流星のロックマン Arrange The Original   作:悲傷

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第百十四話.動き出す闇

 明かり乏しくなり、町が寝静まったその時間に、男はベッドから這い出した。どうにも最近寝つきが悪い。時計を見てみると、まだ数時間しか寝ていなかった。なのに、頭を鈍くしてくれる睡魔と呼べるものがどこにも見当たらない。身体をだるくしてみようと軽く体操をして見ても、目は冴えていくばかり。

 気休めだと分かっている。

 眠れない理由は蟻のように這いずり回るこの胸騒ぎだ。原因も分かっている。あの罪を背負った日から、ずっと己の奥にしまい込んで来た予感だ。

 窓の外を見上げてみれば、そんなことは杞憂だと笑ってくれる星空が広がっていた。おまけに、黄色い線が夜空をかけると言うデコレーション付きだ。飛行機でも飛んでいるのだろう。視力が落ちてしまったこの目が、自分の歳を痛感させる。

 この美しい世界のどこかに、今も彼らは居るのだろうか。

 

「どれ、仲直りの印にと貰った酒でも飲むかのう」

 

 この景色を肴に大好きなお酒を一杯飲もう。酔って、全て忘れて、そのまま眠ってしまおう。

 酒を取りに、壁際の戸棚へと老人は歩き出す。後ろの窓に描かれた夜空。そこに黄色い線を描いていた飛行機が若干のカーブを加える。そのまま弧を描き、綺麗な丸を描いて見せた。そして、一点でピタリと動きを止める。数秒間その場に留まった後、まるで生きているかのように、町の中央へと飛び込んでいった。

 老人が戻ってきたのは、ちょうど光が消えた後だった。いつの間にか飛び去ったと想われる飛行機に杯を掲げ、グラスにそっと口をつけた。

 隕石のごとく空気を押しのけて突き進む光。その先にある一軒の民家の屋根にぶつかる直前に、それは宙で動きを止め、黄色い閃光を自分の周囲に撒き散らした。光が止まった場所はコダマタウンの上に、網のように敷かれているウェーブロードだ。町を見下ろす彼の、静かな声が夜闇を包む。

 

「この恨み……晴らさせて貰うぞ、ウォーロック……」

 

 

 カップに注がれた漆黒の液体を喉に流し込む。いつもはここにたっぷりの砂糖とミルクを混ぜるのだが、今は我慢しよう。苦いほうが、眠気が覚める。今日は仕事が残っているので徹夜しなければならない。それに、ブラザーである助手にもダイエットを勧められているのだから。

 

「そういえば……大丈夫なのかな、スバル君」

 

 NAXAからの調査依頼に加えて、少し前には新型携帯端末の開発の一部を委託されている。研究所は上へ下へ、右へ左へと大忙しだ。立て込んだ仕事のせいで様子を見にいけなかったが、あの少年のことはいつも頭の隅にあった。

 「また不登校になってしまった」尊敬する先輩の奥さんが教えてくれた言葉だ。あんなにか細くて弱々しい声は、あの事件以降の三年間で聞いた事がなかった。

 力になりたい。

 だが、仕事をほっぽり出すわけには行かない。

 湯気の立つ水面に映る自分を見つめ、改めて決意をする。この仕事が一段落着いたら、一度顔を見に行こう。自分にできることがあるかもしれない。体に激を入れようと、熱い液体を勢い良く口に運ぶ。

 

「あ、天地さん!」

 

 背後から飛び掛ってきた声に、カップを落としそうになった。後ろを見ると、足も地に着かぬほど取り乱した宇田海が息を切らして手をかき混ぜていた。

 

「どうしたんだ、宇田海君。そんなに慌てて」

「と、ととと、とりあえず来てください!」

 

 それ以上の言葉は要らなかった。すっ飛んでいく宇田海の後を、カップの中身が零れぬ程度に全力で追う。

 人見知りで挙動不審だが、一流の研究者である宇田海がこれだけ取り乱している。並大抵の事態ではないことは明白だ。

 パソコンが壊れてデータが吹っ飛んだのか。仕事内容に予想外の事態が起きたのか。

 想像できる限りの最悪の事態を想定しながら案内された場所は、ひとつのパソコンの前だった。

 

「こ、これです! これ、見てください! こ、こ、この周波数!!」

 

 落ち着かない手が指し示している画面に目を凝らし、助手が言おうとしていることを探る。説明して欲しいが、今の宇田海では無理そうだ。

 細められていた天地の目が徐々に開き、画面に引き出されんばかりに広げられた。

 

「これは!? ……いつキャッチした!?」

「つ、ついさっきです! それで、すぐに天地さんにと……!!」

「直ぐに解析するぞ! ……ミトレ君が夜勤だったな。彼女に加えてあと数人、誰か呼んでくれ! 人手がいる!!」

「は、はいぃ!」

 

 研究室から飛び出す宇田海。彼を見送る暇もなく、天地はパソコンの前にドカリと腰掛け、キーボードを叩きだした。

 

「まさか本当に……?」

 

 確かな希望と、無視できない危険性を前にして、天地は頭を全力で回転させる。とっくに眠気は吹き飛んでいた。それでも、少しでも回転効率を上げようと、側に置いておいたコーヒーを一気に飲み干した。

 

 

 平日の午前十時ごろといえば、社会人にとってはお仕事の時間だ。でも、今日は土曜日だ。サラリーマンのお父さん達が子供達と遊んであげる大切な日である。

 そんなことは、この尾上十郎という男には関係ない。彼が仕事を休んでも、木は成長を休んでくれない。毎日、お父さんのように彼らの世話をしてあげるのが彼の仕事である。

 でも、今日は別の意味で忙しい。大きなブラシで土の上に溜まった灰を集めて、スコップで掘った穴に落とす。かなりの重労働だ。これをもう一週間もやっている。

 

「大変そうであるな?」

「っていうか、なんでここに居るんだ、爺さん達」

「暇なんじゃ」

「尾上の仕事の邪魔だ!」

 

 黙々と作業を続ける尾上の側では三つの声が騒いでいる。彼のパートナーであるウルフが、遊びに来たクローヌとクラウンに怒鳴っているのである。忙しく働いている尾上の隣で、おじいちゃん二人が緑茶を飲んで和んでいるのだ。かなり頭にくる。

 無論、ウルフが善意でやっている怒声も、仕事に集中したい尾上にとっては迷惑な騒音でしかない。尾上の眉が「鬱陶しい」と釣りあがり、長い犬歯を供えた歯で唇を食いしばる。

 

「と言うのは冗談である。昨日、千代吉と会ったのだが、あの小僧が落ちこんどるらしい」

「小僧? ……って、ボウズのことか?」

 

 穴一つを灰で埋め終え、作業が一段落したこともあり、尾上も仕事の手を休めてクローヌに振り返った。首にかけたタオルで汗を拭い、ポケットから水を取り出して喉に流し込む。葉の緑が濃くなってきたこの季節、ただの水が体に美味しい。

 ズズーっともう一度緑茶を啜り、クローヌは頷いた。その拍子に、サングラスの下にある青い瞳と目が合った。いつもの飄々とした雰囲気はなく、彼が真剣に話していることが窺えた。

 

「うむ。ミソラちゃんと喧嘩までしおったのだ」

「キャンサーも心配そうじゃったのう」

「ケッ、流石ウォーロックが選んだ地球人だ。見た目だけじゃなくて、中身までモヤシだったか?」

 

 ウルフの例えは微妙だが、大体言いたいことは察することができた。

 

「そうか、ボウズがな……って、隠れろ!」

 

 とっさに三人が消える。庭に出てきたヒメカお嬢様が尾上を探しているところだった。尾上を見つけると、太陽に負けない笑顔を浮かべてくれた。

 

「十郎様~! 休憩にしませんか~?」

「はい、ありがとうございます!」

 

 首にかけていたタオルで、丁寧すぎる手つきで汗を拭う尾上。ヒメカに配慮しているのだと、側から見てもよくに分かる。

 年甲斐も無くニヤニヤとした目つきで冷やかす老人二人。この二人は尾上とヒメカに何をしでかすか分からない。用心に越した事は無いと、ウルフは二人に噛み付き、空の向こうへと引き摺っていった。

 誰にも聞こえない悲鳴が轟く中で、尾上はヒメカに案内されて屋敷の縁台に足を運ぶ。

 用意されていた椅子に腰掛けると、ヒメカが入れたての紅茶を注いでくれた。植物特有の甘い香りと、彼女の手作りであるアップルパイの香料が見事に合わさり、尾上の疲れを癒してくれる。

 これで庭一面に木が立ち並んでいたら最高だっただろう。残念ながら、広がるのは緑の衣を剥ぎ取られた茶色い地面と、灰を埋めるときに余った大量の土が小さい山を作っているだけだ。豪勢を詰め込んだ庭園は見る影も無くなっていた。唯一残っているのは、あの火事で燃えなかった石造りの噴水のみ。

 

「……お嬢、旦那様とは……」

「まだ仲直りできていません」

「そうですか……」

「でも、今晩、ちゃんと謝ってみようと思います」

「その意気ですよ」

 

 口を一切きこうとしない、寂しい親子を見るのは今日で終わりになりそうだと、尾上は胸をなでおろした。旦那様も悩んでいたのだから、仲直りできないわけが無いはずだ。

 ホッとすると、急に喉が乾いてきた。冷めてしまわないうちにと紅茶を口に運ぶ。

 

「あちっ!」

「あらら、十郎様ったら……」

「あ、アハハ、失礼しました」

 

 些細なことで見せてくれるこの笑顔があるから、こんな厳しい仕事でも毎日つづけてやれるのだ。

 焼きたてのアップルパイを一切れ手に取る。しっとりとした土台に、細かい層となった天井部。その間に設けられた部屋で湯気を立てるリンゴの果肉。食べてくださいと言わんばかりに食欲をくすぐってくる。

 お言葉に甘えてかぶりつくと、サクッとした食感とモッチリとした歯ごたえの中に、熟成された甘味が広がってくる。口から零れ落ちてしまいそうだ。思う存分噛み締めて、もう一度ティーカップを傾ける。秘めた思いはこのまま飲み込んでしまおう。胃袋に押し込んだとき、ヒメカの顔が曇っていることに気づいた。

 

「十郎様があんなに一生懸命育てたのに、ほとんど燃えてしまって……無駄になってしまいましたね。十郎様も、辛くはありませんか?」

 

 ヒメカの瞳に映し出されるのは庭の惨状だ。大好きな尾上が毎日小さい作業を積み重ねて造ってくれたあの庭は芸術作品と評しても過言ではなかった。それがたったの数時間で灰になってしまったのだ。自分達よりも、木々の面倒を見てきた尾上が一番辛かったはずだ。ヒメカは尾上の心境を察し、悲しんでくれているのだ。なんと心優しい女性であろうか。だから、尾上はこの人が好きなのだ。

 

「まあ、辛いっちゃ、辛いですね。ここの木は、俺にとっては子供みたいなもんでしたから」

 

 口では辛いと言っているが、大きな傷の入った顔は平然とした笑みを浮かべている。心配させぬようにとカラ元気でも振る巻いているのだろうかと、ヒメカは尾上の本音を探ってしまう。

 

「ただ……今は次の木を育てるのが楽しみなんですよ。きっと元気に育ちますよ?」

「なぜ、そう言えるのですか?」

「なんで、俺が灰を埋めているのか分かりますか?」

 

 質問で返してきた尾上に、ヒメカは首を横に振った。

 

「あの灰には、栄養がたっぷりあるんです。俺が育てた木が元になっていますからね。次の木は、その栄養をもらえるから、よく育ちますよ」

 

 紅茶で一呼吸置いて、尾上は自慢げに話し始めた。その目は嬉々と輝いており、彼の情熱が燃えていた。

 

「確かに木はなくなっちまいました。けれど、俺がしてきた努力は無駄になりません。次に生かせますから。だから、無駄なんて無いんですよ」

 

 尾上は最後に、もう一度笑って見せた。言葉から、彼の熱を受けたのだろう。ヒメカも尾上の瞳の炎に顔を綻ばせた。

 

「……そうですね。無駄にはなりませんよね。あの子たちも」

 

 もう一度庭を見るヒメカ。そこに、先ほどのまでの悲しみはどこにも無く、少し先の未来に微笑んでいる彼女が居た。

 

「次の子達は、やんちゃ坊主みたいに育つでしょうね?」

「へへっ、望むところです!」

 

 ちょっと見とれていた尾上は、自分に任せてくださいと小さく腕を見せつける。

 二人の笑い声が空に吸い込まれていった。


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