「王よ。それは考え直されたほうがよろしい。これからの海戦は砲戦の時代になりますぞ。」
ムオジネルの王宮ではブリューヌ攻めについての軍議が行われていた。
ブリューヌはディナントの敗北で王子が死に混乱しつつあることはムオジネルにも伝わっていた。今こそ本格的なブリューヌ攻めのチャンスであると国王カワード1世が軍議を召集したのだ。今は王の提案に赤ひげの王弟が反論しているところだった。
「クレイシュよ。ザクスタンが千隻率いてきたときは苦慮していたではないか。
そんなことが起こらないように用意しておくのだ。」
「いや。王よ。わしは、あのバラヴェザ海戦は、砲戦の効果を試す絶好の機会と感じたのです。そしてそのとおりになりました。わがムオジネルの兵は精強をもって鳴りますが、白兵突撃する前に砲戦で船を沈められてしまったら何にもなりませんぞ。お考え直しください。」
「いうな。もう決めたことなのだ。わがムオジネルの精強さを海戦でもみせつけてやるのだ。」
クレイシュはため息をついた。
「陛下、アニエスに進む陸路のほうですが...。」
若い精悍な男が発言する。奴隷から成り上がった新進気鋭といってもよい将軍のカシムだ。
「いまブリューヌはデイナント平原で敗北し、王子は死亡で内乱状態です。テナルデイエ、ガヌロンは新しい王を傀儡にたてようとにらみを利かせ、そして元アルサス領主とジスタートのわずかながらの兵力が争っています。それからザクスタンが西方の国境にたえず侵入し、ブリューヌ最強と呼ばれるナヴァール騎士団は西方国境から離れられません。
二万の兵があれば四分五裂になってどうにもならないでしょう。」
クレイシュは、やれやれと感じた。
「たしかにいまブリューヌは内乱の状態にある。しかし、南の良港を失う愚を知れば、対策をとるだろう。」
「クレイシュ様、そんな心配はないと思いますが。先だってブリューヌは、デイナント平原の戦いで二万五千を率いながらジスタート軍わずか五千に惨敗を喫しました。それは、結局のところ貴族どもの内輪もめでしかもレグナス王子を失っての惨敗です。今度も緊張感の欠いた戦いになるでしょう。」
「カシムよ。ジスタートの再度の介入をふせごうとして、テナルデイエは、バカ息子に竜二頭と三千の兵を率いてアルサスに侵入させたそうだ。アルサスは百前後の兵士しか集められない田舎だ。しかもそこの領主はジスタートの戦姫の捕虜になっていた、それがどうなったと思う?」
「!!」
「捕虜になった元アルサスの領主は、一千の兵をジスタートの戦姫から借りて三倍の敵と竜二頭をほふったということだ。」
「....。」
「ディナントのときは、きっかけは治水に関しての村どうしの水争いだったが、それに乗じてジスタートがヴォージュ山脈の街道を得て交易路をつくりたいという狙いはあった。一方、ブリューヌとしては、表向きは王子の花道のための勝利をもたらそうと大軍をととのえたというわけだが、テナルディエとガヌロンにとっては、直系の王子はじゃまだった。手柄を立てさせるどころか混乱の中で戦死したということにすれば、自分たちの息のかかった者を王につけることができるからな。それからジスタートにとっては、ブリューヌ軍についての威力偵察の意味もあった。だから手の内を知らせないためにあの敗北は都合がよかったのだ。」
カシムはなんとも納得できない様子だった。
クレイシュは内心でため息をついて心の中でつぶやく。(この男、作戦も補給もそれなりに上手く数々の戦功をたててきただけに確かに有能だ。しかし、情報の分析に甘さがあったり、大局を見通せなかったり、敵をなめたり、実践よりも理論を重視するきらいがある。それがやつの足元をすくうことにならねばよいが...。)
「王よ。兵法の書には正面から戦うには五倍の兵が必要とあります。テナルディエ公は兵一万をこちらに差し向けることができるほかに精強な海軍をもっておるようです。そこへ黒騎士ロラン率いるナヴァール騎士団五千が加われば、兵力の優位など紙一重の差。また敵地に侵入した場合の伏兵の攻撃も考えなければなりませんぞ。」
「うむ。であれば、先遣隊としてカシムに二万を率いさせ、クレイシュが本隊として三万を率いるというのはどうだ?」
(アニエスは荒涼とした地で起伏がはげしくいくつもの岩山や丘がある。カシムには、もっと情報の重要さを認識してもらったほうがいいだろう。)
「わかりました。それでは、先遣隊として二万をカシムに、わしが、本隊三万を率いてアニエスを攻めることにいたします。」
カシムとクレイシュは、王宮をあとにした。
「カシムよ。功をあせらずに敵地の地図を作成し、今後のために備えることを優先せよ。」
「はつ。」
(クレイシュ様はわしに戦功を立てさせたくないのだな...。)
(う~む。おそらく戦功を立てさせたくないためにこう言っていると思っているのだろうな。ブリューヌ全土をいずれ捕ってやるというわしの遠謀が理解できない男らしい。惜しいことだ。)
ムオジネル軍一万は森林などで野営を巧妙にごまかしてきた半数の部隊と合流する予定だった。
オルミュッツ公国とムオジネルの国境付近には、ヴォージュ山脈の南端の小高い丘陵地帯となっている。アニエスにいたるまでは森林もあり軍隊が野営を巧妙に隠すのにちょうどよい。
さて同じ頃、ジスタート南部のオルミュッツの公宮では…
「リュドミラ様」
「何?」
「ムオジネル軍が国境地帯をブリューヌ領へ向かって進軍している模様です。ブリューヌの国境から15ベルスタの森林で野営跡を発見しました。」
リュドミラと呼ばれたのは、オルミュッツ公国を治める公主で、ルリエ家の当主でもある切りそろえた青い髪に青い絹服をつけた少女だった。彼女はオルミュッツ公国の前公主であった母親を二年前に失ってから、母親の持っていた竜具ラヴィアスを引き継ぎ、戦姫として14才でオルミュッツ公国の公主になり、二年を経過していた。内政では名君たること、外交においては、優れた交渉者たること、戦争においては名将であることを幼少時から叩き込まれてきたのである。
「なるほど。あと幾日で彼らはブリューヌに入りそうかしら。それから兵力はどのくらいだと考えられる?」
あごに手の甲をあてながら小柄であるが高貴な少女は、自分よりも二倍から三倍近い年齢の斥候にたずねる。一見愛らしい小顔だが、鋭さと冷たさを併せ持つ知性と果断さを秘めた瞳が斥候に返事を促していた。
「2~3日ほどで。野営跡の数から考えると一万くらいかと思われます。」
「そう。引き続き監視を続けて。それから海路もね。」
「はつ。」
ムオジネルとの国境地帯については十分に警戒している。いつムオジネルがオルミュッツに侵入するとも限らないからだ。彼女は数回にわたるムオジネルの散発的な侵入を巧妙な守りで被害を最小限に抑えてきた。守戦の巧者としてムオジネルにも知られていた。
(しかし、ブリューヌの国境から15ベルスタになるまでオルミュッツの監視網をごまかすなんて...。たった一万をかくすためにこんな手の込んだことするかしら...なにかあるわね。ただの奴隷の略奪じゃない。)
この一件についての、リュドミラ=ルリエ-親しい者にはミラと呼ばせている-の警戒度は上昇した。
ムオジネルの都ブルサからブリューヌの国境まで約400ベルスタある。陸路で一万、もう一は、海路をつかい国境地帯の港トリエステまで運ぶ。そこから海軍もととのえてブリューヌ南岸の港をおそうのだ。陸の部隊は合流すると一気にブリューヌ領へ侵入し、アニエスの国境を守るカルラエの要塞を包囲した。
カルラエ要塞を守るのはブブリーヌ子爵の率いる三千の兵であった。しかし、二万の兵が攻城塔と投石器と火矢で城壁をやすやすと突破し、次々と斬首、刺殺されていく。
ブブリーヌの首は槍に突き刺され、軍神ワルフラーンの旗とともに並べられる。逆らうものはこのようになるぞということであった。
シズレ、アデニュス、カラナなどを始とする町や村を襲い、囲壁を破壊する。
住民は突然現れた「暴徒」に悲鳴をあげながら逃げ惑う。逃げ遅れたものはつかまって奴隷になる。
「蔵を暴くのだ!捕まえた者はお前たちの自由にするがよい!」
カシムの命令で略奪と奴隷にするための捕虜狩りが行われる。食料や金品を脅してあさって奪い取る現地調達である。住民は奴隷にするのだから統治について全く配慮する必要はない。それがすむと家々を打ち壊して木材を薪の材料にする。
奴隷になりたくない者は、別の村や町へ逃げて知らせる。
ムオジネル軍が通過した後は、壊されないで残った石造りの家屋と老人、子ども、抵抗して殺された者の死体がおびただしい数ころがって数日後には腐臭を放っていた。
「リュドミラ様。」
「どう?ムオジネル軍の様子は?」
「ブリューヌに侵入。海路から来た一万と合流し、二万でブブリーヌ子爵の率いる三千の兵を難なく破り、カルラエ要塞を陥落させ、なおもブリューヌ領内を進軍中です。なお、さらに三万の兵がブリューヌへ向けて国境地帯を進軍中。」
あごに紅茶の湯気をあてながら高貴な少女はしばらく考え込んでいた。
動揺しなかったのはオルミュッツへの侵入の可能性は限りなく低いとふんだからであるが、気になるのは三万もの大軍をさらにブリューヌに進軍させる意味である。
「ありがとう。その三万の兵の指揮官を調べて。それから今後も監視を続けて。」
「はつ。」
入れ替わりで別の斥候が公宮にはいってくる。
「リュドミラ様。」
「どう?『銀の流星軍』の動きは?」
「ルヴューシュのエリザベータ様がレグニッツアに攻め込み、レグニッツアのアレクサンドラ様との友誼からライトメリッツのエレオノーラ様がレグニッツアに駆けつけるに及び、
『銀の流星軍』には、ライトメリッツ軍のうち一千を残していかれました。」
斥候は青い髪の愛らしい戦姫が気になっていることを察して、続ける。
「ティグルブルムド卿は、ムオジネル軍を迎え撃とうと盛んに偵察を繰り返しています。」
青い髪の小柄な戦姫は、表情に出さずに
「そう。ありがとう。」
とだけ答えた。
(ティグルの兵は二千くらい。アニエスは、岩山が多いから奇襲をかけるには適している。
しかし、数回戦ったらへとへとになるだろう。)
ミラの胸中は微妙にあわ立つ想いにつつまれる。頬がかすかに赤らむ。
脳裏に一瞬銀髪の戦姫の姿が思い浮かぶ。
(まさか...そんなことはないわ。わたしはエレオノーラとは違う。ただ、戦略上高く恩を売りつけたいだけ。)
「ムオジネル軍五万が国境地帯を進軍しているわ。四千の兵をととのえて。」
「はつ。」
ミラの部下たちは出撃の準備をしはじめた。
「クレイシュ様。」
「どうだ?カシムの部隊の様子は?」
「二万の兵でブブリーヌ子爵の守るカルラエ要塞を陥落させ、シズレ、アデニュス、カラナなどをはじめとする二十箇所の町や村を襲って金品と奴隷を確保し、なおも進軍中です。」
「ふむ。ブリューヌとオルミュッツの動きは?」
「動きらしいものといえば、騎士団が撤退し、テナルディエ公爵が二万の軍を二つに分け、一方は、王都ニースを守るため、その実ガヌロン公爵をけん制するための軍、もう一方はテナルディエ公爵自身の率いる軍。テナルディエの部下ドン・ファン率いるマッシニアからの海軍が向かっています。そのほかの動きについては報告がありません。」
「もっともオルミュッツは攻められることはないと判断しているから動かないのだろう。見えないところで間者をうろちょろさせておろうがな。テナルディエは南東国境を見捨てるか。わが軍を奥深くまで引きずりこんでたたこうというわけか。笑止だな。まあ、そう思い通りにいかないことを思い知るだろうがな。」
クレイシュは赤ひげをいじりながらひとりごとのようにつぶやく。
「元アルサス領主とジスタートの混成軍はどうなっておる?」
「情報が把握できていません。しかしながら多く見積もっても二千から三千程度です。
たいした勢力でないことからほうっておいてかまわないと思われます。それに愛郷心の強い御仁と思われることからカシム様の軍をほうっておくとは思えません。いずれ動きを見せるでしょう。」
「たしかにカシムの軍で反応はみせるだろう。ただ、ほうっていい問題ではない。わしが問題ないと相手に思わせ、十年前バラベザで五倍のザクスタン艦隊を打ち破ったのだ。敵をあなどるな。」
「ははっ。」
ムオジネル軍がブリューヌ南方国境に攻め込む。テナルディエ、ミラ、クレイシュ、ティグルの読みあいがはじまる。