流星のロックマン Arrange The Original   作:悲傷

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2013/5/4 改稿


第百八話.ヒカルの勝利

 木の幹を思わせる太い腕がしなり、銀色の爪が手加減とは無縁の力で振り下ろされる。五つの断面から電波粒子が弾け飛んだ。愚かなジャミンガーは人間へと姿を戻し、焼け焦げた黒い大地の上に身を伏せた。

 足元で気を失っているモヒカン頭の男を見下ろし、ウルフ・フォレストは鋭利な犬歯を

むき出した。

 

「尾上……」

「分かってらあ、お嬢の庭を殺人現場なんざに、するわけにはいかねえからな」

 

 火を放った憎むべき男を掴み上げ、安全な場所まで運ぶ。作動した消火装置が水を撒いてくれたため、庭で燃え盛っていた火はかなり小さくなったようだった。だが、全焼は免れられないだろう。屋敷にまで火が回らなかっただけでもよしとしよう。お譲と旦那様を始め、召使い達が未だに喧嘩をしている様子だが、それはジェミニと戦っているロックマンに任せるしかないだろう。そう思うと、何もできない自分が惨めで、地面を蹴飛ばしたくなった。

 

「おお、無事であったか!」

 

 手の施しようが無いほど火が回ってしまった庭を、呆然と眺めているウルフ・フォレスト。彼の隣に降りてきたのはクラウン・サンダーだ。片手には目を回したキャンサー・バブルを持っている。どうやら、彼らも先ほどまで戦闘を繰り広げていたらしい。キャンサー・バブルはあまり役に立たず、クラウン・サンダーが一人で奮闘したことが容易に想像できた。

 

「おう、お前らも無事だったか」

 

 ウルフも二人の隣に出てきたクラウンとキャンサーが無事であることを確認した。キャンサーは体のあちこちに傷を負っている。やはり、千代吉が受けたダメージが彼にも反映されていた。

 

「この電波、俺達でもどうにかできねえか?」

 

 尾上が上空の+-電波を、汚物でも見るような目で見上げた。自分達でもこれを破壊することができるのなら、早くお嬢と旦那様の喧嘩を止めて差し上げたい。だが、僅かな期待に反してクラウンは首を横に振った。否定というより、さじを投げたような態度に歯噛みする。

 でも、仕方ないかもしれない。この忌々しい電波の数は、百、二百どころではない。千、もしかすると万を越えるかもしれない。被害範囲も町を超え、地域一帯という広大さだ。途方にくれ、手をつけることすら嫌になるのも無理はない。

 

「ウォーロックがジェミニの相手をしてくれとる。わし等にできることがあるとするなら、援軍に……」

 

 クラウンの言葉は最後まで続かなかった。気配を感じて見上げれば、ウェーブロードには幾人ものジャミンガー。その周りには、数え切れないほどの電波ウィルス。クラウン・サンダーは未だに寝ているキャンサー・バブルの頭を蹴飛ばし、叩き起こした。

 

「しょうがねえ、雑魚退治だ!」

「うむ、行くぞ!」

 

 ウェーブロードへと飛び出していく二人。目を覚ましたキャンサー・バブルも慌てて後を追いかけた。

 

 

 痺れが走る。間隔が麻痺しているのに、熱と痛みはこびりついたかのように、しっかりと伝わってくる。動かすことすら辛い指で、もう一度力の限りに弦を弾いた。ハート型の弾丸を受け、平伏すジャミンガー。人へと戻った彼の無事を確かめ、ハープ・ノートは足から横たわった。同時に電波変換が解けてしまう。103デパートの屋上だったのが幸いだ。ウェーブロードの上ならば、地面に真っ逆さまだったことだろう。

 

「い、行かなくちゃ……」

「ミソラ……無理しちゃ駄目よ。あなた、もう十体以上もジャミンガーを倒しているのよ?」

 

 最初のジャミンガーは直ぐに倒した。だが、ハープ・ノートに差し向けられていた敵はそいつ一人ではなかった。倒した直後に、別のジャミンガーが電波ウィルスを連れて襲い掛かってきたのである。そいつを倒せば、直ぐに次のジャミンガーが……と、次から次へと現れる敵の群れを相手に、一人で戦い続けた結果がこれだ。近くの手すりに手をかけて身体を起こそうとしても、もう足に力が入らない。

 おそらく、ヤシブタウンに配属されていたジャミンガー達はこれで全部なのだろう。身動き一つ取れないほど衰弱したミソラとハープを狙ってくるものがいないことがその証明になる。

 

「でも……」

「もう戦えない。あなたが一番分かっていることでしょ?」

 

 指先だけでない。痺れは肘や肩、腕全体に広がっている。これでは、ギターを構えることすらできないだろう。足は筋肉がなくなってしまったのかと思うほど言うことを聞かない。立ち上がろうにも踏ん張れず、膝をまっすぐに伸ばせない。息は上がり、額から流れた汗が目に入ってくる。それを拭うのさえ困難だ。

 こんな自分にできること。これぐらいしか思いつかなかった。

 

「スバル君……お願い、無事でいて」

 

 祈ることしかできない無力な自分が情けなくて、悔しさが目から溢れ出た。

 

 

 絶望に沈むスバル。手足が震えていることすら分かっていない。ウォーロックの声が聞こえている気がするが、理解できない。遥か遠くの、隔てられた世界で叫んでいるように感じる。今の彼は、開いた目に映っている物を認識しているかすら定かではない。

 

「スバル! しっかりしろ、スバ……ぐぅ!」

 

 ウォーロックの顔に圧力がかかり、声が止められる。目を上げると、黒い足が自分の顔を踏み潰していた。ジェミニ・スパークBの足だ。敗者を見下し、勝者の愉悦に浸るヒカルと目が合った。

 

「さてと……もう少し痛めつけてやるか」

 

 人は立場が変われば態度を一変させる。余裕から心の隙間を作り、それに溺れる不出来な生き物だ。それは、ヒカルも例外ではない。

 

「僕は手伝わないよ、ヒカル」

「ああ。なら、耳を塞いでいろ」

 

 離れたところで佇むジェミニ・スパークW。目を閉じ、ヘルメットを耳に押し付けるように両手で抑えた。

 それを確認し、ツカサに背を向ける。

 

「相変わらず、優しすぎんだよ……お前は」

 

 小さ過ぎる呟いた声は、誰にも聞こえなかった。無論、ツカサにも。

 

「ヒカル、手短に済ませてくれよ」

「分かってるぜ」

 

 ジェミニは、ウォーロックに散々辛酸をなめさせられて来た。星王様の右腕としてのプライドがそれを許さない。復讐の刃は心の中で極限にまで研ぎ澄まされている。だが、ヒカルほど陰湿なわけでもない。もう、自分のプライドにこだわるのを止め、主君からの指令を優先していた。彼は、さっさとアンドロメダの鍵を奪ってしまいたいのだ。

 ヒカルは左手でロックマンの首根っこを掴み、持ち上げるように引き起こした。ウォーロックの口が開き、こちらに向けられた。バスターで反撃するつもりなのだろう。好都合と、素早く右手を突っ込んだ。拳を喉に押し込まれ、「しまった!」と目を見開くウォーロック。くぐもった声を上げ、苦しそうにもがく彼を鼻で笑い、さらに奥へと手を押し込んだ。

 

「貰うぞ。アンドロメダの鍵をな」

 

 手首まで沈んでいた右手を、ゆっくりと沈めて中を探る。だが、鍵は見つからない。それらしいものが見つからない。さらに奥へと手を伸ばす。この間も、ウォーロックはロックマンの左手を自分の意思で動かし、何とか抵抗しようとしている。見苦しいその姿を見かねたジェミニが横に現れ、体から電撃を放った。電波体の貧弱な力では、電波人間に大したダメージは与えられない。だが、ウォーロックを大人しくさせるには充分だった。微弱な電気で痺れ、動きを鈍らせたウォーロックを見て、満足そうに笑うジェミニ。その間も、ヒカルは右手を休めない。指先の間隔に集中しようと、目を閉じて視覚を遮断した。

 ツカサは今も離れた場所で耳を塞ぐだけだ。しゃがんだまま、石像のように微動だにしない。

 手首と肘の真ん中辺りまで、ヒカルが手を進めたときだった。今まで何も触れることのなかった指先に確かな感触があった。

 硬い。直ぐそこに、何かある。

 やっと掴んだ手応えに、思わず目を開ける。同時にウォーロックと目が合った。剥き出しにした彼の目には明らかな動揺の色が浮かんでいた。まるで、「まずい、止めろ!」と訴えているかのよう。

 自然と、残虐な笑みが零れた。おそらく、ウォーロックは「この世のものとは思えない」と感想を抱いていただろう。闇に落ちた者のみが浮かべることのできる、見る者を戦慄させる笑顔だった。

 一気に手を深く突っ込んだ。痛みにもだえ、声にならないウォーロックの悲鳴が腕を通して伝ってきた。構わず指先の感覚を研ぎ澄まし、しゃにむに手をかき混ぜて中を探る。直ぐそこに、お目当ての物がある。もう直ぐ手に入る。そう思うと、胸が踊るのを自覚した。

 再び、硬質な物体が手に触れた。さっきよりも近い。直ぐ手元にある。手首を捻って、指をそちらに向けて折り曲げると、人差し指から薬指までの三本が、それを巻き込んだ。

 手に掴んだ。その手に収まった、多少の凹凸を感じさせる丸い物体。躍っていた胸が期待に膨らみ、静止した。そのまま爆発してしまいそうだ。体は落ち着こうとしているのに、頭は興奮を抑えられそうになかった。もう一度手の中の物体を握りなおし、感情に任せて乱暴に腕を引き抜いた。

 ウォーロックの咳き込むような呼吸音が上がる。いつもなら、「鬱陶しい」と蹴りの一つでもかますところだが、今はそれどころではない。その手にしっかりと掴んだ感触。見れば、手の隙間から僅かに漏れ出る紫色の光。確信に心臓が大きく脈打った。

 

「……これが……!」

 

 細胞一つ一つが、沸々と騒ぎ出す。それは、その手に復讐の刃を手に入れた達成感。五指を徐々に開放する。連れて溢れ出す紫光。目を覆わんばかりに、禍々しく輝く球状の物体がそこにあった。

 

「これが……アンドロメダの鍵!?」

 

 一目見た印象はガラス玉だ。獣を思わせる四本の爪がそれを掴むように覆っている。

 物体だ。ただ使う者の意思によって扱われるだけの道具だ。生命など宿っていないのに、自ら動くことなど無いのに、見る者に凶暴というイメージを与えてくる。

 ジェミニは無言で大きく頷いた。いつも星王の隣にいた自分の目が、見間違えるわけが無い。紛れも無い、本物だ。FM星の最終兵器、AM星を死の星に変えた最強の兵器、アンドロメダ。それを起動させる唯一の鍵がヒカルの手に握られていた。

 

「これで、僕達の復讐が……」

「ああ。ようやくぜ、ツカサ……ククク」

 

 いつの間にかツカサが隣に立っていた。彼もヒカルが手に持っている光に目を奪われていた。赤い目の中で、紫色の光が不気味に踊っている。それが彼の復讐心に見えたのは、錯覚ではないだろう。

 ジェミニは二人と違って騒いではいなかった。だが、彼もまた喜んでいた。星王様がなによりも望んでいた物。取り戻したいと願っていた鍵が、ようやく手に入った。部下達が次々と失敗してしまい、落胆されていらっしゃることだろう。ようやく、良い報告ができる。これで、やっとあの方を喜ばせることができる。任務の達成感に浸る彼を、現実に引き戻す醜い声が聞こえたのはその時だった。

 

「う、うう……」

「……スバル……?」

 

 ロックマンが意識を取り戻した。取り戻したというのは少し違うかもしれない。ヒカルの手は、今もずっと彼の首を絞めている。苦しくて、本能的に体が動いたといったところだろう。声も出せぬほど衰弱していたウォーロックもスバルに気づいた様子だった。しかし、スバルがまだ戦える状態で無いと察するや、悔しそうに目を閉じた。

 爛々と輝いていたヒカルの目は、スバルとウォーロックを見て、ゴミを見る目へと濁った。

 

「ああ、忘れてたな……ツカサ、もうちょっと耳塞いでろ」

 

 快楽が心地良すぎて、手に持っているゴミに止めを刺していないことを、ようやく思い出した。

 ツカサが自分達から離れ、再び耳を塞いだのを確認して、ヒカルは左手に力を込めた。雷が徐々に左手に溜まり始め、大きくなっていく。

 

「あばよ」

 

 情の欠片も無い言葉と共に、電流を放った。

 首を中心に雷が走り出し、青いヘルメットを被った頭へ、そして肩、腕、胴、足と一瞬で伝わっていく。雷はロックマンを完全に包み込んでいた。だらりと下がった腕がガクガクと振動し、ウォーロックの頭があわせて振り回される。先ほど、喉に手を突っ込まれたダメージが残っているのだろう。彼の目に力は無く、されるがままになっている。足はつま先までピンと伸ばされ、腕と同様に痙攣している。もがこうと前後に振られる様子すら見えない。白目を向いた目からは、意識どころか、生気すら感じられない。唯一口だけは今も生にしがみつこうとしているのだろうか。呼吸を求めるように開かれ、そこからは泡が吹き出し始めている。

 耳を磨り潰すような雷鳴。スバルの悲鳴のように聞こえるのは錯覚なのだろうか。耳を塞いでも、手の隙間から進入してくるように、どうしても聞こえてくる。瞼が無意識に力む。轟く雷鳴から逃れるように、ツカサは背を向けてしゃがみこんだ。

 全身を駆け巡る電流。薄れていく意識。その中でスバルが見たのは過去だった。それも、最近のものだ。

 

 ブラザーを結ぼうと言ってくれたツカサ。

 

 学校で自分を迎えてくれた育田先生。

 

 ブラザーの大切さを教えてくれた天地と宇田海。

 

 ドッヂボールを共に楽しんだゴン太とキザマロ。

 

 家まで迎えに来てくれるルナ。

 

 最初のブラザーになってくれたミソラ。

 

 スバルにとって、大切な人達の笑顔が走り抜けていく。これが走馬灯なのだと、漠然と受け入れている自分がいた。皆が自分に笑顔を向けてくれる。だが、自分には守れない。自分では、結局守れなかった。

 いや、守る必要すらあったのだろうか。この世界はこんなに醜いのに。ブラザー同士で争いあうような世界なのに。守る価値なんてあったのだろうか。自分に向けてくれていた笑顔も、大切といってくれた絆も、全部嘘だったのではないだろうか。

 なら、ツカサとヒカルの言うとおり、壊れてしまっても……

 

 そう思ったとき、唐突に一つの記憶が蘇った。いや、走馬灯の順番が回ってきただけなのかもしれない。スバルが見たのは、三年前の出来事。場所は自分の家の玄関だった。隣に立つ母がかすれた声をかけると、その男性は元気な声で頷いた。見上げたその影は、大きくて、逞しくて、少年の憧れだった。彼は自分に向き直り、視線をあわせようとしゃがみこむ。大きな腕がスバルの頭に乗せられた。目をしっかりと見つめながら、彼はスバルに言った。

 

 

 

――俺がいない間、母さんを頼んだぞ――

 

 

 

 左手に走る違和感。何かに掴まれたという感触。考えるまでも無い。こいつしかいない。だが、そんなわけが無い。瀕死のこいつが動けるわけが無い。

 

「……父……さん、は……言っ……たん、だ……」

 

 ありえるわけの無い現状。混乱し、まともな思考ができない。予想していない、想定外の事態に、ヒカルは棒立ちになってしまった。

 

「……母さん、を! ……頼むって!」

 

 ロックマンの赤いバイザーの奥に光が見えた。それは折れたはずの意思が元に戻った証。自分の左手を握るのは、ロックマンの右手だ。先ほどまで、死んだようにぐったりとしていた手がヒカルの手を握り潰そうとしてくる。あまりにもの握力に、ヒカルは溜まらず雷を緩めてしまった。

 

「母さんは僕が守る! 絶対にっ!!」

 

 ウォーロックの口が全開になる。先ほどまで、声すら出せなかったはずの彼の口にあるのは、限界にまで蓄えられていた緑光。まさか、スバルが意識を取り戻した頃から、こいつは攻撃の準備をしていたというのか。たじろぐ自分に突きつけられる砲口。その場所は、自分の胸。

 

「しまっ……!!」

「チャージショット!」

 

 傷口を抉る激痛が走った。耐えられず、虚無の世界に旅立とうとする意識。ツカサの声が遠くから近づいてくる。更に加えられた痛みが、皮肉にも彼の意識を引き戻す。太刀傷を蹴飛ばされたのだと理解するのに、時間はいらなかった。受け止めてくれるのは、ゴミではなく温かい腕。ツカサだった。

 それでも、ヒカルは左手に掴んだ自分達の希望を離すことはない。

 

「ヒカル!」

「大丈夫だ、アンドロメダの鍵は……」

「返しやがれ!!」

 

 二人に向けられるウォーロックの声。見れば、スバルがバトルカードをウォーロックに渡し、タイボクザンを生成したところだった。

 倒れた自分と、しゃがみこんだツカサに向かって、剣を振り上げるロックマン。歯を食いしばり、足元のゴミを踏みしめ、大きく振りかぶってくるその様は、我武者羅という印象が当てはまる。

 戦えない。今の自分ではロックマンと戦えない。ツカサ一人ならまだ何とかなる。だが、戦えない自分を見逃してくれるほど、ロックマンも甘くない。それ以前に、今のロックマンに、そんなことを考える心の余裕なんてなさそうだ。

 逃げられない。走ることもできないほどダメージを受けた自分が、こいつから逃げるなんて到底できない。ツカサに背負ってもらったとしても、直ぐには動けないし、スピードも落ちる。結局は追いつかれるだけだ。

 

 確実に勝つ方法は?

 

 確実に逃げる方法は?

 

 確実に自分達の目的を果たす方法は?

 

 一瞬の間に行った状況分析と張り巡らせた考察。その二つを経て導き出された解答に、ヒカルは笑みを浮かべた。この方法なら、自分達は確実に勝てる。これがベストだという確信があった。

 ツカサは手に温もりを感じた。同時にその手に何かが押し付けられていることに気づいた。そっちに気を取られたうちに離れる体温。飛び出した黒い影。

 残酷な音がした。

 黒い体から見えるのは、緑色の棒状の光。ツカサだけじゃない。ジェミニも、スバルも、ウォーロックも、今の状況が理解できなかった。

 

「ヒカル……」

 

 ツカサの目の前にあるのは緑色の切っ先。タイボクザンの先端。それを辿って行くと、黒い影が佇んでいる。

 ヒカルが、タイボクザンに貫かれていた。

 言葉を失うツカサ。「あ……ああ……」ともう一人の自分に手を伸ばす。そんな彼に横顔で振り返るヒカル。目元は見えず、その表情は窺えない。それに、直ぐに呆気に取られているロックマンへと向き直ってしまった。だが、最後の瞬間に、自分に向けてくれたその横顔は、どこか笑ってくれているように思えた。

 

「なぁ、お前……何を考えてるんだ?」

 

 静まり返った世界にもたらされた音。それは、今生命を終えようとしているヒカルがスバルに向かって放った声だった。貫かれているのに、その傷口から電波粒子が分散しているのに、浮かべた笑みは狂気で歪められていた。

 

「何も考えてないよな? 自分にとって都合の悪いことから目を背けて、何も考えないようにしている……だろ?」

 

 その通りだった。スバルは何も考えていない。父から言われた言葉に、約束にすがって、絆の醜い正体を見なかったことにしている。思考を止めているだけだ。

 

「楽だもんな、その方が……いい加減に見つめてみろよ。この世界の醜い有様をな……」

 

 もう、体が二つになっているのに、足と胸から上しか残っていないのに、手なんて消えてしまっているのに、ヒカルは笑みを更に強める。

 

「どこにあるんだよ? お前の言う、綺麗な絆なんて……ブラザーなんてな? く、クハハハハハハ」

 

 舞い上がっていく電波粒子。電脳世界の空へと、妖精の群れのように飛び立っていく。見る者を魅了するような美しき光景に添えられるのは、ヒカルが残した勝利の笑い声。

 立ち尽くすジェミニ・スパークWとロックマン。突如、見上げていたツカサを激痛と苦しみが襲った。足から力が抜けたかのように崩れ落ちた。

 

「な、なんで……」

「っ! そういうことか……」

 

 ジェミニは理解した。

 人間とFM星人の意識が互いにある場合、受けたダメージは両者に与えられる。いくら人格が二つあろうとも、元の体は一つだ。ヒカルが消滅したことにより、受けたダメージがツカサに還元されたのだ。

 これは、ヒカルも想定していなかった事態だった。

 手を地に着けるジェミニ・スパークW。そのとき、手の平を押す違和感があることに気づく。掴み直して、それが何かと手を広げてみる。そこにあったのは四本の獣の爪を携えた球体。三人が欲して止まなかったアンドロメダの鍵。ヒカルが最後にツカサに託した、自分達の希望。

 

「ツカサ、逃げるぞ!」

 

 ジェミニがツカサの隣に現れる。白と黒の二つの仮面のうち、黒い方にヒビが入る。亀裂は見る見るうちに仮面全体に広がり、乾いた音と共に砕け散った。ヒカルが消えた影響なのだろう。

 薄れる意識でロックマンを確認する。ヒカルの言葉を受けて、ゴミの大地を凝視するように項垂れている様子だった。

 逃げるのは今だ。今を除いてチャンスは無い。電脳の外へと飛び出し、ウェーブロードへと降り立った。空は白だ。未だに放たれ続けている『+』『-』電波。その隙間から見える本物の空は、うっすらとオレンジ色になっていた。

 ツカサは走り抜けて行く。その下に広がるのは、殺伐とした世界。今も直、絆は大切と謳ってきた愚か者達が、飽きもせずに喧嘩に明け暮れている。価値の無い世界を道連れに、ヒカルと共にしてきた自分達の目的を果たさなくてはならない。

 

「僕はこれで……」

 

 足が射抜かれ、熱が走った。もつれた足に躓き、ウェーブロードから落ちた先はあの場所だった。

 追いかけるように降り立つ青い影。逃げ切れないと悟ったツカサは立ち上がり、向かい合う。逃げ切れなくても、勝てる可能性が低くても、その手にした復讐の刃を安々と手放すこともできなくて、かつて親友と呼びたかった少年と対峙する。

 

「ツカサ君……もう、終わりにしようよ」

 

 もう、お互いに引き返せない。考えても、戸惑っても、二人は元の関係には戻れない。友達には戻れない。

 ならば、何も迷うことなんて無い。考える必要なんて無い。アンドロメダの鍵を巡って戦う。それだけだ。もう、他の道が見えないのだから。

 戦う理由なんて、それでいい。

 

 

 

――なぁ、お前……何を考えてるんだ?――

 

――何も考えていないよな? 自分にとって都合の悪いことから目を背けて、何も考えないようにしている……だろ?――

 

――楽だもんな、その方が――

 

――く、クハハハハハハ――

 

 

 

 ヒカルが残した言葉が二人の耳に響く。それが自分達に向けられているようで、事実、自分に当てはまっていて。

 それでも二人は引き返せない。

 ブラザーを結ぶ。そう約束したあの場所で、二人は剣を掲げる。

 愛する友へと向かって、夕日に染め上げられた花畑で駆け出した。


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