《敵艦隊旗艦、泊地棲姫の撃破を確認した。以後は、防衛海軍の上陸部隊が引き継ぐ――――》
巡洋艦“するが”に乗る光樹から、全員へ向けて通信が入る。その声を聞いて、拓海は溜め息を吐きつつ背もたれに身を委ねた。
「……皆、お疲れ様。今から“あさぎり”がそっちに行くけど、周辺を警戒しつつ戻って来てくれ」
《榛名、了解しました。皆さん、戻りましょう》
無線の向こうにいる榛名からも安心した様子が伝わり、拓海は思わず頬を緩める。
敵の抵抗は、もう後が無い状況に追い込まれているだけあって苛烈なものだった。しかし、それに対する艦娘の攻略部隊は空と海の両方で、質と量による攻勢で終始圧倒していた。特に、赤城たち第1航空戦隊や大和たち第1戦隊の活躍が目立った。
その傍らで、榛名以下第1独立遊撃艦隊や翔鶴がいる第101独立防衛艦隊も、堅実に敵を沈めていた。泊地棲姫に対しては、翔鶴と瑞鶴が攻撃機に爆装、榛名と伊勢が三式弾を装填し、友軍と共に最後の攻撃に参加。その時には、既に丸裸も同然の状態にされていた泊地棲姫は、成す術も無く撃破されていた。
榛名たちの損傷は至って軽微なものだが、度重なる連戦で疲労が目に見えており、ぎりぎりのところだった。中々、各員への負担の大きい作戦だったと拓海は思う。
《白瀬さんも、お疲れ様です。ご無理、されていませんか?》
「いや、大丈夫だよ。寧ろ榛名たちの方が心配なくらいだ」
彼女たちの戦闘による疲労に比べ、拓海はずっと椅子に座って画面を睨んでいただけのようなものだ。戦闘中も作戦に大きな変更は無く、榛名たちのサポートに回っていたくらいだ。
最後まで戦い抜いた榛名たちを、拓海は本当に凄いと思う。
《私は問題ありません。他の皆は――――駆逐艦の子たちが特に疲れているみたいですから、戻ったら先に入渠させてあげてもいいでしょうか》
疲労を感じさせず、榛名は自分よりも駆逐艦を優先するように、拓海に進言する。疲れているだろうに、と拓海は思いつつもそれは口にせず、榛名の言葉を受け入れる。
「……分かった。榛名も、その後にちゃんと入っておくんだ。神通と、伊勢も」
《はい。それと提督、油断なさらないでくださいね。あのヲ級やリ級が、また現れないとも限りませんから》
《神通、気持ちは分かるけど目が座ってるわよ……》
石垣島の西での遭遇戦のことを持ち出し、神通は静かな声に戦意を滲ませながら答える。いつもとは違って剣呑な雰囲気を出す神通に、伊勢が若干引き攣ったような声で呟いた。それでも否定はしない辺り、伊勢の方も思うところはあるようだ。あれだけ航空戦で翻弄されたとなれば、仕方が無いのかもしれない。
神通が言っていることも、あながち間違ってはいないだろう。作戦前に兼続と話したヲ級flagship艦隊の“消滅”のことを思い出す。疑問点は多すぎるが、万が一ヲ級たちが生き残っている可能性もある。警戒するに越したことはない。
「榛名、どうした……?」
《いえ……。どうにも寒気がして……》
榛名からの返事が来ず、拓海が声を掛けると彼女は、不安を訴えた。疲れが出て来たのだろうかとも思ったが、榛名の声音はそれとは微妙に違うように思える。
その正体を確かめようと拓海は榛名に尋ねようとすると、突如として艦内に警報が鳴り響いた。
「なんだ!?」
突然の事態に戸惑いつつ、ディスプレイに目を戻すと『するがから全艦艇へ通信』という表示がされていた。その文字を見て困惑しかけたとき、艦内のスピーカーから緊迫した状況を知らせる放送が流れた。
《鳴川光樹だ。作戦参加中の艦娘隊の全艦艇に、緊急退避を命ず。繰り返す、全艦艇に現海域からの緊急退避を命ず。現在、巨大生物と思しき二つの影が艦隊へ向け、接近中。撤退支援は、防衛海軍巡洋艦“しなの”以下、同艦隊が行う。艦娘隊は、艦娘を回収後、速やかに現海域から離脱せよ――――》
“あさぎり”は合流ポイントへ急行し、榛名たちの回収作業に当たった。
作業が済み次第、海域を離脱しなければいけなくなったため、艦娘の入渠と艤装の修理は非常態勢下で後回しとなった。
後部格納庫内は、落下の可能性のある物を固定し、作業員などの非戦闘員や艦娘たちの緊急の避難場所とし、“あさぎり”は戦闘態勢へと移る。
それに伴って、多大な電力を消費するCROCSは省電力モードへと移行。非戦闘員も同然な拓海と兼続も後部格納庫へと移動していた。
「白瀬さん、二つの影って……」
合流して全員の無事を確かめた後、拓海は榛名にそう声を掛けられた。
無線で話した時と変わらず、榛名は不安そうな様子を見せている。それを見て、拓海は海中にいるという二つの影と何か関係があるのかと考える。
「榛名」
「――――――――白瀬さん?」
手を握られ、榛名は驚いたように拓海の顔を見上げる。
彼女の手の平からは小刻みに震えが伝わってきて、怯えているのがよく分かった。いったい、何に怯えているというのか。心当たりがあるとすれば、それは一つしかないだろう。
「怖いのは、光樹からの無線を聞いてからか?」
榛名は図星を突かれたように目を見開いて、胸元で空いている方の手を握り締める。
息が詰まったように暫く硬直すること数秒、榛名は伏し目がちで頷いた。
「……はい。巨大生物という言葉を聞くと、どうしてもあの姿が浮かんでくるんです」
「ゴジラのことか」
「…………」
榛名の無言を肯定と受け取り、少し離れた位置にいる艦娘たちを見渡す。それから榛名の元に視線を戻すと、震えを抑えるように彼女の手を自分の両手で包み込んだ。
「白瀬さんは、怖くないんですか」
「え……」
榛名の言葉が不意に胸を打ち、拓海は言葉を失う。
皆も怖がっている。榛名と同じだ。だから大丈夫だ――――――そんな言葉を掛けようとした矢先だった。
確かに、怖いことは怖い。自分が乗っている艦が、迫り来る巨大な生物によって沈められるかもしれないのだ。そう思うことは、元々民間人であった拓海にとって当然の感覚と言えた。
しかし拓海のそんな思いとは裏腹に、榛名は彼に言葉をぶつけた。それは、この世界に来てから恐らく、一番長く一緒にいたであろう榛名だからこその言葉だった。
「白瀬さん……。何だか、嬉しそうです」
その言葉を聞いた瞬間、拓海は意味が分からず榛名をまじまじと見つめる。
そしてその意味を理解しようとしたところで、拓海は今までにない猛烈な吐き気と頭痛に襲われ、うずくまるように倒れた。
暗転
海上では、“あさぎり”からの報告を受けて防衛海軍の駆逐艦が一隻、撤退援護のために護衛をしつつ、周辺の警戒に当たっていた。
その駆逐艦もソナーで二つの物体を捉え、周辺に警戒を促した直後だった。
巨大な波しぶきと共に現れた二つの影が、揉み合うようにしながら駆逐艦に衝突。艦橋ごと叩き潰された駆逐艦が、爆炎を上げて沈没していく。
駆逐艦が沈んだ後も二つの影は互いに押し合っていたが、両者は一旦距離を取り、海に浮かびながら睨み合いを始めていた。
片方は黒く巨大で、怨念を孕んだ白い眼で敵を睨むゴジラ。そして、もう片方の海に浮く生物は、《4枚羽》の最珠羅だった。
ゴジラに相対した最珠羅は、海に浮きながら、トビウオのような外見から本来の二枚羽の姿へと変身していく。
それを睨みつけながら、ゴジラは怨念を吐き出すかのように吠え猛るのだった。
暗転
“するが”のオペレーティングルームでは、光樹たち司令官が情報の処理に追われていた。
ゴジラの鳴き声が辺り一帯に響いた直後から、艦娘を乗せた各艦からの緊急報告が、作戦指揮を担う光樹たちの元に一気に集まってきたためだ。
艦娘を乗せた艦は“するが”含めて6隻で、戦隊単位でも20個ほどはあり、各司令官から集まってくる情報はとてもでは処理しきれない。足りない手を補うために、三笠も予備端末をつかって情報収集に当たらなければならないほど、部屋の中は混沌とした状況になっていた。
「三笠、そちらの状況はどうだ」
「はい。駆逐艦“あさぎり”、“さぎり”、“ゆうぎり”も同様の状況です。各艦に乗る艦娘計22名……、全員に精神的な異常が見られる……と」
隣に座る光樹に尋ねられ、三笠はたった今まで集めた情報を端的に彼に伝えた。それを聞いて、光樹はやはりと言わんばかりに顔をしかめ、自分の顎を撫でていた。
「この艦に乗る艦娘たちの情報収集は終わったが……、同じだ。ゴジラと最珠羅の巻き添えを食わないところまで退避した直後に、
上げられてくる報告はどれも、程度の差はあれ「艦娘が錯乱状態に陥った」というものばかりだった。艤装を身に着けたまま、辺り構わず叫びながら砲弾を撃ち散らす者、泣き叫ぶ者、気絶する者――――。一連の騒ぎで、格納庫に被害が出た艦も出ていた。
三笠も口では直接的な表現はしなかったものの、事態は重く受け止めていた。
作戦参加艦娘、総勢105名。情報は全て集まり切っていないが、状況からして全員がこの異常に見舞われていると想像するのは容易だった。
「これはやはり……」
声を潜めて三笠が尋ねると、光樹は小さく首肯して呟いた。
「まず間違いなく、
「光樹君…………」
「三笠は何ともないな」
険しい表情をより険しくさせながら、光樹は断定的な言い方で三笠の方を見る。その顔から、事態の深刻さに彼が一番頭を悩ませていることが窺えた。
「……はい。――――私は、
三笠は答えながら、胸元に針が指すような痛みを覚えていた。ゴジラの咆哮によるものではない。初めての痛みでは無いにしても、やはり慣れるものでは無かった。同時に、慣れるべきものでは無いとも感じていた。
そんな三笠の沈痛な面持ちを見て、光樹は今までの表情を崩して彼女から視線を外す。
「…………すまない、気を悪くしたなら謝る。元はと言えば――」
「提督、それ以上はいけないですよ」
ばつの悪そうな様子の光樹を遮り、彼が口に仕掛けた言葉を言わせなかった。二人きりならいざ知らず、この場では憚られることを言いかけていたのは、三笠の目にも明らかだった。
「だが――――」
「
それは今の三笠を形作っているものであり、同時に彼女が一生抱えていかなければいけない痛みだった。たとえ、その原因が光樹にあったとしても。
「三笠は、本当にそれでいいのか?」
彼によって生み出されてから、何度聞いただろうか。それほどに、光樹が三笠に対して罪悪感を持っていることが、彼女にはよく分かった。だから敢えて、その質問をされる度に三笠はこう答えてきた。
「はい。――――それが、私にとっての代価です」
暗転
「ぐ…………」
痛む頭を押さえながら、拓海はゆっくりと瞼を開いた。
一番初めに目に入ったのは、自分の両足と灰色の床。背中の感触は硬く、そこで漸く自分が壁にもたれかかっていたことに気付く。見覚えのある床と耳に伝わる周囲の喧騒を聞くに、“あさぎり”の後部格納庫であるようだ。
「そうだ、俺は気絶して……」
時間がどれほど経ったのかは分からない。しかし、直前に榛名から言われた言葉を聞いて気絶してしまった事を思い出すと、途端に胃の辺りがむかつきを訴える。気絶の原因は、間違いなくそれだろう。
「嬉しい? 俺が……?」
気を失っていたことで幾分落ち着いたのか、拓海には幾分か考える余裕は取り戻せていた。
あの時、本当に自分はそんな顔をしていたのか。していたのなら、何故そんな顔をしたのか。答えを求めて頭を回転させる度、頭痛が波打つように訪れる。
これ以上考えるのは無理かと諦め、拓海は漸く床から視線を外して顔を上げた。
短い期間ではあるが、見慣れた格納庫の風景が視界に入り、行き交う乗組員たちから聞こえる声が耳に入り始める。
「そっち! 翔鶴と瑞鶴は!?」
「精神安定剤を投与して眠らせました!」
「全員の艤装機能ロック、完了しました! 艦内に“脱走”した雷と電の両名は、現在追跡中!」
「神通と伊勢は取り押さえました!」
「早く安定剤をこっちにも回せ!!」
「そこの瑞雲の! こっちはいいから伊勢に付いてろ!」
「ヴェールヌイは!?」
「艦中央部の甲板にて発見! 気絶していたそうだ!」
「安定剤、底を尽きました!」
「ちゃんと探せ!」
「元々数置いてなかったんだ、仕方ないだろ!!」
「こんな事態予測できるわけないだろうが!」
飛び交っていたのは、怒号に次ぐ怒号。混乱し騒然としている様子に、拓海は理解が追い付かず、ただ困惑することしか出来なかった。
青い顔をして床に眠らされている翔鶴と瑞鶴。男二人掛かりで抑えられながら正気を無くしたように暴れる神通。何かをうわ言のように呟きながら嗚咽する伊勢――――。
見知った顔の少女たちが、何故こんな状況に追い込まれたのか。それを拓海に教えてくれるような余裕を持った者はいなかった。現に、こうして拓海の目が覚めたことに誰も気づいていないことがその証拠だ。
「そうだ、榛名は…………」
先程から榛名の姿が見当たらないことに気付き、拓海はのろのろと立ち上がって格納庫内を見渡す。
雷と電、それにヴェールヌイが艦内の別の場所にいるらしいのは聞いた。暁と龍驤、それに龍鳳と島風の姿も見当たらない。連装砲ちゃんたちが、主を見失っておろおろとしながら彷徨っている。翔鶴と瑞鶴が担架に乗せられ、何処かへ運ばれて行く。
心なしか重い足を引き摺り、周囲に目を配りながら榛名を探すが、やはり見つけることは出来なかった。
「おう、目が覚めたか」
艦娘たちの艤装の保管スペースに近づくと、そこで作業していた男が顔を上げ、拓海に声を掛けてきた。彼は専属でこの艦に乗り込み、艦娘たちの艤装整備を一手に引き受けている。今もちょうど、艤装の点検をしていたことは、辺りに置かれた工具や油まみれの恰好から見てよく分かった。
「こんな時でも……大変ですね」
「事が事だからな。よりにもよって、全員艤装を身に着けてる時だったもんだから、無理にでも引き剥がすしかなくてよ。――――て、お前さんはぶっ倒れてたから分かんねぇか」
男は肩を竦めながら、足元の工具を拾い上げて艤装の点検作業に戻っていた。数が数だけに、今は少しでも時間が惜しいのだろう。
邪魔をしたかもしれないと思い退散しようとしかけ、拓海は彼が整備している艤装が榛名の物であることに気が付いた。
「それ……榛名の、ですよね」
「ああそうだ。あの嬢ちゃんなら艦娘用の寝室に連れていかれた筈だ。寝てんのか起きてんのかは知らねぇ。事情はまぁ……勝手に耳に入るだろうからそいつは後回しにして、早く行ってやんな」
話はそれまでだと言わんばかりに男は無言になり、拓海を追い払うかのような素振りを見せる。彼の気性からして、そんな態度を取るのは拓海に気を遣ってのことなのだろう。
拓海は心の中で礼を言って頭を下げつつ、その場を離れた。
格納庫の2階部分には、艦娘のための寝室が設けられている。その寝室の前に立ち、拓海は扉をノックし、音を立てないようにしながら拓海は中へと足を踏み入れた。
「榛名……入るよ」
部屋の中は、全員分の三段ベッドが窮屈なスペースに押し込まれただけの、簡素なもの。地上の鎮守府などに比べると、当然スペースに余裕が無いので窮屈になりがちだ。他の艦娘を載せた艦も大体似たような作りで、大抵はどの艦からも不満の声が上がると聞く。“あさぎり”もそんな艦の一つだが、それはまた別の話だ。
拓海は薄暗くされた部屋の奥、榛名が寝ているベッドへ足を向ける。
三段ベッドの下段で、榛名はまるで何かにうなされるように苦し気な表情を浮かべながら眠っていた。
「無事……とは言い難いか……」
あの整備員の男の話を聞いた時点で何となく予感はしていたが、榛名も他の艦娘たちに近い状態にあるようだ。
「俺が、嬉しい……」
榛名の寝顔を見つめながら、拓海は彼女の言葉を反芻する。いつの間にか、思考を阻むような痛みは訪れなくなっていた。そして拓海はそれを、その意味をはっきりと自覚する。
「――――は。最低だな、俺は」
もう、彼女に話すと決めた筈なのにこの有様だと、拓海は自分を嘲るように嗤う。
ゴジラが現れてその戦いに巻き込まれ、自分が死ぬことを望んでいたかのようだと。いや、事実そうなのだろう。
心が、理性が、身体が、拓海の全てが真実を打ち明けることを拒否している。そして同時に、迷いも生じていた。
本当に、榛名に話してもいいのかどうか。ある意味で、他人の手には余る問題を榛名にまで背負わせてしまうことになる。今の自分と榛名の関係が、果たしてそこまでのものかどうなのかと。
「……榛名は、どうなんだ?」
眠っている榛名の横顔は、まるで自分の鏡映しその物のように見えた。
来週は「シン・ゴジラ」公開ですね。どんな映画になっているのか、楽しみです。