「敵艦隊まで三百アルシンです。有効射程距離に入りました。」
「よし。砲撃用意。」
「準備完了!」
「発射!」
連合艦隊の口径15チェートのカノネ(アスヴァール語で「カノン」)砲がいっせいに火を噴く。
ドーン、ドーン、ドーンと轟音が響き渡り、ムオジネル船に命中し、火を吹く船、船腹に命中して傾き始める船が出始める。
ムオジネル艦隊は傾きながらもしゃむにに突っ込んでくる。15チェートカノネ砲を浴びながらも、沈みかかった船を盾にしてつっこむ。
連合艦隊右翼のドーリアとムオジネル左翼のウグリル・ベク、連合艦隊左翼のバルバリーグとムオジネル右翼のメフメト・シャールフの艦隊も同じような状態であった。
「面舵いっぱい。敵の右側にまわれ。」
バルバリーグ艦隊の右を固める部将のクイニーが命じ、彼が指揮する船団が右側に回り、バルバリーグ艦隊は、メフメト・シャールフの艦隊を半包囲するのに成功する。
15チェートカノネ砲に加えて、20チェートカノネ砲が火を噴く。
グォーン、グォーン、グォーンと激しい轟音が響く。
ムオジネル艦隊からは、弓矢が放たれる。まだカレブリナ砲の射程には至っていないため、弓矢が射かけられるが200アルシンの距離であり、ようやく船の上にとどくといったありさまだった。
ムオジネル艦隊右翼のメフメト・シャールフの艦隊は次第に沈められてやせほそっていく。
しかし、一方、ドーリアとウグリル・ベクの艦隊戦は様相が異なっていた。有効な砲撃が行われないように巧みな艦隊運動で南西の方向へ針路をとってみせる。ドーリアの連合軍右翼艦隊と本隊を引き離したウグリル・ベクは、そのまま連合艦隊本隊を背後から襲うよう北西に針路をとる。
それに気が付いたのはドーリア艦隊の右翼であるヴェネタの船団を率いるベネデイット・ソレントである。ウグリル・ベクの艦隊には、十年前にザクスタンを撃ち破ったクレイシュの育てた精鋭艦隊の生き残りの百隻が含まれている。カノネ砲同士の砲撃が行われ、ヴェネタの船団はムオジネル艦隊の接舷を許してしまう。接舷されたヴェネタ艦隊へムオジネル軍は鬨の声をあげ白兵突撃を敢行する。
「うおおおおおおおお!」
押し寄せる戦いなれた海賊出身者であるムオジネル兵にもともと商人やただの船乗りであるヴェネタ兵たちはかなわない。打ち殺され、斬り殺されて船内は血に染まり遺体がころがる。
「もはやこれまでか...。」
ソレントはつぶやき、漕ぎ手に命じる。
「もうこの船はだめだ。船を燃やすことにする。海に飛び込め。ほかの船にすくってもらえ。」
ソレントは船内にある火薬に火をつけた。
ゴオオオオーン
と爆発音が響く。
接舷しているムオジネル船を道連れにして自爆したのだった。
しかし、ウグリル・ベクの艦隊に致命的な打撃を与えるには至らなかった。
「ぬけたぞ。敵本隊だ。」
ウグリル・ベクのムオジネル艦隊左翼はドン・ファン率いる連合艦隊本隊に襲いかかろうとしていた。
さて、少し時間をさかのぼる。ドン・ファンの本隊で各艦は砲撃を行っていた。
「第一列、発射!」
15チェートカノネ砲が火を噴き、カレブリナ砲の倍の射程からムオジネル艦隊を襲う。
ムオジネル本隊の主将であるアリーは叱咤する。
「確かに敵は射程外から攻撃できるようだがそれだけのことだ。装填時間がかかるはずだ。白兵突撃すればこっちのものだ。進め、進め!」
敵は一隻当たり50門の砲門を備えているが一分間に撃てるのは6から7発である。
接近して突撃できるように思われた。
しかし、ドン・ファンは巧みな船列配置を行っていた。つまり、3列交互にならべて、味方の船に当たらないように配列を行い、船と船の隙間から順次間断なく斉射させる。つまり長篠の戦いで織田の鉄砲隊が時間差による射撃を行ったのに似た理屈である。しかも、接近すればするほど、命中率がよくなる道理である。ムオジネル艦隊の船は、足軽鉄砲隊に撃たれる武田の騎兵だった。したたかに撃ち抜かれて煙をあげて次々に沈没していく。
さすがのアリーも事態の深刻さに気付く。
「散開して敵の右と左にまわりこめ。」
と命じ、ムオジネル艦隊本隊は左右両翼をひろげ散開しようとする。
しかし、今度は、連合艦隊の船腹に付けられたカロネード砲が火を噴く。
ズドーン、ズドーン、ズドーン
ムオジネル艦隊は、散開しつつ連合艦隊に肉薄するものの50アルシンまで接近していた船はあっというまに沈んだ。
そのため、150アルシンの距離でカレブリナ砲を撃つもののあまり効果はないため、弓を射かけるしかない。とにかく敵である連合艦隊の船員を射殺さないことにはいいように砲撃されてしまうからだ。しかし、300アルシンで当たる砲弾が150アルシンでは撃ってくださいといわんばかりである。そうこうするうちに、轟音がアリーの足もとで響き、船が傾く。
「アリー様...。」
「うぬう。」
砲撃が繰り返され、さらに矢が射かけられる。ドン・ファンは伯父とは異なり弓を軽視しなかった。海戦において衝角攻撃と白兵戦を行わないなら可能なのは遠距離攻撃であり、砲撃でなければ弓である。
「ぐつ...。」
数本がアリーに命中する。
「アリー様!」
部下がアリーにかけよる。
旗艦に砲弾が命中し、傾いた様子がほかのムオジネル船の漕ぎ手の眼に映る。
しかもムオジネル船は気が付いたら7割が沈んでいる。もはや敗北という意識がひろがり、奴隷として漕ぎ手に使われていたブリューヌ人、ジスタート人、ザクスタン人は反乱を起こす。ムオジネル船のなかで凄惨な殺し合いの末、船が次々にのっとられ、白旗が掲げられる。
もはやムオジネル艦隊本隊は戦力として機能しなくなっていた。
ドン・ファンは、本隊同士の戦いは、勝負がついたことを悟り、
「反転右90度!ドーリア殿をお助けしろ!」
と命じ、ウグリル・ベクの艦隊に向けて船列の向きを変える。
そのときだった。ムオジネル艦隊の弓兵が無造作にレアル号に向かって放った矢のうち一本がレアル号で指揮をとっていたドン・ファンの右肩から胸を貫通したのだ。
「うぐっ...。」
「閣下、ドン・ファン様!」
近くにいた部下たちがかけより、ドン・ファンは医務室にはこばれた。
「!!」
医務長は致命傷であることを悟ったが矢を慎重に抜いて、看護の者に手当をさせる。
「閣下のお加減は?」
「よいとは言えません。お命にかかわると言ったほうがいいでしょう。」
「なんとかならないのか?」
医務長は静かに首を横に振る。
幕僚たちは身体をわなわなとふるわせるもののどうにもならなかった。
ドン・ファンはしばらく意識が混濁していたが、一時間後には
「戦況はどうですか?」
とたずねるほどまで意識自体が一時的に回復した。
彼の強力な意志が意識をささえていた。
「閣下。上々です。敵をおいつめています。」
「そうか。戦闘が終わったら投錨するよう伝えてくれ。天候が悪化するはずだ。」
「閣下が伝えたほうがよろしいのでは。」
「いや。もう私は死ぬ。医務長はわかっておられるのだろう。」
ドン・ファンは横になって眼を閉じ、喘ぐような苦しそうな呼吸を繰り返したていた。
ドン・ファンの最後のつぶやきは
「戦神トリグラフよ、風の神エリスよ、わたしは義務を果たしました。」
とも「神よ、祖国ブリューヌよ。」
とも伝えられる。ブリューヌの生んだ若き天才提督はやがて息をひきとった。
そしてドン・ファンの船団の戦術と技術は、ヴェネタ艦隊と彼の個人的な友人で技師であったアスヴァール人に受け継がれ、後者が本国へ持ち帰って後に強力な海軍をつくる基礎を築くことになる。テナルデイエ公自身もメルヴィル平原の戦いで戦死することになるため、その戦術も技術もブリューヌには残らないこととなった。
さて包囲を受けることとなったムオジネルの左翼艦隊では...
「ウグリル・べク様、先ほど突破した敵が...。」
ドーリア艦隊がウグリル・べクを猛追する。
また別の斥候が告げる。
「ウグリル・べク様、敵本隊が.....。」
連合艦隊の本隊とサンタ・クロス侯の予備艦隊が前方から襲いかかってくる。
ウグリル・べクは、自分たちの船団が挟み撃ちにされようとしていることを悟ってもはや逃げるしかないと決断する。
「紡錘陣形だ。敵を突破する。サバ(アスヴァール語で「カノン」)砲と弓を撃って撃って撃ちまくれ!」
ウグリル・べクは一点集中砲火と弓を放った。
砲撃の轟音が響き、煙が立ちこめ、両軍の間を弓矢の雨が降り注ぐ。
連合艦隊の船列に穴を開けることに成功し、ウグリル・べクの艦隊は甚大な被害を出しながらも、突進した。
「ウグリル・べク様、敵艦隊の包囲網から完全に脱出しました。」
「そうか...。」ウグリル・べクは、敵を突破し、逃げ切ったとことで安堵の息をついたが、周囲を見回すと自分の旗艦を含め三隻しか残っていないことに気が付いた。
ウグリル・べクは苦笑するしかなかった。
信頼している副官に話しかける。
「これは海賊稼業にもどるしかなさそうだな。」
「そうですな。この状態で本国に戻ったところで...取り巻きどもが好き勝手なことを言って敗戦の責任を閣下に負わせるでしょう。クレイシュ様からの連絡を待ちましょう。」
「そうだな。」
ウグリル・べクは海賊仲間と合流するべくいずこかへ去っていった。
レパティウム海戦は、ミラの予想通り、ドン・ファン・テナルディエが率いるブリューヌと港町の連合艦隊が結果としてムオジネル艦隊を砲撃によって撃ち破ったが、ムオジネル艦隊が思いのほか善戦したことが、両軍に惨々たる人的被害をもたらした。
ブリューヌと諸都市の連合艦隊は、総指揮官のドン・ファンのほかヴェネタの司令官バルバリーグを戦死させた。彼の旗艦が赤く目立つ船であったことも起因していたといわれる。海戦の終わる間際には副将のヴァルニが指揮をとっていた。ムオジネル艦隊も主将のメジンザルド・アリー、メフメト・シャールフを戦死させた。そして作戦方針に反対したにもかかわらず生き残ってしまったウグリル・べクは、クレイシュの口添えがなければ、敗戦の責任を取らされて極刑にされるのが明白であったので逃げ去ってしまい事実上の全滅であった。こうしてレパティウムの海戦は集結した。
さて、テナルデイエ公爵のところへ斥候が戦況報告に訪れた。
「われわれはムオジネル艦隊に勝ちました。しかし....。」
「しかし、なんだ?」
精悍な顔つきの公爵は斥候に逆接の接続詞のあとの言葉をうながす。
「ドン・ファン・デ・アウストリア卿は、敵の弓矢で右肩から胸を射られて亡くなりました。」
テナルデイエ公爵は一瞬押し黙ったが
「そうか....。」
と重々しくつぶやいた。
「ザイアンに続いてドン・ファンも敵の弓で命を落とすとはな....。」
テナルデイエ公爵は、ある人物のことを思い出し、こみ上げてくる怒りや憎しみをつのらせた。それは、自分に頭を下げ、ひざまづいて同盟を請わなかった弓使いでアルサスの領主であった赤毛の青年のことであった。
「あのアルサスの坊やは始末せねばなりませんな。」
スティードがテナルデイエの想いを察したようにつぶやき、テナルデイエも重々しくわずかに頭を縦にうごかして同意した。
一方、ムオジネル艦隊が破れた報告は、オルメア平原で戦っているクレイシュの元へ伝えられようとしていた。