「昨日はよく眠れ――なかったようだな、その顔を見ると」
「ええ、まあ……」
月曜日、会社で迎えた朝。
あらかじめ用意していた朝食を食べ、出社時間にやって来た食堂の職員に入れてもらった砂糖たっぷりのコーヒーを啜っていた颯太。
そんな颯太に声を掛けたのはミハエルだった。
その横には心配そうな顔の時縞、犬塚、山田、アキラ、貴生川が立っていた。
「昨日はすみません、夜遅くに」
「いいんだよ。どうせ俺らも仕事してて、ちょうど終わった頃だったしな」
颯太の周りに腰を下ろした六人は颯太と同じく食堂で入れてもらってきたコーヒーや紅茶のカップを持っていた。
颯太の言葉に昨夜颯太を病院まで迎えに来た犬塚が笑顔で頷く。
「……それで、何があった?」
六人がそれぞれのカップに口を付け、一息をついたところでミハエルが訊く。
「昨日、昼前にお前を生徒会長が迎えに来てからたかだか数時間、その間にいったい何があった?」
「………」
ミハエルの言葉に颯太はこの一連の出来事が日曜日のしかもたった数時間の間に起きたものだということを遅まきながら自覚した。
長く苦しい数時間は颯太の中ではまるで数日間の出来事だったように思えた。
「いったい、何があったんだい?」
時縞の言葉に颯太は数秒黙り
「………昨日、会社を出てから――」
「――これが、昨日起きた出来事の全てです」
颯太はそう言って目線を下げた。
颯太の言葉に六人はそれぞれいろいろな反応を見せる。
黙って静かに目を閉じるもの、息を呑んで押し黙るもの、自身の身に置き換えてその恐怖と悲しみに唇を噛むもの、それぞれの反応を見せる中、一番大きな反応を示したのは
「んだよ、それは!?」
山田であった。
憤慨しやり場のない激しい怒りをぶつけるように拳を振り上げて机を叩く。
カップが揺れて中身がこぼれないように一瞬早く五人はカップを持ち上げた。が、颯太だけは間に合わずカップは大きく揺れて受け皿に残っていたコーヒーを溢す。
「ふざけんじゃねぇ!なんで!なんでこいつやこいつの周りのやつがこんな目に合わなきゃいけねぇんだよ!こいつがいったい何したってんだよ!!?」
立ち上がり、俯く颯太を指さしながら激しくわめき散らす山田。
「……落ち着けよ、バカ」
「バカって言うな!お前はなんとも思わないのかよ、連坊小路!?お前は特にこの中じゃ颯太と――」
「落ち着けって言ってんだよバカ山田!」
「っ!?」
山田の言葉を遮ってアキラが叫ぶ。その迫力に山田のみならずその場の全員が、俯いていた颯太ですら驚きの表情で顔を上げてアキラを見る。
「誰よりも今この瞬間泣き叫びたいのはこいつなんだよ!それを私たちが取り乱してどうするんだよ!」
「っ!……悪い、ちょっと感情的になりすぎた」
アキラの言葉に一瞬颯太の顔を見た山田はゆっくりとイスに座り直した。
「アキラさん、ありがとうございます……」
「ふん、た、たいしたことじゃない」
颯太の言葉にそっぽを向きながらカップに口を付ける。
「……状況を整理しようか」
貴生川の言葉に六人が姿勢を正す。
「現在颯太君の師匠、IS学園生徒会長の更識楯無さんは現在意識不明の重体。現在も治療中。その原因となったのは颯太君宛に届いた荷物。颯太君の開けるはずだったそれを彼女が開けたことで彼女が被害にあった、と」
「そして、その犯人と思われるのは、現在世界的にテロ行為を繰り返している『亡国機業』」
『亡国機業』の名前が出た瞬間颯太が机の影で両手を強く握る。
「それで?これからどうするんだ?」
犬塚が訊き、その場の全員の視線が颯太に向く。
「……調べたいです」
颯太は六人分の視線を受けて、絞り出すように言う。
「この事件の真実が知りたいんです。俺は……あまりにも知らなすぎる。敵のことも、その目的も、自分や自分の周りのことも、何もかも。なにせ、自分の身の回りの人の気持ちにすら気付いていなかったんですから」
颯太は自嘲気味に笑う。
「そこが一番の驚きだな」
フンと鼻を鳴らしてミハエルが言う。
「これまであまり関わりのなかった俺ですらそれなりに察していたと言うのに、深い付き合いのお前自身がやっと今になって気付くとはな」
「案外そんなもんなんじゃないかな。人間、自分のことが一番わからないものだよ」
ミハエルの言葉に貴生川が苦笑いを浮かべながら言う。
「わからないと言えば……」
ふと、山田が首を傾げながら口を開く
「なんでその更識の嬢ちゃんは頭ン中にその…エン…エンドラ…エンドレ……」
「はぁ……『エンドルフィン』」
「そう、それだ!『エンドルフィン』!」
アキラがため息をつきながら言うと、山田はアキラを指さしながら頷く。
「その『エンドルフィン』なんてもんがなんで分泌されたんだ?そんなホイホイ出るようなもんでもねぇだろ?」
「ん~……そこは謎だな。あまりの痛みに脳が自分を守るために自動で分泌した、とかそういうことなのかな?」
貴生川の言葉にみな揃って首を傾げる中たった一人黙ってその様子を見ながらコーヒーを啜り
「愛だろ」
ボソリと呟く様に言う。その瞬間全員の視線がその人物――ミハエルに向く。
「え、エルエルフ?い、今なんて……?」
「だから、愛だろ」
『……………』
数秒間ほどみな一様に黙っていたが
「……プッ…あ、愛…!?あ、愛って…!よりにもよって愛なんててめえみたいな能面堅物の口から出るなんて……!あ、明日は槍でも降るんじゃねぇのか!?」
山田が爆笑した瞬間凍っていた空気が緩む。
「なんだ?可笑しいか?」
「可笑しいって言うか……」
「いや、可笑しいって。あ、あんたそういうタイプじゃないでしょ」
フォローしようと言い淀む時縞はフォローの言葉が出ずにいるとアキラが呆れたように言う。
「あ、あんたって科学とかで証明できないものってし、信じないタイプでしょ」
「…………」
アキラの指摘にミハエルが少し思い当たる節があるのか口籠る。
「あんたってさ、幼稚園の頃からサンタクロースはいないと思ってたでしょ?『トナカイがソリを引いて空を飛ぶ?ありえないよ園長先生』って」
ニヤニヤ笑いながらミハエルの口調をマネてアキラが言う。
「……別に俺は子どものころから理屈っぽかったわけじゃない。雪男もネッシーも、超能力者だって信じていた」
「え?マジか!?お前が!?」
「うっそだ~!」
ミハエルの言葉に犬塚と山田が信じられないと言った表情で言う。
「待った待った!話が脱線してるぞ!今訊くことはそれじゃないだろ!」
貴生川が慌てて言う。
「で……その〝愛〟っていうのは?」
颯太が恐る恐る訊くと少しヘソを曲げかけていたミハエルがため息をつきながら口を開く。
「以前何かの雑誌で見た記事だが、『好きな相手とのキスでモルヒネの6~10倍の鎮痛作用のエンドルフィンが分泌される』と言う話があるそうだ。その時は眉唾に思えたが……」
言いながらミハエルは颯太に視線を向ける。
「お前の話では、したんだろう?更識楯無とキスを」
「う……それは…まあ……」
その時のことを思い出したのか、一瞬自身の唇に触れながら口籠りながら頷く颯太。
「更識楯無にその意図があったかどうかは別として、その行為のおかげで脳内に鎮痛作用のあるエンドルフィンが分泌されて、それが結果的に更識楯無の延命につながったんだろうな」
ミハエルの言葉にみな驚きの表情を浮かべている。
「な?要するに〝愛〟だろう?」
ミハエルの問いにみな揃って頷いた。
〇
「で?話を戻すが――」
ミハエルの咳払いにみな意識を切り替える。
「先ほどお前は知りたいと言ったが、どうやって知るつもりだ?」
「え……?」
ミハエルの言葉に颯太が首を傾げる。
「相手は『亡国機業』、非合法のテロリストだぞ?インターネットでパチパチ調べて即情報ゲット、とはいかん。その情報はどこからとってくるつもりだ?」
「そ、それは……」
颯太は視線を彷徨わる。
「さっそく問題に追突だな」
「どうするの?僕らもできる限り力になりたいけど……」
「こればっかりはな……」
「連坊小路がちゃちゃっとハッキングでもなんでもしてどうにか出来ねえのか?」
「できるわけないだろ。犯罪だぞ」
それぞれ言葉を漏らし、山田の言葉にアキラは呆れながら言う。
「そうだよね。そんなテロリストの情報なんて、それこそ警察でもなきゃ持ってないだろうし……」
「せめて警察に何か伝手でもあればいいんだが……」
「そんな都合よく警察官の知り合いなんて………あぁ!!」
と、犬塚の言葉に頷きながら呟いていた颯太はふとある人物のことを思い出して大声を上げる。
「な、何、急に!?」
「なんかあったのか!?」
大声を上げた颯太にアキラと山田が訊く。
「そうだよ!そうなんですよ!あぁなんで気付かなかったんだろう!」
「いったい何に気付いたんだい?」
「端的に言え」
なおも興奮した様子で言う颯太に貴生川とミハエルが訊く。
「いた!いたんですよ!」
六人に興奮したように言いながら大急ぎでポケットから携帯を取り出す。
「力になってくれそうな警察官の知り合いが!刑事をやってる知り合いの心当たりがいたんです!」