ティグルはルーリックを呼んで黒弓をもってこさせた。
幕舎にもどり、リュドミラに黒弓をみせた。
「ふうん。洗練さという言葉の対極にあるような弓ね。」
リュドミラは弓をもって眺めながらつぶやく。
「一応、俺の家の家宝なんだ。慎んでくれとまではいわないが、もう少し言葉を選んでくれ。」
リュドミラはしばらく黒弓をもちかえたり、自分の竜具であるラヴィアスに近づけてみたりしてから
「....どことなく不気味な感じはしないでもないけど...何の変哲もない弓に見えるわね...。」
「俺も、そう思ってたよ。」
エレンに対する後ろめたさとそれの何倍にもなる申し訳なさがティグルを苛む。
リュドミラはティグルの表情をみて、くすりと笑みを浮かべ、もし、エレンに見捨てられたら自分が生活させてやってもよい、そうはならないだろうけど、と慰めるかのように言ったが話を弓にもどす。
「あなたの言うことが本当だとして、これはもうひとり戦姫がいるようなものよ。ほかの六人に対し、圧倒的に優位にたてる。手離すくらいなら、他の戦姫が確保する前に始末するわね、私なら。」
リュドミラは恐ろしいことをさらりと言ってのける。
ティグルは再び協力してもらえないかと要請するが、リュドミラは、エレンから離れて自分につけば協力するとかわす。それならばとティグルは
「俺がエレンに対して負っている借金もすべて背負うのか?」
と挑発的に言ってみた。リュドミラは歯牙にもかけずに笑って
「その程度で引き取れるならいいわよ。その代わり、私に忠誠を尽くしなさい。」
と再び切り返す。青い髪の少女は出来の悪い弟をかまう姉のような顔になってあきれ交じりの笑顔で諭すように
「百人の兵を指揮する場合と、一万の兵を指揮する場合の感覚は別のものよ。大軍を動かす場合は相応の感性が要求される。その弓の力についても同じこと。そのあなたの大事な家宝を使い続けるなら、その価値について一度しっかり考えなさい。」
とティグルに告げた。赤い髪の青年は家宝である黒弓を改めて見つめる。
(戦姫がもう一人いるようなものか...。それをわかっていないということか...)
「すまなかった。申し訳ないけどさっきの言葉は取り消させてくれ。」
「よろしい。」
満足げにうなずき、リュドミラは静かに椅子から立ち上がる。
「今回の件は、給金に経費、それからあなたへの貸しひとつということにしてあげるわ。あなたが死んだら不履行とみなして帰る。せいぜい死なないようにがんばりなさい。」
「あらためて...よろしく頼む。」
ティグルも立ち上がり、リュドミラに手を差し出した。少しの時間二人は固く握手をかわし、今後について実戦的な話を始めた。
軍議を終え、幕舎を出ると日が沈もうとしており、暗くなっていて、あちらこちらにある幕舎の前には篝火が灯されている。
『銀の流星軍』の指揮官用幕舎へもどると、ジェラールが駆け寄ってくる。
「どうでした?」
「なんとか協力をとりつけることができた。」
それを聞いてジェラールは安堵のため息をついた。
「しかし、あなたはいったい何者なんですか?」
「?どういう意味だ?」
ティグルはわけがわからず問い返す。
「エレオノーラ=ヴィルターリアといい、あの青い髪の戦姫といい、どうしてあなたは彼女たちの協力を得ることができるんですか?」
「人徳だな。」
自分でも信じていないことをティグルはぬけぬけと吐き出すように言って、両手をひろげ肩をすくめてみせる。それを聞いたジェラールもつまらない冗談を聞かされたという呆れ顔になり、あやかりたいものです、皮肉っぽく返した。
さて、一晩空けて、『銀の流星軍』の指揮官用幕舎である。数枚の地図を広げ、ティグルとリュドミラ、ルーリックが座っている。
リュドミラが『銀の流星軍』の幕舎を訪れたのは、ティグルの部下たちを安心させる意味合いだった。ライトメリッツ兵はオルミュッツの主に対してあまり良い感情をいだいていないし、ブリューヌ兵は突然現れた相手に対しとまどわざるを得なかったからだ。
「一戦よ。」
人差し指をたてながら、険しい表情でリュドミラは話し始める。
「一戦でムオジネル軍を打ち破る作戦。よく聞きなさい。」
「できるのですか?」
「できるかどうかじゃないわ。やるしかないのよ。」
(エレンに似てるな....。)
礼儀だのなんだのうるさいタイプのリュドミラと傭兵上がりであまりそういったことにはこだわらず竹を割ったような性格のエレンは決してソリが合うとは思えないが、もちまえの大胆なまでの決断力とゆるぎない態度は、瓜二つのように似ているとティグルは感じた。
エレンとリムのことが思い出される。エレンは親友を助けるんだと言っていたがうまくいったのだろうか...続いてテイッタ、バートラン、マスハスの顔が脳裏によぎる。
そんなことが脳裏に浮かんでいたが、
「減点」
というリュドミラの言葉とラヴィアスからだろうか、冷気が顔に当たってでティグルは我に返る。
リュドミラは憮然とした表情になってくすんだ赤い髪の青年をにらんでしまう。
「疲れているのはわかるけど、重要な軍議の最中に上の空ってどういうことかしら。何を考えていたの?」
彼女の決断力をほめるにしても、ひきあいにエレンの話が出るようでは怒らせてしまう。
「すまない。申し訳ない。意識が飛んでいたようだ。ほんとに申し訳ない。」
ティグルはひたすら平身低頭して許しを請う。
ルーリックは、(まずいですよ)といわんばかりの渋面をつくって眺める。
「ふう。」(しかたないわね。)
リュドミラは聞こえよがしのため息をついた。
「話を戻しましょうか。...あなたたちの兵、あと一戦くらいしかもたないでしょ。」
ティグルは苦い顔にならざるをえない。リュドミラは厳しい表情になる。
「責めているわけじゃないわ。二千足らずで二万の兵を撃退するなんてこと自体がそもそも無謀なのよ。一日休んだ程度...それも緊張が抜け切れない戦場の休息ではね...。」
「しかし、一戦でというからには何か策があるのか?」
「基本的には、あなたが二万の兵にやったことと同じよ。」
「兵を無視して将を狙い撃つ。わかってるとはおもうけど圧倒的多数の敵に対してできることって、食糧か総指揮官のどちらかを狙うしかないもの。」
「食糧を狙わないのはなぜでしょうか。」
腕組みしながらルーリックがたずねる。
(あ~どうやら事態の深刻さが飲み込めてないわね。)
青い髪の小柄な戦姫はかわいらしく鼻をならすが、その顔は深刻さとそんなこともわからないのか、というあきれがまじった表情になる。
「その場合は徹底する必要があるからよ。ます敵を奥深くまで誘い込む。それから敵の進路にある町や村を焼き払って夜風をしのぐ環境すら与えない。ここまでしないと効果がないけど、相手は愚物どころじゃないから、そんなことをする前に手を打たれてやられる。」
「相手について知っているのか?」
(もうあきれた。どうなっているのよ。敵についての情報がなくてどうやって戦うのよ。このトーヘンボクが。)
リュドミラは忌々しげに顔をしかめて答える。
「クレイシュ=シャーヒーン=バラミール。『赤ひげ』の異名をもつムオジネル王カワードの弟よ。」
ティグルとルーリックはリュドミラが何を言いたいのか理解できず顔を見合わせる。
「...有名なのか。」
「この言い方をされるということは、おそらく。」
(もう。困った人たちね。)
「知らないのはあなた方が無知だからよ。」
青い髪の小柄な戦姫は怒気と冷気をはらんだ視線でティグルたちをにらんでしまう。
ティグルは、頭をかいて弁明する。
「アルサスはそういう話とは無縁のところなんだ。申し訳ないが教えてくれないか。」
「まったく...エレオノーラはあなたに何を教えていたのかのかしらね。」
リュドミラは半ば本気で怒っていた。
(これじゃ戦いようがないじゃない。エレオノーラ。あんたほんとに戦姫失格よ。)
憮然とした表情で青い髪の戦姫は不満をこぼすが、説明を続ける。
「十年ほど前だったかしら、ザクスタンが一千隻もの船団を率いてムオジネルに攻め込んだことがあったの。それをたった二百隻で迎え撃ったのがクレイシュよ。」
「話の流れからすると、クレイシュが勝ったのか。」
「圧勝よ。最初、相手が少数だからとなめてかかっているところを夜襲して400隻弱をいっきに砲撃と火計で焼き払い、敵が密集している愚をさとって船団を展開させたら、小島の多い海域に誘い込んで罠にはめて痛みつけて、補給を断ち、最終決戦をあせる敵を岩礁のある海域にさそいこんで袋だたき。ザクスタンは200隻残っていなかったといわれている。事前に十分な偵察を行い、地形や風向き、敵の情報を知り尽くした精緻な作戦だった。最終決戦の行われた地名からバラヴェザ海戦として知られているわ。その強さにおそれおののいたザクスタン軍は彼のことを畏敬をこめて赤ひげ、ザクスタン語で「バルバロッサ」と呼んだの。それがムオジネル語で少し訛ってバルバロスと呼ばれているムオジネルの名将よ。」
ティグルとルーリックは事態の深刻さが理解でき、げんなりとした顔になってお互い顔を見合わせる。五倍もの艦隊を破るなんて尋常どころでない強敵だ。
「まず、アニエスで戦うのは無理ね。後退するしかない。」
地図を一枚取り上げて、リュドミラは、ティグルとルーリックに見せる。
アニエスをブリューヌ本土方向に抜けた先にあるオルメア平原の地図だった。
一本の街道が、一面に広がる起伏の緩やかな草原の中を西へ向かって走っている。街道は途中で北西方向に大きく曲がりそのそばに二つの小高い丘が描かれていた。
「断崖だらけのアニエスよりよほど大軍に有利そうな戦場ではないですか。」
ルーリックの声にとげが混じってしまう。ティグルはなだめるように彼の肩をたたいて、青い髪の戦姫に質問する。
「わざわざここを選ぶのは理由があるんだろう。」
当然だ、という表情で青い髪の戦姫はうなずく。
「説明してあげてもいいけど...その前に今回の四万の敵と、あなたたちが戦った二万の敵との違いについて説明してみなさい。」
「まず、数が違うな。だから隊列の厚みが違う。」
「先遣隊と本隊という違いもありますな。先遣隊が得た情報はほぼすべて本隊に伝えられていると考えていいでしょう。」
「とりあえずその二点でいいわ。それだけで十分だから。」
「敵は地形もこちらのおおよその数も把握している。そのうえで警戒している。だから小細工にはひっかからないし、奇襲をかけても敵将の首にはとどかない。」
「それを、オルメア平原ならなんとかできると?」
「ひとつだけ考えがあるわ。だけどわたしたちだけじゃ数が足りない。二千人ほど難民がいるでしょう。彼らにも手伝わせなさい。」
「彼らに何をやらせる気だ?」
「おとりよ。」
「今回、ムオジネル軍が大規模に兵を興したのは、ブリューヌの混乱に付け込んで南部を占領するため。使者が来てそう言っていたけどムオジネルの基本的な目的は略奪。だから最悪の場合でも奴隷だけでもつれて帰ろうとする。」
リュドミラは地図を指でなぞりながら作戦の説明を始める。
「そういうことだから、ムオジネルが攻撃してくる場合は、難民を捕捉してからよ。そうすれば人質としてこちらを脅迫できるから。それに彼らは今後のことを考えればブリューヌでない相手とは戦いを避けたいはず。従って奴隷を確保するまでは、丘には攻撃してこない。それからあなたもタトラ山で戦ったからよくわかったと思うけど、敵はわたしが守りに長けるということで今回も守りに徹すると考えるでしょ。実際何度もムオジネル軍を撃退しているから。その威名を最大限に利用する。そこで、まず北西の方向に「難民」をすすませる。だけど実はこれは難民じゃない。いちいち男女別だの顔つきなど覚えていないし、遠くから追いかけるのだから、あなたがたとわたしたちオルミュッツ兵の一部を二千人ほど変装させて敵に追わせる。手前の丘には、黒竜旗とオルミュッツの軍旗、紅馬旗とアルサスの軍旗を立てて、槍と馬を何頭か置いて本物の難民たちに守らせる。敵が来たら投石や矢を射かけさせる。」
「君は敵はかなりの名将で、偵察隊を放ち、情報を重視して確実な作戦を練ってくると言ってたよな。そんな相手にばれないですむのか?」
「城砦がどのくらい堅固かどうかじっくり調べるなんて普通はできないわ。だから偵察兵には要所要所をすばやく観察して把握する能力が求められんだけど....。逆に言えば目に付きそうな箇所がしっかり備えられているように見せれば一日や二日くらいならごまかせる。オルミュッツの工兵はそういうのが得意なのw。それにその程度ならたいした手間をかけずにすむわ。」
「なるほど...そういうものか。」
リュドミラは微笑んで続ける。
「ここまではいいかしら。」
ティグルとルールックはうなづき、続けるようにうながす。
「敵が「難民」に扮した部隊に近づくまで、そうね一ベルスタくらいかしら、そこまで待てばさすがに相手もこちらが守りに徹して出てこないと思い込む。そこでわたしたちは、奥にある丘に潜ませた三千の兵で敵の先頭の軍を横撃し、「難民」に化けた部隊と同時に狙う。これで敵の先頭部隊は壊滅させられる。それからわたしたちはクレイシュのいる本隊をすかさず攻撃、二番目に進んでいる部隊が反転してくるところを、一戦しかもたないと私が指摘した一千の部隊、それを別働隊として使って横撃させる。クレイシュの本隊がいかに分厚かろうと、本人を発見できればあなたの弓の腕で射殺せる可能性がある。」
「なるほど....。」
「たしかにこれであれば勝機がありますな...。」
「しかし....かなり危険な策だな。」
「怖気ずいた?」
青い髪の戦姫の口調は挑戦的な色を帯びる。ティグルは、首を横に振り、気になっていることを青い髪の戦姫にたずねる。
「君はどうしてそこまで考えてくれるんだ?」
「あなたが、そう思うほどの貸しができるからよ。」
テイグルは少し考え込んで家宝である漆黒の弓をみつめる。この弓の力で貸しを返せるのだろうか...いや自分自身の力でなんとかすべきだろうな...。
そんなことを考えていると青い髪の小柄な戦姫は
「あなたなりのやり方でわたしを満足させてちょうだい。期待しているわ。」
と言って美しいいたずら好きの妖精のように笑う。
ティグルは思わずリュドミラを見つめ、なんとなく元気がわいてくる気持ちになった。
「ありがとう。」といい、笑みをうかべてうなずく。
軍議を終え、リュドミラを見送ると、ティグルは難民たちのところへ行こうと考える。
「わたしもいっしょに参りましょうか。このようなことを申し上げるのは心苦しい限りですが彼らが暴発しないとも限りません。」
「ありがとう。だけど俺一人でいい。」
ティグルは黒弓を手にとって難民たちのところへ向かった。
一戦で、ムオジネルの大軍を破る作戦。そのためには難民たちの協力が必要。ティグルは難民たちをおどさないよう、またほかの者に責任を負わせないよう一人だけで説得に向かう。
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