Episode Magica ‐ペルソナ使いと魔法少女‐   作:hatter

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 動く刻(2010,4/28)

 

 

 

2010年4月28日・水

 

 絵に描いたような立派な豪邸。比べる範囲を日本にだけ絞ったとしても、その立派さが頭一つ飛び抜けていると誰でも分かる。壁面は総じて真っ白に覆われ、細かな彫り込みによるどこかの神殿のような模様が施されている。そしてテレビ番組によくある無意味な広さを見せつけ裕福であると豪語する資本家の豪邸とは違いを知らしめるのが、敷地面積にある。広いと言えばかなり広いが、無駄を感じさせない広さで、全てを効率的に設計されておりある種の完璧さを醸す。誰を招いても見下されず、敬意を払わせ、威厳を示す。その豪邸は世界的大企業・巨大コンツェルトン『桐条グループ』の現当主が居を置く屋敷。そこでは多くの使用人が忙しく歩き回り、招かれた客人を快適に過ごせるよう努めている。

 

 この桐条グループの根城とも言える屋敷に勤める使用人の全てが黒を基調とし、白いエプロンを腰に着けた従者の証の衣装を身に纏っている。アニメや漫画でよくある膝上丈のスカートではなく、足首まで隠れる完璧な正装。それ故、この屋敷に勤める使用人達が本物のメイドである事を引き立たせる。厳かに、優雅に主の生活をサポートし身の回りの世話をする。そしてその洗礼されたメイド達を束ねるメイド長は、的確な指示を飛ばし主の招いた客人をこれ以上にない持て成しで迎える。そんなメイド長を見る限り、凛々しいがまだ顔には若干の幼さが見える。恐らく二十歳を迎えていないであろう若さだが、ここでは年齢など関係なく与えられた仕事をこなせるかこなせないかで決まる。つまりこの若いメイド長はそれだけ認められているということだ。

 

 別な理由として屋敷の主と歳が同じで趣向が似ていたりするのも要因なのかもしれない。

 

 ギリシャ風の彫刻が施された支柱が立ち並び、建物自体が一つの芸術作品のような美しさを放っている。天井からは立派なシャンデリアが吊るされてフロアを光で満たす。上質な赤い絨毯が長い通路に隙間なく敷かれ、床には一つの塵さえ落ちていない。

 

 その赤い絨毯の続く先、ある部屋の扉の向こうを覗けば、そこには高校生くらいの少年少女、中には小学生の姿も見えた。全員屋敷の主の友人であり、この日の客人である。今日は久しぶりに仲間が全員集まってのお茶会。それも桐条グループ当主によって催されたなんとも貴重極まりないお茶会。

 

 仲間との会話に華を咲かせて笑い声が絶えない。しばらくして納まり流れだす静かな時間、豪華な装飾の施された一室に鈴のような少女の声が響いた。

 

「私、彼の住んでいた街を訪れてみたいです」

 

 その声は凛として部屋の中を真っ直ぐに通った。それだけ良く通る女の声。容姿は声に対して釣り合う以上にあり、どこか作り物めいた美しさがある。高貴な雰囲気を醸し出す赤髪の少女・桐条美鶴に宣言するように言ったのは、美鶴の正面に座る金髪でショートカットの少女。ここに居る者なら知らぬ者などいないが、美鶴は桐条の姓を受け継ぐ正統な桐条グループの継承者である。常人ならば雲の上の存在と見て同じ席に着く事はおろか、視界に入る事さえ怖じ気づいて畏縮してしまうだろう。だが金髪碧眼の少女は臆面もなく言ってみせた。瞳の色は美鶴の赤髪と反対にサファイアより深い蒼で、覗き込めば吸い込まれてしまいそうな綺麗な色をして自信に満ち溢れている。

 

 美鶴と少女以外にもその場にはピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女や、野球帽を被り少し髭を生やした少年、明るい緑色の髮を短く切り揃えた落ち着いた雰囲気の少女などその他にも数人いた。その人達も金髪碧眼の少女同様、気おくれした風でもなく同等の立場であるといった佇まいだ。

 

 ピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女が金髪の少女に驚いたように聞いた。少女の身なりは羽織ったカーディガン以外に、腰には膝上からより脚の付け根から計った方が早いくらいに短いスカート。栗色をした髪を肩まで伸ばして活発そうな女子高生そのもの。そしてある事を除けば、10人がすれ違うと10人が振り返ってしまうくらいに美人でプロポーションの良いごく普通の女子高生ということも付け加えられる。

 

「アイギスどうしたの、急に?」

 

 そして金髪の少女の名は"アイギス"。問い掛けてきた少女以上に美しい見てくれの彼女は、かつて世界の存亡を賭けた戦いに身を投じたメンバーの一人。機械の体に"黄昏の羽"によって人の心を持ち、命を宿す。アイギスは小さく笑みを浮かべて少女に返した。

 

「そのままの意味ですよ、ゆかりさん」

 

 ピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女・岳羽ゆかりは豆鉄砲でも食らったかのような表情から真剣な顔付きになりまた訊き返した。

 

「彼の住んでいた街って言うのは、"見滝原市"のこと?」

 

 見滝原市。今現在では日本で一番都市開発の進められている街で、三大都市にも引けをとらない目覚ましい発展を遂げている。地方都市でありながらその成長率は高いもので、年を重ねる毎に人口は増え続け、今や最も企業進出が盛んな都市となった。

 

「はい、そうです。駄目でしょうか、美鶴さん?」

 

 本人は意識していないのだろうが、見る人の心を揺さぶる切なそうな目で懇願するアイギス。

 

 余談とも言えるが、彼女は正しく人間ではない。間違いなくロボットである。深い関わりがなければ誰が見ても彼女をロボットなどと疑うことはないくらいに本当の人間となんら変わりない仕草と振る舞い。桐条グループの保有するありとあらゆる叡知を結集させ造り出した人型ロボット。数ある駆体でも最後に造られたラストナンバーがアイギスに当たる。最初こそは人間味が希薄でコミュニケーションの取り方がまさに機械的であったが人との交流を重ねるに連れ、より人間味を帯びていき、最終的には愛情さえも理解し、本来ならば流れる筈のない涙も流した機械の乙女だ。誰も彼女を機械として扱わない。皆アイギスを一人の人として言葉を交え仲間に迎え入れている。

 

 美鶴もいきなりの要望に一瞬動きを止め、口につけかけたティーカップをテーブルに戻した。視線をティーカップからアイギスに移し、唇を動かそうとした時。

 

「確かにオレっちも行ってみたいっスね!」

 

 美鶴が何か言うよりも先に、隣にいた野球帽を被り少し髭を生やした少年・伊織順平がソファーから立ち上がって言った。陽気な声を張り上げてテンションは妙に高かった。

 

「伊織、お前もか?」

 

「もちろんッスよ! 風花も真田先輩も天田も行ってみたいと思いますよね?」

 

 と、順平が"風花"と呼ばれた明るい緑色の髮を短く切り揃えた落ち着いた雰囲気の少女と、"真田"と呼ばれたどこかあどけなさが残る白髪の少年と、"天田"と呼ばれた小学生の少年に話題を振った。

 

「私もちょっと行ってみたいかなぁ、なんて…。いや、駄目なら私は良いですから」

 

「ん、俺か? まぁ行ってはみたい所だな」

 

「僕も行ってみたいですね」

 

「お前達も…か」

 

 話の流れが早すぎて困った顔をする美鶴。どうしたものかと思い面々を見ていくと不敵に笑う真田と視線が合った。

 

「美鶴、お前はどうなんだ?」

 

 顎を少し持ち上げ、自分は行くつもりだと意思表示をしながら訊かれた美鶴はほんの少し考える。確かに自分もいつかは足を運んでみたいとは考えていた。が、予定を割く時間がなかなか取れず先延ばしになっていた。しかしアイギスの言葉を聞いてそれを無理してでも実行させたい気持ちも生まれてきた。美鶴はそんな気持ちを抑えて言う。

 

「アイギス…どうして見滝原市に行ってみたいと思ったんだ?」

 

 かく言う桐条グループの当主である"美鶴"も。

 

 "伊織"と呼ばれた野球帽を被り少し髭を生やした順平も。

 

 "ゆかり"と呼ばれたピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女も。

 

 "風花"と呼ばれた明るい緑色の髮を短く切り揃えた落ち着いた雰囲気の少女も。

 

 "真田"と呼ばれたどこかあどけなさが残る白髪の少年も。

 

 "天田"と呼ばれた小学生の少年も世界を救ったそのメンバーの構成員である。

 

 皆固い絆で結ばれており、普通に生きているだけでは得られない程かけがえのない仲間だ。3月31日には意見の食い違いで力のぶつけ合いにまで発展したがその出来事から絆は一層強いものになり、未来を信じている。そしてこれはその出来事からあと少しで1ヶ月が過ぎようとした日のことだった。

 

「彼が何を感じてきたのか、何を見て生きてきたのか知りたい。だから行ってみたいんです。見滝原市に!」

 

 

◆◇◆

 

 

????年?月?日・?

 

 ザラザラと頭の中を紙ヤスリか何かざらついた物で削られるようないつまでたっても慣れない感覚。また違う例えをするなら全身を砂が荒々しく撫でていく不愉快な感覚。その度に嫌な記憶が甦る。いつものように失敗して時間を遡る。最早二十回を越えたところで数える事をやめたものだ。それに遡るということ自体にはもう慣れている自分が嫌になった。恐らく不快感もその記憶が甦る事によって引き起こされる錯覚に近いものだろう。

 

 目に映るのはひたすら高速で後ろへと流れていく黒い網だくじのような線と、時折見える円の模様。この時の自分はただ前に歩くことしか出来ない。後ろを振り向くことはおろか、立ち止まることも許されず足を前へ前へと動かし続けるのみ。不都合もなければ脅威もない。いつかは終わる空間に思うことはなにもないのだ。しかしよくよく考えてみてもこの空間は不思議なものである。自分の魔法の効果で訪れている場所とは言っても、なぜ振り向けないのか、なぜ立ち止まれないのかなど考えた事がなかった。

 

 体感時間にして数分頭の中で考えた。出た答えはそれほど難しくもなく、振り向くのも立ち止まるのも出来ないのも考えてみれば簡単な理由だろう。自分自身扱う魔法の特性くらいは完璧に把握しているつもりである。その数ある特性の一つは一方通行の時間逆行。一度発動すれば過去に戻れても都合のよい所で停止もできなければ、途中で取り消して行う前に戻ることも不可能。つまりここもそれの表れであろうと、時間逆行者である暁美ほむらは結論付けることにした。一方通行なら引き返すことは出来ないし、止まることも許されない。

 

 無論ほむらは立ち止まる気など微塵もない。ただ前を見据えていつか手に入れる希望だけを捉えている。例え何があっても後ろは振り向かない。進まなければ何も始まらないのだから。

 

 などと思いながら体感時間にしてまた数分。何も考えず過ぎていく時間を見送りながら歩いて遡る途中、ふとほむらは思った。この空間、この現象はここまで長いものだったかと疑問を覚える。これまでの経験と自分の感覚を頼りに比較してみる。目を瞑り感覚を研ぎ澄ます。その間にも足は前へと踏み出して歩み続ける。

 

 ――長い。やはりいつもより長く感じられる。

 

 いつもならとっくに過去を遡りきってもいいくらいだが、終わる気配も無ければ終わりが見える兆しすら無い。あまりいつもなら、などと考えたくないがこればかりは思わずにいられなかった。

 

 これまでなかった変化に僅かな警戒の念が募るも長いだけで別段異常も見られない。次第に警戒を続けるのも阿呆らしく思えて気持ちを緩ませた。おかしいと言われればおかしいが、この状況の自分をどうこう出来る者もおらず、自分自身でさえ抵抗出来ないのだから今ある空間が長いのも些細な変化としか考えなくなった。長くとも辿り着く場所は同じなのだから。

 

 しかしその心構えはすぐに改めさせられることとなった。すっかり油断していたほむらの背後で聞いたこともなく誰だか分からない人の声が突然聞こえたからだ。それもすぐ真後ろで発せられた声量。気配すら感じられないが、肌寒さを覚える冷たさだけは伝わってきた。

 

「――君は沢山の絆を得たから奇跡を手に入れたのかな? それとも元々君の素質だったのかな?」

 

 ビクリと身体全体が跳ねて無意識に肩に力が入り強張る。然も当然のように話す誰かの声は自分より高く、雰囲気から自分より年下の少年だと判断出来るが、その声音はとてつもなく鋭利で、心の中に無理矢理侵入して奥底を抉るようで冷たい。この声の主が少年とは思えても、おおよそ人間の少年に醸せる空気ではなく、本当に人間なのか判断しかねた。

 

「(なに?! この場所で私以外に人が!?)」

 

 一体誰なのかその顔を拝もうとしても体は言うことを聞かず、足は前に動いても踵を返すことは出来なかった。無理矢理後ろを見ようとするが首は1ミリも横に動かず、体の持ち主であるほむらの後ろを確認したいという願いを突っぱねる。

 

「…さぁね」

 

「さぁね、て自分の事なのに無関心だなあ。…僕が思うには素質も関係すると考えてるんだ……この素質って言っても奇跡を手に入れるかじゃなくて、絆をいかに得られるかってことだから」

 

「どうでもいい」

 

 人の後ろでいきなり始められた二人の少年による会話。一瞬、あまりに声質が似ているので一人で二人を演じているのかと思えたが、声の高さが全く違うので別人であるのが分かった。一方は無邪気な子どものように積極的に話し掛けているが、話し掛けられているもう一方は真面目に聞いているのか怪しいくらいに淡白な受け答え。希薄な少年とは逆に、ほむらは出来る限りの努力で会話に耳を傾けた。二人を知れる情報は音を聞き取れる耳だけしかなく、頭が動かせなければ目は見えていても意味がない。

 

「もう! 本当に聞いてくれてる?」

 

 積極的な少年は素っ気ない返事しかしない少年に少々苛立ったのか語気を強めて言う。ほむらも少し積極的な少年に同情して僅かに頷く。

 

「ほら、この子だって頷いてくれてるし、ちゃんと人の話は聞いてもらわなきゃ困るよ。ねぇ?」

 

 またしても不意を突かれほむらは落としかけていた肩を釣り上げた。気配を探ってもあるのはこの二人だけ。自分を合わせても人数は三人しか居ない。しかし少年はもう一人に話かけた。話し相手とは異なる新たな人物に。

 

 ここには三人だけしか居ない。つまり今の発言はほむらに対して投げ掛けられたものだった。まさかその会話に自分も交えられるとは思いもしなかったので、警戒心が高まり何も反応を返せなくなってしまった。

 

「…はぁ」

 

「そんな目で僕を見ないでよ。まさか警戒されてるなんて思わなかったんだから」

 

「いや、普通に警戒くらいはするよ。それに今まで見て来たとき、ここじゃあ何時もこの子一人だっただろ?」

 

「あ、そうだった! 僕としたことがそんな事も忘れていたなんてね」

 

 返事こそ出来ないが会話だけは聞いていたほむらは、この一連のやり取りの中で聞き捨てならないワードを耳にした。足取りは無意識に遅くなり、二人との距離を縮めようと失速していく。

 

「(”今まで見て来た”? それってこの場所も見ていたってこと? そんな、ここに居る事自体がおかしいのにどうやって?!)」

 

 内心話し掛けられた事に焦っている内にも会話は続き、ほむらを放って進んでいく。

 

「ごめんね、驚かせちゃったみたいで。でも心配しないでよ。僕達はなにも君の邪魔をするつもりは無いし、むしろ手助けするつもりなんだから」

 

「そんな事より他に訊きたいことがあるように見えるけど、別にそれにも答えてもいい。…だけど答えたところで此処を抜けると君は覚えてないから今は言わない」

 

 人の都合なんてものは無視して、手助けをしたいなどと好き勝手に言いたいだけ言う幼い少年。そして声に出してもいないのにも関わらず、ほむらの考えている事を言い当てるだけ言い当てて、それに対して答えを与えない希薄な少年。焦りは一旦落ち着き、だんだんと苛立ちが募り、頬の筋肉がひくひくと動いて表情に憤りが表れだした。

 

 いい加減なにか言ってやろうと口を動かしても如何せん声が出ない。それが反って苛立ちを増幅させて足取りがさらに遅くなり、踏み締める力が増した。しかしそれらは幼い少年の発した台詞で鳴りを潜めることになった。

 

「そこまで怖い顔しなくても。せっかくの可愛い顔が勿体なくなる。それにそんな怖い顔をまどかちゃんが見たらきっと怯えちゃうかもしれないよ…?」

 

 『まどか』の名前が出た途端、苛立ちは冷えきり、代わりに殺意に限り無く近い敵意を背後に居るであろう二人に向けた。その敵意の大半は『まどか』と口にした小さな少年。太股の横に添えられた手はどちらも血が滲むほど握り締め、奥歯を砕けそうなほど噛み締める。

 

 得体の知れない二人組が『まどか』を知っている。それもこんな場所にまで来れる規格外の者。この2つの条件だけでもまどかに仇を為す存在と見なすことがほむらには出来る。そうでなくても、もしかするとあの白い悪魔の手先である可能性と言うのが敵意を向けるに十分な材料となった。他にも様々な考えも浮かんだが、それが一番有り得る可能性と判断した。

 

 振り返ってまどかの名を口にした一人をすぐさま組伏せて拷問にでもかけてやりたいところだが、やはり足は言うことを聞かず、前にだけ進もうとする。だが振り返れなくとも足踏みだけを繰り返してその場に留まるに近い行動が出来た。とは言っても少しずつ前進はしているが。

 

「名前を言っただけでここまで怒られちゃうとはね、あはは。まどかちゃんも大事にされてるねえ」

 

 これほどにない敵意を向けられながら妙な余裕を見せる後ろの少年。もしほむらが動ければ自分が危うい立場にあるとも言うのに、他人に気を割くくらいに舐められた態度。不審に思うも敵意を向けることをやめず、言葉の続きを待った。

 

「でもね、……今敵意を向ける相手を、間違っちゃってるよ?」

 

 最後の台詞を聞いた瞬間、心臓は鼓動を打つのを一瞬止め、体の内側から凍りついたように体温が奪われた。首元に幾つもの首を切り落としてきた鎌でも当てられたかのような錯覚がほむらを襲い、向けていた敵意は見事なまでに消え去った。圧倒的な存在感にそんな反抗の意思も叩き伏せられる。理解不能の恐怖がほむらの体を支配し、止まりかけた足が背後の”何か”から逃げるようにして駆け出しかけた時――

 

「綾時…! 今は無駄なことをしている暇はないんだ。遅れてるのは知ってるだろ?」

 

「ごめんごめん。こんなに怖がられるとは思わなかったんだ。怖がらせちゃったみたいでごめんね、ほむらちゃん」

 

 これまで短い内容しか喋らなかった希薄な少年の制止する大きな声。その声に反応してすぐに身も凍るような”何か”のプレッシャーは霧散して消え、元の人間か判断しかねる気配に戻った。

 

 あまり反省した様子のない軽い返事と誠意の感じられない謝罪。そのすぐ後にもう一人の短い溜め息が聞こえる。一刻も早くこの場から離れたい気持ちが募る一方で、今までと違って足が素直に前へ出てくれない。すくんでしまった足はほむらの意思なくとも無理矢理前に出され歩くことを強制して前進させる。

 

 普通に歩くより遅い速度で歩を進めるほむらの背後に、今度は希薄な少年が近づいて来た。一切の威圧を発さず、先程のプレッシャーが冷やかな氷と例えるなら、むしろこちらはまだ暖かみのある気配。一歩近付いてくる度にほむらを包む安心感が強くなり、あと一歩で追い抜ける距離まで寄られた頃には普段通りの足取りに戻っていた。

 

「…少しくらいなら力を借せる。けど後は君のやり方次第になってくるから。これで終わらせなかったら次はたぶん、無い。だから暁美は鹿目を守ってやれ」

 

 そう聞き終えた時、ほむらは走り出していた。さっきまでの重い足取りは枷でも無くなったかのように軽く、”何か”に怯えていた気持ちは見る影をなくしてなかった。そしてほむらの口元はなぜか笑っていた。自分でもどうして笑っているのか分からないが、抑えられないなにかが込み上げてくる。

 

 今ならなんだって出来る。そんな気持ちが胸を満たし、足を運ぶ頻度をさらに早めた。いつの間にかあと少しの所まで迫っていた出口。眩しく光る出口へほむらは躊躇なく飛び込み、そこで視界は暗転した。

 

 

 

 

 

2010年4月28日・水

 

「…………………夢? 思い出せないけど、何か聞いたような……」

 

 と、白い天井を見詰めながら呟く。ここは病院のとある一室。全くの汚れ一つ無いキレイな病室。今のほむらにとって白い天井は神経を逆撫でする印象しか与えない。純白で無害さを装った忌々しいアレを思い出すからだ。そしてまたこの場から始めるのだと思うと気も滅入る。

 

 もう何度目かも分からないほど時間遡行をしているが、やはり遡る時の感覚に抵抗がある。そのため目の焦点が合わず、覚醒しきっていない。にしても逆行時に何が起きていたのか全く覚えていない。

 

 思い出そうとしてもそこだけすっぽりと記憶が抜け落ちてしまって空白となっている。夢は夢を見ている間ははっきりと覚えているが、目が覚めると朝日に溶ける霧のように急激に薄れて曖昧になる。思い出そうとすればするほど色褪せて不確かなものになり、日を跨げば完全に忘れてしまう。この場合は目覚めて一分も経っていないがそれが起きた。

 

「(まぁ…どうでもいいわ。今はこれからを考えましょ、う?)」

 

 それもほむらは些細な事だとして大した疑問に思わず簡単に完結させた。夢の内容よりも優先すべき事が山積みにあるのだから、思考を別の方向へ修正する。

 

 数回瞬きをしてから部屋の中がやけに暗く感じ、ベットから身体を起こし、ふと窓の外を見る。桜も散り心地よい香りは匂わず、春の季節が終わりを告げ始め変化し始めていた。だが注視するべきところはそれではない。晴天だとばかり思っていた空は黒く染まり、瞬く星々が隙間なく彩り街を見下ろしている。その中心にあるのは熱く煌めく太陽とは相対する巨大な円。金色に輝き、見る者を圧倒する神秘的なまでに綺麗な満月。

 

 これでもかと言わんばかりに輝く月が、夜空に浮かび病室の中まで照らす。その月は何故か異様なまでに大きく見え、通常の十倍はある。

 

「(夜ッ? いつもなら昼間に戻ってくる筈なのに!!?)」

 

 どっと嫌な汗が吹き出し、持参した入院服が濡れて肌にへばり着く。一筋の汗が頬を伝い、顎に雫ができあがる。一体なぜ目覚めるタイミングがこうもずれているのか、見当も付かずただ困惑するしかない。

 

 経験とは違う状況に焦りを覚え、軽いパニックに陥りかけるほむら。どれだけ慣れていると言っても、これまで続いてきた同じ答えが少し変わるだけで人は冷静さを失い、不測の事態に対処することが難しくなってしまう。ほむらもその一人の内に数えられる人間であった。

 

 そんなことを他所に、唯一の出入口の扉の向こうからこんこん、と2回音が病室に響いた。ほむらは思考を止めて音のした扉を見て、すぐにその音がノックされた音だと気付き返事をして入るよう促した。扉を開けて病室に入ってきたのは優しそうな雰囲気の40代を過ぎたくらいのおばさんの看護師。

 

「暁美さん、そろそろ準備出来たかしら?」

 

「…準備?」

 

 整理のつかない頭では準備と聞かれてものことか解らず、思わず聞き返した。看護師は口元を隠して笑いながらほむらのベッドに近づく。

 

「暁美さんはもう病気が治ったから今日退院するんじゃない。もしかして忘れてたの?」

 

 壁に掛けてあるカレンダーに目を向けて確認した。退院の日付は繰り返してきた時と同じ、4月28日に退院の印しがついている。即ち今日その日。時刻こそ狂いはあるが退院する日までは変わってはいなかった。

 

「(日付は変わってないけど…時間に誤差があった? でもこんなこと今まで一度も……)」

 

「あら、暁美さんちゃんと準備できてるじゃない。すぐ出発できるわね。わたしは先に荷物持って出ておくから」

 

「あ…はい」

 

 部屋の隅に目を向ければまとめられた荷物が置いてあった。本来なら昼間に起きてそれからまとめていたのだが、どうしてか目覚めた時にはもうまとめられていた。看護師が大きな荷物を数個持って病室の外に出る。

 

 目覚めた時間が違ったとしても世界は何かが変わる事もなく今まで通りに回る。例え時間逆行を繰り返して数多の世界を渡り歩くイレギュラーな存在が居たとしても、なんの問題なく巡り、不変である。それはほむらがどれだけ足掻いても訪れる結末は同じだと言っているようでうんざりさせられる。ほむらは肩を落として溜め息をつく。

 

 ベッドから降りたほむらは、裸足で病院内を歩き回る訳にはいかないのでスリッパを履いて自分の荷物を手に取る。持ち上げて肩に掛けようとした拍子に、何か落ちたのが見えそれを目で追った。落ちた物は真っ黒の1枚の羽。膝を折って手を近付けたが、拾うのを何故か一瞬躊躇ってしまった。

 

「…羽?」

 

 戸惑いもすぐに無くなりゆっくりと拾い上げてどこから入ってきたのかと首を傾げた。すると、頭に何かが流れ込んできた。羽を持った手から脊柱を通って電気のようなものが脳に直接走る。

 

 一瞬だけ目が眩み見えたのは、破壊された街並みの中心に、逆さまの人形が重ねられた歯車にくっついたシルエット。黒い雲が空を覆い、重力を無視して高層ビルの残骸が宙を漂う。その人形は虹色の円陣を背負ってくるりくるりと廻り、嘲り、炎を降らす。

 

 そして、それに立ち向かうように佇む複数の人影。その人達には恐怖など無いかのように凛としている。

 

 人影の中には一番大切な少女の姿もあった。そんな光景が一瞬という間に何度も繰り返されて見えた。

 

「つぅッ!」

 

 莫大な量の情報がほむらの脳を刺激して酷い頭痛を引き起こした。顔を顰め頭に片手を当てて尻餅をついた。

 

「(何、今の? あの魔法少女は間違いなくまどか!? それにあのシルエット……ワルプルギスの夜!!)」

 

「(まどかが魔法少女になった世界はいくつも見てきた…けれど、巴マミに美樹さやか、それに佐倉杏子も居た光景は視たことが――)」

 

 先程手に取った黒い羽を見る。感触は羽の柔らかさではなくなっていた。

 

「!」

 

 羽は手に無く、代わりにあったのは薄く固い四角の何か。有機物か無機物かも判断しかねる素材でできており、僅かに冷たい。

 

「か、カード?」

 

 裏表真っ白でどんな用途で使うのか不明なカード。心なしか仄かに発光しているように見えるのはまだ身体が本調子ではないからだろうか。そんな適当な理由を付ける。

 

「さっきは黒い羽、だった筈?」

 

 大して驚くことはなく、呆れたように肩を落として呟いた。

 

「…幻覚を見るなんて私もそろそろおかしくなってきたのかしら?」

 

 魔力を使って自分の眼の視力を眼鏡を使わなくてもはっきり見えるところまで強化する。これなら幻覚や見間違うこともないだろう。

 

「暁美さん? 早く行きましょう。ってどうかしたの暁美さん!?」

 

 用意が遅いと思ったのかさっきの看護師がやって来た。タイミング悪く床に座り込んでいたところを見られ、看護師は慌てた様子でほむらの側でかがんだ。

 

「あ、すみません。すぐ行きます。大丈夫です」

 

 肩を持とうとする看護師を片手で制して首を振る。カードをバレないようにハンドポケットにしまい、立ち上がって出口へ歩く。

 

 胸を張り足取りは早かった。廊下の窓から空に浮かぶ円い満月を眺める。口元には僅かな笑み。

 

「(どうしてかしら。なぜまどかだけじゃなくて、マミやさやかなんかとも仲良くしたいと思えるのは? 全然解らない。でも…)」

 

「――それもいいかもしれないわね」

 

 月は夜を示し、夜は死と終わりの象徴。またそれが転じて朝を迎え再生と始まりを兼ね備える絶望と希望。朝と言う希望を告知する夜空に浮かんだ月は母なる存在であり、この生命の星である地球に生きる全ての命を抱える。夜を支配し安寧を与える女神がいつ何時も傍に居ることを忘れてはならない。

 

 窓から顔を覗かせる満月は今宵も美しく真円を描いて輝いている。この日、暁美ほむらの世界も朝へと向かう夜を手に入れた。

 

 

 

 

 


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