ソード・アイドル・オレガイル   作:干支

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ぼっち二人とアイドル達

 

 

 

 

2022年11月6日

 

日曜日

 

 

八幡「リンクスタート」

 

午後一時に、満を持して《ソードアート・オンライン》正式サービスが開始された。

 

俺は十分前から待ち構え、一秒と遅れずにログインし、懐かしい石畳を踏んだ。

 

ここは巨大浮遊城《アインクラッド》第一層の南端に存在するスタート地点、《はじまりの街》である。

 

八幡「帰ってきたんだな、ここに……」

 

空を仰ぎながら、ぽつりと零す。

 

「帰ってきた」というのは、俺は《ソードアート・オンライン》が正式にサービス開始される前に、ベータテストプレイヤーとしてこのゲームをプレイしたことがあるため、この世界にやってくるのはこれで二度目になるからだ。

 

わずか千人に限定して募集されたベータテストプレイヤーの枠には、十万人もの応募が殺到したという。

 

俺がその狭き門をかいくぐって当選したのは、僥倖以外の何物でもないだろう。

 

てか、よく当選したよな俺。マジですげえ確率だったっていうのに。

 

しかもベータテスターにはその後の正式版パッケージの優先購入権がプレゼントされるというオマケまで付いていたのだから、自分の運には感謝してもしきれない。

 

こういう経緯で初回入荷数僅か一万の《ソードアート・オンライン》を俺は無事購入することが出来たのである。

 

八幡「にしても、サービス開始直後だってのに人多すぎんだろ……どんだけ楽しみにしてたんだよ」

 

現在、《はじまりの街》は人で溢れかえっていた。

 

とはいえ俺も人のことを言えたものではないが。

 

さてと、とりあえず装備を整えてβテスト時の感覚を取り戻しに行くとすっか。

 

そう決めた俺は武器屋で曲刀を購入すると、《はじまりの街》の西側にに広がるフィールドに向かった。

 

 

 

 

 

八幡「せあっ!」

 

片手用曲刀基本技《リーバー》を発動し、オレンジ色に輝く刃を青イノシシの首に命中させると、残り二割ほどだった敵のHPはいとも簡単に消し飛んだ。

 

ぷぎー、と青イノシシは哀れな断末魔を残すと、その巨体をガラス片に変えた。

 

八幡「ふぅ……」

 

かれこれ俺は一時間、ひたすらこの青イノシシ……正式名《フレンジーボア》を狩り続けていた。

 

おかげでレベルはすでに3まで上がってしまっている。

 

八幡「おっと、そろそろ約束の時間だな」

 

約束というのは、とある人物に会うことである。

 

俺はβテスト時、ただ一人とだけパーティを組んだことがあった。名前はキリト、俺と同じソロプレイヤーだ。

 

俺だって自分でも誰かとパーティを組む事になるとは思ってもみなかったが、キリトとは初めて会った時から何故か意気投合し、気づけばお互い打ち解けていた。

 

キリトもソロプレイヤーだったというのが大きいかもしれない。

 

それに加えてβテスト時、最前線にいた俺と実力も同等で、一緒に戦っていて凄くやりやすく感じた。

 

そのためベータテストの期間が終わるまでずっとパーティを組んで攻略を進めていたほどだ。

 

そしてベータテストが終わる日、キリトに「ハチマンも正式版買うよな? それなら正式サービスが始まって一時間くらい経ったら、《はじまりの街》で一度会わないか?」と言われ、俺はそれを承諾した。これが約束の内容だ。

 

そろそろ約束の時間なので、街に戻るとしよう。

 

そう思い街に向かって歩き出そうとした瞬間。

 

 

「あ、ハチマンじゃないか!」

 

少し離れたところから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

この声の主こそ、今まさに話していたキリト本人である。恐らくキリトも俺と同じでβテスト時の感覚を取り戻そうとモンスターを狩っていたのだろう。

 

八幡「おう、キリト……か……?」

 

振り返った俺は思わず固まった。

 

なぜなら、キリトの隣に見知らぬ男が立っていたからだ。

 

えー、キリトさーん、連れがいるなんて八幡聞いてないよー?

 

無意識のうちに表情が強張る。

 

この反応からキリトは俺の心中を察したらしく、バツが悪そうに俯いた。

 

キリト「あー、悪いハチマン。こいつ……クラインにレクチャーを頼まれてさ。街に戻ったら別れて、それからハチマンに会うつもりだったんだけど、その途中でハチマンを見つけたからつい話しかけちゃって」

 

なるほど。別に約束してたとかではなく、偶々成り行きでこうなっちまったワケか。それなら仕方ない。許してやろう。

 

八幡「ま、そういうことなら構わん」

 

クライン「えと、あんたハチマンっていうのか?」

 

八幡「あ、ああ」

 

いきなり話しかけてくるなよ、ドキッとしちゃっただろうが。

 

クライン「俺はクライン! よろしくな、ハチマン!」

 

八幡「……まあ、よろしく」

 

さすがに無視はできないので、俺も短く返しておく。

 

あれ、こいつの名前なんだっけ? 興味なさ過ぎて聞き逃しちまった……まあいいか。

 

どうせこの後はもう別れて話すこともないだろうし……

 

 

キリト「さて、ハチマンも合流して自己紹介も済んだことだし……なあハチマン、最初は二人で狩る予定だったけど、このまま三人で狩りを再開してもいいか?」

 

 

……なんてことを考えていた時期が俺にもありました。

 

おいおいまじか……。

 

正直に言えばお断りしたいというのが本音だが……まあ、確かにここで一人だけさよならさせるのも気がひけるしな……しゃーねえ、諦めよう。

 

八幡「別に構わねえよ」

 

キリト「さんきゅー、ハチマン!」

 

クライン「助かるぜ!」

 

 

そんなことを話していると、丁度いいタイミングで青イノシシがポップしてきた。

 

キリト「そういえばハチマンって曲刀だったよな?」

 

八幡「ああ」

 

キリト「クラインも曲刀なんだ。ハチマンの戦ってるところをクラインに見せてやってくれないか? コツなんかは口で説明するより、実際見た方が分かりやすいだろ?」

 

まあ、その通りだな。んで、この男の名前はクラインか。次こそは覚えたぜ。

 

八幡「ん、了解。ちゃんと見とけよクライン」

 

クライン「おうよ! 頼むぜハチマン!」

 

俺はフレンジーボアの前に立つと、先程までの狩りと同じように《リーバー》を発動させる。

 

ターゲットされたことに反応し、青イノシシは俺を睨むと、右の前足で激しく地面を蹴ろうとした。

 

だが。

 

八幡「しっ!!」

 

それよりも先に俺は動き出し、イノシシとの距離を詰めると、弱点目掛けてソードスキルを叩き込みながらイノシシの横をすり抜けた。

 

威力がブーストされた《リーバー》が弱点にクリティカルで命中したことで、イノシシのHPはあっけなく吹っ飛んだ。

 

「ギィィイイィッ!」

 

イノシシは悲鳴を上げつつ地面にバウンドし、空中で不自然に停止すると、バシャアッ! と激しいサウンドおよびライトエフェクトを撒き散らして、青い光の中、幾千ものポリゴン片となって爆散した。

 

キリト「狙ってクリティカルを出せるなんて相変わらず流石だな、ハチマン」

 

クライン「す、すげぇ……!」

 

二人がゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 

キリト「ハチマン、レベルは?」

 

八幡「3だ」

 

キリト「早いな。さっきの動きだと、ステータスの振りもβ時と同じで敏捷寄りに降ってるのか?」

 

八幡「まあな」

 

俺のステータス振りの割合は敏捷が七、筋力が三だ。

 

理由は単純明快で、最近のゲームには難易度が上がると、防御がどれほど高くても一撃食らうだけで死ぬということが多々ある。

 

ならばそういう状況に陥った場合に何が一番重要かと言えば、攻撃を受けないこと……つまり、敵の攻撃を避けてダメージ自体を負わないことだ。

 

そのための敏捷振りである。

 

ちなみに確かキリトはスピード重視の俺と反対でパワー重視だったはず。

 

キリト「クライン、やってみろよ」

 

クライン「おう!」

 

言われてクラインが曲刀を構える。

 

八幡「ダメだクライン。もっと腰を下ろせ。重要なのは初動のモーションだ。ちゃんとモーションを起こしてソードスキルを発動させれば、あとはシステムが技を命中させてくれる」

 

クライン「モーション……モーション……」

 

呪文のように繰り返し呟くクラインに、キリトが「こう、なんていうか……ズパーン! って打ち込む感じで……」などという曖昧なアドバイスをしている。

 

なんて説明すりゃいいんだ……と頭を悩ませていると、

 

「あ、あの……すみません」

 

後方から突然声をかけられた。

 

八幡「ひゃ、ひゃいっ?」

 

思わず声が裏変える。

 

誰かは知らんが、いきなり後ろから話しかけてくるのは心臓に悪いから本当にやめていただきたい。ビックリしちゃうだろうが。

 

心臓をバクバクさせながら振り返ると、そこには三人の女性アバターが並んで立っていた。

 

「あ、す、すみません! 驚かせてしまって……」

 

真ん中にいた女の子が申し訳なさそうに頭を下げる。セリフからして、声をかけてきたのはこの子なのだろう。

 

八幡「あ、いや、気にしなくていいから、とりあえず頭を上げてくれ。……それで、俺に何か用か?」

 

尋ねると、右隣にいた女性アバターが口を開いた。

 

「先程のあなたの戦いぶりを、勝手ながら見させていただきました」

 

続いて左隣。

 

「私たち、このゲーム初心者でさ……良かったらコツとか教えて欲しいんだけど、お願いできないかな?」

 

「わ、私からもお願いします…」

 

さて、どうしたもんかな……。当初の予定では、キリトと二人で次の村に行って、とあるクエストをこなしながらレベル上げをしたかったんだが……クラインへのレクチャーが入った時点でその計画は頓挫した。

 

となると……キリトとフレンド登録だけ済ませて、この三人をキリトに押し付けて俺は一足先に次の村に行くとしようか。そうしよう。

 

薄情? 違うぞ諸君。俺がこいつらのレクチャーを渋っているのは、別に自分のレベル上げを優先したいからではない。考えてもみてほしい。《ソードアート・オンライン》の人気は絶大だった。わずか千人に限定して募集されたベータテストプレイヤー枠に十万人もの人間が応募するほどに。

 

そしてその《ソードアート・オンライン》の初回販売数は一万。この時点で分かるだろう。需要が供給を遥かに上回っているのだ。

 

大手の通販サイトはどこも軒並み数秒で初回入荷分が完売したらしいし、昨日の店頭販売分も三日も前から徹夜行列ができてニュースにまでなっていた。

 

つまりは正式版パッケージを買えた人間はほぼ百パーセント、重度のネットゲーム中毒者と考えられる。

 

ということは、必然的にこのゲームの男女比は圧倒的に男の方が多いと容易に推測できる。にも関わらず目の前には三人の女性。《はじまりの街》からここに来るまでもまあまあの数の女性プレイヤーを見かけた。言いたいことは分かったな?

 

そう、こいつらがネカマの可能性を俺は危惧しているのだ。だって男のくせに女のアバター使って男に媚び売ってるとかマジで気持ち悪いじゃん? というわけで、この世界では女性プレイヤーとは関わらない方が吉、というワケである。オーケー?

 

あとは俺のコミュ力で対処できる気がしないからという理由もある。というか、これが一番の理由だったりもする。

 

つーわけでここは丁重にお断りさせてもらお……

 

キリト「なあハチマン、その三人は?」

 

間が悪い! キリトお前実は俺のこと嫌いでしょ?

 

クライン「おおおおっ!? ハチマン! 誰なんだその三人はっ!? 知り合いか!? なら是非俺に紹介を……」

 

八幡「落ち着け、みっともねえ。つーか今軽く引いたぞ」

 

キリト「同じく」

 

後ろの三人も苦笑いを浮かべている。

 

クライン「ひでぇぞお前ら!」

 

お前よりはマシだと思う。

 

八幡「勘違いすんな。俺も今初めて会ったから、俺の知り合いとかじゃない。なんでも、一緒にレクチャーを受けたいらしい」

 

キリト「へえ、そうなのか」

 

八幡「ああ。というわけでキリト、後は頼ん……」

 

キリト「じゃあクラインは俺が面倒見るからさ、ハチマンはこの人たちに色々教えてあげてくれよ」

 

キリトてめぇぇぇぇっ!?

 

キリト「俺も本当は今日中に次の村に行きたかったけど、こうなっちまったからには仕方ない。今日は諦めよう。ハチマン、あのクエストは明日頼めるか?」

 

八幡「絶対に嫌だ。一人でやれ」

 

キリト「ありが……って、ええっ!? なんでだよ!? あれを一人って鬱になるぞ!」

 

八幡「お前のせいで俺のプランが立てた矢先から次々と音を立てて崩れていってんだよちくしょう……」

 

俺は頭を抱えたくなる衝動を抑え込んで、溜め息を吐いた。

 

「あ、あの……」

 

すると真ん中の女の子……が、おずおずと声をかけてくる。

 

あーもう、しゃーねぇな。

 

八幡「わあった、わあったよ。あんたらのレクチャー、引き受けるよ」

 

「ほ、本当ですかっ?」

 

八幡「ああ」

 

「ありがとうございます」

 

「その、ありがと」

 

八幡「とりあえず、簡単に自己紹介だけしとくぞ。俺はハチマンだ。あんたらは?」

 

チエリ「えと、私はチエリっていいますっ」

 

リン「私はリン」

 

マユ「私はマユといいます」

 

八幡「あと、三人の武器を教えてくれ」

 

聞いたところによると、チエリは短剣、リンが細剣でマユが片手剣らしい。

 

どれも一応βテスト時に多少扱ったことがあるので、ソードスキルのモーションも分かる。

 

八幡「それじゃ、まず戦闘において必須とも言えるソードスキルについて説明するぞ」

 

俺は淡々と言葉を紡いでいく。

 

そして数分に渡るソードスキルの説明を終えてからは、チエリから順に初動のモーションを教えていく。

 

すると、数分も経たないうちに三人はソードスキルの発動を成功させていた。

 

おいおい、クラインよりも遥かにセンスあるんじゃねえの……?

 

八幡「さてと、全員スキル自体は出せるようになったみたいだし、じゃあ次はあのイノシシ相手にソードスキルを使ってみてくれ。怖いと思うが、怯んでスキルを停めると逆に大ダメージを喰らってしまうから注意しろよ」

 

三人が頷いて、リンからフレンジーボアの前に立ちはだかる。

 

そして、

 

リン「はっ!」

 

細剣がライトエフェクトを放ち、細剣のソードスキル《リニアー》が発動され、フレンジーボアの弱点を見事に貫き、その体をポリゴン片へと変えた。

 

続くマユも片手剣スキル《スラント》を使ってフレンジーボアの体力を削り切る。

 

最後のチエリもおどおどしながらも、きちんと短剣のソードスキル《サイド・パイト》をフレンジーボアに叩き込み、三人とも無事に初勝利を収めた。

 

……なにこいつら、上達早すぎるでしょ。もう俺いらないんじゃね?

 

チエリ「わぁー! 初めてモンスターを倒せましたー!」

 

リン「なんか、思ってたより楽しいかも」

 

マユ「いいですねぇ。思わずハマってしまいそうです」

 

チエリ「ハチマンさん! 本当にありがとうございます!」

 

八幡「え、あ、ああ。別にこれくらいどうってことねえよ」

 

チエリは天使のような笑顔を向けてくるが、どうしてもネカマの可能性が頭を過ってしまい、素直に受け答えができない。

 

そんな傍では、

 

クライン「うおっしゃぁああ!!」

 

派手なガッツポーズを決めたクラインが、満面の笑みで左手を高く掲げていた。あいつ見てると落ち着くなー。

 

……うん、まあ、とりあクラインも初勝利おめでとう。

 

 

キリト「さてと……ハチマン、クライン、それにそっちの三人も、これからどうする? もう少し狩り続けるか?」

 

クライン「ったりめえよ! ……と言いてぇとこだけど……そろそろ一度落ちて、メシ食わねぇとなんだよな。ピザの宅配、五時半に指定してっからよ」

 

八幡「準備万端なこった。三人はどうだ?」

 

リン「私たちも友達と合流する約束があるけど、まだ時間は大丈夫だよ」

 

キリト「ハチマン、どうする?」

 

八幡「お前に任せる」

 

キリト「そっか……なら、五人で続けよう」

 

チエリ「はいっ」

 

マユ「分かりましたぁ」

 

八幡「了解」

 

クライン「なあ、それじゃここにいる全員でフレンド登録しねえか? いつでもメッセージ飛ばせて便利だしよ」

 

あ、この馬鹿……。

 

俺の思いも虚しく、クラインの一言で俺とキリトを除いた四人がメニューを開く。おいおい、こいつらフレンド登録する気満々かよ。

 

キリトとクラインの二人だけで俺はいいんだがな……。キリトと目が合うが、キリトも同じことを考えていたようだ。

 

だがこの空気は非常に断り辛い……。クライン、許すまじ。

 

仕方なく俺とキリトはメニューを開いて、この場にいる全員と互いにフレンド登録を済ませる。

 

クライン「あ、そんでよ、オレ飯食った後、他のゲームで知り合いだった奴らと《はじまりの街》で落ち合う約束してるんだよな。どうだ、紹介すっから、あいつらともフレンド登録しねえか?」

 

キリト「え……うーん、そうだなあ……」

 

キリトが口籠る。当然だな。クラインと自然に付き合えていても、その友達とも同様に仲良くなれるなんて保証はない。むしろそっちと上手くやれずにクラインとも気まずくなってしまうという結果の方がありそうな気がする。

 

俺がそれを理由に断ろうとすると、それよりも先に、歯切れの悪いキリトの返事にクラインはその理由まで悟ったのか、すぐに首を振った。

 

クライン「いや、もちろん無理にとは言わねえよ。そのうち、紹介する機会もあるだろうしな」

 

ほほう。意外と空気を読めるというか、気遣いができるらしい。

 

キリト「……ああ。悪いな、ありがとう」

 

クライン「おいおい、礼を言うのはこっちのほうだぜ!」

 

クラインはにかっと笑うと、もう一度時計を見た。

 

クライン「……ほんじゃ、おりゃここで一度落ちるわ。皆、これからも宜しく頼むぜ」

 

キリト「こっちこそ、宜しくな。また訊きたいことがあったら、いつでも呼んでくれ」

 

クライン「おう。頼りにしてるぜ」

 

こうして俺たちはクラインと別れ、狩りを再開する……はずだったのだが、異変はすぐに起きた。

 

クライン「あれっ」

 

キリト「どうした?」

 

クライン「なんだこりゃ……ログアウトボタンがねぇよ」

 

八幡「なに?」

 

キリト「そんなわけ……」

 

俺とキリトがメニューを開いて確認する。

 

クライン「……ねぇだろ?」

 

キリト「うん、ない」

 

八幡「ねぇな。チエリたちはどうだ?」

 

チエリ「わ、私もありません……」

 

リン「私もない」

 

マユ「どういうことでしょうか……?」

 

全員が首を傾げていると、突然、リンゴーン、リンゴーンという、鐘のような……あるいは警報音のような大ボリュームのサウンドが鳴り響き、それと同時に眩い光が俺たちの視界を奪った。

 

そして気がつくと、俺たちはゲームのスタート地点である《はじまりの街》の中央広場にいた。

 

リン「どうなってるの……?」

 

八幡「現象的にはテレポート……みたいだな」

 

周囲を見回すと、プレイヤーが一万人近くはいた。このことから、俺たちと同時に、現在ログインしているプレイヤー全員がこの広場に強制テレポートさせられたのだろうと推測する。

 

と、不意に。

 

「あっ……上を見ろ!!」

 

誰かが叫んだ。

 

俺たち六人は反射的に視線を上に向ける。そして、そこに異様なものを見た。

 

空中から出現したのは、身長二十メートルはあろうかという、真紅のフード付きローブをまとった巨大な人の姿だった。

 

直後。

 

低く落ち着いた、よく通る男の声が、遥かな高みから降り注いだ。

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ。

 

私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ。

 

プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気づいていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

クライン「し……、仕様、だと」

 

『諸君は今後、この城を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない。……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合……』

 

わずかな間を置いて、その言葉はゆっくりと発せられた。

 

『ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

待て。

 

脳を破壊する?

 

それはつまり、殺す、ということだろう?

 

ナーヴギアの電源を切ったり、ロックを解除して頭から外そうとしたら、着装しているユーザーを殺す……茅場はそう宣言したっていうのか?

 

ざわ、ざわ、と集団のあちこちがさざめく。

 

『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試み……以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制徐装を試みた例が少なからずあり、その結果』

 

そこで一呼吸入れ。

 

『……残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

どこかで、ひとつだけ細い悲鳴が上がった。

 

それと同時に後ろからストン、という音が聞こえてくる。

 

振り返ると、チエリが石畳に座り込んでおり、リンとマユは信じられないといった様子で立ち尽くしていた。

 

クラインは虚脱した顔でその場に尻餅をつき、キリトのほうは微かに膝が笑っているように見える。

 

俺は……何故だろうか。いやに落ち着いていた。異常なほどに冷静だった。

 

『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に徐装される危険はすでに低くなっていると言ってよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他の施設へと搬送され、厳重な介護態勢のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心して……ゲーム攻略に励んでほしい』

 

キリト「な、何を言ってるんだ! ゲームを攻略しろだと!? ログアウト不能の状況で、呑気に遊べってのか!? こんなの、もうゲームでも何でもないだろうが!!」

 

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に』

 

 

続く言葉を、俺はもう知っていた。

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

またどこからか悲鳴が聞こえる。

 

『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 

クライン「クリア……第百層だとぉ!? で、できるわきゃねぇだろうが!! ベータじゃろくに上がれなかったって聞いたぞ!!」

 

その言葉は真実だった。千人のプレイヤーが参加したSAOベータテストでは、二ヶ月の期間中にクリアされたフロアはわずか六層だったのだ。

 

それが百層となれば、クリアにどれくらいかかるのか……想像もつかない。

 

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

 

俺を含む六人……いや、広場にいたほぼ全ての人間が同じ動作を始める。

 

出現したメインメニューから、アイテム欄のタブを叩くと、表示された所持品リストの一番上にそれはあった。

 

アイテム名は……《手鏡》。

 

その名前をタップし、出現した鏡を手に取ったが、何も起こらない。

 

キリトやクライン、リンたちも呆然とした表情をしている。

 

と。

 

突然、キリトや周りのアバターを白い光が包んだ。と思った瞬間、俺も同じ光に呑み込まれ、視界がホワイトアウトした。

 

ほんの二、三秒で光は消え、元のままの風景が現れ……。

 

いや、違う。

 

目の前にあったのは、見慣れたキリトの顔ではなかった。

 

勇者顔だったはずが、今では女の子ような顔立ちになっている。

 

八幡「お前……誰?」

 

キリト「え、お前こそ……いや、その目……まさか、ハチマン?」

 

その瞬間、俺はある種の予感に打たれ、《手鏡》の意味を悟った。

 

さっと持ち上げ、食い入るように覗き込んだ鏡の中から、こちらを見返していたのは……。

 

整った顔立ちを台無しにしてしまっている……どんよりと濁った、まるで死んだ魚のような目をした……そう、現実の俺の顔だった。

 

クライン「おめぇら、キリトとハチマンかっ!?」

 

キリト「お前がクラインか!?」

 

八幡「じゃあお前ら、キリトとクラインか……?」

 

手から鏡が零れ落ち、地面にぶつかって、ささやかな破砕音とともに消滅した。

 

それと同時に、バッと後ろを振り返る。そこにいたのは……。

 

リン「うそ、これ……」

 

マユ「まゆたちの、現実の姿ですよねぇ……」

 

チエリ「ど、どういうことですか……っ?」

 

思わず見惚れてしまうほどの美少女三人組だった。

 

八幡「お前ら、リンたちか?」

 

リン「う、うん……じゃあアンタは、ハチマン?」

 

八幡「ああ……」

 

マユ「前のアバターから雰囲気が変わりましたねぇ……特に目が……」

 

やかましい。てかこの状況でそんなことが言えるなんて、こいつ神経図太すぎねえかっ?

 

チエリ「う、うぅ……ぐすっ、ぐすん……私たち、帰れないんでしょうか……っ?」

 

八幡「……」

 

なんとも言えない。「きっと生きて帰れるよ」なんて無責任なことを、言えるはずがない。

 

クライン「く、くそ! なんでだ!? なんでこんなことを……!?」

 

その問いに、茅場は答えた

 

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』

 

一呼吸置いて、茅場は続ける。

 

『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を作り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 

短い間に続いて、茅場の声が響いた。

 

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の……健闘を祈る』

 

最後の一言が、わずかな残響を引き、消えた。

 

そして、BGMが再び流れ出し、穏やかに聴覚を揺らし始める。

 

その直後だった。

 

悲鳴。怒号。絶叫。罵声。懇願。そして咆哮。

 

多重の音声が、広大な広場をびりびりと震動させた。

 

たった数十分でゲームプレイヤーから囚人へ変えられたのだから、当然といえば当然の反応かもしれない。

 

そんな中でも、俺は相変わらず冷静だった。

 

茅場晶彦の宣言は、全て真実だ。本能的にそれが分かった。この世界で死ねば、現実世界の自分も死ぬのだ。

 

キリトに目配せをする。

 

するとキリトも思考が落ち着いてきているのか、静かに頷いた。

 

八幡「全員、ついて来てくれ」

 

俺が言うと、キリトとクライン、チエリはリンとマユに支えられながらだが、ゆっくりと俺の後に続いてくれた。

 

そして人気のない街路の一本に入る。

 

八幡「キリト、あとは頼む」

 

キリトは無言でコクリと首を縦に振った

 

キリト「……全員、よく聞いてくれ。俺とハチマンはすぐにこの街を出て、次の村に向かう。皆にも一緒に来て欲しい」

 

チエリ「つ、次の村に……ですか?」

 

キリト「ああ。あいつの言葉が全部本当なら、これからこの世界で生き残っていくためには、ひたすら自分を強化しなきゃならない。MMORPGってのはプレイヤー間のリソースの奪い合いなんだ。システムが供給する限られた金とアイテムと経験値を、より多く獲得した奴だけが強くなれる。……この《はじまりの街》周辺のフィールドは、同じことを考える連中に狩りつくされて、すぐに枯渇するだろう。モンスターのリポップをひたすら探し回る羽目になる。今のうちに次の村を拠点にした方がいい。俺とハチマンは、道も危険なポイントも全部知ってるし、皆きちんとソードスキルも使えるからレベル1の今でも安全に辿り着ける」

 

さすがキリトだ。ここまで分かりやすく説明できるとは……意外とこういうの向いてるのかもな。

 

だが数秒後、クラインはわずかに顔を歪めた。

 

クライン「でも……でもよ。前に言ったろ。おりゃ、他のゲームでダチだった奴らと一緒に徹夜で並んでソフト買ったんだ。そいつらももうログインして、さっきの広場にいるはずだ。置いて……いけねぇ」

 

キリト「……」

 

キリトが唇を噛むのが見えた。

 

かく言う俺も、内心で舌打ちをしていた。

 

クラインは俺やキリトと違うタイプの人間だ。

 

この男は……陽気で人好きのする、恐らく面倒見もいいのだろうこの男は、その友達全員を一緒に連れて行くことを望んでいる。

 

だが、だからこそキリトは頷けない。

 

クラインとリンたちだけなら次の村まで無事連れて行けるという自信がキリトにはあるんだろう。しかしクラインの友達が何人いるのか分からない。俺がいるといっても、増やせるのはせいぜい二人だ。三人になれば危うい。

 

仮に道中で死者が出た時、その責は、安全なはじまりの街の脱出を提案し、しかも仲間を守れなかった俺とキリトに帰せられねばならない。

 

そんな途轍もなく重い責任を背負うことなど、キリトはもちろん俺にもできない。

 

ほんの刹那の逡巡を、クラインもまた明敏に読み取ったらしく、ゆっくりと首を左右に振ってみせた。

 

クライン「いや……、おめぇにこれ以上世話んなるわけにゃいかねえよな。大丈夫、今まで教わったテクで何とかしてみせら。だから、おめぇらは気にしねぇで、次の村に行ってくれ」

 

キリト「…………」

 

黙り込むキリト。

 

八幡「そうか。なら、ここで別れよう。何かあったらキリトにメッセージを飛ばせ」

 

そんなキリトの代わりに俺が答える

 

キリト「ハチマン……」

 

八幡「仕方ねえだろ。覚悟を決めろ。んで、リンたちはどうすんだ?」

 

リン「私たちも、友達……まあ、先輩も混じってるけど、皆と合流する約束があるから……いけない」

 

チエリ「す、すみません……」

 

八幡「そうか」

 

だが、

 

マユ「まゆは、ハチマンさんたちについていきますね」

 

マユだけは違う意見を述べた。

 

八幡・リン「「え?」」

 

驚きの声がリンとかぶる。

 

リン「マユ?」

 

マユ「ここに三人全員が残るより、一人は先に進んで色々な情報を集めておいた方がいいと思います。リンちゃんたちとはフレンドですから、いつでもメッセージを交換できますしね」

 

確かに、そっちの方が効率はいいだろう。

 

リン「…………」

 

リンはすごく悩んだ様子だったが、

 

リン「……うん、分かった。その代わり、無茶しないことと……絶対死なないこと。約束だよ」

 

どうやらマユの意見を尊重したらしい。

 

マユ「ええ、分かってます」

 

キリト「それじゃ、さっそくだけど行こう」

 

八幡「だな。クライン、リン、チエリ、まあ、その……死ぬなよ」

 

クライン「おうよっ」

 

リン「うん、分かってる」

 

チエリ「は、ハチマンさん、ありがとうございます……」

 

俺とキリトとマユの三人は、クラインたちに背を向けて、次の拠点となるべき村を目指して駆け出した。

 


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