【習作】一般人×転生×転生=魔王   作:清流

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申し訳ありません。投稿ミスをにどもしてしまい、さらに予定より遥かに遅れてしまいました、重ねてお詫び申し上げます。なんというか、本来、想定していた以上に長くなりまして、実のところこれでもかなり端折ったのですが……。


#04.幽世に住まう者

 「さて、久方ぶりに御帰還なされたかの羅刹の君に対し、我らはいかに動くべきか……。それにしても、すでに数柱の神を(あや)めながらも、未だに世にその名を知られておられぬとは、大したものにございますな」

 

 ここは幽世(かくりよ)、アストラル界とも呼ばれる生と不死の境界。肉体よりも霊が重きをなす特殊な世界。そこにある深山の(いおり)に、日本の呪術界に絶大な影響力を持つ『古老』と呼ばれる者達が集っていた。

 

 一人は、木乃伊(ミイラ)、即身成仏した黒衣の僧正である。先に発言したのは彼だ。

 一人は、玻璃の瞳が特徴的な深い亜麻色の髪をもった神祖である。身につけた十二単もあいまって、平安貴族の姫君を思わせる絶世の佳人であった。

 一人……いや一柱は、かつてまつろわぬ神であった者。『建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)』、この領域を支配する須佐の老神だ。

 

 日本の呪術界の後見役にして、御意見番。そして、いずれ劣らぬ古狸達である。そんな彼らが一堂に会したのは、久方ぶりに帰国した日本初のカンピオーネ『神無徹』への対応を協議する為であった。

 

 

 「あの野郎は、神を殺したらさっさと移動しやがるからな。騒ぎになる頃にはすでにいないというわけだ。運のいい野郎だ」

 

 どこか不満気に言うスサノオ。

 

 「かの羅刹の君が一所に留まらぬは、自身が原因で騒動が起きることを理解されているからでしょう。かの御方は元より護国の役目を負いし者なれば、万が一にも眠れる御子を起こさぬように、この国をお離れ遊ばした程ですから」

 

 それに対し、玻璃の媛が庇うように言う。

 

 「ふむ、媛はかの羅刹の君に好意的ですな。この国の呪法を司る者達が地上の雑事にかまけ、今や忘れられた役目であった封印の護持をしてきたことは、確かに評価に値しますがな。

 とはいえ、このまま何の手も打たず放置しておいてよい道理はありますまい」

 

 「御坊のお言葉もっともなれど、わたくしは気が進みませぬ。かの御方はあまりにも多くのものを失っておりまする。それでいて、尚も護国の為に行動されているのです。この上、我らのような者が重い役目を負わせるなどあってはならぬことでしょう」

 

 黒衣の僧正に対し、玻璃の媛は否定的であった。彼女は徹がカンピオーネになった経緯を全て知っているのだから無理もない。まして、今回の帰国も彼の妻子の命日の為だと理解しているから、余計にである。

 

 「確かにあの野郎の事情には同情するがな。それとこれとは話が別だ。野郎が神殺しである以上、放っておくことはできねえ。ここいらで野郎の器と手並みを試しておくのは、必要なことだ」

 

 しかし、スサノオはにべもない。彼からすれば、徹にどんなに重い事情があろうとも、この国に眠る最強の『鋼』のことを思えば、比べるに値しないからだ。カンピオーネはかの『鋼』に対抗しうる唯一といっていい存在なのだ。その性状を調べ、強さを確認することは重大事であった。

 

 「左様。媛のお気持ちは理解しますが、我らにも役目がありまする。眠れる虎の眠りを妨げず、深く長く続くようにせねばなりませぬ。そして、いざというとき頼れるのはかの御仁しかおりませぬ。なれば、これは必要なことでございましょう」

 

 黒衣の僧正も言う。古狸で反骨精神旺盛な彼だが、護国にかける想いは本物である。そこに嘘はない。

 

 「……わたくしだけ反対したところでなんになりましょう。確かに必要な仕儀では御座いますし。

 されど、如何されるのですか?我らが地上の者達を動かし、今日まで正体を隠してきたかの羅刹の君の正体を白日の下に晒すわけにもいきませぬ。そのようなことをすれば、かの御方の逆鱗に触れましょう」

 

 「確かに媛のいうことはごもっともにございますな。されど、我らが早々動き、現世に干渉するわけにもいかぬでしょう」

 

 「いや、今回は俺が直接動く。野郎をここに招く」

 

 スサノオの突然の爆弾発言に、黒衣の僧正と玻璃の媛が驚愕に目を見張る。

 

 「何と?!御老公の直接の御出馬とは……。御老公の巫女以来の椿事で御座いますな」

 

 「御老公、どのような風の吹きまわしでしょうか?」

 

 楽しげに言う黒衣の僧正に対し、玻璃の媛は訝しげである。

 

 「なに、お袋を殺した兄貴を殺した野郎だからな。俺個人としても、一度会ってみたかったのさ。それに今回に限っては、俺が出たほうが都合がいいってのもあるがな」

 

 どうやら、母である伊邪那美を殺した兄迦具土。そして、それを殺した徹には複雑な想いを持っているらしく、ニヤリと笑うスサノオ。悪童を思わせるその笑は、これから到来する嵐の大きさを予感させる。

 

 「そういえば、あの封印は御老公自らが関わっておられたのでしたな。なるほど、妙案にございますな。いやいや、これは楽しみになって参りましたな」

 

 「御坊、あまりに不謹慎でございましょう。御老公、くれぐれもやり過ぎませんように」

 

 興味深げに笑う黒衣の僧正を諌め、スサノオに忠言する玻璃の媛。

 

 「そいつは野郎次第だな」

 

 されど、不敵にスサノオは笑い、黒衣の僧正は聞き流すだけであった。男達のそんな様子に玻璃の媛は、憂い顔で溜息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 もう、姉さんが死んでから、もう四年もたったんだ……。

 周囲では煩いほどに蝉が鳴いているというのに、ここだけは切り取られたように静寂が支配するその空間で、私は無情な時の流れを思い知る。

 

 「……」

 

 手を合わせ目を瞑り一心に何かを祈るような義兄に言葉はない。ここに来た時はいつもそうだ。義兄は無言でその掃除をし綺麗にした後、亡き姉に語りかけるように長い時間微動だにせず、その場を動こうとしない。

 

 ここは義兄の継いだ観無神社、いや神無神社の境内にある一角に設けられた姉美夏の墓である。そこには傷1つない綺麗な状態の姉の遺体が埋められている。義兄が、四年前この国を離れる前の準備期間に独力で作った墓だ。私が隠蔽の術式の開発に使われたと思っていた時間の大半はこれにつぎ込まれ、術式の開発自体は片手間であったというのだから恐れ入る。

 

 義兄に習って、目を瞑れば姉の儚げな笑顔が思い出される。

 義兄さんは知らないだろうが、私にとって印象に残っている姉の笑は儚げなものだ。大輪の華が咲いたような笑は、義兄と一緒に暮らすようになってからのものであり、私個人に向けられたことはない。あの笑は義兄と一緒であったからこそのものなのだ。

 

 いや、姉をそのようにしたのは、私自身も含めた神楽家そのものだったのであろう。姉にとって、神楽家はお世辞にも過ごしやすいとは言えなかったであろうから。両親(もっとももう親とも思っていないが)は言うに及ばず、親族は勿論、弟子である術者達でさえ、姉を蔑んでいたのだから。跡取りに相応しくない宝の持ち腐れの出来損ない、それが姉の家の中での評価であった。それでいて、体面を気にしたのか、外では令嬢としてきっちり扱ったのだから、質が悪い。私にとっては姉と普通の姉妹でいられる貴重な時間だったが、姉にしたら苦痛以外のなにものでもなかっただろう。

 

 だから、私達が本当の意味で姉妹になれたのは、義兄と姉が結婚した時であったのかもしれない。あの時、本当の意味で姉は救われ、本来の己の姿をさらけ出すことができるようなったのだ。私に対する遠慮や引け目もなくなり、姉は己の意思を表面に出せるようになったのだ。今思えば、私が変わったなどと思ったのは、姉が本来の姿を隠していたからに過ぎず、そしてそれを私が理解していなかっただけの話なのだろう。

 

 私は姉さんに謝りたいことが沢山あった。私にも姉さん本来の笑を向けて欲しかった。でも、その全てが手遅れであり遅すぎた。姉は死に、最早儚げな笑すら私に向けられることはないのだ。京の切り札『秘巫女』などと呼ばれても、表面上の事実に惑わされ、一族の妄執にも気づけなかった愚か者でしかない。まつろわぬ神には無力であり、義兄の足手まといになっている現実が私には辛かった。

 

 それでいて、姉さんの代わりでもいいから愛されたいと願っているのだから、私は何と身勝手な女であろうか。フェンリルの件で、手放す気はないと宣言してくれた義兄だったが、拒んだのがまずかったのか、あれ以来義兄が私に触れたことはない。唯一の例外は、『魔王の狂宴』の際に私が自分からしたキスぐらいのもので、義兄の護りは以前にもまして鉄壁だった。

 

 正直、姉さんにどうやったらこの人をその気にさせられるのか、問いてみたいくらいなのだから。

 

 《私からあの人を奪おうというんだから、そのぐらい自分で考えなさいな。あの人をその気にさせるぐらいのいい女におなりなさい!》

 

 そんな答が返ってきたような気がして、私は目を瞠る。思わずキョロキョロと周囲を見回すが、何の変化もない。耳を澄ませてみても、聞こえるのは風の音とミーンミンミンと鳴く蝉の声だけだ。

 

 恐らくは幻聴だろう。いや、私の願望が聞かせた声なのかもしれない。でも、私は不思議と姉さんに喝を入れられた気分だった。姉に怒られたのは数えるほどしか無いが、叱咤激励されたことは少なくないだけに余計にそう思えた。

 

 確かに姉さんから義兄さんを奪おうという私が姉さんに頼るとか、何様だろうか。恥を知るべきであろう。独力で義兄さんをその気に出来ないのならば、結局私は姉さんに勝てないということなのだから。

 いや、故人に勝てるとは思っていないが、せめて私を女として見て欲しいと思う。亡き妻の妹ではなく、一人の女として求めて欲しいと思う。そして、それは余人に頼るものではなく、私自身がなさなければならないことなのだから……。

 

 そんなことを改めて思い直しながら、意中の人物へと目を向ければ、ちょうど姉との対話を終えて振り返った義兄と目があった。

 

 「どうした?」

 

 「ううん、ちょっと姉さんに喝を入れてもらったような気がしただけ」

 

 

 「美夏に喝をか……ああ、ありそうな話だ。私もよく入れられたものだ」

 

 懐かしげに何かを思い出すかのように義兄は話す。先程までの鉄面皮が嘘であったかのように綻ぶその様に、鈍い胸の痛みを感じる。ああ、私はまだ姉さんに及ばないのだ。

 

 姉の話題は基本的にお互いに積極的には出さないことが私達の不文律だが、日本帰っている間だけは別だ。とはいえ、義兄は結構無意識の内に何気なく姉の話題を出すので、しっかり守られているとは言い難いのだが、それでも自粛しているのは事実なのだろう。この時ばかりは普段の数倍、いや、二言目には姉の話が出るのだから。

 

 「姉さんが、義兄さんに?」

 

 「ああ、思えば初対面からそうだったよ。元々政略結婚前提の話だったからな。期待なんて欠片もしないで、やる気ゼロだったからな」

 

 どこまでも楽しげに笑みすら浮かべて語る義兄の姿に胸の痛みは酷くなる。姉の思い出話をするだけで、こんなにも笑を見せるというのに、普段私と一緒にいる時の義兄はほとんど笑わないのだ。時折見せるのも微笑程度で、今のような無防備な笑ではない。

 

 もしかしたら、義兄さんは、姉さんを失って以来、本当の意味で笑ったことなどないのかもしれない。

 

 そんな思いが頭をよぎり、払いのけたはずの無力感がまた頭をもたげてくる。

 

 いけない、いけない!姉さんに叱咤されたばかりではないか。義兄さんが笑えていないとうのなら、笑わせてあげるのが私の役目だろう。その程度のこともできずにどうして義兄さんの隣に立とうというのか。

 

 急な来客があったのは、そんな風に内心で己を奮い立たせた時であった。それだけにタイミングが悪いと思ってしまったのは仕方のないことだろう。思わず八つ当たり気味に睨みつけてしまったことも含めて……。

 

 「お久しぶりです、先輩に美雪さん。私も参らせてもらっていいでしょうか?」

 

 そう言って現れたのは、白いYシャツを着た不思議とだらしない感じを受ける地味な青年であった。手には花束を持っていることから、言葉通り姉の墓参りに来たのは間違いない。但し、本題は別にあるだろうが……。

 

 青年の名は甘粕冬馬(あまかすとうま)。地味な外見に騙されてはならない。秘巫女である私の目から見てもその動きに隙はなく、それどころか足音すらない。彼は四家筆頭『沙耶宮』が創設した正史編纂委員会という日本の呪術界を取り仕切る組織の凄腕エージェントなのだから。

 

 そして、腹立たしいことに、義兄さんと親しい友人でもある男である。

 

 

 

 

 「いやー、突然お邪魔してすいませんね。無粋だとは思ったんですが、先輩達が日本に帰ってくるのって、この時くらいじゃないですか。なので、非礼は承知で押しかけさせてもらいました」

 

 汗を拭いながらも、恐縮したように冬馬は話す。  

 

 「いや、お前には世話になっているからな。気にすることはない。報告書に何か不備でもあったか?」

 

 甘粕冬馬、本来敵対関係にある組織に所属する術士である。とはいえ、敵対といっても両組織の力の差は明白であり、古来よりの権威や伝統を重んじる京都の組織にとって、私のような新参者は余り好まれないこともあって、私にとってはむしろ付き合い易い男であった。そんなわけで、ある集まりで知り合って以来、不思議な友人関係が続いている男だ。結婚式にも招待したから、それなりに親しい間柄と言えよう。まあ、冬馬からすれば、不穏分子の情報収集という意味もあったのだろうが、それはお互い様なので特に問題はない。

 

 四年前、美夏の死をきっかけに私は所属していた京都の組織を脱退している。これは美雪も同じことであり、そういう意味では正確に言えば最早美雪は秘巫女ではないのだが、まあ後継者もいないし、特段名乗っているわけでもないので別段問題はないだろう。ここで、重要なのは私と美雪に収入がないということだ。美雪は、神楽家の遺産で一生食っていけるが、私は別だ。無論、頼めば美雪は喜んで受け容れてくれるだろうが、ヒモになるのはまっぴら御免である。よって、私は新しい収入源を手に入れる必要に迫られた。

 

 とはいえ、カンピオーネの宿業ともいうべき騒動誘引体質では、一所に留まるわけにもいかない。そうなると真っ当に働いて稼ぐのは難しい。故に、当然の如く呪術・魔術関係の仕事となるわけだが、あまり大ぴらにやると正体がバレかねない。そこで頼ったのがこの男である。

 

 四年前、私と面識があるということで、調査に派遣されてきた冬馬に、美夏の死を理由に京都の組織を脱退したこと、しばらく日本を離れることなどを話し、仕事の斡旋を頼んだのだ。そうして、回された仕事が外部調査員であった。 

 日本の呪術界は他国に比べて特殊な形態をしており、さらにどちらかといえば内向きであり、他国に支部を設けるようなことはしていない。その為、外部の情報がどうしても遅れがちになるし、詳細を掴むのも一苦労であった。それに他国で呪術や魔術によって被害を受けた者のケアなども万全ではなく、かといって簡単に拡充することができるものでもないので、歯痒い思いをしていたらしく、私の申し出は渡りに船であったらしい。

 

 とはいえ、実のところ私より秘巫女である美雪との繋がりを維持すると同時に、四家に対しての敵対勢力として急先鋒であった神楽家最後の生き残りに対する監視という意味合いが大きかったらしいが。

 

 まあ、そんなわけで私は外国で呪術被害を受けた邦人のケアや、邦人の引き起こした呪術トラブルの解決等をしながら、日々の糧を得ていたのである。よって、断じてヒモではないことを宣言しておく。

 

 さて、私の仕事として最も重要なのは、他国における呪術・魔術関連の情報収集である。やはり現地にいないと分からないことは多々あるし、手に入らない情報というのは少なくないのだ。これには当然、まつろわぬ神やカンピオーネの情報も含まれており、私の報告書はとても有用であったことは間違いない。なにせ、間近で見たどころの話ではない。当事者であるのだから、そんじょそこらの結社の集めた情報とは比べもにならないぐらい詳細な内容を書けるのだ。実際、高評価でボーナスまでもらった程であるから、その価値はよく分かるであろう。

 

 「いえ、報告書に不備があったわけではありません。むしろ、その逆なのが問題でして……」

 

 「逆?どういうことだ?」

 

 「新しく上司になられた方が、先輩の報告書を見て詳しすぎると言われまして。特に去年の『魔王の狂宴』について、あそこまでの情報は現地の結社ですら手に入れてはいなのいのではないかと疑問を呈されまして」

 

 「なるほどな、詳しすぎるか……。それで、それに気づいた聡明なお前の上司は?」

 

 やらかしたというのが、私の偽らざる思いであった。普段は気をつけているつもりなのだが、あの時は色んな意味で気が昂ぶっていて、どうやら自重しきれていなかったらしい。確かに、思い返してみると詳しすぎる事は否めない。まるで、当事者であったかのような情報量だろう。背中に嫌な汗が流れるのを感じた。 

 

 「先輩が覚えていらっしゃるか分かりませんが、媛巫女であり沙耶宮の次期頭首であらせられます。正史編纂委員会・東京分室室長『沙耶宮馨(さやのみやかおる)』さんです。どうして、こんなに詳しいのか聞いてこいと命じられましたよ……」

 

 やれやれと言いたげな表情で溜息をつく冬馬だが、その眼光は鋭く欠片も笑っていない。もしかすると冬馬自身、同様の疑問を抱いていたのかもしれない。

 

 「……」

 

 

 「先輩には少なからぬ恩義がありますし、余り問い詰めるようなことはしたくはありません。先輩の仕事ぶりは委員会も評価していますし、悪いようには致しません。答えては頂けませんか?」

 

 どうすべきか沈思黙考する私の姿を、冬馬は答えたくないのだととったのだろう。そんなことを言ってきた。

 

 さて、どうしたものだろうか?ここで真実というか、私の正体をバラすわけにはいかない。冬馬だけならともかく、その上司にまで伝わるのは許容できないからだ。なにせ、私は沙耶宮馨の為人を知らない。合同の祭祀で遠目にその姿を見たぐらいなのだから。故に誤魔化す以外道はないのだが、どう誤魔化したものだろうか?うん、待てよ。引っかているのは『魔王の狂宴』だったな。それならば、言い様はあるか。

 

 「……無様な話だから、余り他言はして欲しくないのだが、あれで行われたのはまつろわぬ神招来の秘儀だったろう?だからさ……」

 

 私の言葉にはっとして、沈痛な表情になる冬馬。甘くはないが良い奴である。

 

 「そうか……先輩の奥さん、美夏さんは」

 

 冬馬は美夏が神招来の為に生贄にされて犠牲になったことを知っている。だからこそ、通じる理由であった。

 

 「ああ、まつろわぬ神招来の秘儀と聞いては、いてもたってもいられなくてな。勇み足もいい所だったし、俺ごときには儀式をやめさせることも出来なかったが、事の一部始終はどうにか見届けることはできた。ただ、それだけの話だ……」

 

 無論、真っ赤な嘘であるが、さも真実であるかのように沈痛な表情になって、私は悔しげに語ってみせた。いかに現代の忍ともいうべき冬馬であっても、これを見破るのは容易では無いだろう。

 

 「そういうことでしたか……。申し訳ありません、いらぬことをお聞きしました。馨さんには、私からそれとなく上手く伝えておきますよ」

 

 「すまんな、恩に着る」

 

 「いえいえ、これくらいなんてことありませんよ。先輩にはお世話になりましたから」

 

 「今、世話になっているのは私の方だがな」

 

 私が戯けて言うと、冬馬も笑って応じた。

 

 「いやいや、こちらとしても助かってますし、持ちつ持たれつですよ。

 そういえば、最近は……」

 

 それから、しばらく互いの近況などを教え合い、手土産に開発した新術を持たせてやる。真実を隠し嘘をついたことに対する詫びでもある。冬馬はそれを恐縮しながらも受け取り、帰っていた。

 

 私としては、酒でも飲み交わしたいところだったのだが、今回は居心地が悪かったのだろう。なにせ、終始美雪が凄い目つきで無言で睨みつけていたのだから、無理もないだろう。

 正直、残念だったのだが、私はすぐに冬馬が早々に帰ってくれたことを感謝することになる。予期せぬ招待を私達は受けることになったからだ。

 

 

 

 

 

 それは最早本来の用途どころか、安置すべきものまで失って、無用の長物とかした本殿を久方ぶりに徹と美雪が掃除している時のことであった。二人は突然本殿内に凄まじい呪力の高まりを感じた。

 

 「こ、これは?!」「義兄さん?!」

 

 突然のことに驚愕する徹と美雪。そして、事態はそれで終わらない。

 

 「義兄さん、下を!」

 

 悲鳴を上げるように警告する美雪に、徹は突如足元の感覚がなくなるのを感じ、足元を見た。そこにあったのは先程までの板の間ではない。光すらささぬ深き闇だ。

 

 「なっ?!これはまつろわぬ神の襲撃か!」

 

 本来、魔術・呪術の類は何もせずとも通用しないのが、カンピオーネの特性である。すなわち、徹が抗うこともできず呑み込まれるのは、同等の存在であるカンピオーネによるものか、それ以上の存在であるまつろわぬ神によるものでしかありえないのだ。

 

 「炎化は炎ごと呑み込まれるから無駄だな。フェンリルになるには時間が足りないか。まあ、死ぬ気はしないから大丈夫だろう。美雪、お前は……」

 

 冷静に対処法を考え、どうしようもないと判断を下す徹。そうしている間も、体が闇に沈んでいるのに呆れた平静ぶりであった。それどころか、美雪に指示すらだそうとしたが、これには美雪のほうが先んじた。

 

 「義兄さんだけを行かせない!」

 

 「おい、馬鹿止せ!」

 

 『猿飛』で一直線に飛びついてくる美雪を躱す術は、すでに半身が呑まれている徹にはなかった。制止の言葉もむなしく、美雪は徹を逃さぬと言わんばかりに抱きしめると、自身も闇に呑まれたのだった。後にははたきと雑巾が残され、それが人のいた残滓を僅かに感じさせるだけであった。

 

 

 

 

 

 「どこだここは?美雪はどこに?」

 

 深き闇に呑まれた私はいつの間にか地に足をつけていた。深山の奥地、傍には渓流が流れ、嵐が吹き荒れている。とりあえず、本殿ではないことは間違いない。それに感じる自然の息吹は本物だ。どうやら、どこかに移動させられたらしい。

 

 しかし、今はそんなことよりも美雪の行方が気になる。もし、別々の場所に飛ばされているとしたら、命の危険すらあるのだ。なにせ、このような真似ができるのはまつろわぬ神でだけだろうからだ。カンピオーネである己はまだしも、超一流んといえども徒人である美雪に抗う術はない。

 しかも、『魔王の狂宴』以来、明日香は私の中に留まったままだ。元々明日香は美雪よりも私を優先する。この原因不明の状態では、私から離れることはないだろう。

 

 

 「くっ、どこだ美雪?!」

 

 

 焦りを隠せない私だったが、手の中に何かあることに私は気がついた。

 

 「櫛?これは一体……痛!」 

 

 だが、その櫛を見た時、私の不安は急速に消えていった。なぜだか分からないが、美雪の身に危険はないと確信できてしまったのだ。そして、次の瞬間頭痛がしたかと思うと、天啓のようにその答が脳裏に浮かんでくる。

 

 それでは、この櫛は……。

 

 「悪いな。勝手に呼び出しといて何だが、俺も神の端くれでな。徒人の前にそう易々と姿を見せるわけにはいかねえんだよ。魔王であるお前はともかくとしてな」

 

 いつの間にか、川のほとりに偏屈顔の巨躯の老人が立っていた。その姿を見た瞬間に体に満ちる力を感じる。宿敵との邂逅に、カンピオーネの本能が肉体を臨戦態勢へと勝手に移行させたのだ。すなわち、目の前の老人の正体は、自身でも述べた通り神なのだろう。

 

 「お前は神だといったな。では、まつろわぬ神か。なぜ、こんな真似をした?いや、そんなことはどうでもいい!さっさと美雪を元に戻せ!」

 

 「いやいや、俺はもう隠居の身さ。まつろわぬ神であった者ではあるがな。

 お前の器を計るためといっても、お前は納得しなだろうな。何度も言うが、無理だな。どうしても巫女を元に戻して欲しかったら、力づくで言うことをきかせてみな!」

 

 「その言葉、後悔するなよ建速須佐之男命!」

 

 目の前の神の名は、すでに知っている。ここは幽世。然るべき力を持っていれば、この程度の情報を引き出すことは造作も無い。ここに来るのは、初めてではないのだから。

 

 建速須佐之男命、伊邪那岐が黄泉の国から戻った時、その穢れを落とす為に禊をした時に生まれた三貴子(みはしらのうずのみこ)の一柱である。姉には太陽神であり高天原最高神たる『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』、兄には月神である『月読(つくよみ)』を持つ日本神話において一、二位を争うビッグネームである。その逸話は枚挙を厭わず、海原を治めよと言われたのにそれを断り、母伊邪那美に会いたいと願って、伊邪那岐の怒りを買い追放されたことを皮切りに様々な騒動を引き起こしている。中でも有名なのは、その粗暴な行為によって姉アマテラスが天の岩戸に引き篭もった『岩戸隠れ』。そして、高天原を追放荒れた後、出雲で行った『八俣遠呂智(やまたのおろち)』退治だろう。また、『大宜都比売(おおげつひめ)』を斬り殺して、その結果五穀が生まれたり、禊をした際に天狗や天邪鬼の祖となる女神『天逆毎(あまのざこ)』を生んだりもしている。他にも妻と篭る為の新婚の宮を建造した際に『八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を』と日本最古の短歌を詠んだりもしており、文化的英雄としての側面を持つ。

 悪戯好きの我儘で粗暴であるため、日本神話におけるトリックスター的な神であるとされるが、同時に『鋼』の征服神としての側面も多く併せ持つ。それどころか海神、嵐の神、歌の神等、とにかく多様な神性を持った大神である。

 

 美雪が櫛にされたのは、八俣遠呂智退治の際に『櫛名田姫(くしなだひめ)』が櫛にされたことにあやかってのものなのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。問題なのは、あろうことか()の前で美雪に手を出しやがったことだ!

 

 「この短い間で俺の名を探りだすとは大した野郎だ!さあ、来いよ!お前の器、俺が直接試してやるぜ!」

 

 その手に鋼の剣が握られ、挑発するように手を招くスサノオ。一方的に呼び出してのまりの勝手な言い分に、私の怒りはすでに臨界点だ。そもそも神と名のつくものを生かしておく道理が私にはない。隠居したなど知ったことか、骨身どころか魂魄すら灼き尽くしてくれよう!

 

 「我は炎、神を殺し娘を殺せし、許されざる原初の咎人。全てを滅ぼす原初の破壊の焔なり!」

 

 私は何の躊躇もなく、スサノオに対して権能を行使したのだった。

 

 

 

 

 スサノオに迫る極小の太陽。それは徹が迦具土の権能を凝縮・圧縮して創りだしたものだ。直撃すれば、いかな神と言えどもただでは済まない。

 

 「流石はお袋を焼き殺した兄貴の炎だ。剣じゃ分が悪いな!」

 

 スサノオは剣で防ぐのを早々に諦め、嵐の権能を用いた。吹き荒れる風と雨、そして轟く雷鳴が、極小の太陽に絡みつき、それを相殺していく。

 

 『隠居したくせに現世に口を出すな!老害が!』

 

 しかし、徹はすでに次手に移っている。白銀の巨狼が、スサノオを喰い千切らんと迫る。

 

 「そうしたいところだがよ。お前も知ってるんだろう?この国に眠る迷惑なガキのことを!」

 

 スサノオはそれを剣でもって、受け流してみせた。フェンリルの巨体からの突撃を受け流すとは、何たる技量、何たる膂力であろうか。流石は伊邪那岐自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとした三貴子の一柱にして、八俣遠呂智を斬り殺した英雄神だ。その武技や基礎能力は、そんじょそこらの神とは格が違う。

 

 だが、徹とて伊達に10柱もの神を殺していない。徹は突進のの勢いそのままにフェンリルの権能を解いた。急速に剣にかかる力が消え、受け流そうと注がれた力が剣を空振りさせる。そして、すかさず、スサノオの懐に潜り込むと腕をえぐりこむように突き刺し、同時に炎化させる。

 

 「やるじゃねえか!だがな!」

 

 スサノオもやられっぱなしではない。炎にその身を灼かれながらも、権能を行使する。神名の須佐とは荒れすさぶ意であり、すなわちスサノオは嵐の神であると一説では言う。まつろわぬ神は神話に基づいた権能を持つのだ。なれば、嵐を武器とできぬはずがない。須佐の名を証明するかのように徹の全身を暴風が叩き、吹き飛ばす。元より炎化した肉体は、炎としての性質上、風に流されやすい。まして、権能による荒れ狂う暴風に抗うことなどできようはずもないのだ。

 

 しかし、当然ながら徹にダメージは皆無である。流されるだけで勢いを増す事はあっても、風では炎を消すことはできないのだ。

 

 だが、そんなことはスサノオも織り込み済みである。スサノオは剣に雷を宿すと、間髪入れずに徹に斬りかかる。神剣といえど、ただの斬撃では炎化した徹にダメージを与えられないことを見越して、雷を剣に宿すとは中々に芸の細かいスサノオであった。

 

 「剣を持っているのが、お前だけだと思うな!」

 

 スサノオの剣閃を止めたのは、神殺の炎を宿した明日香であった。が、続く剣戟は受けられない。徹の剣の腕はあくまでも一流止まりであり、日本神話でも一、二位を争う英雄神にして征服神(州砂=砂鉄ととり、八俣遠呂智退治は優秀な産鉄民を平定した象徴であり、天叢雲はその成果の象徴であるという一説より)たるスサノオの武技とは比べくもないからだ。

 

 とはいえ、初撃を防いだ時点で役割は果たしている。すでにスサノオの剣が宿した雷は相殺されている。なれば、炎化した徹を切れる道理はない。

 

 そして、必然的に無意味な二撃目からはそれがスサノオの隙となるのだ。徹はその機を逃さず、神滅で諸共に焼き尽くそうとして、斬られた(・・・・)

 

 「な、なに?!」

 

 「俺の剣は天叢雲だ。討ち果たした夷狄の力さえ取り入れ、利用できるのさ!そして、俺は太陽である姉貴すら隠した神だぜ。何かを盗んだり隠したりするのは得意なんだよ。お前は、さっき神喰いの狼の権能を使ったろう?あの時、俺が神喰いを盗み同時に剣にその特性を取り入れさせたのさ。雷はお前を騙すためのブラフだったわけだ」

 

 袈裟斬りにされた徹から盛大な返り血を浴びながらも、得意げに種明かしをするスサノオ。その表情はいたずらに成功した悪戯小僧そのものだ。

 

 しかして、徹はこれで終わるような潔い男ではない。むしろ、その逆。彼はどこまでも生き汚く、そして転んでもただでは起きない男なのだ。

 

 「その程度で勝ち誇るなよ。誰の血を浴びたのか理解しているか?燃え尽きろ!

 我は炎、原初の破壊そのもの。我が身全てはけして消えることなき原初の焔なり!」

 

 徹はその身を炎と化すことができる。それは体から離れていても、何ら問題はない。フェンリルに食い千切られた腕を炎化させたように、たとえそれが血の一滴であろうとも、彼はそれを媒介に権能を行使することができるのだ。

 

 「ちいいい、しまった!雨よ!」

 

 タップリと浴びた返り血が炎と化し、瞬く間に全身を炎に巻かれるスサノオ。されど、かの神もまたやられるのを大人しく待つような存在ではない。スサノオは嵐の権能を最大限に行使して、集中的な豪雨を降らせる。権能による雨は、けして消えぬはずの炎をみるみる内に鎮火していく。

 

 無論、徹とてそれを待ってはいない。なにせ、先の袈裟斬りはどう考えても致命傷である。カンピオーネの異常な生命力で動くことはできるが、回復しないと遠からず死ぬのだ。なればこそ、ここで切るのは切り札以外にありえない。

 

 「迦具土滅びて、原山津見神(はらやまつみのかみ)戸山津見神(とやまつみのかみ)志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)羽山津見神(はやまつみのかみ)闇山津見神(くらやまつみのかみ)奥山津見神(おくやまつみのかみ)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)を産むなり。我、神を滅ぼし、神を生じさせるものなり」 

 

 徹の言霊に従い、その肉体を糧とし『神殺』の特性を純化し昇華、そうして『神滅』の焔はその姿を現す。そして、雨も風も吹き飛ばし、或いは巻き込みながら爆発的な勢いで膨れ上がり、ついにはスサノオをも呑み込んだのだった。

 

 

 

 

 そんな徹とスサノオの戦いを見守る者達がいた。玻璃の媛と黒衣の僧正である。玻璃の媛の前に置かれた水盆には、今まさに炎に呑み込まれるスサノオの姿が映っていた。

 

 「かくも凄まじきは、流石は羅刹の君というべきでございましょうか。御老公相手に一歩も退かぬとは大したもにございますな。最後は自爆というのが、余り褒められたやり方ではございませんが」

 

 黒衣の僧正は感嘆とも落胆とも取れる感想を漏らした。

 

 「かの羅刹の君のご気性で、ただの自爆というわけでもないのではないでしょうか。私の目にはあの方が自棄になったようにも、道連れを欲したようにも見えませんでしたが」

 

 「媛はあの御仁の肩を持たれますなあ。まあ、確かに己の命を諦めた者の目ではありませんでしたが……」

 

 水盆に映る戦況を見ながら、言葉をかわす両者の目に傷一つない徹の姿が映るのは、もうまもなくのことであった。

 

 

 

 

 

 「大したもんだ。俺をここまで削るとはな……。存在そのものを灼くとかとんでもないもの使いやがって、マジで死ぬかと思ったぜ。ちっ、剣どころか片腕を持ってかれたか」

 

 スサノオの手からは剣が失われていた。とはいえ、奪われたわけではないし、消滅したわけでもない。遠からず復活するだろうが、しばらくは使うことが出来ない。もともと『鋼』の系譜である天叢雲は、迦具土の炎と相性が悪いのだ。ただでさえ、『神殺』で削られていたところをダメ押しの『神滅』で存在自体を灼かれたのだから無理もないだろう。まあ、スサノオが自身へのダメージを大部分を肩代わりさせたことも、大きな理由ではあるのだが。

 

 しかも、そうまでして片腕は完全に動かないのだから、スサノオのぼやきは当然であろう。それも自爆技のはずなのに、それを放った相手は傷一つない様で目の前に立っているのだから無理もない。

 

 「あれで生きているあんたも大概だろ」

 

 とはいえ、それは徹とて同様である。権能で新生するとはいえ、『神滅』を行使するということは自身の死は避けられない紛う事なき自爆技である。己の死を代償とした切り札が、剣と片腕だけの被害で凌がれてはたまったものではない。

 

 「傷一つねえどころか、呪力まで回復してやがるとは巫山戯た権能を持ってやがるな」

 

 「何、あんたに比べたら大したものじゃないさ」

 

 「吐かせ、小僧が!」

 

 さて、第二ラウンドというところで、待ったをかける者達がいた。傍観に徹していた玻璃の媛と黒衣の僧正である。

 

 「そこまでにございます。羅刹の君よ、ご無礼のだんは平にお詫びしたしますので、どうか矛をお納め下さいますよう」

 

 「御老公、もう十分でござりましょう。羅刹の君、御老公のいずれかが失われては元も子もありませぬ。これ以上は些か戯れが過ぎましょうぞ」

 

 「ちっ、いいところだったのによー」

 

 苦々しげに渋い顔でぼやきながら、臨戦態勢を解くスサノオ。

 

 「あんたらは一体何者だ?」

 

 しかし、当然ながら、徹は警戒を解かない。むしろ、敵が増えたと警戒を強める。幸いにして、呪力も傷も回復しているのだ。状況は不利だが、まだ美雪を戻さぬというならば、もう一戦することも辞さないつもりであった。

 

 「警戒されるのはごもっともなれど、どうかお気を静めくださいますよう」

 

 「御身の荒ぶる御霊、しかと見せて頂きました。真、羅刹の君に相応しきなさり様でございました。御老公、よろしいでしょう?」

 

 「ちっ、しゃあねえな」

 

 玻璃の媛が徹を宥め、黒衣の僧正が何かをスサノオに促す。スサノオはなんとも言えない苦い表情で指を鳴らした。

 

 すると櫛が美雪へと姿を変えた。いや、正確に言うならば戻ったのだろうが。

 

 「美雪!」

 

 慌てて美雪を抱きかかえる徹。パッと見た感じでは傷一つ見られないが、スサノオの力が何らかの悪影響を与えている可能性がは捨て切れないからだ。だが、その不安を払拭したのは、他ならぬスサノオであった。

 

 「安心しな、巫女には傷一つつけちゃいねえよ。すぐに目を覚ますだろうよ」

 

 「……信用できるとでも思って…「義兄さん?」…美雪!」

 

 徹はそれを言下に切り捨てようとして、美雪の声にそれを中断される。

 

 「義兄さん、どうしたの?そんなに必死な顔をして……何かあったの?」

 

 目覚めたばかりで、いきなり見たのが徹の必死な顔だったので少し混乱しているのだろう。

 

 「体に何の異常もないか?どこか違和感はあるか?」

 

 「ううん、特に問題はないけど。強いていうなら体が妙に重い感じが……!この空気、まさか幽世!私達は幽世に引きずり込まれたの?!」

 

 それでも僅かな時間で状況を把握し、幽世に適応すべく呪力を高めているあたり、美雪の巫女としての能力の高さが伺える。

 

 「ほう、大したものにござりますな。良き巫女を連れていらっしゃる。流石は羅刹の君というべきでございましょうか」

 

 黒衣の僧正は、揶揄するように言う。一々皮肉げに感じるのは、表面上は謙っていても内心に抱く反骨心が故なのかもしれない。

 

 「私とは異なる系譜の蛇に連なる女の(すえ)。それも先祖返りとまではいきませんが、かなり血を色濃く受け継いだ巫女に御座いますね」

 

 玻璃の媛は何かを懐かしむような目で美雪を見つめながら、そう評した。

 

 「ふんっ」

 

 スサノオは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで、何も言わない。

 

 「義兄さん、この方達は?」

 

 美雪は三者のいずれにも尋常ならざるものを感じたのだろう。その声は震えていた。

 

 「さてな……私ももそれが知りたいのだがな。まあ、私達をここに引きずり込んだのはこいつらに間違いない」

 

 「いえいえ、確かにここに御身を呼んだのは我らの総意なれど、実行したのは御老公にござりますよ。拙僧と媛は関わっておりませぬ。そもそも本来ならば、我らは現世に直接手を出すことは叶いませぬから。

 しかし、あの神社なれば、御老公に限っては話が別でございましてな」

 

 黒衣の僧正は愉しげに語る。

 

 「羅刹の君、貴方様が定命の者であった時に担いし護国の役割。その役目であった護持すべき封印は、御老公が作られたものなのです」

 

 「なんだと……」

 

 

 「義兄さんの神社にあったまつろわぬ神を生まれにくくするというあの封印を?!」

 

 徹と美雪は驚愕と共にスサノオを見るが、当のスサノオは嫌そうに顔をしかめて顔を合わせようとしない。代わりに口を開いたのは、黒衣の僧正であった。

 

 「左様。で、あるが故にあの神社には、御老公の御力の残滓が漂っていたのでございますよ。封印は内から壊されてしまいましたが、あの封印に使われた力は相応のもの。その残滓なれば、御身をこちらに招くのも造作はないというわけでございます」

 

 「急な招き、我らの非礼は重々承知で御座います。されど、我らもまたこの国を守らんとする者なれば、どうか我らの願いをお聞き届け下さいませ」

 

 絶世の佳人である玻璃の媛に深々と頭を下げられ、しかも用件が己の護国の役割に関係するといわれれば、さしもの徹も矛を収める他ないのであった。

 

 

 

 

 私と美雪は、玻璃の媛に美しい庭園に建つ東屋へと導かれた。ここは玻璃の媛が支配する領域らしい。先にいた嵐吹く深山はスサノオの領域であり、彼の好みによるものらしい。

 東屋の中には、待っていたと言わんばかりにスサノオと黒衣のミイラが鎮座していた。

 

 

 「では改めて、我らはこの国の呪法を司る者達の後見役の古狸でござりますよ。正史編纂委員会の『古老』と言われる存在が我らでございます」

 

 黒衣を纏ったミイラの言葉に、私は驚きを隠せなかった。確かに噂には聞いていた。精霊、半神、聖僧、新人、大呪術師、怨霊等、様々に言い伝えられている人ではない超自然の存在。日本の呪術界に厳然たる影響力を有し、正史編纂委員会でも顔色を伺わねばならぬ御意見番『古老』。

 

 だが、まさか元まつろわぬ神であったという畏怖すべき神霊までいようとは。それにスサノオに劣るといえ、即身成仏である黒衣の僧正、玻璃の媛もまた尋常ならざる存在であることは間違いないのだ。私が思うよりはるかにこの国の呪術界は底が知れないようである。

 

 「此度、羅刹の君たる御身をお招きあそばしたのは、不遜ながら御身の器を計りご気性を確かめるためにござりまする。強引に招いた非礼と御身を試す無礼は伏してお詫び申し上げます」

 

 「要するに、私の力と為人を試したかったと?」

 

 「そうだ。おまえも知っているだろうが、この国には厄介なガキが眠っている。俺達としちゃあ、あの迷惑なガキには起きられるのは困るんだよ。だからこそ、俺はおまえのところの社に手間暇かけて封印なんて施したんだぜ。まあ、どこぞの馬鹿共のせいで内から壊されちまったわけだが」

 

 先程とは打って変わって饒舌に話すスサノオ。どういう心変わりかしらないが、今は助かる。とはいえ、その内容は美雪にとって辛いものだ。なにせ、彼女の一族が知らぬとはいえやらかしたことなのだから、無理もないだろう。膝の上に置かれた手が強く握られるのが私の目に入った。

 

 しかし、それは私とて同じだ。養親から託されし護国の役目を果たすことがきなかったのだから。正直なところ、内心忸怩たる思いがあることは否定出来ない。

 

 「あれでもかなり手間をかけたんだぜ。今、おまえの娘が宿っている十拳剣はな、元々俺が天津麻羅(あまつまら)の奴に頼み込んで、封印の要として作らせたものなんだぜ」

 

 天津麻羅、古事記に登場する日本神話の鍛冶の神であり、倭の鍛師(かなち)等の祖神、物部造等の祖神、阿刀造等の祖神とされる。天岩戸隠れの際に、思金神(おもいかね)に呼び出され、八咫鏡(やたのかがみ)を作り出すために天の金山で製鉄したとされる。

 

 なるほど、あの御神体であった十拳剣は文字通り神の手で作られた神器であったわけだ。それも最初から祭器として作られた儀式剣であったわけだ。

 

 「その他にも『鋼』を猛らし、呼び起こす竜蛇の神格に対する備えとして、拙僧が地上にいた頃に猿王殿を招き、『弼馬温(ひつばおん)』をもって封じたのです。

 地上の呪法を司る者達が雑事にかまけ、その真の役割を忘却しても御身はそれを理解しているはず。全てはこの国に眠る外つ国より流れ着いた蕃神(ばんしん)、最強の『鋼』たる御子を起こさぬ為でござる」

 

 最早、地上では私以外知ることのない情報が赤裸々に語られる。秘巫女であろうが、媛巫女であろうが、四家筆頭であろうが、その真の役割と意味を忘却された護国の備え。それが神無神社の封印であり、日光の『弼馬温』なのである。日本呪術界最高機密ともいうべきその内容に、美雪は目を白黒させている。

 

 「それがなんで私を試すことに繋がる?」

 

 「ふん、言うまでもねえが、最早封印はない。しかも、今まで押さえつけてきた反動か、いつまつろわぬ神が生まれてもおかしくねえのが現状だ。それが竜蛇ならまだいいが、そうでなかったら、そいつがあの厄介なガキを起こす呼び水になりかねねえ。

 まつろわぬ神を倒せるのは、お前ら魔王だけだ。そして、あの迷惑なガキに対抗できるのもな。なら、その唯一の手段がどの程度使えるものか試すのは当然だろうよ」

 

 「御身の活躍は多少なりとも我らも聞いてはおりますが、如何せん正体を隠しておられる御身の情報は少のうございます。故に此度の仕儀なったというわけでござる」

 

 「危急の際、御身が地上の守護者となってくれるか否か、非礼ながら我らはそれを知りたかったのでございます」

 

 スサノオが当たり前のことを聞くなといわんばかりに吐き捨て、黒衣の僧正は言外に私に責任があると告げ、玻璃の媛だけが申し訳なさそうに言う。

 

 正直、喧嘩売ってるのかと思わなくもない。だが、癇に障ることではあるが、その言い分はもっともであり、私自身その正当性をある程度認めざるをえない。古老達が長年護国為に注力してきたことは認めざるをえない厳然たる事実なのだから。

 

 「それで、私はお眼鏡に適ったのか?」

 

 「さてな?それをおまえに教えてやる必要はないだろう?俺達の結論に切れて、暴れられても厄介だからな」

 

 私の複雑な内心を知ってか知らずか、スサノオは無関心に手酌で酒を飲みながら、そんな答を返してきたではないか。流石に私もイラッと来る。

 大体、神であるというだけでも私にとっては殺す理由になるのだ。だというのに、加えて何も被害はなかったとはいえ美雪に手を出されたのは、私にとって痛恨の極みであり、許されざることだったのだ。最早、滅殺しても飽きたらぬというのが本音である。そんなわけで、私の堪忍袋の緒はいつ切れてもおかしくない状態であったのだ。それを護国の役目ということで耐え忍んでいたというのに、そこにこの態度である。もう、キレてもいいよね?

 

 「……いきなり喧嘩売っておいてその言い様。いいご身分だな。マザコンのスサノオ様は」

 

 私のあまりの言い様に美雪は蒼白になり、黒衣の僧正と玻璃の媛は言葉を失い、スサノオは酒を吹き出した。

 

 「ゲホッゲホッ、テメエいうに事欠いてマザコンだと!喧嘩売ってんのか!」

 

 「ああ、私は事実を言っただけじゃないか。有名な話だろう。あんたは母に会いたいとわめいて、父親に追放されたマザコンだろうが!」

 

 「テメエ、表出ろ!今度こそぶっ殺してやる!」

 

 「上等だ。大好きな母親に会えるように黄泉へと送ってやるよ!」

 

 売り言葉に買い言葉、私達は戦意を高めていき、そこで文字通り冷水をぶっかけられ、強制的に頭を冷やされた。

 

 「羅刹の君、貴方様のお怒りはごもっともなれど、些か言葉が過ぎましょう。御老公も大人気のうございます。非は我らにあるのですから、ある程度の言は容赦されるべきでございましょう」

 

 どうやらこれを成したのは玻璃の媛のようだ。流石はこの領域の支配者である。恐らく、彼女自身高位の術者であろうとは思っていたが、全く察知できなかったことからその程度の認識では足りぬらしい。これほどの力量に先の蛇に連なる女という言葉、もしかすると彼女は『神祖』と言われる存在なのかもしれない。それにしても普段静かな美人が起こると本当に怖い……。

 

 「義兄さん、落ち着いて。私は無事だし、勝手についてきて巻込まれたのは私なんだから。責めるなら、義兄さんの制止を聞かなかった私を責めるべきよ」

 

 物理的に頭を冷やされ、美雪にそう言われてしまっては、これ以上怒るわけにもいかないだろう。大変、遺憾ではあるが、矛を収めねばなるまい。

 

 「……分かった」

 

 「ちっ、分かったよ。確かに今回のことは俺に非があるだろうさ。

 おい、神無徹。テメエの要求を言ってみな。俺に出来る範囲でなら、ある程度まで応じてやるよ。テメエに借りを作ったままというのは御免だからな」

 

 スサノオもまた頭が冷えたのだろう。いや、単にここで揉めるのは得策ではないと判断したのかもしれないが。まあ、何にせよ貰えるものは貰っておこう。折角、神なんて超常の存在に要求できるのだ。どんな無理難題にしてやろうかと考え、そこで胸を撫で下ろしている美雪と目が合った。その瞬間、私にある閃きが浮かぶ。

 

 「スサノオ、あんたへの要求は一つだ。天津麻羅との繋ぎを頼みたい」

 

 「あん?剣でも打たせるつもりか?テメエの腕は精々一流止まり、神器をもっても大して足しになるとは思えん。大体、テメエには神器に匹敵する剣がすでにあるじゃねえか」

 

 訝しげに問うスサノオ。その言葉は正しい。私の本質は術士あり、そして何より私には明日香がいるのだから。だが、私が意図したのは私のためのものではないのだ。

 

 「いや、違う。私に仕える巫女であり、私の大切な義妹の為の武器を頼みたい」

 

 「そっちの巫女のか……なるほどな。だが、材料はあるのか?あいつに頼むんなら並大抵のものでは無理だぜ」

 

 「心配は無用だ。『竜骨』がある。神喰いの魔狼フェンリルの牙がな」

 

 「ほう……。それならば、確かに奴くらいじゃねえと加工できないだろうよ。いいだろう、奴のところに連れてってやるよ。

 ただし、言っとくが奴が引き受けるかどうかまでは、責任は持てねえぞ」

 

 「ああ、それで構わない」

 

 「ふん、物好きな野郎だぜ」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らしながら天津麻羅のもとへと赴く辺り、スサノオは案外素直ではないだけなのかもしれない……。

 

 

 

 

 「帰れ。仇敵たる神殺しの為に、なぜ儂が腕を振るわねばならぬ。大体、貴様は剣を使えても、剣士ではなかろう。そんな奴に儂の剣は勿体無いわい」

 

 隻眼の老神『天津麻羅』は義兄を見るなり、そう言った。

 

 「ご挨拶だな、天津麻羅よ。貴方の言葉は確かに正しい。だが、腕をふるって欲しいのは私ではない。私の義妹だ」

 

 「何じゃと?貴様の義妹じゃと?」

 

 「美雪」

 

 私は義兄の言葉に押されるように前に進みでた。天津麻羅の全く遠慮のない視線が突き刺さるのを感じる。老神といえど、その眼光は鋭く何の衰えも感じさせない。流石は神というべきだろうか。

 

 「ほう、なるほどな。中々の使い手よ。確かに、この巫女ならば腕の振るいがいもあろうよ。

 なれど、儂が腕を振るうに足る素材を用意できるのか?」

 

 挑発的な笑を浮かべて問う天津麻羅。その表情は、余程のものでなければ腕を振るう気はないと言外に語っていた。

 

 「勿論だ。満足できることを保証しよう」

 

 義兄は自信ありげに不敵に笑って、懐から符を取り出し破り捨てた。

 次の瞬間、義兄の背丈をも超える牙が私達の前に現れる。

 

 「なんと、これは『竜骨』か?!」

 

 『竜骨』、『天使の骸』とも言われる。まつろわぬ神の肉体が失われる時にまれに残すことがある僅かな肉や骨、骸等のことである。神の一部であったそれらは、、聖遺物として崇拝の対象になり、魔術師らには強大過ぎる力を与える源となる。北欧でも屈指の魔獣であるフェンリルの牙は巨大さも相まって、その価値は計り知れないだろう。

 

 「そうだ。北欧の神喰いの魔狼から、分捕ったものだ。こいつでは不足か?」

 

 「なんと驚いた。なるほど、貴様の自信もうなずける。だが、全ては使えるわけではなさそうじゃな」

 

 「何?!」

 

 

 「何じゃ、気づいとらんかったのか。何をしたかは知らんが、外側の殆どは死んでおるな。使えるのは中心部だけじゃろうて」

 

 あ、そう言えばあの牙をもぎ取る前に、義兄さんは『神滅』を使っていたのではなかったか。

 それならば、当然牙に含まれる神秘も滅されている可能性が高い。大体にして、あそこまで容易に牙をもぎ取れたのも、牙の含有する神秘が激減していたが故であろう。

 

 「ああ、あれがまずかったのか!なんてことだ……」

 

 義兄も思い出したのだろう。己が所業に頭を抱えている。まあ、無理もない。折角手に入った貴重な『竜骨』の大部分が使えないというのだから、その気持は私も痛いほどに理解できる。

 

 「項垂れておる所に悪いが、問題はそれだけではないぞ」

 

 「まだ、何か問題があるのか?」

 

 「うむ、で、どうやって加工するつもりじゃ?」

 

 「はい?そりゃあ、貴方が……」

 

 「勘違いするでない。確かに儂はこれを加工するだけの業を持っておる。じゃがな、『竜骨』をも溶かす炎はどうすると聞いておるのだ?確かに儂はそれにたる炎を用意することはできるが、仇敵たる神殺しにそこまでしてやる義理はないのう。スサノオ様に頼まれたのはあくまでも腕を振るうことじゃからな。儂は一から十まで面倒を見るつもりはないぞ」

 

 最早まつろわぬ神ではないとはいえ、やはり仇敵たるカンピオーネに力を貸すのは抵抗があるらしい。スサノオ神の頼みということで、曲がりなりにもその腕を振るうことを了承してくれただけ、マシなのだろう。本来なら、義兄が最初に言われた通り門前払いされるのがオチなのだろう。

 

 「ああ、そういうことか。それなら心配は不要だ」

 

 義兄はそう言って、事も無げに掌中に焔を生み出して見せた。その様はかつて規模も威力も、全くといっていい程制御できていなかったのが嘘のようであった。義兄さんが迦具土の権能を完全に掌握したというのは、伊達や酔狂ではないのだ。

 

 私が感嘆すらしていたその光景に対し、天津麻羅は最初こそ驚愕していたものの、その答自体は意外にもけんもほろろなものであった。

 

 「アホか貴様は、使えるわけないじゃろう。迦具土様の炎を簒奪していることには驚かされたが、その権能の本質は我々神を滅ぼすことじゃろう?迦具土様は刀剣の神々を産んでおられることから、鍛冶の神の一面ももっておられるから使えると考えたのじゃろうが、貴様が簒奪したのは迦具土様の『神殺し』としての一面でしか無い。その炎を神の骸である竜骨になぞ使ったら、跡形も残らんわ」

 

 その言い様は辛辣だが、内容は最もであった。義兄の炎は断じて鍛冶に使うようなものではないことは、他の誰よりも私自身がよく理解しているし、その業の深さはここ四年間で嫌というほど体験しているのだから。

 

 確かに、神を滅殺する炎で神の骸を鍛えるとか、どう考えてもありえないだろう。

 

 

 「……やっぱり駄目か?権能を完全に掌握した今なら、どうにかなるかとおもったんだが」

 

 実のところ、天津麻羅の回答は義兄も予想はしていたらしい。無駄に自信ありげだったのは、駄目元という意味合いがあったのかもしれない。

 

 「迦具土様の炎を己のものにしたとは、ぬかしおるわ。だが、無理じゃな。いくらお前が制御したところで、炎の本質は変わらん。仮に竜骨を消滅させることはなかったとしても、その炎で灼かれれれば最早竜骨としてようをなすまいよ」

 

 「そうか……」

 

 義兄は心底残念そうに肩を落とす。

 

 「義兄さん、落ち込まないで。私なら大丈夫よ。今の薙刀と弓だって、そんじょそこらの代物じゃない。それに明日香だって力を貸してくれるし、今まで上手くやってきたんだから、これからだって……」

 

 義兄さんが私の為を思って、駄目元とはいえ頼んでくれたことはとても嬉しいが、そう落ち込まない欲しい。それに義兄さんが私の得物を気したということは、これからも私が側にいて共に戦うことを認めてくれたということなのだから、私にはそれだけで十分。それだけで私は、これからも義兄さんの敵と戦えるのだから。

 

 「そういう問題じゃないし、こらからも上手くいくとも限らない。明日香はいざという時私を優先するし、美雪も剣では本領を発揮できないだろう。美雪の得物はあくまでも薙刀なんだからな」

 

 「それはそうかもしれないけど」

 

 そんな私の想いとは裏腹に、義兄はにべもなかった。どこまでも現実的で合理的で、実務的な言葉であった。

 ああ、そういえばこういう人だった。義兄さんの戦闘に遊びはない。どこまでも合理的に無駄なく敵を滅殺する人だったと。とはいえ、もう少し言い方を考えて欲しい。私を心配してのことだというのは分かっているが、その言い方では私を思ってと言うよりは戦闘に必要だからという風に聞こえてしまう。

 故に思わずムッとしてしまったのは、仕方がないことだろう。

 

 

 「まあ、そういうわけじゃから諦めて……ムッ!」

 

 諦めて帰れと天津麻羅がいおうとしたその時、突如虚空から現れるものがあった。現在義兄の中にあるはずの十拳剣。すなわち、私と義兄を幾度も救ってくれた自慢の姪っ子『魂剣 明日香』だ。

 

 「明日香、一体何を?」

 

 義兄も明日香が現れたのは予想外だったようで、驚きの表情でそれを見ている。

 

 「ほう、儂が鍛えた時とは随分様変わりしたものだな……何?儂に力を貸せと言うのか!」

 

 そう言えば、明日香が宿る十拳剣は元を辿れば、天津麻羅が鍛えたものらしい。天津麻羅は食い入る様に明日香を見ていたが、突如驚きの声を上げた。どうにも信じ難い事だが、天津麻羅には肉親である義兄でも聞こえない明日香の声なき声が聞こえているらしい。流石は日本神話でも最古と言っていい鍛冶の神だ。剣の声を聞くくらい造作も無いということだろうか。

 

 「むう、じゃがな……しかし、それは……」

 

 どうやら天津麻羅の方が押されているらしく、言い訳じみた感じの言葉が時折漏れ聞こえる。娘が姪が私達の為に頑張っているというのに、義兄と私はその声なき会話を見ていることしかできない。なんとも歯痒い気持ちを抑えきれない。

 

 「ハア……仕方あるまい」

 

 心休まらぬ時間は、天津麻羅の深々と吐き出された溜息と共に終わった。

 

 「神殺し……いや、神無徹じゃったな?」

 

 「ああ、それがどうした?」

 

 「何も聞かず、あの炉に全力で炎の権能を行使せい」

 

 「……何の為にだ?」

 

 天津麻羅の説明なしの突然の言葉に、義兄は訝しげに問う。が、天津麻羅の返答はにべもなかった。

 

 「何も聞くなといったはずじゃがのう。貴様にも不満があろうが、儂とて不本意なのじゃ。それくらい呑み込む器量を見せよ!それとも……娘の努力を無駄にする気か?」

 

 「「!!」」

 

 最後の一言は義兄や私にとって、どうしても聞き逃せないものであった。明日香の頑張りを無為にすることなど、義兄や私にできようはずもないのだから。

 

 「全力でだな?」

 

 「そうじゃ、さっさとせい。儂とて暇じゃないんじゃ」

 

 義兄を行動させたのは天津麻羅の言葉ではない。急かすように鳴動した明日香こそが、義兄を動かしたのだ。

 

 「いいだろう。見るがいい、お前ら紛い物の神を殺す最強の焔を!

 我は死してなお多くの命を生み出す者、火産霊(ほむすび)!我が焔は生命の連続性を顕わす!」

 

 火産霊の言霊によって紡がれるは、義兄の迦具土の権能の中で最強の威力を誇る炎だ。『神滅』のように『神殺』の特性を純化させたものではなく、好んで使われる極小の太陽のように圧縮・凝縮したものでもない。それは、ただ単純に極限まで呪力を注がれた強化された破壊の焔。全てを灰燼に帰す地獄の業火だ。

 

 そもそも迦具土の権能に本来制御など必要ないのだ。なぜなら、単純に、純粋に強いのだから。制御できぬ噴火という大自然の猛威こそ迦具土の神としてのルーツなれば、制御しない暴走とも言える在り方こそ迦具土の権能の本質なのかもしれない。

 

 当初はこれを必死に制御しようと間違った努力をしていたのだと言ったのは、他ならぬ義兄自身であった。そして、制御しようとするから、中々完全に掌握するに至らなかったのだと……。

 今や燃やしたいものだけを燃やすなんて芸当すらやってのけると言うのに、義兄さんから言わせれば迦具土の炎を制御しているわけではないというのだ。私にはどういうことかさっぱりではあるが、あの焔こそが義兄の誇る最強の威力を持っていることを知っている。

 

 だからだろう。その光景に思わず己が目を疑ったのは……。

 

 なんと、義兄の誇る最強の焔を、その古ぼけた炉は受け止めきったからである。いかにも年代物という風情であったというのに赤熱はしても、崩れ落ちたり溶け落ちたりする様子は全くない。流石は日本神話最古の鍛師が所有する炉である。

 

 「ほう、口先だけではないということか。大したものじゃ、この分じゃと長らくは保たぬな。さっさと終わらすとすかのう。……本当に良いのだな?」

 

 天津麻羅は純粋に感嘆しているようだったが、すぐに口調を厳しいものにかえ、最後の確認とばかり何者かに問うた。すぐには気づけなかったが、それは声なき声で天津麻羅と語り合った明日香への確認だったのだろう。明日香がそれに応えるように鳴動する。

 

 そして、それを確認するやいなや、天津麻羅は煉獄の炎が渦巻く炉へと明日香を投げ入れる暴挙に出たのだ。

 

 「明日香!」「なっ?!明日香!天津麻羅……貴様ー!」

 

 悲鳴を上げることしかできない私とは違い、義兄は憤怒も露に天津麻羅を睨みつける。先程全力で権能を行使した疲労は、最早微塵も伺えない。

 

 「黙れ小童共が!これはあの娘が望んだことじゃ!」

 

 だが、天津麻羅は少しも動じなかった。それどころか、こちらを見向きもせず、炉に投げ入れた明日香を取り出し、鎚を振るい始めたではないか。

 

 「何だと!どういうことだ?」

 

 「あの娘はずっと気に病んでおったのじゃ。今のままではお前の力になれぬとな」

 

 「そんなことはない!何度、明日香に助けられたことか!」

 

 「お前がそう思っても、お前の娘はそう思わなかったというだけの話じゃ。大体、積極的に使おうとしない貴様の態度にこそ、その原因があろう。今はともかく、以前は管理すらそこの巫女に任せておったそうではないか」

 

 あらん限りの力を持って鎚を振るいながら、語る天津麻羅。その内容に、私と義兄は驚きに目を瞠る。私達と明日香しか知らぬはずのことであったからだ。恐らくは明日香から聞いたのだろう。

 

 それにしても義兄さんに原因があるということはどういうことだろうか。

 

 義兄さんが明日香の管理を私に委ねたのは、私に神を斬り裂く武器をという要請から来たものではない。娘の肉体を斬り殺した武器であるというのも大きいが、それ以上に義兄は娘を武器として、道具として扱うことを何よりも厭うたからにほかならない。手元にあっては、手段を選ばない義兄さんの気質からして容易に使いかねない為に、私に委ねられたのだ。全ては偏に明日香のことを思ってのことだ。その証拠に義兄さんは、明日香を防御に用いることはまず無いし、斬り合うような真似も殆どしたことがないのだから。その事実は他ならぬ明日香こそが一番よく理解しているはずだ。

 

 「それがなんだと言うんだ?娘を大切にしたいと思うのは当然のことだろうが」

 

 「ふん、愚か者め。ならば、この娘の気持ちはどうなる!父親と常に共に在りたいと、父親の役に立ちたいと願うこの娘の気持は?」 

 

 明日香の気持ち、それを持ち出されると私達は弱い。明確な意思疎通をできない以上、剣と意思を交わすことができる天津麻羅に反論するすべがないからだ。私達は結局のところ、自分達の都合のいいように明日香の意思表示を曲解してきたとも言えるのであるから。

 

 「それは……だが、娘をむざむざ危険に晒す父親がいるものか!」

 

 「それが心得違いだというのじゃ!確かに貴様の言は正しい。じゃが、それは普通の人間(・・)の娘の話じゃ。貴様の娘の人としての肉体はすでに滅びており、その身は剣でしか無いのだぞ。どうして、同列に語れようか!貴様の娘は最早人ではない!それを忘れるな」

 

 それはどうしようもない厳然たる事実であり、未だに義兄が完全に折合いをつけていられない問題であった。娘を慈しんでも語り合うこともできず、共にあるのは戦場でしか無い。それは義兄にとって大きな心の傷であったのだろう。義兄は何も言うことができず、黙り込むほかなかった。

 

 「……」

 

 「心得違いも大概にせよ。剣は振るわれてこそ意味があるのじゃ。どんな神器名剣であろうとも、使われぬ武具に意味はない。宝の持ち腐れというものよ。武具がその真価を発揮するのは、主と共に戦場にある時に他ならぬ。貴様はなぜ、この娘の真価を発揮させてやらんのだ。貴様の娘はそんなに弱いのか。神の攻撃を多少受けただけでも折れてしまうような軟弱な刃と思うておるのか?

 なめるでないわ!祭器として鍛えたとはいえ、儂が自ずから鍛えし紛うことなき神剣じゃぞ。そんな軟なものであるものか!大体、貴様の術という媒介があったにせよ、己の命をも顧みず迦具土様を殺す刃を貴様に与えたのは他ならぬこの娘だぞ。その娘の魂が宿りし剣が、なぜ容易く折れるなどと思える!

 違うであろう!貴様がすべきことは誰よりも娘を信頼し、己の剣が最強にして不滅であると信じることではないのか!」

 

 一顧だにしないで、ただひたすらに鎚を振るいながらの言葉であるというのに、それはどこまでも義兄の弱いところを的確についていた。

 

 そう、天津麻羅の言葉は正しい。どんな素晴らしい切れ味を誇る名刀であっても、棚に飾られたままならば、何の意味もない。抜けない・使えない名刀など数打ちのなまくらにも劣るものでしかないのだ。剣がその真価を発揮するのは、間違いなく戦場なのだから。

 そして、義兄さんは誰よりも明日香を信じなければならなかった。娘の身を危険に晒すどという考えは心得違いでしかない。それが明日香のことを思ってのものだとしても、それは剣としての明日香を信頼していないことと同義なのだから。

 

 私達が明日香を守っているつもりで自己満足に浸っていた時、本当は明日香は声なき声で泣き叫んでいたのかもしれない。私を使って!私を信じて!と……。

 

 「私はそんなつもりでは……」

 

 「ふん、貴様がどういうつもりであったかなど知ったことではないわ。ただ、結果として貴様の娘は今のままではお前の役に立つには不足と考えたのだ。貴様の娘は儂に対して、真にお前の剣として打ち直すことを要求してきたのじゃ」

 

 「……」

 

 義兄さんは愕然とした表情で黙りこんだ。それは私だって同じ事だ。明日香がそこまで思いつめていたなんて……いや、そこまで追い込んだのは他ならぬ私達に違いないのだから。

 だが、その一方で疑問もある。

 

 「なぜ、御身は明日香の願いに応えてくださったのですか?」

 

 「ふん、儂にとって自ずから鍛えたものは我が子のようなものよ。その姿と性質を大きく変えたとはいえ、その根本にして基礎であるその剣は儂が鍛えたものよ。なれば、その懇願を無碍にできるものか」

 

 なるほど。剣の声なき声を聞き、明確な意思疎通ができる天津麻羅にとって、自身が鍛えた剣は最早作品などではなく、我が子も同然ということなのだろう。

 

 「儂は貴様がどこで野垂れ死のうと興味が無いし、知ったことではない。だがな、儂が鍛えし剣を敗北の理由にされては、鍛冶の神としての沽券に関わるのじゃ。そう、それだけのことよ」

 

 その言葉を最後に天津麻羅は一心不乱に鎚を振るい、完成するまで口を開くことはなかった。

 

 

 

 

 「ほれ、受け取れ。貴様の為に文字通りその身を業火に投げ入れ、『神無徹』専用の剣として新生した貴様の娘だ。……そうだな、『御霊劔(みたまのつるぎ) 明日香』というべきかのう」

 

 そういって、それまでの魂を注ぎこむような作業が嘘であったかのように、あっさり投げ渡された剣を私は受け取る。そうして、私は驚愕した。以前とは違いすぎるその感覚に。

 以前から、明日香を手にした時の充実感はあった。五感どころか第六感さえも強化されたような、全身の感覚の鋭敏化も。だが、今はそのいずれもが以前とは桁違いであった。まるで、己のいちぶであるかのように手に馴染み、手にしたことで本当の意味で己が完成したような充実感がある。

 

 「こ、これは……」

 

 だから、思わず感嘆の声を上げてしまったのは、無理もないことであった。そんな私の反応に、歓喜するように手の中で鳴動する明日香。

 

 「ふむ、その様子なら問題ないようじゃな。儂が本気で鎚を振るったのじゃから当然といえば当然じゃがのう。己の娘に感謝せよ。煉獄の炎にその身を灼かれながら、儂の権能に耐え見事新生を成し遂げたのだからのう」

 

 「ああ、ああ、分かっているさ。すまな……いや、ありがとう明日香。お前は私の自慢の娘だ。よく戻ってきてくれた」

 

 天津麻羅の言葉に、明日香をそうさせる程に追い詰めたのは他ならぬ己であることが思い出され、謝罪の言葉が口をでそうになるが、どうにか自制して感謝と喜びの言葉を口にする。

 ここで謝ってはならない。そして、明日香の真意を酌めなかった私に、その行動を怒る資格もない。ならば、私がすべきは愛娘への感謝と戻ってきてくれたことへの歓喜を示すべきだと思ったのだ。

 

 そんな私の言葉に歓喜を示すように、再び私の手の内で鳴動する明日香。

 

 「ふん、今度は間違えなんだか……。

 さて、神無徹よ。もう一仕事してもらうぞ。本番はむしろこれからなのじゃからな」

 

 「なに、どういうことだ?」

 

 本番だと、これ以上なにがあるというのだ?そう思って訝しげに問う私に、天津麻羅は呆れ顔でしれっと答えた。

 

 「貴様の頼みはそこの巫女の得物じゃろうが。今からそれを鍛えてやろうというじゃよ」

 

 そう言って顎で示されたのは、私が先に出した『竜骨』であるフェンリルの巨大な牙だ。

 

 「確かにそう頼んだが、いいのか?明日香を鍛えてもらって、この上……」

 

 もう十分に今回の対価はもらったと言っていい。いや、それどころか明日香の真意に想いに気づかせてもらったのだから、貰い過ぎといっても過言ではない。この上でとなると、流石に気がとがめた。

 

 「勘違いするでない。貴様の剣を鍛えしは、その娘の懇願に応えたが故よ。断じて貴様の為ではないわ!それにこれから成すことに必要不可欠であったが故よ。その成否次第では、娘ごと儂の剣を置いていってもらうぞ」

 

 「なんだと?!」

 

 どうやら、またしてもとんだ思い違いをしていたらしい。天津麻羅にとって、明日香を鍛えたのは前準備でしかなかったというのか。それにしても聞き捨てならない。明日香を置いていけなど、何があろうと許容出来るものか!

 

 「その剣には元々『増幅』と『制御』の特性があるのは知っているであろう。それに、今回は『性質変化』を加えた。貴様には、それの性質変化を用い『神殺』の炎を『竜骨』を溶かし鍛える為の『鍛冶』の炎に変化させるのを担当してもらう。先の炎に負けぬ出力でな。貴様が本当に迦具土様の炎を掌握したというのならば、造作も無いことのはずよ。

 それができぬというのなば、貴様はその剣の担い手足り得ぬ。貴様にはその娘は過ぎた宝というわけじゃ」

 

 なるほど、迦具土には鍛冶の神としての側面も持つが故に、その炎を完全に掌握したというのならば、性質変化を用いて『神殺』を『鍛冶』へと変化させてみろというわけだ。

 

 だが、これは『神殺』を純化させて『神滅』へと昇華せるのとはわけが違う。完全なる性質変化だ。難易度の桁が違う。なぜなら、そもそもカンピオーネが権能として簒奪できるのは、殺した神の全てではないからだ。あくまでもまつろわぬ神が持っていた権能の一部を己にあった形で手に入れるに過ぎないのだ。すなわち、カンピオーネの使う権能は、神の一側面、力の一部でしか無いのだ。

 そして、それは私の使う迦具土の権能も同じ事なのだ。先に天津麻羅が言った通り、私が簒奪したのは迦具土の『神殺しの神』としての側面であり、それが故の『神殺』の炎である。要するに私が使えるのは迦具土の炎であっても、『神殺』の炎だけなのだ。『鍛冶』の炎など使えないのである。

 しかも、火産霊の焔と同等の炎をとくれば、残る全呪力を費やさねば不可能である。いくら明日香の助けがあったとしても、到底可能なこととは思えなかった。

 

 だが、ここでできぬというのは癪に障る。曲がりなりにも神に対して、敗北を認めるなどありえないし、何よりも明日香をとられるなど許せるはずもない。

 

 「いいだろう、やってやるさ!」

 

 明日香へと権能を行使する。徐々に呪力を強めていこうとしたのだが……。

 

 「義兄さん!」

 

 美雪の突然の叫びに驚いてそちらを見やると、美雪はそれでは駄目だといわんばかりに悲しげな表情で首を振ったのだ。

 

 これでは駄目だと言うのか。だが、性質変化などという超難度の芸当をしようというのだ。失敗は許されないのだから、慎重を期さなければならない。

 

 「明日香を、明日香を信じてあげて!」

 

 私は愕然とした。この期に及んで私は未だ躊躇っていることに気付かされたからだ。

 そもそも迦具土の炎は、制御など考えるのも愚かしいということを私はこの四年間で嫌というほど理解しているはずだ。で、あるからこそ私は『神滅』に至り、火産霊の焔を編み出したはずだ。どちらも完全に掌握したからこそ、できる荒業なのだから。

 

 だというのに、私は何をやっているのだ。徐々に呪力を注ぐなど小手先の技術に頼り、なぜ今更迦具土の炎を制御しようとしているのだ。そんなものでは、火産霊の焔と同等の出力など望むべくもないというのに。性質変化が超難度の芸当であったとしても、いや、であるならばこそ、その本質を最大限に活かすべきだというのに、それを躊躇う。つまり、超難度というのは建前の言い訳でしか無いのだ。

 

 なんてことはない。結局のところ私は怖いのだ。私は娘を、明日香を失うことを恐れているのだ。私の罪過の炎があの娘を傷つけ、もう一度殺すことになることを恐れているのだ。先程、見事私の最大威力に耐え切る様を目の前で直接見せつけられたというのに……。

 

 こんな様だから、私は明日香を追い詰めたのだろう。

 

 顔を上げれば、再び美雪と目が合う。亡き妻美夏と正反対の性格でありながら、気が強く芯のあるところなどは実によく似た姉妹である。そんな義妹が、私を祈るような表情で見ている。見ていることしかできない自身に歯噛みしながらも、必死に何かを祈っている。その何かがなんであるか、説明の必要はあるまい。

 

 私は今一度剣を持ち直し、剣身を見つめる。そう、剣なのだ。どんなに願っても、どんなに見て見ぬふりをした所で、明日香が剣であることは変えようがないのだ。それは明日香の人としての肉体を滅ぼした、けして許されることのない『娘殺し』という私の罪の具現なのだ。

 そして、明日香が自身の命よりも私を優先したという証左でもあるのだ。それを忘れてはならない。故に私は、たとえどんなに辛かろうとも生きねばならない。

 

 そうだ、認めねばならない。娘の、明日香の強さを。己の肉体を犠牲にして、父親である私の命を守ったその強さを。まつろわぬ迦具土をはねのけ、己の意志を貫いた心の強さを。そして、この四年間数多の危機から私を救ってくれた娘自身の強さを。

 誰が信じるよりも、私が信じねばならない。その身が不滅であることを。この世のあらゆる剣よりも優れた最強の剣であると。

 

 「……明日香、今まですまなかったな。私はお前を信じる。

 散々お前の気持ちを意思を無視しておいて今更むしのいい話だが、私に力を貸してくれるか?」

 

 答は即座にあった。私の手の中で剣が鳴動する。いつもより激しい感じがするので、もしかしたら、そんな言わずもがなのことを聞くなと明日香が怒っているのかもしれない。

 

 「ありがとう、明日香。では行くぞ!これが私の全力だ!」

 

 莫大な呪力を一息につぎ込み権能を行使する。そして、その全てを明日香へと注ぐ。元より私に完全な性質変化などできない。カンピオーネの権能はそんなに融通のきくものではないし、安易に変化させられるようなものではないのだから、当然だ。そもそも、私だけでやらねばならぬ道理はない。他ならぬ天津麻羅が言っていたではないか。性質変化は明日香の能力だと。すなわち、私がすべきは明日香を信じ、全力の炎を託すだけなのだ。

 

 私はすでにそれを経験しているはずだ。思い出せ、魔王の狂宴と呼ばれた同朋達との戦いを。あの時、私は迦具土の権能を明日香に委ねたはずだ。あの時の私には到底不可能なはずの権能の同時行使を、明日香と共に実現させたではないか。そうだ、私一人では無理でも明日香と一緒ならば、不可能はないはずだ。

 

 大体、明日香がいなければ、フェンリルにもパールヴァティーにも勝てなかった。いや、それどころかそもそも迦具土に殺され、神殺しになっていなかったであろう。つまり、元より私という神殺しには明日香の存在が不可欠だったのだ。

 私は明日香と共にあってこその神殺しなのだ。ならば、今更その力を疑うことなどありえない。明日香が滅びる時は私が滅びる時だ。そして、私が生きている限り、明日香は不滅なのだ。

 

 「私は神無徹!我が娘明日香と共に在って、人でありながら神を滅ぼす者!私達父娘に不可能など無い!」

 

 全呪力を注いだ炎が明日香へと収束していく。そして、全ての炎が収束された後に、その性質の変化が行われるのを感じる。膨大な熱量と呪力を包含したそれを、明日香は『神殺』ではない『鍛冶』の炎へと変えていく。

 

 急速に全身から力を奪われ、凄まじい脱力感が私を襲う。先の炎に全呪力を消費しただけではない。炎を制御し性質変化を行なっているのは明日香でも、それを収束し維持するのは私が行なっているが故だ。

 あまりに強烈なそれに座り込みたくなるが、私は意地で立ち続ける。娘が頑張っているというのにへたり込む父親がいるものか!

 

 「よし、上出来じゃ!それを炉に叩きこめ!」

 

 天津麻羅のその叫びに、私は性質変化が終わったことを悟り、あらん限りの力を振り絞り炎を炉へと叩き込んだ。炎が狙い過たず炉へと注がれるのを確認した。が、それが私の限界であった。全呪力を消費し、それどころかそれ以外の力さえも使い切った私には、襲い来る睡魔に抗う術はなかった。

 

 まあ、ここで意識を失おうと問題はない。カンピオーネの直感が危機を伝えていないし、何よりも私には頼りになる義妹のいるのだから。

 

 「明日香、ありがとう。これからも…よろしk……zzz」

 

 己の身体が崩れ落ちるように倒れるのを感じながら、せめてもの抵抗に愛娘への感謝と共に歩こうという決意を示したのだった。

 

 

 

 

 沈む義兄を慌てて抱きかかえる。やはり重い。術で強化しているからいいが、完全に脱力した大の男というのは、女の細腕には厳しいものがある。が、それも支えた義兄のぬくもりを感じると、どこかへと吹っ飛んでしまう。

 

 義兄の身体を横たえ、膝枕してやる。先程の義兄と明日香の間に入れないと思ったことさえも、心底安心したような穏やかな寝顔でかき消される。私も何だかんだ言って、安い女だなと思わず苦笑してしまう。

 

 それを見向きもせずに一心不乱に鎚を振るう天津麻羅。すでに竜骨は炉に放り込まれ、原型を留めていない。それどころか、ありえない速度で刃へと成形されていく。明日香を打ち直した時も感心したものだが、炉の炎と鎚を完全に操り、ただひたすら一つの武器へと成していくその様は、流石は日本神話最古の鍛冶の神であった。

 

 程なくして、驚く程に早くそれは終わった。天津麻羅の手には、一振りの薙刀がある。巨大なフェンリルの牙を溶かし、その中心部を削り出し鍛えられたそれは、極寒の霊気を帯び、死を暗示させる怜悧な輝きを持っていた。

 

 私は一目見て直感した。この刃ならば、神をも切り裂けるだろうと。そして、それを手にできることの喜びに身体が震える。

 

 「これを渡す前に……巫女よ、おぬしに問わねばならぬことがある」

 

 それを断ち切ったのは、天津麻羅の厳粛な声であった。義兄という庇護がなくなったせいか、今までの比ではない重圧を感じる。

 

 「どのような問でしょうか?」

 

 「おぬしはこの先も、そこで眠りこけている男と共に生きる気か?」

 

 「ええ、そうですけど、それが何か?」

 

 何を当たり前のことをと思ったが、天津麻羅の声はどこまでも厳粛で苛烈な神威を感じさせ、私に答を強制される。

 

 「考えなおす気はないのか?この男の行く道は、血塗られた修羅道に他ならぬ。共にあろうとすれば、優れた巫女であっても徒人でしかないおぬしは、その生命を道半ばで散らすことになるじゃろう。

 そして、この貪欲なる魔狼の牙を神殺しの迦具土様の炎で鍛えし神喰いの刃。これは正真正銘の神を殺しうる一振りに他ならぬ。一度手にしたならば、それは神々への宣戦布告と同義よ。おぬしもまた狙われる身となろう。神喰いの刃はおぬしに力を与えるが、同時に呪いを与えるのじゃ。それでも尚、この刃を求めるか?

 おぬしには神殺しに仕える巫女としてではなく、子を産み育てるという女としての幸せもあるはずじゃ。その道を選ぶつもりはないのか?」

 

 天津麻羅の言葉は真摯なものだった。信じられないことだが、彼ら神々からすればとるにも足らない存在である私に心を砕いてくれているというのか。なにせ彼ら神々は人間を個人として認識しない。人間が蟻をそう認識しないのと同じように。力の差がありすぎるが故に、存在の格が違いすぎるが故に。普通ならば、喜ぶべきことだろう。

 

 だが、はっきり言って余計なお世話である。私は疾うの昔に覚悟を決めているのだ。義兄さんが死ぬ時は己も死ぬ時だと。最早、私にとってこの世界で価値のあるものは他にはないのだから。それに呪いなどとうに受けている。実の娘と孫をを生贄としてまで権力と富を手に入れようとしたあの畜生共の血を引いているのだから。この身に流れる血は間違い無く穢れているのだ。

 大体にして、未だ名を呼ばず巫女呼ばわりである。つまり、天津麻羅が私を個人として認識しているのは、私が神殺しである義兄さんに仕える巫女である故でしかないのだ。けして、私個人の価値を認めたわけではないのだから。

 

 「御身の御言葉はありがたく。されどこの身には無用のものにございます。私は疾うの昔に誓ったのでございます。我が義兄神無徹の生をその傍らで見届けると。何より、私の女としての幸せは義兄なくしてはありえませんから」

 

 「ふむ、愚問であったようじゃな。では、好きにせよ」

 

 そう言って、薙刀への道をあけた。どうやら、己の手で取れということらしい。

 眠っている義兄さんを膝枕するという役得を手放すのは名残惜しいが、ここであれを手に入れなかったら、義兄さんと明日香が頑張りを無駄にすることになってしまう。

 私は未練を断ち切って、義兄を寝かせて立ち上がった。

 

 

 

 

 美雪の前には一振りの薙刀がある。極寒の霊気を帯び、死を連想させる怜悧な輝きを宿した神喰いの刃が。フェンリルの牙という『竜骨』を素材として用い、神殺しである義兄の炎で溶かし、鍛冶神である天津麻羅が鍛えた紛うことなき『神器』である。

 

 「これが私の新しい武器……本当に怖いくらい綺麗、それに凄い力を感じる」

 

 美雪はその輝きと美しさに魅入られたように陶然とし、ホウと熱い吐息を漏らしていた。なにせ、正真正銘の神器である。それが己のものになるというのだから、およそ呪術師・魔術師ならば垂涎の的である。美雪もまた巫女であり、魔術師である以上無理もない反応であった。

 

 「巫女よ、手に持ち名を与えよ。それでこそ、それはお前の武器として完成する。だが、心せよ。それがお前を主として認めるかどうかはお前しだいなのだからな」 

 

 天津麻羅の言葉に従い、美雪は薙刀の柄へと手をのばした。

 そして、その手が薙刀に触れた瞬間にそれは起こった。美雪の精神は何処へかと連れ去られたのであった。

 

 

 

 

 神器ともいうべき薙刀に触れた時、突然の衝撃に思わず目を閉じてしまった。

 だからだろうか、私はいつの間にか不思議な空間にいた。そう、漆黒の闇に覆われた右も左も分からぬ空間に。

 

 「ここは……?また何処かへと移動させられたの?!」

 

 「安心せよ。汝はどこにも動いていない。我が汝の精神を招いたのだ」

 

 突如、声が響いたとかと思うと光が生じ、一瞬後には白銀の狼が私の前に姿を現していた。

 

 「貴方はまさかフェンリル?!」

 

 その正体にすぐに思い当たった私は、警戒も露に臨戦態勢をとる。

 

 「ククク、そう怯えるな巫女よ。我は確かにフェンリルだが、正確にはその残滓に過ぎん。今の我に汝を害する意図はない」

 

 人を嘲笑うようなこの物言い、かつてのフェンリルそのもの!残滓とはいえ、油断は禁物!

 

 「フン、未だ警戒を解かぬか……用心深いものよ。まあ、正解ではあるがな」

 

 ニヤリと言わんばかりにフェンリルが顔を歪めた瞬間、私はゾッとする怖気を感じた。そして、それが命じるままに無様に転がった。

 

 「ククク、流石は我を殺した男に仕える巫女よ。よい勘をしている」

 

 無様ではあったが、それが間違いでなかったことはすぐに分かった。なぜなら、私の立っていた場所は無数の牙が剣山のように突き立っていたのだから。

 

 「何の真似?」

 

 「我はロキの息子だぞ。少しくらい興じてもよかろう?」

 

 「他者の迷惑を顧みないあたり、本当にいい性格してるよね……」

 

 「フハハハ、許せ巫女よ。我は最早現世において牙を突き立てることは叶わぬのだ。……それに、これぐらいの戯れで死ぬような者に我が主たる資格はない」

 

 少しもも悪びれないフェンリルに皮肉で返してみても、糠に釘、暖簾に腕押しであった。それどころか、このくらい当然と言い放つ傲慢さ。間違いなく神そのものだ。

 

 「私が主足りえるかどうか……私では貴方を振るうに不足だっていうの?」

 

 「当然であろう。我が負けたのは汝の仕える神殺しなのだぞ。奴本人ならともかく、なぜ貴様ごときに使われねばならぬ?」

 

 フェンリルの言い分は正しい。他ならぬ私自身がそれを認めよう。今の今まで魔術師に絶大な力を与えるという『竜骨』が放置されてきたのは、義兄が必要としなかったというのもあるが、それ以上に私に使える自信が全くなかったが故なのだから。

 実際、今回義兄さんが言い出さなければ、私はその存在を意図的に忘却していただろうし、ましてや、それを用いて自身の武器を作るなど完全に想像の範疇になかった。

 

 「貴方の言うことはもっともだけど、私もここで退くわけにはいかない。是が非でも私の刃となってもらう!」

 

 だが、それでもここで退くわけにはいかない。ここで退くような女が、どうしてあの人の隣に立てるものか!

 

 「小娘がぬかしおったな!吐いた唾は呑めぬぞ!」

 

 フェンリルから放たれる圧力が増し、その気配が酷く獰猛なものへと変化する。常人ならば、それだけで身動き一つ取れなくなるだろう。いや、魔術師・呪術師であればこそ、その脅威を正確に感じ取り、心折れるやもしれない。

 だが、その程度で今更怯むような私ではない。この四年間、迦具土より始まり、まつろわぬ神に義兄と共に対峙することなどいくらでもあったのだ。まつろわぬ神本体ならともかく、今更のその残滓如きにどうこうされてたまるものか!

 

 私は無言のまま、フェンリルを睨み返した。

 

 「……」

 

 「ほう、大した胆力よ。我が威に怯えず、それどころか真っ向から睨み返すとはな。なるほど、油断ならぬ。思えば、汝が我を滅ぼすきっかけを作ったのであったな。であるならば、この程度は当然か」

 

 「私は貴方には負けない。神には勝てずとも残滓ごときに負けるほど、私は弱くない!」

 

 「ククク、よく吠えるわ。だが、心地良い覇気よ。それにその気の強さと油断ならぬ眼差し、我が妹ヘルを思い出すわ。あれも気丈で油断ならぬ女であったな」

 

 私の言葉に大笑するフェンリル。だが、それは先程の嘲るような笑いではなく、心底愉しげな笑いであった。そして、どこか懐かしむような声で独りごちた。

 

 「ヘル?半死半生の死者の国の女王である、あのヘルのこと?」

 

 「おう、そのヘルよ。あれは我が妹ながら油断ならぬ女でな。ニヴルヘイムに追放されながら、アースガルズに攻め込む機会を虎視眈々と狙っておったわ」

 

 フェンリルが言っているのは、ラグナロクの際に死者の爪で造った船ナグルファルに死者達が乗り、巨人に加勢する死者の軍団がアースガルドに攻め込んでくるということからだろう。

 しかし、あの冥界の女王と似ているといわれるのは、正直あまりいい気がしない。

 

 「ククク、そう嫌そうな顔をするな。あれは恐ろしい女であったが、情の深いいい女であったよ」

 

 「情が深い……?」

 

 あのヘルが情が深い。全く意味がわからない。どこをどうしたら、そういうことになるのだろうか。

 

 「バルドルのことを知らぬか?」

 

 バルドルのこと?光の神バルドルの蘇生をフリッグの命を受けたヘルモーズが懇願した際、九つの世界の住人すべてがバルドルのために泣いて涙を流せばと条件をつけ、結局ロキが変身した巨人が泣かなかったので、蘇生は叶わなかったというが……。なぜ、それが情の深いことにつながるのか。

 

 「わけが分からぬという顔よな。考えてもみよ。結果的に我が父の為に頓挫したとはいえ、バルドルはヘルを含む我ら兄弟を虐げ追放した憎きオーディンの息子なのだぞ。懇願された程度で蘇生してやる義理があるものか。そもそも条件などつけず、拒絶してやればよかったのだ。それをあれは、自身の利になる要求すらせず、純粋に蘇生するに足る条件をだしただけなのだぞ」

 

 なるほど、言われてみれば一理あるかもしれない。少なくとも血も涙もない神ではなかったのだろう。ラグナロクの際に攻めこむことも、父であるロキを助けるためと解釈できないこともない。そうなると、情が深いというのもあながち間違いとはいえないかもしれない。

 

 「そうだとして、それが何だと言うの?」

 

 「分からぬか?我が妹に免じて、力を貸してやってもいいといっているのだ」

 

 「本当に?!」

 

 「この場に限っては嘘は言わぬ。我は神喰い魔狼、その力ある牙よ。確かにこの身は神をも容易に斬り裂くであろうし、汝に多大な力を与えるであろう。

 だが、心せよ。それは我が本体が残した呪いをお前もまた受けることに他ならぬ。汝はかの神殺しと共に血に塗れし運命をたどることになろう。最早、神との戦いから逃れることはできなくなるであろう」

 

 「望むところよ!そんなの疾うの昔に覚悟しているんだから」

 

 そうだ、あまりにも今更過ぎる。それを拒むくらいなら、この四年の間にとうに義兄さんから離れているし、そもそも義兄さんについていこうなどと思わなかっただろう。私は巫女なのだ。義兄さんという神殺しに己の全てを捧げた唯一無二の巫女。明日香と同様に、私もまた義兄さんとその生死を同じくする者なのだ。故に、躊躇いなどあろうはずがない!

 

 「フハハハ、どこまでも豪胆な女よ。よかろう、我に名を与えよ。それをもって、我は汝の最強の牙となろう!」

 

 どこまでも愉しげに笑うフェンリル。先の酷薄で獰猛な気配が嘘のようであった。

 

 「貴方の名は……神を薙ぎ払う者で、『神薙』。そして、貴方の本体から、『貪狼』。『神薙貪狼』よ!」

 

 「承知した。この身は神を薙ぎ払い、貪欲なる狼のごとく喰らい尽くし、汝が道を切り開こう」

 

 その言葉と共にフェンリルは光に包まれ、次の瞬間私もまた光に包まれた。

 

 「どうやら、見事認められたようじゃな。最早女としての平穏は望むべくもないのだから、喜ぶべきかどうかは微妙なところじゃが」

 

 天津麻羅の声が聞こえる。それ以上に手の中には確かな感触があり、不思議と手に馴染む。目を開けば、そこには白銀の薙刀がある。手にしているだけで力が溢れるような感覚がある。竜骨が魔術師に強すぎる力を与えるというのは嘘でもなんでもないらしい。まして、これはその竜骨を用いて作られた私専用の神器だ。それは並のものではないだろう。

 なるほど、どうやら本当に戻ってこれたらしい。そして、認められたのもまちがいないようだ。

 

 「御身は知っておられたのですか?」

 

 何がとは言わない。言うまでもなく、この老神は理解しているだろうからだ。

 

 「無論、知っておった。じゃが当然じゃろう?神の一部であったものを、神の炎で溶かし、神が鍛え、神器となしたのじゃ。意思ぐらいあるわい」

 

 「なるほど、確かにそうかもしれませんね。己の不明を恥じるべきですね……」

 

 何の反応もないところみると、義兄さんは未だ寝ているらしい。というか、どくらいじの時間がたったのだろうか?

 

 「ああ、さして時間はたっとらんよ。というか、儂らからしてみれば、一瞬の出来事よ」

 

 天津麻羅は私の心中を察したようで、問うまでもなく答をくれた。

 それにしても、あの対話が一瞬?それなりに長く話していたはずなのに……。

 

 「さて、もう用はすんだじゃろう。そこに寝ているお前の主と共に現世に帰るがいい」

 

 私が考えに耽っているのを尻目に、さっさと出てけと言わんばかりの天津麻羅。

 まあ、本来神の宿敵である神殺しである義兄さんの頼みを聞くのは業腹だったろうから、無理もないかもしれないが……。

 

 とはいえ、帰れと言われて帰れるものではない。現世から幽世に行くのも、その逆もかなりの高等技術であり、相応の準備が必要なのである。秘巫女であった私はその術法も心得てはいるが、今回は拉致同然に連れて来られたせいで、帰還に必要な道具がないのだ。

 

 「帰りたいのは山々なんですが、真に遺憾ながらその術がございません。その、強引に連れて来られたもので……」

 

 ここで見栄を張ってもいいことはないと直感した私は、正直に現状を告白した。

 

 「なんじゃと……。そうか、道理でスサノオ様が神殺しの為に骨を折るわけじゃ。後は任せたと言っておられたから、まさか現世に返すのも儂がやらねばならぬのか?!」

 

 今更ながらにスサノオから丸投げされたことに気づいたらしく、頭を抱える天津麻羅。神様が苦悩する様とか、何気にレアな絵面かもしれない。

 

 

 

 

 この後、スサノオと天津麻羅のすったもんだのやり取りがあったが、少々あれなので割愛する。とにもかくにも、徹達は現世に帰還することができた。その際、天津麻羅から美雪はあるものをせしめたのだが、それは義兄にも秘密であ。それは以後、彼女の切り札の一つとなるものであり、大いに彼女達を助けることになる。

 夏の盛りの暑い日の出来事であった。  




日本神話については基本的に古事記ベースです。よって、神様の名前の記述や逸話も古事記をベースにしています。三貴子は古事記だとイザナギのみからですが、日本書紀だとちゃんとイザナミとの間のこだったりしてややこしいのですが……。
鍛冶の神をよくある天目一箇にしなかったのは、天津麻羅が日本神話における原初の鍛冶の神であり、神号がないことから実は神ではないのではという説があるからです。要するに彼は人よりの神という位置づけのです。じゃないと、いくらスサノオが頼んでも、宿敵である神殺しの為に働いてくれないんじゃないかと考えたためです。

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