ペルシュ城砦ほどでないがブリューヌ南方国境に近いカルヴァドス城砦では、灰色地の中央に赤と黒の縞、中央に斜めに赤い盾と猛禽の翼とかぎ爪をあしらった旗が翻っていた。その一室で、ひげをたくわえた壮年の騎士が手紙を読んでいる。
それはナヴァール騎士団の現団長であるオリビエから彼に与えられた手紙だった。
「国王陛下の忠実な僕たるナヴァール騎士団の長であるオリビエが同じく陛下に忠誠を誓いブリューヌを守る盾の一であり、暴戻なる敵を倒す剣の一であるカルヴァドス騎士団に告ぐ。いまムオジネルが兵五万を率いて南方の国境から侵入してきたことはご存知のことと思う。また、ヴォルン伯爵がムオジネル軍の進軍を遅らせるべく戦っていることを聞いている。遺憾ながらわがナヴァール騎士団は西方国境を空けられない。もし、空けた場合は、虎視眈々と機会をうかがうザクスタンとアスヴァールが攻めてくるであろう。どうか前団長のロランが申し上げたようにヴォルン伯爵に助力し、南の憂いをとりのぞいていただきたい。」
壮年の騎士は前団長ロランの手紙を思い出していた。その文面ははっきり覚えている。
「国王陛下の忠実な僕たるナヴァール騎士団の長であるロランが同じく陛下に忠誠を誓いブリューヌを守る盾の一であり、暴戻なる敵を倒す剣の一であるカルヴァドス騎士団に告ぐ。今ブリューヌは、君側の奸がほしいままに専横し、それにおもねる者がはびこり、疲弊してまさに危急存亡の秋である。そのような者が、陛下の忠実な臣僚たるヴォルン伯爵の領地アルサスを攻めたとき、伯爵は領民を守るためにやむなく他国の兵によってこれを退けた。一方で騎士団はブリューヌを守る盾であり、剣であるのに動くことができず、正義を貫けなかった。このようなことは、ブリューヌの国辱である。私ロランは、これをオーランジュ平原でヴォルン伯爵と決死の戦いを行って知った。伯爵はブリューヌのため、民のために戦っていると。私ロランは、誤りをただすために君側の奸はびこる都ニースへ向かう。無事にもどることができないかもしれない。ヴォルン伯爵の正義を認め後事を託すべく彼に宝剣デュランダルを預けた。ブリューヌは、西にアスヴァール、南西にザクスタン、南東にムオジネルと称する外患と、国内にはほしいままに専横する君側の奸とそれにおもねる者という内憂がある。これらの憂いをしりぞけるため、ブリューヌのため、民のためにヴォルン伯爵が戦うときは、騎士団が伯爵を支えてくださるよう願うものである。」末尾にはロランのサインが記されていた。
その手紙を読んだとき、あわ立つ興奮とこみあげる喜悦が壮年の騎士の心と体をゆさぶったものだ。ウルスにしがみついていたあの幼かったティグルが、ジスタート軍を招き入れたという汚名を浴びながらも、その動機が疑いもなくブリューヌのため、民のために戦っていることをあの黒騎士ロランが認めた手紙だったからだ。
(ご立派になられましたな...ティグル様...。)
壮年の騎士はそう心の中でつぶやいた。その数日後、風のたよりで、ロランが蜂牢でガヌロンによって殺されたことを知った。テナルディエがその情報が流れるのをとめなかったからだ。
(君側の奸がほしいままに専横し、それにおもねる者がはびこり...か)
ロランの手紙に書かれている「君側の奸」とは、まさしくテナルディエ公爵、ガヌロン公爵とそれに付き従う者たちであるのは明らかだったが両公爵の手の者がどこにいるかわからない。そのため、いくらでも言い逃れができるために名指しを避けているのだった。壮年の騎士の心は沈んでいた。それに、オリビエの手紙を受け取り、跳んで行きたい気持ちに駆られたがカルヴァドス騎士団で南方の防衛にさける兵力はせいぜい二千くらいだ。
(どうしたものか...せめて倍くらいの兵力がないと各個撃破されるだろう。ほかの騎士団と連絡を取る必要があるな。)
ひげを蓄えた壮年の騎士はあごをなでてしばらく思案にふけっていた。そのときだった。部下の声が耳に入る。
「団長、オーギュスト団長はいらっしゃいますか?」
「何事だ。」
「お客様です。ローランド伯爵御自らお見えです。」
「何!お通ししろ。」
「はっ。」
そこへ入っていたのは灰色のひげをたくわえた初老のオード領主だった。
「オーギュスト殿、実は...。」
「マスハス卿お久しぶりです。ムオジネル軍のことでしょう。オリビエ殿からお話を伺っています。」
「なんと。それは話が早くて助かる。」
「それでマスハス卿。カルヴァドス騎士団だけでもおうかがいしたいと気持ちがはやるのですが、相手は、十年前に五倍のザクスタン艦隊を打ち破った名将です。せいぜい二千ほどしか出せないわれわれだけでは、ティグル様を助けるどころか各個撃破されて敵の餌食になるのが落ちです。それで忸怩たる想いでいたところです。せめて倍以上、そうですな、少なくとも五千くらいはないと敵に十分な打撃は与えられない。それで思案していたところです。」
「そのことだが、オーギュスト殿、すでにペルシュ騎士団に話をつけている。」
「おお、そうですか。」
壮年の騎士の表情が明るくなる。
「ペルシュ騎士団のレオナール殿もロラン殿とオリビエ殿から手紙を受け取っていて四千すべては無理だが一千五百を出しましょうと快諾してくれた。それからユーグ=オージェ子爵がリュテス騎士団のところへ行っている。おそらくロラン殿とオリビエ殿の手紙がいってくるだろうからリュテス騎士団の説得も成功するだろう。」
「わかりましたが、敵をどうやって攻めるのですか。」
マスハスは地図を広げる。
「現在わかっている敵の布陣だ。この丘に旗を立てて敵のうち半分をひきつけている。そして「奴隷」に化けたおとり部隊で敵をひきつけ、ティグルたちの本隊は敵の死角に隠れている。」
「ほう。この布陣はどなたがお考えに。」
「オルミュッツ公主リュドミラ=ルリエ殿がお考えになったものだそうだ。」
「?ティグル様を守るためにジスタートから来た戦姫殿はエレなんとかという方だということだが...。」
「そう。ライトメリッツ公主エレオノーラ殿だが事情があって帰国している。」
「はあ...。」
「それはそうとこの布陣はどう思う?。」
「なるほど五万の相手をするにはこれが最善でしょうな。」
「敵の指揮官はずば抜けて有能だ。しかし、ムオジネルは、奴隷の確保に目が行く傾向がある。それから敵は、偵察を十分に行い、北側からの攻撃がないことを知っているからこその布陣だ。そこに付け目がある。そこでオーギュスト殿には、まずペルシュ城砦へ向かっていただきたい。あなたの同意がいただけたら、ペルシュに続いてカルヴァドスも参戦する旨、リュテス城砦には早馬で伝え、ペルシュ城砦へ集結するよう使者を送る用意が出来ている。」
オーギュストは膝を打った。すでに壮年の騎士団長は、わが意を得たりといつのまにか顔にはあふれんばかりの喜色に満たされている。
「わかりました。さっそくペルシュ城砦へ向かいましょう。」
「ご助力感謝する。」
「マスハス卿はこれから...。」
「協力してくれそうな貴族たちを説得しようとおもうておる。老兵は経験とそれに裏付けられた弁舌が仕事じゃ。」
マスハスは、オーギュストに満面の笑顔を向ける。
オーギュストは部下に伝える。
「出撃だ。ペルシュ城砦へ向かう。二千の部隊を選抜せよ。」
「はつ。」
準備が整うと灰色地に赤い盾と猛禽の翼と爪の旗を翻して二千の騎士が馬蹄を響かせて一路ペルシュ城砦へ向かっていった。
一方、その遠く南方のオルメア平原では、一時的に、そして局地的に『銀の流星軍』とオルミュッツの連合軍が優勢を保っている。
「クレイシュ様、第五軍が...壊滅いたしました。」
「ふん...。」
赤ひげの王弟は平然と赤ひげをもてあそぶ。
(まあ、相手も小娘とはいえ、七戦姫の一人に選ばれるくらいの者だ。それくらいやってのけるだろう。想定内だ。)
「第四軍に伝令をとばせ。至急こちらへむかい、第七軍を支えよ、とな。」
「はつ。」
「それから第六軍に伝えよ。反転して敵の背後を襲えと。」
「はつ。」
「わが第七軍は後退する。」
「はつ。」
ムオジネルの第七軍は整然と後退をはじめた。さぁーっと潮がひくかのようなそのスピードは恐るべきもので、整然として非常によく訓練されていることをうかがわせる。
(さすがね...。)
リュドミラは言葉も出ない。これが五倍の船団を打ち破った男の軍勢なのだろう。
しかもその退却振りは、「堅実にして隙なく常に理にかなう」を地でいくものであり、全く無駄も隙もない。
『銀の流星軍』とオルミュッツ軍は逃がすまいと追いすがるしかなない。
そのとき後方にいた第六軍が反転をはじめる。黄金の兜をかぶった巨神が目覚めて、振り向いたのだ。その巨神に対し、ティグルは、一千の部隊に横撃を加えるよう伝令をとばす。
これがうまくいけば、あの十年前の海戦で五倍の敵をほふった赤ひげの名将に、当時六歳だった青い髪の戦姫は一気に完勝へ王手をかけるはずだった。赤い髪の青年の矢によって。
しかし、そうはならなかった。
「どうしたの...?」
一千のブリューヌ兵の部隊はムオジネル第六軍へ「ようやく」攻撃はかけた。
「ようやく」攻撃はかけたが、蟷螂が黄金の兜をかぶった巨神にむなしく鎌を振りあげて見せたに過ぎなかった。
(限界が来たんだ....)
兵たちは連戦に加え、寒さと雪で疲れきっていて、ろくに動けなくなっていたのだ。
第六軍はなんなくその散発的な攻撃を跳ね返し、第七軍に攻撃をしかける『銀の流星軍』本隊とオルミュッツ軍に側面から襲いかかった。
「あと一歩というところで....。」
ムオジネル兵が雲霞のごとく殺到してくる。一騎当千の戦姫でなければ防ぐことはできない。リュドミラがラヴィアスを振るい、突きだすと、ムオジネル兵は馬上から叩き落され、また身体を貫かれて屍となる。しかし、青い髪のあどけなさの抜けない戦姫の絹服にも、肌にも斑点のように血痕がこびりついている。さらに新たな鮮血の飛沫がそれに加わる。
どのくらいの敵を倒しただろうか、呼吸が荒くなっている。
彼女の隣で戦う赤い髪の青年も似たようなものだった。弓を握る左腕も、弦を引く右腕にも痺れを覚えている。矢筒も何度交換したかわからないくらいだった。
「はつはつは。戦況が二転三転したが、みごとだったぞ。リュドミラ=ルリエ。守りの戦いで名高い戦姫が猛将のごとく果敢に攻める戦いを選ぶとはな。」
「そういえば、敵は戦姫だけではなかったのだな。三百アルシンの距離からカシムを討ち取った恐るべき弓の使い手がいるのだったな。わしの輿を進行方向に移動させ、さらに後退の速度を上げよ。」
クレイシュは後退方向に輿を下げさせる。自分が射殺されてしまったらなにもならないからだ。いかにムオジネル兵の数が多く、精強であろうとそれが生かされるのは優秀な指揮官あってのものだ。それが烏合の衆になってしまうのはカシムの一件で明らかだった。
クレイシュは手をふり上げて命じる。
「第六軍に左右に展開して敵を包囲するように命じよ。第七軍も展開する。」
「はつ。」
「名高い戦姫を我が前に引きずり出してくれよう。なに、国王に次ぐといわれる者だ、虜囚の辱めはあたえぬ。賓客として手厚くもてなすとも。手厚くな。」
クレイシュはほくそえんだ。
七戦姫のひとりを妾とするのだ。気丈かもしれないが、そういう花のほうがたおるのに興があるというもの。戦姫を妾にした男として後世にまで伝えられるだろう。
さて、『銀の流星軍』とオルミュッツ軍である。押し寄せる敵兵に対し、一人また一人と兵たちは倒れるものの、弓を放って敵の部隊長を射倒す赤い髪の青年と槍を振るって敵をつぎつぎに貫き、振り落とす青い髪の少女の目覚しい働きにはげまされて、一人戦死するときには敵兵は十人は死んでいるという状態という驚異的な善戦をしていた。
雪と泥の上に死体が積み重なって凍っていく。
ティグルの矢筒は空になった。後ろにいるジェラールを振り返ると、褐色の髪の青年は、赤い髪の青年に矢筒を二つ押し付けると苦渋の表情を浮かべる。
「ほかにないか今からさがしてまいります...。」
「頼む。」
ジェラールは軽くうなづいて去っていく。
ティグルは近くで戦っている青い髪の戦姫たる少女のほうへ向き直る。
「リュドミラ。ここは俺がどうにかするから君は...。」
「黙りなさい。」
青い髪の戦姫の顔には隠しきれない疲労の色がうかがえるものの、その瞳には覇気があふれて輝いている。
「ただちょっと敵の数が多いというだけで泣き言を言うの?わたしには戦姫としての誇りがあるわ。母や祖母、曾祖母...いえ、この凍漣を振るってきたいままでの戦姫から受け継いだ誇りが。」
そう話している間にも大柄なムオジネル兵がリュドミラに襲いかかるが閃光のような槍の一閃でその兵士を葬り去る。
「....。君に誇りがあるなら」
くすんだ赤い髪の若者は、青い髪の戦姫の隣に馬を寄せつつ言葉をつづける。
「俺にも意地がある。」
「意地?」
「父やたくさんの人たちから少しづつもらってきた....意地だよ。」
意地という単語にはティグルの万感の想いがつまっている。
父ウルス、バートラン、ティッタ、領民たち、領主としての価値観を同じくするマスハスとオージェ、そして黒騎士ロラン、作戦に協力すると言ってくれた難民の代表の男、そしてその男になじられたときに「それでもあなたにお礼をいいたかった。」と言ってくれた少女。そして友人のために別の戦場にいるエレンとリムのことが彼の脳裏を駆け抜けていた。
「胸を張って言えることばかりしてきたわけじゃないけど...とうてい顔向けできないことはしたくないんだ...。」
「バカ...。」
思わず口をついて出た青い髪の少女のつぶやきは、彼女自身にしか聞こえない小さなものだったが、彼女自身がいだいている気持ちや想いを正確に自覚させるものだった。彼女の胸の奥底から不思議な喜びがこみ上げ、笑みにかわる。そしてその不思議な喜悦は青い髪の戦姫の疲れた身体にも新たな活力を与える。
「いいわ。だったら戦いなさい。わたしといっしょに、わたしの隣で。あなたの背中はわたしが守る。」
凍漣の持ち主である戦姫が槍をかまえ、家宝だという不思議な黒弓の持ち主がその弓に次の矢をつがえた。しかし、その驚異的な善戦にも限界が近づきつつあった。
今一歩のところで追い詰められつつある『銀の流星軍』とオルミュッツ軍。ムオジネル軍の包囲は完成しつつあり、青い髪の戦姫と総指揮官の赤い髪の青年は王手をかけたはずが、逆王手をかけられていた。