【習作】一般人×転生×転生=魔王   作:清流

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ええ、まずはお詫びを。前回、予約投稿の設定ミスで完成前のものを掲載してしまいました。心からお詫び申し上げます。


#02.神滅の魔王

 【21世紀初頭に確認されるまで、長らく不明であった六人目のカンピオーネについて書かれたであろうある魔術師の手記】

 

 私がその魔王と出会ったのは、本当に偶然だった。所属する魔術結社から、北欧に突如出現した神獣らしき巨大な狼の調査を命じられ、単独で急行した際のことだ。巨大な呪力のぶつかり合いを感じ追跡していた私は、突如その気配が消えるのを感じ取り足を止めた。ここで原因を考えることなく、現場に急行していれば、かの魔王の残滓は感じ取っても会うことはなかったであろう。

 

 しかし、私は不幸にも足を止めてしまい、結果予期せぬ魔王との謁見に望むことになってしまった。思わず足を止め、己の考えに耽っていた私の思考を断ち切るように突如魔王は現れた。魔王は美しい黒髪の巫女を従えた東洋人だった。特段、美男子というわけでもないが、不細工というわけでもない。強いていうならば、平凡な顔立ちというべきだろう。ただ、滲みでる雰囲気がどこか陰を感じさせる青年であった。

 私は最初彼が魔王であるなどと露程に思わなかった。私同様に調査に急行した他の魔術師だろうとあたりをつけ、協力若しくは情報提供を求めるつもりでいた。彼等の身なりは薄汚れていたし、服はところどころが裂け、いくつかの傷も見えることから、彼等が調査対象と交戦したであろうことを察していたからだ。私はこれでも大騎士の位階にあり、それなり腕の覚えもある。とはいえ、神獣と真っ向勝負をしたいとは思わない。だから、少しでも情報が欲しかった。応じないなら少々強硬な手段をとることも辞さないつもりですらあった。

 

 今になって考えれば、その不埒な考えを魔王に感づかれたのかもしれない。彼等カンピオーネは異常なほどに勘が鋭いことでも知られているから、そうであっても不思議はないだろう。どこか疲れたような表情は一変し、莫大な呪力が瞬時に空間を埋め尽くしたのを私は感じた。私は自身の生存本能の命じるままに、できうる限りの防衛術を己にかけた。そして、かの魔王は私を認めると億劫そうに手を私に向けた。私はその時の衝撃を生涯忘れないだろう。思わず目を閉じるほどの白い閃光が起こり、私が張り巡らした術の全ては一瞬で霧散したのだ。それにもかかわらず、私の体には何の外傷もないのだから。何が起きたのかさっぱり分からなかった。後に気づいたことだが、身に着けていた護符なども総じて損壊していたので、あれは神秘か其れに類するものを破壊する権能なのだろう。

 

 一瞬とはいえ感じられた底が見えない莫大な呪力と理解できない未知の事態に恐怖し、私はその場で凍りついてしまった。平凡そうな青年は最早どこにもいない。目前にいるのは横溢した呪力を宿し、数多の権能を使いこなす歴戦の魔王だ。彼がここにいるということは私の調査対象を滅ぼしたところなのだろう。私など一瞬で薙ぎ払える魔王はただ一言私に命じた。

 

 「今、見たことを誰にも話すな。お前はここで誰にも会わなかった。いいな?」

 

 「破ればどうなるかは分かりますね?」

 

 そう付け加えたのは、黒髪の巫女だ。長い髪をポニーテールにした美しい少女であったが、私はその眼の冷徹さに怖気すら覚えた。彼女は私が王命を破れば、すぐさま私の命の灯火をかき消すであろうことは考えるまでもなく本能的に理解できたので、私は一も二もなく頷いた。

 

 魔王はそれを退屈そうに見やると、次の瞬間白銀の巨狼へと変身した。私が驚愕でへたり込んでいるのを余所に、巫女をその背に乗せた巨狼はあっという間にその姿を消した。

 

 恐らくはあれも権能であったと思うのだが、ヴォバン侯爵の『貪る群狼』とは些か趣の異なる権能であったように思う。もっと酷薄で寒々しいものを感じたのだ。あれはきっとよくないものだ。

 私は結局今に至るまでその勅命を護り続けている故か、幸いにも私とかの魔王の出会いはこの一度のみだ。だが、私は今も思い出す。かの王の極寒の覇気を、終末を思わせる雰囲気を。ヴォバン侯爵が暴君ならは、かの王は……。(手記はここで破かれ、血に染まっている) 

 

 

 

 『カンピオーネはトラブルメーカー』

 

 分かっていたことではあったが、実際に身近で体験してみるとそれは比喩や誇張ではない。彼等はただ存在するだけで、呼吸するように騒動を巻き起こし、厄介事を呼び寄せる。生ける災厄そのものだとすら美雪は思っていた。

 

 「私、よく生きてるよね……」

 

 その声には切実な響きがあった。実際、そう思うのも、どこか万感がこもっているのも、どこか疲れ切って表情で哀愁を漂わせているのも無理はない。美雪が義兄でありカンピオーネである徹と共に世界を旅したこの二年間で、彼女が死の危険に瀕したのは一度や二度ではないからだ。ぶっちゃけ両手の指の数よりも多いのだから、仕方のないことだろう。

 

 「行く先々で神とか神獣とか遭遇するし、義兄さんが来た途端騒動が始まったりするんだから、これはもう呪いというか、宿業とでもいうべきね」

 

 深々と溜息をつく美雪。声には諦観の色が深い。

 

 「ははは、いやー話には聞いてけど、実際にはそれ以上だな」

 

 徹は乾いた笑いをもらすほかない。実際、ありえないほどの騒動に巻き込まれ、待ち構えていたかのようにまつろわぬ神と遭遇するのだ。 

 なにせ、徹がカンピオーネになって以来、滅ぼした神の数は9柱にものぼるのだから……。

 

 「どうやったら、たった二年の間に9柱ものまつろわぬ神と遭遇できるの?正直、確率にしたらありえない数字でしょうに。

 しかも、それだけの神を滅ぼしておきながら、簒奪できた権能は僅か一つだけなんて」

 

 「そうは言うが、仕方ないだろう。正々堂々とか趣味じゃないし、何より命あってのものだねなんだ。新しい権能よりも安全さ。卑怯結構、不意討ち上等じゃないか」 

 

 カンピオーネとなる為には、ただ神を殺すだけでは駄目なのだ。神殺しの母たるパンドラを満足させ、己が養子にしたいと思わせるだけの勝利が必要なのである。そして、これはカンピオーネが新しく権能を得るときも同様のことが言えるのだ。

 

 そこをいくと徹は、この二年間1柱たりとも正々堂々と戦おうとしなかった。ある時は罠にはめ、あるときは不意を討ち、またある時は相手の射程距離外からの一方的な飽和攻撃等、彼はお世辞にも褒められた勝ち方をしていない。はっきり言えば、勝つ為なら手段を選ばなかった。まあ、これは自身がカンピオーネであること秘匿すると同時に、同行者である美雪をできうる限り危険に晒さないためでもあったのだが……有り体に言ってやり過ぎであった。

 

 その徹底振りは、パンドラから直々に忠告というか、注意される程であった。徹は覚えていないが、あまりの所業にあのパンドラを呆れてさせたほどなのだから、その所業おして知るべしである。

 

 そんな徹も奇跡的に1柱とはそれなりの戦いを繰り広げ、新たな権能を簒奪することに成功したのだが、それだって結果的にそういう状況に追い込まれたのが、たまたまいい方向に働いての話である。

 

 「義兄さんの言いたいことは分かるけど、でもやっぱり効率悪すぎじゃないかな?先達の王達は複数の権能を持っているのに、義兄さんときたら……ハア」

 

 美雪は他の魔王達との差を思い、深々と溜息をついた。

 美雪自身、義兄がカンピオーネになったことについて深く関わっており、複雑な想いがあるが、なった以上はやはり強くあって欲しいのだ。なにせ今の彼女は義兄に仕える巫女を自認しているし、最愛の男には最強であって欲しいとも望んでいるからだ。

 

 だが、肝心の徹の反応はつれないものであった。

 

 「そうは言うがな。実際、パールヴァティーの時は勝てたのが不思議なくらいだったからな。私は流儀を変えるつもりはないよ。勝てば官軍だろ?」 

 

 実際、その時は権能を一部とはいえ無効化され、絶体絶命の状況だったのだから、徹の言は無理もないことである。

 

 パールヴァティー、「山の娘」を意味する名を持つヒンドゥー教の女神で、ヒンドゥー教の3最高神の一柱にして破壊を司るシヴァの妻でもある。実はかの神は非常に徹との相性が悪かったのだ。

 

 この時、徹が所持していた権能は唯一つ、迦具土より簒奪せし炎の権能なのだが、この炎というのが曲者であった。パールヴァティーは、神話によればシヴァの最初の妻サティーの転生とされているのだが、この転生のきっかけとしてサティーは焼身自殺をしているのである。

 

 まつろわぬ神は神話に縛られるがゆえに、その神話に由来する権能を持つ。つまり、パールヴァティーは炎による新生という凄まじい権能をその身に秘めていたのである。しかも、徹の所持する唯一の権能は炎を攻撃手段とするのであるから、かの女神との相性は言うまでもなく最悪であった。

 

 実際、徹は驚愕させられ、散々に苦労させられた。顕現したばかりのパールヴァティーの不意をつき、最大火力で葬り去ったと思いきや、かの女神は火傷一つ無い美しい裸身で何事も無かったように立っているのを見せ付けられて……。

 それからは酷かった。パールヴァティーは、ドゥルガーやカーリーとも同一視される為か、そちらにも自在に変化し、徹は実質3柱の神と代わる代わる戦うことになったのだから、たまらない。必殺のはずの自身の権能は、女神の転生の権能に阻まれるし、ドゥルガーの対抗策を見つけたと思えばカーリーにかわられるなどされ、攻めるも護るも困難な状況に追い込まれた。

 

 文字通り絶体絶命であった。あの土壇場で愛娘の予期せぬ助けがなかったら、私はここには立っていないであろう。正直、今でも徹自身勝てたのが不思議なくらいであるから、それがどれほど危機的状況であったか想像は容易であろう。

 

 「実際に戦うのは義兄さんだし、ほとんど何もできない私がこんなこと言える筋合いじゃないのは分かっているけど……」

 

 美雪とて、徹の言い分はよく理解できる。実際、神獣ならともかく、神に対して手加減はおろか手段など選んでいられないというのは、嫌というほど分かっているのだ。なにせ、彼女は常に徹の傍らに侍り、数多の神と相対してきたのだから。

 だが、それでも尚強く王らしくあって欲しいというのが、美雪の偽らざる本音であった。

 

 「あまり自分を卑下するな。美雪がいたからこそ、今まで勝ってこれたんだと私は思うぞ」

 

 「そんなことない。私にできたのは精々が時間稼ぎか、占いくらいじゃない。そんなものなくても義兄さんは勝てたわよ。

 ううん、それどころか、私という足手まといがいなければ、義兄さんはもっと楽に勝てたはずよ。いえ、もしかしたら、今よりもっと沢山の権能を簒奪していたかもしれない」

 

 元気付けるように徹は言うが、美雪には慰めにはならない。吐き出された言葉に力はなく、自己嫌悪の色が濃い。

 

 京の切り札『秘巫女』としての矜持が、かつての美雪にはあった。だが、徹と共に世界を回る内にそんなものは粉々に砕かれてしまったのだ。上には上がいるのだ。まつろわぬ神がふるう凄まじい力やカンピオーネの行使する権能に比べれば、彼女の使う術などあってなきが如しなのだということを、これ以上ないほどに現実で理解させられてしまったからだ。

 無論、美雪とてその凄まじさと力の差は、知識としては理解していた。だが、同時に少しくらいは対抗できるのではないかという思いもあったのは否定出来ない。まあ、それが幻想でしか無いというのはこの二年間で嫌というほど、美雪は思い知らされたのだが……。

 そんな美雪が力になれたことといえば、巫女として事前に卜占や霊視で神のことを調べたりすることくらいだ。神と相対することになれば、彼女ができるのは精々できて時間稼ぎがいい所である。しかも、それですらまつろわぬ神が彼女に価値や脅威を見出していないからこそできることであり、つまるところ遊ばれているに過ぎないというのだから、美雪が自信喪失するのも無理もないことであった。

 

 「やれやれ、権能が増えなかったのはお前のせいじゃないし、お前がいなきゃ倒せない神だっていたんだ。それに何より、今日まで私がカンピオーネであることを隠せてきたのは、お前のおかげなんだぞ。だから、そんな風に言うのはよせ。

 大体、そんなに沢山権能あっても使いこなせないって。9柱倒してやっと迦具土の権能を完全に掌握した感じなんだからな」

 

 徹の言は嘘ではない。実際、美雪の助けがなければ危ういところも幾度もあったし、何よりも今日までカンピオーネであることを秘匿してこれたのは、偏に美雪のおかげであった。美雪が隠蔽の為に手をつくし、時には己を囮にすらしてきたからこそ、秘密は守られているのだから。

 

 権能についても嘘はいっていない。今でこそ燃やしたいものだけ燃やすという芸当すらできるが、最初の頃はやりすぎてしまうことがほとんどであった。周りに被害を出さないなんて芸当は不可能で、死者こそ出したことはないとはいえ傷害や器物損壊は数知れず、これまでの所業が明るみに出れば国際指名手配されても文句は言えないだろう。たった一つの権能ですらこれなのだから、複数の権能などどれほどの大惨事になるか、徹は想像したくなかった。

 しかも、カンピオーネの権能というのは、戦場と実戦でしか磨かれないという時代錯誤で物騒な代物である。普段使ったところで、大して磨かれることはない。というか危なかしくて、そもそもおいそれとは使えないのだが、徹の戦い方があれなせいもあってか、何よりも重大な思い違いをしていたことから、中々全てを掌握するに至れなかったのだ。

 

 今は権能の本質を理解しているし、そんじょそこらの神に遅れをとるつもりはないが、美雪の助けなくして、己が今日まで生き延びることはできなかったであろうというのは、紛う事なき徹の本心である。 

 

 「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それでも、やっぱり私は……」

 

 実のところ、美雪とて徹が慰めなどではなく本心から言っていることは理解している。だが、それでも己の無力が、義兄の庇護対象でしかないという現実が彼女には受け容れられなかった。

 なぜなら、美雪は守られたいのではない。義兄の隣に並び立ち、必要とされる存在でありたいのだから。 

 

 

 

 

 「ああ、くそ!またか!」

 

 逢魔が時、暮れなずむ夕日の下に見える人外の美しさを持った偉丈夫の姿に、私は思わず毒づいた。逢魔時(おうまがとき)大禍時(おおまがとき)とも言われる黄昏時だが、よりにもよって今、その名の意味を具現化させなくてもいいだろうに。

 

 ネガティブな思考に支配された義妹の気分転換になればと思い、選んだ北欧への骨休めの旅。心安らかに過ごさせてやろうと思い、人里離れた深い森で森林浴を楽しんでいたのだが、その帰路でとんでもないものを発見してしまったのだ。

 最古参の東欧の魔王『ヴォバン侯爵』と新参のイタリアの魔王『剣の王サルバトーレ』、そして英国の魔王『黒王子アレク』、己以外のカンピオーネと間違っても遭遇しないように最大限配慮したつもりだったのだが、とんでもない藪蛇であった。

 

 「同類のカンピオーネを避けたら、天敵であるまつろわぬ神と遭遇するとか呪われているとしか思えんな……」

 

 「全く同感だけど、義兄さん落ち着いて。まだ私達の存在はばれていないはずだから」

 

 美雪に諌められて、少し落ち着く。そうだ、冷静にならなければならない。まつろわぬ神であろう偉丈夫がこちらに気づいた様子は幸いにもない。美雪の言う通り、巨大な呪力の反応を察知して、咄嗟に使った隠形の術は有効なようだ。

 

 「とはいえ、油断はできん。連中の感覚は異常だからな。いつまでもばれないというのは楽観視がすぎるだろうな」

 

 「それはその通りだと思うけど……。どうするの、義兄さん?他の魔術師に助力を求めようとしても伝手がないし、大体逃げるにしても、少しでも動いたら感づかれると思うけど」

 

 美雪の言うことはもっともである。本来、まつろわぬ神を見つけたらといって、戦う必要などこれぽっちもない。こういってはなんだが、故国でもない旅先なのである。非情だと思われるかもしれないが、守る義理も義務も存在しないのだ。精々、現地の魔術師若しくは魔術師の組織にその存在を報告して、丸投げするのが正しい対処法である。まして、私のように正体を隠しているなら、尚更である。

 

 

 「はあ、他のカンピオーネの縄張りを避けたのが仇になったか。もし、連中の縄張り内なら、何の気兼ねもなく丸投げできたんだがな」

 

 まあ、その場合カンピオーネに絡まれるという別の厄介事を引き起こしそうではあるが……。

 

 

 「その場合でも絶対に騒動になったと思うから、諦めた方がいいと思う。というか、私はもう諦めてる。義兄さんといる以上、必ず厄介事に巻込まれるか、騒動になるって」

 

 私のぼやきに、美雪は悟った様な表情で、深い諦観の色を滲ませてそんなことを言ってくる。

 

 「失礼な!好きで巻込まれてるんじゃないし、好んで騒動を起こしているわけでもない!連中が勝手に寄ってくるんだ!」

 

 私は不満も露に反論した。確かに行く先々で、厄介事や騒動に巻き込まれていることは否定出来ないし、反論もできないが、そうだとしても私にとて言い分がある。誓って言えるが、一度として進んで厄介事に首を突っ込んだことなど無いし、騒動を自ら引き起こしたこともない。むしろ、厄介事や騒動が勝手にこちらにやって来るといったほうがいいだろう。

 

 「……ええ、そうね」

 

 「待て、その間はなんだ?!そのしょうがないなあと言わんばかりの優しげな表情をやめい!」

 

 なんとも言えない表情で美雪が苦笑し、柔らかに微笑む。なにかいいようにあしらわれている感があり、どうにも腑に落ちないものがある。

 

 「……って、こんなことやっている場合じゃないな。気づかれたか?」

 

 私達の口論を余所に、現実は無情にも流れている。私と美雪は思わず身を固くした。なぜなら、いずこの神とも知れぬ偉丈夫は、警戒感を露にして周囲を見回していたからだ。

 

 「それにしては様子が変よ。どこか怯えが見えるような気がするし……。大体、察知されていたら、問答無用突っ込んでくると思うけど」

 

 「ふむ、何かがいるのは分かっているが、どこにいるのかまでは特定できていないといった所か。ならば、殺るなら今だな」

 

 「待って、義兄さん!まさか、ここで権能を使うつもりなの?そんなことしたら、逃げるどころか、義兄さんの嫌いな真っ向勝負になりかねないよ?」

 

 慌てた様子で私を制止する美雪だが、私はすでに心を決めていた。

 

 「ここで逃げようとしたところで、どの道見つかるんだ。そうなったら最後、野郎は私を標的として一目散に突っ込んでくるだろうからな」

 

 まつろわぬ神は、カンピオーネを目の敵にしている。というか、普通の人間など眼中にないのだ。良くも悪くも神々は強すぎ、その感覚は人と隔絶しているのだ。まあ、神を殺した者がカンピオーネなのだから、それを天敵とする神々の気持ちもわからないわけではない。だが、一方で普通の人間に価値を認めないというその感覚は承服しがたい。魔術師であろうが、巫女であろうが、一般人であろうが関係ない。神々にとって、皆等しく興味がなく価値がないのだ。つまり、彼らは自らを脅かす者『カンピオーネ』にだけ価値を認め、劇的に反応するのだ。

 

 「美雪は隠形術の維持に全力を尽くしてくれ。私は呪力を練る。最大火力で一撃で滅してやる」

 

 「わ、分かった」

 

 静かに呪力を高める私に止めても無駄と悟ったのだろう。美雪はあきらめ顔で頷き、隠行術に注力する。

 

 「我は炎、神を殺し娘を殺せし、許されざる原初の咎人。全てを滅ぼす原初の破壊の焔なり!」

 

 かつてはできなかった炎の凝縮・圧縮も、今は容易にできてしまう。そうして、多少の時間こそかかったものの、現状で放てる最大威力を封じた光球を作り出す。大きさこそ大した事ないが、神を滅殺するに充分な威力を秘めたそれを、私は躊躇なく投擲した。

 

 

 

 

 義兄さんの権能行使の言霊に従い、合わされた掌の中に光球が生じる。凄まじい呪力を内包し、膨大な熱量と炎を封じ込められたそれは、最早小さな太陽と言っても過言ではないだろう。

 人間相手ならば、骨身どころか灰すら残さず焼き尽くすであろう焔、街一つを火の海に変えるに十分すぎる炎をあの大きさの光球に凝縮・圧縮しているのだ。一流どころか、超一流とされる魔術士が何人集まろうが可能とは思えない所業。これこそが人中の魔王、羅刹王の化身、カンピオーネの権能。何度見ても、けしてなれることはない。私が魔術師である以上、この畏怖はけして消えることはないのだろう。

 

 かつてはごく短距離、手加減どころか過剰にしか行使できなかった権能を義兄は見事に使いこなしている。魔術師が生涯かけても、制御が叶うかわからぬそれを僅か二年で自在に操る。カンピオーネが戦いの申し子であり、闘争の王たる由縁なのかもしれない。

 

 まつろわぬ神がこちらとは見当違いの方向に向き直った瞬間、それは放たれた。

 投擲術に魔術でさらに加速を加えられた光球は、狙い過たず偉丈夫のまつろわぬ神へと向かう。

 

 あわや直撃と思いきや敵もさるもので、当たる直前に驚愕しながらも反応し、戦鎚で迎撃してみせたのだ。

 

 だが、光球の正体は数多の神を滅ぼしてきた義兄さんの誇る迦具土の権能、『神殺』の特性を持った焔を凝縮・圧縮したものである。並の神具では諸共に灼き尽くされるはずだった……。

 

 しかし、目の前の現実はその私の予想を真っ向から覆してみせた。戦鎚が振り下ろされると同時に天が瞬き、雷鳴と共に豪雷が襲来し、光球とぶつかり合ったのだ。豪雷を纏った戦鎚が、義兄さんの創りだした極小の太陽と鬩ぎ合う。それはまさに神代の戦いだった。

 

 ぶつかり合い相殺していくその余波で、凄まじい破壊の嵐が吹き荒れ、あらゆるものを薙ぎ倒していく。それは私達や標的たるまつろわぬ神ですら例外ではなく、私など必死に体勢を保っているというのに、私をかばうように立つ義兄さんとかの神は微動だにせず睨みあっている。それどころか、義兄は追撃しようと次弾の用意をしているし、相対する神も憤怒も露に戦鎚を構え直していた。まつろわぬ神とカンピオーネ、彼らがいかに人間と隔絶した存在であるか、改めて思い知らされる。

 

 いつもこう……。戦闘前の前準備や探索などでは役に立てても、肝心の戦闘となれば、私はなんの役にも立てない。義兄さんを助けるどころか、己の身を守ることが精一杯になってしまう。

 

 そんな現実に歯噛みしている私を尻目に、さらに事態は思わぬ方向へと動いた。義兄さんと相対していた神の姿が突如消えたのだ。いや、それは正確な表現ではない。あまりにも速すぎて、私にはそう見えただけの話なのだろう。

 

 一瞬後、戦鎚を持った偉丈夫の姿は消え、そこには白銀の巨狼が佇んでいたのだから。

 

 

 

 

 

 「ああ、そういうことか……」

 

 私は白銀の巨狼の雄姿に、あの偉丈夫の神の一連の行動の不可解さを理解することができた。

 

 「え、どういうこと?」

 

 「何、簡単なことだ。かの神が警戒していたのは、私達ではなかったのさ。かの偉丈夫の警戒対象はあの白銀の巨狼の方で、私はそれと気づかぬままにまつろわぬ神同士の戦いに横槍を入れたのさ」

 

 「あ、それで私達とは見当違いの方向を向いたり、驚いたような反応だったりしたのね」

 

 「ああ、そういうことだ。それに、初見であの不意打ちを全力で迎撃すること自体、異常だからな。恐らくあれは巨狼迎撃用に用意されていたものなのだろう」

 

 私の不意をついての光球、実はその内包する威力とは裏腹に見かけ自体は大した事のないように偽装しているのだ。極限まで圧縮した上で、内包する呪力を感じとれないように隠蔽の術式をかけてあるのだ。たとえ、まつろわぬ神であろうと、初見では騙されること請け合いである。油断して迎撃に力を入れなかった結果、炎に巻かれるというわけだ。実際、この手で2、3柱の神を葬っているのだから、私としてもそれなりに自信のある手段だったのだが……。

 

 「そうね。義兄さんのあれは見た目とのギャップが詐欺だものね。あれは初見じゃ、まず見破れないもの」

 

 どこか呆れた様子で美雪が宣う。詐欺とは心外な、効率的で素晴らしい手段ではないか。大体、見かけに騙される方が悪いのだ。

 

 「詐欺とは酷い言われようだな。大体……と、そんなこと言っている場合じゃないな」

 

 

 『我と仇敵との戦いに横槍を入れるとは不遜であろう。人の子よ……いや忌まわしき神殺しよ』

 

 白銀の巨狼がこちらを睥睨し認めたと同時に、脳裏に肉声を伴わぬ厳かな声が響く。

 

 「それは失礼した。だが、私達からすれば、貴方は言うに及ばず、貴方が食らったかの神もまた脅威なのだ。突如現れたのなら、それを警戒するのは当然だろう」

 

 『貴様の言う警戒とやらが、ミョルニルと同等の炎とは些か興が過ぎようよ。まあ、そのおかげであの短気者をあっさり喰い殺せたのだから、貴様には礼を言うべきかもしれんな。だが……』

 

 あの迎撃に用いられた戦鎚はミョルニル。ならばあの偉丈夫は、北欧神話の戦神トールだったのか!なるほど、そうであるならば、あの威容に咄嗟の迎撃にも関わらずの戦鎚の威力にも納得がいく。では、それを仇敵とするこの巨狼は……。

 

 「だが?」

 

 思い当たった白銀の巨狼の正体になんとなくその先が予想できたが、一縷の望みをかけて尋ねる。しかし、やはり現実は優しくなかった。

 

 『仇敵との戦いを邪魔されたのだ。誤解とはいえ、相応の報いはあってしかるべきであろう。何より奴との戦いで昂った我が血が収まらぬ。この上は、貴様の血肉をもって贖わせる他あるまいよ!』

 

 「やはりそう来るよな、フェンリル!」

 

 トールを仇敵とする以上は、同じ北欧神話の神。それもアース神族に敵対し、トールを丸呑みにする狼など、それ以外思いつかない。

 

 フェンリル、フェンリル狼とも呼ばれる。北欧神話のトリックスター「ロキ」の子であり、弟妹にはヨルムンガンドにヘルといずれ劣らぬ魔物を持つ。中でも長子たるフェンリルは、『神々の黄昏(ラグナロク)』において主神であるオーディンを呑み込んだ荒ぶる神喰いの狼である。

 トールを仇敵と評したのは、弟であるヨルムンガンドを殺したのがトールだからだろう。

 

 『ほう、我が名を知ったか神殺しよ!ならば分かるであろう。この身は死と恐怖の具現、神喰いの狼である。闘争こそ我が愉悦。争乱こそ我が望みよ。異邦の神殺しよ、汝が血肉を我に捧げよ!』

 

 こうして、私とフェンリルの戦いは幕を開けたのだ。

 

 

 

 

 視界からフェンリルの姿が消え、唐突に嫌な予感に襲われた徹は、直感の命じるままに美雪を突き飛ばした。美雪の困惑が見て取れたが、徹には応える余裕などなかった。

 

 「がっ」

 

 「義兄さん!」

 

 次の瞬間、徹は右腕を喰いちぎられていたからだ。隻腕になり思わず膝をつく徹の耳に、美雪の悲痛な声が響く。

 

 『我が身を犠牲にして、巫女を守るか。見上げたものだが、無駄なことを。貴様が死ねば、貴様の骸共々巫女も又我が滋養となるのだからな』

 

 「お前ごときに義妹はやらんよ!」

 

 嘲るように笑うフェンリルに対し、徹は気炎を上げる。

 

 『片腕を失って、よくぞ吠えたわ!』

 

 「私の片腕を奪った代償を支払ってもらおうか!

 我は炎、原初の破壊そのもの。我が身全てはけして消えることなき原初の焔なり!」

 

 かつては神々の詔であったはずの聖句が、今や神殺しの勝鬨となって吐きだされる。それは人より生まれし魔王の神々に対する挑発だ。簒奪者の苛烈なる意思の表明にして、神々へと己の存在を誇示するものだ。

 

 徹の神殺しとしての言霊が劇的な変化を巻き起こす。喰いちぎられた腕が灼熱の炎へと瞬く間に変化し、フェンリルをたちまちに包み込んだのだ。

 

 『なんと?!グオオオー』

 

 驚愕し苦悶の声を上げるフェンリルを尻目に、徹は隻腕のまま立ち上がる。

 

 「私が殺した神『迦具土』は、火山の噴火・溶岩流を象徴する炎神であり、その本質は大地の血液たるマグマの炎そのものだ。そして、別名である火之夜藝速男神(ひのやぎはやを)とは自ら火を出して燃えている火の男神を意味する。なれば、その炎を簒奪した我が身が炎とならぬ道理はあるまい!」

 

 徹は自身の腕を炎へと変換したのだ。正確に言えばそれを媒介として権能を行使したのだ。徹の簒奪した迦具土の権能。それは『念発火能力(パイロキネシス)』のようなものではない。ごく近距離ならば、その真似事も不可能ではないが、その本質は自身の炎化能力である。自身の肉体を炎と化し、全てを灼き尽くすのが本来の徹のスタイルである。

 

 炎化状態ならば、物理攻撃はほぼ完全にシャットアウトできる上に、攻撃してきた相手の方にダメージを与えられるという攻防一体の権能である。その反面、炎や火に対する防御や制御の能力を持つ相手には途端に不利なるし、自身もまた物理攻撃が不可能になり、武器や符をはじめとした呪具の使用も不可能になるという弱点ももっているが、非常に強力な権能である。

 ちなみに、徹はこの権能を自身を灼き尽くす罪過の炎の具現だと思っている。

 

 徹自身が己をも灼き尽くす炎であると認識しているためか、はたまた原初の神殺したる迦具土の炎が故か、この炎はまつろわぬ神に対しても絶大な効果がある。まず、普通には消えない。空気があろうとなかろうと燃え続ける。それでいて、火力を強くする分には自然法則の影響を受けるのだから、なんとも理不尽な能力である。

 

 しかして、その炎ですらフェンリルを葬るには足らなかったらしい。フェンリルがその大口を開け、何かを吸い込むようにすると、フェンリルを覆っていた炎がたちまちに呑み込まれていく。数瞬後には、フェンリルを灼く炎は消え去っていた。

 

 『我が子スコールは太陽(ソール)を呑み込むのだ。親たる我がこの程度の炎呑めぬと思うたか』

 

 「流石というべきだろうが、ダメージは隠せないようだな。自慢の毛皮が煤けているぞ」

 

 消し去ったとはいえ、フェンリルも徹の炎を完全に無効化できたわけではない。毛皮がとこどころ焼き焦げているし、僅かにだが肉の焼けた臭いもするのがその証左であった。

 

 『おのれ忌々しき神殺しよ。我が身を焼くとは、この炎が貴様の権能か……。しかも、この炎ただの炎ではない。貴様の殺めた神はただの炎神ではない。何か罪深き業を背負いし神であろう!』

 

 手傷を負わされたことにフェンリルはグルルと屈辱に喉を鳴らし、恥辱に身を震わせていた。

 

 「そうだ、私が殺したのは神でありながら神殺しの業を背負いし神だ。それより簒奪せし、我が罪過の具現たる神滅の焔。貴様如きに敗れることなどありはしない」

 

 『隻腕でよくもほざいたわ。確かに貴様の炎は、我等まつろわぬ神に対する最凶最悪の武器よ。だが、我が力が通じたということは、炎の性質に縛られているということでもある。けして無敵ではない。そして、我もまた神殺しの業を背負いし者よ。軍神の腕を食い千切り、主神すら葬った我が爪牙をもって、我こそが最強の神殺しであると証明してくれようぞ』

 

 言うが早いか、再びフェンリルの姿が徹の視界から消える。そして再びの衝撃、徹は片腕どころか半身を喰いちぎられていた。が、残った半身から炎が燃え広がり瞬時に元に戻る。炎化状態ならば、炎そのものを全て呑まれるか滅されない限り、徹は死ぬ事はないし、傷一つ負うこともない。一部が欠けたところで、消えることなき炎は一瞬で燃え盛り広がるのだ。

 

 そして、今度はこちらの番だと言わんばかりに、フェンリルへと抱きつくように『猿飛』を行使する。その巨体に似合わぬ神速を誇るフェンリルだが、一瞬で最高速まで至れるかわりに攻撃の後は己でも捕捉できることを徹はすでに見抜いていたのだ。

 

 しかし、みすみす反撃を許す程、フェンリルも甘くはない。『猿飛』で接近する徹を後ろ足で薙ぎ払う。だが、それは最悪の結果となってフェンリルに被害をもたらした。全身を炎と化した徹が蹴り足に抱きつく用に絡みついたのだ。

 

 さしものフェンリルもこれにはたまらず振り払わんとするが、徹はそれを尻目に悠々と離脱する。10メートルを超える巨体であるフェンリルと人間大の徹の差が裏目に出たのだ。

 

 徹有利かと思いきや、フェンリルはまたも大口を開けたではないか。そして今度は吸い込むのではなく、炎を吐き出したのだ。

 

 「なにっ?!」 

 

 徹は驚愕した。今までにない行動にではない。吐き出された炎が、己の権能と同種の炎だったからだ。 空中で回避できるようなものではなく、徹はあっさりと炎に巻かれた。

 

 しかも、荒ぶるフェンリルは、手を緩めない。地を蹴り、その大口を開いて呑み込まんと飛び掛ったのだ。主神すら丸呑みしたフェンリルである。いかに神殺しといえど、呑み込まれればただで済むはずがない。いや、十中八九死ぬであろう。

 

 一方、徹は流石に己の権能で傷つくほど馬鹿ではないし、基本的に炎に対しては絶対的な耐性を持っているのだ。返された炎を逆に吸収し、隻腕のままだった腕を再生すらしてみせていた。

 

 されど続くフェンリルの突撃にはなす術はない。徹には飛行能力はないからだ。いかに優れた呪的センスをもっていても、彼は魔女の系譜ではなく、巫女でもない。あくまでも突然変異的に発生した術者なのだ。故に魔女の秘儀である飛翔術を使うことはできない。そして、物理攻撃を無効化する頼みの権能も今回は役には立たない。炎化したところで炎全てを丸呑みされてしまえば、結果は同じだからだ。

 

 しかし、徹はどこまでも生き汚かった。なすすべがないから大人しく死んでやるなどという殊勝な男ではないのだ。ないのならば強引に創り出す。無茶を通して道理を引っ込ませる。そういう男であった。こういうところが、どこまでも合理的で手段を選ばない徹をカンピオーネたらしめているのかもしれない。

 

 炎に巻かれ視界を封じられながらも、徹はフェンリルの狙いを直感的に悟っていた。とにかく、このままでは死ぬと。どうにか空中で移動しないと、問答無用で死ぬと。権能による炎化も意味が無いと本能で悟り、彼は自滅覚悟で博打に出た。

 

 再生したばかりの腕のみを炎化させ、限界以上の呪力を注ぎ込んで自身の至近で暴発させたのだ。それはちょうど突っ込んできたフェンリルをも巻き込み、少なからぬダメージを与える。とはいえ、徹の受けたダメージはその比ではないが……。

 

 九死に一生を得たとはいえ、至近で権能の暴発に巻込まれたのだ。いかに炎に対して絶対の耐性を誇るとはいえ、爆風やそれによって地面にたたきつけられた時の衝撃は、けして軽いものではない。その上、無理な行使をしたせいでしばらく腕の再生は無理だろうし、何より全身の脱力感が凄まじい。正直、立てたのが不思議なほどであった。

 

 『よくよく生き汚い男よな。よもや自滅覚悟で己を吹き飛ばすとはな。なるほど、確かに貴様は生粋の神殺しよ。そのなりふり構わぬ生き汚さ、後先考えぬあの愚者の息子らしい振舞いよ!』

 

 「当然だろう、私は妻と娘の魂を背負っている。まつろわぬ神ごときにくれてやれるほど程軽いものでは、断じてない!」

 

 『満身創痍のその身でよく吠えるものよ。だが、如何にする。貴様の権能の種はわれた。貴様の炎化能力は確かに厄介だが、炎化するより前に喰いちぎってしまえば意味は無い。貴様が半身を再生した時、我が奇襲で奪った腕が再生しなかったのが、何よりの証拠よ。そして、炎化したところで、吸い上げるか丸呑みすればいいことよ』

 

 恐るべきは神の智謀。この1分にも満たない短い時間で、徹の権能の弱点を見抜いていたのだ。流石は、北欧神話のトリックスター『ロキ』の息子たる面目躍如といったところだろうか。あるいは戦いに関してのことなので、本能的に悟ったのかもしれないが。

 

 「こうもあっさり見抜かれるとは驚いた。それに随分理知的じゃないか。『フローズヴィトニル(悪評高き狼)』、『ヴァナルガンド(ヴァン河の怪物)』とも言われ、神々の黄昏までグレイプニルで封じられていた荒ぶる神であるあんたが」

 

 『所詮神話も一面を描いたものに過ぎぬ。大体、我が話も通じぬ存在であるならば、そもこの身を繋がれることも、かの軍神が腕を失うこともなかったであろうよ。それに悪戯の神で奸智に長けた父ロキの血を継ぐ我が、愚昧であるとでも思ったか』

 

 「なるほど、そう言われると納得できるな。さて、それじゃあそろそろ再開しようか」

 

 『ふむ、もう時間稼ぎはよいのか?万全でなかったなどという言い訳は聞かぬぞ』

 

 「なんだお見通しか……。なんでまた付き合ってくれたんだ?」

 

 『言ったであろう。我が血の滾りを収めよと。トールとの戦いでは貴様の横槍のせいで、満足できなかったのだ。故に、貴様にはその分まで我を楽しませる義務があるのだ。何より、貴様の全力を打ち破ってこそ、我は充足しよう』

 

 「この戦闘狂め!」

 

 『貴様も我のことが言えた義理ではなかろう。闘争の喜悦に顔を歪ませたその様ではな』

 

 吐き捨てるように徹は言っていたが、その表情が自身の言葉を何よりも裏切っていた。フェンリルの言葉通り、その顔は楽しそうで誰がどう見ても笑顔だったからだ。

 

 「おっとこれは失礼。でも、()も興味があるんだ。日の本の神殺しの神迦具土の炎を宿した()と北欧の神殺しの狼であるフェンリル、あんたとどちらが上なのかな!」

 

 『クハハハハ、よかろう神殺しよ名乗るがいい。貴様が骸となる前に、その名を我が魂に刻もう』

 

 「そいつは光栄だ。偉大なる神喰いの大神(おおかみ)よ。()、いや私の名は『神無徹』。人の身にありて神を滅ぼす者だ!」

 

 『確かに聞いた!神無徹よ。貴様の血肉と炎を我が爪牙の糧としてくれようぞ』

 

 宣言と共に両者は再び衝突した。

 

 

 

 

 「相変わらずありえない……」

 

 私は義兄とフェンリルの戦いを見て、ついついそう漏らしていた。まつろわぬ神との戦いを見るのは初めてではないが、やはりその凄まじさは筆舌に尽くしがたい。レベルが違うとか格が違うとかそういう問題ではない。根本的に戦いのスケールが違うのだ。

 

 義兄が本気で権能を行使すれば、この一帯はたちまちに焦土になるだろう。水分全てを蒸発させられて草木一本残らない。相対するフェンリルの爪牙とて薙ぎ払えば当たらずとも突風が、当たればあらゆるものを粉砕するだろう。というか、あの巨体だ。権能を使わずとも十分過ぎる脅威だ。

 そんなレベルのものを平然と互いに打ち合っているのだから、周りはたまらない。実際、緑深き針葉樹林の森が今や見る影もない。燃やされ、薙ぎ倒されて酷い有様である。私も、早々に退避しなければ、命すら危ぶまれただろう。

 

 「それにしても義兄さんが正面切って戦うなんて、どういう風の吹き回しかな?」

 

 

 義兄が正面きって戦うのは珍しい。私が知るかぎりでは、義兄さんがカンピオーネとなるきっかけとなった迦具土、不意打ちを無効化されてなし崩し的に戦闘になったパールヴァティーくらいなのだから。フェンリルを含めて戦った神は10柱に上るが、今回のような真っ向勝負は僅か3回なのだから、私がそんなことを思うのも無理も無い。

 

 「それにしても、いつにもまして心臓に悪い」

 

 流石は北欧神話にその名を轟かせる悪名高き狼である。主神を喰い殺したのは伊達ではないらしい。神殺しの特性を備えた義兄の迦具土の炎に容易に対処するのだから。

 

 「中世ヨーロッパにおいては死と恐怖の対象とされたのが狼。でも一方で、日本では古くから信仰され、大神が語源とも。

 そしてかの神は、軍神の腕を喰いちぎり、主神を呑み込んだ神々の災厄の具現者。神喰いの狼フェンリル。

 ある意味、義兄さんとは近しい存在といえるのかもしれない」

 

 神殺しの神とその権能を奪った人間。どちらも神を殺す者でありながら、両者の道はけして交わらない。フェンリルと義兄がそうであるように。

 

 「義兄さん、勝負をかけるつもりね。このままじゃジリ貧だから、無理もないか」

 

 義兄は炎化能力を巧みに用いて、フェンリルの攻撃を防いでいるが、裏を返せば防戦一方で攻撃する余裕がないということにほかならない。というか、純粋な武技では私に劣る義兄が、私でも視界にとらえるのがやっとのフェンリルの攻撃をここまで凌いでいるというのだから、正直ありえない。

 やはりカンピオーネとは、人智を遥かに超えた存在だということ?いや、そもそも存在そのものが生きる伝説というか、理不尽の塊なのだから無理もないか……。

 

 私がそんなどうでもいいことを考えているうちに、激しくぶつかり合っていた両者が動きを止め、何事か言葉を交している。その最中、義兄の呪力が高められ収束していくのを感じた。その現象が、義兄さんの切り札前準備であると私には理解できた。 

 

 「義兄さんのアレなら十中八九大丈夫だと思うけど、万が一もある。保険は用意しておきましょう。

 幸い最初の襲撃以来、フェンリルは少しも私を気にしていない。正直、無視されているのは癪だけど、今は都合がいいから感謝すべきなのかな」

 

 私は独り言ちながら、義兄に託されている保険を召喚した。

 

 「十拳剣よ、汝が主の巫女たる我の呼声に応え給え!」

 

 次の瞬間、私の前には一振りの剣が浮いていた。これこそはまつろわぬ迦具土を斬り殺したことにより、神殺しとしての特性を持つに至った十拳剣。義兄の最後の武器であり、最終手段だ。義兄さんは()の命を奪ったこの剣を使いたがらない。いよいよとなったら覚悟を決めるが、できうる限り使おうとしない。普段管理を私に委ねているし、今こうして戦闘中にも関わらず私が所持していることからもそれは明らかだ。

 現在の状態になって使われたのは唯一度だけ、それもパールヴァティーに権能を封殺されて絶体絶命の危機に陥った時の事だ。しかも、義兄さんが己の意思で使おうとしたわけではではない。彼女が己を使えと自ら顕現してやっとである。

 とはいえ、それを責めることは誰にもできない。なぜなら、この神殺しの刃たる十拳剣の現在の銘は『魂剣 明日香』。父親である義兄さんを助けるために己の魂を剣へと宿らせた()そのものなのだから。

 

 

 

 

 神速でその爪牙を振るうフェンリルと、炎化能力と数多の術を駆使して渡り合う徹の戦いは、お互い決定打を欠いたまま膠着状態に陥っていた。

 とはいえ、膠着状態とは名ばかりで徹のほうが圧倒的に不利であったが。

 

 実のところ、フェンリルと徹では基礎能力が違いすぎるのだ。呪力こそ互角かもしれないが、パワー、スピード、いずれも肉体的なものでは全て上をいかれている。特にスピードは違いすぎて勝負にならない。カンピオーネとなり強靭な肉体を手に入れても、徹はあくまでも術士であり、武技では美雪よりも劣るのだ。

 それでもフェンリルと戦えるのは、術による強化・補助に加え洞察と直感でそれを補っているからに他ならない。

 

 だが、当然それは精神的な消耗が激しい綱わたりの如き所業である。しかも、一つ間違えば即死というプレッシャーが否応なく精神的疲労を加速度的に蓄積させるのだ。故に長期戦どころか、いつ均衡がくずれてもおかしくないというのが実情であった。

 

 だから、徹は切り札を切ったのではなく、切り札を切らざるをえなかったというのが正しいだろう。

 

 さて、徹の簒奪した迦具土の権能であるが、自身を炎化し、その炎にはデフォルトで『神殺』の特性がついているという非常に強力なものである。神殺しに相応しい、まさに神を滅すための権能といえるだろう。

 とはいえ、フェンリルに指摘されたとおり炎としての性質に縛られている為、パールヴァティーのような炎に対する権能を有する神にはその威力を大幅に殺がれる。それどころか、無効化されることすらあるのだ。はっきり言って、このままでは切り札とは言い難く、火神等が相手では詰む危険すらある。というか、実際にそうなりかけた。

 

 そこで徹が考えたのが、迦具土の炎の特性である『神殺』をとことん突き詰めて純化させることであった。そうして、『神殺』は『神滅』へと至った。ありとあらゆる神秘を滅ぼす諸刃の刃へと。

 

 諸刃の刃、というのはそのままの意味だ。『神滅』に至った炎は、神秘の塊というか具現である神にとっては、絶対の武器である。いかなる防御も無意味。回避するほかなく、当たれば絶大な威力を発揮する刃となる。

 だが、同時にそれはカンピオーネたる徹自身にも言えることなのだ。カンピオーネもまた神秘の塊だ。徒人に神とやりあえる強靭な肉体と莫大な呪力を与え、絶大無比な権能を使用可能にするのだから。すなわち、『神滅』まで至った炎は徹自身にも牙を剥くのだ。炎に対する絶対的な耐性もこれには何の役にも立たない。

 

 そして、徹の炎は自身を炎化させたものから生じさせるものだ。すなわち、『神滅』の炎を使うということは、己をも敵諸共に灼き尽くすことに他ならない。つまり、自爆技以外のなにものでもなかったのだ。

 

 「神殺の業、その先にあるものを教えてやる!」

 

 危険を察知したのか、阻止せんと神速で迫るフェンリルを結界を多重に張り、意図的に壊れやすい部分を作り出し誘導することでその進行方向制御する。無論、されるがままのフェンリルではない。強引に進路を戻そうとするが、それは徹に必要な時間を与えることを意味した。

 

 そして、フェンリルが徹へと到達した瞬間、それは完成した。

 

 「迦具土滅びて、原山津見神(はらやまつみのかみ)戸山津見神(とやまつみのかみ)志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)羽山津見神(はやまつみのかみ)闇山津見神(くらやまつみのかみ)奥山津見神(おくやまつみのかみ)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)を産むなり。我、神を滅ぼし、神を生じさせるものなり」

 

 徹の脚から、腕、腹、胸と迦具土の骸より生まれし神の名と対応する部位が言霊と共に炎と化し、最後には頭部へと及び全身を包み込む。そして、人型の焔となった瞬間、爆発的に膨れ上がり近距離にいたフェンリルをも飲み込んで爆ぜた。その様はさながら、火山が噴火するが如し。

 

 炎が晴れた後には徹の姿がない以外、何も変わっていなかった。大地や森は勿論のこと、標的であったフェンリルにも特段傷や火傷なども見受けられない。見かけ上は……。

 

 そう、無事なのは外観だけである。『神滅』の炎は神秘そのものを灼き尽くす。すなわち、焼かれたのは肉体ではない。フェンリルを構成する神秘こそを焼き滅ぼすのだ。大地や森が無事だったのもこのためだ。そして、フェンリルは内から灼かれたようなものである。それも存在そのものを。

 

 『このような切り札を持っていようとはな……。自滅覚悟の自爆技とはいえ、我にここまでの手傷を負わせるとは見事だ、神無徹。だが、我を滅するには足りんだようなだな。この勝負、我の勝ちだ!』

 

 フェンリルが勝利の雄叫びを上げる。

 

 「生憎とこちらは万全だぞ」

 

 『なに?!』

 

 声と共に白銀の巨狼の前に、突如火柱が立ち昇り、人の形へと収束していく。それがおさまった時には、徹が全裸でたっていたのだ。しかも、傷一つ無いどころか、消耗していたはずの呪力さえ回復しているという不条理ぷりであった。

 

 「うーむ、やはりこの権能使うと全裸か。まあ、転生の対象はあくまでも私自身ということなのだろうな。服は対象外ということか。予備を用意しておいて正解だったな」

 

 ボヤきながら、術を行使したのだろう。一瞬で、その身が衣に包まれた。

 

 『転生だと?!貴様、それを織り込み済みであのような真似を!』 

 

 「悪いが、命に代えて倒すとか趣味じゃないんでね。相応の手段もなしで自爆なんてするわけないだろう」

 

 この転生の権能こそ、後に賢人会議により『煉獄転生』と命名されることになるパールヴァティーより簒奪せし徹の第二の権能である。焼死という限定条件こそあるが、それさえ満たせば前よりも強い状態(消耗時は万全な状態に戻る)で新生出来るのだ。この権能を手に入れた時、自身の絶対的な耐性に鑑み、無用の長物でしかなかったが、『神滅』の炎に至った時、それは使えぬはずの切り札を使用可能にする最高のカードへと変わった。まあ、『神滅』の炎を使うような事態になれば、すべからく消耗しているはずなので、前よりも強く新生すると言っても、ただ万全の状態の時に戻るにすぎない。

 

 とはいえ、そのアドバンテージは絶大だ。負傷は勿論のこと、権能行使により消費した呪力すら回復するのだ。しかも、必殺の威力をもったあの自爆攻撃で無傷な敵はいない。万全な己と少なからぬ傷を負ったまつろわぬ神、優劣は明らかである。

 

 しかし、それで終わるなら誰も苦労はしない。窮鼠と同様に、追い詰められた神々はとんでもないドンでん返しをしてくるのが常である。そして、それはこのフェンリルも例外ではなかった。

 

 『……見事というべきであろうな。だが、奥の手を持っているのは貴様だけではない!』

 

 フェンリルの言葉と共に。その咆哮が響き渡り、雷鳴が轟きその身を覆う。そして、一瞬後にフェンリルの体躯は何事もなかったように綺麗になっており、徹がつけた傷すら回復していた。

 

 「まさか回復の権能?!いや、雷だと……まさか貴様!」

 

 フェンリルを取り巻く雷に否応なく思い出される轟雷を操る戦神の姿。フェンリルはかの神を喰らったのだ。ならば、これは……。

 

 『気づいたか。よくよく察しのよい男よな。そうだ、我は貴様のおかげで喰らえた仇敵を滋養としたのだ。そして、今やその力すら我のものだ!』

 

 再び轟く咆哮とともに、雷が槍となって徹を襲う。それを咄嗟に炎化して防御するが、無効化できたわけではない。ダメージこそないが、雷槍は確実に炎を相殺し徹の呪力を削りとっていく。

 

 「な、くそ。反則だろ!」

 

 『自爆特攻した挙句、平然と生きている貴様には言われたくないわ!』

 

 思わぬ事態に毒づく徹だが、フェンリルも負けじと言い返す。まあ、確かに徹にフェンリルを反則という資格はないだろう。

 

 「ああ、もう回復した挙句新しい力とか、どこの少年漫画の主人公だ!」

 

 『ふん、貴様が潔く死んでいればよかったのだ。だというのに、生き汚いばかりに我の手を煩わせ、あまつさえ手傷を負わせ我を苛立たせるとは、どこまでも不遜な男だ!神無徹』

 

 

 神滅の焔魔王と神喰いの魔狼の戦いは、未だその終わりを見通せないのだった。

 

 

 

 

 「必要になっちゃったか。ごめんね、できれば使いたくはなかったんだけど……」

 

 神殺の焔と神喰いの雷が激しくぶつかり合うのを横目に、私は深々と溜息をついて侘びた。

 義兄の切り札である『神滅』がでたときは決まったとか思ったのだが、流石はあのオーディンを呑み込んだフェンリルだ。耐え切ったどころか、奥の手すら残していたらしい。折角『神滅』で与えた絶大なダメージを回復されてしまった。しかも、雷の権能のおまけつきでだ。

 

 いくら万全の状態になったとはいえ、今や義兄さんの方が明らかに分が悪い。炎と雷の撃ち合いでは負けてはいないし、むしろ、それだけなら義兄の方に分がある。でも、それはフェンリルが神速を用いていないが故だ。義兄はフェンリルの神速に地力で対応できないのだから。

 『神滅』を行使する以前、義兄は神がかった回避を見せていたが、あれはいつまでも続けられるものではない。それに何より、呪力や体調は万全になったとしても、精神的な消耗まで回復するわけではない。今の義兄にどれだけ回避できるだろうか。それはけして多くはないだろう。

 

 要するに、この均衡はフェンリルが神速を使ってきた時点で容易に崩れる。最早一刻の猶予もない。

 

 「明日香、貴女のお父さんを私と一緒に助けましょう。私は命を賭ける。だから、貴女の力を貸して頂戴」

 

 私の言葉に応える様に十拳剣が鳴動する。剣が内包する呪力が高まり、それに伴って私の呪力が引き上げられていくのを感じる。明日香は私に協力してくれる。私はそれがたまらなく嬉しい。それだけで勇気が湧き、覚悟が決まる。

 

 「ありがとう、明日香。貴女も姉さんも救えなかった情けない私だけど、それでもあの人だけは護ってみせるから!」

 

 私は力強く宣誓すると、飛翔術を使い灼熱と雷電の戦場へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 美雪が乱入する少し前、実のところ窮地なのはフェンリルも同じだった。フェンリルとて神速を用いれば勝てることは理解しているし、徹が神速に対応できないが故に勝負を急いだことも理解していた。

 

 だが、それでもフェンリルは神速を使えない(・・・・)。そう、使わないのではなく使えない(・・・・)のだ。

 

 なぜなら、フェンリルもまた完全に回復したわけではなかったからだ。徹の切り札である『神滅』の炎はフェンリルに相応の代償を強いていたのだ。かの炎が灼いたのはフェンリルの中の神速の権能だ。完全に消されたわけではないし、遠からず回復する兆しもある。だが、一日やそこらで治るものではけしてない。トールの血肉を滋養にして灼かれた己を構成する神秘を補い、その権能で穴埋めをしてはいるが、やはり己のものではないそれは使いにくい。その行使に専念しなければならず、他の権能を使う余裕が無いのだ。まあ、仇敵である者の力だけに当然かもしれない。

 

 とはいえ、フェンリルは勝てる算段をすでにつけていた。己にトールの力が馴染めば、この勝負は決まると。今は互角の撃ち合いだが、権能が馴染めば自らの権能を使うことができるからだ。その上、攻撃を無効化してきた徹の炎化能力も、呪力が尽きればそこまでである。そして、肝心の呪力は雷槍で徐々にだが削っている。要するに、時が経てば経つほどにフェンリルは有利になっていくのである。

 

 今は己にトールの力が馴染んでいないが故に互角だが、程なく掌握すれば勝負は決まるとフェンリルは考えていたのだ。

 

 対する徹はフェンリルに不審を覚えていた。あれ程猛威を振るっていた神速が一向にこない。自慢の爪牙を振るう様子もない。ただ、雷槍を降らせるに終始しているのだから。

 

 (なぜ神速でこない?今、あれをやられたら初撃はかわせても、次撃には対応できないだろうに。そして、それはあっちも百も承知のはずなのに……。

 なぜ、必勝の策を使わない?いや、待てよ。使わないのではなく、使えないのだとしたら?そうだ!『神滅』をくらって無傷のはずがない。奴は今神速を行使できないんだ。なら!)

 

 流石は戦いの申し子たるカンピオーネというべきだろう。徹は僅かな間にフェンリルの窮状を見ぬいたのだ。恐るべき洞察と直感であった。

 

 (ここで勝負を決める!奴が攻めあぐねている今しか勝機はない!)

 

 徹は雷槍の迎撃に用いていた焔を唐突に消した。炎化状態での防御力に賭け、雷槍は刺さるに任せる。そして、自身の体内で最強の炎を精錬する。最初の不意打ちなどより遥かに多くの呪力を、回復した呪力のありったけをつぎ込み、全てを灼き尽くす煉獄の炎を生み出す。

 

 『ぬう、防ぎすらせぬとは何を企む?!』

 

 フェンリルも馬鹿ではない。すぐに徹の真意に気づき、そうはさせじと雷槍をこれでもかと降らせる。徹が何かをする前に雷槍で呪力を削りきろうとしたのだ。

 

 しかし、ここでは徹が賭けに勝った。雷槍が炎化状態を維持する呪力を削り取る前に、徹は最強の炎の精錬を終えたのだ。

 

 「我は死してなお多くの命を生み出す者、火産霊(ほむすび)!我が焔は生命の連続性を顕わす!」

 

 火産霊の言霊を載せ、死してなお神を産む様そのままに、爆発的な破壊力をもつ焔を身にまとった徹の至近からの体当たりである。単純な威力であれば、今までの攻撃の全てより勝る。いかなフェンリルといえどもあたれば、死は免れないであろう。

 

 焔を纏い正面から突っ込んでくる徹に、フェンリルはいかなる迎撃も無意味であることをすぐに悟った。神速を使えず空も飛べぬフェンリルに逃げ場はない……はずであった。

 

 フェンリルを正面から魂ごと灼き尽くすはずの獄炎は、魔狼の牙一本を抉り取るだけの戦果に留まった。

 

 なぜなら、フェンリルは地を蹴り、天をも蹴ってみせたからだ。ゆうゆうと空を踏み(・・・・)しめて、地上の徹を睥睨するフェンリル。これには徹も驚愕し、絶句した。

 

 『何を驚く。我が子らは太陽(ソール)(マーニ)を追うものだぞ。その親たる我が空を駆けるがごときできぬと思うたか』

 

 確かにフェンリルの一族であるスコールとハティがそのような逸話を持っているが、これを想像しろというのが無理な話だろう。

 

 「なぜ、今まで?」

 

 徹は霧散しようとする焔を必死に維持しながらも、問う。当然の疑問であった。如何に徹といえども、最初から天地を利用した神速には対応できなかったであろうからだ。

 

 『貴様が飛べぬが故に闘争を楽しむために合わせてやっていたのだ。忘れたか?貴様はトールの代役でしか無いことを』

 

 なんのことはない。徹ははなからなめられていたのだ。フェンリルにとって、徹は欲求不満を解消するための贄でしかなかったということだ。

 

 「そういうことか!」

 

 屈辱に身を震わせる徹だが、今の彼には自身の纏う焔を維持するのが精一杯であった。文字通りの乾坤一擲の攻撃だったのだ。それをすかされ、攻撃の届かぬ天空に逃げられてはさしもの徹も手が出ない。

 

 『神無徹よ、貴様はよくやった。我に軽くない手傷を負わせ奥の手を切らせた挙句、我が誓いを破らせ天空へと逃げさせたのだ。賞賛に価する。されど……無意味だ!

 どんな気分だ?己が最初から手加減されていたことを知った気分は?己の切り札をあっさり無効化された気分は?』

 

 フェンリルの哄笑が響き渡る。それはまさに北欧のトリックスターにして、神々を愚弄、嘲笑したロキの長子に相応しい態度であった。

 

 「……」

 

 『ククク、言葉も無いか?ならば貴様にもう用はない。十分に楽しませてもらった。トールと同様に我が滋養となるがいいわ!』

 

 フェンリルは天空で大口を開き、徹を飲み込まんと空を蹴った。

 ちょうどそんな時であった。虚空から美雪が姿を現したのは。

 

 

 

 

 天空から迫り来るフェンリルを視界に認めながらも、私はその場を動けなかった。今すぐ炎化を解き跳躍に呪力をつぎ込めば回避は可能であると知りながら、それでも私は動けない。

 

 なぜなら、今炎化を解いたら最後、私はフェンリルを倒す術を失うからだ。呪力をありったけつっこんだ乾坤一擲の火産霊の焔を維持するのには、権能を行使し続けなければならない。他の術を行使する余裕など無いのだ。

 

 それにたとえ回避したとしても、私の呪力はすでに尽きかけている。転生の権能による回復はすでに使ってしまっている以上、最早回復手段はない。それでは戦うどころか逃げることすら難しいだろう。ましてや、天空を駆けるフェンリル相手にどうして術抜きで逃げ失せると思えようか。

 

 だが、私は絶望などしていない。むしろ、逆であった。フェンリルを倒す為の最後の手段が私にはある。それをなさんが為に私はここに留まっているのだ。

 

 そして、それは私の信じたとおり最高のタイミングで来た。大口を開いたフェンリルの上顎と下顎を大地に縫い付けつけるように剣で刺し貫いて、美雪は、私の自慢の義妹は登場した。

 

 「義兄さん!」

 

 「応!」

 

 それ以上の言葉は必要なかった。飛翔術で全力をもって離脱する美雪と入れ替わるように、私は剣に飛びついた。使いたくはなかった私の大事な娘に手が触れる。その瞬間、剣身は歓喜を表すかのように鳴動する。  

 

 ああ、分かっている。躊躇ったりなどしない。どんなに後ろめたくても情けなくても、お前と美雪が作ってくれた唯一無二の機会を不意にすることなど、絶対にしない!

 

 

 「明日香頼む!」

 

 維持していた火産霊の焔を明日香へと流し込む。神殺しの焔を宿した神殺しの刃は、今ここに真価を発揮する。爆発的にその威力を高め、フェンリルの内部へと伝達する。

 

 『馬鹿な、このようなことが!我が死ぬというか?!しかも、神殺しではなくたかが人間の巫女風情に足をすくわれるだと?!ありえぬ!

 大体、この身を貫く鋼の刃だと?!神代でもないこの世にあっていいはずがない!』 

 

 「それがあるんだな。まあ、結果的に生まれたというのが正しいか。私自慢の愛娘さ。死ねフェンリル。ヘルヘイムで愛しの妹が待っているぞ」

 

 『グオオオオ、我が身が我が身が、我が魂が灼かれる!おのれ!おのれ忌まわしき神殺しよ!呪われよ!貴様が行く手には血に塗れし運命しか無いと知れ!我が権能(ちから)を簒奪せしこと後悔するがいい!我に喰われていればよかったのだとな!』

 

 内部から灼かれながらも、フェンリルは断末魔をあげながらも呪いを残す。それは神殺しに対する神々の憎悪にして新生の祝福そのものだ。一瞬後に、紅蓮の炎で包まれたフェンリルは灰も残さず消滅した。

 

 私が先に抉り取り地面に突き立った巨大な牙だけが、確かに魔狼が存在したという証明だ。それを見て、神が死んでもその一部が残ることなどあるのだなと考えていた私の身に、何かが流れ込む感覚が不意に生じる。久方振りのこの感覚、間違いない。私は新しい権能を得たのだ。また、この瞬間フェンリルの死も確定した。

 

 最早、何の脅威もないのだと思うと全身から力が抜けた。私は肉体の求めるままに地面に寝そべり、大の字になって脱力した。

 

 「正直、よく勝てたな……」

 

 思い返せば返すほど、勝てたのが不思議である。フェンリルは明らかに地力では圧倒的に上の神であった。奴がこちらをなめていたこと、そして何より私が独りでなかったことが何よりの勝因だろう。

 

 「本当にね。あの神喰いの魔狼に勝っちゃうなんてね」

 

 見あげれば、呆れ顔の美雪が目に入る。

 

 「その立役者の一人がよく言うものだ」

 

 そう、この勝利は美雪と明日香なしではありえなかった。私単独であったならば、火産霊の焔を避けられた時点で終わっていたであろう。あそこで勝負を投げ出さずに、維持に全力を傾けられたのは偏に美雪の存在があってこそなのだから。

 

 「私はこそこそ隠れて突き刺しただけだし、私じゃ止めは刺せなかったんだから。頑張ったのは明日香と義兄さんよ」

 

 こそこそ隠れていただけというが、いくら眼中にはないとはいえ神にも悟られない隠形術など、どれほどの修練を必要とするのかは言うまでもない。大体、あのタイミングで飛び込むだけの胆力と武技は称賛されてしかるべきであろう。

 

 「なあ、美雪もういいんだ。いい加減、許されてもいいんだ。美夏の死の責任はお前にはない。あるとしたら、()やあの畜生どもさ。お前が気にする必要はないんだ。

 だから、己を卑下するのはやめろ。確かに明日香の存在は大きいが、お前がいなかったら私はここにはいない。明日香だって、同意見だって言ってるぞ」

 

 私の言葉に賛同するかのように鳴動する十拳剣こと明日香。

 義妹が妻の死に責任を感じているのは分かっていた。実のところ、私とて当初はそう思わなかったわけではない。美雪があの畜生共を信じなかったら、美夏との和解を願わなかったらと。

 だが、それは私の八つ当たり以外の何ものでもない。家族の和合を願うことに何の罪があろう。それに何より、何も知らなかったとはいえ、美夏自身もあんなに嬉しそうだったのだ。美夏も両親との仲を修復したい……いや、愛されたいという想いがあったに違いないのだから。美雪とてそれを知っていたからこそ、協力したのであって、それは一方的なものではないのだ。

 

 ただ、あえて言うならば美夏も美雪も、あまりにも純粋すぎたということだ。美夏の両親に愛されたいという想いも、美雪の姉と両親の和解を望む想いも、どちらも切実で人として当然の想いだ。そうであるが故に、姉妹はあの畜生共の秘めた悪意に気づけなかった。それは誰のせいでもない。世界中の誰も責めることはできないだろう。

 

 大体、当の本人が誰よりも己を責めているのだから、冷静になれば責める気など湧いてこない。

 加えて、この二年間美雪は常に私の傍にいたからだ。まつろわぬ神と対峙しようとも、畏怖することはあってもけして怯むことなく。正直、常人ならとっくに棺桶の中か、気が狂っているだろう。比喩でもなんでもなく、それぐらいヤバい騒動や戦いも少なくなかったのだから。だというのに、今回のように己の命を賭して、私を助けてくれたのは一度や二度ではないのだ。感謝することはあっても、どうして憎悪を抱くことができようか。

 

 「義兄さん、明日香……」

 

 「必要のない贖罪の為に私に縛られることはない。お前は十二分に働いてくれたし、尽くしてくれた。もう自由になっていいんだよ。お前は才色兼備の自慢の義妹だ。やりたいことだってあるだろうし、やれることは一杯ある。お前にはもうなんの柵もない。好きに生きろ」

 

 実際、この二年の間に私が原因で死の危機に陥ったことは両手の指ではきかないのだから、贖罪にしてもすでに過払いもいいところである。いい加減、私の可愛い義妹は解放されるべきなのだ。魔王カンピオーネという生きる災厄から。

 

 「……」

 

 嬉しそうに聞いていた顔が続く言葉でみるみるうちに曇っていく。それどころか、黙りこんでしまったではないか。心なしか明日香からは、呆れたような気配が感じられる。私は何かまずいことを言っただろうか。

 

 「義兄さん、私は最初に言ったよね。私は義兄さんの行く末を見届けるって」

 

 「そうだが、あれは秘巫女としての義務感からだろう。それに少なからず贖罪の気持ちもあったはずだ」

 

 「確かにそれは否定しないわ。でも、それだけじゃない!それ以上に、私は義兄さんを愛しているの。どんなに時が経ようともこれだけは絶対に変わりはしない。私は一人の女として最愛の男の傍にいたい。貴方の支えになりたい。私は女として義兄さんに必要とされたい!」

 

 「……美雪、あの時確かに断ったはずだ。私はお前の気持ちに応えることはできないと。

 私ではお前を幸せにできない」

 

 美雪の気持ちは純粋に嬉しい。だが、私は女を不幸にしかできない男なのだ。そう、妻と娘をみすみす死なせたような愚か者なのだ。そんな愚者に、どうして可愛い義妹を任せられようか。誰が認めても、私が許しはしない。

 

 私はこのことについては、全く譲歩する気はない。

 

 

 

 

 (私は吹っ切れても、義兄さんはまだまだ引きずってる……。他にどうしようもなかったとはいえ、目の前で妻を失い、娘を自らの手にかけたんだから当然かもしれないけど。

 でも、義兄さん、それでも私は貴方を!)

 

 義兄の態度は頑なであった。いつもこうだ。この二年の間、私は少なからず女としてアプローチをしてきたが、その度に義兄はとりつくしまもなかった。早々に話を切り上げるか、無視してとっとと寝てしまうのだ。まさに鉄壁の護りだった。

 

 そういう意味では、まだ今回は聞いて答えてくれるだけマシなのかもしれない。もしかすると、フェンリルとの激戦で少なからず義兄の心も昂っているのかもしれない。

 

 「ねえ、義兄さん。私はそんなに女として魅力ないかな?義兄さんにとって、私には秘巫女としての価値しか無いの?」 

 

 「馬鹿を言うな!お前は十分すぎるほど美しいし、才もある。どうして魅力的でないはずがあろうか。いや、ない!」

 

 私の暗い表情を吹き飛ばすかのように、反語まで使って力説する義兄。内容自体は嬉しいのだが、なんと言うか無駄に力が入っている気がしてならない。これが他人なら、絶対にドン引きしている。なんというか、義兄馬鹿というか、シスコン……。

 いやいや、ないない。魔王である義兄がシスコンとか笑えないにも程がある。大体、私は大切にして欲しいのではない。私は義兄さんに愛されたいのだ。

 

 「あの義兄さん、そういってくれるのは嬉しいんだけど、それならなんで私を受け容れてくれないの?」

 

 「そんなの、当然だろう!さっきも言ったが、大切な可愛い義妹を私のような外道にくれてやれるはずがないだろう!」

 

 まるで、娘の結婚に一人反対する頑固親父のような物言いに、私は悟る。

 義兄は、私の想いを二重の意味で受け容れることができないのだと。

 

 まず、義兄自身が言ったように『己は女を不幸にする』という思い込みがある。これは(姉さん)(明日香)というあまりにも重い存在を失ったことからきており、最早義兄さんを呪縛しているといっても過言ではない。

 そして、義兄さんは私の義兄であることにも拘っている。私に幸福な人生を送って欲しいと心から願っているのだ。そうすると、女を不幸にする己は私に相応しくないという結論になるわけだ。

 さらに、自身を外道と評していることから、義兄は自身の目的の為に私の純潔を奪ったことも気にしているのだ。私を道具のように扱った己には、私の想いを受け容れる資格はないと思っているのだろう。

 

 一人の男として気持ちは嬉しいが、己では不幸にしてしまうから駄目。私の義兄としては、己のような存在に大切な義妹を任せるわけにはいかないし、そもそもその資格もないというわけだ。

 

 だが、私はあえて声を大にして言おう。そんなものは男の身勝手な思いだと!

 

 「義兄さんは、私を馬鹿にしているの?」

 

 「なに?」

 

 「私は義兄さんの事情を全て知っているし、悪いところも良いところも今や誰よりも理解しているつもりよ。その私がそれでも義兄さんがいいって言っているのよ!」

 

 「だから、それは!」

 

 義兄は尚も反論しようとするが、義兄さんの言い分はもう充分聞いたのだ。今度は私の番だ。

 

 「ねえ、義兄さん。義兄さんが何を気にしているかは分かっているつもりだし、私のことを思ってのことだって理解もしているわ。でも、義兄さんは私自身の思いを願いを完全に無視しているわ」

 

 「そんなつもりは……」

 

 「じゃあ、どういうつもりなの?未だに私の純潔を奪ったことを気にしているのなら、それは私への侮辱よ!私は最愛の人だからこそ、この身を捧げたの。それは義兄さんがどんな動機でそれに応じようと関係ないこと。私自身が全く気にしていないのに、いつまでたっても女々しく引きずってるんじゃないわよ!それこそ、私の覚悟と想いを侮辱しているわ!」

 

 「……」

 

 「義兄さんが私の事を思ってくれるのは嬉しいけど、私の想いと覚悟を無視しないで。義兄さんに仕える巫女になるといったのは、秘巫女としての責任感だけじゃない。ううん、そんなものはむしろおまけよ。私が義兄さんの傍にいたいと願い望んだからよ。誰かに強制されたわけでもなく、まして義務なんてものではもっとない。私は義兄さんを愛する一人の女としてここにいるの!」

 

 言うべきことは言った。言ってやった。いい加減、苛々していたのだ。女をなめないで欲しい。すきでもない男に純潔を捧げるほど、私は安くない。ましてや、命がけどころか+九死に一生を得るがデフォルトのまつろわぬ神との戦いに介入できるはずがない。

 

 さしもの義兄も言葉がないようで、絶句している。が、一転して破顔し懐かしそうに目を細めた。

 

 「ここ笑うとこじゃないと思うけど……」

 

 あんまりな義兄の態度にドスの利いた低い声が出た。

 

 「ああ、すまん。別に馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ……」

 

 「ただ?」

 

 「美雪の喝の入れようがな、美夏そっくりでな。見合いの席で会うなり怒られた事を思い出したよ。やっぱり、二人は姉妹なんだなと実感してな」  

 

 「私が姉さんと?」

 

 意表を突いた義兄の返答に私は戸惑った。姉と私は容姿こそ似通っているが、性格は真逆だといっていい。姉が奥ゆかしく控え目なのに対し、私は活発的で前面に出るのを好むからだ。

 

 「ああ、そっくりだ。美夏もあれでなかなか気が強かったし、怒ったときは誰よりも怖かった。美夏も美雪も芯が強いと。私などより余程な」

 

 ああ、これが姉が変わったと思った原因なのかもしれない。義兄さんしか知らない姉さんがいる。いや、もしかしたら実家で抑圧されていて表に出せなかっただけで、それこそが姉さんの本来の姿だったのかもしれない……。

 

 「確かに姉さんは怒ると怖かったけど、でも私と似ている?」

 

 「ああ、さっきは美雪だけじゃなく、美夏にも怒られているような気がしたよ。いつまでうじうじしているんだって、それでも私の夫か!ってね」

 

 冗談めかしてそんなことを言って微笑む義兄には、最早あれだけ堅牢に存在した拒絶感がない。私に見出した姉の面影がそうさせたのだ。やはり、義兄が愛しているのは未だ姉だけなのだと思うと、あれだけ猛っていた心が冷たくなる。

 

 「義兄さんは今も姉さんを……」

 

 「それは否定しない。私の最愛の女は今でも美夏だよ。でも、それだけじゃないこともまた事実だ」

 

 「どういう意味?」

 

 「私だって枯れてるわけじゃないから、性欲だってある。お前をそういう目で一度も見たことがないと言ったらそれは嘘になるし、男として想いを寄せられるのは嬉しくもある」

 

 この二年どれだけ迫ろうと跳ね除けてきた義兄が赤裸々に自身の欲望と想いを語った。私は予想外の言葉に驚愕しながらも、まじまじと義兄を見つめる。まさかそんなと思いながら。

 

 「私がこの二年どれだけ自制してきたか、お前は知るまい。お前程の美人に迫られてその気にならない男は不能か同性愛者くらいのものだろうよ」

 

 「え?え?ちょっと、待って!」

 

 立て続けに爆発する言葉の爆弾に、私は目を白黒させる。そして、頬が見る間に紅潮していくのを自覚した。義兄はそんな私の様子に溜息をつきながら、投げやりに語る。

 

 「正直、私が既婚者でなくてお前が義妹でなかったら、とうに襲っていた。それにこの二年の間、お前がどれだけ尽くしてくれたことか。そんないい女になんの感情も抱かないはずがないだろう。大体、好意ももっていない相手を傍に置くわけないだろう」

 

 「義兄さん、それって……」

 

 「隠すことなく本音を言えば、私は美夏のことを忘れることはできないし、少なくとも今はお前を受け容れてやることはできない。それでいて、お前を手放す気も、誰かにくれてやるつもりもない。そんな狭量で最低な男だ。それでもお前は私を望むというのか?

 いいか、よく考えろよ。これが最後のチャンスだ。今ならば、私はどうにかお前を手放すことを許容できると思う。だから、この機に私から離れないというのならば、お前は私のものだ。誰にもやらぬし、離してもやらない。私がいつか受け容れるようになるその日まで、飼い殺しにする。いや、下手をすれば一生そんな日は来ないかもしれないぞ」

 

 ぶちまけられた義兄の独占欲。それはあまりにも自分勝手で利己的だった。そんなものを抱えながら、私を己から解放しようとしたのは、義兄の最後の意地であり、義兄として守るべき一線だったのかもしれない。

 

 はあ、男とはどうしてこう見栄っ張りで、矜持(プライド)が高いのか。というか、やっぱりこの男は分かっていない。女をなめている!女の覚悟を甘く見ている!

 

 覚悟を決めた真剣な表情で私の答を待つ義兄に、私は呆れ顔でこれみよがしに深々と溜息をついてやった。

 

 「はあ、何を今更……。私はとうに義兄さんのものよ。離れる気なんてないし、義兄さんがいらないと言っても勝手についていくわ。私の命は義兄さんのもの。髪の毛一本、血の一滴に至るまで、義兄さんに捧げるわ。

 大体、そうでもなきゃ同室で寝泊まりなんてしないし、地位も財産も全てなげうってついてきたりしないわよ。いくら形式上兄妹とはいえ義理なのよ。姉さんが死に実家との関係も無くなった以上、はっきり言えば赤の他人なんだから。だから、私の覚悟は二年前のあの時にとうに決まっているの。たとえ、義兄さんが私の想いを拒絶しようが関係ない。私は私の意思を貫くだけ」

 

 「美雪……」

 

 「義兄さん、今すぐでなくてもいい。私はいくらでも待つわ。ううん、義兄さんが我慢なんてできなくなるいい女になってみせる。だからお願い、私を傍にいさせて。私は他の誰でもない義兄さんにこそ必要として欲しいの」

 

 私は必死だった。恥も外聞もなく懇願した。姉には一生勝てないかもしれない。でも、それでも最愛の人の傍にいることは許して欲しかった。義兄の力になれることが、義兄の為に行動できることが、今の私の誇りであり喜びなのだから。

 

 「お前も美夏も、姉妹揃って男の趣味が悪い。よりによって、こんな利己的で独占欲の強い男にひっかるとはな。そんなところまで似なくていいだろうに……」

 

 ぼやくようにそう言って義兄は言葉を切ると、私を抱き寄せた。突然で予想外の行動に私は反応できず、義兄さんの真剣な顔が至近に迫る。

 

 「美雪、お前を()のものにする。絶対に離してやらない。今度こそ神だろうとなんだろうと、誰にも渡さない。本当の意味で()に仕える巫女となれ。()にはお前が必要だ」

 

 「それが義兄……貴方の望みなら……ンッ」

 

 続けようとした誓約の言葉は、物理的に断ち切られた。他ならぬ義兄の唇によって。その衝撃に思わずうっとりしてしまった私を更なる衝撃が襲う。舌が侵入してきたのだ。

 

 「ンンン……ンッ!!!!」

 

 濃厚で強烈な刺激に私は打ちのめされ、声なき悲鳴をあげる。既婚者である義兄さんと違って、私の経験は二年前の一度きりだけなのだ。突然の怒涛の如き奇襲に為す術はなかった。

 

 しかも、あろうことか義兄の手は襦袢の内に入り胸をまさぐっているではないか。なんという手の速さだろうか。義兄が我慢していたというのは嘘でもなんでもなかったらしい。

 

 というか、まだ私のことを受け容れられないとかほざいてたのは、どこの誰だったろうか。そこに思い当たった私は、このまま流されてはいけないと思い、決死の覚悟で阻もうと行動した。何を大げさなと思うかもしれないが、最愛の男に抱かれるという誘惑を断ち切るのは並のものではない。

 

 「ンンッ!」

 

 「!」

 

 呪力で強化した渾身の力で足を踏まれ、声ならぬ悲鳴を上げて行為を中断する義兄。少し涙目になっている。いい気味だ。

 

 「なんか、まずいことしたか?」

 

 「あのねえ!最初のキスだけならともかく、それ以上はやり過ぎでしょう!大体、義兄さんはまだ私の想いを受け容れてはくれないんでしょう?」

 

 「ああ、うん。それはそうなんだが……」

 

 憤懣やるかたないと言った私に対し、なんとも言い難い表情で言い澱む義兄。

 

 「……何を言い淀んでいるの?」

 

 「それはそれ、これはこれというか。散々我慢してきたわけだし、この二年ご無沙汰だったわけで……つい、タガが外れたというか」

 

 「それって性欲に負けたってこと?……最低」

 

 蔑むようにぼそっと言ってやると、途端に義兄は慌てだした。

 

 「いやいや、愛情と性欲は別というか何というか。密接に関連するけど、男は反応してしまうというか……」 

 

 それで言い訳しているつもりのだろうか。墓穴を掘っているようにしか思えない。ああ、そうか。私を怒らせたいのか。

 

 「へえ、じゃあ義兄さんは愛情抜きで、性欲のみに突き動かされてあんなことをしたってこと?ますます最低ね」

 

 「え、いやそうじゃなくて。勿論、美雪には愛情を持っているけど……(以降、言い訳にならない言い訳が続く)」

 

 ますます情けない様子で弁解を続ける義兄を見ながら、私は内心で微笑んだ。実のところ、私は怒っていない。それどころか、むしろ喜んですらいる。義兄は本当に私を女として求めてくれたのだから。それがたとえ、今は性欲の暴走であっても、後に心から求めさせることできると私には思えたから。

 

 まあ、それでもしばらくは虐めてやろう。散々、待たされたのだから。これぐらいしてもバチは当たるまい。多分の照れ隠しを含んでいたとしても、それを許すのも男の甲斐性というものでしょう?

 

 

 

 

 この日、徹は美雪を宥めるのにかなりの時間を費やすことになった。フェンリルとの戦闘時間より遥かに長かったのだから、その苦労が忍ばれる。ちなみに、これが原因である魔術師に遭遇することになるのだが……。

 

 この北欧での異常は、破壊痕と周囲の惨状から、まつろわぬ神同士の戦いがあったと断定された。そして、それ以上の被害がなかったことから、相打ちになったと推測された。運が良かったと大半の魔術関係者達は胸を撫で下ろしたが、その不可解さから疑問を持つ者もいた。

 未だ世に出ぬ六人目の魔王。その存在が明るみに出る日は着実に近づいていた。




女性の言葉・心理をを書くのが思いの外難しいです。私は男性は何だかんだいってロマンチスト、女性は究極的にリアリストだと思っています。男性は結婚や同棲を感情で持ち出しますが、女性は収入や将来の展望などを検討した上で感情も加味するからです。故に男がその気になっても、女性はとことん冷めていたりします。女性側にとって恋と結婚では話が異なるのです。ええ、経験談です。悲しき実体験です。
まあ、女性は妊娠・出産という大仕事を引き受けるわけですから、しっかりしているのは当然かもしれませんが。

あくまで私の主観、経験により推測・想像して書いていますので、何かおかしいところがあれば、遠慮無くご指摘下さい。

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