使者が持ってきた手紙は、形式が整えられて社交辞令と美辞麗句がつくされていたが、要点としては、
(エレオノーラを牽制し、自領を空けてブリューヌに来るようであれば、ライトメリッツに形だけでも攻め込んでほしい)
といった内容であった。
ミラも形式が整え社交辞令と美辞麗句を尽くしつつも、事情を了解した旨、そして(エレオノーラを牽制し、彼女が自領を空けてブリューヌに来るようであれば、必要に応じてライトメリッツに攻め込む)旨を書いた手紙をしたためる。そして
「これをテナルディエ公にわたすように伝えてちょうだい。」
と侍従を通して使者にわたした。
「オルミュッツの兵が国境付近に集結している?」
「はい。数はおよそ二千ほどで、冬に備えた訓練とのことです。」
「リュドミラはいるのか?」
「偵察に出た兵の多くがそのお姿を認めております。」
しばらくするとヴォージュ山脈を越えようとするあやしげな旅人を捕らえたという報告が入り、その旅人、すなわちテナルディエの「密使(笑)」がオルミュッツにあてた「密書(笑)」を持っていることが判明した。
その密書(笑)=手紙には例によって形式が整えられて社交辞令と美辞麗句が尽くされているが内容を要約すると(エレオノーラがブリューヌに向かったら、直ちにライトメリッツに攻め込んでほしい)
という手紙だった。エレン、リム、ティグルはこの手紙がわざと自分たちの手に渡るようしかけたという結論に至り、もし、リュドミラに敵意がないなら兵を引くように懇願する使者を二度にわたって送ったが、拒絶され、ライトメリッツ軍とオルミュッツ軍はブルコリネ平原で交戦することになる。
そしてライトメリッツ軍にいつのまにか一人の兵士が加わった。腕には鎖のような文様の刺青があったが、誰も気づかなかった。命令に忠実であり、無口で目つきが険しいほかはとりたてて変わったところが見受けられないように思われたのでエレンには一切報告されなかった。
ブルコリネ平原で交戦したライトメリッツ軍とオルミュッツ軍は、それぞれ被害を出しながら後退した。数日後、オルミュッツ軍は朝もやにかくれてひそかにタトラ山まで退却する。
「タトラ山に黒竜旗と短槍を十字状に交差させた三角形の軍旗を見ました。まちがいなくオルミュッツの軍旗です。山道にいくつもの防御陣地を築き籠城するつもりのようです。」
「やられた...。」
タトラ山の山道には、リュドミラの指示による防御陣地が幾重にも連ねられている。広い壕を掘り、柵を張りめぐらし、木材や石、土で固めた防壁を築き、その後ろに高台を設置して弓兵を配置している。
「お前ならどう攻める?」
エレンに問われてティグルは考えるが、兵を突撃させても弓矢で狙われるだけであるのはすぐにわかる。
「破城槌や投石器を使うしかないな。」
「いや...要所要所がラヴィアスの力で凍らせてあって下手な城門よりも硬い。高台の弓兵を射おとすことはできるか?」
「できるけど鉄製の長盾でふせがれてしまうから意味がないな。エレンが以前に地竜を倒したあの技は?」
「ああ、竜技か...。まず、距離が遠いと効果がない。高台まではとどかない。もうひとつは、あの竜技は周囲の風の力を集めるので、撃った瞬間に風の守りが一切効かなくなる。そのときに矢を射かけられたら...。」
「まるでエレンに対抗するために造られたみたいな陣地だな。」
エレンは、肩をすくめて笑みを浮かべる。
「もうわかったと思うがあの陣地はアリファール対策のためにあいつの祖母が考えたものなんだ。だから竜技の効果を計算して造られている。先代もあの陣地にはずいぶん苦しめられたという話だ。」
エレンとティグル、リムはタトラ山攻めの方法を考えた末、山道以外に城塞の裏手に出れる通路をさがそうということになった。ティグルは熊のかぶりものを全身にまとって「ウルス」と名乗る狩人になる。しかし、山に入ると同じ狐を射たことで敵であるはずのミラに出会ってしまう。毛皮をミラ、肉と骨は「ウルス」がもらうことにした。
狐をさばき、肉を食べた後、ミラは「ウルス」に紅茶をいれた。
「飲みなさい。」
「ウルス」は少々疲れていた。しかし、紅茶の品のある香りが鼻腔をくすぐり、苦味と甘味と旨みの絶妙なハーモニーが口のなかにひろがる。たまった疲れがいっぺんにとれるようだった。
「...うまい。」
「紅茶はいいわよね。身も心もいっぺんにいやされる。」
ミラは満足さと無邪気さと誇らしさのまじった笑顔を向けた。
なぜ戦姫である者が一人で狩りにでるのかと「ウルス」はミラにたずね、話していくうちに狩人「ウルス」に気を許したミラは心にたまったうっぷんをぶちまけた。
代々戦姫を受け継いできたルリエ家の当主としての矜持、そのために押し殺している感情、嫌いな相手と交流を続けていかなければならない自分の立場...
他人を駒としか見ず、陰湿な陰謀と武力と脅迫によってすべてを解決しようとするテナルディエ公の態度、外面はいいが何を考えているかわからない嫌悪感、あのザイアンていうバカ息子、アルサスで戦死したというが、一見貴公子然としているが親の悪い部分のみうけついでどことなく下品で好きになれなかった。そしてこのあいだ、テリトリアールでティグルたちが討伐した野盗の甲冑…。
「自分の陰謀や政略のためになんで野盗ごときに、なんでうちの、オルミュッツの甲冑を着せるわけ!ありえないわ!礼儀以前の問題よ。年端のいかないわたしが、何事にも真剣に取り組んでいるのに、あの男がやっているのはただの弱いものいじめ。高貴なるものの誇りというか義務という感覚がない!。」
「今日ね。わたしがひとりで狩りに出たのは...皆が許してくれたのは、それを察してのことなの。せめて一時的にでも気晴らしをって...。」
「ウルス」はただただうなづいて彼女の話をきいていた。
「ウルス、あなたの名前覚えておくわ。あなたの弓の腕はすばらしい。その気になったらいつでもオルミュッツの公宮にいらっしゃい。」
ミラは歩き去っていき、「ウルス」はその足跡をたどるようにして寒さに耐えながら城塞の裏手に出れる通路をようやくのことで発見し、夜を山で過ごして朝になってから下山した。
その晩、狩りからもどるとミラは兵たちに図面を示して命じた。
「城の裏手に100名から200名弱なら攻撃可能な空間がある。山道のものよりも深くなくていいから至急壕を掘って。柵と防壁をこのとおり用意して。」
「それから、城門は、鉄板三枚と樫の板をはさんで。わたしの指示通りに陣地を築いてもらえれば、破城槌や投石器もアリファールも城門をうがつことができないはず。」
「城壁の上の弓兵を三倍にして。」
こうして城塞の裏手に幾重もの柵と防壁陣地が築かれた。
エレンとティグル、リムがタトラ山の裏手にまわったとき、新たに防御陣地が構築され、城壁の弓兵が増やされているのが見える。
「ティグル、お前の報告より警備が厳重だぞ。」
「ほんとうにあんなものはなかったんだ。」
と答えつつ
(こんなところまで人がこれるようならいろいろと考え直さないと)とミラがつぶやいたことがおぼろげに思い出される。
「お前に会ってリュドミラのやつが考えを変えたのかもしれないな。」
引きかえすかとたずねたが、エレンは首を振った。
お前の努力も兵のがんばりも水泡に帰す、わたしがあの陣地と城門をつきくずすと主張した。
エレンが放った竜技「
(どうしたらいい...。)
ティグルははたと思い当たる。モルザイムで飛竜とザイアンを射落としたときのことだ。
「頼む。お前の力を俺にかしてくれ。」
ティグルはアリファールを見つめて必死に訴える。
ささやかな風がティグルの髪をなでる。
「浮気ものめ。」
エレンは苦笑し、ティグルと肩を並べ、剣を持つ手をのばした。ティグルは、弓に矢をつがえて引き絞る。ティグルの矢にアリファールからの風が流れ込んでいく。矢の周りに黒々とうずまく気流が点滅するように光を放つ。ティグルの弓から矢がはなたれると空気を切り裂くような異音を発しながら気流が城門を丸くくりぬいた。
「突撃!」とエレンが命じるとライトメリッツ軍は怒涛のように進軍する。
鎖の刺青の男はそのようなライトメリッツ軍の兵士のなかにひそむ。エレンとティグルを視野にいれ、なおかつ襲いやすい位置にたくみに陣取る。
(まだ、遠いな。しかし、やるさ)
タトラ山の城塞の外郭はライトメリッツ兵によって埋まる。内郭と外郭を隔てる濠と橋でオルミュッツ兵は必死に防ぐものの、エレンの剣技とティグルの矢がオルミュッツ兵を倒していく。
「エレオノーラ!」
怒気を含んだ叫びでエレンの名を呼び、凍漣ラヴィアスをかまえたミラが現れる。
「下がれ!」
戦姫たちの一喝する声に、自らの主君の一騎打ちを妨げぬよう兵士たちは下がる。
長剣と槍の数十合による打ち合い、竜技まで交えての一騎打ちはまったくの互角であり、お互いの竜技ではじきとばされ、二人とも腰をついて、肩で息をしているような状態であった。
「ティグル。くるな。何、もうすぐ終わる。」
「そうね。終わらせましょう。」
そのときライトメリッツ軍のなかから、エレンをめがけてすばやくおそいかかる男がいた。腕には毒を焼き付けた短剣をもっている。エレンのすこし手前にミラがいた。
(くっ。相棒の敵だ。この女もついでに葬り去ってやる。)
そう考え、ミラに短剣をつきたてんとしたとき、その男の頭は一本の矢に貫かれていた。
ブリューヌ南部ネクタクムの都ランスにあるテナルディエ公爵の屋敷に斥候がおとづれていた。
「七鎖は失敗したか。」
「はい。最後の一人もタトラ山でヴォルン伯爵に射殺されました。それから..。」
「何だ?」
「オルミュッツ公主のリュドミラ様は中立を宣言し、一切協力しないそうです。」
「あのガキめ。もともとお嬢様育ちで鼻持ちならない小娘だった。もうよい。」
(ガキのくせに高貴なる者の義務だと。笑止な。民など草だ。無能なやつしか生み出さない場所は増税で搾り取る。文官はこきつかう。武官は戦場で勝てなければ死だ。力こそ全てだ。)
「さて。国内では逆賊を討つようナヴァール騎士団をうごかした。さてオルミュッツの小娘以外に使える駒に心当たりはないか?」
「ルヴーシュの
「面白いが、ルヴーシュの異彩虹瞳女がレグニーツアに攻め込むための「大義」とやらはあるのか?」
「海賊討伐などで多かれ少なかれもめごとがあります。その導火線に火をつけてやりましょう。」
「わかった。金三万で手を打とう。」
「はつ。」
「ブリューヌのテナルディエ公爵様からの使者がいらしております。」
「通してちょうだい。」
(先日はガヌロン公爵からの依頼があったけれど何かしら?)
ルヴーシュを治める明るい赤い髪をした戦姫に謁見すると使者はひざまずいて
「ルヴーシュ公主エリザベータ様にはご機嫌麗しゅうございます。」
と述べた。
「ご用向きはなにかしら?」
「わが国に、反逆者ティグルブルムド=ヴォルンがライトメリッツの戦姫殿を招きいれて混乱を起こしており苦慮しているところでございます。そこでルヴーシュ公主エリザベータ様におかれましてはどうかお助けいただきますようお願いに参ったしだいでございます。」
「エレオノーラがその長たらしい名前の小貴族を捕虜にしていれこんでいるといううわさは聞いておりますわ。でも、わがルヴーシュとライトメリッツは離れておりますの。ライトメリッツはレグニーツアをはさんで南方にある。それで何を私に望むのかしら。」
「先般の夏に行なわれた海賊討伐におかれましてのレグニーツアの動き、お気になりませんでしたでしょうか?」
「......?」
「わたしどもの記録をご覧ください。」
そこにはたくみに船団の配列を誘導し、ルヴーシュに海賊の鋭鋒が向くようしかけた戦闘記録だった。レグニーツアは楽な側面からの攻撃で成果をあげ、分配品はほぼ同じということになっている。
「….。」
「これが事実ならば、レグニーツアに抗議しなければならないわね。でもなぜこんなことを知っているの?」
「われわれは、各国に情報網を張り巡らせているのですよ。当然それはジスタート国内にもです。われわれの協力者は貴国にも多い。当然のことでしょう。」
「アレクサンドラは悪意はないとのことでしたけれど。」
「それはどうでしょう。自分に不利な情報はかくすのではないでしょうか。」
「そう。それでわたしに何をしてほしいのかしら?」
「ライトメリッツの戦姫殿はレグニーツアの戦姫殿と刎頚の交わりと聞き及んでおります。レグニーツアに攻め込んでいただければと。」
「ただ、というわけにはいきませんわね。」
「金三万ほどでいかがでしょうか。」
「わかったわ。レグニーツアに攻め込みましょう。」
使者はもっと要求されるかと思ったがエリザベータが意外に素直に受け入れたので驚いた。
(予想していたとはいえガヌロン公爵とまったく同じ依頼とは驚いたわ。当然といえば当然かしら。まあ、これでエレオノーラをひきつけて、わたしの力を試すことができる。一年前と違った私の力を….。)
「ご用向きはそれだけかしら。」
「はつ。失礼いたします。」
礼儀だけは完璧にテナルディエの使者はルヴーシュ公宮の謁見の間から退出していった。
七鎖とオルミュッツを失ったテナルディエは次なる手をうつ。