日本皇国海軍最大の後方支援拠点である呉鎮守府は、補給艦や病院船、工作艦等からなる後方支援艦隊の司令部も置かれている。
後背には本州の中国地方が、前方には四国地方が鎮座する地理的な構造上、呉鎮守府を攻撃するのは、非常に困難である。
その防衛も、呉に第四艦隊、さらには沿岸警備部隊が鎮守府艦隊のほかにも、東には大阪警備府そして阪神分駐所、由良分駐所が紀伊水道を封鎖し、南には鹿児島警備府や日向分駐所、土佐清水分駐所が日向灘を警戒している。
北は筑前警備府があり、その後ろを守る下関分駐所も存在する。
だから、呉の防衛に割ける戦力は、他の鎮守府の数倍にも達する。
だからこそ、海軍最大の工廠群を含み、日本皇国海軍の肝とも言われる地域となっているのである。
そんな海軍呉鎮守府の一角にある呉海軍工廠第6船渠に"ひなぎく"は入渠していた。
「"ひなぎく"のことをよろしくお願いします」
「了解しました。
きっちり点検しますので、安心してください」
そう言って、二人は握手をする。
その二人と言うのは、"ひなぎく"艦長の二階堂少佐と、海軍工廠の担当者である横山中佐である。
「事前の報告によると、艦尾の方に亀裂があるそうですが?」
「はい。
その辺は機関長である徳山少尉に確認してもらった方が早いでしょう」
「分かりました。
徳山少尉に確認します。
それと弾痕がかなりの箇所にあり、うち貫通が2ヶ所、貫通していないのが無数ということらしいですが?」
横山中佐は片目でジロリとこちらを見てくる。
「はい。
これは艦の乗員が確認しました」
「分かりました。
工廠長の藤堂中将付きの副官にこれを提出して、承認印をもらってきてください」
必要事項を記した用紙に、サインを入れ、横山中佐はこちらに手渡してくる。
「ありがとうございます。
ほとんどの乗員は残置しますので、こき使ってやってください」
「分かりました」
用紙を受け取り、工廠の事務棟へと向かう。
「久しぶりだな、紀一」
「何ですか?
私達は急いで、大阪に帰還しなければならないのですが」
佐竹中尉は、突然現れた男に言った。
その言い方は丁寧だが、口調に棘があった。
「グハッ」
山口艦長は血を吐いた。
「副長、実の息子が私に冷たい」
「気持ち悪いので、こっちに来ないでください」
山口艦長は、鈴木大尉に泣きついた。
しかし、鈴木大尉の口撃に3500のダメージをくらった。
そして、進路を変更する。
そう、立っていた二階堂少佐のところに。
「姉ちゃん、俺を慰めて」
携帯を取り出した佐竹中尉は、憲兵の指示をあおいでいた。
「あっ、呉憲兵隊ですか?
セクハラ未遂の現行犯がいます。
至急出動を願います
分かりました。
こちらで拘束して、引き渡せばいいんですね。
はい、はい、了解しました」
佐竹中尉は憲兵の指示通りに、山口艦長の両手を手錠で拘束して、鈴木大尉と一緒に取り押さえる。
鈴木大尉が拘束していてくれたおかげで、片手でも簡単に拘束できる。
「何をしてるんだ?
副長、俺を裏切るんだな?」
「セクハラを黙認することは、"みゆき"乗員としての恥です。
それがトップであるなんて、拘束に協力しないと、我々が白い目で見られるんです。
分かってますか?」
「セクハラじゃない。
慰めてもらうだけだ」
キリッとか言う擬音がしそうな表情で、山口艦長は言う。
しかし、二人から突っ込みが入る。
「「
さらに、鈴木大尉は続ける。
「セクハラかそうでないかは、した本人ではなく、された人もしくは憲兵といった第三者が判断します。
あなたが決めることではありません。
おとなしく、縛についてください。」
「憲兵隊だ。
セクハラ男はどこだ?」
「「憲兵さん、こいつです」」
二人は、腕の中に押さえていた山口艦長を突き出す。
憲兵は一瞥して、判決を申し付ける。
憲兵の権限などたかが知れている。
それでも、地方自治体の定めた条例と軽犯罪法の範囲の犯罪なら、その場で処分を申し付けることが認められている。
その程度まで軍法会議にかけていたら、人員が足りないからである。
「ふむ、罰金40万、減俸30%を2ヶ月でいこう。
では憲兵隊呉支部までいこうか?」
軍憲兵隊は、陸海空軍共同で設置・運用されており、市ヶ谷に本部を置き、陸軍だと旅団司令部等の大規模な駐屯地に、海軍は横須賀・呉・佐世保・舞鶴・大湊の五大鎮守府に、空軍は各飛行隊の所在する基地に、支部が置かれている。
「抵抗すれば、営倉にぶちこむぞ」
おとなしくなった山口艦長は、憲兵に引き摺られて進んでいく。
「きびきび歩け」
憲兵さんの怒号が響く。
その間にも、その姿は小さくなっていく。
「うちの上司がすみませんでした。
それでは、失礼します」
その姿が見えなくなると、鈴木大尉は佐竹中尉らに謝罪をして、それを追っていった。
「それで、山口羅門中佐とはどんな関係なんだ?
彼は、良くも悪くも結構有名なんだぞ?」
「そうですね。
艦長には話しておきます」
そう前置きして、佐竹中尉は話し始めた。
「うちの母は田中海軍予備役大将の娘で、自身も海軍軍人でした。
それで、お見合いであの男と会って、結婚して、2年。
私も生まれて、それなりに幸せに暮らしていました。
あの男がしょうもないことを言うまでは……」
「しょうもないこと?」
「ええ、何でも寄港先全てに女がいるとか言ったそうですよ。
これに激怒したのが、祖父の当時は田中中将とその兄の近衛中将らしくて、まあ、彼らを怒らせる=海軍閥を敵にまわすですからね。
母は今、佐竹海軍予備役大将と再婚して仲睦まじく、定食屋をやってますよ。
まさしく、口は災いの元。
自らの言動には気を付けないといけませんよね。
それに彼は、連れ子である私に愛情を向けてくれました。
私の父親は、佐竹海軍予備役大将だけです」
「つまり、山口中佐は言っていた通り、一応は実の父親と」
「そうですね」
「しかも、近衛中将は霊能力でもお持ちなのでしょうか?」
「母から聞いた話ですけど、田中の一族の先祖は陰陽師だったらしくて、その先祖還りらしいんですね。
近衛の家に養子として入っても、その力は増していくばかり。
今では、2日に1回、心霊現象が"みゆき"艦長を襲うそうです。
これも、数年ぐらいで許すつもりだったらしいんですけど、ちびちび接触してきて、父親面するのでずるずると延びてるんですね。
自業自得というやつですか」
「なんというか、しょうもない」
二階堂少佐も、呆れてものも言えないようだ。
「海軍閥自体が基本的に人畜無害、有名無実、あってなきが如しなんですけど、構成員の親族が何かされると、全力で叩き潰すんですね。
海軍系の政治家やら、財界人なんかにも顔が利きますからね。
民間人相手にも、一歩も引かずに勝ちます。
だからこそ、いろんな筋から恐れられてるんですね。
十数年前には、やくざと海軍で抗争してましたし。
その時の死傷者数は、両陣営あわせて数百人に達するとか」
佐竹中尉は他人事のように話す。
実際に関わっていないのだから、他人事でしかない。
「その原因は?」
二階堂少佐は聞くが、声が震えている。
「やくざの息子が、とある海軍高官の娘に手を出そうとして、ストーカーになったんですね。
それに反応したのが、上層部会と呼ばれる海軍閥総会の保守派以下全員で、即日の海軍の動員を決定。
特殊部隊、100人、陸戦大隊2個、800人、各地から1000人単位で兵士を動員して、根絶やしにしましたよ。
その組織の上部組織から、下部組織まで全てね。
それが、第五次横浜抗争の結末です。
それからですよ。
横浜にやくざが寄り付かなくなったのは」
佐竹中尉は、遠くをみながら言う。
呉駅から広島駅に向かう道中である。
広島駅からは新幹線に乗って、一路新大阪駅に向かうのだ。
「それに伴って発生したのが、海軍報道弾圧事件です。
過熱しすぎた報道の矛先が、その娘さんに向かってしまったことで、憲兵隊と報道陣が小競り合いになって、憲兵と海軍兵が発砲し、報道陣に死傷者が続出した事件です。
死傷者の大半が無許可で海軍施設敷地内にいたこともあって、発砲した全員が無罪になりました。
新聞やテレビなんかは、報道の自由への挑戦だなんて、息巻いたんですけど、裁判官の言葉が決着をつけたんですよね。
報道の自由は確かに守られるべきだが、だからと言って無責任なマスコミによって、被害者のプライバシーが侵害されることがあってはならない。
また、報道の自由は違憲と認められていない国法に背くことを認めていない。
でした。
大騒ぎだった報道や国民世論は、一転して冷静になったんですよね」
広島駅を15時13分に発車した"のぞみ"36号は少ない停車駅を過ぎて、16時34分に新大阪駅に着いた。
「定期点検が1週間後に終了する。
それまでにやらねばならないことがたくさんある。
覚悟しておけよ」