東方戻界録 〜Return of progeny〜   作:四ツ兵衛

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第106話

「はぁ……はぁ……なかなか派手に吹っ飛ばしてくれたわね」

 

 木々の間から守矢神社の本殿が見える。境内の外まで飛ばされてしまったことは間違いない。

 距離にして数十メートル。しかし、それだけ吹っ飛ばされたにも関わらず、不思議と痛みはなかった。

 霊夢は服についた木の葉を払い落としながら、自身の背後に目を向ける。

 

「おやおや、気づかれていましたか。これはびっくりです」

「私の方がびっくりよ……」

 

 呆れた表情で霊夢は言う。

 背後には早苗がいた。木の枝に服の背中側が引っかかり、宙吊りの状態で。

 かなりかっこ悪い状態のはずなのに、早苗は偉そうに上から目線。ドヤ顔まで浮かべている。

 外界の人間は恥を知らないなのかもしれない、と霊夢は思った。

 

「……あんた、そこで何やってんの?」

「見ての通り、木に引っかかって宙吊りになっています!」

「そう……わかっているなら良いわ。私があんたをぶちのめしたいと思っていることも覚悟しているんでしょうからね!」

 

 言いながら霊夢は大幣(おおぬさ)を掲げた。霊力で構成された赤く光る球体が、早苗に向かって飛んでいく。

 しかし、早苗は一切避ける素ぶりを見せない。それどころか、ドヤ顔を崩すこともない。

 自信はあった。相手は碌に戦い方も知らないはずの外界の人間。先程の青年は刀を持っており、天狗を切り捨てたという話もあったが、あの範人の兄なのだからおかしくはない。

 それに比べて、目の前にいるのはただの少女。服装からして神職についているようではあるが、そこまで強い力を持っているようには見えない。大方、冷仁に守ってもらう予定だったのではないのだろうか。

 不安になる自分にそう言い聞かせ、霊夢は早苗に迫る霊力弾を見つめる。

 このまま真っ直ぐ飛べば直撃する。

 

「なっ……⁉︎」

 

 ……はずだった。

 

「ふー、やっと外れました。これで身動きが取れますね」

 

 その足で地面に立ち、軽く背伸びをする早苗。

 霊夢の霊力弾が早苗に当たる直前に風が吹いて軌道が変わり、彼女が引っかかっていた木の枝を撃ち抜いたのだ。

 

「……いったい何をしたの?」

「さぁ? 私にはさっぱりわかりませんね。気持ちの問題では?」

「気持ちの問題で外れるわけがないでしょう! 奇跡でも起きなきゃ外れやしないわよ!」

「だったら、その奇跡が起きたということなのでは?」

 

 言われてハッとする。

 霊力弾は霊力でできているのだから、風による物理的な干渉は基本的に受けない。風の干渉を受けるとすれば、その風に霊力や妖力が含まれていた時。ここは妖怪の山なのだから、風に妖力が含まれていたとしてもおかしなことではない。

 しかし、普段気にするほどでもない風が吹いただけで弾幕が曲がった。よっぽど強い風でもない限り、そんなことは起こるはずがない。

 そう、奇跡。奇跡が起きたのだ。奇跡的に妖力の濃い風が吹き、霊力弾から早苗を守ったのだ。

 ならば、二度も同じことが起こるはずがない。それは奇跡なのだから。

 霊夢は焦りつつも冷静に狙いを済まし、手のひらから霊力弾を発射した。

 一方、早苗は相変わらず避けるつもりなどないかのように、笑みを浮かべたまま直立不動。

 このままならば直撃する。しかし、またしても風が吹いて霊力弾の軌道を変えてしまった。

 

「なんで……そんなバカなことが……!」

 

 すぐさま霊力を集めて霊力弾を発射。目の前の少女へ向けて、何度も何度も繰り返し撃つ。密度を変え、速度を変え、美しい軌道を描くように撃ち続ける。

 しかし、どれも当たらない。

 霊力弾が早苗に当たりそうになる度に風が吹き、軌道をずらしてしまう。なおも諦めずに撃ち続けると、次第に風の勢いが増していき、ついには霊力弾自体を弾き返すほどになってしまった。

 流石の霊夢もあまり大量に霊力を消費するのはまずいと、攻撃の手を止める。

 

「どうしたんですかァ? 全然当たりませんよォ?」

「ぐっ……こいつ……」

 

 明らかにバカにしている態度に、思わず殴りかかりそうになる霊夢。しかし、相手の手の内がわからない状態で近づくのは、もはや自殺行為でしかない。

 なんとか踏みとどまり、相手の観察に努める。

 

「おやァ? 来ないのですかァ? 来ないなら、こちらもやらせていただきますよ!」

 

 薄い緑色に輝く大量の球体が霊夢に向かって飛んでいく。

 しかし、

 

「遅いわね」

 

 霊夢はまるで舞うような動きで霊力弾の間を軽々とすり抜けていく。隙間があれば入り込み、逃げ場に困っても既に発射してある自身の弾が相殺して道を作る。

 一連の攻撃を避けきって早苗に目を移すと、彼女は肩で荒く息をしていた。既にスタミナ切れを起こしているようだ。

 

「あなた、戦いには慣れてない感じね。今の弾幕、すごく薄かったわよ。避ける隙間はたくさんあったし、弾1つあたりの耐久力も弱かった。私の攻撃1発で5発は打ち消せたわ」

「それがなんだって言うんですか? 攻撃が当たらないのはあなたも同じではありませんか。当ててしまえば私の勝ちですよ!」

「当ててしまえば勝ち? 何をバカなこと言ってるのかしら。あんなへなちょこ弾幕当たるわけないじゃない。あんなの当たったら奇跡よ」

「ほほう、奇跡ですか。……バカにするのも大概にしてください!」

 

 再び、早苗が大量の弾を発射した。

 しかし、相変わらず狙いが甘い。弾幕ごっこの熟練者である霊夢からすれば、容易に回避できる密度とスピード。今度は相殺することもせずに、とにかく避けていく。

 その時、またしても風が吹いた。

 山を駆け抜けるだけの直線的な風なら良かっただろう。しかし、今度の風は極めて異質なものだった。

 全方位から霊夢に向かって風が吹いた。彼女を中心に軽いつむじ風が発生したのだ。

 まだ霊夢に到達していない弾も既に避けた弾も、全ての弾がスピードを増して彼女に向かっていった。

 

「くっ……このォ!」

 

 流石の霊夢も弾幕を展開し、相殺を試みる。

 が、

 

「なんで壊れないの⁉︎」

 

 早苗の弾は威力が増していた。先程とは逆に、霊夢の弾が打ち消されてしまう。

 咄嗟に、霊夢は身をかがめた。

 早苗の弾はつむじ風に乗り、背中を掠めながら上空へと飛んでいく。

 瞬間、つむじ風が消え、冷たい空気の塊が地面に叩きつけられた。少し遅れて早苗の弾も地面に叩きつけられるが、霊夢は地面を転がって回避する。

 

「危なっ……なんて威力! さっきは大したことなかったのに!」

 

 振り向けば、つい直前まで霊夢が立っていた地面が大きく抉れている。早苗の弾はその一点に叩きつけられたのだ。まるで霊夢を狙ったかのように、確実にその一点だけに。

 

「ほう、全てかわしたんですか。運が良かったですね」

 

 少し驚いた様子で早苗が挑発めいた言葉を投げつける。

 

「このぐらい余裕よ! いくらでもかわしてやるわ」

 

 霊夢も負けじと強気な言葉を返すが、内心焦っていた。

 霊夢は博麗の巫女。博麗の巫女は、代々、幻想郷の均衡を保つために妖怪や異変を相手に立ち向かうことを運命づけられ、それらを退治し、鎮圧してきた。それだけのことができると判断されて、霊夢もまた、博麗の巫女の立場にいる。すなわち、博麗の巫女は幻想郷における巨大な勢力の一角と言えるのである。

 しかし、今はどうだろうか。

 最初こそ優勢だったものの、外界から来た新参者を相手に手こずっている。日頃の鍛錬が足りていないのか、それとも相手の成長が異常に早いのか、原因は不明だが、敗北を喫するかもしれない窮地に陥っている。

 空に浮かんだ早苗を見上げれば、その背後の景色も自然と目に入ってくる。そこに澄み渡る青空と眩しい太陽はなかった。上空は、いつのまにか巨大な雲に覆われてしまっていた。

 まるで、霊夢の心情を表しているようである。

 

「これで終わりです! 秘術『グレイソーマタージ』」

 

 早苗が弊を一振りすれば、周囲に霊力弾が大量に生成され、星型の並びになって周囲を飛び回る。

 霊夢はすぐに立ち上がって攻撃を避けにかかる。軽やかな動きで次々と弾をかわし、同時に弾幕も展開する霊夢。その顔に余裕はなかったが、攻撃に当たる気配は一切ない。

 その様子を見て顔をしかめる早苗だったが、すぐに余裕の表情に戻り、攻撃を続ける。一方の霊夢も熟練の動きで避け続ける。

 しばらくすると、不意に空気の流れが変わった。

 

「また⁉︎」

 

 不穏な風が吹いた。

 上昇気流が発生し、妖力を乗せた風が2人の霊力弾を巻き上げる。まるで、上空の雲に吸い込まれるかのように、放っておけば霊夢に当たっていたはずの弾も巻き込んで。

 霊夢は少し安心した表情を浮かべる。

 

「まぁ、あの程度簡単に避けられたけど、今ので体力温存できるわ」

「本当にそうでしょうか?」

「ええ、あの程度余裕よ。あんたとは場数が違うのよ」

「言ってくれますねぇ……! これを見て、そんな台詞が言えますか?」

 

 早苗が天を指差す。その指の動きにつられて上空を見ると、巨大な雲はさらに大きく、黒く成長していた。雨こそ降っていないものの、時折轟音と共に雲の中に稲光が走るのが見える。

 大気が生み出す空の化け物、積乱雲。空における最強クラスの災害である。

 先程から吹いていた上昇気流が、空にあった雲を急速に成長させ、積乱雲に進化させたのだ。

 

「さっきの風では足りなかったみたいですからね。いきますよー、それっ!」

 

 早苗が掛け声と共に弊を振り下ろした瞬間、冷たく凄まじい突風が地面に叩きつけられた。それにつられて、先程吸い込まれていった霊力弾や積乱雲の中で形成された雹が猛スピードで降り注ぎ、霊夢に襲いかかる。

 ダウンバースト。積乱雲の中に溜めこまれた大量の冷たい空気の塊によって生まれる強烈な下降気流である。その風速は通常でも秒速30メートル、更に強くなるとその倍に達することもある。

 ——マズいマズいマズいマズいマズい!

 先程のつむじ風の時点で早苗の弾の破壊力は霊夢のものを超えていた。それが更に強化されていることを考えると、打ち消すことは不可能。そんなものが降り注いでくるというのだ。

 避けることは困難。当たれば1発でダウン。奇跡など関係なく、敗北はすぐそこに迫っていた。

 

「あはっ……」

 

 轟音が響くが、不思議なことに痛みはなかった。

 目を開いてから、霊夢は驚く。

 弾は1発たりとも当たっていなかった。全て、霊夢の周りの地面に落ち、クレーターを生み出していたのだ。

 霊夢が立ち上がると、早苗はわなわなと身体を震わせる。

 

「なんで当たってないんですか!」

「……さぁ、私にもわからないわね」

「くぅー!」

 

 悔しそうにギリギリと歯噛みする早苗。

 対して、霊夢は冷静に状況を分析していた。幾度とない戦いを超えてきた彼女の本能が、霊夢に冷静さを取り戻させたのだ。

 霊夢は早苗の言葉に違和感を感じていた。何故、自分の攻撃なのにそれに対する意見が、「当たっていない」などという受動的な言い方だったのだろうか。まるで、最初から実力で当てようとしていたわけではないような言い方である。

 そして、実力がないことを裏付けるかのように、すぐにスタミナ切れを起こすほどに体力がないこと、弾幕の張り方が甘く、狙いもよろしくないことがわかっている。

 実力がそれほどではないにもかかわらず、勝ちを取りに来る。それも、ここまで霊夢を追い詰めるとなれば、そこになんらかの特殊能力が働いていることは確実とも言えよう。

 更に、その能力が切れたタイミングもほぼ判明している。積乱雲に吸い込まれた霊力弾がそこから射出され、地面に到達するまでの間である。早苗の発言からして、霊力弾が射出されたタイミングでは当たることが決まっているようだった。

 霊夢はその間に起こった変化を頭の中で箇条書きに並べていく。例え、物理的でなくとも、どんな小さな変化であっても良い。そこには必ず能力解除のトリガーとなる変化があったはずなのだ。

 霊夢は心を切り替え、最大限の警戒を早苗に向ける。

 

「ハッ、もしかして……いやでも気づかれてはいないはず……そう、まだ私の攻撃はきっと当たる……! 当たるはずなんだー!」

 

 独り言から叫び声へ移行、そして共に飛来する霊力弾。

 しかし、狙いが悪く弾速も遅い。全て霊夢の脇を通りすぎ、地面に当たって消滅していく。

 ——やはり、大したことないのではなかろうか。

 そう思った瞬間だった。

 

「食らえッ!」

 

 突如、風が吹き、またしても霊力弾が加速した。

 能力が切れていなかったことに気づき、驚きつつも咄嗟の動きでかわしきる。早苗は依然として危険な存在であると、再確認する羽目になった。

 

「油断しちゃダメみたいね……」

 

 それは、自分への注告であり、くだらない独り言のつもりだった。

 しかし、霊夢はハッとする。

 早苗の能力のトリガー、その答えが潜む暗闇に一筋の光が差し込んだ。

 

「もしかして……」

 

 霊夢は早苗への警戒を心の中で一瞬緩める。その瞬間、またしても風が吹いた。すぐに警戒を最大限に戻すと、風が止んだ。

 

「なるほど!」

「チッ……!」

 

 笑みを浮かべる霊夢と、苦々しげに舌打ちをする早苗。

 霊夢が早苗のカラクリに気づいた瞬間の2人の仕草は全く異なるものだった。

 霊夢は()()()と地面を蹴り、宙へ浮かび上がった。早苗と同じ高さに立ち、フフンと鼻を鳴らして得意げに睨みつける。

 

「あなたの能力わかったわ。流石に名前まではわからないけど、あなたは人がありえないと思っていることを実現させる能力を持っている。相手が無理だと思っていればなんだってできる。まるで、奇跡を起こすみたいにね。今回は、私が『負けるわけない』と思っていたから能力が発動した。きっと、誰もが無理だと思っている比較的規模が大きなことは簡単に起こせるけど、今回の個人に勝つみたいな限定的なことは相手の感情がないとダメだったようね」

「バレちゃいましたか……。そうですよ、私の能力は『奇跡を起こす程度の能力』と言います」

 

 早苗が力なく笑う。

 

「初手で私に対してショボい弾幕張ったのは、私を油断させるため? それとも実力? まぁ、どちらにせよ良い作戦だったわ。私は幻想郷の大きな勢力の1つに数えられる博麗の巫女。一個人に負けることなんてほとんどないから、大抵の相手を甘く見ることが多いし、負けるはずなんてないと思ってた。自分を見直す良い機会になったわね」

「途中から全力、出したんですけどねぇ……」

「本気出しても元から下手な鉄砲、数撃っても当たらないわよ。能力に頼りすぎてきたツケね。……さて、どういたぶってあげようかしら? 私の神社をバカにしたこと、そう簡単には許さないわよ」

 

 青ざめる早苗。

 ニヤリと笑みを浮かべる霊夢の背後に、黒い鬼を見た。

 自然と両手は上がっていた。

 

「何、その手は? 降参のつもりかしら?」

「は、はい……降参、です……」

「私の言ったこと聞いてなかったの? 簡単には許さない、って言ったんだけど」

「で、でも、私が降参したから、もう勝負はついて……!」

「そう、勝負はついている。……けれど、それはあくまで、勝負の話でしかないわ。覚えときなさい。私を殴ったら、それ以上の力で殴り返されるのよ!」

 

 瞬間、早苗が背を向けて走り出した。

 攻撃を受ける前にこの場から逃げ出そうというのだ。

 森の中へ。とにかく遠くへ。遮蔽物の陰に隠れながら。相手から距離を取る。恐怖はオリンピック選手にも負けないほどの速さで、彼女を走らせた。

 

「夢想封印!」

 

 霊夢の周りに巨大な光弾が出現し、勢いよく発射された。木々の間をすり抜け、最短ルートで早苗に迫る。

 数十秒後、妖怪の山全体に聞こえるような凄まじい悲鳴が響き渡った。


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