クレイシュがオルメア平原から引き返し陣営を築いて一晩明けた朝、本国から早馬の伝令が訪れる。
「そうか、通せ。」
「はつ。」
「報告します。海路ブリューヌの南岸攻略に向かった向かったわが艦隊はテナルデイエ公とリグリア、ヴェネタの艦隊に敗れました。」
「指揮官はテナルデイエ本人ではないだろう。有能な甥っ子がいたはずだが。」
「はい。ドン・ファン・デ・アウストリア卿ですが、わが軍の弓によって戦死しました。」
「そうか。」
クレイシュは含み笑いをする。
「なるほど。そしてこちらの損害は?」
「こちらは、総司令官のアリー様、シャールフ様が戦死。ウグリル・べク様が行方不明です。艦隊は7割が沈没。」
「漕ぎ手が反乱を起こしてさらに2割が寝返ったと。」
「なぜ?それを?」
「それがあの艦隊の弱点ということだ。戦わずして砲撃で沈められるのに付き合わされるのではかなわないからな。降伏すれば生き残れるだろうし。」
クレイシュは表情をひきしめる。
「遺族には不自由させないように、それからウグリル・べクは許して復帰させるよう進言しなければいかんな。」
クレイシュは天井をみてしばらく考えると
「さて、こっちだが....三万四千で目の前の敵を破り、テナルデイエ公も破って南部の港町を確保する。それを義勇兵が現れたり、補給線を脅かされながら本国の援軍が到着するまで耐え忍ぶってことだな。」
と独語し、さらに、はっはっはと幕舎のなかでとどろくような哄笑を響かせた。
(戦死しつつも敵将を倒したということでアリー、シャールフをはじめとする遺族には弔慰金が支払われるだろう。ウグリル・べクだが、提案が無視されたということで宮廷に同情論が起こるように工作しよう。海戦の敗戦の責任は私の進言を容れなかったことが敗因ということで自然に伝わるだろうから私一人の失敗ということにはなるまい。)
「撤退だ。全軍に撤退を命じよ。」
それから思い出したように付け加えた。
「そうだ、ティグルヴルムド=ヴォルンについて調べておけ。それから、せいぜい奴をはでに誉め讃えてやれ。黒騎士ロランを失おうと、彼に勝るとも劣らない英雄あり、ブリューヌの威風は健在なり、寡兵をもって神出鬼没に善戦し、その弓は兵の頭上を越えて正確に敵将を射たおすは我が国の古い伝承にある流星を射落とす英雄のようだと。『銀の流星軍』を名乗っているようだからただ誉めるだけでなく皮肉を効かせてやった。これで私の顔も立つ。」
「ははっ。」
(われわれが去れば、外患がなくなるから、やつを妬む勢力があらわれるだろう。テナルデイエやガヌロンとかみ合って内側の混乱が深まってきたときが好機だ。)
ムオジネル軍が後退してから数日後、『銀の流星軍』とオルミュッツ軍のもとにムオジネル軍から使者がやってきた。
「どうする、というか誰と誰で会うか?」
「わたしがいたほうがいいでしょう。ジスタートがあなたについていることを示せるし、オルミュッツがムオジネルににらみをきかせていることを示せるし。」
「そうだな。ありがとう。」
テイグルはリュドミラに礼を言ってから老貴族のほうを向く。
「マスハス卿。」
「わかっておる。困難な交渉になれば経験がものをいうからな。ついていこう。」
「使者を通してくれ。」
「はつ。」
「私はムオジネル王国の王弟クレイシュ=シャーヒーン=バラミールのお言葉を伝えにまいりました。ヴォルン伯爵、貴君の寡兵をもっての勇戦、また騎士団、諸貴族を束ねる人望、そして民をまもらんとする気概に心から敬意を表する。弓を蔑視するブリューヌにおいて戦場を埋め尽くす兵たちの頭上を越えて目標を正確に射抜く鍛え上げられた貴君の弓の技量、まさしく称賛に値する。我が国の古き伝承にある「流星さえも射落とすもの」、まさしく『
使者は、さらに、寡兵をもって的確にわが軍を翻弄してカシムを倒し、本隊に対しては、果敢に戦ってわが軍を破り、撤退に追い込んだ手腕がすばらしい旨を、うんざりするほどの美辞麗句をならべたてて表現して、言い終わるや一礼して去っていった。
使者が去るとマスハスがティグルの肩をたたく。
「わたしの斥候の報告だと敵の撤退がすみやか。わなではないわ。」
「リュドミラ殿の言う通りじゃ。」
「あなたの勝ちよ。ティグル。」
「ティグル、おぬしが民を守ったのじゃ。」
マスハスが笑いかける。
「マスハス卿、申し訳ありませんがしばらく休ませてもらえますか。その間のことも...。」
「わかった。ゆっくり休め。」
マスハスが幕舎をでていくと、テイグルの身体はぐらっと崩れ落ちる。
「ちょ...な...。」
いきなり寄りかかられた青い髪の少女は驚き、いっしょに倒れこむ。青い髪の少女は、いらつきながらテイグルの肩をつかんで引きはがそうとするが、すぅ~すぅ~と心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
そのとき、青い髪の少女リュドミラの顔から怒りが消えた。くすんだ赤い髪の青年の顔には細かな傷や凍傷のあと、そして目の周りのくまやかくしようがない疲労の色が見える。
「そういえば、あなたはずうっと戦ってきたのよね。」
そうだ、自分がオルメア平原の入り口にかけつけるまですでに寡兵をもって二万の軍と戦っている。それから自分たちオルミュッツ軍がくわわったとはいえ四万を相手に戦ったのだ。そんなことが頭をよぎったとき、幕舎の外から兵の声がする。おそらくテイグルが倒れたときの物音をききつけたのだろう。
「リュドミラ様、どうかしましたか。」
「なんでもないわ。ちょっと荷物が崩れたの。」
兵士は納得して去って行った。
リュドミラは座った姿勢で後ろから倒れかかったティグルを抱きしめる。
「あなたの意地、確かに見せてもらったわ。」
青い髪の少女は赤い髪の青年の寝顔をのぞき込みながらつぶやいた。
(正直いろんな意味で打算はあったけど、あなたに協力してよかったわ。)
「あなたは、とても頑張ったわ。素敵だったわよ。ティグル。」
とっさに「ティグル」と青年の愛称が口をついて出たことに、青い髪の少女は妙に恥ずかしい気分になった。ほおがなんとなくほてって赤くなり、胸のあたりが熱くなる。
(でも...こういうのも悪くないかも...ティグルの持っている竜具と引き合う黒い弓...戦姫と対等と言えなくもないし....。)
青い髪の少女は微笑みをうかべて赤い髪の青年の髪をなでる。
「おやすみなさい。ティグル。」
もういちど青年の愛称をつぶやき、青い髪の少女は身体の力を抜いて青年のそばに倒れこむといつしか眠りの世界に落ちていった。
さて、四半刻ほど過ぎたころ、ジェラールが幕舎を訪れる。
「ヴォルン伯爵...。」
幕舎の中には絨毯の上に赤い髪の青年と青い髪の少女が抱き合うようにして眠っているのを見ると彼は何も見なかったような涼しい表情をつくって幕舎を出た。そして見張りの兵士に声をかける。
「ジェラール様、何か?」
「ヴォルン伯爵は連日の戦闘指揮の疲労でお休みになっておられる。明日の朝までは誰であろうと幕舎に入れないように。それからどうしても必要な場合はわたしも用があるからわたしを呼んでくれ。」
「わかりました。」
そしてどこか楽しげな足どりで自分の幕舎にもどっていった。
こうしてオルメア会戦は終結した。赤ひげ王弟と凍漣の雪姫の直接対決は、内容的には、後者の惜敗であったものの、戦術的にも戦略的にも、ムオジネル軍を撃退し、民を救出し、ブリューヌの地を守るという戦争目的を達成した意味で、『銀の流星軍』とオルミュッツ連合軍の明確な勝利であった。またこの勝利は、テイグルにとって戦略的にテナルデイエ公爵の勢力を弱体化させて自軍を強化でき、それを援助したリュドミラはティグルの将来への「先行投資」に成功したという意味でも大きかったが、リュドミラ自身にとっては、ティグルが打算や政治的に有利にはこぶため以上の好ましい存在になったのが何よりも嬉しいと感じるまでになっていた。
一方、ムオジネルでは、海戦の敗戦について王の判断による部分が多かったこともあり、クレイシュが兵を喪って撤退したことについては、補給がないのに戦えないと不問にされたのみならず、海戦について先見の明があったとする擁護論が大勢を占めた。そしてそんな不利な状況から敵将をよくぞ倒したということで、海戦の戦死者は英雄とされ、遺族に対してふんだんに弔慰金が支払われた。ウグリル・べクもクレイシュの口ぞえで復帰し、王も権威をうしなわずすべてまるくおさまった。
オルメアを戦った『銀の流星軍』、-三騎士団に小貴族の私兵、オルミュッツ軍を含めた-は、ペルシュ城砦に終結していたが、エレンの率いるライトメリッツ軍本隊がそこに加わった。王女レギンの身元を証明するために、途中テナルデイエ軍にモントーヴァンで敗れたガヌロン軍の兵を加えて、ガヌロン領ルテティアの旧都アルテシウムに向かうが、それを阻止しようとテナルディエも二万四千の兵を向ける。両軍はアルテシウムの南東のビルクレーヌ平原で激突した。最初は、竜五頭を用いたテナルデイエ軍が数の差をいかしてやや優勢に押していたが、竜が二人の戦姫、エレンとミラに退治され、オーギュストに「侮っている」という心のすきを巧みに利用されて、『銀の流星軍』の挟撃を受けて崩壊した。アルテシウムの
レギンを総司令官とした『銀の流星軍』は、王都ニースに凱旋し、ガヌロンとテナルデイエに盛られ続けてきた毒のために廃人のような状態であったブリューヌ王ファーロンがみまかると、レギンが王位に就いたが、若すぎるためか記録上「王女」と呼称されている。このときブリューヌとジスタートの間で四項目にわたる条約が結ばれ、デイナントの敗戦から長きに渡るブリューヌの内乱も集結した。
捕虜の待遇だったティグルヴルムド=ヴォルンは、内乱集結に伴い客将としてライトメリッツに預けられていったが、ジスタートの王命でアスヴァールに赴くことになり、その内戦が解決した帰途の海中で行方不明となる。
そういったときにライトメリッツからの使者がオルミュッツの公宮を訪れてティグルの消息をミラに伝えた。ティグルが行方不明と聞くと青い髪の戦姫たる少女は愛用の白磁のカップをテーブルに置こうとしてかすかではあったが手が震えた。
ガチャン...
一瞬カップが割れたのではないかというような音になった。
使者は鄭重に持ち上げた袋の中から何かをとりだし、それをくるんでいた絹布を丁寧に取り去った。それは四つの円筒形をした陶器の瓶であった。
青い髪の戦姫は平静をよそおい、使者にジスタート王はどうするつもりなのか、そして現在のジスタート国内の情勢について気になっていることをたずねたあと、侍従に客室を案内させてさがらせた。
ひとりになった青い髪の少女は、テーブルにあった四つの瓶のひとつを抱え込むように握りしめた。
「ティグル...あなたが死んだとは思わない....でも....」
うわごとを言うように少女の唇は震え、悲しみと憤りとが入り混じったつぶやきが口をついて出る。
「土産なら自分で持ってきなさいよ....バカ....。」
ミラはそのつぶやきを喜びをもって本人に向けることになるとはこの時点では思いもよらなかった。