艦隊これくしょん―黒き亡霊の咆哮―   作:ハチハル

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第21話 仲直り

 ゴジラの長崎、沖縄襲撃から二日が経った6月14日。拓海は再び呉鎮守府へと来ていた。

 朝に横須賀を発って厚木から航空機に乗り込み、昼前には呉に到着。迎えの車で鎮守府へ行く途中、拓海は街の様子を目にした。

 1週間ほど経って彼方此方に重機が散見され、破壊された街の片付けが進んでいる。中には、復興に当たる防衛軍の姿も見受けられた。

 

 

 

 空港から鎮守府まで送り届けてくれた運転手に礼を言い、拓海は車を降りる。

 1週間ぶりに来た呉鎮守府は、街と同じく二大怪獣の戦いの爪痕が残ったままだった。

 屋根が壊れた鎮守府本庁舎には工事用の骨組みが組まれ、港の岸壁近くのアスファルトは大きく窪んでいる。

 それらを眺めながら、拓海は窪みの近くに足を向けた。

 近づいてみると、花が一つ横たわっていることに気付く。色褪せていることから、ここに置かれてから日が経っていることが分かる。

 そこは、呉市街戦で犠牲となった磯貝風介――――の千切れた足が落ちていた場所だった。

 磯貝には、良い印象など一つとして無い。初対面こそ表面上は人が良さそうに見えたがそれも一時的なもので、直ぐに本性を現した。自分勝手で妄想にも近い言動を繰り返す磯貝に、拓海が反感を持つのは当然のことだった。

 彼が何故、榛名に執着しあのような言動を取るようになったのか拓海は知らない。それを知るつもりも無い。

 しかし、一つだけ言えることはあった。

 

「俺は、アンタのようにはならない」

 

 独り呟き、拓海は静かに黙祷を捧げる。その黙祷は彼への鎮魂というよりも、自分自身への誓いだった。

 

 

「白瀬さん」

 

 不意に後ろから声が聞こえて、拓海は目を開けて振り返る。声の主は、潮風に揺れる銀髪を抑えている翔鶴だった。

 翔鶴は、拓海の足元に視線を向けて驚いたように小さく目を見開いてから、ふと柔らかく微笑む。

 

「磯貝少将にご挨拶ですか?」

「そんなんじゃないです。ただ、目の前で人が死ぬのを見るのは、初めてだったので……」

 

 誓いのことは言わず、拓海は事実だけを述べる。一方で後ろめたさのようなものも感じて、翔鶴から視線を逸らした。

 実際、拓海は人の死を目の当たりにするのは初めてだった。幸か不幸か、そういうものを見なくて済むような場所で暮らして来た。だが、この世界は違う。

 拓海が足を踏み入れた世界は、今まで生きていた世界以上に危険な場所だ。明日、目の前で話をした人が深海棲艦や怪獣によって殺されてもおかしくない。磯貝の殺される様子だけでなく、呉市街に広がっていた光景を目の当たりにして、拓海はそのことを一層強く感じていた。

 

「そうですか……」

 

 翔鶴は拓海の隣に歩を進めて、窪みに向けて暫し目を閉じる。

 その間、拓海は海の波打つ音を聞きながら、黙祷する彼女の横顔を見つめていた。

 

 

 翔鶴は黙祷を終えて目を開くと、拓海がじっと見ていることに気付いて、顔を向ける。

 

「あの、白瀬さん?」

 

 彼女の声で拓海は我に返ると、「すみません」と言って首を振った。ただ、見惚れていたわけでも、見つめていたことについて恥ずかしさを覚えているわけでも無い。横顔を見ていて、純粋に気になったことがあったからだった。

 

「翔鶴さん、磯貝少将と仲良かったんですか?」

 

 黙祷をしている翔鶴の表情は、親しかった人に向けるように悲しそうだった。彼女は磯貝の指揮下には無かったし、先日の様子だと仲が良いようにも見えなかった。それにも関わらず、あのような表情をしたのはいったい、どういうことなのだろうか。

 拓海の疑問を受けて、翔鶴はゆっくりと首を左右に振った。

 

「いいえ。事務的な会話をするだけでした。その、よく分からない人でしたから」

「分かることと言ったら、『榛名が好き』ってことくらいですね」

 

 翔鶴はその言葉に苦笑はするも、否定はしなかった。

 

「そうですね。ただ――――」

「……ただ?」

 

 翔鶴は何かを言い掛けて、口を噤む。

 

「いえ。何でもありません」

「はあ……」

 

 誤魔化すように笑う翔鶴に、拓海は首を傾げつつも何も言う事は出来なかった。元々磯貝と翔鶴の関係について大した興味は持っていなかったので、拓海はその話題を切り上げることにする。

 

「そういえば翔鶴さんは、どうしてここに?」

 

 話題転換とばかりに、拓海は彼女がここに来た理由を尋ねる。

 

「外を歩いていたら、偶然白瀬さんを見つけたんです。――――また、榛名さんとお話されるんですか?」

 

 これ幸いとばかりに話題に乗って来たことに少々違和感を覚えたが、特にそのことで話の腰を折ることはせず、肯定する。

 

「いい加減、今の状態は何とかしたくて。多分に俺が悪いですし、このまま喧嘩別れ何て嫌ですから」

 

 榛名とはもっと仲良くなりたいと思う拓海としては、今の状態はとても好ましくない。どうしても話したくないことはあるが――――譲歩することも考えた方がいいのだろう。尤も、今の拓海は榛名に話す内容を選り好み出来るわけでは無いのだが。

 

「私からはこんな事しか言えませんが……。ちゃんと仲直り、してくださいね」

「はい。それは勿論」

 

 心配そうに見つめてくる翔鶴に、拓海はしっかりと頷く。いつまでも先延ばしにはしたくないので、今回は天変地異が起きようとも仲直りを絶対しよう、というぐらいの覚悟で来ている。

 そんな拓海の顔を見てか、翔鶴は頬を綻ばせた。

 

「その様子なら、大丈夫そうですね。応援しています、白瀬さん」

「――――その、俺は応援される立場じゃないと思うんですが」

「それでもです。厚意は受け取っておかないと、嫌われますよ?」

「――――ありがとうございます」

 

 翔鶴の笑顔に圧倒されて、拓海は素直に礼を述べる。身長は自分のほうが高い筈だが、何故か翔鶴の身体の方が大きいような気がしてきた。

 恐ろしいものでも見るかのような拓海の目を、翔鶴はきょとんとした顔で見つめ返す。その眼差しが余りに純粋なものだったために、思い過ごしであることに直ぐに気付いて安堵する。

 

「白瀬さんは、これからどちらに?」

 

 拓海の視線の意味を翔鶴が知る由も無く、彼女は行き先を尋ねた。

 

「ああ、待合室の方に行こうかと。そっちで、榛名と待ち合わせをしてるんで」

「分かりました。それでは行きましょうか」

 

 翔鶴は頬笑みを浮かべてくるりと後ろを向くと、本庁舎へと向けて歩き出す。

 腰まで届く髪を揺らしながら歩く翔鶴の後ろ姿を見つめながら、拓海は心の中で非礼を詫びつつ、彼女の後に続くのだった。

 

 

 

 

 本庁舎に入ってみると、中は意外と綺麗なものだった。屋根が崩れ、一部が焼け焦げたために外では修理工事用の骨組みが組まれて痛々しいものだったが、少なくとも玄関ホールの辺りは無事だったようだ。

 翔鶴は、自分の部隊の司令官のところに行く用があるからとその場で別れた。

 階段を上がって2階へ行く翔鶴を見送りつつ、拓海は1階の玄関の直ぐ傍にある待合室に赴く。

 待合室はやや奥行があり、5人掛けのベンチが3列ほどに分けて並べられていた。ベンチに向かい合う白い壁には薄型のテレビが設置され、近くには幾つかの掲示物がある。部屋には誰も居らず、一人で待つには少しばかり寂しい。

 拓海は窓際にある、手前の列の最後尾のベンチを選ぶと、適当に座って息を吐く。背もたれに身を預けて、天井を見上げた。

 

「――――あれから、もう1ヶ月なんだよな……」

 

 一人呟き、拓海は改めてこれまでのことに思いを馳せる。

 南鳥島での一連の出来事、横須賀鎮守府にやって来た時の事、この呉の街で目にした事――――。長いようで、あっという間の1ヶ月だった。今ではもう、こちらでの生活に慣れてきてすらいる。

 今更、元いた世界に帰りたいかと聞かれたところで、拓海としては首を横に振るだろう。それだけ、この生活が良いと思い始めていた。それに、帰れたとしても自分が生きていた時代に行けるとは限らない。

 ただ、一つだけ心残りがあるとすれば。

 

「……彩水」

 

 向こうの世界に残して来た、妹のことだった。来た直後は兎も角として、光樹の娘だという人物に会ってから、ずっとそのことが引っ掛かっていたのだ。

 名前の同じあの少女は、本当に妹なのだろうか。顔は全く似ても似つかないが仕草や言葉の端々や表情の浮かべ方からして、どうしても彼女の影がちらつく。今のところ確信が持てず、半信半疑の状態だ。

 そして、彼女がもし本当に妹だったとするなら、拓海のいた世界ではどうなってしまったのか。こちらは皆目見当も付かない。少なくとも、何らかの形で死を迎えたことになるのだろう。

 

「……駄目だ。あれからずっと、こんなこと考えてばっかりだ」

 

 拓海は眉間に皺を寄せて首を振り、仰向けから俯く姿勢に変える。榛名との問題もある。この先、自分はやっていけるのだろうかと自己嫌悪に陥り始めた時だった。

 

「……お久しぶりです」

 

 すっかり聞き慣れた、耳に心地良い声が拓海の耳を打つ。顔を上げて声のした方、待合室の出入り口を見ると、巫女服のような恰好をした少女がこちらを見つめていた。

 

 

 

 

「えっと……久しぶり」

 

 無言で同じベンチの右端に座った榛名に、拓海は恐る恐る声を掛ける。一人か二人分空いたスペースに、拓海は何とも言えない気持ちを抱きながら榛名を見た。

 

「はい……。お久しぶりです……」

 

 それ以上会話は続かず、沈黙が訪れる。榛名は前を向いたままで、一向に拓海の方を見る気配が無かった。拓海も榛名から顔を逸らし、自分の足元に視線を落とす。自分の情けなさに、拓海は組んだ手に力を籠める。

 

 拓海が司令官になろうと思ったのは、榛名がいたからだ。例え榛名があの時南鳥島にいなかったとしても、この世界にいると分かった時点で拓海は迷わずこの道を選んだだろう。

 しかし、目の前にいる彼女はかつて見ていた画面の向こうの存在では無い。人と寸分違わない喜怒哀楽と、体温を持っている。人の手で作られた存在だが、彼女たちは間違いなく「人」だと拓海は思う。この世界に来てから、拓海はそれをより強く感じていた。

 だというのに、この有様だ。榛名相手なら、言わなくても大丈夫だろうと自分の勝手な想像を押し付けたために、こんなことになっている。それが、拓海には悔しくてたまらなかった。

 

「白瀬さんは……。その、元気……でしたか?」

 

 聞こえてきた榛名の声に、拓海は思わず顔を上げて彼女の方を見る。榛名は相変わらず前を向いたままだったが、視線だけはこちらに送って、様子を窺っているようだった。

 

「あ、ああ。榛名は……?」

「私も、元気です……」

 

 再び沈黙が、場の空気を支配する。

 あれを話そう、これを話そうと色々頭の中で準備してきたのだが、いざ顔を合わせると途端に何を話せば良いのか分からなくなる。言葉は喉元まで出掛かっているのだが、つっかえてしまう。そんなもどかしい状態のまま、室内に壁掛けの時計の音が一定のリズムを刻んで、空しく響いていた。

 

「は――――」

「し――――」

 

 拓海が声を掛けるのと同時に、榛名が口を開く。重なった声に続く言葉は無く、三度沈黙する。気が付けば二人とも顔を上げており、お互いを見つめ合ったまま硬直していた。

 

「……榛名から、どうぞ」

 

 このまま黙っているのも良くないと思い、拓海は先を譲る。それを受けて、榛名は口を開いた。

 

「白瀬さんは……自分で解決すると言いました。本当に、お一人で解決出来ますか?」

 

 それは、拓海が1週間前に口にした言葉だった。無表情を貫いたまま問うてくる榛名に、拓海は直ぐに言葉を返すことが出来なかった。

 思えば、あの時「自分の力で解決しなきゃいけない」と言ったが、どうやって解決するかまでは考えが至っていなかった。その事が頭を過ぎり、口を噤んでしまう。

 

「……するよ。……絶対に」

 

 しかしそれでも頑なな気持ちが湧き上がり、拓海は自分に言い聞かせるように話す。それを聞いた榛名は、どんな表情だっただろうか。言いながら俯いた拓海には、窺い知ることは出来ない。

 

「……話せば、もっと簡単に解決するかもしれません。それでもですか?」

「ああ……。余程理解がある人でも無い限り、誰にも解決出来ないよ」

「そうですか……」

 

 榛名はそう言って目を閉じ、やや下に顔を向ける。拓海は、残念がられていると思ったのだが、注視してみるとそういうわけでも無いようだった。

 拓海としては、これ以上この事について話したいとは思わない。それ故に、話題を少しばかり変えてみようとした。

 

「代わりと言っては難だけど、子どもの頃のこと、話してもいいかな」

 

 横須賀での電の言葉を思い出し、拓海は話題を変えるべく焦り気味に提案する。

 そのやり方は流石に強引だったのだろうか。榛名は首をゆっくりと横に振り、再び拓海を真っ直ぐと捉えた。

 

「昔のことを聞くという意味では変わらないかもしれませんが――――。私が知りたいのは、そういうことではありません」

「じゃあ、いったい何を……」

 

 呟いて、榛名の双眸を正面から見つめ返す。

 

「貴方が何故、妹さんのことを“呪縛”と言ったのか……についてです」

 

 瞬間、拓海は榛名の瞳を凝視したまま硬直する。それは、「あの事」について話せという最後通牒のようにも聞こえたからだった。

 拓海は唇が震えるのを感じながら、口を開く。

 

「それって、どういう……意味……」

 

 言葉が続かない。口の中が乾いていて、飲み込む唾が無い。それ程に緊張しているのに気付きつつ、拓海は次の言葉を待った。

 意外に待つ時間は少なく、榛名は淀みなく次の言葉を口にした。

 

「私はあの時、自分の姉妹を“絆”と言いました。簡単に言ってしまえば、大切な『家族』だからです。私は、金剛お姉さまも比叡お姉さまも、霧島も大好きです。ですが白瀬さんは、自分の家族のことを“呪縛”と言いました。それに……。妹さんのことを、あまり思い出したくなさそうでした。……白瀬さんは、妹さんのことが嫌いなのですか?」

 

 躊躇いがちに聞いてくる榛名に、拓海は即座に首を振って否定する。

 

「いや。嫌いなわけじゃないよ。ただ、今会ったとしても、昔みたいに可愛がってはやれないだろうな……。妹のことを思い出すたびに、吐いてしまいそうになるんだ」

 

 この世界に来る遥か前の自身の醜態を思い出して、拓海は自嘲気味に笑う。あまりに痛々しい表情をしているのか、榛名がこちらに一人分身体を寄せて顔を覗き込んで来ていた。

 

「妹さんに、何かされたんですか?」

「――――――」

 

 言い掛けて、拓海は口を閉じる。果たして、これは言っても良いことなのだろうか。出来れば、拓海としては表面的な部分であったとしても榛名に踏み込んで来て欲しくは無かった。

 ――――それは、彼にとってあまりに“酷いこと”であったからだ。

 

「白瀬さん」

「……榛名?」

 

 更に身体を寄せ、榛名が至近距離で拓海を見つめる。決意の籠ったその瞳に、拓海は知らず釘付けになっていた。

 

「私は、白瀬さんが何を抱えてたとしても、見放したりしません。貴方には、私が付いています。ですから――――白瀬さんが言える範囲で構いませんから、私の質問の答えを教えてください」

 

 瞳は逸れること無く、拓海をしっかり捉えている。その瞳に一切の曇りは無く、その言葉に偽りは全く無い。

 

 ――――何と力強く、頼もしいことだろう。

 

 これでは、自分が情けないと余計に思えてしまう。

 拓海の中にそんな思いが過ぎった時には、自然と口が開いていた。

 

「――――高校2年生の時だ」

「え?」

 

 不意に、榛名の口から驚きが漏れる。それは、拓海とて同じだった。

 あれほど一切話すものかと決めていたのに、榛名の言葉を聞いた途端、ほんの少しだけ気持ちが軽くなったような気がしたのだ。

 自分の小さな変化に多少驚きながら、拓海は話を続ける。

 

「その時に、妹との関係にヒビが入った……というか。俺が一方的に妹を遠ざけて、それからほとんど話さなくなった……。“呪縛”になったのは、その時だ。――――ごめん。これ以上は本当に無理みたいだ」

 

 少し話しただけで、胸の辺りがむかついて気持ちが悪くなる。その先に触れようとしただけで、悪寒が全身を襲う。

 拓海が胸元を抑え、顔色が悪くなってきたところを見て、榛名は十分と言わんばかりに彼の右肩に手をそっと乗せた。

 

「大丈夫ですか?」

「……うん。何とか。期待に応えられなくて、ゴメン……」

「いいえ。白瀬さんが本当に辛いというのが、榛名にもよく分かりましたから……」

 

 どうやら、この先は話さなくても良い様だ。

 頭の中でそのことを思い出すだけならまだ大丈夫だが、それを実際に口にしようとすると強い抵抗感が襲ってくるのが、あの日以来の拓海の身に起きていることだった。その先に踏み込むことで、何もかも失ってしまうことへの防御反応なのかもしれない。

 事実、拓海はもう話さなくていいと分かっただけで、胸の気持ち悪さはかなり和らいでいた。

 

 

「落ち着きましたか?」

 

 拓海が息を整えるのを待って、榛名が声を掛ける。拓海は頷きながら、それに応じた。

 

「ありがとう。それと、ほんとにゴメン……」

 

 そう言って、拓海は頭を下げる。

 榛名の言葉を受けて、気持ちは確かに軽くなった。榛名になら、話しても大丈夫かもしれないと、今まで頑なに誓っていたことを拓海はここに来て初めて破った。

 一方で、話してしまうことで何かが変わってしまうことへの恐れもあった。あの吐き気から、自分が未だ「あの事」を強く拒絶していることも分かった。その所為で、どうにも話が中途半端な形で終わっている。だが、これ以上のことは話さなくて済んで良かったとも思う。

 

「もう謝らないでください。白瀬さんが私に話そうとしてくれただけで、十分です。それと、榛名の方こそ、ごめんなさい」

 

 榛名は微笑みを浮かべてから、顔を上げた拓海と入れ違いに、自分の膝に手を乗せて頭を下げた。

 

「な、何で榛名が謝るのさ」

「勝手に、白瀬さんの傍から去ってしまいましたから……」

「それは俺が悪かったからで、榛名が謝るようなことじゃ――――」

 

 拓海は気にしなくていいと止めるが、榛名は頑として首を振る。

 

「それでも、謝らせてください。あの時私は、納得出来なかったんです。白瀬さんが、何で妹さんのことを“呪縛”だなんて言うんだろうって」

 

 榛名の言うことも、尤もだろう。仲の良かった家族に対して、あの様な物言いが許せなかったのかもしれないと、拓海は思う。

 そんなことを考えている拓海の前で、榛名は言葉を続ける。

 

「――――あの時、最後まで話を聞かなくてごめんなさい。……最初から、こうしていれば良かったんです」

 

 それは、とても遠い回り道だった。ここに至るまで、どれだけ思いを巡らせただろう。

 拓海は、恐れを抱いていたとしても一歩でも良いから足を踏み出せば良かったのかもしれない。

 榛名は、相手がどれだけ頑なであっても食い下がれば良かったのかもしれない。

 後々から考えると、「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」と思えてくる。だが、感情はおいそれと片付けられるものでは無い。

 目の前で頭を下げる少女を見て、拓海は思わず笑みを溢した。それに気づいた榛名が、きょとんとした目で拓海を見る。

 

「色々と不甲斐ないところもあるけど……。これからも宜しく。榛名」

 

 言うと、榛名は頻りに瞬きを繰り返しながら拓海を凝視している。

 口元を僅かに開けたまま何も喋らないまま見つめて来る榛名に、拓海は段々と不安になり始めていた。

 それから数秒経ったとき、榛名がくすりと口元を抑えて微笑む。

 

「はい。こちらこそ宜しくお願いします。――――でも、私を怒らせた責任は取ってくださいね」

「――――はい?」

 

 拓海は聞き間違えたのかと思って、榛名を凝視する。

 

「責任を取ってくださいねと、言ったんです」

「今のでお相子……とかじゃなくて?」

 

 てっきり、お互いに謝って終わりと思っていた拓海は、開いた口が塞がらない。

 

「今日は一日、私に付き合ってください。白瀬さん?」

 

 既に榛名の中では決定事項であるようで、抵抗は無意味だった。釈然としないものはあるが、まあ良いかと拓海は応じることにする。

 

「分かったよ」

 

 拓海が首肯すると、榛名は心底喜んでいた。屈託の無い眩しい笑みが、拓海に向けられる。

 何はともあれ、これで仲直りをすることは出来たようだ。それが今回の大きな成果だろう。

 

 

 その後拓海は暫く、榛名とこの1週間の出来事について話していた。ゴジラの襲撃のこともあれば、楽しい話題も上がる。1週間とは言え、この隔たりを埋めようとしたためか時間が過ぎるのはあっという間だった。

 昼の時刻が迫り、話は一旦ここで切り上げようと拓海と榛名はベンチから立ち上がる。

 その時、呉鎮守府内に放送が流れ、二人のいる待合室のスピーカーからも聞こえた。緊迫した声に、拓海と榛名は表情を強張らせる。

 

 

 

 

 

 

 ――――深海棲艦、来襲せり。

 

 

 

 


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