「俺に、部隊の指揮を執らせてくれ」
拓海からの提案に、榛名は不意打ちを受けたような驚いた表情をしていた。
流石に、単刀直入過ぎただろうか。しかし、このままではどうなるか分かったものではない。
榛名たちを信用していないわけでは無いが、少しでも状況の打開に繋がるのなら、拓海はそれに掛けてみたかった。
「やっぱり……だめかな」
「だめというわけでは……」
榛名は戸惑いの色を隠せず、拓海の胸元の辺りに視線を泳がせている。信じようにも信じきれない、そんな顔だ。無理も無い。
実際に指揮を執ることになったとしても、「艦これ」のゲームのような運任せというわけにはいかない。
きちんと作戦を立てて、現場で臨機応変に対処しつつ、敵を叩く。拓海がやってきたサッカーでも、同じことが言えるだろう。キャプテンを務めたこともあるから、自信はあるつもりだ。
「その、失礼ですが。艦隊――艦娘の指揮経験は、無いですよね?」
「それは……。あったというか、無かったというか」
ついゲームの方のことを思い浮かべてしまい、曖昧な答えを発してしまう。榛名も首を傾げている。
「いや、ごめん。こっちのこと。指揮経験は無いけど、似た様なことならやったことはある。このまま、黙って何もしないわけにはいかないし」
気を取り直して言うが、榛名の反応は芳しく無いようだ。
流石に初対面で、しかも流れ者にいきなり指揮を執らせてくれ、と言われて「そうですか」と頷いてくれるわけはない。
これは一から説明し直して、何とか納得してもらうしかないだろうか。
そんなことを考えていたときだった。
「あの、榛名さん? そちらの方は?」
か細くもどこか一本筋の通った声が聞こえて、拓海は榛名の背後を見る。
そこには、暗い橙色のワンピースに身を包んだ少女がいた。跳ね上がった前髪からは額が見え、後頭部は緑色のリボンが結ばれている。
線も細く、儚げな印象を与えるその少女は、紛れも無く神通だった。
「神通さん。その、この島に漂流してきた方みたいで――」
どう説明していいか迷っているのか、榛名は困りきった表情だ。
神通は榛名の傍まで歩いて来ると、拓海を見上げる。
「すみません。お名前をお伺いしてもいいでしょうか」
目の前に現れた、もう一人の「本物」に目を白黒させていたところでハッと我に返り、拓海は自己紹介をする。
「えと。白瀬拓海。君は――」
「第6水雷戦隊旗艦、神通です。榛名さん。それで、どうされたのですか?」
神通も会釈を返すと、榛名に声を掛ける。
「それがですね――――」
榛名が話を始め、途中で拓海が付け加える形で神通に、今に至る経緯を話す。
一通り聞き終えた神通が目を閉じて何事か考え、それから一人納得したように頷くと、拓海の目を真っ直ぐと見上げた。
「白瀬さん、でしたね? 今から、要塞の中までご案内します。ここは危険ですので、中でお話しましょう」
それだけ言うと神通は踵を返し、要塞の方へ歩き始める。
拓海は意図を測りかねず、榛名と顔を見合わせつつも彼女の後を追って行くことにした。
「暁ちゃん、おっそーい!」
「ちょっと! レディーに向かって何てこと言うの!」
「はわわ! 喧嘩はだめなのです!」
「電、ここ私に任せなさい!」
神通と榛名の後を追って要塞に入り、1階の作戦会議室に案内される。
部屋の中を覗くと、見覚えのある少女たちが自由奔放に騒いでいるのが見えた。
全体的に痴女かと思うほど露出度が高く、背の高い銀髪の少女は島風だろうか。会議用の左右に長いテーブルの周りを走り回っている。
その後ろで手を振り回し、頭に帽子をちょこんと乗せて追い回す青っぽい黒髪の幼い少女は暁か。
二人を止めようとあたふたして、右往左往しているのは電。
やたらと自信満々に無い胸を張り、その電を励ますのは雷だ。
やはりというか、何というか。要塞の中を歩いている途中に声が聞こえた時点で、彼女たちがいるという予感はしていた。
榛名、神通に続いて島風や暁たちが、自分の目の前にいる。
拓海はその事実を前にしながら、本当はまだ夢を見ているんじゃないかと思った。画面の向こうにいたはずの子たちが、走り回っていることが未だに信じられない。
「その人は誰だい?」
後ろから声が聞こえて振り返ると、そこには薄い水色の髪を伸ばした、暁と変わらない見た目の小さな少女が拓海を見上げていた。
「あ、響ちゃん。これから説明するから、先に入っててちょうだい。榛名さんも、お先にどうぞ」
「ん。ハラショー」
「分かりました」
神通が中に入るように促すと、響は視線を外して電と雷の傍に歩いていく。榛名も後に続いて行くと、島風と暁の仲裁に向かった。
「それでは、白瀬さん。お話しますので、どうぞこちらに」
「あ、ああ。分かったよ」
唖然としていたところに声を掛けられ、拓海は我に返り、神通に導かれて席に着く。
拓海は部屋の奥の方、壁に留められた黒板に向かって右側の一番端に座らされた。
部屋の中は薄暗く、窓は無い。8本ほどある蛍光灯のうち、黒板寄りの2本が点けられているおかげで、互いの顔が見えないということは無かった。
左隣には榛名が座り、向かいには左に向かって暁、響、電、雷、島風の順で座っている。
神通は黒板の前に立ち、この島の地図と思われる大きな紙を張り出していた。
「さて、皆さん。よろしいですか?」
地図を張り終えた神通が振り返る。
「暁はいつでもいいわよ!」
「おっそーい!」
そんな声が聞こえると、神通は頷いた。
「では。改めまして自己紹介を。では白瀬さんから順番に、お願いします」
神通に呼ばれて、拓海は慌てて椅子から立ち上がる。
まさか、いきなり自分に振られるとは思っておらず、油断していた。
「あ、えっと。初めまして。白瀬拓海です。よろしく」
「第3艦隊・第2戦隊所属の、榛名です」
「同じく第3艦隊の第6水雷戦隊・第6駆逐隊の暁型1番艦、暁よ。レディーとして扱ってよね!」
「同じく、暁型の響だ。よろしく」
「電です。よろしく、なのです!」
「雷よ。困ったことがあったら、私に頼ってもいいのよ!」
「島風です。駆けっこなら、誰にも負けませんよ!」
「改めまして。第6水雷戦隊の旗艦、神通です」
一通り自己紹介が終わったところで、神通に事情を話すように言われ、拓海はここに至るまでの経緯と、自分が知っている2015年以前の歴史を掻い摘んで話した。
「私たちの知らない日本から来た、ということなのです?」
事情を話し終えると、開口一番に電が拓海に尋ねる。
「恐らくは、そういうことになるでしょう。そこで、なのですが。榛名さんから窺っていると思いますが、現在この島が置かれている状況について、説明してもよろしいでしょうか?」
「是非、お願いします」
一も二も無く拓海は了承すると、神通は黒板に貼った地図に歩いていく。
それから何か文字が書かれた紙が貼りつけられた磁石を、次々と地図の上に配置していった。
「私たちが現在、深海棲艦に包囲されているということは、白瀬さんもご存知かと思います。私たちはこの1ヶ月、脱出の機会を窺っているのですが、ご覧の通り包囲が厚く、事態の解決に至っていません」
神通が示す地図の上には、「駆逐イ級」や「軽巡ホ級」と書き込まれたマーカーが置かれている。
これが海岸から約2km離れたところを、1、2km感覚で包囲しているようだった。
「その敵艦隊の間を抜けていく、というのは出来ないのか?」
「敵の艦隊の間をすり抜けようとすると、それに敵が反応し、挟み撃ちにされてしまいました。敵艦を何隻沈めても、即座に新しい艦が補充され、脱出するに出来ない状況です」
神通が赤いインクのマーカーペンを持ち、敵艦隊の間にバツ印を書きこんでいく。
新しい艦が補充されるということは、この包囲の外側にも別の敵艦がいる、ということだろうか。そう考えると、例え抜けられたところで逃げ切れるか疑問だ。
「皆は、今までどうやって戦ってきたの?」
「遊撃、ですね。艦隊行動を取って敵を沈めたとしても、すぐに敵の増援がやって来て……。中には重巡洋艦クラスや戦艦クラスもいて、中々抜けるには厳しい状況でした。ですので、偵察を兼ねて、各自で無理しない程度に。この配置図も、皆の情報を総合したものですので、抜けはまず無いかと。それと、包囲網の向こうから時折、敵艦載機が複数飛んできて、爆撃も受けていました」
「島には、その配置以上に近づいてきたことは?」
「そう言えば――ありませんでした」
神通の答えに、拓海は唸る。この包囲には、何か意味があるのだろうか。
艦娘を孤立させる目的なのか、あるいは近づけない理由があるのか。
近づけないと言っても、拓海の頭の中にある深海棲艦の形だと、南鳥島の浅い海の上を航行出来ないとは、とても思えない。
「ねぇ、ちょっといいかしら?」
暁が手を挙げて、神通と拓海を交互に見ていた。
「はい、暁ちゃん」
「どーして、暁たちが今更こんな話をするのよ? それに、そこの男の人、部外者じゃないの」
他の駆逐艦たちも同意しているが、その表情は気まずそうだった。皆が思っていることをズバッと言ってしまうとは、流石は暁だ。
「えーっと、その……ですね。こちらの方が、私たちの指揮を執ると言っていまして――」
遠慮がちに言う神通に、暁が椅子を鳴らしてその上に立ち上がり、口をパクパクさせていた。
「ちょっ、何を言ってるのよ!?」
「ちょっと暁! 前が見えないわよ!」
「雷! でっ、でも!」
「いいから。座って」
一人大げさに驚く暁は、雷と響に言われて渋々座る。
電はぽかんと口を開け、島風は――――どこから持ってきたのか、連装砲ちゃんを机の上で遊ばせていた。
「本気で言っているのかい?」
暁を宥めた響が、斜め向かいの拓海を見て呟く。こちらを試すような視線だ。
「本気だよ。君たちはずっとここで、攻めあぐねていたんじゃないか? ずっと防衛戦一方で」
拓海の言葉に、皆は押し黙る。
「それに、こういうこと、一度でいいからやってみたかったんだよね」
その気持ちに、嘘は無い。
画面の向こうだと思っていた子たちが、今こうして目の前にいるのだ。指揮を執ってみたくなるのは、一プレイヤーとしての性みたいなものだ。
「でも、君が思っているほど、艦隊指揮は甘くはないよ」
響の反応も、当然と言える。
拓海は視線の向きを変え、黒板の前に立つ神通に話しかけた。
「普通はね。――神通さん。ここ1ヶ月の天気は、どうだった?」
「天気、ですか? 基本的に、穏やかでした。雨は、ここ1週間は降っていなかったと思います」
「ありがとう。それで、なんだけど。要塞に入る前に、西の方に雨雲が広がっているのを見たんだ」
拓海がそこまで言うと、神通が「あっ」と声を漏らす。
一方、暁は頭にクエスチョンマークを浮かべている。榛名は気付いているようだったが、他の艦娘は大よそ同じ反応だった。
「この雨を利用する。そうそう。この包囲網で、中心的な役割を担っている敵艦はいる?」
「島の南に、戦艦ル級フラグシップの艦隊がいます。白瀬さん、まさか」
神通が地図に書かれた南鳥島の南海岸、そこから2km離れた地点を見やる。フラグシップの他に、戦艦ル級エリート2隻、重巡リ級、軽巡ホ級、駆逐ロ級がそれぞれ1隻ずつの艦隊だ。
拓海は席を立ち、地図の前に歩いていく。
「皆を見てて考えたんだ。この面子で、どうやって包囲網に穴を空けるかって。――雨が降り出した後、皆は要塞のすぐ南にある海岸から出撃。雨脚にもよるけど、あの雲の具合だと艦載機は飛んでこないと思う。その間に、皆は敵の艦隊に急行。途中で島風が離脱し、足の速さで敵の裏を取って撹乱する。直後に水雷戦隊を二手に分けて、敵艦隊の気を引いて砲雷撃戦。そして――榛名」
「は、はい!」
急に名前を呼ばれて、榛名が背筋をピンと伸ばす。
「敵のル級フラグシップの守りが甘くなったところに、少し離れたところから榛名が止めの砲撃を加えて欲しい」
捲し立てるように説明し終え、拓海は深呼吸する。それから皆の方を見ると、彼女たちは呆気に取られた顔で拓海をじっと見つめていた。
――流石に、安直過ぎただろうか。
そんな風に思っていると。
「い、いいんじゃないの!?」
暁が、上擦った声を発した。
それを皮切りに、島風と雷が次々に声を上げる。
「てゆーか、その口振り。何で私が速いこと、知ってるのよ?」
「そもそも、私たちのこと、まだ何も話してないわよね!?」
神通もこれには同意らしく、二人を宥めながら戸惑った表情を向けて来ていた。
榛名は無表情にじっと拓海を見つめ、響は関心を示している。電だけは、この何とも言えない空気にどうしていいか、混乱しているようだった。
暁はいいと言ってくれたが、この反応だと、やはり駄目か。
そう思って諦めかけていたとき、榛名が不意に立ち上がった。
「私は、この作戦で行ってみてもいいと思います」
その言葉に、一同は押し黙る。
「この作戦で、脱出は難しいかもしれませんが――。包囲網に隙を作れば、敵のジャミングが崩れる可能性があります。深海棲艦は一定数以上集まるとジャミングを発しますが、今回その発端は、ル級フラグシップです。これを叩けば、別の敵艦に代替されるまでの間だけでも、横須賀との通信が回復出来るかもしれません。少なくとも、今のままじりじりと追いつめられたままよりは、良いと思います」
意外な人物からの発現に、暁たちは顔を見合わせていた。
神通もふっと笑うと、暁たち駆逐艦に目を向ける。
「――私も、榛名さんの意見に賛成します。確かに、少しでも可能性があるなら、それに掛けてみたいです」
その言葉が後押しになったかのように、暁たちは次々に意志を表していく。
「暁は……。やってみてもいいわ」
「私も賛成」
「出来れば敵の船も助けたいですが、それ以上に皆を助けたいのです」
「ここはこの雷さまにまっかせなさい!」
「私は駆けっこ出来るなら、何でもいいよ」
拓海は榛名たち艦娘を見渡して、頭を下げる。
「皆、ありがとう。――神通さん。敵の両翼の艦隊は、こっちに気付いてからどのくらいで来る?」
「えっと。全速力で、大体2分くらいです。天候次第では、もう少し遅れると思います」
「はやっ。――それじゃあ、こっちも全速力で仕掛けよう。敵の左翼は神通さん、暁、響。右翼は電と雷。島風は変わらず裏から撹乱。その隙に、榛名の砲撃。接敵してから、1分で決められますか?」
艦娘たちが、ギョッとした様に拓海を見つめる。
仮に雨が小康状態だとして波も穏やかなら、あまり時間は無い。迅速に敵を叩き、通信経路を確保しつつ、両翼から来る敵に備えなければいけない。撃破次第、敵が侵入したがらないという圏内まで撤退する必要がありそうだ。
「なるほど。電撃作戦というわけか。面白そうだ」
「ひ、響!?」
「何だい、姉さん。ひょっとして、怖くなったか?」
「こ、ここ、怖くなんかないわよっ! へっちゃらだし!」
暁は響の指摘に見栄を張るが、身体が震えていて隠しきれていない。
「やりましょう」
「じ、神通さん!?」
暁に追い打ちを掛けるかのように、神通が同意を示す。暁の顔が、絶望めいたものに染まっていく。
「選択肢は、もう限られています。やれるだけ、やってみましょう。それに、暁ちゃんならきっとやり遂げられると思うわ」
神通のフォローに、暁がピクリと反応して胸を張る。
「とと、とーぜんよっ。このレディーに怖いものなんてないわ!」
「ふふっ。頑張りましょうね。皆さんも、いいですか?」
神通が改めて全員に確認を取るが、特に異を唱える者はいなかった。身体が小刻みに震えている駆逐艦が一人、いるのみだ。
「それでは、白瀬さん。臨時の第6水雷戦隊並びに、戦艦榛名の司令官代理をお願いします」
神通の敬礼の後に続いて、残りの艦娘たちも立ち上がって敬礼する。
拓海も見様見真似ではあるが、彼女らに対して、敬礼をした。
「それじゃあ、作戦開始は雨が降り次第だ。その時にまた、ここに集合ということで。雨はあと1時間くらいで降り始めると思うから、その時までに準備をしておいてくれ」
榛名たちの顔を見て、拓海も表情を引き締める。
目の前にいる7人の命が、自分の手に掛かっていることを、この時になって初めて拓海は実感していた。
彼女たちだけでも、元の場所に送り届けよう。
拓海は、胸の内で密かに、誓うのだった。
会議がお開きとなった後、拓海は神通に案内されて要塞内部の戦闘指揮所に連れてこられていた。
部屋には何台かのコンピュータが配置され、前面には巨大なスクリーンが配置されている。
些か埃っぽいが、一応掃除はされているようだ。神通たちが時間のある時に、やっていたのだろうか。
「――説明は、以上になります」
そう言って神通は、インカムを拓海に手渡す。
「ありがとう」
コードの垂れ下がったインカムを受け取ると、拓海は実際に装着して頭の収まり具合を調整する。
神通が手渡したインカムは、戦術データリンクシステム・
衛星通信や量子通信、レーザー通信などの通信手段を用い、司令部と艦娘たちを繋ぐシステムなのだそうだ。
小型カメラを艤装に搭載したり自立飛行カメラユニットで戦場を映像共有したりし、司令部側と艦娘側の索敵情報を交換するのだそうだ。
また、コンピュータの画面上には、実際の作戦海域マップ上に艦娘の位置をリアルタイムで示すことも出来る。
他には艤装の緊急自動回避モードや、コンディションモニタリングといったものが行われるが、こちらはコンピュータにソフトをインストールしなければ使えないらしい。
今回は状況が状況のため、インカムによる音声通信しか行われない。
発電機が老朽化しており、システムを使うにしても、精々通信を維持するくらいにしか割けないのだそうだ。
そうなると現場海域の状況把握は、自分で紙面上にて駒を動かすしかなくなる。
目視という手段もあるが、インカムは有線タイプであることに加え、例え外に出たとしても視界情報はあまり頼りにならない。
神通は大丈夫かと気を遣ってくれていたが、自分から言い出した以上、このくらいはやらないといけない。
それに海戦では無いものの、盤上で駒を戦わせた経験もあることから、拓海はあまり不安には思っていなかった。
拓海は雨が降るのを待つ間、要塞の中をあちこち見て回ることにした。
1階は作戦会議室と戦闘指揮所の他に、武器保管庫と数々の空き部屋。空き部屋は数えてみただけでも、10以上はあっただろうか。
2階は1階より一回り小さく何も無い代わりに、フロア一帯がトーチカのようになっており、窓が無い。このフロアに入った雨水の侵入を防ぐために、1階からの階段を登り切ったところには密閉度の高いドアが置かれ、排水管が敷設されていた。
3階は15平米ほどの狭さで、東西南北に吹き抜けの窓が開いている。恐らくはここから、島の遠方を監視・観測するのだろう。この屋上には、気象観測用の機器が置かれているらしい。
神通に聞いたところによると、地下1階があり、そちらは避難壕兼、補給物資の保管庫だそうだ。
2階から3階へは梯子で昇り降りするようになっており、拓海はその梯子を伝って行く。
一通り見て回ったが、一番頑丈そうなのは1階部分だった。重要施設が集中しているから、当然と言えば当然だろう。2階と3階も頑丈に出来てはいるが、1階ほどでは無い。
それよりも、外壁や内壁を覆っている建材が、一体何で出来ているのか、拓海は気になっていた。
コンクリートでは無く、金属としか形容しようが無い硬い物質だ。他の艦娘たちに聞いてみるが、知る者はいないようだった。
あまり気にしても仕方が無いかと思いつつ、拓海は3階の西の窓から空を見上げていた。
照り付ける日差しによって、真っ青に広がる空。本土ならばまずあり得ないだろう、この気温の高さ。そして、西の方に見える灰色の雲――。
「やあ、何を見ているんだい?」
振り返ると、後ろにいつの間にやら響が突っ立って、拓海を見上げていた。
自分の腰ほどしかない背の、響の青い瞳はまるで水面のようだ。今にも自分の顔が映りこんでしまいそうで、拓海はそれを悟られないように外へ視線を戻す。
「雲を、眺めてた」
響がフロアのどこからか木箱を持ってきて、それを拓海の隣に置くと、その上に上がって吹き抜けの窓の外を覗き込む。
「まだ、時間があるように見えるな。趣味なのかい?」
その問いに、拓海は僅かに逡巡する。
「いや――。今の自分みたいだな、って思ってさ」
「何だい……? それは……」
「過去の罪に怯えて、日の当たるところに逃げる。だけど、それでも雲は俺を追いかけ続けて、責め立ててくる――そんなところだ」
響は答えない。
拓海は、今の彼女の表情を確かめるのが、どうにも怖かった。
分からないと首を傾げているだけならいいが、呆れられたり蔑まれたりしたら、どうしよう。そんな思いが駆け巡る。
「――この1ヶ月、神通さんは皆で遊撃したって言ってたけど。この半月は、そのほとんどを神通さんと榛名さんでやってきてた」
響の言葉に、拓海は思わず隣に視線を向ける。初耳だ。
響は真っ直ぐ水平線の方を見たまま、続けた。
「私たち第6駆逐隊が、早々に疲弊してね。補給も満足に出来ず、動くだけで精一杯だった。いざという時のために、資源は残しておかないといけないから、尚更だ。だけど、敵の迎撃をしたり、突破口を探したりしないわけにはいかない。だからあの人たちは、何かの衝動に掻き立てられるように、たった二人で毎日海に出て行ってた」
そう語る響の瞳は、どこか沈痛そうだ。
「榛名さんは、対空砲撃と長距離射撃。神通さんは相手の懐に飛び込んで、近距離での砲雷撃戦。多勢に無勢な上に、神通さんに至っては相当無茶な戦い方をしてた。私たちは出ようとするんだけど、二人に強く止められて。私たちは、何もすることが出来なかった。そんな戦い方をしてたから、二人ともボロボロになって。榛名さんなんて、大破して昨日までずっと仮説入渠ドックに入ってたんだ」
響の瞳から、涙が零れ落ちた様な気がした。いや、気のせいでは無いだろう。
「もう、これ以上二人が辛そうな顔を見るのは、嫌だ。あれじゃいつかきっと、轟沈してしまう。まだ、艦娘になって半年も経ってないのに。これじゃあ、二人が護ろうとしてくれた私たちの方が、もっと辛い……。だから島風も暁も、ああやって騒いでたんだ。ああしなきゃ、気が紛れないから。今日だって、貴方が来なかったら、またたった二人で海に出てただろう」
響は、自分を責めているのかもしれない。
二人にただ守ってもらうだけで、後方でじっと仲間たちと待機しているしかなかった自分が、悔しかったのかもしれない。
そう思うと、ほんの少しだけ心の重荷が取れたような気がした。
――――自分は、なんて卑怯な男なんだろう。
自嘲気味に笑いながら、拓海はそれを紛らわせるように、響の頭に左手を乗せる。
帽子越しに、彼女の小さな頭の感触が伝わって来た。
「なら、今度は響たちの番だな」
「えっ……?」
響が、涙に濡れた目を拓海に向ける。
「駆逐隊の皆で、榛名と神通の分まで、この戦いで頑張れ。この作戦は、響たちに掛かってるからな。そんでもって、きちんと伝えよう。“ありがとう”って」
「私たちが……」
「何も、二人の分まで無茶しろって言ってるんじゃないよ。皆で、作戦を完遂してしっかりゴール決めて、生きて帰って来いって言ってるんだ。俺は海の上じゃ、戦えないからさ」
「あ……」
響は目元の涙を、服の袖でごしごしと拭う。それから顔を上げ、拓海に笑顔を向けた。
クールなイメージの彼女にしては珍しい、屈託のない笑みだった。
「――落ち着いたか?」
その笑みに眩しさを感じつつ、拓海はそっと声を掛け、彼女の頭に乗せた手を下ろす。
少し照れくさそうに笑って頷くと、響はキリッとした表情に切り替え、敬礼する。
「駆逐艦、響。私は、貴方の指揮下に入ると、もう一度ここに誓おう。よろしくお願いする。白瀬拓海
「ああ、こちらこそよろしく。響」
拓海も微笑みながら、敬礼を返す。
敬礼を解き、二人で小さく笑い合ってから、響が2階に降りるための梯子の方を見る。
「隠れてないで、出て来たらどうだ?」
響が溜め息を吐くと、梯子の方からもぞもぞと動く気配がする。
一体誰だろうかと見ていると、2階の方から暁、電、雷たちが次々と上がって来た。
梯子を登りきって横に並んだ三人は、三者三様の表情だ。
暁は、顔を真っ赤にして「レ、レディーが……」とか何とか呟いて身体を小刻みに震わせている。
電も頬を赤らめて、居心地が悪そうに目を左右に揺らしていた。
雷は腕を組み、頬っぺたを膨らませて「何で私に頼ってくれないのよ」などとぼやいている。
「……姉さんたち。盗み聞きするくらいなら、もっと堂々と出て来たらどうだ?」
頭を抱えんばかりに言う響に、暁も雷も答えない。
代わりに、電が恥ずかしそうに目を逸らしながら、口を開いた。
「だって、その……。お二人が良い雰囲気だったので、邪魔したく無かったのです」
「単に、今後のことについて話してただけだよ。それに――」
響が視線を上げ、拓海の方をじっとりと見つめる。
「な、何だよ……」
「司令官、ここに本命がいるんだろう?」
響から落とされた爆弾に反応し、暁と電と雷が露骨な反応を示す。
「な、何ですって!? わ、悪いけど暁はレディーだから、駄目よ!」
「はわわっ! 誰なのです、誰なのです!?」
「い、い、い、雷さまはこの程度じゃ驚かないわよ!」
驚いているじゃないか、というツッコミは置いておいて、拓海は慌てて響の方を見る。
「ちょっ、何を言って――」
「でも、いるんだろう? この
確信を持った目とニュアンスで、響は拓海の目をじっと見つめる。
言葉の意味するところを何となく察したのか、暁たちが胸を撫で下ろしたように溜め息を吐く。
その反応はその反応で、何となく傷つく。
――というのは、ともかく。
「まさか、気付いてるとか言わないよな」
「そのまさか、だ。目が泳ぎ過ぎだよ。司令官。榛名さんのことを、じろじろ見過ぎだ」
図星を突かれて、拓海は何も言い返せなくなる。
そんな拓海をよそに、響の言っていることを理解した暁たちは、何やら黄色い声でひそひそと話し込んでいた。
「響、幾らなんでも今、言わなくていいんじゃないか?」
「お礼だよ。司令官」
「こんなお礼が、あってたまるか」
しれっと言ってのける響に、拓海はよろよろと窓際に寄りかかる。
――――こんなんで、やっていけるのかな。俺……。
戦闘は――――次回になりそうですね。
「響」と打とうとする度、「響鬼」が出て来るのは何とかならないものか……。これじゃ、鍛えたら清めの音を叩きこむあの人に……!