東方戻界録 〜Return of progeny〜 作:四ツ兵衛
「おお、来たか。まずは入ってくだされ」
天魔は引き戸から顔だけを覗かせ、範人たちに入室を促した。
範人たちは促されるままに、天魔の部屋へと足を踏み入れる。
ふと、天魔は思い出したように、
「ああ、お主は診療所に面会の許可を頼む。我々もすぐに向かう」
「はっ!」
天魔に言われ、白狼天狗は部屋から立ち去った。
天魔が椅子に腰を下ろし、続いて範人たちも腰を下ろす。
「で、何が起きたんだ? 侵入者とは聞いたが、俺を呼び出すなんてただごとじゃあないはずだ」
「……ああ、人間が侵入してきた」
「人間なんて大した問題じゃないだろ。少し威嚇すれば逃げていってくれる。……それとも、逃げてくれないとでも?」
「その通りだ。彼らが逃げてくれない」
天魔は険しい顔で言った。同様に、範人も険しい顔つきになる。
「それはまずいな……」
「まずいってレベルじゃない。
「あー、わかる。お前弱そうだし」
「よ、弱そうって言わないでよ! 僕だって天魔なんだぞ! 強いんだぞ!」
幼い見た目に違わぬ可愛らしい声で叫ぶ天魔。
その様子に範人はニヤニヤと笑い、ジェットは仲間が現れたと目をキラキラさせる。
2人の表情を見た天魔は一瞬ハッとした後、
「ゴホン……! と、ともかく、このままでは天狗の里が分裂してしまう可能性があるのだ。そうなれば、山にいる野生の妖怪たちが勢い付いて暴れ始めるかもしれん。人里に被害が出るのは避けたいだろう?」
天魔はキリッとした表情で言った。
しかし、範人の頭からは天魔の見せた幼い一面が離れなかった。
「おう、わかっ……プフッ……大丈夫だ。クク……ショタ天狗……ブフッ……」
「笑うなよぉ!」
「天魔くん、友達になろうよ!」
「え、いいの? ……って、違う! 頼みを聞いてくれれば考えないこともないぞ」
「わーい、やったぁ! 僕みたいな感じの妖怪の男の子ってあまり見ないから不安だったんだよねー」
クッ……、僕より可愛いなんて……!
まばゆいほどの笑顔を見せるジェットに、天魔は軽い嫉妬を覚えていた。
「では、2人とも協力してくれるのだな?」
「おう、もちろんだ。お兄さんに任せなさい」
「僕も友達欲しいから頑張るよ」
2人は頷いた。
「ありがとう。では、2人に……特に範人に見せたいものがある。ついてきてくれ」
天魔は静かに立ち上がり、部屋の出口にゆっくりと向かう。範人とジェットも立ち上がると、扉を開けて廊下へと歩み出た。
屋敷を出て里の中を歩き、たどり着いた場所は里の診療所の一室だった。
部屋の中央には全身を包帯でぐるぐる巻きにされた大男が横たわっており、苦しげに息をしていた。ひどい状態だが意識はあるらしく、目だけを動かして範人たちを見ていた。
「誰だ、こいつは?」
「邪我亜能登。天狗の里随一の戦闘班、第6戦闘部隊の隊長だ」
「随一……ということは、こいつが天狗の中で最強なのか?」
「能力や戦闘スタイルによって相性があるから一概にそうとは言えんが、力だけなら間違いなく最強だ」
「なら、どうしてそんな実力者が……」
「わからん。だが、相手が相当な実力であることは間違いないだろうな」
天魔の言葉に頭を抱える範人。
いよいよもって面倒なことになってきたぞ、と心の中で呟く。
「諦めて土地を与えるっていう考えはないのか?」
「土地を与えるという考えはある」
「だったら、それで……」
「だが、諦めるという選択はありえない!」
天魔は強い口調で言い放った。
「我が防ぎたいのは天狗の株が下がることだ。諦めて土地を与えたとなれば、それは我々天狗の敗北を意味する。そうでなく、我は『勝利した上で土地を与えた』ことにしたいのだ。天狗の株を下げずに済むからの」
天魔の意見は理にかなっていた。
負けて土地を与えたのならば、それは奪われたと言うことになるが、勝った上で土地を与えたのならば、慈悲をかけたということになる。天狗の独占欲が強いという悪いイメージを弱めることにつながり、天魔の目指す人間との共存に近づくかもしれない。
しかし、人間との共存を望まない天狗はもちろんいるわけで、
「うぐぅ……天魔……それはダメだ……」
能登が苦しげに呻く。
「この山は俺たち天狗に代々受け継がれる大切な土地。人間風情にくれていい土地なんて、1坪もない……」
「怪我人は黙っておれ! 今は協力する時代だというのが何故わからん! だいたい、今回の件もお主が勝手な行動さえせねば、我が自ら交渉に出向いて解決していたというのに……。これだから頭の硬い古参は困る」
天魔はやれやれと首を横に振った。
確かに天狗は強い。身体能力は並みの生物を遥かに超え、寿命も桁違いに長い。そのこともあってか、天狗はいつしか人間を見下すようになっていた。驕り高ぶっていたせいで、移り変わる時代の流れに追いつけないでいた。
「殺し、退けるというのを間違った選択肢だと否定するつもりはない。しかし、逆に考えた時、何故我々はそういう選択肢しか選んでこなかった? 同じ言葉を使い、同じような生活をしていたというのに、何故分かり合えない? 我々が拒絶して逃げていたからだ。分かり合おうとしないのは、我々が弱いからだ」
天魔は鏡を取り出して自分を見る。その目は、まるで親の仇が死にゆく様子でも見るかのような、冷たい目だった。
能登は天魔を睨みつける。
「天魔……お前は首長でありながら、天狗を否定するのか?」
「否定はしない。だが、弱いとは思う」
「テメェ……絶対に殺してやる……!」
「相変わらず、物騒なやつだ……。力だけが全てではないのだぞ?」
「チッ……!」
能登は舌打ちをして黙り込んだ。一触即発寸前だった空気が薄れる。
「まぁ、お主が武力行使に出てくれたおかげで良かったこともある」
「……え?」
「先に手を出したのが我々とは言え、仲間が傷つけられた。戦う理由としては充分だ。今回の件に関して、処分はないこととする」
「あ、ありがとうございます……!」
「よいよい。元はと言えば、迅速な対応をしなかった我が悪いのだ。必要以上に責めるようなことはせんよ」
いつの間にか、天魔の目は元の優しい目に戻っていた。
天魔は範人に顔を向け、
「して、範人よ。この傷を見てどう思う?」
「どう思う、と言われてもな……。何をどう思うんだよ?」
「何か感じたことはないか、ということだ」
「直接見なきゃわからん」
「ああ、そうだったの。包帯を剥がしてもよいぞ」
天魔に言われ、範人は能登に顔を近づける。
その時、能登の身体がビクッと跳ねた。
何事かと思って能登の顔を見ると、恐怖の表情が浮かんでいた。
「な、なんでお前がここにいる……?」
「は? 俺たち初対面だろ?」
「う、嘘を吐くな! 俺はお前に……!」
「……?」
不思議に思う範人だったが、黙って包帯を剥がす。
その傷を見た瞬間、範人の目がこれでもかと言うほど大きく見開かれた。
「どうかの?」
「……酷い傷だな」
骨折、打撲、裂傷、凍傷……。能登の身体には生きているのが不思議に思えるほどの傷がついていた。
裂けた腕、千切れた肉の間からは骨が見え、両脚とも骨が膝から外に飛び出していた。
しかし、何よりも目を引いたのは一目で重傷とわかるような傷ではなく、冬でもないのに何故か負っていた重度の凍傷と大して深くない切り傷だった。
……見たことがある。
すぐにわかった。自分の打った刀で斬られた傷なんて見間違えるはずがない。ほぼ全身にある凍傷も、範人には見覚えがあった。
「……天魔」
「ん、どうした?」
「相手が誰かわかったぜ。こりゃあ、本当にやばい相手だ……」
もともと険しかった顔がさらに険しくなる。
「そんなにまずい相手なのか?」
「話が通じるやつではあるから決してまずくはないが、勝てるかどうかわからん。とりあえず、崖崩れくらいは覚悟しておいてくれ」
「それはまずいな。皆に知らせておこう。……相手の名前は?」
能力で天狗たちに意識をつなげつつ、天魔が訊ねた。
すると、険しい顔から一転、範人はニヤリと笑った。
「