赤ひげ王弟と凍漣の雪姫   作:Brahma

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ブリューヌ、ジスタート以外にもティグルの死を信じていない者がいた。


エピローグ前編 新たなる戦いの序曲(1)

はるか南方ジスタートとムオジネルの国境付近、雑草がまばらにしか生えていない荒野である。そこには、緋色の地と言おうか、くすんだ赤色の地と言おうか、その中央に角のついた兜と剣が描かれた大きな軍旗がひるがえっている。ムオジネルの軍神ワルフラーン表す旗だった。その指揮官の幕舎には、壮年の赤ひげの男があぐらをかいていた。彼の周囲にも多くの幕舎が連なり十万の兵がいる。

「するとアスヴァールの工作は完全に失敗したわけか?」

「はい。ジャーメインもエリオットも死亡。我々が潜り込ませた者たちも五人帰ってきたのみです。」

「五人もどってきたのだからよしとしよう。興味深い話をいろいろきけたわけだしな。それにしても、遠方の国に工作するのは面倒だな。状況の変化に指示が追い付かん。だからといって事前に複数の対応策をさずけてもそれを実行できる者がいないしな。」

「状況の変化に対応といえば、ティグルヴルムド=ヴォルンでしたか、みごとでしたな。タラード=グラムと組んでギネヴィア王女擁立にいつのまにか加わっている。まあ、アスヴァールからの帰路の海路で海に落ちて死んだとのことですが。」

「ダーマードよ。どうして死んだと言い切れる?」

赤ひげの王弟は、報告をしていた長身で精悍な兵士ににんまりと笑って問い返す。

「どうしてとおっしゃられても....真夜中の海で船から落ちて....半日かけても死体すらみつからなかったんですよ...?」

「工作の可能性があるだろう。」

ダーマードはわからない、といいたげに首をかしげる。

「死んだことにするのだ。あれほどの男を手元に置きたければ私ならそうする。」

「....?」

「わからぬか。あの男をジスタートはブリューヌから預かったそうだが、死んだことにしてしまえば返さなくてよくなる。あては適当な偽名と出生を創作して、屋敷と金と女をあてがって第二の人生を歩ませてやればいい。」

「そんなことしたら、ブリューヌとの仲が最悪になりませんか。」

「そんなもの、無能な将軍や貴族の首を二つか三つ送り付けてやればいい。」

クレイシュは果樹園で腐った実を見つけたからと、もいで捨てるかのようにこともなげに言う。ダーマードの背を冷や汗が伝う。

(この方は気さくで一見兵に対し情け深く見えるが実は容赦のない方だ....。)

「つまり、閣下はティグルヴルムド=ヴォルンは生きているかもしれないと?」

「それを調べるのがお前の仕事だ。ダーマード。われわれはこれから撤退するがお前はジスタートにもぐりこみ、心当たりがあるという者にあったら根掘り葉掘り聞け。これといった男を見つけたら素性を徹底的にあらえ。」

「そこまでする価値のある男ですか?」

クレイシュは身体全体でうなずく。

「お前を言っていたではないか。状況の変化に対応していたと。」

「かしこまりました。それでもし、本当に生きていることが確認できた場合は?」

「やってしまえ。お前も技量を競ってみたいのだろう?」

「アニエスの戦闘記録は暗唱できるくらい読みました。三百アルシンも矢を飛ばせる人間がいる。しかも混乱した戦場で。身震いする想いでした。」

「おかげでカシムを喪ったがな。」

そのとき報告にはいってきた兵士がいた。

「クレイシュ様、ジスタートからの使者にございます。」

「ふむ。何度目かな。」

クレイシュは鼻で笑い、

「通してやれ。」

と伝える。

使者は膝をついて赤ひげの王弟をみつめて口を開くと、言葉を選びながら話し始める。

「ムオジネル王の弟君であられるクレイシュ閣下には、このたびはなにゆえに兵を動かしなさったか、おうかがいしたき仕儀にございます。」

「なに、ただの兵の訓練よ。それ以外の目的はない。貴国へ足を踏み入れるようなことはないので安心めされい。」

それでも使者は納得しがたいような顔をしている。

「もう何度同じ使者をジスタートは送ってくるのか。来なかったことにするために貴殿を斬ろうか?こちらは戦う気がないから貴殿の死体を送り返すことはしない。ただ来なかったと伝えるだけだ。それともこちらの返事を持って帰るのか?」

使者は自分が怠慢だったことにされるうえに殺されると聞き、一礼してようやくひきさがった。

 

「しかし....本当に一戦もせず撤退するんですか?十万の兵をここまで率いてきて?」

「言っただろう。目的はすべて達成したと。この三十日間は大きな成果があった。南の国境の戦姫と領主たちの反応や、やつらの出した兵の概数とその配置、この荒野からアニエスに至る道と地形。アニエスの街道を通らずにブリューヌへ侵入できる道。時間はかかったがすべてつかんだぞ。わっはっは。」

クレイシュは眼光鋭く、楽しそうに哄笑を幕舎にひびかせる。

「帰ったら十万の兵では足りなかったと報告する。あと五万ほど兵を増やし、遅くとも三年以内、早ければ来年に十五万の兵で動く。狙いはもちろんブリューヌだ。」

「ジスタートも南部はかなり豊かだと聞いていますが....。」

「すぐ近くにブリューヌという緑にあふれ、温暖な地があるのに狙わん手はないだろう。ダーマードよ。この報告書をみろ。国境付近の者どもは守りを固めているだけだった。十五万の兵を率いてきても同じだろう。それから、この三十日間でつかえそうな者もけっこうみつけた。戦闘ひとつない退屈な状況で、見事に兵を統率した者、偵察ですぐれた成果を上げた者たちだ。帰国したら私の配下としてとりたてる。次の戦いが楽しみだ。」

ふふん、とばかり赤ひげの王弟は不敵な笑みをうかべた。

 

クレイシュの考えた通り工作ではなかったがたしかにティグルは生きていた。遭難のあと、記憶喪失となり、ウルスと名乗ってルヴ―シュの公宮に仕えることになった。記憶が戻ってライトメリッツに無事帰還したティグルは、ジスタートの太陽祭に招かれる。

そこでエレンとともにあいさつ回りでミラの部屋を訪れる。

扉を軽くたたいて名乗る。

「はいりなさい。」

ティグルは、思わずその場に立ち尽くす。ミラの正装は美しく、テイッタをして「雪の妖精のよう」と言わせるほどであった。

しかし青い髪の戦姫たる少女はどこか不機嫌そうだった。いや本当は大声で喜びを表し泣き付いてすがりつきたい気持ちであったのを不機嫌を装っておし隠していたのかもしれない。

「久しぶりだな。」

テイグルはミラに笑いかけたが、ミラはすぐには返事をせず、しばらく頭からつま先までじろじろと眺めてから小さく頷いてはじめて言葉を発した。

「腕がなくなるような大けがはしていないみたいね。」

「ああ。みてのとおり五体満足だ。心配させてすまなかった。」

「....心配?べっつに心配なんてしてなかったわよ。」

ことさらにそっけなく言ってミラは赤い髪の青年から顔をそむける。

「あなたのことはよくわかっているもの。簡単に死ぬようなひとじゃないって....ただ少し気になっただけ。」

「なんだ、てっきり大声でうれし泣きしてテイグルにすがりつくと思っていたのだがな。」

聞こえよがしに発言したのはエレン、銀閃の風姫、ライトメリッツの戦姫エレオノーラだった。

ミラは顔を真っ赤にして白銀の髪の戦姫をにらみつける。

「ひ、人前でそんなみっともないこと、するはずないでしょう。」

「それをみっともないと考えるのがお前の欠点だな。ん?「人前で」と言ったな?人前でなければやったのか?」

ミラはしまった、とばかりに口をつぐんでわずかにとがらせ、視線を泳がせる。テイグルと目が合うとこれ幸いとばかりにとっさに話題を変える。

「....紅茶(チャイ)

テイグルは一瞬意味が分からず、顔を赤くしている青い髪の少女を見つめる。

(ここは、わかってよ。)

ミラは、不満そうに口をとがらせて言葉をつなげる。

「あなたがアスヴァールで買ったというお土産よ。悪くなかったわ(=翻訳;とてもよかったわ)。でも(=翻訳;だからこそ)、ああいうものは、ちゃんとあなたの手から受け取りたかったわね。」

無茶を言うと思いながらも、目の前の青い髪の戦姫の切なる願いととても気に入っているというミラの気持ちをティグルはうれしく思った。

「次の機会にはそうするよ。気に入ってもらえたようでよかった。」

青い髪の少女は、かすかな笑みをうかべたすまし顔で赤い髪の青年を見つめて

「ええ。今度オルミュッツに来たらわたしの淹れたものをご馳走してあげるわ。」

と言った。その後ソフィーの部屋に向かうことになるが、このときミラが、わたしもついていくと言い、それから戦姫たちがぞろぞろとティグルについてあるいて行列のようになったという逸話が伝えられている。

 

さて、ジスタート王ヴィクトールのすすめでバルドゥ伯爵ユージェン=シルヴァーリンとティグルが会っていたころ、ジスタートの王宮に急報がもたらされた。

老王ヴィクトールは、顔色を変えずに食事をすませると侍従とともに大広間に向かう。

またティグルや諸貴族たちも大広間に集まっていた。

 

突然王が姿を見せたことに貴族たちは驚き、料理を口に運ぶ手をとめ、談笑するのをやめて、大広間は静まり返る。

ヴィクトールは、大広間を見渡し、視線を巡らせ、ティグルを一瞬見つめるがすぐに視線をはずす。

ティグルは自分が見られたと一瞬思ったが、名だたる大貴族もいるし、老王が自分を見つめる必然性などないと思い直す。

「楽しいひと時を邪魔することになってすまぬが、皆に聞いてもらいたいことがある。」

間をおいて老王は続ける。

「我が国にとって親しき隣人であるブリューヌ王国にザクスタンが攻め入った。」

大広間に緊張がはしり、どよめきが起こる。そして、ざわざわとざわついた。

ティグルは老王を見上げる。

一刻もブリューヌに帰りたいという気持ちが若者をして貴族たちをかきわけさせ、王の面前にすすませた。

「ヴォルン伯爵、そなたの発言を許す。国元が平安をとりもどすまで我が国にとどまるというのならばそれもよし。喜んでそなたをうけいれよう。どう考える?」

ティグルはためらいはないどころか、ブリューヌに戻らなければという気持ちがはやるのを抑えながらひざをついた。

「陛下のご厚情に感謝いたしますが、恐れながらわたしに退出をお許し下さいますようお願いいたします。」

「退出してどうするのか?」

「ブリューヌへ戻ります。ザクスタンと戦うために。」

くすんだ赤い髪の青年の瞳が、強い決意を訴えているのを見てとり、老王は感心して満足げにうなづく。

「さすがブリューヌの若き英雄よ。そなたの勇気に敬意を表し、余からも贈り物をさせてもらおう。」

戦姫たちは、思わず老王に視線を向けたが、老王の視線は白銀の髪の戦姫に向けられる。

ヴィクトールは、厳かな口調で白銀の髪の戦姫エレンに命じる。

「エレオノーラ=ヴィルターリア、そなたは、ヴォルン伯爵に協力し、二千の兵を率いてブリューヌへ向かえ。さて、エレオノーラよ。」

「はい、陛下?」

「ライトメリッツは、一昨年のディナント以来、出兵が続くが如何?」

「いえ、全くかまいません。微力を尽くします。」

エレンは、正装していたが、かまわず膝をつき頭をたれ、心の中でつぶやく。

(う~ん、二千か....三千くらいは率いたかったな。まあ、なにもおっしゃらなければわたしから頼んでいたところだが...。)

青い髪の戦姫はそれを聞きながら考える。

(わたしも行きたい。エレンだけにいい顔させたくないということもあるけど、ティグルを助けたい。)

次の瞬間ミラの想いが口をついて出る。

「陛下、謹んで申し上げます。親しき隣人の危機にあって二千の兵しか送れぬとあっては我が国の名折れでございます。何卒私にも出兵をお命じ下さい。」

それは、いてもたまらずといった語気をまとっていた。しかし、老王は、

「ならぬ。」

と一言のもとに毅然とした語気でその発言を拒む。

「昨今からムオジネルが怪しげな動きを見せている。南部国境に近いオルミュッツとポリーシャの両戦姫は、ムオジネルの動きに警戒し、備えよ。ブレストの戦姫には両戦姫の後詰めを命じる。」

(正論だわ。たしかにムオジネル、とくにクレイシュは油断ならない...。)

ミラは内心忸怩たる思いであったが、ムオジネルという国名を出されて、赤ひげの王弟の顔が脳裏に浮かんでは、引き下がらざるを得なかった。

ソフィーとオルガは名指しされ、その表情に緊張の色を浮かべて硬くする。ミラを含めた三人の戦姫は内心に苛立ちと歯がゆさをかかえつつ、膝をつき、頭をたれ、拝命を受ける態度を示した。結局ヴィクトールは、オステローデを治める黒髪の戦姫ヴァレンティナにライトメリッツとともにヴォルン伯爵に協力し、三千の兵を率いてブリューヌへ向かえと命じた。

 




果たして老王ヴィクトールの意図は...

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