東方戻界録 〜Return of progeny〜 作:四ツ兵衛
秋も終わりに近づいた11月の下旬。風もすっかり冷たくなったこの季節には暖かい避寒地に行きたくなるもの。生物は本能的に寒さを避けようと考えるのだ。
「ねぇ範人、今日も冷えるわねぇ」
「ああ……」
「こんな時は暖かいところに行きたいわねぇ」
「ああ……」
「ねぇ、せっかくだから2人であったまらない?」
「ああ……」
「じゃあ、裸で温め合いましょう」
「断る」
紫の提案に、キッチンで皿を洗っていた範人は短く断った。つまらなそうに「ちぇっ」と舌打ちする紫だった。
幻想郷、ゴートレック生物研究所本宅リビングにて。
「言っとくが、俺が姉さんの言葉をテキトーに聞き流してると思ったら大間違いだからな。姉さんのこと大切だから」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ」
「いや、当然のことだと思うんだが……まぁいい。もう1つ言いたいことがある」
「何かしら?」
範人は真面目な顔になり、
「姉さんは俺を誘ったけど、俺は妖夢がいるから姉さんを女として見ることはできない。でも、姉さんのことを恋愛対象として見るとすごく魅力的だと思う。文句なしで一番美しい」
「そんなこと言っちゃっていいのかしら? 襲うわよ?」
「そうなったら全力で逃げるよ」
「それは少し傷つくわね」
「許せ、妖夢と俺のためだ」
範人の真っ直ぐっぷりに、紫は苦笑いする。
——正に範人まっしぐらね。
妖夢が人質にとられたら、この青年は世界をも壊すのではないのだろうか……と、紫は少し不安になる。
愛は強さであると同時に弱さでもあるのだ。愛情を持っているということは、諸刃の剣を手に握っていることとほとんど同義なのである。
紫はそれを知っている。知っているからこそ、愛というものの良さも悪さもわかっていた。
だから、紫は提案する。
「妖夢と一緒に旅行でも行ってきたらどうかしら?」
「はぁ?」
範人は困惑した表情になる。
「2人きりで外の世界に旅行でも行って、恋人同士水入らずの時間を過ごしてきなさいな」
「いやいや待て待て。いくら俺が元政府の人間だからって無料で行ける観光地なんてないからな⁉︎」
「あら、何言ってるのかしら? あるじゃない、ハワイの別荘が」
「……確かにあったな。でも、幽々子はどうなるんだ?」
「それなら心配いらないわ。幽々子1人くらい
あんな暴食モンスターを養えるのか……と不安になる範人だったが、紫なら本当になんとかしかねないため、もはや何も言わなかった。
「で、行くのかしら?」
「ああ、せっかくだからな」
「そう。それなら、幽々子のことは私たちに任せて新婚旅行楽しんでらっしゃい」
「まだ結婚してねえよ!」
全力でツッコむ範人だった。
そんなわけで、そういうことになった。
◇
スキマ移動の前に距離などほとんど関係なく、範人と妖夢はその日の昼過ぎに、ハワイのオアフ島にある別荘に到着した。
「範人と2人きりで旅行……2人きりで旅行……絶対に邪魔されない2人だけの時間……えへへ」
別荘を前にして、何か意味深そうなことを呟く妖夢。範人はそれを無視して玄関のドアを開けた。
「玄関が既に広いです……」
「実家よりもでかいからな……泣けるぜ」
ゴートレック家の別荘は大きな家くらいの大きさで、3階建て。範人の言葉通り、研究所の敷地内にある本宅よりも大きい。2階から屋上に出ることができ、その屋上を経由して、2階の上にある小さな3階に行くことができる。
別荘は2LDKで、寝室は4つ。1階のリビングはミニシアターにもなる。風呂は2つあり、内1つはジャグジー完備である。おまけに、屋上2階にはグリルが設置されており、
範人は玄関からすぐ近くにあったドアを開けてリビングに入った。そのすぐ後に入った妖夢は小走りに範人の脇を通り抜け、ソファに座る。
「わー、ふかふかですよー」
「ハハハ、そうだな。あんまり暴れるなよ?」
「そのあたりは心得ていますから安心してください」
そう言いつつもはしゃぐ妖夢に、範人は苦笑する。
——この笑顔、カメラに収めておきたい……。
そんなことを思う範人だった。
ゴートレック家は元々裕福な一族である。政財界の中心に身を置くことは少なかったが、政財界の中心からやや外れた位置に身を置いていたことが多かった。そのため、時代の流れに激しく揺さぶられることも、多くの敵対勢力を作ることもなく、安定して富を築いてきたのだ。
しかし、これだけが裕福さの
ゴートレック家の人間は汎用に長けていた。ある者は商売人として、ある者は騎士として、また、ある者は生物研究者として。1つの事業にとどまることなく、まるでタコのように様々な事業へと手を伸ばし、成功した。故に、表に出るほど目立つことはなくとも、方々にパイプラインを持っていたのだ。
一族で1つの職業に留まらず、まるで風に揺られるかのように、僅かな代で新しい職業に就き、拡大させる。まさに、
ただ、自身の気の向くままに。
それがゴートレック家のモットーである。豪華な別荘もこのモットーを基にして、欲しいと思ったものを詰め込んだ結果である。そして、範人の父親にして生物研究者であるアルバレスト・ゴートレックが成功した証である。
「さて、これからどうする?」
椅子に座ってガイドブックを読んでいた範人が、ベッドで飛び跳ねていた妖夢に訊ねた。
妖夢は待ってましたと言わんばかりに、
「セックスしましょう!」
「却下」
「なんでですか? これからしばらくは誰にも邪魔されないんですよ?」
「バーカ。なんで観光地来て昼間っからヤるんだ? 観光が優先だろ」
「うぐっ、確かにそうですけど……」
妖夢は狼狽える。
「でも、範人は性欲が無さ過ぎます! 男の人なのに、まるでエッチなことに興味がないみたいな感じじゃないですか!」
「なっ……⁉︎ き、興味くらいはあるぞ」
「嘘を吐かないでください。男の人はいつも女の子のことを考えてムラムラしてると聞いたことがあります」
「俺は年中発情期のうさぎさんじゃねーから! ただのノーマルな男の子だから!」
「14歳で大学を卒業するやつはノーマルじゃない」とか言われそうなことを言う範人。妖夢は「むむむ……」と唸り、
「なら、範人は私に欲情しないと言うんですね!」
「話が飛躍しすぎだー! 仮に欲情してなかったら誕生日の夜はなんだったんだよ?」
「偽りの愛です」
「んなわけあるか! 俺がどれだけお前のことが好きだと思ってんだ! 同じ布団で寝た夜には手を出さないようにするのが大変なんだぞ! ……あ……」
ついうっかり漏らしてしまった言葉に、範人の額に汗が浮かぶ。
妖夢はニコニコしながら、
「なるほど、つまり私が押しまくれば範人の理性が折れて、私を襲ってくれると言うんですね」
「い、いや、そんなことは…………逃げるんだよぉ〜!」
ジョ○ョチックな声を上げて、範人は逃げ出した。妖夢の言葉は正にその通りだったからだ。
妖夢はそんな範人をサディスティックな笑みを浮かべながら追いかけるのだった。
◇
結果的に範人は人の多いエリアまで逃げ切ったため、助かった。その後、妖夢も合流し、洋服屋を回ったり(アロハシャツを数着購入)、スーパーで買い物をしたり(ゼリーの材料の種類が多かった)してから帰宅した。
夕食はスーパーで買ったポキ(魚の切り身に醤油、塩、香味野菜、海藻などを混ぜ込んで調味した料理。案外簡単に作れる。美味い。今回のポキはマグロと玉ねぎを使用したシンプルなもの)と電子レンジで温めた米飯、テキトーに買ったサラダで済ませた。
その夜、範人がどんな目に遭ったのかは言うまでもない。
あともう少しで折り返し、頑張れ私!