WarLines 日本皇国海軍士官奮闘録   作:佐藤五十六

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VOYAGE.55

東京都新宿区市ヶ谷・日本皇国軍中央病院特別病室

そこには、今回の騒動における最大の功労者である佐竹中尉が、入院していた。

「女性士官の制服、サイズまでぴったりじゃないか?」

機密保持のため、佐竹紀子名義となっているこの病室のなかで、佐竹中尉は制服に袖を通していた。

今日は外せない用事があり、こうやって制服に着替えている。

海軍軍令部付きの海軍中尉という身分を、仮として与えられている彼いや彼女は、総理大臣への状況説明という大きな仕事のために、今日は首相官邸に向かうのだ。

「体調はどうですか?」

ドアを開いて入ってきたのは、主治医である田所少佐である。

意識が回復して数日、精密検査の他はやることもなく、暇を弄んでいた。

久しぶりの仕事に心を弾ませながら、佐竹中尉は着替えていた。

「そうですね、普通です」

「似合いますね。

白い制服、肩の階級章、男性の奴とは違う良さがあります。

私の大好物です」

「憲兵さーん」

じゅるりとよだれを垂らすその様を見て、佐竹中尉は憲兵を呼んだ。

先日の件もあり、佐竹中尉には憲兵の護衛がつくことになった。

手配したのは、田中大将である。

田中大将の相談を受けた中央機動憲兵隊も、入間憲兵隊からの報告を聞いて、ことの重大性を理解しており、速やかに要員を派遣した。

それがこの状況である。

「はーい」

「こいつです」

扉の向こうから現れた憲兵を見て、佐竹中尉は田所少佐を指差した。

「なんで?

なんで、いるの?

憲兵は今、忙しいはずなのに」

「忙しいですけど、海軍のトップからの要請ならしかたないですよね」

そう言って、じりじりと近づいていく。

「えっ?

ちょっとタンマ、待って、降参。

ヘンザ、ヘンザ」

憲兵の纏う不穏な雰囲気を感じたのか、田所少佐は反射的に両手を挙げた。

そんな田所少佐を、憲兵は連行していく。

「言い訳は事務所の方で聞きますからね」

「いやああ」

無情にも田所少佐は、引き摺られていった。

去り際には、憲兵たちの仕事を増やさないでくれといった愚痴が聞こえてきた。

「すみません。

海軍軍令部総長秘書官室付きの高野少尉です」

その経過を外から見ていた一人が、入ってくる。

「はい、どうぞ」

「本日にお願いするのは、首相官邸での状況説明となります。

運転手も用意してありますので、準備をお願いします」

「分かりました」

「準備ができましたら、出てきてください。

それから向かいましょう」

すでに準備を終えていた佐竹中尉が病室を出ると、連絡を受けたのか、憲兵が二人と高野少尉が待っていた。

3人と一緒に、ナースステーションまで来ると、看護師の一人が、佐竹中尉に声をかけた。

「呉鎮守府の山口中佐という方が、都合のいいときに電話してくれだそうです」

「無視しててください」

山口中佐、佐竹中尉にとって聞きたくない名前だった。

佐竹中尉の複雑な家庭事情を知るものは、海軍内でもそういない。

一般に知られているとしても、両親も元海軍軍人、叔父が海軍軍令部総長、もう一人の叔父が元海軍軍人で内閣危機管理担当補佐官を現在勤めている生粋の海軍一族出身ということぐらいだろう。

看護師も噂程度で、そのくらいは知っているし、それを言わない分別もあるがしかし、まさか実父が海軍閥に疎まれているとまでは、知らなかった。

そして、その実父こそが山口中佐である。

「無視して良いんですか?」

「あんな万年中佐、怖くはないですよ。

今年の賞与は、デルタでしょうし」

山口中佐は、経験豊富な指揮官ではあるが、多くの処分も食らってきた問題児でもあった 。

主にその原因は、元妻に対するストーキングに近い行為が原因だった。

「この事は他言無用ですよ」

「はは、分かってますよ」

水兵から曹長、士官予定者課程を経て、士官になった高野少尉は、その辺りもきちんと理解していた。

だから、苦笑しながらも、他に話すつもりはないと、言った。

 

「あなたが連行されてくるのは、何回目ですかね?

軍令部総長もお怒りですよ」

憲兵隊の事務所の取調室に連れてこられた田所少佐に、取り調べを行う憲兵はそう言った。

「田中総長は、おいこら、この野郎と、怒鳴っておられました。

部下数人がかりで、落ち着かせています。

そこら辺を弁えないと、痛い目を見ますよ」

ほとほと呆れたといった様子で、憲兵は言う。

憲兵隊には、階級というものが通用しない。

憲兵隊は軍事警察であり、日本皇国軍の規律維持のための部隊であるからだ。

そのため、直接の指揮権は、文民である国防大臣が握っている。

とはいえ、国防大臣の職は、退役軍人の座るポストなので、憲兵の指揮権は軍が掌握しているとも言える。

かといって、戦前のような振る舞いをすれば、市民が黙っていないので、そこまでの強権を発動することはない。

しかし、軍の利益のためならそれすらも厭わない。

事態が露見すれば、憲兵隊はすべての泥を被る覚悟もある。

あるアニメ映画だったか、公安警察お得意の違法作業だとの台詞があった。

なにも違法作業が得意なのは、公安警察だけではないということだ。

「海軍軍令部総長の庇護があるとはいえ、好き勝手やってると、我々が消しますよ。

そういうのは、我々は得意ですからね」

「ひえー」

そう忠告する憲兵の声音は、いつも通り平坦なものだった。

「ふざけないでください。

本当の話ですからね」

忠告はしましたよと、憲兵の口調は変わらない。

はあ、とため息を漏らしたのは、やはり憲兵側であった。

「ここを通してもらおうか?」

ドタドタという大きな足音と共に、大きくよく通る声が廊下に響く。

「軍令部総長の命令であっても、お受け致しかねます。

申し訳ありません」

取調室の扉の前には、屈強な憲兵たちが控えていた。

もちろん、田中大将を止めるためにである。

「申し訳ないと思うのなら、ここをどけぇ」

「致しかねます」

「なぜだ?」

既に田中大将と扉の前にいた憲兵たちはもみくちゃになりながらも、押し問答を繰り返していた。

「憲兵隊運用規則第二条、事件捜査中の憲兵隊に対するあらゆる介入の禁止。

それに伴う施行令により、憲兵隊の取調室への部外者の立ち入り禁止が定められております。

施行令に反する行為は、日本皇国軍法により処罰されます」

「では、連れてきてくれ」

「それも二条に抵触します。

お止めください」

「何ならできる?」

「伝言くらいなら、融通を利かせましょう。

それくらいですよ、できるのは」

「分かった。

では、次にやらかしたら、潰すとだけ、伝えてくれ」

「分かりました。

といっても、我々も警告はしてますよ」

それを素直に聞くなら、こんな場所には何度も来ないでしょうと、憲兵は笑う。

その言葉に田中大将も頷くほかなかった。

「では、伝言を伝えにいってきます」

「ああ、頼んだ」

最後には納得した田中大将は、乱れた制服を直して、軍令部の方へと体の向きを変えた。

「田中大将は、帰られましたよ。

伝言を預かりました。

次にやらかしたら、潰すとおっしゃられてましたよ。

彼女、大丈夫ですかね?」

「やらかさなければ、大丈夫だろう。

やらかさなければだが」

憲兵の言葉には、呆れと達観が入り交じり、そしてその言葉には信頼が入っていなかった。

「ですよね」

埼玉にある国防大学校医学部付属病院は、入間憲兵隊の管轄である。

が故に、田所少佐の悪癖の噂は同期から聞こえてくるのである。

「じゃあ、今日のところは帰すか?」

「そうですね。

我々にもやることは、たくさんあります。

この変態に関わる時間がもったいない」

 

その頃、佐竹中尉一行は、正面玄関にたどり着いていた。

その病院の正面玄関には、対テロ作戦部隊の隊員が警備として立っていた。

対テロ作戦部隊も市ヶ谷駐屯地の警備に動員されるほどまでに、警備隊の人員に負傷者が続出していた。

「横須賀の特殊偵察中隊もいますね」

2個近衛連隊の全滅、市ヶ谷基地警備隊の壊滅、この2つの出来事は、国防省に大きな衝撃を受けた。

1つは予想されていたとは言え、2000人もいた兵士が、敵に一矢報いることなく消滅したと言うことに、驚きが隠せなかった。

正面戦力では勝っていたはずなのに負けた。

この結果を聞いた前田大将は、近衛旅団の解散命令書に即刻でサインをした。

いまの混乱に乗じて、陸軍内の膿を出しきるつもりだ。

「陸軍がより強くなれれば、皇国の守りは万全だ」

とは、前田大将の言葉だ。

警備隊の壊滅に関しては、韓国軍特殊部隊の隊員が関与していた疑いがある。

皇居攻撃と言う派手な花火を皮切りに、国防省の庁舎を攻撃した。

練度で言えば、警備隊でも歯が立たないと分かっていた。

「まあ、日本各地の部隊から、兵士を引き抜いて、再建はするんでしょうけど」

佐竹中尉はポツッと呟いた。

市ヶ谷基地施設は、日本皇国軍の指揮中枢だ。

さらには、陸海空軍の全ネットワークの中枢サーバーも設置されている。

その基地をいつまでも丸裸と言うわけにはいかない。

「まあ、そうでしょうな。

このままでは、私のような老骨にもお呼びがかかってしまう」

「いやはや、まだまだ現役でしょう。

その胸の徽章は、誤魔化せませんよ」

高野少尉の胸には、特殊作戦徽章が輝いていた。

なおかつ、同年代の幹部に多い肥満体ではなく、未だに鍛えているのだろう筋肉が制服の上からでも分かるくらいについていた。

「私はもうロートルですよ」

そういう高野少尉に、佐竹中尉は耳元でささやいた。

「いやいや、上海(レッドウォール)の生き残りではありませんか?」

「なぜ、その言葉を…」

言葉に詰まる高野少尉は、こちらを見つめていた。

「やはり、あなたの顔には見覚えがありました。

海軍特殊制圧部隊の第一小隊におられましたよね」

「となると、あなたもあの地獄に?」

「ええ、まあ」

「この話は、ここではできません。

車に乗ってしまいましょう」

 




1年以上、投稿の間隔を開けてしまいました。
なんとか生きてます。
          佐藤五十六

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