艦隊これくしょん―黒き亡霊の咆哮―   作:ハチハル

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第13話 その男は

 翌日、拓海は光樹に見送られて、広島へと向かうために厚木から出発する飛行機に乗り込む。

 午後1時ごろには広島空港に到着し、そこから迎えの車に1時間ほど揺られて、呉市に到着した。

 

 広島県呉市は、横須賀と同様に海軍の街とも言われる。

 第3次大戦勃発を境に、現在の防衛海軍の一大拠点として発展。深海棲艦の出現と襲撃に伴い、中心市街地は内陸側に後退、代わりに軍の施設が港周辺をほぼ占拠するに至っていた。

 

 特生防衛海軍第3艦隊が所属する呉鎮守府は、その一角に存在する。海軍施設から見て、西の方角に位置している。

 規模は横須賀鎮守府ほどでは無いものの、艦娘隊の中心的拠点の一つだけあって、それなりに大きい。

 その対岸にある江田島には、特生防衛軍の基地が設置されていた。

 

 車が鎮守府の敷地内に入るためのゲートを潜り抜けると、近場の駐車場で拓海は運転手に礼を言い、下車する。

 車を見送ってから、予め渡された地図を片手にどこから当たろうかと周りを見渡していると、一人の銀髪の少女がこちらに向かってくるのが、視界の端に捉えられた。

 少女は拓海から数歩離れたところで立ち止まると、微笑を湛えつつ話しかけてきた。

 

「白瀬拓海さん、ですよね?」

「どうも。お久しぶりです、翔鶴さん」

 

 頭に日の丸が描かれた赤い鉢巻を巻き、赤いスカートを穿いて、白い着物の上から黒々とした胸当てを装着している。

 正規空母・翔鶴。第3艦隊の第5航空戦隊に所属している少女だ。

 拓海が会うのは、南鳥島で軽く挨拶をしてから2回目となる。

 

「はい、お久しぶりです。お話は鳴川少将から伺っています。これから鎮守府の案内をすることになりますが、いいでしょうか?」

 くすりと笑って応じつつ、翔鶴は拓海に尋ねた。

「そう……ですね。宜しくお願いします」

 

 本当はすぐにでも榛名に会いたかったが、呉鎮守府は初めて来る場所だ。

 無碍に断ることも出来ないので、翔鶴の提案に従うことにする。

 

 

 

 翔鶴と並んで歩きながら、拓海は呉鎮守府を見て回っていく。

 横須賀に建っているものと同じ鎮守府の本庁舎や、一回り小さく見える艦娘用の宿舎。出撃施設や入渠施設、工廠なども規模は横須賀よりもやや見劣りするものの、それぞれが独立して建てられていた。

 

 対岸にある江田島は、特生防衛軍に接収されて軍用地となっており、民間人は入ることが出来ないそうだ。

 鎮守府からは特生防衛軍の港が見え、何隻かの軍艦が係留されている様子が見える。

 その中には、YGC-02“むさし”の姿もあった。横須賀にある巡洋艦“やまと”の同型艦だ。“やまと”型2番艦というだけあって、その大きさには圧倒される。

 

 

 

 鎮守府内ですれ違う艦娘がいないが気になって尋ねると、他の部隊は宿毛湾や佐伯などの泊地にいるとのことだ。現在、ここには第5航空戦隊しかいないということを聞かされた。

 

「榛名たちの部隊は、今どこに?」

 

 呉は、榛名のいる第2戦隊もいる筈なのだが――。

 

「深海棲艦の警戒のための、遠征に出ています」

「そうだったんですか」

 

 それでこの場にいなかったのかと、拓海は納得する。しかしそうなると、榛名と会えるのはもう少し先になりそうだ。

 焦る気持ちはあるが、ここで動こうとしても空回りするのは目に見えている。

 ふと翔鶴が「白瀬さん」と名前を呼んで、拓海に顔を向けてきた。

 

「あの、榛名さんにどのようなご用事なのでしょうか? 鳴川少将からは、こちらに用事があるとしか、伺っていないんです」

 

 どうやら光樹は、拓海に関する事情を話しているわけでもなさそうだ。てっきり知っているものと思ったが、その辺りの細かいことは自分で話せということか。確かに、第三者の口を借りるより自分で話してしまった方が手っ取り早い気もする。

 そうと分かると拓海は翔鶴に、自分が榛名との間に問題を抱えていることを、状況を含めて掻い摘んで話した。

 

 

「つまり白瀬さんは、榛名さんと喧嘩されているということですか?」

「ま、まあそうですね」

 

 翔鶴の解釈は、中らずと雖も遠からずというところだったので、拓海は曖昧に頷く。

 

「白瀬さんが、何に悩んでいらっしゃるのかは存じませんが、そのことを誰かに相談されないのですか?」

 

 細かい事情は伏せてあったが、話から拓海が何か悩んでいることを察したようだ。翔鶴に問われて、拓海はゆっくりと首を横に振る。

 

「少なくとも今は、誰かに話すことは出来ないですね……」

 

 翔鶴は、それに対して何かを聞いてくるわけでも無く、拓海をじっと見つめる。その顔を見て、またしても誰かを失望させてしまったかと拓海は思う。

 拓海は自身の抱える大きな悩みを、誰かに話したことは一切無い。一番近しかった家族にでさえもだ。周りにいる光樹を始めとした、拓海の知人や友人にも気付いた者はいたが、その頑なな態度を受けてか、聞いてくることは無かった。それでも、その悩みの所為で何人かとは疎遠になってしまった。

 今回もそれらと同じようなパターンで、距離を取られるだろうと思い、内心溜め息を吐く。

 

 いっそ吐き出そうと思うこともあった。しかしその度に、心の中に()がチラつく。話してしまえば最後、自分の居場所は無くなってしまう。

 半ば洗脳にも似た思いが拓海の中を支配し、ついに拓海は今に至るまで、誰にも悩みを打ち明けたことは無かった。

 

「すみません。翔鶴さんにまで、情けないところを見せてしまいましたね」

 

 罪悪感から、拓海は頭を下げる。しかしそんな拓海に対して、翔鶴は首を横にゆっくりと振った。

 

「いえ。私は、情けないとは思いません」

 

 翔鶴の言葉に、拓海は思わず垂れていた頭を上げて彼女の顔を凝視した。そんな拓海を見て微笑みつつ、翔鶴は風に揺れる髪を左手で抑えながら、続けた。

 

「私には、白瀬さんの悩みをどうにか出来る力はありませんから。白瀬さんが一人で向き合うと言うのなら、それでも良いと思います。ですが白瀬さんが一人で戦うと決めたなら、必要があれば私にもそのお手伝いをさせてください。そのための相談なら、幾らでも乗ります」

 

 予想していなかった言葉に、拓海は呆気に取られる。てっきり、非難されるとばかり思っていた。

 

「何も、聞かないんですね」

「私には、どうやって白瀬さんの悩みを聞き出せばいいのか、分かりませんから。それに白瀬さんのことも、よく知りません。ですが、背中を押すことは私にも出来ると思うんです」

 

 翔鶴の横顔が、ふと光樹と重なる。彼も翔鶴と同じように、拓海の抱えているものが何なのか聞いてくることは無かった。悩みに気付きつつも、直接踏み込むようなことはせず、いつも背中を押したり遠回しに助けられていたように思う。今回だって同じだ。

 

「……ありがとう、翔鶴さん」

 

 拓海は、心の底から湧いてきた感謝の気持ちを、目の前の少女に伝える。面と向かって不意に言われたことに、翔鶴は「そんなことは」と照れつつも、それを素直に受け取った。

 

「それに、榛名さんだって――――」

「あ、翔鶴姉!」

 

 翔鶴が何か言いかけたところで、やや離れたところから少女の声が聞こえた。

 振り返ると、翔鶴とは色違いの紺と茶を基調とした服に身を包む、ツインテールの少女がこちらに向かって駆けてきた。

 

「あら、瑞鶴? 艦載機の整備は、もういいの?」

 

 翔鶴は微笑を浮かべつつ、妹である瑞鶴を嫌な顔一つせず迎え、頭を撫でている。瑞鶴は擽ったそうにしながら、それを受け入れる。傍目から見ても、二人が仲の良い姉妹だということがよく分かる。

 

「うん。後は、妖精さんに任せてきたわ」

 

 妖精――艦娘開発の過程で、偶然に生まれた小型生命体の総称だ。工廠での装備開発や艤装の整備、一部艦娘の兵装のコントロールなどの役割を持つ。艤装開発では、この妖精による貢献が大きかったと、光樹から聞いている。

 

「それに、今日はお客さんが来るって言って――て、何だ。白瀬さんか」

 

 ニコニコと笑っていた瑞鶴が、拓海に視線を向けた途端、じっとりとした目になる。

 

「何だよ。不満か?」

「べっつにぃ」

 

 あからさまな態度でそっぽを向かれ、思わず眉間に皺が寄る。

 ゲームをやっていたおかげか、瑞鶴は悪い子では無いということは十分知っていたが、実際に会って話してみると、どうにも波長が合わない。

 

「こら、瑞鶴。白瀬さんに失礼でしょう」

 

 翔鶴がやや困った顔で、瑞鶴の態度を咎める。しかし瑞鶴は態度を改めるどころか、ニヤニヤと笑いながら拓海を見やった。

 

「だって私、あの夜どっかの誰かさんが榛名と、良い雰囲気だったの見たし」

 

 恐らくは、南鳥島に増援がやって来た日の夜のことだ。榛名が泣いていたところを偶然他の艦娘たちに見られたが、その中に瑞鶴がいたのだ。

 瑞鶴と顔見知りになったその日のうちに、拓海は彼女から弄られる羽目になったのだった。

 

「あれのどこが、良い雰囲気だってんだ……」

 

 今更抗議することも疲れて来て、拓海は頭を抱えながら溜め息を吐いた。榛名の記憶のことや今後についてなど、大分真面目な話だった。それなのに、どうしてここまで言われなければいけないのか。正直なところ、拓海は辟易していた。

 

「もうっ、瑞鶴ったら……。白瀬さん、すみません」

「いえ……」

 

 なるべく早いうちに、瑞鶴の勘違いを訂正しなければと思いつつ、拓海は苦笑する他に無かった。

 

 

「そういえば白瀬さん、何でこっち来てるの?」

 

 話が落ち着いたところで、瑞鶴が思い出したように拓海に尋ねる。

 

「榛名に会いに、ちょっとね」

 

 二度説明するのも面倒になってぞんざいに答えると、瑞鶴がムッと右頬を膨らませた。

 

「ちょっと、その説明は何なのよ。全然話が見えないじゃない」

「今言った通りだよ。瑞鶴にまで話すことじゃあ無い」

 

 鬱陶しさを感じて、口を滑らせてしまう。こっちが切羽詰っている時に、呑気に聞かれたのが、頭に来たからだった。

 拓海は言ってしまってから、しまったと瑞鶴の方を見る。

だが時すでに遅し。

 瑞鶴は拳を握りしめて、わなわなと肩を揺らして拓海を睨み付けていた。

 

「な、何よそれっ。私にも教えてくれたっていいじゃない! どうして翔鶴姉ばっかり……!」

 

 彼女もまた、ハッとしながら翔鶴の方を見た。

 拓海と瑞鶴の間に漂っていた険悪な雰囲気におろおろしていた翔鶴は、瑞鶴の言葉を聞いて固まっている。

 その表情は、凍っていると言うよりも、ポカンとしていると言った方が正確だった。

 

「ごめん、翔鶴姉。少し、一人にさせて……。この後、磯貝少将のところに行くんでしょ」

 

 表情を隠すように俯いて踵を返すと、瑞鶴は何処かへと走り去ってしまう。拓海と翔鶴は、その後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。

 

 

「えっと……どうしましょうか」

 

 先ほどの自分の失態に顔を顰めつつ、隣にいる翔鶴に尋ねる。

 

「その、私たちは磯貝少将のところに行かないといけないので、暫らくはあの子を一人にさせるしかありません……」

 

 翔鶴も困り顔ながら、拓海に応じる。

 

「“たち”ってことは、俺も行くんですか?」

「はい。何でも、白瀬さんと直接お会いしたいと……」

 

 となると、瑞鶴には後で謝りに行くしか無いようだ。

 いつもならしない様なミスに、拓海は溜め息を吐く。自分が思っていた以上に、苛立ってしまっていた所為だ。しかし、磯貝風介との面会もある。多分、榛名に関することだろう。

 拓海と翔鶴は、時間が迫っているということでその場は仕方なく、磯貝風介に会うために呉鎮守府本庁舎へと赴くことにしたのだった。

 

 

 

 微妙な空気のまま、二人は本庁舎へと到着した。受付を通り、1階の面会室へと案内される。

 白い壁と床、軽い素材で作られた机とパイプ椅子という簡素な部屋で、待たされること数分。拓海から見て斜め左前の方にある扉が開き、若い男性が入室してきた。

 拓海は椅子から立ち上がり、後ろで立って待機している翔鶴と共に、その男性を迎えた。彼が恐らく、面会することとなった人物だろう。拓海は己の内に、警戒心と敵対心を秘めながら、相手に視線を向けた。

 将官服に袖を通した男性は、髪を短く切って背筋をピンと伸ばし、油断なく構えている。その物腰は、本当に25歳なのかと思うほどだった。

 翔鶴に目礼しつつ、男性は拓海を品定めするような目を向ける。そのまま机を挟んで正面に立つと、中性的ながらもやや低い声を発した。

 

「君が、白瀬拓海君かい?」

 

 男性はこれでもかというくらいに、にこやかな笑みを浮かべる。こちらに安心させようとしているかのような、温かみのある笑みだ。

 

「えっと、はい……」

 

 そんな笑みを向けられ、拓海はやや警戒を緩めて肯定する。

 

「そうか。君が……。私は、磯貝風介だ。第2戦隊の司令官を務めている。よろしく」

「よろしくお願いします」

「立ち話も難だから、取り敢えず座ろうか」

 

 磯貝に勧められ、拓海は彼と共にパイプ椅子へと腰を下ろす。

 互いに座ったことを確認すると、拓海は磯貝の顔を見つめる。

 油断も隙も無いが、相手を威圧するわけでも無い姿勢や表情。服の上からでも、よく鍛えていると分かる身体つき。拓海はそれだけで安心してしまい、いつの間にか自分の中にあった警戒心が解かれていることに気が付かなかった。

 磯貝が折を見て、頬に笑窪を刻みながら口を開いた。

 

「鳴川少将から、話は聞いている。突然の事だから、驚いたよ。第2戦隊は高知沖まで遠征中だから、その間で良かった」

「すみません。押しかけるような形になってしまって」

 

 拓海の謝意に、磯貝は頭を振る。

 

「お気になさらず。何でも、()()の榛名に用があるのだとか」

 

 言い方に違和感を覚えて眉を顰めるが、拓海は気にしないふりをした。

 

「はい……。いつ頃、こちらに戻るのでしょうか」

「明日になりますね。宿毛湾泊地経由で、呉に戻って来る予定です」

 

 つまり、今日中には会えないということだ。今から宿毛湾泊地に行くことも出来るだろうが、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。大人しく、呉で待っているしかなさそうだ。

 

「そう、ですか……。それは残念です」

 

 拓海が内心肩を落として溜め息を吐くと、向かいから鼻を鳴らすような音が聞こえてきた。

 聞き間違いだろうかと正面を見ると、磯貝がこちらを敵意剥き出しの形相で睨み付けていた。不用意に警戒を解いてしまっていたために、拓海は怯んでしまう。

 

「お前、俺の榛名に何の用だ?」

 

 飛び出して来た言葉と口調の変化に、拓海は唖然として開いた口が塞がらない。拓海の後ろでも、翔鶴が息を呑んでいる気配が感じられた。

 

「は……?」

 

 吹き出すように迫る威圧感もあって、辛うじてそんな声を出すのが精一杯だった。

 それに「俺の」とは、いったい何のつもりだろうか――――と思ったところで、磯貝に関する書類の内容が頭を過ぎる。

 磯貝は右腕を机に置き、前のめりになりながら嘲笑う。

 

「俺の榛名に何の用だ、と聞いているんだ。さてはお前、榛名を無理やり連れ去って良くないことでも企んでるんじゃないだろうな?」

「まさか、そんな……」

 

 はっきり言って、拓海の方から榛名に対して強引に何かするなどあり得ない。この男の頭の中はどうなっているのだろか。被害妄想も甚だしい。

 

「知ってるか? 榛名が自分の意志で、()の所に戻ってきたんだよ。残念だが、俺を通さなくてもあいつは、お前に会うことは無い」

 

 さも自信満々といった調子で、磯貝は言い放つ。

 自分と磯貝の間には、明らかな認識違いがある。何をどうしてか磯貝は、榛名が自分のために戻ってきたと勘違いしているようだ。本当の所は拓海との会話によるすれ違いなのだが、それを話したところで今の磯貝が信じるとはとても思えなかった。

 黙っている拓海を見て気をよくしたのか、磯貝は更に捲し立てる。

 

「知ってるか? 榛名のあの髪の手触りの良さ! 握った手の暖かさ! 潤った唇! あの愛らしい笑顔! どれをとっても、素晴らしいんだ! 榛名はいつも、俺に笑顔を向けてくれる。そういう子なんだよ!! やむを得ず鳴川さんの手で横須賀に留まっていたが、ついに戻って来てくれたんだ! あの子の意志で! 俺のものになるために!!」

 

 さっきの威厳は何処へやら、磯貝は自分に寄ったように笑い、天井を仰いでいる。彼のご高説を聞いているうちに、拓海は動揺を取り戻し、冷静になりつつあった。語っている内容が嫌悪感を伴うと同時に、この男は榛名のことを何にも知らないんだな、と思う。

 拓海は年上や上官への言葉使いでは無く、相応の態度で望むことにした。僅かな怒りの灯火を抑えつつ、溜め息交じりに磯貝を見やる。

 

「“第2戦隊の榛名”の間違いだろ? 磯貝少将」

 

 冷たい声音でぴしゃりと言うと、磯貝が笑うのを止め、拓海を睨む。

 

「何を言ってるんだ? お前。戦隊は俺のもんだ。なら、榛名も俺のもんだろ?」

 

 さも当然といった様子で、磯貝は答える。これでは榛名はおろか、金剛たち第2戦隊の面々までもが自分のものだと言っているようなものだ。

 

「艦娘は誰のものでも無いだろ。敢えて言うなら、艦娘隊のもんだ。あんたのような奴のもんになるとか、絶対あり得ない。秘書艦になることも無いな」

 

 これは、カリキュラム内でも習ったことだった。

 

 秘書艦制度は、提督側と艦娘側が信頼関係を結ぶために必要なものだ。純粋に秘書の役割もこなすが、同時に所属部隊との艦娘との仲を取り持つようなことも求められる。

 艦娘が特定の誰かの秘書艦となることはあるが、これは双方の同意と信頼関係が必要だ。提督の側から一方的に指名出来るが、その後信頼関係が構築されていなければ、1年で解任される。この辺りは、上層部が臨機応変に対応するとのことだった。

 

 因みに、提督と秘書艦の信頼関係が深いものであったとき、その艦娘が専属の秘書艦になることもある。鳴川光樹と三笠の関係が、まさにそれだった。

 

 さて、目の前にいる磯貝風介はどうだろうか。

 以前光樹に尋ねたところ、磯貝が榛名を秘書艦に指名したことはあったそうだ。しかし磯貝の側はあまりに歪な恋愛感情、対する榛名は磯貝と距離を置きたがっていることが上層部の知るところとなり、指名は取り消しになったそうだ。

 それでも秘書艦を置かないというわけにはいかず、便宜上第2戦隊旗艦の金剛が秘書艦を務めていた。その金剛も、磯貝には絶対に近づきたがらなかったという。

 

 磯貝は榛名の側の態度を知らないのか、心底不思議そうな顔をする。

 

「お前は何を、寝ぼけたことを言っているんだ? 榛名が俺のものになるのは、当然だろう?」

 

 まるで話になっていない。仮にも少将まで昇進した身ならば、自分のような一介の候補生が知っているようなことも知っている筈では無いのか。それとも知っている上で、根拠の無いことを言っているのか。その真偽は分からない。

 だから拓海は決意を固め、ガタリと音を立てつつ、椅子から立ち上がって磯貝を見下ろした。

 

「アンタみたいな人がその程度とは、ガッカリしましたよ。いずれ、榛名の本心も貴方の知るところとなる。その時まで、精々首を洗って待っていることですね。――――行きましょう、翔鶴さん」

 

 拓海は挑発的な物言いを磯貝に向けてから、後ろで控えていた翔鶴と共に面会室を出て行く。その間拓海は一切、磯貝に視線を向けることは無かった。

 閉じた扉の向こうで、磯貝が何かを蹴飛ばす物音が聞こえた。それも無視しつつ、動揺しっ放しの翔鶴の手を引いて鎮守府の本庁舎を出た。途中で受付に、突然起こった騒ぎに詫びも入れておく。

 

 

 

 外へ出た時には、既に午後の3時半を回っていた。

 兎に角この間の件で榛名に謝り、磯貝少将のことについてどう尋ねようかと思案していると、彼の後ろで誰かが座りこむ音が聞こえた。

 振り返ると、翔鶴が青い顔でへなへなと腰を抜かしている。そのままにしておくと今にも倒れそうだったので、拓海は慌ててしゃがみ、彼女の背中を腕で支えた。

 

「だ、大丈夫ですか、翔鶴さん!?」

「し、心臓が止まるかと思いました……。白瀬さんの方こそ、大丈夫なんですか?」

「いや、俺は大丈夫だけど……」

 

 気遣われている筈の翔鶴の方が、拓海を心配する素振りを見せたので、何事も無かったように頷く。すると翔鶴が、只でさえ青い顔をさらに青くし、全身から力を抜いた。拓海の胸元に右側頭部を預けつつ、翔鶴がやっとの思いで口を開く。

 

「あ、相手は少将の方なんですよ? あんなことをしたら、後でどんなことになるか、とても想像が付きません……」

 

 拓海があんな態度を取ってしまったことで、後々の彼の立場が危うくなってしまうことを心配してくれているのだろう。拓海は背中を支えつつ、問題ないと首を振った。

 

「大丈夫です。それよりも、あんな人間を軍に置いておくことの方がマズいと思います」

 

 素人並ではあるが、拓海はそんな意見を口にする。

 

「それはそうなんですが……。あの方から直接、何かされるかもしれませんよ?」

「その時はその時で、自分で何とかします。ですから、今は大丈夫ということにしておいてください」

 

 拓海は苦笑しつつ、翔鶴が立ち上がるのを手伝う。

 後で何をされるかと怯えていたら、何も出来なくなってしまう。それよりも今、この現状をどうにかする方が、拓海にとって大事だった。

 翔鶴は拓海に礼を言って一人で立てるようになると、尚心配そうな顔を覗き込ませる。

 

「磯貝少将は、腕っぷしはこの鎮守府では一番の方ですから……。もしかしたら、実力行使に出て来ることだって……。宿舎には誰もいませんし、そうなったら誰も白瀬さんを守ってあげられません。ですからいっそ、私と瑞鶴の部屋に泊まって――」

「さ、流石にそれはマズいでしょう」

 

 拓海の身を案じるあまりに、翔鶴がとんでもないことを口走る。心身共に年頃の少女の部屋に、年頃の男子を泊めるなど色々な意味でよろしく無い。下手を打つと、後ろ指を差されることにもなりかねない。

 翔鶴も自分の言ったことの意味をすぐに理解したのか、「で、ですよね……」と呟いて赤くなる。しかしそれでも首を振って、拓海の目と鼻の先まで詰め寄ると、必死な顔で話す。

 

「でも、心配なんです。磯貝少将は、怒らせたら本当に怖い方です。艦娘には手を挙げませんから、やっぱり私たちの部屋に泊まっていって欲しいんです」

 

 純粋な厚意から、翔鶴が言ってくれていることが拓海にもよく分かった。そこまで言われると拓海には断れないし、自衛するにしてもそれも心許ない。

 不承不承な部分はあるが、拓海は翔鶴の提案に素直に従うことにした。

 

 

 途中で預けていた荷物を受け取り、拓海は翔鶴と並んで艦娘用の宿舎へと向かう。

 艦娘ではなく、しかも男性である自分が艦娘しか泊まっていない筈の場所へ行くとは、何とも違和感のあることだ。気を遣わなければいけないことも、少なくないだろう。

 拓海は胸の内に緊張を抱えながら、ふと聞いてみたいことが頭の中に浮かび、隣の翔鶴に声を掛けた。

 

「翔鶴さん。何で、ここまで良くしてくれるんですか? まだ、2回しか会ってませんよね」

 

 今日、この呉鎮守府で翔鶴と再会してから、常々思っていたことだ。南鳥島での初対面のときも、ここまでの応対は無かったような気がする。それがどうしてここに来て、急に好くしてくれるようになったのか、分からないのだ。

 拓海の当然の疑問に思い至ったのか、翔鶴は小さく微笑む。

 

「榛名さんがこちらに戻った際に、白瀬さんがどんな方か聞いたんです。基本的に優しくて頭も回るけど、ちょっと情けないところもある人だと。ちょっと怒り顔でしたけど、そんな風に言っていたのを聞いて、どんな人かなって思ったんです。南鳥島の時は、無難な挨拶しかしませんでしたから、お人柄まではよく知らなかったということもあります」

 

 榛名から結構辛辣な評価を頂いていたこと肩を落とすが、楽しそうに笑う翔鶴を見ているとそんな気分も霧散してしまう。

 

「それで実際に再会してみて、どうでしたか?」

「はい。お話の通りの人でした」

「う……」

 

 翔鶴が、屈託のない笑みを浮かべて真っ直ぐな視線をこちらに向けて、さらっと言う。思いの外それが、拓海の心にグサリと刺さった。

 しかし翔鶴は「でも」と付け加え、先を続ける。

 

「榛名さんに対して一途みたいですし、それにさっきの磯貝少将とのやり取りで、少し見直しました。てっきり、白瀬さんも怒ってしまうと思っていたので」

「はは……」

 

 翔鶴の評価がそれ程悪くないことに安堵しつつ、その時のことを振り返って苦笑する。

 正直なところ、拓海にはあの対応が精一杯だったのだ。あのまま言葉の応酬を続けていたら、怒りのあまりに激昂してしまっていただろう。そうなると、相手にペースを握らせてしまうことになる。それだけは何としても防ごうとした結果の、あの対応なのだ。

 

 

 艦娘用の宿舎に差し掛かった頃、翔鶴が「そういえば」と呟いた。

 

「白瀬さん、後で瑞鶴とちゃんと仲直りしましょう。私も、瑞鶴の気に障るところがあれば謝ろうと思っていましたし……」

 

 拓海にとっては、ここに来るまで考えないようにしていたことだった。

 しかし瑞鶴も、翔鶴のように自分に興味を持って話しかけてくれたのかもしれないのだ。態度にイラついてしまったことも事実だが、それによって彼女の好意を蔑ろにしてしまった。これは、自分の方に問題がある。

 

「そうですね。仲直り、しましょう」

 

 同意しつつ拓海と翔鶴の二人は、艦娘用の宿舎へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 宿舎の2階に、翔鶴・瑞鶴姉妹の部屋はある。

 普段は二段ベッドを使用しているようで、3人目が入って来ることは無かったと言う。今回泊まらせてもらうにあたって、拓海が寝袋か敷布団で良いと言うと、翔鶴によって敷布団で寝泊まりすることがその場で決まった。

 翔鶴が部屋の前に立ち止まって開錠し、扉を開ける。

 

「はい、白瀬さん。いらっしゃい」

「お、お邪魔します……」

 

 緊張の面持ちで部屋に入ると、そこには質素な空間が広がっていた。

 質素と言っても決して貧乏さを感じるようなものでは無く、白い壁と木の床や柱、部屋の一角に設けられた畳のスペースなど、和風らしい雰囲気だった。

 部屋に入って左手側に二段ベッドがあり、そちらを見ると、一人の少女が凍り付いた目でこちらを凝視していた。

 

「あら、瑞鶴? 戻ってたの?」

 

 後ろからの翔鶴の間延びした声を聞き流しながら、拓海もまた、凍り付いた表情で瑞鶴を凝視していた。

 そして拓海の目は、床に向かって抵抗空しく瑞鶴の身体を這って行く。

 

 瑞鶴は今まさに、着替えの真っ最中だった。

 

 入渠施設でお風呂に入ろうとしていたのか、彼女が使っていると思しき下段のベッドにはシャンプーやリンスなどが入ったプラスティックの桶が置かれている。

 その傍らには、脱いだばかりの上着とスカート。ベッドの傍らには、脱いだ靴が揃えて置かれている。

 そして当の本人はと言うと、パンツ以外何も着ていない――つまり半裸と呼ぶべき、あられもない恰好をしていた。

 翔鶴が気付いた時には、時既に遅し。

 

 拓海は、瑞鶴の身体を見てしまった恥ずかしさから目を逸らし。

 瑞鶴は、拓海に自分の裸を見られてしまった恥ずかしさから、顔を真っ赤にしてわなわなと震え――――。

 

「えっと……その……ごめん」

 已むに已まれず拓海が言った言葉が、火種となるには十分すぎた。

「こんの、馬鹿ァッ! 変態ッ!」

 

 瑞鶴は部屋中に悲鳴を響かせて自分の弓を取り、拓海に向けて艦載機を発射。放たれた矢が5機の爆撃機に姿を変え、拓海に向かって襲い掛かった。

 

 

 

 その後の瑞鶴の見事な爆撃っぷりと、必死の形相で逃げ回る拓海の様子は、呉鎮守府の職員たちの間で語り草になったという。酒の肴にする者までいるぐらいだった。

 

 一方の拓海と瑞鶴はと言うと、第5航空戦隊の司令官・芝浦兼続大佐に呼び出され、こっぴどく怒られたという。

 この出来事のおかげで二人は何故か打ち解けてしまい、喧嘩してしまった話に関してはお互いの謝罪という形で収まるのだった。

 




 覗いてからの爆撃制裁はよくあること――――なわけないです。

 瑞鶴は前回のイベント(15年・冬)の時に飛龍共々、やっと来ましたね。着任から二年目にして、やっと……。長いようで短かったです。良かったね、翔鶴さん。今度はちゃんと、瑞鶴が鎮守府にいますよ! これで、見えない影に話し掛けるなんてことにならなくて済みますね!

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