日……母さんも応援してくれて……おかげで合格できたの! もう……最高だった! お母さんも、手を挙げて喜んでくれたの!」
昨日の展望台で見せたのが彼女の笑顔だと思っていた。
違った。あの時のものなぞ、今の彼女の前では霞む。目に宿った光は瞳色に輝いている。
彼女の最高の笑顔。今初めてそれを目の当たりにしていた。
「もっと、ママを笑顔にさせてあげたかった。だから、舞台の上で思い切り歌ったわ! 少しずつだけど、ファンが増えて……私の歌を聞いて喜んでくれる人が増えて……その度に、ママは笑ってくれたの! もう嬉しくって、もっともっと……たっくさん歌ったんだ! ママのために!」
「ミソラちゃんのお母さんは幸せ者だね?」
「うん。だから、きっと……天国にいるよ?」
聞き違いかと思い、目と口を開いた。何かの例えかと思考を巡らせる。
ミソラの瞳が語っていた。エメラルドは灰を被せられたかのように染まり、もう光は無く、影しかない。
出される答えはやはり一つだ。
「……お母さんは……?」
「うん。三ヶ月前に……」
母に買って貰ったギターをギュッと抱き締めた。
「それからなんだ……私、歌う理由が無くなっちゃった……」
ギターを背中に戻して手すりへと歩み寄る。少し向こうに見えるコダマタウン、眼下に広がるアマケンの敷地。人々の生活が育まれる美しい場所。見る角度をわずかに変えれば全く違うものが見える多彩な世界は、今のミソラには無機質な白黒の世界にしか見えないのだろう。
眉ひとつ動かすことも無くそれを見下ろしていた。
「でも、マネージャーは金のために歌えって言うし。ファンの人達も今以上の歌を私に求めてくる……」
眼下の光景に比べれば、単純な色合いしか見せない世界を見上げる。
「私……もう、歌いたくない……」
それを見ていることしかできなかった。自分と大して差の無い身長。けれど背中は遥かに小さい。今までどれだけの重いものをそこに背負って来たのだろう。
事務所からは利益を上げることを求められ、ファン達からは成果を求められ、学校にも行けずに全国を連れ回され、商品として晒しものにされる。
11歳の少女が担うようなことではない。
大人ですら苦悩し、挫折し、去って行く世界。そんな残酷な場所で彼女がめげずに努力を続けられたのは母親がいたから。この世で最も大きな存在があったから。
唯一の肉親と言う掛け替えのない心のよりどころを失ってしまった少女。虚無の空間へと放り出された彼女に耐えられるわけが無かった。
「あのさ……そんなこと言ったら、お母さんが……」
近寄り、ミソラの肩に手を伸ばす。
「っ!」
それ以上は言葉が出なかった。彼女の体温を感じる場所まで指先が来ている。もう一度小さい背中を見て、地に落とした。留めた手はしばらく行き先に迷った後に元の鞘へと戻った。
互いに何も話さない。言葉一つ、足音一つ発さなかった。春の中ごろと思わせない、肌を震わせる風だけがその場を賑していた。
ドンドンという音が突然割り込んでくる。静寂な世界を踏みにじるかのようだ。
「ちょっと、困りますよ!」
天地の声だ。近づいてくる足音は二つ。二人の視線の先で、音源となっていた屋上の出入り口がバンと開かれた。
「ここにいたのか!」
カエルのような男が出て来た。止めようと追いかけて来た天地と比較しても、負けず劣らずお腹が出ている。
「大変なことをしてくれたな! おかげでライブは中止! どれだけ損害が出たと思っているんだ!」
スーツ姿と口調からするとマネージャーらしい。ミソラの身の心配ではなく、金の話をしていることから低質な人間であることはよく分かった。
「嫌! 私、歌いたくない!」
手すりに沿って後ずさるミソラに、汚れた心の持ち主が詰めかける。
「ちょっと、その子が嫌がっているじゃないか!!」
「うるせぇ! 俺はこの子の保護者だ! 他人は口出すな!」
天地の制止の声にも耳を貸さない。
繰り広げられる眼前の状況。何をすれば良いのか、しなければならないのか分かっている。けど、頭と違って体が動かなかい。
「歌え! 金を取り戻すんだ!」
「離して! 嫌っ!」
掴まれる手を払おうとするミソラは、スバルの11年において聞いたことのない叫び声を上げる。
ミソラの目元で雫が光った。
それを見て、スバルの思考は無くなっていた。
「止めろ!」
太い腕に飛びかかる。視界が大きく横に飛んだ。ミソラの悲鳴。全身が強く叩きつけられる。遅れて左頬が熱いと訴えてくる。天地がそばに駆け寄ってくるのを気配で感じた。
「アンタ、子供に何しているんだ!?」
殴られたのだと、ようやく理解した。
「そいつがミソラを匿ったのが問題だ! このガキ! ヒーロー気取りか?」
直も右手を振り上げ、掴みかかろうとしてくる。
天地が必死に止めようとスバルとの間に割って入る。喧嘩なんてしたことなさそうだが、拳を固めている。
「止めて! 歌うから!」
一色即発しそうな場をミソラの一声が収めた。
「歌うから……スバル君に手を出さないで……ぅ、エッ……エグッ……」
泣きじゃくるミソラに、ぶっきらぼうにただ「早くしやがれ」とだけ吐きつけ、マネージャーは階段を下りて行った。
後に続くように、目元を濡れた手で抑えながら歩き出す。
「ごめんね、スバル君。こんな目に会わせちゃって……それに……」
――あんな難しい話をされても、分からなかったよね?――
ミソラの詫びの言葉が心臓に直接叩きつけられたかのようにスバルに重くのしかかる。
「ただね……誰かに聞いてほしかったの……」
背中にかけられる詫びの言葉。ただ、石になり済ました。ごつごつとした足場から伝えられるひんやりとした感触も、肩に置いてくれている天地の手の温かさも、ミソラの悲愴な謝罪も、全てを無機質に受け流す。首一つ向けてやることも、声一つ上げることもしなかった。赤くはれ上がった頬を抑えることにだけ意識を固めた。
「助けてくれて、ありがと……嬉しかったわ。さよなら……」
遠ざかって行く足音が、ひしひしとスバルの胸を打った。
◇
アマケンの医務室で手当てを受けていた。専門スタッフの処置のおかげで、頬の痛みと腫れはほぼ収まった。
「ごめんよ、スバル君。力になれなくて」
「……いえ……」
最期に、薬を塗ってある湿布を貼ってもらう。ツンと鼻を刺すが、ひんやりとした布切れは頬の熱と痛みは和らげてくれる。
天地の謝罪の言葉を背にしてアマケンを後にした。
◇
バスが宙を蹴る。
目的地に向かって走り出した鉄箱の中に人が動く気配は無い。ナビが自動走行しているためスバル以外は誰もいない。
密閉された狭いはずの空間は壁が遠く感じるほどがらりとしていた。
「なんで……何も言ってやらなかったんだ?」
他に居るとしたら、トランサーに住みこんでいる宇宙人ぐらいだ。
「僕が……何を言えるっていうの?」
スバルの目を覗きこんだ。濁った茶色は何も映してはいなかった。
「『そんなこと言ったら、母さんが悲しむ?』」
「そう言うもんなんじゃ……」
「母さんを悲しませているのは僕の方だ!!!」
スバルの叫び声は広くて狭い世界を満たし、ウォーロックの言葉を遮った。
「何も言えない……何も言えなかったんだよ!」
肩が、手が……声が震えていた。
「ミソラちゃんは、お母さんを喜ばすために必至で頑張って来た。僕は? 僕は何かした? 学校にも行かず、悲しませてばかりだ!」
スバルの悲しみを秘めた声は何度も聞いてきた。
「『母さんを悲しませないために、頑張れ』って言うの?」
けれど、違う。今までとは違う。異星人でも分かってしまった。それを見てしまったから。
「僕に当てはまることだよ。僕が言われるようなことだよ!」
胸に当てられた冷たさを、握り返してくれた感触を、屋上でのやり取りが鮮明に思い出される。
「僕には、何も言うことが無かったんだよ!」
――あんな難しい話をされても、分からなかったよね?――
あと少し肘を伸ばす。それだけで届く。それだけで、彼女の肩に手を置いてあげることができた。そのわずか先にある肩が、まるで別次元のものの様。
「……ヒーロー気取りだっただけだ……」
手を伸ばす権利すら、自分には無かった。
「僕は……」
抑えきれない悔しさが、頬を伝っていく。
「無力だ……」
ポタポタと、雫となってウォーロックの上へと落ちていく。画面の向こうで弾ける涙を、ウォーロックはただじっと見つめていた。