時々、私は夢を見る。
遠い昔、気が付けば姉妹が皆いなくなって、私一人が残される夢だ。
敵と激しい戦いが繰り広げられる中で、一人、また一人といなくなっていった。
戦いが終わった時には、3人の姉と妹は海の底に沈んでいた。
寂しい、とは思わなかった。皆、果敢に戦って沈んだんだ。
私は、幸か不幸か機雷に触れて修理に入り、南へと赴くことは無かった。本来なら私も行っただろう南の海で、仲間の多くが水底に消えていった。
私は、命拾いをした。やがて戦いも終わったが、私は何も思わなかった。「ああ、終わったんだ」という気持ちが、胸に去来するだけだった。
やがて、私にも他の仲間たちと同じように、母国を去る日がやって来た。
錨を上げて、異国へ行くための航海に出る。
母国の艦としての航海も、これが最後だろう。そう思った時だった。
はらり、と何かが自分の頬を伝う。
何だろうと思って触ってみると、指が濡れていた。おかしいな、と思って今度は目元を拭ってみる。やっぱり、濡れていた。
そこで初めて、自分が泣いているんだと気付く。
そんな筈は無いと、私は首を振る。
おかしいじゃないか。私は仲間が沈んでも、姉がいなくなっても、妹が遠くへ消えてしまっても、泣くことなんてなかったのに。
私は、ずっと敵を見続けていた。やがて戦う敵がいなくなって、後ろを振り返って気付いたんだ。
私は自分の気持ちを、ずっと押し殺していたんだって。悲しむ暇も余裕も無いと、敵に砲を向けていたんだ。
それに気付いたら、また目元から雫が流れ落ちた。
ぽたり、ぽたり、ぽたり、ぽたり……。
どうして。
どうして、私は一人なんだ?
どうして皆、私を置いて行ったんだ。
一人にしないで。
「不死鳥」の呼び名は、確かに私の誇りだ。でも――――。
皆がいないと、私は寂しいんだ。
姉さんたちがいないと、心が張り裂けそうになるんだ――――。
目が覚めて、間近に天井が見える。
目元を着込んだピンク色のパジャマの袖で拭うと、僅かな灯りでも濡れているのが分かった。
「また、あの夢か……」
今年の初めに艦娘としての生を受けてからこの方、私は時々こんな夢を見ていた。
姉である暁や、妹の雷と電がいなくなってしまう夢。
「……起きよう」
考えていても仕方ないので、残りの涙も拭き取ってしまう。
枕元に置いた、ライト機能付きのデジタル時計を確かめる。
6月6日。
部屋は窓が無く、薄暗いが既に朝だ。要塞の1階はほとんど窓が無い所為で、朝になっても照明を点けないと暗い部屋ばかりだ。
私はそっと、2段ベッドの上段から梯子を伝って床に降りる。
ベッドの下段を覗くと、暁姉さんが涎を垂らして仰向けで眠りこけていた。空調は効いていて涼しい筈だが、暑そうにしながら寝ている姉さんのパジャマは乱れ、タオルケットは蹴飛ばされて壁際に追いやられていた。
「姉さん……」
普段からレディであろうと胸を張っている割に、こういう時になると見た目通りの子どもだ。まあ、それも姉さんの可愛いところではあるが、この格好はあんまりにもアレだ。
幸せそうに眠る姉さんのパジャマを直して、タオルケットを掛け直す。これで、誰が起こしに入ってきても大丈夫だと思う。
本当に大丈夫なのか……?
パジャマからセーラー服に着替え、帽子を被る。身形を簡単に整えてから、脱衣所として使われている部屋へ向かう。先月の南鳥島での戦いの後に入った工事で、新しく洗面台が追加されたからだ。
隣にある仮設の入渠施設として使われていた部屋も、この時にきちんとした入渠施設兼お風呂として生まれ変わった。あの時は、6水戦の皆で久々にゆっくりと湯船に浸かったな。
まだ寝入っているのか、人の気配の無い要塞の広々とした廊下を歩いて、脱衣所兼洗面所に着く。
扉を開けて、入り口脇のスイッチを押すと、室内が蛍光灯の白い光で照らされる。
やはりというか、誰もいない。そこで不意に、ついさっき見た夢を思い出してしまった。これはいけない。不安になってどうする。
そそくさと洗面台に立ち、棚からハンドタオルを引っ張り出した。
鏡を見てみると、随分と酷い顔をしていた。これは、酷いな。さっさと顔を洗ってしまおう。
顔を洗い終えて廊下に出ると、食堂のドアが開いて中から照明の光が漏れているのが見えた。
台所とも繋がっているから、誰かが朝食の準備をしているんだろう。
食堂に入ると、左手のカウンター奥のキッチンで案の定、女性の背中が見えた。
「お早う。貴恵」
私が声を掛けると、その人は振り返る。ショートヘアのその女性は私を見つけると、包容力のある笑顔を見せた。
「お早う、響ちゃん。今日も早いのね。響ちゃんたちは?」
「姉さんは相変わらずだ。幸せそうな顔で寝てるよ。雷や電もまだ寝てるんじゃないかな」
「そっか。後でこっそり、暁ちゃんの寝顔見に行こうかな」
「それは後が大変だと思う」
私が言うと、その人は何を思い出したのか吹き出した。予想だが、私の考えていることとそう変わらないと思う。
女性の名前は、
目つきは結構鋭いが、それを補って余りある綺麗な人だ。基本的に明るい人で、私たちにとっては姉のような存在。大らかなところもあり、異性を寄せ付けない様な張り詰めた雰囲気を纏いながらも、意外と可愛い物好きでもある。ぬいぐるみが一番好きだそうだ。
そんな人が、何故軍に入っているのかは、私は知らない。
けれど、私は貴恵の笑顔が好きだ。凍ってしまいそうになる心を、解きほぐしてくれるような温かみがある。
「手伝おうか?」
「ごめん。助かるよ」
私も朝食の準備をしようと進言すると、貴恵が苦笑しながら頷いた。
何せ6水戦と貴恵、そしてもう一人の少尉と司令官代行の分を合わせて9人分だ。用意するにしても大変だろう。
私は食堂を横切って、台所へと向かった。
朝食を終えて小一時間ほど休憩した後、私たち第6水雷戦隊は食堂の隣に設けられた工廠に来ていた。
神通さんや姉さんたちは、部屋中に散って各々が艤装を身に着け、最終確認を行っている。
私も艤装を着けて、問題が無いか確認する。
主機、良し。主砲、良し。魚雷発射管、良し……。異常は無いみたいだ。
「おう、響。艤装は大丈夫か?」
顔を上げると、貴恵と共にこの南鳥島に赴任して来ているもう一人の少尉、
掘りの深い顔でありながら爽やかな印象を与える顔つきで、身体もよく鍛えられている。一見すれば武闘派のようにも見えるが、彼は艤装整備士官だ。
彼がここに来る以前は、妖精さんだけが艤装を整備していたが、それではどうしても限界はある。損傷自体は艦娘本体と別途に修復ドックに入れることで直せるが、その後の調整は人や妖精さんの手が必要だ。島が包囲されていた時は、妖精さんが担っていたがそもそも艤装整備担当の妖精さんでは無かったし数も少なく、かなり厳しい状況だった。
それも彼が整備担当の妖精さんと共にやって来てからは、かなり楽になった。オペレーターという役割も持っているが、本分はやはりこちらなのだろう。私が今身に着けている艤装も、かなり良い仕上がりになっている。
「
背中の艤装に直接付いている12.7cm主砲の反応もかなり良い。動作も素直で、細かい照準も難なくこなせそうだ。
「そうかい。そいつは良かった。何気に響が、ここじゃ一番厳しいからなぁ」
「颯太が丁寧にやってくれるからだよ。皆が無事でいられるのは、貴方のおかげだ」
出撃の前後に、彼が私たちの艤装を一つひとつ夜通しで見てくれているのを知っている。
感謝の意味を込めて言ったつもりだったが、颯太は口角を上げたまま悲しげに表情を曇らせた。
「そうか……。そう言ってくれると助かる」
「颯太……?」
「……すまん。ちょいと昔のことを思い出してただけだ」
そう言うと、颯太は何でも無いと笑ってみせる。
私たちと出会う以前に何があったか分からないが、彼の笑顔はそれ以上の干渉を拒んでいた。元々彼は、積極的に艦娘と仲良くなろうとしていないのは、この1ヶ月ほど一緒に過ごしてきて、知っている。
「ところで颯太」
彼が拒否している以上、そのことについて話しても仕方が無い。気にならないかと言えば嘘になるが、それはぐっと堪えて話題を変える。
「何だ? もう少し調整するか? 哨戒とは言っても出撃だしな」
「そうじゃない。貴恵のことだ」
「千町がどうしたんだ?」
私は、颯太の右の眉が僅かにピクリと動いたのを見逃さなかった。
「まだ告白はしていないのかい?」
「し、知ってたのか……」
「嫌でも気付くさ。この泊地の皆はとっくに知ってるよ」
「やっぱりか……」
知らないのは、当の本人である貴恵くらいだろう。時折、貴恵に熱い視線を向けていたから、すぐ分かった。
「その様子だと、まだなのかい?」
「そりゃあ、な……。告白する以前の問題が転がってるっていうか……」
「同じ部屋だから、チャンスじゃないか」
「それが問題だって言ってるんだッ!」
恥ずかしいからって、そんなに顔を真っ赤にしなくても。
でも、颯太の言うことも尤もだ。異性が同じ部屋にいるというのは、彼としては気が気じゃないだろう。それに、普通ならそんなことにはならない。
「じゃあ、追い出すのかい? 自分から出て行くってことも出来る筈だけど」
「どっちもやったさ。っていうか、響も知ってるだろ。わざとか?」
「バレたか」
「お前な……」
私も当然、颯太が部屋を別々にしようと彼是頑張っていたのは知っている。だけど、貴恵は追い出せば強引に戻り、出て行こうとすれば必死に引き留め、こっそり移動しても後からくっついてくるという有様だった。
「まだ諦めてない?」
「当然だろ。同室なんて状況、あいつは良くても俺の気が持たねぇよ」
「私が言っているのは告白のことだ」
「……いい加減怒るぞ?」
からかい半分に言ったら、怒られた。顔が怖い。
「ごめんなさい」
「そんなしょげた顔すんな。どっちにしろ、千町には自分が女だって自覚をもう少し持ってもらわないと――――」
「それは大丈夫じゃないかな」
私の言葉に、颯太は首を傾げている。まぁ、気付かなくても無理は無いか。
あまりに貴恵が一人部屋になるのを嫌がったため、本人に聞いてみたことがある。貴恵は口外しないでね、と添えた上で教えてくれた。
『一人で寝るのが、すっごく怖いの。でも、響ちゃんたちは二人ずつだから悪いし、元谷大尉のところに行くわけにも行かないし……。だったら、呉にいた時から良くしてくれてる浅上君のとこなら大丈夫かなって。迷惑掛けてるのは分かってるんだけど……』
と、申し訳なさそうな顔で言っていた。本人が「絶対に言わないで」と言っていたので、私から教えるつもりは無い。
因みに恋愛経験があるか聞いてみたら、きょとんとした顔で「無い」と即答された。この様子だと、颯太の気持ちには全く気付いていなさそうだ。というか、下手をすると……。
「そうなのか……? そういや、いっつも朝は寝間着のまま出て行ってたな。他の部屋で着替えてたっけ。――――っていうか、寝る時以外部屋にいないな」
颯太は首を捻りながら呟いている。……うん。こっちに関しては、彼の名誉の為にも言わない方が良さそうだ。
「まさか、気付いてなかったとか? 1ヶ月もいたのに?」
「うっ……。ほ、ほら。今日の出撃は近海の哨戒だろ? とっとと行って終わらせて来い」
誤魔化された。
仕方が無い。こういう時に追求すると、彼は怒り易い。本気で怒ると、かなり面倒なことになる。今日のところはここまでにしておこう。
南鳥島から出撃し、私たち6水戦は55kmの沖合を、島の外周をカバーするように航行する。
占領状態から解放されたとは言え、南鳥島や小笠原諸島などでは未だに深海棲艦の出現が確認される。それを警戒した哨戒というわけだ。
いくら監視衛星があるとは言え、取り溢しがあってもいけない。尤も、敵が出現したとしてもイ級などの脅威度の低い相手がほとんどだ。
その所為か、小笠原諸島の方の哨戒も片手で数えられる程度しか行ったことがない。まあ、あちらは人間の目があるので緊急事態にも対処しやすいということなのだろう。
任務とは言っても、楽な部類なものなので大抵は和やかな雰囲気だ。島風に至っては連装砲ちゃんと一緒に、辺りを駆け回っているくらいである。
CROCSと接続したカメラユニットや、神通さんの偵察機が辺りを哨戒してくれていることによる安心感もあるのだろう。
「そう言えば響、浅上少尉と何話してたのかしら?」
隣を行く姉さんが進路を私に寄せ、小声気味に話し掛けてきた。
私は素早く、島との通信がどうなっているか確認する。……今のところは、海上でのデータ共有のみで音声通信は繋がっていないようだ。
颯太や貴恵に聞かれる恐れは無いと分かって、溜め息を吐く。
「どうしたのよ? 響」
「姉さん。音声通信が繋がっているかは確かめたのかい?」
「たっ……確かめたわよ!」
この顔は……焦っているな。小声で話しかけて来た時点で、もしかしたらと思ったが案の定のようだ。
「例え小声でも、通信が繋がってたらどうするんだい?」
「そっ、それは……誤魔化すわよ。そんなに大事な話だったの?」
「それは、もう。他言無用って颯太から言われた」
自称レディーからのあるまじき発言には耳を塞ぎつつ、素直に答える。
「ど、どんな話をしたのよ?」
興味心身に目を輝かせるのはいいが、距離を積めないで欲しい。衝突したら危ないだろう。
「皆にばらしたら怒られるような話だ」
姉さんとの距離に気を配りつつ、ぼかして伝えるが彼女は頻りに瞬きを繰り返すだけだった。ややあって、顔がみるみると青くなっていく。
「へ……」
姉さんも、本気で怒ったときの颯太の剣幕を知っているからか、小刻みに震えてすらいた。あれは姉さんじゃなくても、物凄く怖かったが。
「多分、姉さんも知ってることだと思うけど。それでも聞く?」
「と、当然よっ!」
自慢げに小さな胸を張っているが、やっぱりまだ震えている。本当に大丈夫だろうか。
念の為音声通信が繋がっていないことを再度確認して、姉さんに話すことにした。
「颯太の、貴恵への片想いのことだよ」
これは少なくとも、6水戦の皆は知っている筈のことだ。つい先日、島風や雷、電とも話したし姉さんも知っているだろう――――。
「……何よそれ?」
姉さんは良くも悪くも、私の予想を裏切ってくれた。
それから5日後の11日、電が日帰りで横須賀へと向かった。
6日に起こった呉市街戦の情報が、その日の日没ごろになって横須賀鎮守府と呉鎮守府の双方から伝わって来たからだ。
私たち6水戦が所属する、第3艦隊の拠点でもある呉鎮守府も被害を受けたそうだ。
巨大怪獣が2体も現れたというのには驚いたが、それよりも更に私たちを驚かせたことがあった。
その場に、白瀬拓海が居合わせたという情報だ。
僅かな時間だが背中を預け、言葉を交わしたと人物がいたというのが不思議だった。
横須賀からは鳴川少将から直接連絡があったが、何でも呉に帰った榛名を訪ねるためということだったらしい。
それを聞いて、私の胸がチクリと痛んだ。だが、それだけだった。いったい何だったんだろうか。
白瀬拓海と言えば、1ヶ月前のことを思い出す。
要塞の3階で実際に彼と話してみて、漠然と
それは、白瀬拓海の何かを押し殺した表情を見たからか。それとも、本来持ち得るはずの無い、兄がいるかのような心地よさを覚えたからか。思わず弱音を吐いてしまった。そしてあの時彼がくれた言葉は、包囲下で擦れていた私の心を救ってくれた。
そして敵艦隊の中枢を叩いて包囲を混乱させられた時は、素直に嬉しかった。無力さを感じていた私にも、出来ることはあったんだと思った。
――――ゴジラという怪獣が現れるというのは、全くの想定外ではあったが。
榛名さんが突然悲鳴を上げるような事態はあったが、何とか私たちは生き延びることが出来た。
鳴川少将や三笠さんまでもが来たのには面食らったが、助けに来てくれた皆を見て久しく忘れていた“嬉しさ”が胸の内から湧き上がって来た。
それで油断していたからだろうか。鳴川少将が話を振って、榛名が答えたときの自分の反応には驚いたな。
自分で言うのもおかしいが、本当に驚いたのだ。
ただ自分は、白瀬拓海が榛名に気持ちを伝えたということを聞いただけなのに。元々、彼の気持ちは知っていた筈だ。
だというのに、次から次へと涙が零れてくる。今まで経験したことの無い、不思議な感情だった。
どういうわけか姉さんも泣いていたが、あの時は彼を困らせてしまったことは申し訳ない。私の所為で、他の通りすがりの糾弾を受けてしまったようなものだ。
兎も角、あの感情が何だったのか。その答えに私が辿り着くのは、当分先のような気がする。
ゴジラと言えば、いつの間にか私が一人ぼっちになっている夢は、あの後から見る回数が増えたように思う。
以前は多くても1ヶ月に1回程度だったのが、大体1週間くらいで見るようになった。絶対と言うわけでは無く、見ない時もある。確信は無いが、ゴジラの姿を見た所為なのだろう。
あの場に居合わせた皆も含めて、あのゴジラには得体の知れないモノを感じる。出来ることなら、近づきたくない。そもそも歯が立たない相手であるのは一目瞭然なので、近づくつもりは全く無い。
……話が逸れた。
えっと、何の話だったかな?
――――そう、電が横須賀に行ったという話だ。
電は連絡を聞くや否や、鳴川少将に日帰りで良いから何とか都合が付けられないかと直談判した。
あの控え目な性格の子が、随分と積極的に言っていた。白瀬拓海が巻き込まれたことを聞いて、かなり心配していたな。
急なことだし断られると思っていたら、鳴川少将は若干考える様子はあったもののその場で承諾していた。
そんなわけで、電は島と本土を日帰りで往復するという強行日程に出た。
少将も言っていたが、こんなことは二度も無いだろう。よく融通が利いたなと思う。
そして電は、本当に1日と経たないうちに帰って来た。
流石に疲れているんじゃないかと思ったが、輸送機から降りて来た電の顔は、この上なく緩み切っていた。
確か、電は白瀬拓海と話をしてきた筈だ。
彼が元気なのかとか、何で呉にいたのかとか、聞きたいことは色々あった。しかし、電を見るとその話すら出来るかどうか怪しいところだった。
白瀬拓海に何かされたのかと聞くと、電はにやけたまま
『何でもないのです~』
と言って迎えに来た私たちの脇を通り抜けて、要塞に入って行った。
それが夕飯時になると、何でも無いような顔をして話の内容を皆に聞かせてくれた。
榛名さんと喧嘩のようなことになっていたのには驚いた。こっちにいた時は、そんな雰囲気でもなかったのに。
因みに、電が何故にやけていたのかは遂に話してくれなかった。
二日後、私たちは少し遠出をして硫黄島との間にある海域を哨戒航行していた。
海は比較的穏やかで、空は雲一つない青空が広がっている。
こんなところに深海棲艦が出て来るのかと思うが、出て来る時は出て来るから油断が出来ない。
と、耳に手を当てて自分の偵察機と通信していた神通さんが、私たち後続を振り返った。
「敵の駆逐隊を発見しました。南へ約5kmの海域に、ロ級が1隻、イ級が5隻です」
どうやら、戦闘に突入するようだ。
艤装の動作を確かめつつ、私たちは速度を30ノットにまで上げる。
すると、神通さんの隣を行っていた島風が一気に速度を上げ、陣形から離脱した。
《島風、先行し過ぎだ!》
無線から、司令官代行の
「だって、私が一番速いんだもん!」
島風はそう言い返すと、私たちを置いて先に敵へ突撃して行く。
《じ、神通! 旗艦は貴女だろう。いい加減、足並みを揃えさせたら――――》
「これで良いんです」
遮って、神通が言う。
「そうね! こういう時の島風は頼れるんだから!」
「電もそう思うのです」
「私にちょっかい掛けてくるのは気に入らないけどね」
雷、電、暁が次々に無線に話し掛ける。
《お、おい。響。お前からも何か言って――――》
「すまないが、元谷大尉。私たちは司令官である鳴川少将が『自由にしてくれて良い』と言っている以上、このやり方は変えられないよ」
6水戦は現在、直接鳴川少将の指揮下に入っている。元谷が強く言ってこないのはそのためで、あくまで自分は“代行”だということを弁えているからだろう。
“代行”は“新米少佐”よりも扱いや権限は下だ。代行は、担当司令官の指示を仲介する存在に過ぎない。それだけ、出来ることも制限される。
「私たちを心配してくれるのは嬉しい。だから、本当にマズいことになるまで見守っていて欲しい」
《しかしだな……》
「大丈夫さ。島風を信じて欲しい」
《……分かった》
それきり、無線の向こうから声はしてこなくなった。一応、説得は出来たようだ。
その直後、敵の駆逐隊を肉眼で確認する。
既に戦闘は始まっており、島風が連装砲ちゃんと一緒に駆けまわりながら撹乱行動に出ていた。
次々と主砲や魚雷が撃たれ、当たることはないものの敵は混乱しているようだ。
「単縦陣に移行します!」
神通さんの指示で複縦陣から、彼女の後ろに姉さん、私、雷、電の順番に縦並びの陣形になる。連携のとれた動きで、火力を集中するための準備を整える。
「攻撃、始め!!」
続いて神通さんの合図で、攻撃が一斉に開始された。それと同時に島風は敵から離脱し、私たちとは別に距離を取って攻撃をする。
神通さんの左腕の14cm単装砲4基から次々に弾が撃たれ、後に続いて私たち駆逐艦の12.7cm連装砲が火を噴いた。
何十発と吐き出された弾が、駆逐イ級の頭を貫き、駆逐ロ級の胴を貫く。外れた弾は、周囲に水柱を作り上げた。
敵が弱ってきたところで、各自が魚雷発射管を稼働させ、目標に照準を合わせる。
「全員、魚雷一斉射です!」
それを合図に、神通さんの4連装魚雷発射管2基、私たち暁型姉妹の計8基の3連装魚雷発射管、島風の5連装魚雷発射管1基から、全部で37本の酸素魚雷が放たれた。
薄っすらと目立たない航跡を描いて、止めを刺す槍が敵駆逐隊に降り注ぐ。
魚雷は敵駆逐艦全てに命中し、巨大な水柱が上がり、ロ級やイ級が青い血を撒き散らしながら身体を引き裂かれていく。
悲鳴の声を上げながら、敵は瞬く間に海の藻屑となった。
その後は戦闘も無く、無事に南鳥島への帰路に着くことが出来た。
島に着いて見れば、もう日暮れ時になっている。
海岸に接した要塞の南の方に上陸すると、元谷大尉たちが私たちを出迎えてくれた。
「第6水雷戦隊、只今帰投しました」
神通さんが敬礼をしたので、私たちも後に続く。
「ご苦労様。怪我は……無いみたいだな。全く、冷や汗が出たぞ」
敬礼を律儀に返しつつ、元谷大尉が溜め息を吐いた。多分、島風が先行した時のことを言っているのだろう。
「それ、島風ちゃんが奇襲を仕掛ける度に言ってません?」
貴恵が苦笑いをしながら横から声を掛けると、元谷大尉は難しい顔になる。
「そうは言ってもな。島風は無茶をするから、心配なんだよ。敵にル級でもいたら、どうする気だ」
「先月は誰も追いつけなかったよ?」
島風が忙しなく跳んだり走ったりしながら、講義の声を上げる。
「それは対包囲戦の時の話だろう。戦闘データを見たが、あれはかなり危険な賭けだったぞ。今は、敵が小型艦ばかりだったから良いものの……」
私も、彼の心配は尤もだと思う。
ああして説得をしてみたは良いものの、内心では心配で仕方が無かった。あの戦いで自由に動けたことで、島風はすっかり味を占めてしまったらしい。
「大丈夫だってば。私には誰も追いつけないもん」
「だからそれが――――」
「言い合いはそこまでにして貰って、そろそろ中に入りませんか?」
颯太が口を挟み、元谷大尉と島風の間に割って入る。
「そ、そうだな。中に入ろうか」
バツの悪そうな顔をして、元谷大尉は踵を返して要塞の方に歩いて行く。
「全く、最年長のクセしてよ……」
「三十路だっけ? あの人、結構頑固だからねぇ……」
ドアを開け、中に入って行く元谷大尉を見ながら颯太と貴恵が話していると、島風が口を尖らせて二人の傍に近寄った。
「私、あの大尉苦手だよ。いっつもうるさいし……」
「奇襲作戦はやりたがらないからな、大尉は。あれで司令官志望か。言っていることには一理あるんだがな……」
「良い人でも現れたら、変わってくれるかな?」
貴恵の発言に、その場の空気が一瞬で凍り付いた。
……貴恵、颯太が微妙な顔で見てるよ。
「……ま、何だ。神通たちも早く中に入れ。艤装の整備をするからよ」
「あ……はい。分かりました。皆、行きましょう」
神通さんは苦笑いで応じ、先に歩き出す。
「……いっつも頼らせて貰ってるけど、たまには私を頼ってくれてもいいのよ?」
「おう、ありがとうな。雷……」
「電も力になるのです」
「サンキュ―……」
「色々大変なんだね。颯太も」
「島風。言ってくれるなよ……」
3人が口々に言いながら、神通さんの後に続いて行く。
そんな中私の隣では、姉さんが首を傾げていた。
「レディーには分からない世界ね……」
「暁はその調子なら、当面大丈夫そうだな」
疑問符を浮かべる姉さんに、颯太はただ項垂れるだけだった。
「颯太。頑張れ」
「ああ……。じゃあ、行くか。響」
颯太は、疲れ切った表情をしながら歩き始める。
何故だろう。私も今のやり取りで、徒労感を覚えている。……今は考えるのは止しておこう。
「あっ、あれ? 私変なこと言った? っていうか、何で皆先に行っちゃうの!?」
一人置いて行かれたことに気付いた貴恵は、慌てて私たちの後を追って走り出す。
当の本人は、自分がどんな発言をしたのか全く気付いていない。
……まあ、あの流れで気付けという方が酷かもしれない。
これは先が長いなと思いながら、私は隣をとぼとぼと歩く颯太を励ましつつ、要塞の中にある工廠へと向かうのだった。
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6月14日、未明。
暗闇に包まれた海を、不気味な光を帯びながら進む一団があった。
上空で薄っすらと赤いオーラを纏った雲が、海を怪しく照らしている。
その下を行く一団は赤や黄色、青色の光を纏った異形たちだった。
「オマエタチハ、ドンナ声デ泣ク……?」
一団を先導するリーダーと思しき1体が赤い目を揺らし、歪に笑う。
「サア。“マルコス”ハ、モウスグダ……」
一人称視点、今回は響からお送りしました。
何気に、こういう形での投稿は初めてかもしれません。
3人称視点が抜けなくて、難しいところ……。
余談ですが、最近の自分は「Fate」のギルガメッシュや「俺ガイル」の雪ノ下陽乃、「ケイオスドラゴン」の婁震華などのキャラクターがマイブームです。
内面の掘り下げ甲斐がありそうな人(混じってる人もいますが)が気になるみたいです。
自分の性格だと、人付き合いをしても上手く行かなそうな人たちばかりですね……。(マテ