Episode Magica ‐ペルソナ使いと魔法少女‐ 作:hatter
(チッ! まどかとの接触を許してしまうなんて!)
数秒遅れてほむらはまどかに追い付き、白い猫のような生き物を見るなり表情を歪めて悪態をついた。これまでにもまどかにしか聴こえない声により誘導され、まどかが猫に似た白い生き物と接触することはあった。何度か経験したパターンと知っていながらそれを阻止出来なかったのがほむらの苛立ちに拍車を掛ける。
今でこそだが運動神経ならまどかには負けないと自負している。少し魔法を使えば体力測定でも県内記録を軽く更新できる運動神経を手に入れられるので、すぐに追い付き接触を回避させる腹積もりでいた。しかし、どういう訳かまどかを追跡する際どれだけ速く走ろうとも追い付くことが出来ず、必ず一定の距離が空くという不可解な現象が起きていた。聴こえない声や縮まらない距離も全て目の前の白い生き物の仕業だろう。
「ぜはぁ、はぁ、はぁ。ほむらあんた速すぎでしょ…ホントに入院してたのってくらい。で、何? ここまで走って来させといて居んのは白猫だけ?」
息を切らして後からさやかも追い付き白い謎の生き物を目にする。走り回って見つけたのがこの白い生き物というのが拍子抜けなのかさやかは素直な感想を零す。
対して白い生き物はさやかの失礼とも取れる態度に呆れた声で言った。
「猫だなんて失礼だなぁ、美樹さやかは」
「うわっ、喋った!」
「まどか、美樹さん。そいつに近付かないで」
わざと声を低くして一言告げる。まどかが接触してしまった以上ここからは非情に徹さなければならなくなった。自分を圧し殺して仮面を被る。自分を隠すのに抵抗はない。
「ほむらちゃん…?」
注目が白い猫に似た生き物からほむらへと向けられる。まどかも振り向きほむらを見た。息が上がって肩を上下させてまだ口で呼吸をしている。
「ん? 君は知らない顔だね。その様子だと君は僕の事を知っているのかい?」
猫に似た白い生き物は可愛らしく首を傾げてみせた。それを見たほむらの頬をの筋肉がピクリと動いたが落ち着いたな声で答える。
「さぁ…どうかしら?」
「ほむらこの白いのが何なのか知ってるの!?」
「そいつは貴女たちをきっと不幸にする。貴女たちは関係してはいけないの」
「いや、それ説明になってないんだけど?」
答えになっていない答えにさやかは脱力して微苦笑する。
「ほむらちゃん。一体この子はなんなの?」
「僕の名前はキュゥべえ」
振り返ったままほむらに訊くが先に白い猫に似た生き物改め、キュゥべえが答えた。注目は再びキュゥべえに移る。
「さっそくだけど僕、君たちにお願いがあってここに呼んだんだ。鹿目まどか、それと美樹さやか」
「お…おねがい?」
疑うことを知らない二人がキュゥべえの言葉へ静かに耳を傾ける。その甘い囁きの続きはこの二人なら簡単に堕としてしまうのを知っているほむらは、さっきまで保っていた余裕をかなぐり捨てて声を上げた。
「駄目! 二人ともそいつの言葉に耳をかしちゃ駄目!!」
それ以上は言わせないように声を発するが、キュゥべえは気にも止めない。不思議な力でも作用しているのか、まどかとさやかの二人はキュゥべえに釘付けになっている。
「僕と契約して、魔法少女になってよ!」
キュゥべえがにっこりと笑顔の表情を作った。この瞬間に異変が起きた。周りの景色が歪み始める。ぐにゃぐにゃと壁が床が湾曲し、地形が変化を繰り返す。極彩色の景色がショッピングモールの構造を無視して地平線の彼方まで続いていく。
(こんなタイミングで?! なっ! いない!?)
刻一刻と変わり行く周囲の状態に焦りながらほむらはキュゥべえを一瞥した。が、今の状況に陥れたと言っても過言ではないその張本人は見る影もなく、どこかへ姿を暗ましている。
「――二人とも、もと来た道を引き返して!」
やられた、とほむらの額にどっと汗が浮かぶ。きっと姿を暗ましているのも二人が命の危機に晒されるとタイミングを見計らって契約を迫るつもりだからなのだろう。そんなことはほむらが居る限りどうあっても成功しない話しだが、それどころではない。
まどかとさやかの二人はそんなほむらの焦りを察して素直に言われたとおり道を引き返そうとする。
「え! う、うん!!」
「でも引き返すっていっても非常口も見つからないよ!」
二人はもと来た通路を帰ろうとするが辺りを見渡しても非常口の一つも見つからない。そうこうしている内に真っ赤な薔薇やハサミ、有刺鉄線などが空間を飾りまったく別の場所になっていく。
天井が無くなり高さに制限がなくなる。その間にも薔薇は増えていき道を塞いで行き場を潰していった。
「あれ? どこよここ?」
馬鹿にならないほど大きなハサミや無限に続く有刺鉄線のフェンス。非常口を求めて足を運べば景色は比例して歪んでいく。進めば進むほどに。気味の悪い暗い道はまどか達を招くように姿を変えていく。バケツに溜めた水を勢いよくをぶちまけるように自生していた薔薇の蕾が一斉に開花する様は、傷口から噴き出した鮮血が地を染めるようで異空間のグロテスクさを際立たせる。
「変だよ、ここ! どんどん道が変わっていく」
周りは最早ショッピングモールではなくなってしまい、完全に薔薇の狂い咲く不気味な空間へと生まれ変わった。
「やだっ。何かいる!」
生い茂る薔薇に隠れてカサカサと影をちらつかせる何かにまどかは気付く。茂み掻き分けて姿を現したのは、白い綿毛のような頭にアクセントとなるちょび髭を生やし、ひょろりとした胴からは細い腕。足と腰の役割は極彩の羽を持つ蝶が果たしている。その歪な形をした生き物がいたるところから湧き始めた。
「下がって!」
怯える二人の前に出てほむらは庇うようにして構えをとる。こうなっては自身の秘密を隠している暇などなく、なにより二人の安全が大事だ。
まどか達の周りには意味の分からない歌のような言葉を発している奇怪な生き物。時間が経つにつれてネズミ算式にどんどん数を増やし大合唱となって轟く。重低音は腹の底まで震わし不安と恐怖を一層強く煽る。
(拙いわね。ここは腹を括るしか)
左手薬指にはめた指輪に意識を集中させ、指輪から中心に溢れ出る力を全身に張り巡らさタイミングを待つ。怪物は今にでも飛びかからんと距離をじりじりと詰め寄ってくる。
「い、いやぁーーーーー!!」
「来るなーーー!!」
二人は諦めたように涙を浮かべ目を瞑る。それを一瞥しほむらはまどかとさやかをこの場から逃がす事が出来ないと判断すると、さらに指輪に意識を集中させ輝かせた。
「――アテナッ!」
指輪から放たれる紫の燐光がほむらの全身を包みかけた時、少女の声がそれを妨げた。声の主は何者かと定めようと視線を移しかけるほむらの視界の端を白と金が横切った。
ドゴッと爆ぜるような激突音と、それに伴って巻き起こった旋風。舞い上がる砂煙。視界を狭める灰色の煙幕から天井に向けて一本の槍が突き出され、横に薙がれる動きで砂塵が一気に晴らされた。三人の目に映るのは巨大な盾と槍を備え、兜を被った白装束の大きな女性と思わしき後ろ姿。神々しい青白い光のオーラを纏い、神話の世界からでも抜け出したような存在感が背中を向けられながらも伝わってくる。
想定外の乱入者。それも文字通り横槍を入れる形で、無数の怪物たちの注意を一身に集める。突然割って入ってきたものを見てほむらは唖然として動けなかった。
◆◇◆
七人は一般人立ち入り禁止の薄暗い工事途中の区域を駆けていた。風花が力の反応を察知してからここまで走り続けているが、なかなか目的地に到着しない。大型ショッピングモールの広さが原因かと思われたが目に見えている景色に差して変化がない。
そう思っているのもつかの間。地面に壁、空間そのものが唐突に歪み始め、一瞬平衡感覚を狂わす。カラフルな色合いの蝶が何処からとも無く飛来する。
「このままじゃあ間に合わない!」
異常な空間が支配しようと警戒する程度に留めていただった七人だが、リアルタイムで現場の状況を把握できる風花の悲痛な叫びで若干の焦りが見えだした。
今現在、七人は何が起きているのか正確に理解し行動している訳ではない。風花から伝えられた情報としては、人に害を為す危険なものが間近に存在しその中心に三人の人が居るというくらいだ。知ってしまったからには放っておくこともできないので向かっているが、向かう最たる理由はこの見滝原の街がかつて特別課外活動部のリーダーだった人物が過ごしていたというのである。かつて彼が過ごした街を守りたい。ある種の強迫観念に近い意思で七人は団結して動いていた。
それだけが理由ではなく、場所がこの街でなくともその三人も助けようとするだろう。が、それも間に合わないところまで迫っている。このままでは駆けつけた時には手遅れになる。
険しい表情の美鶴が一度口を結び、先頭を走るアイギスへ簡潔に指示を飛ばした。
「アイギス。先に頼めるか?」
「間に合わせます!」
美鶴の方を見て頷いて言うアイギス。たった二言だけの短いやり取りでアイギスは美鶴の意思を汲み取り速度を上げた。地面を踏み抜く力が増し、他の六人と徐々に距離を広げていく。
「このまま真っ直ぐ行ったところに居るから、アイギス!」
風花からの位置情報を背に受けながらさらに加速させ地面を蹴って駆ける。一直線に走るアイギスが足を地面につける度に軽く亀裂が走り、異常な速さを物語っていた。その速度は最早人間のものではなく、時速にして130キロメートルを超えている。
故に美鶴が単独で向かわせた条件の一つだった。むしろ彼女でなければこの場合間に合う見込みがなく、当然の指示である。アイギスもそれに応えるべく目的地へ急いだ。いつの間にか湧いていた怪物を一匹二匹と蹴り飛ばしながら無事を祈って。
不意に不気味な歌のようなものが聞こえ、そしてすぐに風花の言ったとおり、正面方向に怪物とそれに襲われかけている三人の少女が居た。その内の一人は先程アイギスが引き止めてしまった黒髪が特徴的な少女。その少女は背後に座り込む二人の少女を守ろうとなんの武器も持たず丸腰で怪物へ立ち向かおうとしている。少女二人は怯えた様子でへたり込み叫びを上げた。
「い、いやぁーーーーー!!」
「来るなーーー!!」
アイギスは咄嗟に救おうとギリシャ神話に登場する有名な神の名を呼んだ。それに呼応してアイギスのすぐ隣に青白い光を帯びた巨大なシルエットが現れる。彼女の心そのものであり、最大の武器。槍を構え、脇に大盾を携えて地に足を着けず浮遊する人型。『アテナ』がそこに顕現した。
実体を得た瞬間、アテナはアイギスを置き去りにして前方に群れる怪物目掛けて猛突進を繰り出した。怪物を串刺しにし、盾で擂り潰し塵も残さず葬り去る。突進の勢いを殺さず槍を大きく横に薙ぎ、立ち込める砂埃を振り払った。
運良くその被害を受けなかった生き残りの怪物達は慌てて距離を置いて近付かない。役目を終えたアテナは砕けてアイギスの心へ還る。
「 怪我は!」
急いで駆け寄り、佇む少女『暁美ほむら』の顔を覗き込む。口を半開きにして目線は正面を向いたままでこちらを見ていない、と言うより呆気に取られている。取り敢えず怪我がないか足の先から頭の天辺まで簡単に見る。そこでようやくほむらは心配そうに見てくるアイギスに気付き、なんとか声を出す。
「貴女はさっきの…?」
「言語機能に問題なし。目立った被害もなく大丈夫そうですね。先ほどはどうも」
ほむらに微笑みを向けて次に座り込んで抱き合う二人、まどかとさやかに視線を送る。それに釣られてほむらも後を追い二人を見た。まどかは恐怖でまだ目を瞑っているがさやかはまどかを抱きしめたままアイギスが危害を加えない人物か判断している様子。
アイギスが自分は無害であることをさやかに伝えるため声をかけようとした時、アイギスのやって来た方から複数の足音が聞こえ、ほむらが警戒してそちらを睨む。
「どうやら追い付きましたか。心配しなくても大丈夫です、私の仲間ですから」
仲間が来ている、というのに疑問を口にする前に、アイギスとは違う少女の声が耳に届く。
「良かった、間に合ったのね。怪我はない?」
高校生と小学生が入り交じった個性的な六人組。その中でも特にか弱そうな小柄な少女、風花が最初に駆けつけた。
「え? この声って?」
風花の声を耳に入れたまどかが声のした方に顔を上げる。風花と目が合い、お互いに驚いて口元に手を当てる。
「あなたはCD探してた!」
「なんでこんな所に!?」
「お二人ともお知り合いで?」
「知り合いっていうか、さっきCDショップで探し物を探してもらったってくらいだけどね」
安心して胸を撫で下ろす風花。見知った顔が現れたことによりまどかも幾らか恐怖が和らいだ様子だ。しかしまだ怪物に襲われかけた事実が恐ろしいのか腰が抜けて立てないでいる。
五人の仲間達もすぐに全員が集い、辺りに警戒を促す。そんな中で帽子のつばを持ち上げてさやかを凝視する者が居た。それはさやかにとってバッドなタイミングで気恥しく、不自然にも目を逸らして帽子の少年、順平を見ないようにしている。
「ありゃ? お前あん時の?」
「な、なんでよりによってまたあなたが!?」
いかにもさやかは気まずそうに眉根を寄せて順平と距離を取ろうと尻餅をついたまま後ろへ後ずさる。つい数十分前の順平との会話と自分の行動が脳裏に蘇る。
「順平君…」
「順平、一人で行動してた時、あんたこの子に何した訳よ…。普通ここまでの反応されないでしょ?」
「はぁ…伊織、お前は一体何を?」
さやかの傍に立った女性陣からの蔑むような凍えた目。風花は哀れみに近い目で、ゆかりからは汚いモノを見るような目で、続く美鶴からの呆れて失望した風な目が順平の脆いハートへダイレクトにダメージを与える。
「オレなんもしてないっスよ?! ちょっとオススメとか聞いただけ――ぶべっ!!」
「ああっ、もううるさい! この子は私達が見てるから、あんたはさっさとあの綿毛をどうにかしなさい!!」
あたふたと必要の無い弁解を図る順平の腹にゆかりの可愛らしくも強烈な拳が突き刺さり、綿毛のような怪物達を指差す。忙しくひしめきあい、様子を窺っているようだ。
涙目になりながら怪物に最も近いほむらの斜め前に順平は踊り出る。なかなか酷い扱いを受ける順平にほむらは若干の同情というか、哀れみの意を含んだ目で見ていると、順平と目が合った。
「ょお、君もそんな目でオレを見ちゃうのか? てか普通に可愛いじゃ――おわっ!」
「ナンパとかいいから、早くしなさいっ!」
今度は順平のお尻に軽くブーツの蹴りが飛ぶ。そのやり取りを見ていると、漫才みたいでおかしく思えるがさらにおかしな行動を順平がした。それを見てほむらは目を見開き驚愕する。
「あ、あの人なにしてるんですか!!?」
まどかが叫ぶ。順平のとっている行動は常人からすれば気が狂ったのではと思われても不思議ではないもの。おもむろに懐から銀色に光る拳銃を抜き取り、迷うことなくこめかみに当てる。手に握られるそれは間違いなく人を殺める凶器。
「見てろよ、オレの大活躍!!」
順平は引き金に指をかけ、力を込めて引く。順平の瞳に映るのは死に対する怯えでも目の前に群がる怪物でもなく、紅く偉大な魔術師のシルエット。深紅に染まる衣を纏い紅蓮の炎を抱える。深層心理に潜む内なる自分が敵を焼き尽くせと炎と一緒に闘志を燃え上がらせる。
「大丈夫。心配しないで」
風花がまどかの問いに穏やかな声で答える。
ガァンと乾いた発砲音が響き渡り、撃ち抜かれた反対側のこめかみからは赤い血液ではなく、青白い氷の破片のような物が砕けて飛び出した。鎖の擦れる音が聞こえ、青い輪郭を空中に作り出していく。
輪郭は次第に実体を得る。順平の背後に紅い宝石をくわえ、紅い装束に黄金の翼をもつ大きな人型のシルエットが現れる。魔術と錬金術の神『トリスメギストス』が顕現する。全身を深紅に彩られ、腕、肩、頭から伸びる三対の金翼が見た目よりも数倍大きく見せる。トリスメギストスは腰を落として幅跳びの要領で腕を後ろに振りかざした。
地面を抉り蹴ってトリスメギストスが高さ10メートルを超える所まで跳躍する。怪物は無い目でそれを追った。しかしトリスメギストスの姿が一瞬陽炎のように揺れたかと思うと、そこから影さえ置き去りにする速さで空間を駆け巡った。
幾つもの光線が怪物達を刻み空気を切り裂く。熱を失い薄れる光線を辿った先には空中で静止して炎を纏うトリスメギストス。怪物は血を飛び散らす代わりに、無数の蝶が飛んでいく。周りには最早怪物の一匹も居らず、色を失ったトリスメギストスは破片に砕けて空気に溶け消えた。
それが最後だったのか、不気味な空間も崩壊して元に戻る。ほとんど射し込める光がなく剥き出しの柱の存在が改装中の薄暗いショッピングモールだったことをまどかとさやかに思い出させた。
「三人ともほんとに大丈夫?」
ほむらは立ったまま驚きに目は見開かれ固まっている。まどかとさやかはあまりの出来事に考えが追い付いていないのか未だ腰を抜かして座り込んだままだ。風花が屈み込んで心配してまどかの肩に手を置く。
「あ、えう、あなた達は…?」
「えーと、私達は…何て言うか、その。この街に来ただけというか……」
話しかけたはいいがどう答えたらいいのか困り、腕を組んでいる美鶴の方へと視線を泳がせた。こういう直接話して相手と論するのは風花からすると苦手な部類に入るので、口達者な美鶴に助けを求めて見た。だが美鶴はまだ辺りに警戒しているのか風花の視線に全く気付く様子がなく、鋭い目付きで首を左右に動かしている。
ほむらの隣に立つアイギスも脅威が残っていないか周りをくまなく見渡す。するとはっとしてアイギスは光源もなく仄暗い通路の先を真っ直ぐに見据えて言う。
「誰か、来ます…!」
美鶴は腕組みを解いていつでも動けるように体勢を整え、順平は拳銃を握り直してトリガーに指をかける。全員の注目が集まる方向からコツコツと硬い物が一定のリズムで地面に当たる音が近づく。うっすらと見えてきたのは人の胸くらいの高さで上下に揺れながらオレンジ色に光る発光体。
コツコツと聞こえていたものがローファーの地面を蹴る音と気付いたのは少女の声がしてからだった。
「急いで来てみたけど…さっきまであった使い魔の魔力が、消えてる…?」
そこに居たのは艶やかな金髪をロールさせて纏め、まどか達と同じ制服の少女。胸の近くに添えられた手にはオレンジ色に明滅して光る卵型の宝石が握られている。あれが発光体の正体でもあった。
「まさか貴女達が?」
薄暗さに目が慣れてきた為か、少女の全体像が明らかになる。大人びた雰囲気で見かけからする年齢にしてはグラマラスな体型。飴でも転がしたように甘く、落ち着きも備えた声。
さらに目を引くのは少女の肩に乗っかる白い生き物だ。赤いビー玉のような丸い目をして、空に浮かぶ雲よりも白い毛皮。キュゥべえがそこに居た。
「どうやら終わってたみたいだ。急がしてしまって謝るよ、マミ」
まるでそれがワンセットのようにしっくりくる。当然の如く喋るキュゥべえに驚く特別課外活動部のメンバーを一瞥して少女は顎に手を当てる。
「いえ、それは別に構わないわ。けど、それだけで片付けられるようには…」
アイギス達とほむら達を交互に見るその目は疑いの色が強い。
「ならあの子に聞くと分かるかもしれない。あの子もきっとマミと同じだからね」
キュゥべえの言うあの子。金髪ロールの少女はまるでこちらを睨みつけるように眉を吊り上げる自分と同じ制服で黒髪の少女を捉えた。
ほむらは憤りを込めて睨んでいた。タイミングよく今さら戻ってきたと思えば、また新たに面倒ごとを運びこんできたのだから不快以前に厄介である。
「さっきの使い魔はこの人達が倒したわ」
そう告げる。さっきまでの驚いた表情は見事に消し、普段通りの無表情に戻して。
「そうなの? でもどうやって? それに貴女、使い魔の存在を知ってるということは…」
「ええ、そうね。私も同じ」
長い黒髪をかきあげて靡かせるほむらの左手にはめられた指輪が少女の目に入る。それを見て少女は。
「じゃあ貴女が…!」
「私じゃない。正真正銘、この人達よ」
目だけをアイギス達に向けて示唆する。説明もなしに話が進んでいくのに困惑しているのか不安の色が見える中で、平然とした表情で美鶴が口を開いた。
「割り込むようですまないが、さっきの怪物は一体なんだったんだ? 君達は知っているのか?」
全員の意見を代弁するように前へ出て言う美鶴の言葉に同意の意を示して頷く面々。はぁと一息吐いてほむらは答える。隠すことも出来ないならどうする事も出来ないので半ば消沈しながら。
「さっきあなた達が倒した怪物…あれは使い魔と言って魔女の手下。本来私達が倒すもの…」
そう言い切ると、左手薬指にはめられた指輪から発せられた紫色の光が全身に波及し飛び散った。光ったかと思えば一瞬にして制服から白と黒、それと紫を基調としたメルヘンチックな服装へと変身する。光は空気に溶けて次第に消える。アイギス達以外にもまどかとさやかも驚きに目を剥いた。
「魔法少女。それが私達、魔女を狩る者」
――魔女を狩る者。魔女を狩る、それはいわば魔女狩りの事を示しているのと変わりはない。魔女狩りは中世末期から近代にかけて魔女や魔術行為に対する追及と、裁判から刑罰による処刑までと様々に存在し、明確な区分などはないとされている。ヨーロッパでは魔女狩りが盛んだったと文献などに記述が残っており、十五世紀から十八世紀までにかけて見られ、最大四万人が犠牲になったと言われている。世界規模で言えば数百万人が犠牲になっている。
愛憎深いコルキア国のメディア。ヘリオス神の娘キルケ。などとどちらも神話の中の存在だが古い時代から語られている。魔女という存在自体が忌み嫌われていたとも言え、危険視されていたのは昔から共通の認識だろう。しかし魔女は本来、神聖な儀式を行い神の言葉を届ける巫女だったが、秘密儀礼や非人道的な黒魔術に飲み込まれていき、堕落したものらしい。
そんな魔女狩りも時代の変化と共に衰退し、見直され十八世紀には収まったと言われているものの、本当のところは今現在でも世界各国で秘密裏に魔女狩りは行われているらしい。なんの罪のない人を疑わしければ勝手に裁判にかけ、問答無用で殺す。ある種の風習にも近い感覚であるものが魔女狩り。
魔法少女の行いが魔女狩りのそれに該当するかどうかはアイギス達には分からない。
「んじゃあ、あの女の子もその魔法少女、ってヤツなのか?」
「ええ、私も…えっと」
順平にちらりと見られて、彼女もほむらと同じ魔法少女と言いたいらしいが、ほむらの名前を知らないのでなんと言おうか迷っている。呆れたほむらが自分の名前を教えた。
「暁美ほむらよ、巴さん」
基本、ほむらの内心では他人の呼び方なんてものは大体呼び捨てになる。呼び捨てにしていると言ったところで親しみがあるのかと問われれば、一概にそういう訳ではないのがほとんどだ。流石に年上が相手だったり声に出す場合は『さん』や『君』と付ける。現在目の前の少女とはほむらは仲良くしたい人だった。
「そう、私は巴マミ。暁美さんと同じ魔法少女よ」
マミの手に収まる宝石が輝くと、足元から光に包まれローファーはブラウンのブーツに。タイツからニーソックスへ。スカートはふわりとしたものに早変わりする。上着の制服は茶色のコルセットに変化して頭にはファーの着いたベレー帽。メルヘンチックな衣装へと2秒もかからず変身した。
「ほむら、アンタ一体何者な訳よ?」
さやかはだいぶ落ち着いてきたのかゆっくりと立ち上がった。まどかもさやかに手をとってもらいながら立ち上がる。
「魔法少女ってなんなの? ほむらちゃん…」
まとかも訊くがほむらはすぐには答えなかった。とても思い悩んでいるようで言いにくそうにしている。長い沈黙を挟んで重々しく口を開いた。
「………………………………………魔法少女というのはその白い生き物、キュゥべえと契約して戦う運命を課せられた少女のことよ」
「ねぇ暁美さん…私の名前を知っていたようだけど、貴女と一度会っていたかしら?」
マミが名乗る前には自分の名前を知っていたほむらに少しの疑念をもって訊ねた。それに対してほむらは軽く受け答えをした。まどかの質問に比べて時間も置かずすんなりと、いかにも当たり前のように。
「いえ、一度も会ったことない、です。ただ、貴女はこの街で唯一の魔法少女だったから知っていただけ」
「てっきり誰かから聞いたのかと思ったけど、そうじゃないのね」
何やら魔法少女の二人が話し込んでいるが、おいてけぼりのアイギス達は互いに顔を見合わせたりするばかりで、頭の整理がいまいちできていない。使い魔だの魔女、はたまた魔法少女なんかも出てきたのだ。いくら現実離れした環境をくぐり抜けてきた特別課外活動部といえども、突拍子もなく始められるとお手上げである。
「これが魔法少女。機能性よりも見た目を重視したメルヘンチックな衣服がトレードマークと聞いていましたが…なるほどなー」
アイギスが一人そう呟いて納得するのに魔法少女である当の本人、マミは苦笑いする。
「別にそういう訳じゃ…」
「あ、あのわたし、呼ばれたんです! 頭の中に直接この子の声が!!」
まどかはまだマミの肩に乗ったままのキュゥべえを指差して言った。ほむらは低い姿勢をとることなくマミと会話しているが、話した事がなくとも口ぶりや見た限りの予想ではマミはまどかとさやかより一学年上の先輩にあたる。そして魔法少女であるマミに勇気を振り絞って伝えた。
「キュゥべえ、あなたが?」
「うん、ちょっとね。魔法少女としての資質があると思って呼んでみたんだけど、まさかこんなイレギュラーも現れるとは予想外だったよ」
驚いているつもりなのか分からない顔で口も動かさず喋る。その一連の動作は機械的にも見えてくる。マミも『そう』とだけ言ってアイギス達を見てまどかとさやかを見る。
「この子達だけならまだ良かったんだけど、この人達には知られた上に使い魔まで倒されてたのは…悩みどころね」
「巴さん、でよろしいですか? もし差し支えなければ私達にお話を聞かせてもらえませんか? この街に居る、その魔女や使い魔といったものについて」
思案するマミにアイギスがそんな提案をした。というよりも、お願いに近いものだが。それにいち早く反応するのは――
「アイギス?! それ聞いてどうするのよ?」
戦友。それが一番アイギスからするとしっくりくる仲間、ゆかりからの単純な疑問だった。こう訊かれると理由に加え話を伺う利点、必要性を説明しなければならない。だがもう一人の意見で答える必要がなくなる。
「いいんじゃないか、別に? 向こうもここで帰ると言って、はいそうですかと帰してくれそうに見えんしな。それより面白そうじゃないか。この子達の言う魔女が何なのかも気になる」
「明彦! また懲りずお前はそんな事を。すまないな、勝手ことを言って」
「あ、いえ。よければお話ししますよ。私からも聞いておきたい事も幾つかあるんで」
「そう、か。皆、構わないか?」
後ろを振り向いて美鶴が問う。皆も頷いて一応の了解を示す。ゆかりはよく分からないのか口を尖らせているが嫌がってはいない。関わってしまったのだから目を瞑って見なかったことには出来ないのもまた事実。
「ありがとうございます」
アイギスがお礼を言って軽くお辞儀をする。マミは変身している意味もなくなったので変身を解いて制服に戻る。ほむらも続いて解く。
「巴さん、魔女の始末はいいの?」
「今回ばかりは見逃すしかないわ。優先する事ができたものね。あの子達にも着いて来てもらうけど、貴方はどうするのかしら?」
元から見滝原に居る魔法少女のマミは、外からやって来た新参魔法少女のほむらにそう訊ねる。
ほむらの答えは決まっている。まどかが魔法少女に関わってしまったのだから。あの白い毛皮の生き物を付け入る事が出来ない選択をとるのは当たり前だ。
「私はもちろん――」