考えるな。
感じるな。
今、俺の中にあるのはただ一つ。
一連の動作を繰り返し、ただ一つの作業を繰り返すという命令のみ。
俺はいま人じゃない。
ただの一つの機械だ。
思い込め、俺は機械だと。
機械は何も感じない。何も考えない。
俺はただの単純作業を延々と繰り返す機械だ。
疲労なんて感じない。
そう思い込んでいなければ――
――頭の中に余計な思考が浮かんでくる。
――押し寄せる疲労感に手を止めてしまいたくなる。
浮かんだ余計な思考を頭の片隅に追いやる。
考えるな。
目の前の作業のみに集中しろ。
目の前の作業を消化するために、淡々と、必要な動作だけを繰り返せ。
あとどれほどあるかなんて考えるな。
考えれば最後、その途方もなさに心が折れる。
繰り返せ。
ただ一つのことを繰り返せ。
淡々と、淡々と。
感情のない機械のように。
機械、きかい、キカイ………
ほら、そう言っている間に目の前の山が小さくなってきた。
――あと少し。
――あと十枚。
――あと五枚。
――あと……
「井口君、これもお願いします!」
ドスン!
もう少しで終わるという瞬間、俺の目の前にさらなる山が出来上がる。
「――だぁぁぁぁぁぁっ!!!また増えたぁぁぁぁぁぁっ!!!」
先ほどまでの思考と集中力が途切れ、俺は頭を掻きむしりながら叫ぶ。
「すいません、井口君」
顔を上げると、そこには疲労の浮かんだ顔の布仏先輩が立っている。
「先輩が謝る必要はないですよ」
その申し訳なさそうな顔に、興奮して叫んでしまった自分がひどく矮小に感じ姿勢を正し、放り出してしまった判子を手に取る。
「でも……ここまでやってもやっても仕事がなくならないと……」
「言わないでよー。そんなのこの場の全員が思ってるよー」
「思ってても口にしたら余計疲れちゃうでしょ」
俺の言葉に俺の隣で俺と同じ作業をしていたのほほんさん、離れたところに座り数本のペンや判子を片手に作業をする師匠がため息まじりに言う。
なぜこうなったか。そもそも俺たちは何をしているのか。
それを語るためには、今日の午前中に話を戻さねばなるまい。
○
土曜日。テスト返却の翌日。IS学園はテスト後の休日となっていた。
今日、そして明日の日曜日が明けた月曜日にはもろもろの連絡事項やいくつかの課題の提出などを行い、火曜日には終業式。はれて夏休み突入である。
さて、そんな休日に俺はある用事から生徒会室に行くべく学園にやって来ていた。
俺が今回生徒会室に向かっている理由、それはもう目前に迫った夏休みについてだ。
以前にも言ったかもしれないが俺の実家は学園の近くではない。
日本は京都府、しかも皆さんが思い浮かべるはんなりとした京都ではない。京都の北側。目の前に日本海の広がる土地。それが俺の故郷である。
さて、そんなわけで俺の実家は学園からかなり遠くに位置する。しかも、今や俺は世界にふたりしかいない男性IS操縦者。学園近くとかならまだしも県外にして地方すらも違う。そんな遠くに俺一人で帰省させるにはいろいろと問題が生じる。でもお盆には親戚の集まりがあるので帰りたい。
ここまで言えばお分かりだろうか?そう。今日生徒会室に行くのは、俺が夏休みに実家に帰省できるか否かを相談するためである。
さてさて、そう言っている間に俺は生徒会室の前にやって来た。
ノックをしようと手を挙げたところで俺はいつもより部屋の中が騒がしいように感じた。
「何かやってるのかな?」
俺は首を傾げながらも扉をノックする。
コンコン。
「ど、どうぞ!」
おそらく布仏先輩の、しかし、普段聞かないような少し焦っているような声に再び首を傾げながらドアに手をかける。
「失礼します。少し相談したいことがあってきたんですが、楯無師匠はいらっしゃ……い…ます…か……?」
俺はいつも通りに入室し、要件を告げようと口を開くが、その語尾はどんどん小さくなっていった。
はっきり言って、目の前に広がっていたのは修羅場だった。
「あ……井口君……いらっしゃいませ」
「ど、どうしたんですか、布仏先輩!?」
俺を出迎えた布仏先輩の疲労の浮かんだ顔に俺は驚きながら訊く。
「じ、実は少し仕事が溜まっていまして……」
「その仕事の期限が一学期中なんだー」
「一学期中って……あと四日!?」
のほほんさんの言葉に俺は驚愕の声をあげる。
「だといいんだけど……」
そんな俺の言葉に一番奥の定位置の席に座って作業をしていた師匠が顔を上げて言う。
「火曜日には終業式だから月曜日には終業式に向けてやらなきゃいけない仕事もあるし、本当のところは明日まで。でも明日は日曜日だから来ない先生がいるから今日中に終わらせないと間に合わないのよ」
「一目見て思いましたけど、完全に修羅場じゃないですか!?」
「そう……」
俺の言葉に疲れた笑みを浮かべ師匠が頷く。
「それで?颯太君は今日はどうしたの?」
「いや……お盆だけでも実家に帰れないかと師匠に相談しに来たんですけど………お邪魔ですね。後日また来ますんで、失礼します」
俺はなぜか感じた嫌な予感からくるりと回れ右をし、生徒会室を後にしようとした。が――
「ちょっと待って!」
背後から鋭い声で師匠が俺に声をかける。
「………な、なんですか、師匠?」
俺はできる限り笑みを浮かべて振り返る。
「颯太君、今日の予定は?」
「……特にないですね」
「ふ~ん……」
「はい………」
俺の答えにニヤニヤと笑いながら頷く師匠の顔に俺の嫌な予感はさらに濃くなる。
「ねぇ颯太君」
「……な、なんでしょうか?」
「手伝って♡」
「やっぱり!」
案の定だよ!
「ねぇいいでしょ。颯太君は私の弟子なんだから、師匠が困ってたら助けるのが弟子の務めでしょ」
「そうかもしれないですけど!俺ちょいちょい手伝ってますよ!てか、毎回思ってますけど俺は生徒会の仕事手伝ってもいいものなんですか?」
「大丈夫よ。毎回生徒会の人間じゃなくても見てもいいような仕事しか手伝ってもらってないから。今回もそんな仕事しか任せないから」
「…………」
師匠の懇願、苦笑いの布仏先輩、期待の表情ののほほんさん。
「………はぁ……わかりましたよ…やりますよ!何すればいいんですか!?」
「ありがとう!じゃあ本音ちゃんの横に座って!虚ちゃん、颯太君の分の道具を!」
「はい!」
俺の言葉に満面の笑みで頷いた師匠の指示に布仏先輩が動き、俺ものほほんさんの隣に座る。
こうして、俺は半ば強引に生徒会の仕事を手伝うこととなったのだ。そして、現在まで途中の昼食の時間を除いてほとんど休むことなく作業を続けたのだった。
○
「大丈夫、ぐっちー?」
「……何が?」
新たに積まれた山からプリントを取り、判子を押し、脇へ、そして、またプリントを取って――これの一連の動作を機械的に繰り返していた俺に横からのほほんさんが訊く。
「だって……さっきから何かぶつぶつ言ってるかさー」
「………気にするな。自分が機械になったと思ってないと集中力切れそうなだけ」
「……それ大丈夫なの、ぐっちー?」
「はははははは……」
俺は乾いた笑みを浮かべながら頷き、作業に戻る。
「ていうか、師匠。これ、もうちょっとこまめに消費するとか、何かここまで溜まらないようにする手立てはなかったんですか?」
「……いや、だって…ねぇ………」
判子を押しながら師匠に向けて訊くと、師匠は唇を突き出してぶつぶつと言い訳を漏らす。
「まあいいですよ。今は不満言うよりとっとと終わらせたいです。あとどれくらいあるんですか?」
「う~ん……そうはいっても、もう残りはそれほどないわよ。もうひと頑張りよ」
「もうひと頑張り……正直そろそろ自分を機械だって思いこむ自己暗示も限界なんですけど」
いい加減疲労感が無視できなくなってきた。
「これが終わったら前に颯太君がほしいって言ってたプラモデル、『PG 1/60 ダブルオーライザー』買ってあげる」
「全自動判子押し機とお呼びください!」
俺は判子を押すスピードを加速させ、自分が疲れていることも忘れて作業に没頭した。
○
「お、終わった~………」
俺は机に突っ伏しながら呟く。
「ちかれた~」
「お疲れ様です、井口君」
机に突っ伏してため息をつく俺の脇に紅茶の入ったティーカップを置きながら布仏先輩が言った。
「ありがとうございます。先輩も疲れてるでしょうに」
「いえいえ。これが私の仕事でもあるので」
ほほ笑みながらそう言い、のほほんさんや師匠にもティーカップを渡していく。
それを尻目に、もはや俺専用になりつつある緑色の植物のような模様のティーカップに口を付ける。やはり何度飲んでも布仏先輩の紅茶は美味しい。
飲みながらほっこりとしていると、同じく紅茶を飲んでいた師匠が口を開く。
「ごめんね、手伝わせちゃって」
「……あんまり悪いと思ってないでしょ、師匠」
「あは、ばれた?」
言いながら師匠がニヤリと笑う。
「でも、ちゃんと感謝はしてるのよ?十二分に」
悪戯っぽい笑みから一変。真面目な顔になって師匠が言う。
「颯太君には私たちを手伝うメリットなんてないんだし、断ってくれてもよかったの。なのに君は文句を言いながらも結局最後まで付き合ってくれた。本当にありがとう」
「………別にメリットが無きゃ手伝わない、なんて水臭いことを俺が言うと思いますか?もしそう思われていたのなら、ひどく心外です。心の底から心の外ですよ」
俺はため息まじりに訊く。
「俺が今までどれだけ師匠に、ひいては布仏先輩にお世話になってると思ってるんですか。このくらい安いものですよ」
「ちょっと、ぐっちー。私はー?私だけ呼んでないよー?」
「あっ、いっけね!わざとだ!」
俺は半分冗談を込めておどけて言う。
「まあそんなわけで、これからも言ってくれれば俺は手伝いますよ」
俺は三人に笑いながら言って、紅茶に口を付ける。
「………ねえ、颯太君」
「はい?」
数秒間何かを考え込んだのち、師匠が口を開く。
「颯太君って〝力〟ほしくない?」
「………〝力〟?」
俺は首を傾げる。
「そりゃ、もっと強くなりたいですけど……」
「いや、そういう〝力〟じゃないの」
「え?…………あっ!まさか!」
「そう!」
「〝ゴミを木に変える力〟!?」
「……違う」
「じゃあ……〝ビーズを爆弾に変える力〟?」
「違う」
「〝手拭いを鉄に変える力〟?」
「違う」
「〝声を似顔絵に変える力〟?」
「違う」
「まさかの〝相手を眼鏡好きに変える力〟?」
「うん、一旦漫画から離れようか」
「じゃあ、手から和菓子を出す魔法とか?」
「魔法じゃない」
「あっ!いっけね、〝力〟縛りだった。じゃあ――」
「いや、そんな〝○○な力〟をあげていくゲームなんてしてないからね?」
考え込む俺に師匠が呆れ顔で言う。
「じゃあいったい俺にどんな〝力〟をくれるっていうんですか?」
「ん~、わかりやすく言えば〝権力〟かな?」
「権力?」
師匠の言葉に俺はさらに首を傾げる。
「これは真面目な話なんだけど、颯太君、副会長にならない?」
「………えっ!?俺が!?」
師匠の言葉に驚きの声をあげる俺。
「俺が副会長?」
「そう。私の助手として仕事しない?」
俺の問いににっこりと笑いながら師匠が頷く。
「俺なんかがやってもいいんですか?いくら生徒会の役員は会長が選んでいいってことになってるとはいえ、俺なんかより副会長に向いてる人はいるんじゃないですか?」
「向いてるって、君はどんなことができる人が副会長になるべきだと思うの?」
「え?そりゃ……事務仕事ができるとか、人望があるとか…ですかね?」
「確かにそういう能力は必要ね。でも、それなら君には十分備わってるような気がするけど?」
「へ?」
師匠の言葉に俺は間抜けな声を漏らす。
「だって、今日やこれまで、君に仕事の手伝いを頼んだ時、颯太君のおかげで随分仕事の効率が上がったのよ。事務処理能力は十分でしょ」
「でも、俺は一夏ほど人望ないだろうし……」
「人望なんて後からいくらでも付いて来るわよ」
「でも、俺みたいな平々凡々な人間じゃ、やっぱり務まらないんじゃないかと……」
俺の言葉に師匠、加えてのほほんさんや布仏先輩まで呆れたような態度でため息をつく。
「君ってほんっっっっっとうに自己評価低いわね」
「いや、だって事実ですし……」
「あのね、平凡な子は普通大会社の社長にブラフだけで交渉しないし、私に一杯食わせたり、天災篠ノ之束を罠にはめたりしないの!」
「そ、それはその場の勢いと運がよかっただけで……」
俺の言葉にまたもや、今度は先ほどよりさらに、まるで見せつけるように盛大なため息をつく師匠。
「はぁぁぁぁ……。君はまるで自分に言い聞かせるように言うわね。まるで自分が平凡じゃなきゃいけないみたい。ここまで来るとまるで〝呪い〟ね」
「…………」
「まあいいけど」
肩をすくめて呟く師匠。
「それに、副会長をやるのに能力があるかなんて関係ないわよ。私は私の手伝いをあなたにしてほしい、あなたしかいないと思ったから颯太君を誘っているのよ」
そう言った師匠の笑みに、言葉に一瞬ドキリと胸が高鳴る。
「そ、そこまで買ってもらえていると嬉しいですね」
俺は動揺を悟られないように表情を作るのに必死になりながら言う。
「………わかりましたよ」
俺は数秒間考え、口を開く。
「師匠にそこまで信頼されてるんだったら、その信頼には答えないといけませんね。やらせていただきます、副会長の役職」
「うん!そう言ってくれると思ったわ」
俺の言葉に嬉しそうに満面の笑みで頷く師匠。その笑みにさらに早くなった鼓動を感じながら訊く。
「俺を生徒会に入れるなら一夏はどうするんですか?」
「一夏君もどうにかして入ってもらうつもりよ。もともとどこの部活にも所属しない颯太君と一夏君をどうにかしなきゃいけなかったし、うちにいてくれる方がこっちとしても都合がいいし。それに……」
「それに?」
「……ううん。何でもない」
俺の問いにはぐらかすように笑いながら師匠が言う。
「それより、もう一学期も終わるから颯太君の生徒会入りの発表は夏休みが明けてから、二学期最初の全校集会でってことにしましょうか。生徒会の活動に参加するのも二学期からでいいわ」
「わかりました」
師匠の言葉に頷く。
「何はともあれ、これからよろしくね、颯太君」
「はい。よろしくお願いします、師匠」
師匠に言いながら布仏先輩やのほほんさんの方に顔を向ける。
「のほほんさんも布仏先輩も、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
「よろしくね~」
笑みを浮かべながら頷く布仏姉妹。
こうして俺の生徒会副会長就任が決まった。
俺が副会長とは……。
任命された以上頑張らねば。
どうも!
そんなわけで颯太の副会長主任が決定。
次回からは夏休み編に突入です。
お楽しみに~♪