難民たちの幕舎には、かがり火が炊かれているのが見える。その周囲に柵や堀は築かれていなかった。ティグルは疲れ切った難民たちを説得するのに有効と思われる言葉はなんら浮かばなかった。
理屈としては、ムオジネル軍が攻撃してくる場合、難民を補足してからになる、理由は、人質としてティグルたちブリューヌ軍を脅迫できるからで、今後のことを考えればムオジネル軍は、ブリューヌでない相手とは戦いを避けたいはず、従って奴隷を確保するまでは、丘には攻撃してこない、ということであるがそれを理解してもらえるか、理解してもらえたとして、協力してもらえるのかはなはだ不安な気持ちのまま難民たちの幕舎を訪れた。
「伯爵様。」
ティグルに気がついた難民の少女が駆け寄ってくる。ティグルは赤い髪をかきながら少女にうなづき返す。そして
「二百人組の代表者を呼んでもらえないか。」
ティグルは少女にそう伝え、少女は微笑を浮かべてかるくうなづくと二百人組の代表者を呼びにいく。
ティグルは二千人の難民を十人づつの班とし、それを十班連ねて百人の組とし、さらにその百人組二つ分を二百人組として十人の代表者を選んだのだ。
ティグルは、ひとつの幕舎に二百人組の代表者を集めた。そこで作戦の大枠の説明を始める。
「これからムオジネル軍と俺たちは戦う。しかし、俺たちだけでは六千人ほどしかいないからとても四万の軍勢と戦うのは難しい。敵は掠奪したり、奴隷を捕まえるのが目的だからこの丘にいる限り安全だ。指示があるまで待っていてほしい。」
「なんで戦なんかしなければいけないんだ。俺たちは、普通に暮らしていたいだけなんだ。急に戦えって言われたって…。」
「そもそも、俺たちを丘の上に置き去りにして逃げようっていうんじゃないのか。」
「こっちは、家もないし財産もない。何日もまともな食事すらできなくて寒さに震えているんだ。それなのにこれ以上何をしろって言うんだ。」
ティグルは、(そんなこと言っているとまた捕まって奴隷にされるぞ、それでもいいのか)という言葉がのどまででかかる。助けてもらっておきながらなんて勝手な言い分なのか苛立ちを覚えたがぐっとこらえた。
彼らがひととおり不安や懸念を吐き出して静かになるのを待って、ティグルはようやく話をはじめる。
「お前たちの心配はわかる。だが、どうか聞き入れてほしい。より多くの者が助かるためには、これはどうしても必要なことなんだ。」
「それなら、あなたが丘の上に来てくれ。俺たちと一緒に行動してくれるなら信じようじゃないか。」
「それはできない。四万もの敵と戦うには、兵士は一人でも惜しいんだ。」
「それなら、別の案を考えていただけないでしょうか。敵と話し合うとか。私たちでは無理でしょうが、お強い伯爵様なら敵も話合いに応じるのではないでしょうか。」
「残念ながらそういう相手じゃないんだ。彼らは占領できなければ掠奪するだけのことだ。」
「国王陛下や騎士団やほかの貴族の方々は何をなさっているんですか。伯爵様の力で何とか頼んでもらえないのですか。」
ティグルはいいかげん自分の都合しかいわない難民たちにうんざりしていた。
しかしどう説得するのかうまい言葉がみつかなない。やはり脅すしかないのだろうか…と
思ったとき、太く、威圧感のある声で意見が出された。
「…俺は、伯爵様に従う…。」
ティグルはその男の顔に見覚えがあった。
助けたときに「どうして...もっと早く来てくれなかった?」とティグルたちをなじった男だった。男は続ける。
「あんたが俺たちを助けてここまでつれてきてくれたのは事実だ。それに俺たちは、俺たちの家族を殺し、家を叩き壊したあの連中に一度もやり返してねえ。」
男はいったんそこで言葉を区切り、ほかの代表たちを見回す。
「俺たちはまともには戦えねえ。正面切ってやりあっても、こないだみたいに首を刎ねられるのがおちだ。けどよう、伯爵様の指示に従えば、助かる上にやつらに一泡ふかせられるんだろう。」
搾り出すように発言する男の声からは怒り、緊張、恐怖が入り混じって震えているが感じられた。ティグルは男の発言に対し、ぐっと力強くうなづいて
「全力を尽くして必ず守ってみせる。」と答えた。
一方ムオジネル軍では...
(ジスタートでも、ブリューヌでもよいがどう出てくるか...)
アニエスの荒涼とした岩場が終わり、穏やかな起伏のある平原に出る。オルメア平原であった。冬であるために一面こげ茶色の土色が広がっている。
空は灰色で雪がまたちらついてきた。
「クレイシュ様、ジスタート軍に派遣した使者がもどってまいりました。」
「よし。通せ。」
「ジスタート軍の総指揮官であるリュドミラ=ルリエ殿からお言葉をいただいてまいりました。口頭にてお伝えせよ、とのことで、これより復唱いたします。」
「うむ。」
クレイシュはうなづき、続きを促した。
「我々オルミュッツ軍が故国を離れこの地にいるのは、ブリューヌ王国の要人に救援を求められてのこと。」
「ふむ。」
「無法に他国の地を侵している貴君の軍とは違う。」
「ふんふん。」
「もしお疑いとあらば、ブリューヌ貴族ティグルヴォルムド=ヴォルンに聞いてみればよい。」
「ほほう。」
「貴君と積極的に争う気はないが、我々の行動を妨害するのであれば致し方なし。願わくば参られた道を通り、無事に帰国されんことを...以上でございます。」
使者は、言い終わると小さく息をして、一礼する。
「つまり...痛い目をみたくなければ...さっさと来た道を帰れ、ということか。」
クレイシュはふふん、と鼻で笑うと、使者に、
「復唱もご苦労だった。所属の幕舎に戻って休むがよい。」
と告げて下がらせた。
(戦姫は、無法に他国を侵すと弾劾するが、その点については全くもってそのとおりで、申し開きしようがないが、ブリューヌ人ならともかくジスタート人に言われる筋合いではないな。)
クレイシュは側近たちに向かって
「こちらは四万の軍勢だ。ブリューヌ南部を削り取るためにはるばる遠征してきた。戦姫に脅されたなどと言う情けない理由で逃げ帰るわけにもいかぬ。リュドミラ=ルリエについては知っている。いいだろう。どちらが痛い目を見るか試そうぞ。今度こそ生意気な小娘にきつい仕置きをしてやることにするか。」
と言って笑う。偵察隊が戻ってきたため、クレイシュの前に通される。
「我々の現在位置から西へ直進いたしますと小高い丘が二つあります。そのうち敵は手前の丘のほうに布陣しているようです。ブリューヌとジスタート双方の軍旗を確認いたしました。」
「北西に二千人ほどの集団が移動しているのを確認いたしました。身なりから先遣隊が捕らえていた奴隷どもと思われます。」
クレイシュと側近たちは、偵察兵の報告を聞きながら地図に敵の布陣を記載する。
「どう思うお前たち。」
クレイシュは側近たちに意見を求める。
「足手まといになる奴隷どもを逃がしつつ、丘の上に居座って我が軍を牽制するというわけか。」
「我々が奴隷を追ったらやつらは丘を下って退路を絶ちにくる、といったところですな。」
「この状況では、ほかに手もないだろうからな。偵察部隊によればやつらの数は五千から多くて六千弱。一日ではたいした仕掛けもできないだろう。」
「うむ。わかった。第一軍から第四軍で手前の丘を包囲。第五軍から第七軍で奴隷どもを追って捕らえる。」
「リュドミラ=ルリエは、守りの戦に長けると聞く。いままでオルミュッツを攻めた将たちは、しかける隙も付け込む隙もないと評していたからな。積極的に丘を攻める必要はない。三軍あれば十分だ。封じ込めてやれ。」
第一軍から第四軍は、敵がいると思われる丘に進む。五千五百づつの部隊は近づきすぎず、離れすぎず、見事な連携をし、隙をみせない。
「例の手前の丘の様子はどうだ」
「確認できた軍旗は四つです。紅馬旗と黒竜旗、あと槍を十字に交差させた白い三角形の旗。これはオルミュッツのリュドミラ=ルリエの軍旗です。あとひとつの旗はテイグなんとかという長たらしい名前の貴族の旗でしょう。」
「丘のいたるところに柵や濠が築かれています。槍がきらめき、馬のいななきが聞こえます。近づきすぎた部隊は矢や投石を浴びせられました。」
「その部隊の者たちに怪我は?」
「いえ、ありません。幸いほとんど命中しなかったので。」
(牽制ということか。)
「ご苦労だった。」
「はつ。」
クレイシュは別の偵察兵に向き直って問う。
「もうひとつの奥にある丘のほうはどうだ?」
「そちらは雪をかぶって真っ白なものです。敵の姿と思われるものはみあたりませんでした。」
(ふむ。その丘に伏兵を潜ませている可能性もすてきれんな。そうなるとますます手前の丘に攻め入らせるわけにはいかぬ。)
「そうか。では、手前の丘を包囲する軍に改めて通達せよ。包囲だけにとどめて決して中に攻め込んではならぬ、第一軍と第四軍は、敵の奇襲を警戒せよと。」
昼ごろになった。ムオジネル軍の第五軍から第七軍は、およそ一ベルスタほどであろうか、「奴隷」たちの姿を肉眼でも見える位置にとらえる。
「例の丘に何か動きはあるか。」
「ありません。」
「よし。第五軍から第七軍は速度をあげよ。一気に奴隷どもを捕らえる。」
「名をはせる戦姫もさすがにこれだけの数には対応できなかったと見えるな。ああして丘に立つことでブリューヌに義理を果たしているということか。戦などしょせん政事だからな...。」
そこへ新たな報告が入る。
「閣下、敵が出現しました。その数およそ三千。」
「もっとも近い軍に迎え撃つように伝えよ。それから...どこから来た?」
「進軍方向からみて右側からと思われます。」
「第五軍の横腹を突かれました。先頭に立つ赤い髪の男が弓を射掛けてきます。」
「赤い髪の男と並んで戦姫と思われる青い髪の少女が槍をふるい、全く我々の矢は敵にとどきません。」
「第五軍は、斜め前方の死角から敵の攻撃をうけ大混乱です。我々の矢は敵に全く届かず、敵の矢だけが命中し、戦死者が続出しています。」
(そうか...兵たちは、敵のいる丘に気をとられすぎたな。もっとも奥の丘に手出しをすれば、手前の丘からの敵の攻撃をうけ丘と丘の隘路で叩かれるからな。だからこちらの心理をそこまで読んで奥の丘の陰に身をひそめていたというわけか。守りの戦いに長けるといわれたリュドミラ=ルリエ、その勇名にひっかけられたな。奴隷たちにぎりぎりの近距離まで近づくのを許して絶妙なタイミングで来たか。
....まあよい。こちらは一万六千以上、攻めてきたときの対応策もある。たかが三千程度でどうにかなるものではない。)
クレイシュがそんなことを考えていると次の報告がもたらされる。
「に、逃げていた「奴隷」どもが...こちらに向き直って襲いかかってまいりました。」
「なんだと...。」
側近たちがざわざわとざわめき、顔を見合わせ、ときおりクレイシュに目をやる者もいる。
クレイシュは赤ひげをいじりながら、平然と頭上にはためく戦神ワルフラーンが描かれた軍旗を目をぎょろつかせ、見上げてほくそえむ。
「ふむ。おもしろくなってきたな。さて戦神は、性悪な馬と竜を狩れるのだろうか。それとも馬蹄とかぎ爪に蹂躙されるか。そう簡単にはいかぬぞw。」
「今だ「今よ、突撃!」」
銀の流星軍とオルミュッツ軍は、第五軍が進軍速度を上げ始めた絶妙なタイミングで横撃を加える。
丘の影から雪を蹴立てて襲い掛かってくる敵に気づき、
「右方向から敵です。」
「長槍をかまえよ。矢を放て!」
さすがは名将クレイシュの配下だった。動揺を最低限にとどめ長槍が針ふすまのように整然と突き出され、その背後から矢がいっせいに放たれる。
「やぁつ。」
リュドミラが矢の雨にむかって凍漣を振るうと、冷風が湧き起こって矢の雨を包み込んだ。次の瞬間、矢は、凍って灰の燃えかすのように粉々に砕け散って吹き飛んでしまう。
「ひえええ。」
「な、なんだ...あれは...。」
ムオジネル兵から悲鳴があがる。
「それ、竜具の力か?」
リュドミラは軽くうなずき、にこりと笑顔をテイグルに向ける。
「大きな声ではいわないでね。」
テイグルはうなずいて、黒弓に数本の矢をつがえて、力強く引き絞って、長槍と盾を構えるムオジネル兵に向かって放つ。
矢は、あやまたずムオジネル兵の武装のうすい腕や頭に命中し、つぎつぎに倒れる。整然とならんでいた長槍の針ふすまにほころびが目立ち始める。
「やるじゃない。」
リュドミラは短い賞賛と笑顔をテイグルに向けると、
「はぁつ。」
と馬に鞭をくれてムオジネルの戦列のほころびに向かって突進する。
振り回された凍漣は、ムオジネル兵の急所をつき、彼らの肉体は突き刺され、切り裂かれる。ムオジネル兵は「ぎゃつ」「ぐつ」と一瞬悲鳴をあげ、鮮血をほとばしらせた次の瞬間には、ものを言わぬ骸となって折り重なる。ムオジネル兵の剣も槍も弓も同じだった。剣や槍は金属音をたて、弓は小枝が折れるような音や弦の切れる音をたて、すべて凍漣に打ち砕かれる。その残がいや破片が死体の上に落ち、転がる。あるいは、地面に突き刺さった。
槍兵たちは集団でおそいかかり、いっせいに槍をリュドミラにつきだすが青い髪の戦姫はその半数を凍漣を用いて何食わぬ顔で打ち払い、もう半数を馬上でしなやかに姿勢をかえて回避する。そして閃光のように繰り出される槍さばきにまたたくまにムオジネル兵たちは貫かれ、切り裂かれ、骸に変わる。
どよめきと怒号がムオジネル兵をつつむ。しかし、たかが十代の小娘に打つ手がなく、それに続く『銀の流星軍』とオルミュッツ軍に隊列が押し捲られていく。しかも赤い髪の青年の放つ矢が部隊長を的確に射抜き、第五軍の指揮系統も崩壊しはじめる。
「あなた、怖くないの?」
槍を振るう手は休めずにティグルに話しかける。
「そう思うなら守ってくれ。」
ティグルはやや乱暴な口調で答える。目の前の敵に集中しなければならないので一言でもしゃべるのが惜しい気分だった。そうやって射っていくうちに矢筒の矢が減っていくのをみて、ジェラールが後ろからティグルの空になった矢筒を外し、新たな矢筒を胴に結びつけた。
ムオジネルの第五軍への攻撃に成功した『銀の流星軍』及びオルミュッツ連合軍。果たしてこのまま押しまくれるのか...