黒々とした体躯は、見上げれば天に届いてしまうのではと錯覚する程に高い。上陸したゴジラは、その巨大な体躯を以って出撃ドックを破壊する。隔壁シャッターが割れ、1階建ての白い屋根が無残に踏み抜かれた。
そして右へと方向転換したとき、長門たちと視線が交わった。
牙を剥き出しにした顔は、ただ黙って長門たちを見下ろす。
長門は、ゴジラを見るのは初めてだ。隣で戸惑った表情をしている陸奥も、同じ筈だ。
――――何故だ。
身の毛がよだつほどに嫌悪感、危機感を覚える。逃げなければ、焼かれるか踏まれるかして殺されてしまう。
そんなことを思うにも関わらず、長門はこの怪獣の中に
「お前は……お前は、いったい何者だ!!」
長門は、自分たちを見つめる悍ましい怪物に向かって、声を張り上げた。
――――ダレダ。ダレダ。ダレダ。ダレダ。
誰かが、問う。
――――ナガト、ナガト、ナガト。
誰かが、答えた。
――――ムツ、ムツ、ムツ。
また別の誰かが、答える。
――――コロセ。コロセ。コロセ。コロセ。コロセ……!!
誰かが、憎悪の声を上げた。
頭の中に直接声のようなものが響いて、長門は顔を顰めて唇を噛んだ。隣を見ると、陸奥も怯えたように耳を塞ぎながら、黒い怪獣を見上げていた。
(これは、ヤツの中から……?)
長門は直感的に、そう思った。この声は、今生きている人間たちや深海棲艦のような生物の声では無い。他の生物でも無い。何かを恨み、しがみ付き、呪わんばかりの怨嗟の声は、まるで死者たちのもののように聞こえた。
このゴジラは、戦争によって死んだ人々の怨念だという話も聞く。最初こそ疑っていたが、いざ目の前にしてみると、その噂はかなり信憑性があるように思えた。
――――コロス。
声が頭に再び響いたと思った直後、ゴジラが尾を地面に叩きつけながら、高らかに咆哮した。そして、ふとくてガッシリとした肉付きの良い足を長門たちの方へと向け、ゆっくりと歩き始めた。
けたたましい音量の警報が鳴り響く中、ゴジラは急行してきた戦車の攻撃を物ともせずに突き進む。その白い双眸には、長門と陸奥だけが捉えられていた。
「――陸奥、逃げるぞ!」
「そ、そうね!」
ヤツは確実に自分たちを襲おうとしている。長門は咄嗟に陸奥の手を取り、基地東部へ向かって走り出した。
東部には、艦娘の宿舎用に作られたプレハブが幾つも並べられている。それらの建物の陰に隠れて移動すれば、もしかすると上手く撒けるかもしれない。
「ねぇ、長門。聞こえたかしら、あの声……」
駆け足で逃げる途中、陸奥が息を弾ませながら尋ねる。
「陸奥も聞いていたのか……」
「ええ。ゴジラから聞こえたような気がするわ」
「そうか。私もついさっき、そう考えていたところだ」
基地の人間が、あんな声を出すようにはとても思えない。それに、頭の中に響く声やこの状況が、長門により確信を与えていた。
「……話せると思う?」
陸奥がふと、そんなことを聞いてくる。確かに、言葉を発せられるようなら意志疎通が出来なくもないように思える。しかし、あの憎しみに満ちた顔を思い出して、長門はそれをすぐに否定した。
「無理だな。そもそもヤツには、私たちの言葉など届かない。――――陸奥!!」
いつの間にかゴジラが真後ろまで近づいて、自分たちを踏み潰そうと左脚を上げていることに気付く。長門は陸奥の腕を引っ張って抱き抱えると、力の限り左前前方へと跳んだ。
陸奥が背中から着地し、陸奥を抱き抱えた長門がその勢いで彼女と共に転がっていく。
直後、長門たちが先ほどまでいた場所がゴジラの足で踏み付けられ、衝撃が彼女たちを襲った。
長門はすぐに上体を起こし、陸奥を支えて立ち上がる。
「怪我は無いか?」
「背中をちょっと擦ったくらいよ。それより、逃げましょ?」
「ああ、そうだな」
ゴジラが地を踏んだ際に舞い上がった埃で、二人は一時的に視界から逃れている。それでも安心していられる状況では無い。
長門と陸奥は、再びプレハブの方へと向かって走り出した。距離は、あと100mから200mくらいといったところだろうか。ここが踏ん張りどころだ。
舞う埃が無くなって程なくしたところで、ゴジラは再び長門たちを追いかけ始めた。時々横槍を入れて来る人間たちを睨んだり、尻尾で払う程度で、執拗に二人の後を追う。
「ちっ、しつこいな……!」
長門は思わず、舌を打つ。それほどまでに、自分たちを憎む要素があるのだろうか。それとも――――。
「どうするの? このままじゃ、あそこに逃げ込んでも無駄よ」
「あそこは、障害物が多い。焼け石に水だろうが、このまま行く!」
不安の色を見せていた陸奥もそれ以上は言わず、長門と共に走り続ける。どちらにせよ、逃げ続けなければ餌食になってしまうのは必須だ。
やがて遠くに見えていたプレハブの数々は、その像を二人に大きく見せ始めていた。
「飛び込め!」
手近なプレハブに辺りを付け、長門と陸奥は物陰に滑り込んだ。しかしそこで立ち止まりはせず、姿勢を低くして縫うように奥のプレハブの裏へと移動する。そんなことを繰り返していると、ゴジラも艦娘の宿泊地区に到達した。
建物を盾にするのは忍びなかったが、それ以上に自分たちの命が最優先だ。長門たちは隠れつつ、新たな逃避経路を探す。
ゴジラはこちらを見失い、相変わらずの険しい表情のままプレハブの建物群を睨んでいる。この調子なら逃げきれそうだと、長門が思った時だった。
「長門! あれって……!!」
物陰から指を差す陸奥に言われてゴジラを見る。
視線の先には、背びれを青々と光らせて、空に向けて大きく開けられた口の中に同じ色の光のエネルギーが、今まさに集束しようとしているゴジラの姿があった。
「まさか……」
放射能熱線。
そんな言葉が、長門の頭の中に過ぎる。
ゴジラの名を持つ怪獣たちが持っている、強力な破壊光線。過去に確認されたゴジラは、ほとんどがその破壊光線を武器として使い、敵を屠って来たのだと言う。
それが今、まさに長門たちへと向けられようとしていた。
「私たちは、死ぬのか……?」
長門が、ポツリと言葉を溢す。恐怖は、感じられなかった。そこにあったのは、「諦め」という感情のみ。深海棲艦とは明らかに違う強大な存在に、自分たちは無力なのだと思い知らされる。
「大丈夫よ、長門。今度は、私も一緒だから」
あまりに落ち着いた声の陸奥が、長門の肩を抱く。彼女の暖かい腕は、僅かに震えていた。
「また、あの光に包まれるのか」
それは、遠い昔の記憶。
何時かの時代、何時かの海。最後の役目として、敵味方の区別無く集められた艦の数々。そこに落とされた溢れんばかりの、身を裂こうと殺到する光。そして、何処までも深く沈んでいくような微睡み――――。
いっそ焼かれてしまえば、楽になれるだろうか……。
(こんな所で、終わってしまうのか?)
ふと、横須賀鎮守府にいる仲間のことを思い出す。同じ戦隊に属する大和たちや、他の部隊の艦娘たち。司令官の面々。
“あの時”と違って、自分はまだ何も失っていない。まだまだ、深海棲艦と戦える。しかし今、目の前で黒い死神が自分たちを狩ろうとしている。
(ここで、死ぬわけにはいかない……ッ!)
長門は歯を食いしばって、すっくと立ち上がる。陸奥が、驚いたように長門を見上げていた。
今からでも逃げれば、何とかなるかもしれない。怪我は免れなくても、自分は生き延びねばならない。いや――――。
「死にたくない……!」
長門がその言葉を口にした直後、まるでタイミングを合わせたかのように二つの轟音がゴジラを襲った。
長門と陸奥がハッと空を見上げると、4機の戦闘機――――沖縄自治政府軍所属の45式多目的戦闘機がゴジラに攻撃を加えていた。
4機は次々にミサイルを発射し、全弾が命中する。次々と爆発が起こるが、ゴジラは傷一つ付いていない。しかしその衝撃でゴジラは狙いを定め損ね、熱線の発射前の状態を維持したまま空を睨んだ。
ゴジラは戦闘機の1機を視界に収めると、それを追いつつ温存していた熱線を一気に吐き出す。戦闘機はそれを紙一重で躱すが、ゴジラが首を動かして熱線を薙ぐようにしたことで直撃し、無残に爆散する。
残った3機は狙いを付けられないように変則的な動きを見せる。僅かな隙を縫って、ミサイルの残弾全てをゴジラに向けて放っていく。しかしこれらの攻撃も全く通用することは無く、ゴジラの熱線によって、次々と撃墜されていった。
火の玉となった戦闘機の破片が、地上に降り注いでいく。一部は司令部施設にも落ち、建物が爆発と共に炎に包まれた。
敵を一掃したゴジラは、長門たちが隠れているプレハブ群を一瞥する。しかしそれ以上は何もせず、空に向かって鳴き声を上げると、西南西の方角に身体の向きを変えた。
地上からの攻撃は続いていたが、ゴジラはそれを尽く無視して、その方角へ悠々と歩みを始めるのだった。
「行ったか……」
ゴジラが去った頃合いを見て、長門と陸奥はプレハブの物陰から姿を現す。
幸か不幸か、戦闘機が行った攻撃のおかげで、二人は命拾いすることが出来た。本当の所は偶然なのだろうが、4機のパイロットたちには助けられた。そのことを思いながら、長門は彼らに向けて黙祷を捧げた。
「あの戦闘機が来た方向って……」
長門と同様に黙祷をしていた陸奥が、遠くに見えるゴジラの背中を見て呟く。
「確か、自治政府軍の嘉手納基地があったな……」
嘉手納基地は、沖縄本島において唯一の巨大な空軍基地であり、滑走路も備えている。そこが襲撃されてしまえば、空輸などにおいて相当なダメージがあるだろう。
しかし本土から応援を呼ぶにしても、深海棲艦の襲撃がある可能性もある。そうなると艦隊規模の戦力も、対深海棲艦の艦載機防護能力を備えていない戦闘機も飛んで行くことは出来ない。来られたとしても、1隻か2隻。或いは、44式輸送機だけだ。
そこまで考えて、長門は首を振った。
「――――駄目だ。恐らく向こうも応援要請はしているだろうが、政府は答えられないだろうな。……陸奥、予備の通信施設から横須賀に、被害状況の連絡を入れる。司令部施設があれでは、碌な連絡は行っていないだろう」
基地の中央部に位置していた司令部施設は、戦闘機の墜落によって今や全焼状態にある。他の建物と距離が開いていて、飛び火する恐れが無いのが、せめてもの救いかもしれない。
「分かったわ……。それにしても私たち、助かったのね……」
「ああ……」
陸奥の安堵した声に、長門も同意する。正直なところ、もう助からないと思っていただけに、ホッとしたという気持ちは強かった。
「貴様は一体、
長門は、段々と遠くなっていくゴジラの背を見つめながら、行き場の無い問いを口にする。
この場では陸奥を含めて、艦娘は二人しかいなかったため、確かなことは言えない。しかし、南鳥島でゴジラを見たという第6水雷戦隊の面々は、皆一様にある種の恐怖や不安を覚えたという。榛名も、恐怖と共に記憶を呼び覚まされたと聞く。
これらの情報から、長門は一つの懸念を持った。
「ヤツは……ゴジラは、艦娘にとって危険だ」
同日、神奈川県内の高速道路。
午前10時を遥かに過ぎた頃、笠川大輔は自ら軍用車を運転して、道を急いでいた。横須賀鎮守府で書類仕事に追われていたところに、ゴジラ出現の報を受けたのだ。大輔はすぐさま仕事を中断し、ある場所へと行くべく横須賀鎮守府を飛び出し、今に至る。
イヤホンマイクを装着し、車の中継機を通して無線で“向こう”とやり取りをする。
「ああ。ホワイトビーチ基地の被害状況は聞いている。出撃ドックと司令部施設、入渠ドックが使い物にならない。攻略作戦の延期は決定だな」
《嘉手納基地は壊滅です。幸い滑走路は無事ですので、問題が無ければ明日にでも使えるそうです》
無線の奥から、若い男性の声が聞こえてくる。大輔の部下の一人の声だ。ただし、艦娘隊の方では無い。
「ゴジラは東シナ海に出たんだったな」
《はい。予想進路では、上陸先は長崎。あと5時間ほどで到達する見込みです》
「……元帥は?」
《既に、佐世保の“しなの”に出撃命令を出しています。防衛海軍にも支援要請を出し、受理されています。
「そうか。国は、もっと渋ると思ってたんだがな」
《この状況では、そうも言っていられないのでしょう。世間から隠し通すのも、そろそろ限界に来ています》
部下の言葉に、大輔は自嘲気味に笑う。場合によっては、非難の嵐に晒されるだろう。だがそんなものは、この瞬間においては関係無い。
やっと、復讐を果たす時が来たのだから――――。
「柳田中尉、整備状況は?」
《現行装備ならば、完璧に仕上げているそうです。最新装備の方は、もう少し調整が必要です》
「流石は中條さんの息子だ……。出撃準備は?」
《ご命令があり次第、何時でも可能です。今から出撃すれば、到着まで5時間ほど掛かる見込みです》
「なら、4時間半で到着させろ。そのくらいなら、多少重くても早く着ける筈だ。――――よし。47式機龍Ⅱ、及び機龍隊、出撃だ。操縦担当は柳田中尉、君がやれ」
《了解しました!》
そのやり取りを最後に、無線通信が終了する。
笠川大輔大将。特生防衛海軍の艦隊総司令官。そして彼は、MFS-47“47式機龍Ⅱ”の開発プロジェクトリーダーであると同時に、「機龍隊」の司令官を務めている男だった。
向かう先は東京府旧首都区、特生防衛軍が保有する中でも最大の規模を誇る「旧東京湾岸基地」と呼ばれる場所だ。
東京府と神奈川県の県境に入った頃、上空に「しらさぎⅡ」の3機編隊が見える。1機が先を行き、後ろを追う2機はバックパックユニットを背負った機龍Ⅱを吊り下げ、長崎へと向けて飛行していた。
「ゴジラ……。俺は必ず、お前を殺してやる」
誰もいない車内の中で一人、大輔は恨みに満ちた声を響かせ、上空の機龍Ⅱを見送った。
今回の一番の敵は…… Wordでした。